| NUISANCE |
| 「……ブラッド?」 「入って」 ギリギリのスペースだけしか開いてない扉の間を、ぐいと引かれてショーンは部屋へ滑り込んだ。人目をはばかるような慌ただしさでドアが閉じられる。 こんなふうにこそこそしたブラッドを見るのは初めてで、ショーンは思わず左右を見渡した。 自然に声もちいさくなる。 「──どうした、ブラッド?」 「あー、その…予定外の客がね」 「客? あ……それなら私は……」 帰るよ、と言いかけた腕をつかまれる。 「違う、違う。そういうんじゃないんだ。──いいからこっち来て。紹介する」 「紹介?」 引かれるままに部屋を進むと、豪奢なじゅうたんの上に『予定外の客』が座を占めているのが目に入った。 「…………えーと」 「紹介するよ。俺の新しい家族……になる予定の」 「わふ」 『彼』はいたって愛想良く、長い尻尾をぱさりを揺らして挨拶をした。 なるほど、あの必要最低限の入口は、万が一にも彼を逃さないためのものだったのか、とショーンは理解した。 *** 「そうか、君が拾ったって犬だね」 「今日、一足先に送る予定だったんだけどさ」 どっかで手違いがあったみたいで、とブラッドはさまになるしぐさで肩をすくめた。 「明日に延期?」 「そう」 「ラッキーだな、お前。おかげでこんなところに泊まれたぞ」 笑いながらショーンがあごの下を撫でてやると、P家の新しい家族は気持ち良さ気に目を細めた。ゆったりとしたリズムで振られる尾が、彼の心境を表している。 クリーム色の被毛の中にショーンの指が見え隠れするのを、ブラッドはすこしばかり複雑な気持ちで見つめていた。 数多い捨て犬の中から彼を選んだのは、相性とタイミングだ。おおむねその勘は当っていたと思う。 けれど。 野良の割に人懐こい犬ではあったが、ショーンがソファに腰掛けたとたん、当然のようにその足元に陣取らなくてもいいだろう。 いくら相性が良くても、好みのタイプが似ていることまでは予定に入ってない、とブラッドは思った。 「ショーン、あんたって」 「何?」 「動物に好かれるタイプなのか?」 「え? いやあ、特にそんなこともないと思うけど。こいつが懐こいんじゃないかな」 なあ、お前、と笑顔まで向けるから、ブラッドはむすりと唇を結んだ。 くだらない、と自分でも思うけれど。 自分といるときに、ショーンが自分以外に関心を持ちっぱなしなのはやっぱり嬉しいことじゃない。 とりあえず、百歩譲って、シェフィールドに関することだけは、大目に見ることにはしているけれども。 というより、大目に見ることにしているのに、というのがブラッドの正直な意見だ。 俺だけを見てろ、と、言葉にするのは簡単で、たぶん、今までの相手ならそんな自分勝手な理屈も魅力だと受け止めてくれたに違いないし、当然、それだけの自信もあった。 でも今は、とてもそんなことを言い切るだけの勇気はない。 意地も張るし我も通すけれど、公平に見て分が悪いのは自分のほうだと、本当は認めている。 あのブラッド・ピットが! ……と、イエローペーパーの記事を読むつもりで、他人事のように考えた。 現に今だって、こんなふうに犬をはさんでのんきな会話をかわしたくて、ショーンを呼んだのではないのに。 そんな恋人の心持ちなどまったく知らぬ顔で、ショーンは優しい顔で微笑んだ。 「ブラッドは優しいなあ」 「あ? どこが?」 「こうやって野良犬を拾ってやったりするところ」 マルタ島の野良犬の多さに、ブラッドはずいぶんと驚いていたが、そのうちの一匹を拾ってしまったことには周りの方が驚いた。 「……気まぐれだよ」 「そうかもしれないけど」 それでも、とショーンは言った。 こんなとき、ショーンはすこし大人の顔をする。それは、自分が忘れてしまった心を子どもの中に見つけて静かに感動するような、大人の顔だ。 自分だってくだらないことにはしゃいで大笑いしたり、他人には無価値に見えることに熱くなって周りが見えなくなったりするくせに。 「一匹や二匹拾ったところで、何が変わるわけでもないし」 「ブラッド、君は救世主になりたいのか? いくらブラッド・ピットでも、島中の捨て犬を拾って回るわけにはいかないよ」 いや、もしかしたら、やろうと思えばできるのかもしれないけれど。 「君が、犬の世話にすべての時間を使うような羽目になったら、世界中の女性が泣く」 別にそれはどうでもいいけど、と正直に答えたら、「今のはオフレコだな」とショーンが、きれいな指を唇に当てた。 本当にそんなことはどうでもいい。でも、目の前の人が涙を見せるというのなら、それはちょっと興味があるけれど。 「あんたは? 泣いてくれる?」 まさか、と簡単に切り捨てて、ショーンは笑った。 「むしろ、私は泡だらけで犬を洗ってたり、両手いっぱいの犬を散歩させてる君を見たいね」 そう言われてブラッドは、家中を埋め尽くす犬の群れを追い回している自分の姿を想像してしまった。 ……あまり見たくはない光景だ。 ジーザス、とずるずるソファからずりおちる。 絶対しない、と言えば、そうだろうなあ、とのんびりした返事が返ってきた。 ショーンが与える空気はいつだって平和的で、やたらとアットホームだ。 ホテルの部屋で、不埒な目的を持っている恋人が目の前にいるのに、犬なんか抱えて安全そうに笑っている。このままでは平和にコーヒーなんか飲んで部屋へ帰ってしまうんじゃないかと心配になる。 もちろん、そんなことさせやしないけれど。 「──まあ、人間に飼われてる方が幸せだ、ってのも人間のエゴかも知れないし」 「うーん、まあ、そりゃそうだけど」 でもブラッド、とショーンは犬の頭をなでた。 「すくなくともこいつは君に感謝してると思うよ」 私なら、そうするな。 「マルタ島で日向ぼっこも楽しいかもしれないけど、ブラッド・ピットに飼ってもらう方がずっと気楽でよさそうだ」 それは、ものぐさで、ある意味ショーンらしい言い草だったけれど、いかがわしい欲望でもって自分たちが恋人同士であることをどうやって思いださせればいいだろう、と考えていたブラッドの耳には、とてつもなく淫靡に響いた。 なるほど、それはとても魅力的だ。 「ああ、それはいいな」 「何が?」 とりあえず、と触れ合った唇を、ショーンはおとなしく受け入れた。 腕にはまだ、犬が収まっている。 細くはないのに、繊細に見える首筋に指先で触れた。 「今度プレゼントしようか?」 「何を?」 「この首に似合う首輪」 くすくすと笑うブラッドに、年上の恋人はひどく冷たい視線を向けた。 そんな顔をすると、ショーンはとてもクールで迫力がある。なるほど、悪役俳優の名は伊達ではないと思うけれど。 「くだらないことを言う」 「だって、あんたが言ったんじゃないか。俺に飼われてくれるんだろう?」 贅沢させるよ、ダーリン、とショーンの身体を抱きしめた。 二人にはさまれて、犬がきゃん、と細く鳴いた。 「あ、ごめん」 ショーンが腕をゆるめると、大きな生物はするりと抜け出して安全な場所に避難した。 自分の身体はすでに半分、ブラッドの下にいる。 三人掛けのソファは、たっぷり余裕をもって作られてはいたけれど、当然ながら大の男二人が絡み合うようにはできていないから、あっちもこっちもぶつかって狭い。 まったく、二人して脚をはみ出させて、何をやっているやら。 「何色がいいんだ? 黒? 赤? ダークグリーンはどうかな」 ショーンは色が白いから濃い色が映えそうだ、と、二割くらいは本気の混じった声で言うから、長く伸ばした金髪を後ろ側からひっぱってやった。 「……君にそんな趣味があったなんて聞いてない」 「試してみたら、あんがい燃えるかもしれない」 「そういうことをしたいなら、他の相手をどうぞ」 言ってる間にも、ブラッドの手はどんどんとボタンを外していく。唇は手の後を追って、痕を残さないぎりぎりの強さで肌を吸い上げた。 考えてみれば、ショーンだって最初はそのつもりで来たのだから、こばむだけの理由もない。 人目を忍んで慌ただしく抱きあうティーンエイジャーみたいに、ソファに押しつけられてキスを受けた。 何もこんなところで、とどちらも思いはしたけれど、今さら止まるタイミングがわからない。口付けはかんたんに深いものに変わり、ショーンはソファからはみ出た脚のことも忘れた。 そうして、腕を伸ばしてさらに強く抱きあおうとしたところで、ふと、視線を感じた。 「わふ」 行儀良く「おすわり」をした犬は、器用な尻尾をぱさりぱさりと振りながら、真っ黒な瞳に純粋な好奇心を乗せて、ソファに重なる人間二人を見つめていた。 *** 「────鳴いてるよ、ブラッド」 「これ以上妥協する気はない」 「なんかあれだな、子どものいる夫婦みたいじゃないか?」 「もったことがないから知らない」 とりつくしまもなく、そういい捨てたブラッドだったが、ショーンの言いたいことは正確にわかる気がした。 寝室のドアの向こうでは、置いてけぼりをくらった犬が、くんくんと悲しげに鼻を鳴らしている。 別に悪いことは何もしてないはずなのに、すこしばかり、良心がとがめる気がするのは何故なんだろう。 せっかく、なしくずしになるようになりそうだった空気が、無邪気な観客のおかげで、一気に霧散してしまった。何もわからないとは言いながら、そんな最前列でしげしげと注目されたのでは、まさかにことを進めるわけにもいかない。 それじゃ、とベッドルームに移れば、扉の外でうろうろとして、新しいあるじと、その恋人(という認識はないだろうけれども)を慕わしく呼ぶから、どうにも盛り上がりかねている。 「……ちょっと可哀想な気がするね」 「俺の方が可哀想だ」 笑おうとしたショーンは、そこに存外真面目な表情を見つけて、すこし考えた後、ブラッドの鼻の頭にキスしてやった。 それはまるきり子どもをあやすしぐさで、ブラッドの望んでいるようなセクシーな空気はかけらもない。 自慢じゃないが、ベッドの上で半裸になった恋人から、鼻先にキスされたことなんて一度だってなかった。これからも、ショーン以外には存在しないだろう。 ああもう、と起き上がったブラッドの背中をショーンは小首をかしげて見送った。 「──何したんだ?」 しばらくして帰ってくると、もう鳴き声は聞こえなかった。 「ミルクをやって来た」 「ああ」 やっぱり子どもと同じだね、とショーンは言った。 「飲み終わったらまた騒ぐかも」 「絶対大丈夫」 「何で。まさか睡眠薬でも入れてきたんじゃないだろうね」 ブラッドがあまりに自信たっぷりだったので、念のためにと確認してみる。 当然ながら、そんなことするか、と嫌な顔をされた。 「ごめん、冗談だよ。でもじゃあどうして?」 「たぶん、あんたの声で聞こえないだろうと思ってね」 「!」 飛んできた枕をひょい、とかわして、ブラッドは今度こそ恋人を組み伏せた。 固く結んだ唇の奥で、ん、ん、と押し殺された声があがる。 そむけた顔をシーツに押し付けて、強く目を閉じたショーンは、何としても声を出すまいと意地になっているらしい。 きれいな半月を描く薄い唇も、柔らかな笑みを浮かべる目元も、今は淡い薔薇色に染まって、彼の感じている快感をちゃんと伝えているというのに。 「ショーン、声」 出して、とすこし下手に出て、ブラッドは言った。 ショーンが快楽を素直に表してくれるのが好きだ。 甘く抜ける嬌声や、背中に回された震える指先や、腰に絡みつく長い脚や、そう言ったもの。 理由の大半は、そういう恋人の媚態の艶やかさにあるけれども、それだけでもなかった。 初めの頃、ずいぶんとショーンに無理をさせていたから、実はそれがすこしばかり負い目になっている。 まあ、ブラッドだって痛い目はみたけれど、ショーンの味わった苦痛に比べればもののかずにもなりはしない。 征服して終わりの関係なら気にもならないことが、ひとつひとつ意味を持ってくる。 それだから自分の方が分が悪い、とブラッドは思っていた。 「ショーン」 緩く開いた唇に、ついばむようなキスをする。 困ったように眉を寄せてから、ショーンがうっすらと目を開けた。平時なら剣呑にも見える目つきが、今は誘っているようにしか見えない。 許されることを前提にして、ブラッドの青い瞳が許しを請うた。 そうやっていつでも我がままが通ると思うなよ、と年下の恋人にいつか必ず言ってやろう、と思いながら、ショーンは甘えた謝罪を受け入れた。 一度堰を切ってしまえば、意地も理性も快楽の前に、簡単に押し流される。ブラッドの触れる個所触れる個所が、次々と雫になってこぼれだしてしまう気がした。 さんざんに追い上げられたショーンのペニスは、解放を求めて震えている。 「ブラッド……もう、早く……」 泳ぐようなしぐさで白い腕がシーツをかきわけ、どこか丸い印象の身体がうねった。うつぶせにして膝を立てさせると、滑らかな背中が波打つように上下する。まっすぐに通った脊椎のくぼみに唇でふれると、枕に押しつけた頭がちいさく揺れた。 「ん…………」 潤滑剤と指で慣らされた秘所は、ふっくらと赤く充血してブラッドの熱を待っている。そのくぼみに猛りをあてがえば、従順に彼を受け入れた。 「あ……、あ、ブラッド……」 爪の先で布をかく、ぱりぱりと軽い音がする。ショーンは、主演俳優の肌に傷をつけることをおそれて、けっして向かい合って身体をかわそうとしなかった。 だって君、服で隠れるところもないんだから、と笑うから、撮影が終わったら覚えてろ、とブラッドは中指を立ててみせた。 「あ……っ、あ、ん、あ……っ」 せわしない悲鳴は、半分ほどは柔らかな羽毛に吸い取られ、くぐもった声になった。 折りたたんだ腕を外側から抱き込んで、指を絡める。 「ショーン」 耳元で名前を呼べば、不自由そうに首を曲げて、顔をあげる。 は、は、と短く吐息を漏らす唇に、覆いかぶさるようにキスをした。 *** ふっと目を開けて、ブラッドは自分が眠っていたことに気がついた。 慌ただしく引いたカーテンは光を遮断しそこねていて、その明るさからさっするに、それほど長い眠りではなかったらしい。 眩しさに目をすがめて、ブラッドは手探りで隣にいるはずの温もりを探した。 指先はすぐに柔らかな髪の毛にたどりついたのに、どこまで滑らせても、肌の部分に行き当たらなくて、ブラッドは不審気に片目を開けた。 「あ?」 「わふ」 ぱさりと尻尾がベッドを叩く。 我が物顔でブラッドとショーンの間に寝そべっているのは、部屋の外に置き去りにしたはずの愛犬(現在のところ未来形)だった。 「起きたのか」 その向こう側からショーンの笑顔が現れた。肩にかけたタオルで、しきりに髪をぬぐうしぐさを繰り返しながら、だ。ブラッドは不機嫌を隠さずにクリーム色の物体を指差した。 「──何でこいつがここにいる」 「シャワーを浴びようと思ってドアを開けたら、そこにいたんだ。理由もないのに閉め出すのも可哀想かと思って」 悪気のない顔で言われてしまうと、苦情の持って行きようもないけれども。 だからって何もわざわざ間に寝かせることはないだろう。 しかし、そのことを論議するのも面倒で、ブラッドはとりあえず犬をベッドから追いだした。 どうにも今日は犬に祟られている気がする。 情事の後の目覚めを犬と迎えなくてはならない理由なんか、全然思いつかないのだけれども。 「ショーン」 ぽんぽんとベッドを叩いて恋人を呼び寄せる。 どうした? と相変わらず罪のない様子で訊ねてくるショーンの膝に頭を乗せた。 「ブラッド?」 「古代ギリシアでは」 「……うん?」 「思う相手に関係をせまるとき、贈り物をしたらしい。鶏とか、牡鹿とか、犬とか」 「──へえ」 でも、とブラッドはきっぱりと言った。 「あんたに犬を贈るのは絶対にやめておく」 鹿でも鶏でも猫でも象でも、何なら蛇でもいい。ともかく、自分たちの邪魔をしない生物にしよう。 「そうだなあ」 ショーンは、すこし考えるしぐさで首をかしげて、突然そんなことを言いだした年下の恋人を見下ろした。 そうして、甘い、カスタードクリームみたいな笑顔を浮かべて、 「今、私はライオン一頭で手いっぱいみたいだから、他の生物をもらっても、手が回らないと思うよ」 と言った。 それから、やっぱり子どもにするようにブラッドの額にキスをした。 終わり |
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| 2005.01.09発行/2007.10.03再録 |