惑心 マドフココロ  〜14歳〜
その少年はとても美しかった。
ブロンズの髪とブロンズの肌。空色の瞳に、長い手足。成長しきっていない肩や腰は年齢の割にはたくましかったけれども、それでもまだまだ細かった。
だから、最初はお仲間かと思った。つまり、この店で働く側の少年なのかと。
けれど、彼は客だった。
触れ合ってみれば、彼の手は剣を握りなれて硬くなっており、その足は地面を蹴上げるための力に満ちていた。
客のペニスを握りなれた自分の指や、男の腰に絡めるための自分の脚とはまったく違う。
「もう帰るの?」
ふと眠りから目を覚ますと、彼は寝台で上半身を起こしていた。
「いや……目が覚めたから」
「そう。良かった」
肘をつき、少しだけ身体を持ち上げる。窓からは大きな満月が見えた。
「何が?」
彼は小首を傾げて僕を見た。そんなしぐさはまだどこか子供で、可愛いとすら思う。
でも、彼は14歳にしてすでに何度も戦場を体験し、そのたびに戦を勝利に導いた、有名な英雄だということを、僕は店のあるじから聞いて知っていた。
「君が帰ってしまうと、他の客をとらなきゃいけないから」
一人の人間と数多く交渉を持つより、多くの人間に身体を明け渡す方が、負担が大きい。
少年は来ると必ず一晩僕を買いきってくれたから、安心して夜を過ごすことができた。
「そうか……ああ、そうか」
そんな事実にすら初めて気づいたのか、少年は少し驚いたようだった。
知らないはずはないのだけれど──彼にはそういうところがある。興味のないもののことまで思いをめぐらせたりはしないのだ。
「すごい月だね。きれいだな」
僕も身体を起こして少年の隣に座る。
今日はまだ一度しかしていないから、全然楽だ。
「……満月は嫌いだ」
少年が拗ねたように言った。
「そんなことを言うもんじゃないよ。アルテミスの怒りをかう」
「神々なんぞどうでもいい。嫌いなものは嫌いだ」
いこじになって繰り返す。僕は思い当たって少し笑った。
「わかった、嫌な思い出があるんだろう」
彼はひどく嫌な顔をした。図星だったわけだ。
背中にそっと頭を寄せて、僕はくすくすと笑った。
「笑うな」
「ごめんよ。君の大事な人に何か言われたの?」
「……………」
また僕は的を当てたらしい。
もっとも、口数の少ない彼が話すことといえば、戦場での出来事か、彼の大事な人のことだけなのだから、当たってもそれほど自慢にはならないのだけれど。


***


彼が初めて僕の客になったのは一年前のことだった。
ふらりと入ってきた彼を見て、僕は『就職希望』の少年なのかと思った。
それくらい彼はきれいだったから。
けれど、店の主人は彼の顔を知っていたらしくて、七重八重に腰を折るようにして対応していた。まだ全然子供(男同士の関係では受身をとらされてもおかしくないような)の彼に、そんな態度をとるなんて、不思議といえば不思議だったけれど、金さえ払ってくれるなら幽霊だって客なのだ。
「……で、お好みはどのような?」
店長の言葉に、全員が彼の方を向いた。
年は少々幼かったけれど、見目いい少年だ。体つきもとてもきれいだし。落ち着いた目つきに、多分、特別変な趣味がありそうにも思われなくて、だから、その場にいた仲間はみんな、彼に選ばれたがっていた。
彼は一渡り僕たちを見回すと、ほとんど迷うことなく僕を指差して「あれ」と言った。

一度閨を共にして、すぐに僕は自分が誰かの身代わりだと気がついた。
彼の目は僕でなく、誰か他の人を見ていた。
彼の腕は他の人を抱き、彼の耳は他の人の声を聞いていた。
その人を抱いている彼は、とても慎重に、優しく僕に触れた。
「僕は誰に似てるの?」
そう訊ねたのは、多分三度目のときだったと思う。
少年は不意をつかれた顔でしばらく固まっていたから、僕は慌てて非礼を詫びた。客には深入りしない。身体にも心にも事情にも。
それが僕らのような仕事をしている者の心得で、そんなことは充分知っていたはずなのに。
けれど彼は僕を責めることはしなかった。
嫌ならもう来ない、と言った彼を引き止めたのは僕だ。
少年は無駄話を楽しむほうではなかったけれども、それでも一年通ってくれれば、少しずつ見えてくるものがある。
その人と僕は、髪や瞳の色が似ているらしい。僕も彼より年上だけれど、その人は僕よりもっと年かさのようだった。
だいぶ変わった組み合わせだ。
寝物語の言葉の接ぎ穂に、きれいな人か、と一度だけ訊いてみたことがある。
ありきたりな僕の質問は、少年をひどく困らせたらしく、かなり長い間彼は眉間に皺を寄せていた。
きっと彼は、その人のどこが好きか、なんて考えてみたことはないんだろう。ただ好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いなのだ。
駆け引きも何もない、この小気味いいまでの分かりやすさは、年齢ではなく、気質による部分が大きい。五年経っても十年経っても、多分彼はこのままだ。そう考えるとすこし楽しくて、だから僕は少年に花街での振る舞い方も、(僕たちも含めた) おんな たちのあしらい方も教えなかった。
彼は欲しいときに欲しいように僕を抱き、僕は恋人のわがままを受入れるように彼に抱かれた。
「──別に、だからってわけじゃない」
長い沈思の後でようやっと返ってきたのは、ぶっきらぼうな一言。多分に照れを含んだ言葉に、僕は気付かれないように笑った。


***


「でもあと二カ月なんだろう」
むつりと黙り込んだ彼の機嫌を取るように、僕はそっと言ってみた。
再来月に彼は十五歳になる。賢い彼の想い人は、子供の口走る情熱をそのまま受入れたりはしなかった。
三歳 みつとせ 。それが彼に示された期限なのだと言う。
体よくはぐらかすための口実かと思ったが、少年の気質をよく知るそのひとが、そんなよみ間違いをするとは思えなかった。
あと二月で彼は恋人を手に入れるだろう。彼は満月の夜を厭わなくなる。
そうして僕は?
何も変わりはしない。
馴染みの客がいつの間にかいなくなるなんて、よくある話だ。
でも、きっと、少しだけ。

僕は満月が嫌いになってしまうのだろうと思った。




END
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2007.1.9(再録)