| 「神父さん、ありがとうございました〜!」 「ああ、またいつでもおいで」 全員揃ってぺこりと頭を下げる子供たちに、ショーンは優しく笑いかけた。楽しげに喋りながら駆けていく子供たちの後ろ姿を、微笑みながら見送る。 …ずいぶん、よく笑うようになった。 父のように慕っていた先代の神父を亡くしてから三ヶ月あまり、当初は容易く声もかけられないほどひどく憔悴していたショーンは、ようやく以前の明るさを取り戻しつつあるように見えた。 「やあ、そこの大きな子供は、まだお家に帰らなくていいのかい?」 近所の子供たちにお菓子をあげて、ありふれた昔話などを語って聞かせていた神父の姿を、話に加わるでもなくじっと横で眺めていたブラッドに、ショーンはようやく声をかけた。 腕組みをして壁にもたれたブラッドの美貌は、いつもに増して怜悧に見える。 ブラッドの不機嫌は一目瞭然で、だからショーンは今まで声をかけずにいたのだ。 「君が踏み込まれたくないなら、プライベートに立ち入るつもりは無いけど…もし、何か悩み事なら、こんな不良神父でよければ、話を聞くよ?」 不良神父どころか、ショーンは今時安っぽいTVドラマですら見かけないような、絵に描いたような優良神父だ。いくら彼がシャイで謙虚だと言っても、あまりに謙遜しすぎているが、ショーンが自分を『不良』神父だと思うのは、ひとえに彼の出生のためだった。 神に忌まれた者の血統。悪魔の血を引くショーンは、どれほど真摯に、敬虔に神を慕おうとも、決して天の門をくぐることは出来ない。ただ悪魔に生まれたと言うだけで、これほど純粋なショーンが救われることが出来ないなら、全能の神の目など節穴だ、と、神の子であるブラッドは思った。 他人に対しては極めて親切で、周囲の誰のこともこよなく愛しているショーンが、唯一愛せないのは、自分自身だけだった。それが、ブラッドにはひどく苛立たしい。 「…ブラッド?」 眉間に深い皺を刻んだままのブラッドの、機嫌を窺うようにショーンが小さく首を傾げる。ちょっと子供っぽいそういう仕草が、本来鋭い面立ちのショーンを人懐こく見せていた。 「あんたのせいだよ」 にこりともせずにブラッドが言うので、ショーンは一瞬驚いたように目を見開いて、それからひどく困ったように眉を寄せた。 「…ブラッド、その、私が、何か君の気に障るようなことをしたかい?…申し訳ないけれど、ちょっと、心当たりが無いんだが…」 苦笑するショーンの頬を、ブラッドが指でつまんで引っ張った。 「…笑ってるんじゃねえよ」 冗談でごまかせそうにないブラッドの厳しい口調に、ショーンが怯えたように身を竦ませる。 「本当は、少しも楽しくなんかないくせに」 自分の正体を知りながら、それでもなお惜しまぬ愛情を注いでくれた老神父を失ってから、ショーンが心からの笑顔を見せることはなかった。表面的には笑っているように見えても、その瞳はどこか虚ろだ。少しも立ち直ってなど居ないのに、平静を装うショーンの姿が、ひどく苛立たしくて、もどかしかった。 傷口を隠しているだけでは、少しも癒されない。たとえ手荒で、痛みを伴う方法であっても、治療をしなければ。 「やっぱり、君に隠しごとは出来ないね。…それは、その目のせい?」 悪戯がばれた子供のように、上目遣いでショーンが言った。まだ、その本心は隠したまま。 「…そんなんじゃねえよ」 ブラッドの天使の瞳は、人の欺瞞や魔物の擬態を見抜く力があったけれど、こういう場合に必要なのは、そんな特殊な能力ではない。どんな平凡な人間にでも、簡単に出来ること。 「俺は、ずっとあんたを見ていたから、気付いただけだ」 言いながら、ショーンの頬をつねっていた手を離して、掌で彼の顔をそっと包み込んだ。 「あんたが好きなんだ。だから、ずっとあんたを見ていた」 ブラッドの告白に、ショーンは少しの間、答えを返せずに居たが、やがてはにかんだ微笑みを作って言った。 「えーと、ありがとう、ブラッド。嬉しいよ」 けれど、ショーンの表情は、きっとブラッドの言葉の意味を完全には理解していない。 ブラッドの顔が近付いてきて、ショーンの薄い唇を啄むように、軽いくちづけを繰り返しても、まだショーンはわかっていない。 「…ブラッド、何?…ん、…」 薄く開いた歯の間に舌を滑り込ませて、深く口付けながら耳の後ろを指で撫でると、ようやくショーンは逃げようとしたが、今頃気付いたってもう遅い。片方の手でショーンの腰を抱き寄せると、体の向きを変えて壁に押し付けて、逃げられないようにしてしまう。 「ブラッド、ダメだよ、こんなことは…」 唇が開放されて、代わりにブラッドの口が顎や首筋を軽く食み始めると、ショーンは頬を赤らめて睫毛を伏せて、それでも口先では抵抗の言葉を呟いた。 「何がダメなんだ?」 言葉とは裏腹に、ショーンは些細な愛撫でもひどく敏感に反応した。首から下は、少しも嫌がっている様子はない。 「ダメだよ、ブラッド…ここは…」 ショーンはあまり力の入っていない手で、それでもブラッドの頭を押し戻した。 「…神様が、ご覧になってる」 ここは教会の礼拝堂だ。十字架にかけられた神の子の痩せて気高い顔が、俯いてこちらを見下ろしている。 それなら場所を変えようと言うブラッドに連れられて、ショーンは粗末な私室に戻った。ベッドと小さなテーブルと、戸棚が一つあるだけの部屋で二人きりになって、迂闊にも程がある。 椅子が一つしかないので、ベッドに並んで腰掛けて、それでもブラッドが突然押し倒してくるような素振りは見せないので、ショーンは安心しているようだ。 まったく、この迂闊さはどうしたものか。 一応背中に白い翼は生えていても、人間の姿をしている時の外見の印象に違わず、精悍で魅力的で、とても聖人君子とは言えない心を持ったブラッドは、天使の倫理観ではあまり望ましくないようなことも、今まで多少やってきた。そしてこれから、さらに一歩踏み出して、絶対に許されぬ禁忌の領域に足を踏み入れようとしている。 それなのに、人を堕落させるのが仕事の悪魔ショーンは、ブラッドの良心を完璧に信頼して、何の警戒もしていない。 「…ブラッド、落ち着いて、よく話し合おう。そうすれば、きっと…」 落ち着いていないのはショーンの方だ。ブラッドはとっくに腹を決めている。 混乱する自分自身の思考をまとめようとするように、ショーンは言葉を続けた。 「君が、私に好意を持ってくれているのは、とても嬉しい。でも、あんなふうなキスは友人としてはちょっと行き過ぎていて…君たちの世界では、いけないことだろう?」 人間の、生物の倫理に外れて、快楽を求める行為は、ショーンの属する魔の世界のものだ。美しく、清らかな神の使徒であるブラッドや、敬虔な神の下僕でありたいと願っている人間界でのショーンには、決して許されることではない。 「あんなキスだけじゃ、全然物足りないし、あんたとただの友人でいたいなんて思ってない」 「ダメだよ、ブラッド」 ショーンの口先だけの拒否など意に介さずに、ブラッドはショーンの手を取って引き寄せた。 「良いか悪いかじゃなくて、好きか嫌いかで答えてくれよ。…俺のこと、どう思ってる?」 ブラッドに真っ直ぐ見つめられて、ショーンは黙って俯いてしまった。 ショーンだって、ブラッドのことは大好きだ。この魅力的な天使を、好きにならない者が居るだろうか。けれど、ブラッドの問いに答えられないのは、ショーンの気持ちが、ブラッドと同じ種類のものだからだ。単なる友人としての「好き」ならば、迷わず答えることが出来るのに。 「…なあ、ショーン?」 俯いたショーンの顔を覗き込んで、ブラッドが言った。 「答えられないのは、俺のことが好きだからだろ?」 ショーンの首筋が朱に染まった。 にやりと笑うブラッドの自信過剰ぶりは、少しも嫌味ではない。自信に充分見合うだけの魅力を、ブラッドは備えていた。 目線を合わせようとしないショーンの顔を下から覗き込みながら、ブラッドは次第に顔を近づけていった。 「…なあ?俺とキスするのは、嫌?」 こんな質問は卑怯だ。答えも待たずにブラッドがくちづけて来ても、ショーンには逆らうことが出来なかった。罪の味は、あまりにも甘い。 唇が離れた時には、二人の瞳は欲に濡れていて、もう後戻りが出来るはずがなかった。 「あんたと一緒なら、地獄に堕ちたっていい」 ブラッドが言うと、ショーンはひどく悲しそうな顔をした。涙の膜が瞳を曇らせているのは、快楽のせいだけではない。 生半可な気持ちで、ブラッドがこんなことを言うはずがないと、ショーンにだってわかっている。一見飄々としているようで、実はとても真摯に神に仕えるブラッドが、この覚悟をするまでに、どれほどの葛藤があっただろう。 時には、自分自身の体を使ってでも相手を堕落させるのは悪魔の常套手段で、男にも女にも好まれる魅力的な容姿を持ったショーンは、何度もその方法を勧められたけれど、決して実践しようとは思わなかった。 初めてその誘惑に引っかかったのは美しい天使で、それを知れば地獄の仲間たちはショーンをすごく褒めてくれるに違いなかったが、そんなことは少しも嬉しくはない。 悪魔としての仕事を立派に果たしたことも、想いを寄せる相手から愛されたことも、何もかもがひどく悲しかった。 本当は、心の底では、こうなることをずっと以前から望んでいて、だからこそ望みが叶ったことがつらかった。 たとえ二度と会えなくなっても、彼が自分を突き放してくれていれば良かった。 そうでなければ、せめて、自分の方から彼を誘惑するべきだった。ずっと抱いてきた醜い欲望に気付かぬ振りをして、その扉を開ける汚れた役を、彼に押し付けたのだ。 「…ブラッド、ブラッド…」 甘い声を上げながら、ショーンはブラッドの背を抱き寄せた。こうなってしまっては、もう、この手を離すことは出来ない。たとえ神が、寛容にも、もう二度 と触れないと誓うならば、一度きりの過ちを許すと言ってくれたとしても。 この罪が自分だけのものになれば良いと思った。もし神がこの光景をご覧になっていて、二人の罪が裁かれる日が来たら、自分により重い罰が下るように、そう願ってショーンは、より強くブラッドを求めた。 古来、神がどれほど光り輝く道を指し示そうとも、どうして人は闇に向かってしまうのか。その理由が、ブラッドにもようやくわかったような気がした。 もしかしてショーンが、実は極悪非道な悪魔で、普段見せている優しげな顔も、控えめな素振りも、全てがブラッドを陥れるための罠だったとしても、少しも後悔しないだろう。 どんな姿をしていても、やはり血は争えないということか、日頃のシャイで純真そうな素振りとは違って、ベッドの中でのショーンは驚くほど積極的だった。応えてくれないどころか、もっと抵抗されるかもしれないとすら思っていたのに。 もちろん、そんなことで幻滅したりするはずがない。誘うように濡れたショーンの瞳はたまらなく魅力的だったし、想う相手が自分を求めてくれて、嬉しくない男が居るだろうか。 理性の箍などとっくにどこかに行ってしまっている。天使とはとても思えない激しい愛撫に、ショーンが苦痛の混じった悲鳴を上げた。今更泣かれたって止められないが、せめて、彼の苦痛を紛らすように、頬や、瞼や、唇に、何度も軽いキスを落とした。 「愛している」なんて安っぽい言葉は言えなかった。口に出したってきっとショーンは信じない。自分のことを少しも愛していないから、誰からも愛されないと思い込んでいる、頭の固いこの悪魔は。 自分がどれほど彼を想っているのか、きちんと彼に伝わっているだろうか。 ブラッドはショーンの長い指に指を絡めて、強くその手を握り締めた。絶対にこの手を離さない。共に天に昇ることが出来ないなら、一緒に墜ちればいい。 …たとえ、神の救いの手を振り払うことになっても。 言い訳をするわけではないけれど、ショーンの緑の瞳から零れ落ちた涙はとても綺麗で、彼が堕落し、穢れてしまったようには、少しも見えなかった。 END |
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タイトルは「イエス様が見てる」だそうです(笑)。 これで秋好様バージョン三部作完結だそうですが、そんなことおっしゃらず、 第四弾、第五弾も拝読したいものです。 ほんとうにありがとうございました♪♪ 秋好さまのサイトはこちら。 2005.11.15 |