| みかん雨。 |
| 「ナミさーん、これはこっちでいいの?」 語尾にハートマークがついているような声に目が覚めた。 珍しいことだ。 いったん寝ついたゾロは、雨が降ろうが雪が降ろうが(ものの例えでなくて文字通りの意味で)、めったなことで目を覚ましたりはしない。さすがに槍が降ってくれば起きるだろうと思うが、グランドラインでも今のところ槍が降ってきたことはないので、確認したことはない。 閉じた瞼の裏で、何かが目の前をよぎるのを感じた。かつんかつんと高い音がしているから、近くをナミが通ったのだろう。 それから、きつい煙草の匂い。服にも髪にも染みついて、離れることはない。あれでは、「自分はここにいる」と主張しながら歩いてるようなものだ。実際、サンジが甲板に出てくると、よっぽど強い逆風でも吹いてないかぎり、ゾロは船の端にいても必ず気づいた。 すこし油の匂いも混じっているのは、昼食のなごりか。 「そうよ。だいたいでいいわ。あんまり完全に覆っちゃうのもよくないから」 「は〜〜〜〜い」 やっぱり語尾にハートマークがついている。 もしかしたらくるくる踊っているかも知れない。 サンジはナミを「ナミさん」と呼ぶ。 ただの「ナミさん」じゃなくて、頭に「ん」がついている。厳密に言うならちいさい「ん」だ。そんな文字はないけれど、でもそんな感じだ。 「ナミ」の後には「っ」がつく。この文字はある。 で、最後に「さ」と「ん」の間に「〜」が入る。 「んナミっさ〜ん 正しく書き表すとこうなる。 初めてそれに思い至ったときには、妙に嬉しくなって、わざわざナミから紙とペンを貸してもらって字に書いてみた。まるで新しい技を完璧にこなしたみたいな満足感が得られた。 ゾロの中では、言葉の重要度はそれほど上位ではないのだけれど、ちいさいころ、修練のひとつとして習字はきっちりしこまれたから、文字はとても綺麗だ。 ナミですら驚いたくらいだから、多分そうだ。 サンジにも見せたら、きちりと並んだその文字を見て、何とも変な顔をして、情けない角度まで眉を下げた。 「お前、それは……」 どうしてサンジがそんな顔をするのかわからなかったが、このエロコックは色々と深読みしては的を外す傾向があるから(的を射ないところがサンジのサンジたる所以だ)、ありもしない裏の意味をさぐってしまったのだろう。 馬鹿な奴だ。 世の中の人間、みんながサンジのように恋愛だとか駆け引きだとか、そういうややこしいことを考えて毎日を生きているわけではないのだ。 そう言えば必ずサンジは「世の中の人間みんながおめェみたいに野生動物レベルの精神構造をしてるわけじゃねェんだよ」と言う。 「お前やルフィにとって、人間は『敵か味方か』しかねェんだろう」と言ったこともある。 馬鹿な上に失礼な奴だ。 相対する人間の多くは、敵でも味方でもないというのに。 そんなことをつらつら考えていたら二度目の眠りがおとずれてきそうだったのに、ばふりと顔に何かがかかって、また邪魔された。 しぶしぶ目を開けると、視界一杯強烈なブルーだった。頬や額に触れる感覚からするにビニールシートだ。 このままじっとしてたらどくだろうか、と思ったら、ナミの声がふってきた。 「ちょっと、ゾロ! 起きてるんでしょ、どいてよ!」 面倒だったが、断固とした口調から察するに、ここで居座っていても事態は変わらなさそうだとふんで、ゾロはのろのろ起き上がった。 そうか、みかん畑で昼寝をしてたんだった。 「木陰が気持ち良かったんだろ」 サンジが両手いっぱいにビニールシートを抱えて、ちょっと笑った。 そうすると目じりにちいさなしわができる。うんと間近で見ないとわからないのだけれど、一度目にすると、サンジが笑うたびに思い出す。 最初見つけたときにサンジに教えてやったら、かなり長い間鏡をのぞきこんだ挙句に、小麦粉だとかキュウリだとかレモンだとかを顔にはっつけて不気味だったので、あれ以来口にしたことはないのだが。 サンジがどうして気にしているのかがわからない。だって、ゾロはその顔が嫌いではないからだ。 ──ということをこそ、相手に伝えてやらねばならないのだが、ゾロはそこには思い至らない。仮に誰かがそう忠告してやったとしても、ゾロは理解をしないだろう。そういう機微はゾロの常識の範疇のはるか外側にあって、例えば隣の銀河系のとある惑星のとある場所のとある地域の天気を誰も気にしないのと同じくらい気にならないことだ。 「ちょうどいいわ、あんたも手伝って」 言われるだろうと思ったことをナミが言いだした。そういう点において、ナミの思考パターンは極めてよみやすい。 断った場合に何を言いだすかもわかる気がするので、ゾロは不承不承ながら立ち上がった。 「何してんだ」 「土をシートで覆うの。これから雨の多い地域に入るのよ。だから、あんまり水を吸いすぎないようにね」 「何でだ。好きなだけ吸わしてやりゃいいじゃねェか」 そうして好きなだけ成長させてやればいい。それが木の生き方ではないのか。 「雨が多すぎると水っぽいみかんになっちゃうのよ。なんでもそうでしょ。『過ぎたるは及ばざるがごとし』」 ふうん、とゾロは言った。 正直、よくはわからない。 ゾロがみかんなら、水っぽくなってもいいから、好きに大きくなりたいと思う気がするからだ。 でももしかしたら、みかんは甘いみかんになることが大事だと思ってるかも知れない。それなら、水っぽくなってしまったら、やっぱり不本意だろう。 何より今もっとも影響力があるのはゾロの意志でもみかんの意志でもなく、ナミの意志だったので、彼女の主張通り、みかんの木は根元をビニールシートで覆われてしばらく過ごすことになったのだった。 *** ナミの言うことはたいがい正しい。 感情的になることはあっても、そのせいで判断を間違うことは滅多にない。 ましてや海と空のことならあの航海士に任せておけば間違いないのだ。 だから、夜半に雨の音が甲板を叩き始めても、ゾロは全然驚かなかった。 「……やっぱ、降り出した、な」 そう言う間に二度、息が乱れた。 仕方ない。 今、ゾロはサンジを受入れていてすごく盛り上がっている最中だからだ。 は、は、と夏の犬みたいに短く息を吐く。もう少ししたら、きっと変な高い声が出てしまう。ゾロはその声が嫌いなのだけれど、どうもサンジは好きらしくて、頑張って我慢していると、声を出せと何度も言う。 「お前ね、こんな、ときに……」 サンジの声も乱れている。 額にぷつぷつと汗が浮いていて、とても真剣な顔をしていて、そこにはいつもの優しげな雰囲気はまったくない。ゾロは、そのサンジの顔が好きだ。 優しくされるのは嫌いではないが、気を遣われるのは好かない。女を相手にするわけじゃなし、欲しいなら欲しいと、胸を張って主張するくらいでちょうどいいと思う。 ──言ってやったことはないけれども。 ひときわ強く突き上げられて、ゾロは咽喉を反らせた。 「ぁ……っ……」 どうにも御しがたい感覚が腰から脊髄を駆け上がって、思考に霞をかける。 そういう快楽もあると知ったのは、サンジと肌をかわすようになってからだ。 「あ……あ、サ、ンジ……っ」 「ゾロ……」 聞こえてくる水音が、とおく部屋の外の雨音なのか、自分たちの身体がたてるものなのかが定かでなくなって、ゾロはサンジの背にまわした腕に力をこめた。頭の奥が紅く熱を持っている気がする。多分、酒に酔うときはこんな気持ちなんじゃないかとゾロは思った。 「……ん、はあ……っ……あ……」 どうしても熱が高まると涙腺が緩む。目尻からこぼれた雫にサンジの唇が寄せられてゾロはちいさく頭をふった。嫌だったのではなくて、どうすればいいのか、わからなくなるからだ。初めはおどおどしていたサンジも、この頃はわかっているからすこしも遠慮なく触れてくる。睫毛にそって目頭まで丁寧に舌を這わせて、最後にきつく寄せられた眉間に音をたててキスをした。 「あ……ぁ、……ん、や、サンジ……っ」 ん、ん、と鼻にかかった声を出すゾロに、限界が間近なのを感じたサンジは、勃ち上がった彼の自身に指を添えて開放をうながした。 「……ぅ……っ」 全身を強ばらせて、ゾロが熱を放つ。手の中にとろりと白濁が零れるのと同時に、サンジも欲を吐き出した。 サンジはとろとろとまどろむゾロを腕の中に抱き込んで、熱の冷めた身体を温めていた。 それは、初めてセックスをした夜からずっと変わらない習慣だ。一番初めのときは、少々無理をさせてしまって、眠るというよりほとんど意識を飛ばしているゾロへの、せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。 女扱いするなと怒るかと思ったが、ゾロはそういうものだと思ったのか、彼にとってはどうでもいいことなのか、何も言おうとはせず、以来何となくそれは事後の習いになっている。 見た目よりずっと柔らかな緑の髪を指先でもてあそんでいると、ゾロがぽかりと目を開けた。 ゾロは眠るときも起きるときも、一瞬だ。何かのスイッチがあるんじゃないかと疑ってしまう。くあー、と大口を開けてあくびをする様子には色気も何もあったものじゃなくて、一体自分は何故こんな巨大マリモに欲情するのか、とサンジは深く自問してしまうほどだが、でも仕方ない。恋愛は惚れた方の負けなのだ。 「……どんくらい寝てた?」 「20分くらいかな。30分は経ってねェと思う」 「そか」 ゾロはものすごく自然にサンジの腕の中から抜け出した。すこしのためらいも名残もなくて、それがサンジには寂しい。 そしてゾロは、その理由はちっとも理解しないくせに、サンジが寂しがっていることだけは敏感に感じ取って、不機嫌になる。 言いたいことがあるなら言えばいい。やりたいことがあるならすればいい。嫌ならぶん殴ってでもやめさせるのだから、変な遠慮をするサンジがどうにも気に入らない。 コトの後で、サンジがゾロを抱き寄せるのは嫌いではない。髪や、顔や、その他色んなところを触ろうとするのも別に嫌ではない。 でも、いつまでもそうしているわけにはいかないではないか。 だからゾロは適当に見切りをつけて、サンジの腕を抜け出すのだ。それ以上の意味もそれ以下の意味もない。どこにも。 「言いたいことがあるなら言えよ」 「ん? いや、何もねェよ?」 それから、雨が降るとやっぱちょっと冷えるなあ、と、どうでもいいようなことを言ってシャツを羽織った。 お前もちゃんと着とけよ、とゾロのTシャツを放ってよこした。 サンジの中には後から後から愛情があふれ出ていて、それをゾロに注ぎかけたくて仕方がないらしい。 子供なんかできたら、絶対に絶対に絶対に絶対になめるように可愛がるはずだ。それくらい、ゾロにも簡単に想像できるのに、サンジはゾロが好きだと言って譲らない。 ゾロは手持ち無沙汰に手の中のシャツを広げてみた。 例えば。 怪我をするたびに自分より痛そうな顔で傷口を見られることも、その治療の過程を逐一見張られて管理されることも。 好きなものでも嫌いなものでもなく、ましてやたまたまそこにあったものでもなく、そのときの体調や季節にあった、身体にいい、おいしい食事が差し出されることも。 傷痕だらけの身体を愛し気に抱きしめられて、そのひとつひとつを指先に覚え込ませようとするかのように、なぞられることも。 どれひとつとして、今までゾロがおくってきた生活にはなかったもので、だからゾロはどうすればいいのかわからなくて、混乱する。 歩く先から手を引かれる子供みたいだと思うし、そんないたわりはゾロには必要なかった。 時々、すこし怖いとすら思う。 何かを与えようと懸命なサンジの手は、逆にゾロから重要なものをはぎ取ってしまう気がした。 迷いなく刀を振るうための。 ためらわずに死地に飛び込んでいくための。 何か、を。 「ゾロ?」 どした? とサンジがいぶかしげな顔をする。やっぱりこの男はこんなふうにゾロの変化に聡く、構いたがって手を伸ばす。 ゾロは、昼間聞いたナミの話を思い出した。 雨が多すぎると、みかんは水っぽくなるらしい。 構われすぎると、ひとはどうなるのだろう。 そのぶん、大きく枝を伸ばすのだろうか。それとも。 「ゾロ」 サンジの手が頬に触れて、ゾロは目を閉じた。 構うな、と言えばサンジの方が枯れてしまう気がした。 雨が多くても、それは雨のせいではない。 それで実が水っぽくなっても、それはみかんのせいではない。 サンジが構いたがるのは──それはサンジのせいだろう。 でももしそれで自分がダメになるのなら。 それはゾロ自身のせいだ。 それ以外の理由を自分が見つけたりしないように、とゾロは祈りにも似た気持ちで思った。 静かになった部屋の外では、やわらかく甲板を打つ雨の音が響いていた。 END |
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| 2004.11.10 |