Home sweet home
「しまった、ジェンセン留守?」
ジャレッドはドアを開けたところで突っ立ったまま、「マイガッ」とちいさく呟いた。彼が胸の前に掲げた白い箱はわたしの位置からでは見上げる高さにある。ジャレッドが人並外れて長身で、わたしが11歳という年齢にしても小柄なほうだからだ。
そういう点において、わたしは父には似ていない。わたしの父も、ジャレッドには及ばないけれど平均身長を上回っている。もっとも、成長期が来たらぐっと伸びるかもしれない、という期待はまだ捨てていないけれど。
「ダディは買い物。昨日ちゃんと買い物に行ったのに、何だか忘れたものがあるって」
「ジェンらしい」
しっかり者みたいでいて、どこか肝心なところのネジがちょっと緩んでいるのがわたしの父だ。もちろん、ジャレッドもそんな父の癖をよく知っているから、しょうがないなあ、というふうにくしゃりと微笑んだ。両方の頬にぽこん、とえくぼが生まれる。快活なジャレッドに、まるで、あつらえたようによく似合う特徴だ。
わたしは彼と並ぶと自分がホビットになったような気持ちになる。指輪物語に出てくるあれだ。そう言うと彼は笑って、「じゃあ俺はストライダーかな」と言った。背の高い彼はそれにふさわしく足も長い。彼なら確かに駆けるように野を渡り、山を越えて中つ国を歩んで回るだろう。ただし、ホビット並みによく食べ、ホビット並みによくしゃべり、すこしもじっとしていることのないひとだから、野伏になるにはすこしばかり賑やかすぎると思うけど。
「そうか、じゃあしょうがないな。これケーキなんだけど、冷蔵庫に入れておいてくれる?」
「入らないの?」
わたしは驚いた。ジャレッドとは初対面ではない。もう五回くらいは会ってるはずだし、今さら父が留守だからと言って、遠慮するような性質だとは思わなかったし、そもそも彼は今日、我が家に招かれているお客様なのだ。
ジャレッドをひと言で表すとしたら、たいがいのひとが「ビッグ」か「フレンドリー」を選ぶと思う。初めて会ったひとにもそうと感じさせない独特の雰囲気を持っている。どちらかと言えば人見知りなわたしの父さえ、彼はするりと丸め込んでしまった……らしい。そのあたりはわたしのあずかり知らないことなので、二人の話からの推定だ。
「え、でもほら、女の子ひとりの家に上がり込むのはちょっと……。もイヤじゃない?」
「わたしが?」
冗談かと思ったら、ジャレッドは照れたような顔をして本当に困っているらしい。
もちろんわたしだって、彼が単なる知りあい程度の相手だったら、父の留守に家に入れたりはしない。ことに女の子はそうしたことに気をつけるように、と学校でも家庭でも厳しく注意されているからだ。でもジャレッドに関してそんな心配はまるでない。わたしはまだ彼に会った回数は少ないけど、父が彼を信頼していることは知っている。なら、わたしにとっても彼は信じるに値するひとなのだ。そういう意味で、わたしは父の判断を全面的に信じている。
何より彼は、わたしにとっては義理の父──になるかもしれないひと、だ。つまり、ジャレッドはわたしの父の恋人なのである。

わたしの父親はまだ十代のうちに結婚した。結婚したのはわたしが母のお腹に宿ったからだ。でも、彼はそれを「失敗だった」というようなことを一度も口にしたことがない。いつも、お前がいたから彼女と結婚できたんだ、とやわらかな笑みを浮かべて言う。母が亡くなったとき、母方の祖父母がわたしを引き取ろうか、という話が出たらしい。まだ若い父にとって、仕事と子育ての両立は大変だろう、という気遣いからだ。──というのは、父の側の話であって、本当はもうすこしドロドロした感情のやりとりがあったらしい。
今も、年に二度ほど祖父母に会うけれど、時々、父を責めるようなことを口にするので、すこしばかり窮屈に感じている。もっとも、祖父母にとって子どもは私の母しかいなかったのだから、そのへんは配慮してあげなくてはならない。……と、これまた父がそう言うので、なるべくそう考えることにしている。納得したわけじゃないけど、そういうふりをしてないと父が哀しそうな顔をするからだ。
でも、どんなに二人がわたしを大事に思ってくれても、高価なプレゼントを贈ってくれても、父と離れて暮らす気はない。
十代で父親になった父は、今でもまだ充分に若い。今年ようよう30歳になったばかりだし、娘の贔屓目を抜きにしてもとてもハンサムだと思う。すくなくともうちに来て、父を見た友達はほぼ全員がぼうっとなる。それからうっとりため息をついて(11歳の女の子が30歳の男の魅力に気付かないと思ったら大間違いだ)「かっこいいねえ」と言う。わたしはなるべくさりげなく、「そう?」と答えることにしているけれど、胸の中はいつも誇らしさではちきれそうになる。
むしろ、やっかいなのは友達じゃなくてそのママたちだ。みんなが11歳の女の子みたいに行儀よく「かっこいいねえ」で終わらせてくれれば問題ないのだけど、中には父を誘惑しようと試みるオンナがいるのが困りものなのだ。……おっといけない、ビッチ、なんて言葉、ダディの前じゃ使ったらきっと彼は目を回してしまう。怒られるならいいけど、哀しそうな顔をされるのはいやなので、なるべく汚い言葉は使わないように心がけている。でも、軽々しく媚態を示すような女性は、やっぱりビッチ、で正しいと思ってるけど。
だからと言って、わたしが父の恋愛に頭から反対しているほど心の狭い娘だとは思わないで欲しい。
母が亡くなってから10年もの間、父はただわたしのためだけに生きてくれていた。あいにくと母の記憶は何もなく、何葉もの写真と父が語る彼女の姿だけがわたしにとっての「母」だ。大切な存在なのは確かだけれど、父にはいつまでも彼女だけを想っていて欲しい、とそんな傲慢なことは考えていない。
もし、いつか父が恋人を連れて来たら、わたしはその女性を受け入れてあげようと決心していた。ママ、と呼べるかどうかはわからないけれど、父の選んだひとを頭ごなしに拒否するような、そんな子供っぽい真似はすまい、と思っていたのだ(ちなみにそう決意したのは8歳のころ。我ながら生意気で嫌な子供だと思う)。
だから、父が困ったような照れたような微妙な表情で、ほんのり顔を赤くして「今度、に会って欲しいひとがいるんだけど」と言い出したときには、「いよいよ来たか!」と身構えた。
初対面は、季節の野菜と魚料理がおいしいと評判のカフェのオープン席。到底、父が選んだとは思えないチョイスに、これは相手の女性の趣味なのかな、なんて思いながら、期待と不安でドキドキしていた。お店の雰囲気から、漠然とだけど、気さくで好感の持てる感じの女性がやっぱり期待と不安にドキドキしながら、優しい微笑みを浮かべてやって来るところを想像していたのだ。
──なので、向かいの席に見上げるほどでっかい男の人が座ったときのわたしの驚きは察するにあまりあると思う。
長くはない人生の中だけど、あれが最大級の「びっくり」だったのは間違いのないところだ。というか、この先70年生きても、あれを上回る驚きというのはあんまりなさそうな気がする。
わたしは間抜けにもぽかんと口を開けたまま、何度も何度もジャレッドと父の顔を見比べて、この状況に訂正がないか──いやいや違うよ、彼は友達だよ! とか、ごめん、誰かと待ちあわせだったんだ? とか、そういった類の台詞──を確認したのち、ようやく、わたしの想像していた「彼女」は目の前の「彼」なのだということを理解したのだった。
……ちなみに、あのカフェはジャレッドの趣味というわけではなくて、二人が「女の子の好きそうな話題の店」を条件に選択した結果だったらしい。何とか第一印象をいいものにすべく、二人がネットやガイドブックや知りあいの女性のアドバイスを並べて頭を悩ませているところを想像すると、どうにもおかしくて笑えてしまう。
別に香ばしいマスのソテーやふわふわバニラスフレ(絶品!)にほだされたわけじゃないけど、初会見は概ね平和裡に終幕した。
わたしは(生意気なのを承知で言うなら)ジャレッドが気に入った。ジャレッドも、わたしを気に入ってくれたと思う。
彼はわたしを対等な友人のように扱ってくれる。……対等はちょっと言い過ぎかも知れないけど、とにかく、子どもだからとむやみに過保護にはならないし、頭ごなしに決めつけることもない。わたしにも感情や考えがあることをきちんと認めてわたしの話を聞いてくれる。
父とジャレッドは、そういうところが似ている。
二人は最初から二人の関係をごまかしたりしなかった。
たぶん、わたしに紹介するまでに、二人だけで、たくさんの話し合いがあったのだと思う。いっぱい相談して、頭を抱えて(おもにダディが)、いやになるほどシミュレーションを繰り返し、結果、最初から正直に話したほうがいい、という結論に達したのに違いない。
二人がそう決断してくれたことをわたしはとても嬉しく思っている。子どもだからと目をふさぐことをせず、ちゃんと本当のことを知らせてくれた。それは、これから家族になろうという間柄にはとても大切なことだ。すくなくともわたしはそう考える。
彼らがわたしを一人前(0.75人前くらいかも)に扱ってくれたのだから、わたしもその期待に応えるべきだ、と思い、父が男の恋人を連れてきたくらいで動揺してはならない、と力み返った。男とか女とかじゃなくて、本当に父に相応しい人間かどうかをわたしが見極めてみせる、くらいの勢いだった。
「あのときのときたら、毛を逆立てた番犬みたいだったよね。俺、噛みつかれるんじゃないかと思って冷や冷やしたよ」と、ジャレッドは今でもそう言って笑う。
……そんなつもりはなかったけど。
ちなみに、ジャレッドがわたしを犬に例えたのは悪気があってのことじゃない。彼は大きな犬を二頭も飼ってて、彼らを家族としてとても大事にしているから、そういうふうに連想が働くだけだ。今度の休みには、その彼の家族に会わせてもらうことになっていて、わたしはそれをとても楽しみにしている。

律義にドアのところで、それこそ毛並みのよい大型犬のように立っているジャレッドを、わたしは笑って招き入れた。
ダディが慌てて買物に行ったのは、買い置きの大人用歯ブラシとダディの使ってるシャンプーが切れてたせいなんだけど、それはたぶん、もしかしてあなたが泊まって行ったときのためよ、とジャレッドに教えてあげるべきかどうか、楽しい気分で迷いながら。
「メリークリスマス、ジャレッド」
「メリークリスマス、
聖なる夜に、神さまの祝福を。
あなたにもひとつ、わたしにもひとつ、わたしたちの大切なひとにもひとつ。
これが、わたしたち三人が家族ですごした、最初のクリスマスになりますように。

END

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2009.11.4


楽しかった……私だけが(すいません)。
愛してるんだけどバトン(ジェンさん編)で自分の回答に自分で萌えて書いてみました。
どんだけ自家発電かと(エコ?)。
季節をちょっと先取ってみましたが、特に深い意味はないです。