すらりとした指
 深くつながったまま、身体を前に倒して赤くそまったうなじに唇で触れた。汗ですこし塩辛い肌の味が舌を刺す。下顎を通って耳朶を食むと、たったそれだけの感触に兄の身体がふるりと震えた。
「ディー、ン……」
 柔らかな皮膚をくわえ込んだまま、そっと名を呼ぶ。ディーンは無意味に二度三度と首を振った。
「……、ぁ……」
 すでに上半身はシーツに沈み込んでいる。長い前戯の間に、もう二度も精を放ったディーンは、弟を受け入れた瞬間、堪えかねたように肘をついた。あり得ないほど緩められている気がするほど、さんざん弄られ尽くした後では、狭い場所いっぱいに広げられても、そこにあるのはもう快楽だけだ。
「う、ごけ、よ……っ」
 もう、とディーンはうわごとのように呟いた。
 もう、これ以上は耐えられない、と言うようなことを、乱暴な口調で言い放つ。
 ああ、兄は臨界点を越えたな、とサムにはわかった。
 男同士だから、慣れたと言えるほど回数を重ねた今でも、手順を間違えたり焦ったり、あまりに気持ちがそぐわないときには、今でも痛みや違和感を感じることがある。サムでさえそうなのだから、受け入れる立場にあるディーンならなおさらだろう。痛いと言われて慌てることもあるし、言われずに後から気づいて、もっと慌てることもある。どちらかと言えば、やや後者が多いくらいか。
 逆に、信じられないほど深い快楽を得ることもある。そういうとき、たいがい先に落ちるのはディーンだ。それは、彼が根っからエピキュリアンであることに起因しているのかもしれないし、ボトムには、サムが知っているのとは別の種類の悦びがあるのかもしれない。ごく稀に、逆の立場になることもあるけれど、数えられる程度にしか経験をこなしてないサムには未だ理解の外だ。
 何にせよ、普段は兄の面子だとか何とかにこだわって(弟に突っ込まれてるような状態で面子にこだわる意味がサムにはわからないのだが)リードを取られるのを好まないのだが、時にスイッチが切れたみたいに、なにもかもを投げ出して来ることがある。能動的なしぐさをすることがなくなって、ただサムが与える刺激に応えるばかり、サムを受け入れて、彼の望み通りのかたちにさえなろうとすることが気持ちいい、とそんなふうになる。
 今のように。
 請われるまま、サムは、深く収めた自身をぎりぎりまで引き抜いた。限界が近いのはサムとて同じだ。
 身体さえ浮くほどに再び強く押し込められて、ディーンは、敏感な粘膜を擦り上げられる感覚に、うあ、と高い声をあげた。手のひら一杯ほどの潤滑材を埋め込まれたそこは滴るほどに潤っていて、滑る感触がどちらにも愉悦を与えている。
 自分でも知らないほどの奥までを征服されて、けれど、『振り切れた』ディーンは、どこまでも貪欲にもっと、と泣き声をあげた。
「ああ……サミ……ィ、も、……っと……」
 どれだけ深く身体を進めても彼は、もっと、と言う。兄が真実求めているのはセックス以上の一体感だとわかっていて、彼の望みを完全に叶えるためには、どちらかが──あるいは両方が──腹を割いて相手を受け入れるくらいしか解決法がないとわかっているから、サムは、それ以上どうすることもできずに、ただなだめるように、一緒だよ、と囁いた。
「一緒だ、ディーン、もう……僕たちは、……こんなに……深く、」
 そうして、シーツをひっかく兄の左手に、己の左手を重ねる。指を一本一本絡めると、ディーンが訊ねるように、濡れた瞳を向けてきた。
「サ、」
「……一緒だ」
 サムの言いたいことがわかったのだろう。ディーンは、叱られた子どもみたいに、くしゃりと目元を緩ませた。



 ──つい、一時間ほど前のことだ。なんてことはないパブの一角で、二人がひとつの仕事の終わりを苦笑交じりにねぎらい合っていると、店の隅から、わあ、という歓声と共に、冷やかしの指笛の甲高い音が混じった。
 突然の騒ぎに、店中の人間がそちらに目を向ける。とは言え、酒場でのできごとだ。誰も彼もが一瞬ちらりと視線を投げたに過ぎない。
 ウィンチェスター兄弟も、他の人間と同じように、ひょい、と目だけで騒ぎの元を確認した。
 小さなテーブル席を二つ占領しているのは、おそらく地元の大学生のグループだ。男女混合で十人ほどの集団だったが、今の歓声の元になったのは、明らかにその中心にいる一組のカップルだった。
 黒髪の女の子は、見るからに幸せそうに頬を紅潮させ、その隣に座った彼氏と思しき男が、彼女の左手を誇らしげに掲げている。その白い薬指に光っているのは、真新しい指輪だ。
 婚約発表か、結婚発表かはわからないが、おめでたい報告に対して、仲間たちが祝福の声を挙げたのに違いない。
 混じり気のない幸福に微笑む二人は、眩いほどに輝いて見えた。
 自分たちには遠い世界だ。隣り合っているように見えて、地球一周分の距離が空いている。
 だが、サムは今さらそんな現実を嘆こうとは思わなかった。彼らのような「普通の生活」を手に入れたいと思っていたことはある。手に入れられるかも知れない、と思った瞬間もあった。でも、今思えば、それはどこか夢物語めいていて、実際に叶うと心から信じてはいなかったような気がする。
 ジェシカ。
 彼女となら、良い未来を築けたと思う。サムの抱える秘密を感じ取っていて、でもその秘密ごと、彼女はサムを受け入れてくれた。美人でスタイルも良かったけれど、そんなことよりも、ずっとすばらしい特性として、優しさやいたわりの心を持っている女性だった。あんなふうに、無残な最期を迎える理由など何もなかった。
 自分と関わったばかりに、という後悔は、ふさがらない傷痕になって、常にサムの心に痛みを与えている。
 けれど、時間の偉大さは、その痛みさえも遠く、柔らかなものへと変える力を持っていた。
 彼女と出会った喜び、共に過ごした時間の楽しさ、そして彼女を失った哀しみ。その全てが等価の思い出となって記憶の中へ沈んでいく。手元に残されたのは、怒りだけ。彼女と母を奪い、父を誑かし、ウィンチェスター家の平穏を貪った悪魔への。
 母がいなくなった瞬間から、自分たちは、ハンディキャップを負わされているのだ、とサムは思っている。黄色い目の悪魔を倒して、ようやくゼロ地点。人並みを望むのは、そこからだ、とサムは半ば開き直りにも似た感情でもってそう覚悟を決めた。
 だのに。
 サムよりもずっと早く現実を受け入れ、父の心を慮り、報われない家業を自分の天職だと心得ているはずの兄は、ひどく哀しそうな顔で、はしゃぐカップルを見つめていた。金緑の瞳に浮かんでいるのは、与えられないものに対する憧憬ではなく、失われたものへの哀惜だ。
 憂いを帯びた横顔に、サムはそっとため息をついた。
 先日、兄は哀しい体験をした。こんな仕事をしていれば、やりきれないような出来事にはいくらでも行きあうけれども、そういうのとは少し違う。そのときの二人のターゲットは、 人間 ひと の生命と引き替えに、甘い夢を見せる魔物だった。個人の望みを反映し、二度と目覚めたくなくなるような優しい世界に当人を放り込む。犠牲者たちは、偽りの幸福に酔いながら、自らの生命をジンへと捧げることになる。
 ディーンが見た夢の世界は、母がいて、父は亡くなっていたが悪魔の奸計とは無関係であり、彼ら兄弟も、オカルトハンターなどとはまるで縁のない平和な暮らしをしていたという。
 もしも彼が哀しんでいるのが、そうした世界への未練なら、サムにはどうすることもできないし、何も言えない。
 けれど、兄の心を苛むのは、いつだって彼自身のことではなかった。
 一体、何を悔やんでいるのか、と強く問うたサムに、「お前たちの婚約発表に立ちあった」と、ディーンは、一度だけそう言った。お前たち、というのは、サムとジェシカのことだ。
 夢の世界での彼女は、幸せそうだった。お前だって。
 ディーンは、まるで自分が目覚めたばかりに、サムの幸せを壊してしまった、とでも言うかのようにうなだれていた。
 幸福な夢、それも他人の幸せのために傷つく兄が哀れで、サムは何も言わずに彼の肩に頭を埋めた。
 重い、と口先では文句を言いながら、兄は弟を押しのけたりはしなかった。



「サム……、あ、あ……、サム、────サミ、……!」
 釣り上げられた不幸な魚のように、白い身体をのたうたせて、ディーンは、きれぎれの声で弟の名を何度も呼んだ。行為の悦びを受け止めかねて、というより、見失った弟を探してでもいるような、切ない声で繰り返すから、ここにいるよ、と、サムは腕の中の兄に、幾度も繰り返してそう応える。聞こえているのかどうか、ディーンはせわしない呼吸に胸を喘がせて、いっそう深く繋がろうとサムを受け入れたそこが収縮を繰り返す。
 これ以上は無理なのに。もう、自分たちは、触れあえるだけ深いところで触れ合っているのに、ディーンはまだもっと、と欲をみせる。
 不安、だからだろうか。
 いつかまた、彼が新しい『ジェシカ』を見つけて、兄の元を去る未来を想像しているからだろうか。
「……ディーン、──僕はここに、…………ディーン……」
 絡めたままの左手は、もうお互いの汗で濡れ滑る。不自由な片手に、時折ディーンがむずがるような動きを見せたけれど、サムは繋いだ手を離そうとはしなかった。
 そのままの体勢で、兄を追いつめる。ベッドのスプリングが耳障りな音できしむ。あまり新しくも上等にも見えなかったが、まあ壊れはしないだろう。ディーンの発する言葉がだんだん意味を失っていく。ただ短く繰り返されるのは、一音節の喘ぎ声ばかりだ。同じように、サムの思考もまとまりをなくして、ただ、目の前の快楽を貪ることだけに夢中になる。
 サムがいっそう深く沈み込む度に、互いの肌がぶつかる音が耳を刺す。つながった場所から零れるぐちゃぐちゃといやらしい水音、ディーンの唇から漏れ来る切れぎれの歓声、絶え間なく悲鳴を上げるベッド、重なる呼吸音、脊髄を逆流する動物的な衝動に二人して飲み込まれ、──やがて──迫り来るクライマックス。
 先に達したのはサムだった。強く、兄の身体を抱きこんで、身じろぎすら許さぬほどに強く戒めて、その中に熱を放つ。そうして、サムの迸りを受け止めながら、ディーンは、解放の悦びと、内側から焼かれるような体液の熱さに身を震わせて、消え入りそうな声で弟の名前を呼んだ。


 ディーンは疲れもあってか、ほどなくすうすうと寝息を立て始めた。いずれ起こしてシャワーを浴びさせねばならないが、すこしくらいならかまわないだろう。
 未だ握り締めたままの左手は、そのかたちに固まってしまっていて、ほどこうとすると、かすかな痛みさえ感じるほどだった。
 女性のように、華奢でも繊細でもない、それどころか、日常的に銃器を扱う暮らしに、少しばかり荒れた指だけれど、サムにとっては何者にも換えがたく大切で、愛おしいディーンの身体だ。
 自分たちは、心も身体もこんなにも近くにいて、普通の兄弟の枠からはみ出てさえ相手を必要としているのに、それは、ディーンにとってもサムにとっても同じことであるのに、どうしても大切な何かが伝わらないでいる。さっき見たカップルのように、彼の左手に金属の輪をはめてすむものなら、きっと自分はためらいもなくそうするのだけれど、自分たちに必要なのは、そんな形式の問題ではないのだろう。
 ──いつか兄が、不安の裏返しでなく、ただ歓喜のみをもって自分の名を呼んでくれたら。
 そう願いながら、サムは、それが神聖な契約であるかのように、彼の兄の左手に一つキスを落とした。


終わり
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2008.09.30


私としては大真面目に書いたんですが、
兄とのえっちの最中にジェスのことを思い出す弟はひょっとして最低の男か? と後から思いました……。
決して、そんなつもりでは……!