| VOICE |
| 「ショーン」 パラソルの下で出番待ちをしているショーンを見つけて、ブラッドは彼の名前を呼んだ。 ショーンはすぐに気付いて、顔を上げる。 けれど、返事はせずに目元だけで笑った。 それは、常の彼らしからぬ反応で、ブラッドは少し意外な気がした。 例えば、相手が誰かを連れているとか、その髪に落ち葉がついているとか、普段とは全く違うタイプの服を着ているとか、そんなときに見せる反応に似ている。つまり、いつもと違うのはショーンではなくて自分の方なのかと思わせる、そんな態度だ。 「ショーン?」 ショーンの返事がないだけで落ち着かない気がして、ブラッドはもう一度彼の名前を呼んだ。 「ああ、ごめん。何だい?」 「何っていうか……どうかした?」 「いや……君のね」 『オデュッセウス』のクセである、あごを撫でる仕種をして、ショーンは今度こそはっきりと笑った。 「君の声がいいなあ、と思って」 「声?」 何だろう、急に、とブラッドは思う。褒めてもらうのはいいが、それはそれで「今さら何?」という気がする。 「声、というか……発音も抑揚も全部ひっくるめて、だけど。君に名前を呼ばれると楽しくなるよ」 「ショーン、何かあったのか?」 「え? 何で?」 「だって、急にそんなこと言いだすから。それに、どうせなら、そういうことはもっと早く言って欲しいね」 軽く眉を上げるようにしてふざけて見せると、ショーンはくくっとくぐもった笑い声をもらした。 「ああ、それは失礼。だけど今気付いたんだよ」 それに、と悪役で鳴らしたはずの俳優は、優しげな笑みを深くした。 「そういうことは、私なんかより女性に言ってもらったほうがいいだろ?」 まさか、とブラッドは思う。 100人の美女に言われるより、目の前にいる年上俳優に言われるほうが、ずっとセクシャルで魅力的だ。 クールな横顔と、フレンドリーな笑顔とが驚くほどナチュラルに同居しているこの英国人に、ブラッドは随分早くから興味をひかれていた。それが、ただの興味や親愛で片付けられない もっとも、初めから含むものがあったわけではなかった──と、思う。 ……たぶん。 でも、今まで同性にそういう意味で惹かれたことはなかったし、向こうがゲイだというわけでもないから、そんな可能性は天から除外していただけなのかもしれない、と今になって思うけれども。 「そんなことはないよ。俺は、ショーンに言ってもらうほうが嬉しい」 「『ヘレン』に言われるより?」 「そう」 当たり前、という風にうなずいてみせると、どうにもガードのゆるい『知将』は、ブラッドの肩を軽く叩きながら「失礼なやつだな! ダイアンには内緒にしといてやるよ」、と笑った。 全く、のんきなものだ。 ブラッドがもう少し人でなしなら──相手の意志を無視して自分の欲求を通すことに慣れきってしまった男なら──今ごろショーンは、物心両面でがんじがらめにされて、ブラッドの寝室に転がされていてもおかしくないというのに。 「じゃあもし俺が、ヘレンよりブリセウスより、あんたに惹かれている、と言ったら? どうする?」 ブラッドは真直ぐに相手の目を捕らえると、ゆっくりと口角を上げた。 「──信じないか?」 「ブラッド?」 「信じたくはない?」 一歩踏み出して相手との距離を詰める。同じだけ下がろうとするショーンを、腕をつかんで引き止めた。 「ブラッド、一体……」 「俺も、あんたに名前を呼ばれるのが好きだよ、ショーン」 銀幕を支配する圧倒的な魅力と存在感は目の前で見ると迫力が違う。決して視線を外させない。それができる俳優を「スター」と呼ぶのだ。 自らに備わった華を惜しげもなくさらけ出して、ブラッドは恋人役に向けるような甘いニュアンスをこめてショーンの名前を呼んだ。 「ショーン」 ショーン?、ともう一度繰り返す。 ここへおいで、と両腕を広げて待っている、そんな声で。 ショーンは事の成り行きに驚いたようだったが、ブラッドの行動を何かのジョークだととったらしい。 わかったよ、とでも言うように、共犯者めいた笑みを浮かべ、一度目を伏せた。 長い金のまつげと鼻梁だけしか見えなくなる角度までうつむいて、ゆっくりと視線を上げた。 あからさまに誘惑の意図を持ったグリーンアイズがブラッドの視線を絡めとる。唇を彩っているのはいつもの親しげな笑みではなく、酷薄そうな冷笑だ。 ──Do you want me? その笑みは、言葉よりもはっきりと、そう告げていた。 触れるだけで落ちてくる熟果の芳香を放ちながら、決して手の届かない高みに実っている果実のように。 呼びかけに答える声も、濃く、甘い。 「──何、ブラッド……?」 ほんの二言。 たったそれだけで、背筋を快い寒気が駆け上がっていって、ブラッドはそんな自分に驚いた。 普段、向けられる情熱にはあれほど鈍いくせに。無意識の動作が、どれほど周りの人間を振り回しているかなんて、全然知らないくせに。 演技をする上でなら、ショーンは自分の魅力を完全にコントロールできた。それはまるで、ルネサンスの ブラッドは、まだショーンを追いつめるつもりはなかった。 ショーンは、これをブラッドの新しい悪戯だと思っていた。 そして、二人の思惑通りなら、ここが引き時だとお互いに分かっていた。 身体を離して、揃って爆笑して、この件は終り。後は、その話を例えばエリックやオーランドに話して、もう一度笑って──そう、しばらくは酒が入るたびに場つなぎの話題になるかもしれない。 でも、それも長いことではないはずだ。 生まれては消えていく泡のような、ささいな日常の出来事の一つにしてしまえる程度の。 「──ショーン」 そうする代わりにブラッドはショーンの頬に手を伸ばした。 グラスの縁いっぱいに盛り上がった水は、ほんのわずかのきっかけであふれ出す。 とっさに離れようとしたショーンの身体を抱き込んで、ぶつかるように口付けた。 「…………っ!」 ショーンの身体が強ばるのを感じたが、構わず後頭部を固定して深く唇を合わせる。 虚を突かれたショーンの唇は、簡単にブラッドの進入を許した。 「ん……っ!!」 反射的にブラッドの身体を押しのけようとして、ショーンは慌てて掌を握り込む。万が一にも主演俳優に傷をつけまいとするその行動は、ブラッドにとって微笑ましくもあり、少しばかり哀しくもあった。 ブラッドが本気で望んで叶えられない願いというのは、多分、それほど多くはない。彼が今立っているのは、そういう位置だ。 物品はもちろんのこと、他人の身体や、もしかしたら心さえ、手に入れられるかもしれない。 でも、ブラッドがそんな風にショーンに対峙したいと思ったことは、一度もなかった。 ショーンの唇はふさいだまま、空いた方の手で、自分の心臓の上あたりで小さく固められた掌を探り当てる。そうして、その形のまま上から包み込んだ。 なだめるように親指を滑らせて、ショーンの指をなぞる。見えなくとも、彼の手の美しさを思いだすのは簡単だ。 長く形のいい骨。綺麗に切りそろえられた爪の形。飛び出た関節の固さ。乾いた指先。その中へ更に指先を潜り込ませると、ショーンの拳がほどけて、温かくて、少し汗をかいた皮膚へと行き当った。 「は……っ……」 掌の中心を撫でると、びくびくと腕が震える。 知らなかった。こんなところでも感じたりするのか。 ボールホールダンスのホールドの形で手を結び、そこからさらに指を絡めて行く。 お互いの指が互い違いに組み合ったとき、甲の部分にショーンの指先の熱を感じた。もう片方の手は、ブラッドのはおったシャツの背中を握り締めている。 「……ッド……」 ちいさな、ショーンの声。 このままどこかへ連れ込んでしまおうか。 ほんの一瞬、けれど完全に本気で、ブラッドはそんなことを考えた。 ここが屋外でなかったら──否、それよりも、彼らが仕事の最中でなかったら、絶対にこの腕を離したりはできない。 彼の身体を引き倒して、力任せに全てを奪ってしまうだろう。それこそ、どんな卑怯な手段を使ってでも。 そうして、きっと全てを失う。 結局、幸いだったのだ。 ショーンでなく、自分のために。 ブラッドはゆっくりとショーンを解放した。 絡めた指が離れたとき、言い様のない喪失感がブラッドを襲った。 「……ブラッド」 ショーンは、とまどいだけを浮かべて、共演者を見ていた。その瞳は極度の混乱に潤んでいる。 彼は説明を求めていた。 あるいは、あふれた水をコップに戻すための、魔法の言葉を。 (悪い、やりすぎだよな) (あんたの演技につられたよ) そう言って笑ってみせれば、ショーンは安心するのだろう。 あるいは、理由など何も告げず、ただ忘れて欲しい、と願うだけでも、彼は受入れてくれるはずだ。 そうして、編集されたフィルムのように、この数分の出来事はカットされて、二度と日の目を見なくなる。 ──そんなことはできやしないのだと、本当は気付いているのに。 それでもショーンは、変わってしまった二人の関係を元に戻そうとした。 「──すっかり巻き込まれてしまったよ。さすがだな」 君があんまり真剣な顔をするから、とショーンは笑う。それは、あくまであれは少し行きすぎた悪戯にすぎないのだと──彼はそう思っているのだと言う、ショーンの意思表示だ。 「それが、あんたの言いたいことか?」 「ブラッド……」 何もなかったことにしてしまえるほどブラッドは悟ってはいなかったが、そうして欲しいと願っている相手の逃げ道をふさいでしまうほどには利己的になれなかった。 今はまだ。 「──いいよ、あんたがそうして欲しいなら」 半歩譲って見せたブラッドに、ショーンは明らかにほっとした顔をした。 わかりやすい反応に、主演俳優は殊更冷たく見える顔で笑って見せた。 「今回は、そういうことにしておく」 「ブラッド……」 「俺は、今日のことをなかったことになんかしないし、この先の行為を望んでる。ついでにいうなら、いつまで物分りのいいふりをできるかは、我ながら疑問だと思ってる」 だから。 「隙は見せないほうがいいよ」 気をつけて、と当の本人から言われて、ショーンは途方にくれた。 くるりと背を向けたハリウッドの看板俳優は、後ろから見てもパーフェクトに格好良くて。 そんな彼が、同性で五歳も年上の自分に興味を──それも、性的な──を持ってるなんて、何をどう考えたって、ありえることだとは思えない。 やっぱりこれはとことんタチの悪い悪戯で、自分はからかわれただけなんじゃないか、と疑いながら、ショーンはへたりと座り込んだ。 体中にブラッドの気配が残っている。 彼の身体の熱さや、力の強さや、キスの感触や。 それから。 ──ショーン。 どちらかといえば硬質な、でも良く通る彼の声が耳をかすめて、ショーンは慌てて首を振った。 とにかく落ち着こう、もしかしたら、ブラッドはひどく疲れてて、自分の言ってることが良く分かってなかったのかも知れないし。 一生懸命言い訳を考えながら、ふらふらと立ち上がったショーンは、自分がその行為を不快に感じてはいない、と言う一番重要な点を見逃していた。 そして、そんな彼が「隙を見せない」でいられるはずもなく。 結局、ブラッドの一言一句が本気だったとショーンが思い知らされるのは、それほど遠い未来のことではなかった。 END |
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| 2004.09.29 |