| Cross×Word |
| ディーンとキャスのおかげで、魂がないことが判明し、これまでの自分のおかしさ──記憶の中の自分との齟齬や睡眠を一切必要としないこと──の理由がわかった。それでも頑張って「かつてのサム」らしくいようと続けてきた演技も、ディーンのほうから言いだしてくれたおかげで、しなくて良くなった。 これまで自分の判断にさからって、こまごまとシチュエーションをシミュレーションし、「サム」ならどうするか、といちいち考えて行動していた手間が省けて、気分は爽快だ。これまで一年、この状態で問題なかったわけだし、むしろこれが本来の自分だろう、という気さえしてサムは気分が良かった。 しかし、サムがサムらしくなるにつれ、ディーンの機嫌はどんどん悪くなっていく。 この間はとうとう、モーテルのベッドの間に仕切りを立てられた。まあ、たまたま衝立が部屋にあったからだけど、植物の皮だか蔓だかで編まれたそれは物理的面から言えば、紙切れ一枚を立てたのとそうは変わらない。そもそもベッドの全長にも足りてないのだから、衝立の左右からお互いの姿が見えているような状態だ。しかし心理的効果はまた別で、ともあれディーンはそうして不安定でちゃちなものであっても弟との間に境界を作ることにより、「近づくな」と明確なメッセージを投げかけてきたわけだ。──まあ、それよりなにより、口頭で誤解の余地もないほどきっぱりと「こっちくんな!」と言われた訳だが。 翌朝、彼の運転するオールドカーに揺られながら、サムは横目でちらりと兄を見ると、「なあディーン、次のモーテルに衝立がなかったらどうすんの?」と訊ねてみた。 というか、ある場合の方が少ないだろう。立てて欲しいわけではなかったが、昨夜、サムを片方のベッドに蹴りだしてうんうん言いながら衝立を引っ張ってきたディーンはとても必死に見えたので、次のモーテルではどうする気なのかな、とちょっと疑問に思ったからだ。 「どうでもいいだろ、そんなこと。お前に関係あるか、ターミネーター!」 「『2』では心っぽいのがあったじゃん」 「じゃ、お前よりサイボーグのほうがレベルが上だ!」 「そもそも、何をそんなに怒ってるかわかんないんだけど」 そりゃ、熟睡してるところを起こしたのは悪かったけど、とちっとも悪く思ってないのが丸分かりの口調でサムが言う。 「わからない? 俺が何を怒ってるかわからないだって!?」 ディーンが目を剥いて弟を睨み付ける。これがディーンのサミーなら、しまった、という顔をして申し訳なさそうな顔をするとか、逆に、自分は間違ってないと思ったなら、滔々と自分の主張を展開するとかするはずだ。しかし、空っぽな弟は、眉ひとつ動かさないで、わからない、ともう一度繰り返しただけだった。 「ひとに夜這いをかけといて、その言い草はなんだ!」 「だって……前はしてただろ? なんで今はやらせてくんないの?」 けろん、と言い放つ弟に悪意や揶揄はまるでない。正真正銘、疑問に思っているだけであり、徹頭徹尾無神経なだけだ。 それがわかったからと言って、ディーンのイライラが治まるわけではないが。むしろ一層ひどくなるばかりだ。 ディーンは最愛のハニーのハンドルを強く握ると、二度三度深く深呼吸した。落ち着け、落ち着け、こいつは礼儀やデリカシーという面においては三歳児以下……いやいや、それどころか人間以下なんだ、叱ったって反省もしないんだから、それなら犬の方がまだましなくらいなんだ。 「僕は犬以下かよ」 「俺、今声に出してた?」 「全部ね」 しかし空っぽな弟は空っぽなだけに、そのことに特にショックは受けていないようだ。 「……いいか、色々言いたいことはあるが、少なくともこんな場所のこんな時間に言いだすことじゃないだろ」 「でも前は真っ昼間からやったことだって……」 「だからそういう話をすんなって言ってんだよ!」 確かに、ある。真っ昼間だったこともあるし、朝からだったこともあるし、前の夜からずーっと続いて次の日の昼だったことさえある。あのときはさすがに腰にキた。つっこまれたとこも痛くて、しばらく座ってるのも辛かった。何であんなに盛り上がっちゃったんだろう、とそのときは思うのに、しばらく経つとまた同じことを繰り返してしまうのだから、まったくもって進歩がない。 でも、そういう、笑うところなのか照れるところなのか、あるいは呆れるところなのかわからないような微妙な思い出だって、サミーとなら共有するのもかまわないが、他人同然(というか、ディーンの感覚では他人以下)なロボット弟にずけずけ話題にされるのは断固拒否する。 ましてや、夜の夜中に酒の匂いをさせて返ってきたと思ったら、気持ち良く眠っているお兄さまのベッドに乗り上げてきて「ディーン、させて」とか無神経なことを言い出すような奴はベッドからのみならず部屋から叩き出されても文句を言う権利はないはずだ。 ──そうだ、そうしてやればよかった。衝立てで勘弁してやるなんて、温厚すぎた。だからこいつが調子に乗るんだ。次は地上四階だろうと窓から突き落としてやる。 ディーンがひっそりとそうした決意を固めている隣で、共感力や同情心というものが決定的に欠けている弟は、彼なりに問題点を考慮し、対策を考えたらしい。それがことごとくディーンのツボを外してくるところがロボット弟のロボットたる所以ではあるが。 「わかった。じゃあ夜にする」 「夜になったって駄目だ」 「じゃあ、いつ話したらいいんだよ!」 「逆ギレかよ!?」 なんで俺が怒鳴られなきゃならないんだ、とディーンは泣きたくなった。 「いいかヤリたいならバーで女の子引っかけるなり、商売女を呼ぶなりしろ。その時は別の部屋とれよ。あと、その身体はサミーのなんだから、病気予防にはくれぐれも気をつけろ」 「気をつけてるよ。僕の身体だからね。ヘルペス治って良かったし」 「治ったんだ」 「おかげさまで」 そういや俺も、地獄から帰った後は傷痕全部なくなってたなあ、と思い出した。まあすぐにまた傷だらけになったけど。地獄から甦ると、病気や傷の類はなくなるんだな。復活したキリストに生前の傷が残ってたのは一度も地獄に落ちなかったからだろうか。 「だから、ディーンに 「問題はそこでもねえんだよ!」 そりゃ、セックスパートナーとしては大事なことではあるが、今兄があげつらいたいのはそこではない。 「……大体、なんで急にそんな気になった? 今まで全然気配もなかったろ」 説明されたって相手をしてやる気はさらさらないが、きっかけはちょっと気になる。これまで女の子に色目を使ってはいても、ディーンをそんな目で見たことは一度もないから、そうした記憶は忘れているのかとさえ思っていたのに。 「えーと、昨日僕、一人で飲みに行っただろ」 ちょうど仕事をひとつ終えた後で、モーテルにチェックインした後、サムは近所のバーへ出掛けてみた。兄も誘ってみたが、行きたくない、と断られた。〈サム〉の記憶によれば、ああいう場所が好きなのはディーンのほうだったはずだが、今の彼はすっかり落ち着いてしまったのか、出先のダイナーで美人のウエイトレスがいても昔ほど顕著な反応はしない。未だにリサのことを引きずっているのかも知れなかったが、興味がないので訊ねはしなかった。どうせ説明されてもわからないし。 モーテルに近い、というただそれだけの理由で足を踏み入れたバーは、その割には賑わっていて、もしかして一晩、眠れない彼の相手をしてくれる好みの子がいはしまいかと辺りを見回しながらカウンターに腰かけた。 「そしたら声かけられて」 「良かったな、じゃあその彼女と楽しんでくりゃよかったろ!」 「いやそれが、『彼』だった」 「…………ああ」 そりゃまあ、たまにはそういうこともある。ディーンだって何度も体験した。いきなりトイレで触ってきたりだとか、断っても引かない奴等には困ったものだが、普通のプロセスを踏んでナンパしてくる分には、穏便にお断りすれば問題ない。多少、むずがゆい思いをしたり、それを、自分が狙ってた美人に見られて笑われたりするのは困りものだが。 「でもそんなん、珍しくないだろ」 それともケツでも触られたか、とニヤつくディーンに、弟はただ淡々と「まあそいつ、見た目はそんなに悪くなかったんだけど」と訊ねてもいないことを言い、兄を驚愕させた。 「おまえ……おまえ、まさか、女だけじゃなくて、男とも……? そこまで無節操な奴に成り下がったのか!」 「節操についてディーンにあれこれ言われたくないけど、その質問に対する答えはノーだ。すごい切羽詰まっててかつ、他に誰もいなかったらわからないけど、女の子なんてどこにでもいるだろ。わざわざなんで硬くて骨ばった身体を相手にしなきゃならないんだ」 「骨ばってて悪かったな!」 何故だかディーンが地味に傷ついた。魂があったころのディーンのサミーときたら、それはそれは可愛らしい風情でディーンとのセックスを心から楽しんでいたふうだったのに、実は内心そんなこと思ってたんだったら……いや思ってたらサミーの大事な部分があんなにはならない気もするけど。 実際、サミーのサミーは大層なサイズで、結構な回数をこなすまでは、毎回受け入れる度に苦しい思いをさせられた。もっとも、それを嫌だと思ったことはなく、むしろサムのほうが脅えたふうでさえあって、そうした弟をからかって誘って時には貶して、その気にさせる過程も楽しかった。 二人の間に介在しているのは確かに愛情だと、あの頃の自分は疑いもなく信じていて、それは今も変わらないけれども、サムの顔、サムの声でこんな無神経なことを言われるとちょっとばかり自信がぐらつく。 ──考えてみれば、自分たちは、女っ気(どころか ハンドルを握ったまま前傾姿勢になってぐるぐると思考の輪に捕らわれた兄の動揺に、当の弟は気づいたふうもなく、ディーン、車がふらついてる、と単に事実を指摘してみせた。 「まあ、ていっても、ディーンは別だけど」 「うるせえ、空っぽロボットに気なんか使われたくねえよ!」 むしろ却って惨めな気がする。 「使ってないよ、全然」 「使えよ!」 「どっちなの」 とにかく、僕は本気で言ってるってことだよ、と空っぽ弟は、彼には珍しくディーンのツボをついた返答をした。もっとも、そこには何の真情もないと知っているから、ほんの一瞬で、すぐにそんな感動は流れて消える。 「でもそいつの本命は僕じゃなくて、ディーンだったみたい。どっかで見てたんだろうね」 あんたの彼氏は? と何度も何度も訊いて来た。あんな見目のいい恋人がいて羨ましい、ここらじゃなかなかあんなタイプは見かけないから、どうたらこうたら。 確かにディーンの外見が華やかで、見栄えのするタイプだということは、今のサムだって認めるところだ。身内の欲目も遠慮もないから、むしろ、魂のあった頃より冷静だと思う。 しかし、だからって、何故他人が自分の兄を礼讃するのを延々聞いていなくてはならないのか。 いつまでも口を閉じない男にだんだんイラついてきて、「あれは恋人じゃなくて僕の兄貴だ」とぶっきらぼうに告げた。 「そしたら、何かすごいはりきっちゃって」 サムがディーンの恋人でないなら、自分にもチャンスがある、と言わんばかりだった。 「ねえよ!」 何で俺の知らないところでそんなことになってるんだ、近頃はナンパもしないで、昔の弟が見たら褒めてくれるような清廉な──いやそれはちょっと言い過ぎだけど──健全な生活をしてるってのに。 「もちろん、ないよ。そんなのは分かり切ったことだ。だって、ディーンは僕のものだろ?」 「は?」 「リサがいれば彼女に優先権を譲ってもいいけど、別れたんなら僕のものだよね」 いや、だよね、とか当たり前な顔で言われても。 ディーンは思わず運転中なのも忘れて、助手席の弟をまじまじと見つめてしまった。 何こいつ、ブッダ? ルシファーの器だったくせに、ブッダの生れ変り? 天上天下唯我独尊? おかしい、俺の弟は最初から天使みたいに可愛かったけど、生まれてすぐに七歩歩いたりはしなかったはずだが。大きな目をぱっちり見開いて、ディーンの指を握り込みもぐもぐと一心にしゃぶっていた赤ん坊のサムを思い出して、ディーンはへらりと幸福感にひたった。 いや、今はそれどころじゃなかった、と我に返ったのはきっちり一分後のことだ。 「お前はお兄さまをモノ扱いか! てか、俺はお前のものでもねえ!」 「だからさ、何て言うの、そんな通りすがりの奴に兄貴のことをもってかれるかと思うと、何か腹が立つっていうか」 「人の話を聞けよ!」 何が「腹が立つ」だ、生意気な。魂のついでに感情も無くしやがったくせに、いっちょまえの人間のつもりでいるんじゃねえ。 そもそも、何で通りすがりの男に俺がもってかれる前提で話してるのかな、お前は! 「だって」と言うから、馬鹿馬鹿しいなりに何か理由でもあるのかと思って続きの言葉を待ってみたら、空っぽの弟が口にしたのは「兄貴って元々ちょっと危なっかしいだろ」という暴言だった。 「……あ………あぶ、危なっかしいってお前……!」 弟の分際で兄貴に向かってなんたる侮辱。 危なっかしいのはお前だ、ようやく歩き始めた一歳くらいの頃なんか、二秒目を離しただけでバスタブに頭から落っこちるわ、親父の集めた怪しげな呪物を口に入れようとするわ、見るからに怪しげなおっさんにあやされてるのにニコニコ愛想を振りまくわで、俺の胆を冷やしてくれたくせに。 「あのおっさん、俺がいなきゃ、絶対お前を誘拐してたと思うぞ」 「……そんな数十年前の話を今されても」 「今だって同じだ」 もう変態のおっさんに誘拐されることはないだろうが、変態の悪魔に誘拐されることはあるような気がするし、今現在俺とお前のどっちが危なっかしいかって、サムのほうが断然危なっかしいに決まってる。人間として。 「でもほら、兄貴ってさ、僕と再会してからの数カ月の間にヴァンパイアには襲われるし、UFOには攫われるし、やっぱり危なっかしいと思うよ」 「……………………………」 ────ぷつん。 ディーンはリアルに自分の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた気がした。堪忍袋の緒でなけりゃきっとこめかみの血管だ。何が「ほら」だ、この抜け殻野郎。 「お ま え が それを言うなあ!!」 殺したい。もーマジこいつ殺したい。サミーの魂の入れ物でなければ今すぐ首を切り落としてやるところだ。いや、愛しのハニーのシートが汚れるのは嫌だから、外でやるけど。首を落として聖水を振りかけ、その後油をかけて骨まで燃やして、残った灰は流水に放り込んでやる。 「ヴァンパイアかよ」 「俺、今声に出してた?」 「全部ね」 しかし空っぽな弟は空っぽなだけに、やっぱりショックは受けていないようだ。 落ち込んだ弟はそれはそれは取扱いが難しく、湿ったダイナマイトより繊細で危険なのだが、ヴァンパイアと同じ方法で抹消されそうになっても平然としているふてぶてしい弟よりは、しょんぼりしているサムの機嫌をとるほうが断然楽しいし、やりがいがある。今のこいつときたら、かわいげもなければ、やりがいもない、危険なだけなんだから始末が悪い。 「お前は、ヴァンパイアに襲われたときもUFOに攫われたときも、とっとと俺を見捨てといて、よくそんなことが口にできるな」 「見捨ててないよ。でもヴァンパイアのときは他に目的があったし、元に戻れる可能性があるのも知ってた。UFOのときは、探す手段がなかっただけで」 一応UFOを捕まえる手段は聞きに行ったよ、とそれが拉致された兄貴を見捨てて女の子とイチャついてた免罪符になると信じているように、大真面目に言う。……信じてるのかな。だったら嫌だな。 確かに、結果が伴わなくとも、チャレンジすることは大切だ。オリンピックだって参加することに意義があるし、ハンターなら、無茶だとわかりきった狩りに赴くことも珍しくはない。結果、犠牲を出したとしても、チャレンジせずに見過ごすよりはマシなはずだ。 ……てことは、この空っぽ弟の努力も認めてやるべきだろうか。例えそれが半時間かそこらのことだったとしても? ──いや待て、それは論旨が違う。 口先ではどうこう言ったところで結局のところ、オリンピックは勝たなきゃ意味がないと選手たちは思っているだろうし、失敗に終わったチャレンジに何がしかの慰めを見出すことができるのは、やるべき努力をすべてやりおえた場合だけだ。「たぶん大丈夫」だなどと適当な理由で兄をヴァンパイアに差し出し、拉致された兄の元へ駆けつける前にビールを一本飲んでくるような奴に何かを言う資格はない。ましてや、同衾しようなどとは図々しいにも程がある。 「でもさ、身体はあんたのサミーだよ? 浮気したわけじゃないんだし」 「まるっと全部本物のサミーでなきゃお断りだ!」 「そこを何とかならない?」 「ならねえ! てかお前、ホントのこと言って、今はもう、それほど俺と寝たいわけじゃないだろ? 断られたから意地になってるだけだろ?」 それほどディーンに執着してるなら、最初からもっとそういう気になっただろうし、その気になったなら、それこそ真夜中だってディーンを叩き起こして「やらせて」とか言って来たはずだ。 兄の指摘に弟は意外と真面目にその意見を検討するような顔をして、うーん、と視線を斜め上に飛ばした。 「そういうもの? 僕、今、意地とかってあんまりよくわからないんだけど」 「解けないパズルがあると攻略したくてイライラするだろ」 元々サムはパズルの類が好きだった。子供のころ、長い移動時間や留守番の時間の暇潰しにはちょうど良かったからだと思う。ゲームを買ってもらえるような生活状況だったら、きっとテトリスだとか何だとか、ああいったパズルソフトに夢中になったことだろう。 「あー、なるほど、パズルか。……うん、それなら、ちょっとわかるかも」 魂を忘れてきた弟は、以前とは比べ物にならないほど短気になった。短気、というか、超合理的になった、というのが正確なところではあるが、要は最短最速で結果を求めるためには手段を選ばなくなった、ということだ。 本来の弟なら、パズルの解けないカギを探すのに、ネットなんかは使わなかった。あれならほぼ100%、それも簡単に答えが得られるのに、だからこそ、ネットに頼ったんじゃパズルの醍醐味がない、と笑っていた。でもこいつなら、わからない問題があれば即座にパソコンを開いてネットで答えを探すだろう。問題は解くためにあるわけで、わざわざ手間ひまかけて迷い、探し、考える意味はない、ときっと思っている。 「狙ったクリーチャーが退治できなかったらイラつくのも同じような感じだね」 「……まあな。イラついてるヒマがあったら、とっとと追っかけろって話だけどな。何だお前、逃がしたことあんのか」 「ないよ。少なくとも今わかってる限り、明確な失敗は一件もないはずだ」 それは自慢でも誇りでもなく、ただ淡々と事実を告げるだけのあっさりした口調で、だからこそ逆にディーンは、その「成功」までの過程で弟が何をしてきたかを想像するのが恐ろしい。血のつながった兄を平気で囮に使える今のサミーは、他人に対してはいったいどれほど非情な決断をするだろう。 これ以上暴走を続ける前に、自分がそれを止めてやらねば。それはもちろん、犠牲者を出さないためでもあるけれど、何より弟が元に戻ったとき、そうした事実を知れば、哀しみ、己を責めるに違いないからだ。 あいつはもう充分に罪の償いをした。これ以上の重荷を背負わせるわけにはいかない。 兄が改めて悲壮な決意で覚悟を決めているときに、隣に座った空っぽ弟は、「あ、それじゃあさ」と何かを思いついたように運転席へと振り向いた。 「カギを見つければ兄貴もその気になるってこと?」 「俺はクロスワードじゃねえ!」 真剣な物思いを一瞬で砕かれ、アホか! と怒鳴ったディーンは、まるで噛みあわない会話に怒りを通り越した疲労感にげっそりと肩を落とした。 「いいか、ターミネーター、これ以上この件を引きずるようなら、ゼロ距離からてめえに岩塩弾を撃ち込むぞ」 「…………わかった」 空っぽ弟は空っぽなりに兄の本気を感じ取ったのか、あるいは座りきったディーンの目に、空っぽであるがゆえの直截さで危険を察知したのか、珍しく素直にうなずいた。 ──ああまったく。 俺はサムの魂を戻すためのカギをこそ、早く手に入れたい。何となく脳裏に白黒のマスを描きながら、ディーンは愛しのハニーのアクセルを踏んだ。 END |
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| 2011.10.29 ……空っぽ弟でも一個くらい、何か書いとくべきかと思いました。 |