| 人を魅了する怜悧な美貌を持ったその悪魔は、横たわる老神父の傍らに跪いて、彼の皺だらけの手をぎゅっと握り締めた。 「嫌だ、行かないで、行かないで…」 ショーンの切れの長い碧眼からは、とめどなく涙が溢れ出し続けていた。 まるで幼子のように、声を上げて泣きじゃくるショーンのやわらかな金髪を、老人は力の入らぬ手でそっと撫でた。 悲しむショーンに救いの手を差し伸べるか、せめて何か言葉でもかけてやりたかったが、ブラッドには、ただ二人を見守っていることしか出来なかった。あの神父の痩せた手が与えるのと同じだけのぬくもりを、自分はショーンに与えてやることが出来ない。それがひどくもどかしかった。 老人の命がもう尽きようとしていることは、人の命の火を見ることの出来る天使や悪魔でなくても、一目瞭然だった。その顔からは次第に血の色が失われ、蝋細工のように白く冷たくなりつつある。 「…ブラッド、お願いだ、神父様を助けて…!」 老人の手がどんどん冷たくなっていくので、必死に縋るものを求めて辺りを見回したショーンは、ようやくブラッドの存在を思い出したようだ。 けれど、ブラッドは力無く首を振った。 天使といえども万能なわけではない。人の命を意のままに出来るのは、全能の力を持った唯一の方だけだ。ブラッドなど、その方の下僕の一人にすぎない。 「神父様、私を置いていかないで!あなたがいなくなったら、また私は独りになってしまう…」 駄々をこねる子供のように、ショーンは言った。姿に似合わぬ気弱な物言いに、老人の唇が小さく笑みの形を作る。 「…大丈夫だ。おまえはもう独りではない。皆がおまえを愛し、支えてくれるだろう」 「でも、『本当の私』を愛してくれたのは、あなただけです!」 謙虚で、温和な見習い神父ショーンは、老神父にも決して劣らぬほど、教区の人々から慕われていた。 …だが、周囲の人々は、誰もショーンの正体を知らない。 悪魔との交わりによって生まれた禁忌の子を追っ手から隠すために、ショーンの母親が選んだのは、悪魔が最も嫌悪する聖なる場所、教会だった。 幼い頃は自分の正体を知らず、神に最も近い場所で育ったショーンは、悪魔にはあるまじき、敬虔で優しい心を持った。だが、彼の幸福な少年時代は長くは続かなかった。 母を失って天涯孤独になり、自らの忌まわしい正体を知って傷ついたショーンを救ったのが、この神父だった。ショーンの真の姿を知っても、変わらぬ愛情と誠実な教育を与え続けた彼を、ショーンは父親のように慕っている。 自らの正体を嫌悪しているショーンは、誰にでも親切で人当たりは良かったが、人と深く関わりあうのを恐れているようだ。他者を愛し、思いやりを注ぐことには、少しも物惜しみをしなかったが、他人から愛情を与えられることについては、ひどく懐疑的で臆病だった。 「…本当のおまえを愛しているのは、私だけではない。…そうだろう?」 そう言うと神父は、視線をブラッドに向けた。 彼はブラッドの正体は知らないが、ブラッドがショーンの正体を知っている、ということには気付いているようだ。 天使の目を持つブラッドの前では、どんな魔物も真の姿を隠し通すことは出来ない。魔物だけではない。美しく飾り立てた外見の裏に巧みに隠した、人の醜い心でさえも。 けれど、ブラッドの『眼』を通しても、ショーンの姿は決して醜くは見えなかった。姿も、心も。悪魔の証である背中の黒い翼。その程度で、彼の美しさがどれだけ損なわれるというのか。 出会った当初は反発も覚えたが、確かに彼に強く惹かれていることを、今は否定する気は無い。たとえその想いが、罪だと言われるものであっても。 「ブラッド、この子を…ショーンを、よろしく頼みます」 その言葉にブラッドが力強く頷いたのを見ると、神父は満足げに微笑んで、しかしその表情からは急速に生気が失せていった。我が子同然に愛したショーンの涙も、もはや彼をこの世に引き止める未練とはならない。 安らかな笑顔を残したまま、その肉体から離れようとする神父の魂に、ショーンも彼をこの世に留めることを諦めざるを得なかった。 残された者に出来ることは、せめて、彼の魂の道行きが、平穏なものであるように祈ることだけだった。 「…ブラッド、お願いだ、あの方を、どうか天まで導いて…」 悪魔の口から発せられた懇願に、ブラッドは小さく首を振った。最後の願いさえ否定されて、ショーンの顔に絶望が広がる。 「大丈夫だ。俺みたいな不良天使が導かなくたって、この人が『道』を間違えるはずが無いだろう?…それよりも、今俺がしなくちゃならないのは、彼の最後の願いを聞き届けることだ」 そう言うとブラッドは、自分より少し細いショーンの肩を抱き寄せて、今も彼の頬を流れ続ける涙を拭うように、頬にそっとくちづけた。 END |
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……で、第二弾もいただいてました……。 えーへーへー、嬉しいなー♪♪ ところで、頂き物の作品数が多いってどうなんだ、自分。 秋好さまのサイトはこちら。 2005.09.04 |