寄りかかりたくなる背中
 なんだか、ごそごそしているな、とは思っていた。
 延々と検索だけが続く下調べの時間、これだって狩りにとっては重要なことなのだが──というより、むしろ、こちらのほうが大事なポイントでもあるのだが、サムの兄は、そういった非活動的かつ忍耐力を必要とする作業があまり好きではない。好きではないから上手ではないし、上手じゃないから、ますます嫌いになる、という悪循環だ。
 そんなことで、一人で狩りをしてたときはどうやってたんだろうとサムは呆れる。
 するとディーンは決まって、やればできるんだ、やる気にならないだけだ、と抗弁する。じゃあやる気ってのを見せてみろよ、とパソコンをつきつけてやってもいいのだけれど、どうせ口からでまかせなのはわかっているので、言いあうだけ時間の無駄だ。きれいなお姉ちゃんに言われないとやる気なんか出ない、とか、お前を鍛えるためにあえて仕事を譲ってやってるんだ、とか、都度都度、兄に都合のいい言い訳が出てくるのに違いない。
 だから、サムは黙ってマウスを操っている。狭いコミュニティ用の掲示板は、だからこそ中身は濃く、情報は玉石混交だ。その中から「玉」を拾い上げるべく、情報の糸をたぐり続けた。
 集中しているときのサムは、周囲が目に入ってないことがよくある。「ねえ、今この瞬間にも、あなたの周りに人が存在して、時間が流れてるってこと覚えてる?」とジェシカにからかわれたりもしたものだ。特に、今みたいに安全だとわかっている場所──彼の兄がくつろいでいるということは、とりもなおさず安全が保証されているということだ。それは兄への信頼でもあり、幼い頃からの刷り込みでもあった──ではなおさらだ。
 どれほどの時間であったか、サムの中で周囲の存在すべてが希薄になり、視線は画面に固定されたまま、動きと言えば、マウスをクリックするだけのわずかなものになってしまった頃。
「ぉわ……っ」
 突如、どすん、と背中に衝撃を感じた。それはもう遠慮のない勢いで、まるきり無防備だったサムは、つんのめってディスプレイに額から突っ込みそうになったほどだ。
 振り向いてみなくったって、原因なんかわかってる。「退屈したとき、兄には弟で遊ぶ権利が世界標準で認められてる」と真顔で言いだす自分の兄貴だ。クッションにそうするみたいに、サムの背に背中を寄りかからせて、しかも全体重をかけている。重い。
「ディーン!」
「何でわかった?」
「……あのさ、手伝えとは言わないから、せめて邪魔しないでくれないか」
「何だよ、可愛くねえ」
「兄貴が僕に可愛らしさを求めてたなんて、初耳だね」
「ばっか、お前、俺の弟はな、ちびっちゃいころは天使みたいに可愛かったんだぞ」
 知らないだろー、ざまーみろ、と、わけのわからないことを、でれでれの声で言う。天使なんか信じてないくせに、そういう形容詞を使うのは平気らしい。
 ちらりと横目で見ると、サイドテーブルにビールの空き瓶が六本ほど並んでいた。
「…………酔ってるな?」
 ここへ帰ってくる前に、既にバーでかなり飲んでいたのだ。ライトビアだろうと六本ならとどめを刺すことができるに違いない。うっかり情報収集に気を取られて、ディーンから目を離したのがまずかった。あれくらいで俺が酔うか、と抗弁する兄は、しかしもう、くてんくてんだ。ぴったりくっついた背中越しの体温が熱い。
「お前、三つくらいのときにさー、『サミーもお手伝いする!』とか言って、新聞やぶったり、本のページちぎったりしてそこら中散らかしてくれたんだよなー。あれって親父の真似してたんだろ? かっわいいよなあ」
「覚えてないよ」
「えー」
 覚えてないのかよ、もったいねえなあ、と首を振る気配がした。
「親父の集めてた資料に触って、こっぴどく怒られたことなら覚えてる」
「……あー……あれな」
 いくつのときだったかまでは記憶にないが、とにかく、まだ充分に幼かったサムは、テーブルにかがみこんで、せっせと何かを調べている父の背中を見上げていた。そういうときの父を邪魔してはいけない、とディーンに何度も言われていたから、サムは話しかけることはせず、ただ、彼が顔を上げてくれること、そうして、子どもたちを見てくれるときを待っていた。厳しい表情を浮かべて黙っていることの多い父だったが、だからこそ、わずかに見せる微笑や労わりのしぐさは、子どもたちの心を高揚させた。
 あの本が終われば、この紙を読んだら、とサムはひとつひとつ期待を重ね、けれどそれはそのたびに裏切られた。ジョンがようよう顔をあげたのは、仕事が一段落したせいではなく、すっかり暗くなった辺りの風景に、子どもたちの夕食を作らねばならないと気づいたからだ。
 古びた椅子をきしませて立ち上がった拍子に、一枚の紙がひらひらと空を舞った。椅子よりももっとずっと古く、今にもやぶれそうなそれは、とっくの昔に失われた、いにしえの力の断片を書き記したものだった。
 むろん、幼子にはそれを知る道理はない。ただ落ちてきたものを拾おうと無邪気に手を伸ばし、次の瞬間、体がひっくりかえるほどの勢いで、その手を払われた。
「触るな!」
 よろけてしりもちをついたサムは、一瞬何が起こったか理解できずに、きょとん、と父親を見上げていたが、彼の怒りの形相を見て、自分が叱られたことに気がついた。ふるる、と身体を震わせると、うわあああん、と火がついたように泣き出した。
 寝転がってマンガを読んでいたディーンが飛び起きて、弟をなだめようとしたが、よほどショックだったのか、いつもに比べてずいぶん長く泣き続けていた。
「あんまりお前が泣くから、通報されそうになったんだぜ」
「あ、そう。あんな部屋に警官が入ってこなくて良かったね」
 いたるところ、オカルトグッズと武器類で埋まっているような部屋だ。まともな社会人のいる場所じゃない。
「怒るなよ。親父はお前を心配したんだから」
「──親父がどう思ってたかはともかく、僕だって、子どもがうかつにあんなものに触ろうとしたら、叩いてでも止めるだろうと思うよ」
「まあ、あれは危険なものじゃなかったんだけどな、結局」
 その後しばらく、サミーは父に近寄ろうとはしなかった。ディーンの後ろから、おどおどと父を見上げるばかりで、何も言いはしなかったが、父はきっと堪えただろうと思う。確か、あの狩りが終わった後、珍しく一緒に釣りに連れていってくれたはずだ。
 不器用な父親(ある意味とても平均的な父親像とも言える)らしい不器用な気遣いを思い出して、ディーンはちょっとだけ笑った。
「何」
「いやいや。サミーは大きくなったなあ、と思って」
「はあ?」
 無邪気に父親の真似をすることも、彼を怖れて兄の後ろに隠れることもしなくなった。振り向かない彼の背中を見上げることをやめ、その代わり、彼と同じように一心不乱に調べものをしている。周りのことなど何も見えない勢いで、だ。
「お前、ほんと親父そっくり」
「似てない」
「あそ」
 頑固なところも瓜二つだ。自覚はないようだが。それともあえて事実に目を瞑っているのか。
 まあでも確かに違うところもある。
 狩りの最中の父親には、たとえ下準備の段階であろうと、気軽に声をかけることなどできなかった。でも、弟なら全然平気だ。怒ったって怖くないし。もう後ろに隠してはやれないほど大きくなってしまったが、それでもディーンの可愛いサミーであることに変わりはない。
 ぎゅうぎゅうと体重をかけると、うー、と不満げな声が返って来た。
「だから、邪魔するなってば!」
「してない」
「してるだろ、たった今!」
 とうとう堪忍袋の緒を切ったサムは、くるりと後ろを振り向いた。彼の背中にもたれかかっていたディーンは、その勢いでころりとベッドに転がってしまう。
 もともとが酔っ払いだ。体勢を建て直すでもなく、ディーンは寝転がったままの状態で、へらり、と機嫌よさげに頬を緩めた。
「何がしたいんだよ、もう」
「あー、何て言うか」
「何、」
「もう解決した」
「ちょ、ディーン!」
 何なんだよ、と弟が身体を揺さぶる気配がするが、ディーンは知らん顔で目を閉じた。いい感じにアルコールが回ってて、眠い。
 お前がちっともこっちを見ないから、つまらなかったんだよ、なんてことは、どれだけ酔っていても言ってやるつもりのない兄であった。

終わり
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2008.0917


ちっちゃい子って、大人のすることよく見てるよね、って話……か……?(汗)。
不器用に一生懸命子育てしてるジョンパパが大好きです。