フン、フフン、楽しいな

− '98.8〜12月分 -

何が釣れるかなぁ?

1998年 12月 21日 ”冬がはじまるよ”

かしい歌の題名のなぞらえてみたのだが、 冬のはじまりである。

、夏、秋と自分なりの季節の変わり目を書いてきたが、 冬には特にこれというものがないのである。 強いて言えば、会社帰りの駅のホームで心に浸み入る寒さを感じた時 等であるが、これもその時の心の状態に左右されることが多いので あまりこれという感じはしない。冬があまり好きでないことにも起因しているのかも知れない。 と言うことで冬の変わり目は特に無しって所にしておこう。 まっ、それもまたいいでしょう。

も、変わり目は特に感じないのに、 もう既に冬だと言うことは感じるんだよね。 知らぬ間に冬は来ていると言うことで終わりにしましょう。(^^;

心にあったかいものを感じない冬はじっと冬眠。

1998年 11月 19日 ”夜空を翔るものたち”

し座流星群、期待通りには行かなかったようだ。 まぁ、過去の記録を見てみた限りでは運が良くてもごく限られた範囲でしか 流星雨に遭遇しないようだったので、私はそれほど期待してはいなかった。

も、まぁせっかくだし、 一応12時過ぎだったか私も夜中に外に出てみた。 空を見上げると11月にしては暖かい日が続いていたせいか、澄み切った夜空とは言えず 「こりゃー、ここでは見えないな」と言う感じ。 休日ならどっかまで見に行ったかも知れないが、 家の周りを1周して外で見るのはサクッとあきらめた。

こでネットの生中継カメラで見てやろうとしたのだが、 なかなか繋がらない。繋がってもオリオン座が_(・・)φジーッと写っているだけなので、 1−2時間見て寝てしまった。 収穫はと言うと、1個だけ流星らしきものが写っていた。まっ、良しとするか。 過去の記録から言えば、彗星の通った1,2年後に流星雨が観測されていること もあるので来年に期待しましょう。
最後に一つ気になったこと。流星痕って何なんだ?。 どういった仕組みなのだろうか?。不思議だ。

こで、 時を20年近くさかのぼる
小学校の3−4年ぐらいだったろうか?。 夏に千葉の館山のどこかにホタル狩りに行った。 そこは田んぼで明かりがほとんどないのだが、 見渡す限りのホタルの光。 思わず見とれてしまうほどの光景だった。 今思い返すととても貴重な場所のような気がする。場所はよく覚えていないのだが、 今もあるのだろうか?。

こでしばらくホタルを捕っていると、 空の向こうから何かが飛んできた。

「んっ!」×っ!?」「あ、あれは何?」

瞬自分の目を疑った。映画に出てくるような、 赤い炎に包まれたほぼ丸い隕石のようなもの。
比較対象がないのでよく分からないが、かなりでかい。 表面が見えるんじゃないかってくらいでかい。 それが一直線に空を横切っていった。 流れ星とかそんなものでは絶対にない。 岩の固まりのようなものに見えた。 スピードはかなりゆっくりだったと思う。 18年から20年も前のことなので定かではないのだが、 地表に平行にずっと遠くから飛んできて、目の前を通って反対側に飛んでいく間で 10秒ぐらいはあった気がする。 次の日に新聞や何かを見ても全く触れられていなかった。 未だに謎だ。何だったんだろうか?。 今だったら気象庁とかにかけて聞いてみるのに。
その夏の宿題の絵日記にそのことを書いたのだが、 誰一人信じてくれなかった。 とても悲しかった。
絵日記が残っていれば、日付から調べることもできたかも知れないのに残念だ。

はすでに亡くなり妹はその時車で寝ていたので、それを見た記憶のあるのは 私と母だけ。一緒に行った父の友人家族は覚えているのだろうか?。 今はあまりつき合いがないのでその辺は不明である。

れは本当の話。情報が不足しすぎだが、もし知っているがいたら教えてください。

1998年 11月 16日 ”世界のどこかで”

波少年で 朋友のゴールを見た。
最近はあまり見る機会がなくアフリカ辺りまでの印象しかなかったのだが、 最後というので見てみた。 何だかんだと言っても毎週無事が伝えられて世界を旅できるのだからいいよな。 何て気軽に思ったりもする。仕事とかの問題がなければ 俺もぜひやってみたい と言って、いきなりやれと言われると躊躇してしまうかも知れないが。

ころで、俺の友達も今、世界中をふらふらと放浪している。 タイに行って、ずーっとアジアを抜けてイギリス、何故かアフリカあたり、 そしてイスラエル。とあちこちを放浪しているようだ。 タイに行くとは聞いていたが、奴は誰にも出発日を言わずに旅に出た。
最初は「おまえは猿岩石か?」とも思ったが、かれこれ もう2年近くにもなる。
朋友の旅が始まった頃はちょうどアフリカにいたはずなので、 どっかで逢ったりしないかとも思ったけど、そんな偶然はなかったようだ。

初の頃、他の友達から伝え聞いたのだが、本人は 「つらいよ。でも何も考えずに済むからいい。」 と言っていたそうだ。ときどき私はこの言葉を思い出し、ちょっと考えてしまう。

して今はどこにいるのだろうか?。
何を求め、いつ帰ってくるのかは本人にも分からないのだろう。
朋友のゴールを見て、ふと思い出した。

界のどこかで...元気でな。

1998年 10月 31日 ”世界の中心にあるもの”

界の中心にあるものは何か?、を私なりに考えてみた。

ず、世界とはなんだろうか?。
界とはすべての国々?、地球?、宇宙全体?、それとも...。

Bookshelfで調べてみると、

  • 「世」は過去・現在・未来の三世、「界」は東西南北上下の意)仏語。 衆生が住む時間と空間との全体をいう。
  • 人間関係をもって成立している、ある範囲の場所。
  • あたり一帯。そこらじゅう。
  • 同一種類のものの集まり。職業、世代、専門分野などで、ある種の共通点をもつ人が形成する社会。また、共通性をもつ動物が形成する社会。
  • 文学など、ある創作物が作りあげている、全体の場。また、創作者に関する観念の全体像。
  • 相互作用によって結びつけられているすべての事物や過程を含む全体、理念としての宇宙。認識論では、客観的感性界、概念的に構成された機械的世界、心理的世界、直接体験の世界などを含む全体。
などといろいろとある。

の人は宇宙や地球と言ったものは知らなかったはずだ。当然、星や太陽は知っていただろうが、 それは地球を中心に回っているとか、地上は平坦で天井に張り付いているとか、 はたまた幾重にも重なった亀の上に平らな地面がある、とか。 このようにその時代、その地域、信仰する宗教等の違いにより 様々な世界像が描かれていたし、 おそらく大部分の人がそれを信じていた。 一部の新しい学説などを考えたり、星の運動を観測していた人以外は。

となっては子供でも知っていること。 地球は丸いとか太陽を中心に地球などの惑星が公転運動をしていること などを知っている人は一人もいない時代も存在したのである。 その当時の世界とは現在の人々の多くの人が考えている世界とは 明らかに違っていたのだ。

だ、地球上の国々の すべての場所に行ったことのある人など一人もいない。ましてや宇宙なんて。 大部分は情報として知っているだけなのだ。 たとえそれが嘘だとしても...。 本当は地球は丸くはない。そう教えられているだけ。といったようなことも十分にあり得るのだ。 ちょっと大げさかも知れないが、事実そういった情報操作は日常にあふれている。

すると、 世界とは人々が情報として知っている空間的、時間的な範囲。 うまい言葉が見つからないが取り敢えずこういった定義ができると思う。 それは一人一人が創り出す世界であり、一般的な意味では複数の人々の創りだした世界の集合体の共通部分(積)もしくは全体(和)とも言える。
現在の世界とは、狭義では地球上の国々、広義では宇宙全体から天国や地獄のような精神的なもの、過去や未来などの時間的な広がりまで含むかも知れない。

う、私の考えはおわかりだろう。
世界の中心にあるものは...自分自身
広い意味では自分の知らない世界の人々も含む(人には限らないが)とも考えられるが、あくまでそれも一般的にはそうだと知っている自分が創り出した考えに過ぎない。中心とは何かということもあるが、ここでは物理的な中心ではなく、この世界を創り出す大本という意味に定義しておく。

「世界観が変わった」 などという人もいるが、まさにそういうこと。 世界とは人の経験上の知識、新しい発見、学説などでも変わるものなのだ。
「世界は自分を中心に回っている」 と我が儘な人に言ったりするが、それはある意味、的を得ているのである。

カルトのコギトエルゴスム(「我思う、故に我あり」と訳される。)になぞらえて、

「我思う、故にこの世界あり。」

なのである。 私のわがままな考えだろうか?。

1998年 10月 23日 ”目に映るもの”

目の見えないかわいい女性が不細工だが心優しいおっさんの心の美しさに惚れる。が、角膜の移植手術をして目が見えるようになると見てくれの良い若い男のもとに走っていってしまう。目が見えるようになって本当の価値が見えなくなってしまったというお話。昨日見たドラマのシナリオなのだが、まぁ割とありがちな話。ただドラマにしては最後の逆転の救いがないのが多少脚本家の色を出してみたと言うところか。そう、現実はドラマよりもドラマチックで最後の救いなどと言うものはないことの方が多いのである。

ちょっと話がそれてしまったが、このドラマの設定では目の見えない女性はかなり小さな頃から(生まれたときから?)目が見えなかったようだ。そうすると疑問が残る。この手の設定のドラマを見たときにいつも思うことなのだが、 ものの美しさの基準はどこからくるのか?。 それは多分に育った環境、つまり国、民族、時代などの後天的な影響を受けていると私は考える。とすると、物心つかない頃だけに見たものの記憶だけしかない人、ましてや生まれてから一度も目が見えなかった人が一般の人と同じ価値観を持ち得るのだろうか?。耳で聞いて、手で触っていただけで目で見たのと同じ認識を持てるとはとても思えない。 漠然とかっこいいとか、鼻筋が通っているとかそういったことが目や鼻を見たこともない人が目で見たときの認識と同じ認識を持てるはずがない。おそらく、それまでに触ったりはしてたけども鼻とはこういう形をしたものなのかと初めて見たときには思うに違いない。 ましてや、生まれて初めて自分の顔を見たのに「自分が美人で良かった」とウットリするなんてナンセンスだね。「百聞は一見にしかず」と言われるように、目で見る情報量(脳に伝達される刺激)というものはかなり多い(強い)ので、顔などは思っていたよりも複雑な形をしていてきれいだなんて思えない可能性の方が高い気がする。これは完全に私見ではあるが。

こういう話を聞いたことがある。生まれてからずっと目が見えなかった人が手術により目が見えるようになった。ふと病室の窓から下を見ると、ここは(例えば)3階なので小さく人や車が見える。普通の人にはごく当たり前の風景なのだが、その人にはそれがすぐそこにある小さなものだと思いこみ手で触ろうとした。(「そこに地面があると勘違いして窓から外に出ようとした」だったかもしれない。記憶が不鮮明。(^^;)) 生まれてからずっと目が見えていた人は子供だって間違ってもそんな風には思わない。遠近感とかそういうものが話には聞いていても分からないのである。目に映っているものは同じはずなのに...

また、昔、赤緑色盲の友人に聞いたことがある。赤と緑が同じに見えると言うのだけれども、赤が緑に見えるのか?緑が赤に見えるのか?。質問したとたんに愚問だったと気づいた。生まれてこの方ずっと同じに見えてきたから、どっちがどうなんてわからんに決まっているのだ。これに関しては後天的に色盲になった人に聞いてみないと分からないだろう。人によって違うかもしれないが。もしかしたらどちらとも違う色に見えるのかもしれない。

単純に色や形などでもこの有様なのに、一般の人と同じ”美しさ”の価値観を始めから持っている可能性は低いだろう。さっきも書いたが、国、民族、時代などによって美しさの一般的な価値観は違っている。当然個人差もあるが。これはこの”美しさ”の基準は後天的に決められることの証ではないのだろうか?。 これは”美しさ”に限らず、目に映るものすべてに対するあらゆる価値観に当てはまるだろう。

私には平安美人は美人には見えない。

1998年 10月 15日 ”再挑戦”

昨日の晩、風呂を沸かした。
最初にチェックしたときはちょっとぬるめだった。
ぬるめの風呂は好きなので、そこで止めてもよかったのだが、あとちょっととか思ってしまった。

テレビドラマを見ながらだったので案の定?と言うかやっぱりというか、沸かしすぎた。
2時間もほったらかしにしてしまったので、 沸騰するかと思うぐらいに熱い
仕方なく水をチョロチョロと出して、蓋を開けておいた。
当分冷めそうにないので、ネットに繋いでいたら運悪く友達とチャットが始まってしまった。 1時間半ぐらい。(^^;

風呂のお湯は完全に、非の打ち所のないくらいに に戻ってしまっていた。
あの今にも沸騰しそうなお湯はどこへ?。
満タンになった冷水を見ながらしばしボーゼン。_(・・)φ ボー
このとき、既に夜2時過ぎ。
仕方なく、シャワーだけで済ませた。

今日も風呂を沸かした。
またドラマを見ながらだったのだが、今日は成功。

「フッ・・・、2度も同じミスするかよ。」

と思いつつも、実はよくあることだったりする。

これから、風呂にはいる。
昨日のことを考えると、感慨深いなぁ。 うんうん。(;_;)

1998年 9月 30日 ”河原を眺めて...”

今日はいろいろあって、早く会社から帰宅することになった。

帰りの公園には子供たちがたくさん遊んでいる。
「へぇ、こんなに子供がいたんだ。」
いつもの帰りの時間には見られない光景。

帰りの電車の中、なんとなく途中下車したくなった。
あそこにでも行くか。時々、ボーっとしたくなる時に行っていた場所。
最近は行っていなかったが、乗換駅の”にこたま”で降りる。

マンガを読みながら、ボーっと煙草を吸っていた。
空は曇りで灰色
川は一時期よりは水かさも引いたが、水量も多く、流れきつめ、
一見不規則に、それでいて一定のリズムを持って、 若干緑っぽい灰色やや澄んだ色の部分が混じり合う。

おいらの心と同じ色。

1998年 9月 28日 ”何かと話題の相撲のこと”

まず、はじめに断っておくと私は昔から貴乃花のファンである。
ただ相撲についてはそれほどに詳しいわけではない。

原因や真相については当事者以外はわかるはずもないので、置いておくとして 現時点で、貴乃花より上の相撲が取れるものはいないと思う。 たまに言い過ぎかなって気はしたけど、別に犯罪を犯しているわけでもないんだから 相撲のことは相撲で判断したいと思う。 その点で貴乃花より上のものは思い当たらない。 実力も稽古量も純粋な相撲に対する姿勢も 一番だろう。特に四股がすばらしい。 あれほどの四股を踏める力士はそうそういない。 別に勝負の世界なんだから(に限らなくても?)、親兄弟と仲良くやりましょう なんてのは無くて良いと思う。だいたい親を親方、女将さんとしてる時点で 相撲の世界自体がそう言う世界なんじゃないのかな?。多少ガキっぽいとこもあるけど。

何となくなのだが、貴乃花の気持ちはわかる気がする。
純粋に努力して、実力も申し分ないのになんとなく理不尽な目に遭っていると言うこと もあるんだろう。横綱昇進を見送られたときは正直私もビックリした。 実力の世界なのに若いとかそう言うのは関係ないと思うけど。 年取ったら、(特に相撲では)体の調子が悪くなることだって十分あることだし、 全盛期がその時だけと言うこともある。この辺も長年の実績だとか実力主義ではないね。 そのくせ、前1年とか長期の実績に関わらず、2場所連続優勝だけで決める理不尽さ。 前例から言っても立派な成績だったし、年間半分ぐらい優勝していた力士なんて 歴代の横綱でもそうそういないでしょう。まぁ、そのことだけじゃないけど...。

若乃花ファンが多いのは相撲の実力もさることながら人柄とかの影響の方が大きいと思う。 いかにも日本人的で実力主義を嫌う傾向がある気がする。 その実力が突出していると尚更に。 別にそれも全く悪いとは言わないが、個人的にはもう少し実力主義でもいい気がする。 ちなみに私は若乃花もわりと好きだ。あのセンスとしなやかで粘りのある体を生かした 相撲は貴乃花とはまた違った良さがあると思う。

とりあえず、貴乃花優勝ってのは私的には満足。だけど13勝2敗というのは 最低限ぎりぎりのラインだったな。 私の基準では相手がどうあれ、横綱なら13勝が最低限、大関なら11勝は欲しい。 貴乃花も全般的には強いけど、見ていて絶対負けないと言う気はなかなかしない。 そう言う意味では他の横綱、大関は不甲斐ないね
千代の富士とかの全盛頃は、 (小錦以外には)見ていても負ける気はしなかったし、

  • 15勝全勝でさすがだね。
  • 14勝でまぁまぁ(これでも優勝できなかったことも結構あった気がする)
  • 13勝だと調子悪いね。
って気がした。千代の富士が出ない場所は全然興味なかったもんな。 寺尾は好きだったけど。 (私が発見したのだが高校の物理の先生が笑っちゃうくらいそっくりだった、 白衣でスポーツサイクルでやってくる&雨の日は長靴&なぜか餃子会なるものをひらく &とってもわかりやすい授業、お元気ですか?)

何はともあれ、人気衰退気味の相撲会にとっても良い話題だったんじゃない?。
そういう私も相撲に注目したのは数場所ぶりである。

まだまだ、がんばって欲しいぞ、貴乃花!!。

P.S. 千代大海もなかなかよいぞ。

1998年 9月 23日 ”台風一過”

ここのところ、台風が連続してやってきている。 この間は朝からどしゃ降りにあって、頭と胸以外はずぶ濡れになってしまった。 被害にあった方には申し訳ないが、

「私は台風が好きだ!!」 ただし、雨の降らない奴が。

滅多にお目にかかることはないのだが、雨の降らない台風が来ると、
木の葉が舞い、突風が駆け抜ける、飛んでくる看板をかわすスリル。(^^;)
風がビュービューと音を立て、建物がきしむと w(゜o゜)w オオー!っとゾクゾクする。
基本的に風の強い日は大好きなのだ。 雲がどんどん流れていく様子は見ているだけで飽きることはない。

「吹けよ風、呼べよ嵐!!、うっはっはっはっはっはー」 (<-- こわい?)
と言う気分になる。もちろん声には出さないが...。

雨の降る台風は基本的には嫌い。濡れるから。
ただ、台風一過の澄み渡った 青空にはハッとさせられる。

1998年 9月 15日 ”秋の気配”

たまたま春、夏と書いてきたので、恒例のシリーズとして 私が秋の始まりを感じるのはどんなときか?。

実は今まで特別に意識したことはなかったのだが、 私が秋の気配を感じたのは

”コオロギの鳴き声”かな。

鈴虫ではない。コオロギである。 単純に家のそばにいるという話(昔、大量に捕まえて庭に放した)もあるが、 鈴虫のちょっと耳障りな甲高い鳴き声でなく 若干低音の鳴き声(正確には羽を擦る音だが...)が心和ませる。 (決してコオロギ’75では無い。(^^;))

夜中にぬるめの風呂にゆっくりと浸かりながら、コオロギの鳴き声に耳を傾ける。
安らぎのひととき。

1998年 9月 6日 ”昔の友達”<-- ('98.9.15 追記)

9/3のNHK番組”青春探検”という番組で”アジアで活躍する日本人” みたいな趣旨で香港でスタントマンとして活躍する日本人を紹介していた。

お察しの良い方は気づいてると思うけど、なんと私の小学校時代の友達、 当時の通称”谷(たに)”である。 前にも何かの番組に出たという噂を聞いたことがあったが実際に見たのは初めてだった。 「ドラゴン危機一髪’97」とか50本ぐらいに出たことがあるそうだ。 もちろんスタントマン中心なので顔などはほとんど出てないと思うのだが、 香港返還の祭典でジャッキーチェンと同じ舞台にも立っていたそうだ。 最初に聞いたときはリーリンチェイの映画で悪役で出てると聞いた。すごいな。

ただ、小中学校の頃の顔しか知らないので最初にテレビで見たときは 誰だこいつ?とか思ったのだが、 見ているとやっぱり谷らしさが随所に現れていて、大げさな動きや何かは昔とちっとも変わってない。 谷のことを思い出している内にその当時の自分のことも思い出してきたので 以下にちょっと書いてみた。

谷とは小学校の後半同じクラスで、出席番号も私の次で一緒によく遊んだ(連れ回した?)友達である。 小学校の頃、近くの児童センターで一緒に前転、バック転などの練習をしていたものだ。 今の谷があるのも、その頃の練習のたまものだろう。 ちなみに私は自分には向かないと思ったので前宙(マット有)までで止めて卓球をやっていた。

昔からプロレス(特にタイガーマスク)とかジャッキーチェンとかが好きだったようだが まさか本当にその道に行くとはね。谷からもらったジャッキーチェンの映画チラシセット(偽物?) も今でも持っている。将来、谷がもっと出世すれば貴重品になるかもしれないな。(実はチラシ集めが隠れ?趣味) コロコロコミックのスタンプの押された谷宛のハガキも何枚か持っている。 番組中でも小学校の頃、ジャッキーチェンの映画を見てこういうことがしたいと思ったと言っていた。

谷からの年賀状は「大宇宙銀河系太陽系第三惑星地球...ポストの中」 と4行ほどに拡大された私の住所が書いてあった、ふざけた奴だ。 これがまた書道数段のきれいな字だから始末が悪い。 ちなみに最初に書いたのは私なのだが(^^;)

虫捕りに嫌々連れていっては、「谷、今度はあっちだ!!」と背より高い草がボーボーと茂っている 草むらに谷を突っ込ませて、倒れた草の間からカマキリとかバッタとかを悠々と捕まえていた のが私だった。谷は半ズボンだったので足が草で擦り傷だらけ。 当時から谷はけっこう無茶で、パワフルだった。私も当時からそう言う人間だったようだ。 ちなみに、このページの”夢のつづき?(1998.6.8)”私に「将来すごい人になるか、 すごい悪者になるか、どっちかだ。」 と私に言ったのは谷である。よっぽど虫取りが嫌だったのだろう。(^^;)

当時はみんな忍者が好きで、よく影の軍団(千葉真一&JAC)ごっこをしていた。 いつも私は頭(かしら、偉いから普段は何もしない、最後に千葉真一のまねをして敵のボスを倒す)で 谷は下っ端のやられ役だったので、私が何かやると派手にぶっ飛ぶ事が多かったような気がする。 (今の谷の仕事そのままだな)

小学校の頃の休み時間はいつもケイドロ(地方によってはドロケイ)をやっていたが、 これがまたハードで捕まりそうになるとタックルして逃げると言った 肉体的なルールであった。私は谷にタックルを食らって頭を打って保健室で寝ていたことがある。 普段の仕返しか?。

実はあまり覚えていないのだが、女の子に 「何でいつも二人は手をつないでるの?」と 言われ、慌てて手を離したことがある。なぜか良く手を繋いで走り回っていたようだ。 異常に仲の良い親友だった。 (向こうはどう思っていたか知らないが、(^^;))

やがて中学校に入り、クラスも違うし、私が部活に入ったこともあってか あまり一緒に遊ぶ機会もなくなった。 そしてたぶん中1ぐらいの時に谷は元々住んでいた奈良に引っ越したはずだ。

この辺も記憶があまりないのだが、引っ越すのを知らなかったか、 知ったのが直前で見送りに行けなかった気がする。 もしかしたら、無理すれば行けなくもなかったのだが、まぁ別に良いかとか思ったのかもしれない。

私はけっこう薄情なのだ。 それっきり連絡をしたこともない。 非常に細かなところを覚えていたりするのだが、 大きな事がスコンと頭から抜けてしまうことがある。 2年ぐらい1回も思い出さないと親友の名前でも本当に忘れることがある。 「あれ、あのころの親友の名前って何だっけ?」とか。(本当に親友だったんかいって?)

たまに自分には人間として大事なものが何か欠けているような気がする。 ただ、谷に別れの挨拶が出来なかったことは実は昔から(今でも)ちょっと気になっていて一度会いたいと思っていたのだが、 それだけで連絡することもなかった。やはり薄情らしい。

ただ、昔の友達が当時の夢を追い求めている姿をうれしく思うし、ちょっとばかり羨ましくも思ったりもする。 もし会う機会がったら素直に”がんばれ”と言ってやろう。(ホントかな?) とりあえず、影ながら応援してやろう。 「がんばれよ!!」。

P.S. 谷へ、
残念ながら(幸いにも?)、まだ私はすごい人にもすごい悪者にもなってない。

('98.9.15 追記) 日曜日にちょっと鎌倉に行って思い出したんだけど、
谷は小学校の遠足で鎌倉に行った時、山の散策コースで乗って遊んでいた木が崩れて 崖から落ちかけたことがあったな。 あの時は一瞬死んだかと思ったけど、覗き込んだら細い木に捕まってぶら下がってたんだよね。 おかげでなぜか私まで後で先生に怒られました。

昔も今もやってることは変わらんな。

1998年 8月30日 ”夏の終わり”

もう夏も終わりである。
もっとも、ここからが夏、ここまでが夏といった明確な区切りがあるわけではない。 一般的にはどうなのだろうか?。 7月〜8月ぐらい?。もしくは梅雨明けから3日周期くらいで晴れと雨の繰り返す 天気になるまでだろうか?。今のように台風が気になる頃までなのだろうか?。

私が夏の始まりを感じるのは、
いかにも夏らしい 白くまばゆい積雲(綿雲)もしくは積乱雲(入道雲)を見たときである。 あの立体的でモクモクとした白い雲を見ると「夏だな」と思う。そして無性に海に行きたくなる。 昔はよくチャリンコで海を探して走り回ったりもした。今ならバイク。 ずっと見ていると目が痛くなるぐらいなのが特にそう感じさせる。 これに関しては、もしかしたら私と同じ考えの人もいるかもしれない。 もっとも今年はほとんど見た気がしないが。

では夏の終わりを感じるのは?。
これはあまり同じ人はいない気がする。 私がそう感じるのは、ツクツクホウシの鳴き声を聞いたときである。 知っているとは思うが、ツクツクホウシはセミの一種で、 「ツクツクツクツク・・・・ホーーシー、ツクツク、ホーシー、ツクツク。」 と泣く奴である。

私は小学生の頃、夏は毎日のようにセミを捕りに近所の寺に出かけていた。 いつも虫かごを2個、アミと継ぎ足し用の竹を持って。 竹をアミと合体させるとかなり高い所のセミを捕ることが出来るのである。 なぜ虫かごが2つか?。これは単純、1つでは足りないことがよくあるからである。 自慢ではあるが、セミ取りの腕はプロ並み だったと思う。(プロがいるかどうかは知らないが...(^_^;)
だいたいすれ違う子供は1〜2匹かごに入っていれば上等だったと思う。 私のかごは2つともセミでいっぱいで真っ黒。うるさくってしょうがない。 すれ違う子の羨ましそうな顔を見ては、ほくそ笑んでいたかわいくない子供だった。

ただ、たくさん捕まえてはいたが、一応自分なりのルールを作っていた。

  • セミを捕る時は1回につき寺付近を一回りだけしかしない。(きりがないから)
  • 捕ったセミは昆虫採集の標本にするもの意外はすべて逃がす。

子供なりにセミが減っていくのを危惧していたのである。 近頃多い、夜に鳴くセミもちょっと考えさせられる。

ちなみに、セミの捕まえ方を一つだけ教えると、
セミ捕りの基本は「鳴いてるセミは追わない」
である。たいてい、ど素人はセミの鳴き声ばかりを気にしているものである。

家の周りはあまりセミのいる方ではなかったのでセミの種類はそう多くはなかった。 ニイニイゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ツクツクホウシ、ごくまれにクマゼミ ぐらいだろうか?。

家の辺りではニイニイゼミは夏のはじめのほんのわずかの期間だけしかいなく、 見つけるのも難しいが数が少なく、一夏あわないことも珍しくなかった。 いつも一番捕まえたかったセミである。

一番捕まえにくいのがツクツクホウシ、小さく、素早いのでアミから逃げられることが多い。 特にオス。なぜかメスは意外ととろく捕まえやすかった気がする。 (オスと比べての話、どちらも難しいことに変わりはない)。ほかのセミは逆な気がする。 オスはこっちに気づくと、あわてて鳴く。これがおもしろい。 近づいたぐらいでは途中で泣きやむことはなく、急ぎ足で一区切りつくまで鳴いてから逃げるのである。 それがまた悲痛な叫び声のような鳴き声でちょっと胸に来たりもする。

いつも夏休みが終わる頃に、ツクツクホウシが鳴き始めた。 その夏始めて鳴き声を聞くと、夏の終わりを感じ、ふと寂しくなったり、 たまった宿題の処理策を考えたりしていた...。

3、4日前に会社の近くでツクツクホウシの鳴き声は聞いた。
そう、夏はもう終わりである。


あいつ、また寝てるよ
慌てない、慌てない、一休み、一休み
何やってんだ?、早く来いよ!!

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