| 風に揺れる髪 |
| 見慣れた背中は、丸く縮こまっていても大きくて、人目につきたくない、という彼の願いは、残念ながらまるで叶えられているようには思えない。ここまでの経路にもあからさまに彼の痕跡が残っていたのに、どうして誰も彼に気付かないのか、と不思議になった。 「……ジェイ、」 「ハイ」 ジェンセンが近づく気配にはとうに気付いていたのだろう。そっとかけた声はちいさかったけれど、ジャレッドはすぐに振り向いて、抱えた膝の上で手のひらだけを上げて見せた。 「……どうしてジェンセンには見つかっちゃうのかなあ」 隠れてるのに、とジャレッドは不思議そうに、でもおもしろそうに、へにゃりと笑った。 「邪魔だった?」 一日のほとんどを一緒に、それもかなりの密度で過ごす仕事相手でも──否、だからこそ、一人になりたいという気持ちは尊重すべきだ、と、それは二人の間では暗黙の了解だ。 でも、一人でいたいつもりでいて、心の底では誰かに傍にいて欲しい、と思っていることがある。ジャレッドは、そのあたりの判断が驚くほど的確だ。ジェンセン自身が気付かないときですら、彼はそっと半歩だけ踏み込むようにして、ジェンセンの築いた壁の内側へ入ってくる。そうして何を言うでもなく、普段のジャレッドからは想像できない、静かな空気をまといつかせて、ただそこにいる。それだけのことでどれほど癒されるかということ、そしてそれだけのことがどれほど難しいかということを、立場が逆になるたびに、ジェンセンはわずかばかりの羞じらいと共に思い知る。 自分はそんなふうにはできない。本当はもっと彼みたいに自然に寄り添えればいいのだけれど、そういうのはどうも自分には難しすぎるらしい、と諦めた。だから、普通に言葉を使って訊ねてみることにしている。 「んー、そう、ジェン以外はね」 ふふ、と笑って、ジャレッドはちょっとだけその大きな身体を右へずらした。隣に座ってもいい、というジェスチャーだ。 ジェンセンの相棒は、誰に対してもフレンドリーではあるけれど、こうして、あからさまに特別な扱いをされるのは、くすぐったいような誇らしいような気持ちになる。 並んで腰を下ろして、ジェンセンはジャレッドが何か言い出すのを、忠実さを込めた沈黙で待っていた。 「……うまくいかない」 「……うん」 そんなことない、という否定の言葉は、ただの慰めだとお互いわかっているから、口にしない。 実際、今朝のジャレッドは散々だった。カット、と何度も演技を止められて、その度、監督と話し合いになった。 台詞はちゃんと入ってるし、ジャレッドは一生懸命やっている。それは、彼を見ていればちゃんとわかる。なのにどうしても色んなことが空回りして、周りの流れにそぐわない。テイクを重ねるごとにその違和感は顕著になって、ますますぎくしゃくしてしまう。 こうして昼食というにはやや早い時間に休憩が入ったのは、彼に何とか気持ちを切換えてもらおうという、監督の心遣いだ。 「何でかなあ」 膝を抱えたまま、子どものようにゆらゆらと前後に身体を揺らしながら、ジャレッドは遠い眼をして呟いた。演技にノれない、ということは、頻繁ではないにせよ確かにあって、それでもなんでも撮影は進めていかねばならない。特に、連続ドラマは常に時間との戦いだ。最悪の場合は、「一番マシ」なテイクを選択して何とか体裁を整えることになるが、ジャレッドは、そんなものをこのドラマに残したくはなかった。 ──常にベストのものを。 それは主演の二人のみならず、このドラマに関わるすべての人間が最低限、かつ断固とした思いで抱いている決意だ。そうあろうという努力は惜しまないのに、報われないのがもどかしい。 「何か……心当たりとか……」 そんなものがあれば、ジャレッドは自分で何とかしているだろうか、と思いながらも、ジェンセンはそっと訊ねてみた。 「んん?」 うーん、そうだなあ、と小首をかしげたあと、ジャレッドは重ねた両腕に頭を乗せて、顔だけをジェンセンに向けた体勢でふわりと微笑んだ。 「俺ねえ、ジェンセンに優しくしたいんだよ」 「は?」 「いや、ジェンセンじゃなくて、ディーンに、なんだけど」 「は??」 ああいや、それも違ってて、ディーンにも、が正しいかな、と二度目の訂正をする。 「……あー、えっと……つまり、今回の脚本に納得できない?」 「そこまでのことじゃない。……事前にちょっと相談してるし」 こういうことも、時々ある。自分たちの思うキャラクターと、脚本の内容にズレを感じるとき。その場合は、脚本家から説明を受けたり、監督と話し合ったりして、つどつど解決しながら進んでいくしかない。 「サムだって、冷たいようなこと言ったりしたりしてるけど、ほんとはディーンのことをとても大事に思ってるんだよね。ただ、それをちゃんと伝えてないだけで」 「……ああ。けど、お前が口にはしなくても、兄ちゃん、ちゃんとわかってるぞ、サミー?」 ディーンっぽくからかうような口調でそう言えば、ジャレッドは、はははと楽しそうに笑った。 ジャレッドの笑い声はいい。聞いていて楽しくなる、とジェンセンは彼の〈弟〉が多少なりとも浮上したことの喜びとともに、そう思った。 「だからたぶん……問題があるのは俺のほうなんだ」 眩しそうに眼を細め、ジャレッドは不意に真面目な声でそう言った。 「…………ジェイ、」 彼の視線はずっとジェンセンに固定されたままで、だから、ジェンセンも逸らすこともできずに相手の目を見つめ返す。虹彩の大きな瞳は動物めいていて、穏やかに凪いでいるのに、何故かジェンセンは喉がこわばってしまって、問題ってどんな、とそんな簡単なことさえ訊き返せなかった。 何だろう。 ひどく緊張する。 いつもどおりのお互いの距離感でさえ、改めて意識してしまう。何をだ。そのあまりの近さをか。 ジャレッドといて、そんな心持ちになったことなどなかったのに、どうして今さら。 充分にさわやかさを孕んだ風が、あるかなしかの動きで二人の間を渡っていく。そんなかすかな空気の流れにさえ、ジャレッドの髪がふよふよと揺れているのに気をとられた。 陽に透けていつもより明るく見えるその髪に触れてみたいと思い、けれど、彼がそうするよりも先に、ジャレッドの薄い唇が自分の名前のかたちに開かれるのが見えた。 ジェンセン、と呼んだ声は掠れていて、まるで聞いたことのない響きでジェンセンの耳を打つ。ひどく言いにくそうな、けれどとても大切なものであるかのような。 「──ジェン、俺……俺ね……、」 その先の言葉を聞きたいのかどうかもわからないまま、ジェンセンはただひどく高揚する気持ちを抱えて、膝の上に置いた両手を握り締めた。 終わり |
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| 2008.11.11 自覚があろうがなかろうが、両想いの二人。 そんで、相変わらずうちのジャレ君は、告白のタイミングを選ぶのが下手だ……。 |