FRAGRANCE

初めてのキスを覚えている、なんて言ったら、
いい年をしてなんてロマンティストなのかと笑われてしまうだろうけれど。


それなりにまっとうな大人なら誰でも知っていることだが、現実世界は幼い少女の見る夢のように花と砂糖とリボンでできあがってはいなくて、辛かったり退屈だったり痛かったり悲しかったり腹立たしかったり、まあおおむねそんなもので成り立っている。
初デートが喧嘩で終わることもあるし、キスは煙草臭かったりするし、セックスは愛情でなく快楽を求めるための行為──すべてとは言わないが、まあかなりしばしば──だと知っている。
そも、すべての人の日常が、波乱に満ちてロマンティックで情熱的に過ぎていくのなら、古今東西作り話の成立する余地はなく、必然的に自分たちは仕事にあぶれてしまうだろう。
けれど、そんなことに慣れきってしまって、慣れたことにすら気付かないほどに擦れた大人の生活にも、時折、おとぎ話みたいな出来事が転がり込んできたりする。
神様の退屈しのぎのようなそれは、ほんのすこしタイミングがずれていればもう、意味を成さないささいな出来事で、だからうっかり気付いてしまうと、逆に強く印象づけられてしまうのだ。


親しい挨拶としてや、あるいはカメラの回っているところでなら、男同士でキスをするのも別に珍しくはないし、当然ながら、そんなことにいちいち緊張したりはしない。
でも、一応、まあなんか、アプローチとか。告白、とか。──その辺りは、お互い大人のことでもあるし、恋に憧れる女の子が想像するよりはずっと散文的で、現実的で、割と露骨でスピーディーに展開されたとしても──そういう必要手順を踏んだ上での同性とのキスは、やっぱりちょっと意味が違ってしまう。
というか、親愛や友情とは違うことを意味付けるための 準備段階 プロセス なのだから、当たり前といえば当たり前なのだけれど、でも、だから、すこしばかり肩に力が入っていたところで、しかたないだろう、とショーンは思う。
たとえば、今、みたいに。
「……どうした?」
両手を置いた肩が変に強ばっているのを、ブラッドは不審げな顔で見下ろした。
「え……別に」
「別にって──なんで逃げ腰なんだよ?」
「逃げてない」
逃げてない、と言いながら、ショーンはすこしあごを引く。
正確に同じ距離だけ近づいて、裏側を探るように翡翠の瞳をのぞき込むと、ブラッドはに、と楽しそうに笑った。少年のような、なんて定番の形容詞も、この笑顔に添えられると格段に価値が上がる気がする。
「ひょっとして緊張してる?」
「! そんなわけ……」
当然に返ってくる否定の言葉を最後まで聞かずに、ブラッドは出来たての恋人を腕の中に抱き込んだ。囁かれる声は、揶揄を含んでいても耳に心地いい。
もっとも、そういったこと──笑った顔を気に入ってるとか、声の響きが好きだとか──は、全部相手に先に言われてしまって、だから、実はちゃんとブラッドに伝えたことはない。
まあ、たぶん、とっくにバレてはいるのだけれど。
「もっと慣れてると思ったけど」
「……何が」
「こういうこと」
「それって」
恋愛のかけひきをさしているのか、同性間の行為についてなのか、後者なら、君は一体何を誤解してるんだと多いに不満を表したいところだ。
けれども、それこそ「こういうこと」に慣れたブラッドの唇が降りてきて、ショーンの不平は否応なく先送りされることになった。
近づきながら、ブラッドの空色の瞳がまつげの下に隠れていく。つられるようにショーンも瞳を閉じた。
触れたときにはもう唇はすこし開いていて、そんなガードの甘さが ちか さの表れになる。
頭よりも正しく、身体は相手との距離を知っていた。
「………っ」
滑り込んできた舌が、我が物顔でショーンの口腔を侵していく。ブラッドの背に添えた指が、Tシャツの生地に皺を生んだ。

口付けは長く、情熱的で、認めるのは癪な気もするが、ずいぶんと巧みだった。
それは確かだ、と年下の恋人の名誉のために言っておいてもいい。
のだけれども。

翡翠の瞳を快楽に潤ませながらも、唇が解放された途端、ショーンはこらえきれずに、ぶ、と吹き出した。

「……ショーン?」
ブラッドがいぶかしげに眉を寄せる。
彼の恋人は、口元を押さえて、懸命に笑いをこらえようとしていた。
「ごめ……、でも、ブラッド………」
ひく、と喉を引きつらせて、ショーンは切れ切れに言った。目元には涙まで浮かんでいる。
「何だよ、何だってんだ?」
当然ながら、そんな風に笑われる心当たりは全然なくて、ちょっとばかり不機嫌になってブラッドが問い詰めた。
「……ント」
「え?」
「レモン、ミント」
「レモン…ミント?」
なんだそれは。
ひょっとしてこの暑さで脳が溶けたんじゃなかろうか、とブラッドが心配そうな顔をした。
ひーひーと息を切らして、涙を拭くと、ショーンはようやっときちんとしたセンテンスを作り上げた。
「君、さっきミント食べただろう。キスが……」
レモンミント味だった、とショーンは再び爆笑した。
言われてみれば、ついさきほど、ミントのタブレットを口にいれたばかりだ。
事情がわかって、ブラッドも笑い出した。
「レモンミント味のキスだって? そんなロマンティックな話は聞いたことないな!」
「まったくだ。感動で涙が出てきたよ」
さすがはブラッド・ピット、とショーンはまだ笑っている。
「君のファンの子たちに報告してあげなきゃ。『ブラッドのキスはミント味』だって」
「──ま、別にいいけどさ」
あっさりと承諾して、ブラッドはショーンの腰を抱き寄せた。
「注意書きは添えておいてもらわないと」
「何て?」
「『ただし、ショーン・ビーン専用』」

二度目のキスは、もうミントの香りはしなかった。


それからしばらくの間、ショーンはキスの前にブラッドの口元ですん、と匂いを嗅ぐのがクセになり、恋人がそんなクセを身につけてしまったものだから、ブラッドはいつもポケットにミントを入れて置くのがクセになった。

そんなこと、とても、他人には聞かせられた話じゃないけれども。


初めてのキスを覚えている、なんて言ったら、
いい年をしてなんてロマンティストなのかと笑われてしまうだろうけれど。

レモンミント味のキスなんて、そうそう忘れることはできない、だろ?



END
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2005.02.16
セレブに人気の「●ント●ント」、BPさんもお気に入りだとか聞いたので、ふと。
ほんとうはバレンタインを口実にアップするつもりだったんですが…(笑)。