| Home sweet home 2 |
| ──わたしの初恋は父だった。 まだ恋という言葉さえ知らないころ、わたしは父が大好きで、人生という言葉も知らないくせに、これから先、彼といつまでもずっと一緒にいるのだと信じて疑っていなかった。 もっとも、これは、世の女の子の多くが経験していることだと思う。本人には記憶にもない昔、「パパとけっこんする!」と宣言して父親の頬を緩めさせた女の子は多いはず。 もちろん、物心がつくとそんなことは言わなくなるし、未熟ながらも恋らしき感情を抱くころには「パパと結婚するって言ってたくせに……」なんて父親の愚痴はうっとうしいだけになってくる……らしい。うちの父は、そんな繰り言を口にしたことがないので、そのへんは友達からの伝聞だけど。 「そりゃあ、のパパならそんなウザったいこと言わないでしょ」 「うちのパパもあれくらいかっこよかったらなあ」 かっこよければ、父親の愚痴も聞き逃すのに、という意味らしい。どうかしら。家族は家族だから、顔の善し悪しでうっとうしさは軽減されない気もする。 大体、うちの父が、そうしたことを言ったことがないのは、単にまだわたしにボ−イフレンドがいないからだ。何人かで遊びに行くことはあっても、特別な男の子と二人きりで出かけたことはない。 好きな子いないの、と友達には時々訊かれる。わたしは曖昧に笑ってごまかすことにしている。 第一、目下我が家で恋愛中なのは、わたしではなく父のほうだ。 4歳年下の父の彼氏(彼女、でなくて彼氏なところに注目)は、あとちょっとで2mに達してしまうほどの長身で、私がもう三つ四つ幼かったら、絶対彼に肩車をねだったに違いないと思う。2mも上から見る景色は、きっと遠くまで広がっていることだろう。 今だって、頼めば肩車くらいしてくれると思うけど、11歳のおしとやかなレディといたしましては、そういうはしたない真似はですね、えへん。 彼はよく笑ってよく喋ってよく動くから、ジャレッドが帰ってしまうと家の中が急に静かになってしまった気になる。わたしたちがこんなに静かに暮らしていたなんて、父と二人でいたときはまるで気付かなかった。 ジャレッドがいなくなった後のわたしと父は、彼のいない空間を埋めようとするみたいに、いつもより近い距離で一緒に過ごす。 今はまだ寂しくはない。わたしたちは二人で家族だから。 でも三人で家族になってしまったら、ジャレッドの不在はひどく寂しさを感じさせるだろうと思った。 それにしても不思議なのは、二人は一体いつデートしてるのかしら、ということだった。 わたしという子どもがいる以上、父は毎日ちゃんと仕事から帰ってくる。遅くなる時は確かにあるけれど、それだって、8時とかせいぜい9時だ。下世話な想像で申し訳ないが、大人のデートって、そこからがメインなんじゃないだろうか。わたしはまだちゃんとしたデートもしたことがないけど、でも、本やドラマで得た知識からするとそういうことのはずだ。 土日かな? でも休日に丸一日、父が家にいることも珍しくはないし、私がいるときに父だけが出かけてしまうなんてことはまずめったにないし。 とはいえ、そんなことを父に訊けるはずもない。「ダディはジャレッドといつデートしてるの?」なんて訊こうものなら、彼は真っ赤になってイスから落っこちるくらいのことはする。父は外見に似合わず大変シャイで、なおかつ、娘のわたしに対して、何か壮大な幻想を抱いている部分があるので。 自分は19歳のときに18歳の妻をもらったくせに、自分の娘はあと20年くらいは嫁になんかいかないものだ、ときっと半分くらい本気で思っているはずだ。いつかわたしがボーイフレンドを家に連れて来た日には、一週間くらい引きこもってしまうんじゃないかと、わたしはすでに現時点で心配している。 天気のいい土曜日のお昼前、ジャレッドと二人で、彼の飼い犬をシャンプーしながらそんな話をしたらジャレッドは大笑いして、たしかにその危険性はあるね、と言った。 ちなみに、ダディはキッチンでランチの準備中。今日はゆで卵とタラとほうれんそうのグラタン。わたしもジャレッドも大好きな彼の得意料理だ。 ジャレッドの愛犬たちはどちらも大きくて、彼らのバスタイムのお手伝いはちいさなわたしにはなかなかの重労働だけど、セイディたちが気持ち良さそうにしっぽを振るので、わたしもはりきってしまう。シャンプーをすすぐころには、わたしのほうも半分水浴びをしたような有り様になるけど、一度経験して学習したので、ちゃんと着替えを持参している。 「でもほんとに大変なのはのほうでしょ」 わさわさと大きな手で泡を立てながら、ジャレッドは共犯者のような笑みを浮かべてそう言った。 「わたしが? どうして」 「だって、ジェンみたいないい男を見て育ったら、他の男の子たちなんて、みんなカボチャに見えない?」 彼は本当にスペシャルだから、なんて、そんなうっとりした顔で言われても困る。 父はわたしの前ではことさらにジャレッドと正しい距離を保とうとして堅苦しく振る舞っているが(ただし、いつも成功しているとは言いがたい)、ジャレッドは父よりいくらか奔放だ。彼はそのまっすぐな愛情をためらわずに示して見せる。 わたしとは違うかたちで父を愛しているひと。 父とは違うかたちでわたしを愛してくれるひと。 それは何とも不思議な感覚で、嬉しくも照れくさくもあり、くすぐったさに、時々、意味もなく笑い出してしまいそうになる。 三人でいるとき、ダディとジャレッドはちゃんとわたしを優先してくれる。でも、わたしに語りかける言葉や向けられる視線の端々で、二人が二人だけにわかる方法で心を通じ合わせているのも知っている。わたしは行儀よくミルクのカップに視線を落としたりながら、ほわほわとその辺りに漂っている甘ったるい空気を肌で感じている。ちょっと気恥ずかしい。でも幸せ。 「ねえ、それでジャレッドはダディといつデートしてるの?」 わたしもやっぱり共犯者のような顔をして、こっそりジャレッドに訊いてみた。 「がボーイフレンドを連れて来るまでは、その質問には答えてあげられないな」 ジャレッドはにこっと笑って、唇の前で人差し指を立てて見せた。 秘密。 「ボーイフレンドを連れて来れば話してくれるのね?」 「ほんとのデートをしたいような相手ならね。もっとも、」 そうなったら、そんな話を聞かなくっても、にもわかると思うけど。 「たいがい、みんなそうやって大人になるもんだから」 そうなのかしら。いつかわたしにも、ダディたちの目を盗んでデートしたいと思う相手が現れるんだろうか。 ジャレッドをわたしに紹介したときの父みたいに、二人に「会って欲しいひとがいるの」なんて言い出すのかしら。 ああでも、それでジェンが引きこもっちゃったら、どうやって慰めようかなあ、とジャレッドが泡だらけの手を顎にあてて、真剣に悩む様子をする。 ジャレッドのしかめっ面に合わせてわたしも一緒に眉を寄せ、でも次の瞬間、わたしたちは顔を見合わせて盛大に吹き出していた。 「さっきからずいぶん楽しそうだな?」 もうおおかたの準備は終わったのだろう、ひょい、と父がバスルームに顔をのぞかせた。ドアを閉めてたから気付かなかったけど、オーブンからいい匂いが漂っている。 こちらの作業もそろそろ終わり。バスタオルで大方の水分を拭き取ってやれば、賢い犬たちはとことこ歩いて自分からヒーターの前に陣取った。わたしのほうはと言えば、胸から膝までびしょ濡れで、すっかり貧相なことになっている。今、この家で、一番みすぼらしいのは、間違いなくわたしに違いない。 父はそんなわたしを見て、大奮闘だったみたいだな、ご苦労さん、とねぎらってくれた。 「で? 二人で一体、何の話してたんだ?」 いやそれがさ、と、ジャレッドが答える前に、わたしは人差し指を立てた。 「秘密よ」 「?」 「何だよ、俺だけ仲間外れなのか?」 「そうよ」 わたしは残酷にもきっぱりと答え、食事の前に着替えて来るね、とダディの隣をすり抜けた。 ちらっと振り返ったら、父がしょんぼり肩をおとしているのが見えた。彼に向かってジャレッドが何か言っている姿も。 ──ほら、またあの甘ったるい空気。二人の間だけで、そっと世界が閉じていく気配。 引き返して覗いてみたくなる衝動をそっと堪えて、その代わり、ジャレッドはどんなふうにダディを慰めるのかしら、と想像した。 いつか、わたしが〈本当の〉恋人を連れてきたら、そのときも同じように二人は二人で支え合うのだろうか。 今はまだ想像もできない未来だけど。 わたしは、新しいブラウスを着るついでに、さっきの秘密を、笑いと一緒にそっと胸の中にしまいこんだ。 出来る限り大切に。 意地悪をしたかったわけじゃない。 ただ、わたしも、一つくらい、ジャレッドと二人だけの秘密があってもいいと思っただけ。 と言っても、どうせジャレッドがすぐに話してしまうんだろうけど、わたしの知らないところでならかまわない。それはジャレッドとダディの秘密だから。 ──わたしが二度目に恋したひとは、初恋のひとの恋人だ。 これも秘密。 でもきっといつか、二人には、わたしの初めての恋と、二番目の恋について聞いてもらおうと思う。 たぶんそれは、わたしに二人よりも大事なひとが出来たときのことだ。 END |
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| 2009.11.9 |