子供部屋
 ベッドに寝転がって見上げると、頭の上には30センチ四方くらいの小さなタペストリーがかかっていた。パッチワーク作品でよく見かけるような幾何学的な模様ではなく、そこに縫い込まれた図案は具体的だ。
 黄色いヒヨコとその隣には大きな白い鳥。たぶん白鳥。ということは、これは「みにくいあひるの子」の一場面なのかもしれない。モーテルのインテリアとしてはずいぶん微笑ましい。恋人同士ならともかく、不倫のカップルなんかは、これを見て残した家族を思いだしたりしないのかな、とサムはどうでもいいことを心配した。


 ごめんなさい、シングルしか空いてないのよ、と受付の女性は何だか申し訳なさそうに肩をすくめた。あまりにぎやかとは言えない町の、こぢんまりしたモーテルで、新しくも豪華でもないが、なかなかに清潔そうな建物だ。受付カウンターもシンプルで、でも整理整頓は行き届いている。そこで兄弟を出迎えたのは、髪の毛が半分くらい白くなっているふっくらした頬の年配の女性で、その温厚そうな外見は、チェックの花瓶敷きや、犬のぬいぐるみや、パッチワークで造ったタペストリーなど、ところどころに飾ってある家庭的なインテリアの趣味によくそぐっていた。
 しかし、気遣いの方向はどこまでも見当違いだ。
 女性の声に、「希望の部屋が用意できない」以上の謝罪のニュアンスを聞き取って、いやいやあなたのそれは深読みしすぎのうえに空回りですから、と心の裡で呟いて、兄弟は揃ってため息をついた。言葉にしなかったのは、却って自体がややこしくなると学習したからだ。兄弟なんです、と言い添えるくらいはしても良かったが、どうも変な方向に気を回す癖のあるらしいこの女性なら「まあ、養子縁組みしたのね」くらい思われかねない。
 こんなふうな誤解をされるのにも慣れてきた。慣れたいわけではなかったが、かなりの確率でゲイだと疑われるものだから、そのたびに言い訳をするのも空しくなる。ちゃんと部屋はツインをって言ったのに。
 確かに自分たちは、兄弟らしくもなくまるでどこも似ていなくて、血縁があると訴えるより、赤の他人です、と言ったほうが断然信用されるだろう。でも、世界の兄弟が皆、そっくり同じ顔をしているものでもあるまいに。
 だから兄の「お前が俺に似ないから悪い」というのは理不尽極まる言い分だ、とサムは思う。何もサムが今の容姿を選んでそうなったわけではなく、大体においてはDNAの為せる技であり、そんな責任を押し付けられても困る。
「だって、親父と二人だったときは、全然間違われたりしなかったぞ」
「そりゃ、父さんと兄貴は似てるからさ」
 顔立ちはもとより、何かにつけ父の真似を好む兄は、ファッションセンスも父ゆずりだ。まあ、年齢差もあっただろうが、ともかく、見るからに親子って感じ。
「だったらやっぱり似てないお前が悪いってことだろ」
「似てないのは事実。善悪とは関係ない」
 父に似ていないなら母親似かと言えば、そういうわけでもない。──と思う。ほとんど写真でしか知ることのない母だが、特に面影が重なっているこということもなさそうだ。父や兄から指摘されたこともないし。何にせよ、似てない兄弟だと子どものころから言われ続けていたから、二人とも、今さらそんな指摘には驚きもしない。こうして二人で旅をするようになってから、同性愛者と間違われるという予想外の弊害を被るまでは気にしたこともなかった。
「じゃあシングル二つで」
「本当にごめんなさいね」
 いえ、ほんとお気遣いなく、と口の中でもごもご言いながら、ディーンが鍵を受け取り、片方をサムに投げて寄越した。
 301と304。サムの受け取った鍵のほうが階段に近い。あちこちのモーテルを泊まり歩いていると、たまにとんでもないインテリアの部屋に行き当たってため息が出たりすることがあるが、この部屋は薄いミントグリーンと明るいブラウンで統一されていて、余分な飾りはほとんどなく、見るからに寛げそうな雰囲気になっている。きっとこれも受付の彼女の趣味が反映されているのだろう。サムの後ろからのぞき込んでいたディーンが「マーシーおばさんの部屋、って感じだな」、という感想をのべた。マーシーおばさん、が誰だか知らないが(ただのニュアンスだろう)、言いたいことはわかる気がした。
 しかし、そんな牧歌的な部屋に足を踏み入れたとたん、一応調べとけ、という言葉とともに弟に押し付けられたのは、兄手製のEMFだ。
「何がいるって言うんだ」
 サムは呆れて肩をすくめた。こんな平和そうな場所で一体何の心配を。そもそもこの町自体が単なる通りすがりであり、事件を見つけてやってきたわけではないのに。
「いないことを確認しろって言ってんだろ」
 大真面目に言い募る兄は、どこまでも本気であるらしい。しばらく目線だけの攻防戦を繰り広げた末に、負けを認めたのは弟だった。わかったよ、と元・カセットプレイヤーの機械を片手に部屋を一周する間も、ディーンは、念のために窓と入口に塩まいとけだの、聖水と銃は枕元に置いておくんだぞ、だの、まるで子どものころに戻ったみたいにあれこれ口やかましく注意書きを並べている。
 大げさだ。しかし、それがサムの兄でもある。今日は自分が傍にいられないんだから、と心配性が頭をもたげているようだ。普段は弟ひとりを放っぽって、バーで意気投合した女の子のところへ泊まって来たりするくせに。
「ほら、何もいないよ、納得した?」
「……よし。けど警戒は怠るなよ」
「わかった、わかった。来客には銃を向けてから素性を確認すればいいんだろ」
 それじゃ後でね、とかなりぞんざいな対応で兄を外へと追い出した。否定ではなく、家族特有の遠慮のなさで。でないと、基本的にブラコンで過保護な兄は、壁中を叩いて呪い袋の存在を探しかねない。
 お前、兄ちゃんに向かって何だその態度は、とぶつぶつ言っているディーンの鼻の先でドアを閉めると、サムはやれやれと伸びをした。バスルームのドアを開けながら、そういえば兄とシャワーの順番を争わないですむのも久しぶりだな、と思った。
 丸二日、インパラに乗りっぱなしだったから、あのベンチシートのかたちに骨が固定されてしまっている気がする。運転しっぱなしのディーンはもっと疲れているだろうに、どうしたって弟の安全を確認せずにはいられないひとなのだ。とはいえ、彼なら何もできずに助手席に座っているほうが疲れる、というだろう。愛しいハニーのハンドルは基本的に兄のものだ。
 となれば、BGMの選択権も当然(というのが兄の主張)ディーンの側にある。おかげで、シャワーの水音にも負けず、耳の奥に残るのは懐かしのクラシックロック。ぐるぐると同じフレーズばかりがリフレインされる。思わずメロディーが口をついて出て、しまった、と思うことも少なくない。したり顔の兄が隣でニヤニヤするのがイヤで、そんなことからつまらない小競り合いのケンカになったりいたずら合戦が始まったりすることもしばしばだ。
 もっとも、そんな旅が日常になって久しい。慣れた、という事実すら忘れてしまうほどに、それは当たり前のこととしてそこに存在している。
 思えば、狩りでもなく、可愛い女の子が介在しているわけでもないのに、今みたいに、兄と隔離されていることさえ珍しいのだ、と気がついた。それがほんの数メートルであっても、だ。
 二日分の汚れを落としてさっぱりし、着替えも済ませると、サムはやれやれとベッドの上に長い身体を投げ出した。一人きりの空間は、広くはないが静かだった。留守であるのか、空き部屋なのか、隣の部屋の気配もしない。
 子どものころは、こうした空間に憧れた。家の中でひとりになれる場所、そのために与えられた部屋。プライバシー云々ではなく(もっとも、弟の秘密を暴いてはからかってくる兄がいたから、それも欲しいものではあった)、サムの憧れる「普通の生活」の象徴のひとつであったからだ。
 すでにそれは遠い過去の話で、今となっては、いざこうして一人になると何となく落ち着かない気さえするからおかしなものだ。気をつけないと、そこにいない兄に向かって話しかけてしまいかねない。
 大学時代に一人暮らしを始めたころはそんなふうにはならなかった。兄を、父を、家族を捨ててきたのだと、強く意識していたからだ。望んだ大学での望んだ生活。ほぼ満足のはずの新しい暮らしが、けれど完全たりえなかったのは、結局、捨て去ることの出来ない後悔があったから。四年の間にそれはあいまいで見えなくなって行ったけれど、離れたばかりの頃は、窓の外にインパラの黒い姿が見えないことや、弟が嫌がるのを承知で「サミー」と呼ぶまろやかなテノールが聞こえないこと、視界の端にちらちらと移るダークブロンドの髪が見えないことに、しばらくの間は慣れなかった。正直に言えば、兄から頻繁に届くメールが心の慰めだったのも確かだ。返信はしなかったけれど。そうしなくても許してもらえるとわかっていた。それがどんなにディーンを傷つけるかも知っていて、でも彼の愛情に甘えていた。
 それはたぶん、今でも変わっていない。それを認めることは弟にとってはくすぐったいような気恥ずかしさであるし、きっと兄にとっては、日常の延長のようなごく当然のことだ。確率ほぼ0%の幽霊の痕跡を心配するほどには。


 そんなふうに、ひとり含羞を感じて唇をとがらせた弟を頭の上から黄色いあひると白鳥が見下ろしていた。
 その穏やかさはサムに、子どものころ、兄の読んでくれた絵本を思い出させる。あまりそうしたことの好きでない兄は、さんざんねだってせがまなくては読み聞かせはしてくれなかった。もともと、それほどたくさんの本が手元にあったわけでもない。何を読んでもらったのだったか、具体的なストーリーはほとんど忘れてしまって、つっかえつっかえ、たどたどしく、けれど一生懸命文字を追っていたディーンの姿ばかりが記憶に浮かぶ。おしまい、とラストにたどり着いたときには、兄は見るからにホッとした表情をしていて、なのに、父が不在の夜などは、もう一回、もう一回、と兄が「もう勘弁しろよ」と投げ出すか、自分の方が寝ついてしまうまで同じ話をねだったりもした。
 図書館などに行けば、もっと滑らかに美しく語り聞かせてくれる司書やボランティアのひとがいたけれど、どんなに上手に読んでくれるひとより、兄の不器用な読み方には敵わなかった。
 でも、そういえば、みにくいあひるの子は、一度しか読んでもらえなかった。別にディーンがいじわるをしたわけではなく、主人公のあひるの子が、母親や兄弟にいじめられる描写にびっくりして、サムが哀しくなってしまったからだ。いっそ、衝撃的だったと言ってもいい。サムにとって、兄弟というのは(多少偉そうで口うるさくても)サムの面倒を見てくれて、一緒にごはんを食べたり、テレビを見たり、お風呂に入ったり、遊んだり、泣いていたら頭を撫でてくれたり、とにかくそういうことをしてくれる人だった。怒られることはあっても、本気で怖いとは思わなかった。
「どうしておにいちゃんなのにいじわるするの?」
 心底不思議で、サムは絵本の中の大きいあひるを指さした。
「似てないからだろ」
「にてないとだめなの」
 幼い子どもなりに、真剣だった。自分たちが似てない兄弟だということを、理解していたかどうかもわからない。だが、ずいぶん不安に思った気がするから、どこかで、そう言われたことを覚えていたのかもしれない、と思う。
 ディーンはまじまじと弟の顔をのぞきこんで、絵本を見下ろし、しばらく考え込んだあとで、「だよなあ!」と笑顔になってサムの頭をぐしゃぐしゃ撫でた。似てなくったって兄弟は兄弟だもんな、と笑ってくれたから、サムは本当にホッとしたのだ。
 あのみにくいあひるの子だって、例え生みの親が白鳥だったのだとしても、ディーンのような兄が傍にいてくれれば、仲間の元へは帰ったりせず、あひるの仲間と一緒に暮らしたんじゃないかと思う。親よりも兄よりも大きくなった身体で、よちよち兄あひるの後をついて歩いたに違いない。
 大きな白鳥が、三分の一くらいしかないあひるを追いかけている図を想像して、何となく笑っていたら、サムのあひる──じゃなくて兄が「晩飯行くぞ!」とドアを乱暴に叩いた。
「わかった!」
 ベッドから飛び起きながら、サムは、子供部屋が与えられるような恵まれた家庭ではなかったけれど、自分の子供時代はそれなりに愛情に満ち満ちていた、と今さらながらにそう思った。

【おわり】
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2010.3.28(7.5再録)


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SCHALK. 賢下ナオト様
「きょうだいに10のお題・子供部屋」より