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”一つの終わり”
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いつものように出社し、いつもとかわりない1日がおわる。 今日で今の仕事場とはお別れだ。 しかし、周りの雰囲気はそれほどいつもとかわりない。 残る人々に簡単に別れの挨拶をする。 瞬間、お別れモードになるが、 挨拶が済めばすぐに元のかわりない状態に戻る。 片付けがすんで空っぽの引き出しがカラカラと音を立てる。 いつものようにネームプレートを裏に返す。 もう二度と表に変わることはない。 いつも...を壊したくなり、 理由も無くロビーでタバコを吹かしたり、 用も無いのに本屋に寄ったり。 若干の抵抗を試みるが何が変わるわけでもない。 帰り道の坂の上から見える夜空も今日ばかりは少し違って見える。 ...ような気がする。 そう、気がするだけだ。 思えばここに通うのは、いろいろと昔を思い出し苦しい時期もあったが それも過去のことか。 何もない。 寂しさとかいうよりも、何もないという空虚感。 自分が一人、個であるということが突きつけられる。 自分の弱さが突きつけられる。 これはなにも今日に始ったことではない。 程度の差はあれ、いつも何かの終わりには同じような気分にさせられる。 が、新たな始まりがあればすぐに忘れてしまう。 そしてそれが終わる時には、また同じ思いをする。 そうやって何度となく繰り返される。 去年の夏、月夜に浮かぶ国後島を眺めながら聞いたあの曲が蘇る。 「気球に乗って」 ありったけの手持ちのゆとりや ポケットの中のぬくもりを ひずみきった国々に ポツンと落としてやるのさ 要なしの人間なんているわけはないと 神様はいつも僕に言うけど 本当のところは口をつぐんで 誰も言おうとしないけど 気球に乗って ほこりになってゆられたい 今ひとつこの気球が昇っていかないのは 僕をおどらせる俗物どもが 足元にしがみついているからさ 胸いっぱい風を集めよう 名もなき同胞が抹殺されて 価値あるブルジョワが生き残るとするなら 真先に死ぬのはこの僕なのさ 僕こそ不必要なものだから 気球に乗って ほこりになってゆられたい 気球に乗って ほこりになってゆられたい 気流に乗って ほこりを捨ててゆられたい by BOOM |
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”一年一昔”
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今日は部屋の掃除しはじめた。 ふとスーファミをきれいにして箱にしまおう思う。(ちなみにすでに夜中) クリーニングペーパーでふきふき。でもなんで下半分だけヤニが ついたみたいに黄色くなってんだ。 調子にのってファミコン、メガドライブもふきふき...。 終わんねぇ。(^^;) 大体ファミコンってば、まっ黄色ででろでろに汚れている。 なんで?。 空が白み始め、そのうちに新聞配達の足音が。 結局終わったのは朝の5時半。 充実感と空しさとが交差する。 次の日、掃除の続き。 パソコン系の箱やら何やらが続々と出てくる。 昔のメモリとかハードディスクの値段をみてため息。 16MBのメモリが\69800。(^^;) HDDも200MBでやっぱり6万くらい。 メモリ128MBが5千円台、HDD20GBが1万円というこの時に。 5,6年前なのにもう完全に一昔前だ。 自分の中でもはるかに昔のことのように思えてくる。 この世界はドッグイヤーどころか、ハムスターイヤーぐらいだ。 「パソコン、ソフトが無ければただの箱」といわれた時代の遺物か。 いまどきソフトの付いていないメーカー製パソコンなんてないもんね。 メモリ4.6MB、HDDなんて当然無し、OSなし、ソフトなし、CRTは当然別の PC9801FAに27万円も出して買ったあの頃。 結局、卒論以外にはほとんど使わなかったなぁ。 パソコンと言えばワープロ、表計算だった時代(といってもほんの数年前)。 今はメールとインターネットか。(これももうすぐ終わりかな) 会社ではじめてメールが使えるように苦労してセットアップをした時(当然DOS)。 目の前のしょぼいノートパソコンがネットを通して世界に繋がっているんだ と思うだけで、変な感動を憶えたあの頃。(しつこいようだが、ほんの数年前) 最近始めた人にはそういう感動はあるのだろうか?。 いまどきの子供はファミコンやらMSXやらのしょぼいドット絵ではゲームする気が 起こらないんだろうなぁ。 |
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”キリンを見に行こう!”
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キリンを見に行こう。 いつものようにバイクに跨りいつもの道を走る。 たどり着いた先には暗い海の上に浮かぶ動物達。 ここの景色はなぜか心落ちつかせてくれる。 芝生に寝転び空を眺める。 目の前に星が一つ。 東京の空では全天を見回してもたいして星は見えない。 じっとその星を眺める。 吸い込まれるような気分、徐々に昔に引き戻されるような感覚。 戻りたいのか?。 だとしたら、いつに戻りたいんだろう?。 ![]() |
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”19歳の地図”
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いつの頃からか、漠然とした違和感を感じていた。 いつの頃からか、一人醒めた自分がいる事に気づいた。 いつの頃からか、自分は他人とは何か違うような気がしていた。 いつの頃からか、...。 いつの頃から、こんなことを考え始めたのだろう?。 小学校5年の冬に父を亡くした時からか?。 その頃からのような気もするし、もっと前だった気もする。 とにかく小学校1,2年の頃の記憶と言えば バカな事ばっかりやって、しょっちゅう怒られていた気もする。 この頃ではない。 小学校3,4年あたりで学級委員なんぞをやらされ始めた頃から 特に変わってきた気もする。別に何と言うわけでもないのだが たまたま学級委員というだけで優等生→まじめ→がり勉的な印象 がつきまとい、ガキ大将的なやつらからはある種の差別の対象となる。 実際には私は“勉強は家に持ち帰らない主義”だったので がり勉どころか学校以外では全く勉強していないのにもかかわらずだ。 まぁそれはともかくとして 漠然と自分の実際の年齢と精神的な年齢にギャップを感じ始めていた。 なんというか小学校2年から3年になった頃に人が入れ替わったんじゃないか?、 その前の記憶自体もどうもアルバムとかの写真上の記憶しかなくなっている気がしてならなかった。 親からもどうして昔のことを何も覚えていないんだ?と言われるもんだから尚更であった。 自分自身の存在に疑問すら感じていた。 まぁこの年齢ならこうあるべきだ、なんてのはないのだろうが なんとなく回りの友達とは違う気がしていた。 ただこれも自分は他人とは違うんだ!と思いたかっただけなのかもしれない。 中学では実際自分ではそんなことはないと思っていたのだが やはり周りから見れば優等生としてみられ続けた。 そしてそう振舞わなければいけない自分にも悩んだ。 その反動か?、高校では学校や部活をサボったりもする 割といいかげんで無味乾燥な生活を送っていた。 中学までは遅刻は0であったのに対し、高校、特に高2の時などはゆうに20を超えていた。 普通なら楽しかったと言う人が割と多いはず?の高校時代(の自分)が 今でも一番嫌いで、逆に恥ずかしいくらいだ。 この頃も中学くらいまでとは周りに対する自分のポジションは全く違うながらも やはりこのなんとも言えないギャップがそこにはあった。 (注)まぁ思い返せば、その頃は精神年齢的に周りより上だった 気がしていたつもりでもやはり考え自体もガキだった気はする。 動物占いはペガサスで「唯一この世にいません、天才的、気分屋」 みたいなこと書いてあるし。嘘動物占い(初期版)では「その他」、 あなたはその他と言われると喜びますなどと、やはり他人と違うらしいし。 そして大学受験、なんというか、浪人したくてたまらなかった。 親には申し訳ないが、とにかく浪人したかった。 受験中に親しかった叔父の死もあり、 試験シーズンに勉強どころではなかったのも確かだが、 勉強も一夜漬け連発でわざとではないつもりだが(深層心理では意図的にか?) 念願どおり浪人生活を送ることになった。 希望していただけあって、ある意味で確信犯な喜びがあったが、 やはり浪人と言うある種不確定な状態を漂うような不安感も同時に存在した。 なぜ?、なぜ浪人したかったのか?。 そう自分に問うと漠然とではあるが、答えは割と簡単に出た。 「もしこのまま大学に受かったらダメになる気がする!。」 それがすべてだった。 父の死も含め、今までも何の問題も無く過ごしてきたわけではないが、 こと進学関しては、高校まではすんなり来た。 その後、高校では自分でも嫌になるくらい、いいかげんな生活をしてきたにもかかわらず ここですんなりいくと、またいいかげんな考えで生きていきそうだったし、 社会に出てからはじめて挫折すると踏ん張りがきかなくなる気がした。 バネを縮めておきたかった。 伸びきったバネでは力は出ない。 ここで少し立ち止まって力を蓄えておきたかった。 今でも浪人して非常によかったと思っている。 (ただし1年以上やるものではないと思う) ただし浪人中とて、けしてまじめに勉強したわけではない。 いや、はっきり言うと勉強はあんまり(ほとんど?)しなかった。 毎日のようにゲーセンに通い、金の無駄遣いもしたし、 いっぱしに悩んだりもしたが、なぜか漠然と充実感もあったりした。 そして、浪人という身分の不確定なフワフワした状態の中で19歳になった。 周りをはさまれ狭苦しく建っている予備校の建物の3階のベランダで 秋の空を見上げていた。 うっすらと青い空と雲。 そこには同じく浪人中の友人もいたが、今日が自分の誕生日だとは告げずに一人心の中で思っていた。 「19歳かぁ。」 今の自分の心境と10代最後の微妙な年齢が ピッタリと合った気がした。 常にある種のギャップを感じていた自分にとっては この感覚は今までにないものだった。 なぜか、うれしかった。 今この瞬間のこの場所が自分の居場所のような気がした。 あまりにうれしくって、自分の心に誓った。 「今のこの気持ちを忘れないようにしよう、この19歳と言う時の気持ちを!。」 以来、私は自称19歳。周りから失笑されようが、自分に言い聞かせるように そう嘯いてきた。歳をとる毎により何度も...。 忘れないように。 初めてタバコを吸ったのもこの歳、父の墓に供えるために生前よく吸っていた(と思う) セブンスターを買い、火をつけ、一息吸った。むせはしなかったがやたらと喉が渇いた。 浪人の際の受験中には祖父が亡くなり、やはり勉強どころではなかった。 その後、入学することになる大学の合格発表の日は告別式だったので見に行けなかった。 翌日、誰もいない合格掲示板に自分の番号を見つけ小さく拳を握る。 大学進学後も、周りから一歩下がって醒めた自分、漠然とした違和感などは感じることは多々あった。 しかし、19歳の時の自分の居場所があったため、以前のようなイラツキ、不安などは少なかった。 新大久保の子汚い裏路地にある狭苦しい予備校の3階のベランダ... そこが私の19歳の地図である。 ここ何年か年齢を聞かれて19歳と答えるのが自分でも少々辛くなってきた。(^^; 普段の生活に呑まれ、あの頃の気持ちも時々すっかり忘れてしまっている 自分に焦りを感じる今日この頃である。 そろそろ新しい居場所を見つける時期なのだろうか?。 |
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”しあわせ量非保存の法則”
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し
あわせ量は保存しない、と思う。今のところ。 つまりどういうことかというと、例えばエネルギー保存の法則のように運動エネルギー、 位置エネルギーなどとエネルギー自体の形態は変化してもその総量は変わらない。(<-かなり適当な説明) と言うのになぞらえて(私の独断と偏見で)、 以下のよく言われるような事柄を“しあわせ量保存の法則”と名づけた。つまり、 不幸が続けば、そのうちきっとそれに見合った幸せが訪れる と言うことは成立しないと私は考える。 ラッキーな奴はやっぱり何かとラッキーだし、ついてない奴はやっぱりついていないのである。 かくゆう私はどちらかと言うとついてない奴だと自分では思っている。 大体、学生時代にバイクで事故って、バイクは廃車でもうないのに就職1年目から借金を 50万も返さなきゃいけなかったし、 去年のツーリングでは出発の前の日にシートが外れなくなって、バイク屋で見てもらったら ものの1分くらいで開いて、1000円取られた。 ツーリング先ではわけもわからず目が腫れるし、スピードメーターケーブルははずれるは ダートにはまってカウル破損(修理代約6万)、 数年ぶりに使おうとしたオーディオのテープデッキはテープが巻けずに修理、 しかも修理後1回しか使ってない。(^^; パソコンはいきなり電源吹っ飛んだり、ハードディスクが見たことも無いエラーを吐いたりしやがるし、 まったく乗っていない車は後ろを見てもらっていた友人の指示どおりに バックしたのにガードレールにぶつかって修理代10万だし、この間買ったデジカメも 買ったすぐあとに購入時にのみ使える3000円+メモリ用1000円割引券が送られてた上、 ポイント還元率もアップしてるし、 その上まぁ別に実害無いんだけど、液晶のところに小さな黒いゴミが挟まっていてなんか気になるし、 欲しい携帯はどこも売切れだし、1眼レフカメラも2ヶ月近くたっても手に入らないし、 フェリーの予約は受付開始7分で繋がったのにもう満席だとかふざけた事言っているし、 山に登ればガスって視界ゼロ&道を間違えた上、 戻るのヤダからと無理やり道無き道を歩きあやうく遭難?状態だし(^^;。<-これは自業自得か。 人生常にこんな感じ。どうもはずれを引くのがうまいらしい。 3日前の土曜日も。もう2週間後にはツーリングだと言うのにプラグ交換しようとして タンクをはずそうとしたらはずれない。(T_T) ねじがどっちにまわしても締まりも緩みもしないのだ。車検のときのバイク屋のせいだと、バイク屋の 工場に行ったら、なぜか自動車工場に変わってしまっていてバイク工場が無い!、さすがに一瞬呆然とさせられた。 (規模縮小して店舗の裏に移っていた)結局はねじ山が完全につぶされていたみたい。 おいおい、また今年もかぁ?と思うには十分な程いらいらさせられた。 でも、 おとといの日曜日、ふと何故か本屋で欲しかった携帯の在庫を聞いたら、偶然あったなんと最後の1台ゲット。 これは!と思い、まだ入荷の連絡も来てないのに期待と不安となぜか根拠のない確信を持って お金を銀行で下ろして予約待ちしてたカメラの状況を聞きに言ったら なんとちょうど入荷していてラッキー。なんかうきうきで小物もたくさん買って、お金使いまくり。 昨日とかいろいろあったけど、今日はラッキーじゃないか、 やっぱりしあわせ量は保存するのか? とも少しは思ったが...
おいおいちょっと待てよ!?、オイラのアンラッキーさはこの程度のラッキーで穴埋めできるものだったか?。
答えは否である。
どうも割に合わん。 前にも言ったが、不幸は重なるもので、しあわせとは極々小さなことと言うのが実感だ。 まぁこんなオイラよりもアンラッキーだと思われる奴がいるのも事実だが。 ちなみに勉強量と仕事(物理的な意味じゃなくいわゆるお仕事)量は大雑把には保存すると考える。 たらたら長い間やっても短い時間でキュッと締まってやった量と勉強、仕事量は長い目で見ればそんなに変わらない。 |
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”ビューティフルライフの青い空”
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青い空が好きだ。 深い青。普段はなかなか見れない。
夜中なのに真っ暗ではなく、何故か空の青さがわかる時の色。
明け方、そう太陽の昇る前のまだ暗い空。若干明るくなったかな?と言う頃合の空の色、深い青。 それ以上ほんのちょっとでも明るくなってしまってもダメだ。白けてしまう。だからその色を見たら すぐに寝る。その空を眺めていたいけど、明るくなってしまうのを見たくないがために目を閉じる。 ビューティフルライフの青い空。ドラマよりも実はこのオープニングの空の色に惹かれた。 東京では見える星が限られるので、月や星があれだけあるとあの空の色が本当に出るのかちょっと疑問だが あの空と雲の色にはこだわりを感じた。 今日もまた空を見上げ、ただただ見入っている。 |
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”Y2K”
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Y2K そう、言わずもがなの2000年問題である。 12/31日の時点で私はまだOSの2000年問題対策をしていなかった。(^^;) 会社のパソコンは秋頃にやったんだけど、いざ家のをやろうとしたらWin98サービスパック1のCD-ROMがないことに気づいた。 これが30日のこと。たぶん会社に忘れてきたんだろうと思い、今ごろ取りに行ける訳もないので 「まぁ2000年問題なんて大した事ないさ!?」 と自分に言い聞かせつつ年賀状をせっせと(今ごろ?)作っていた。
31日になり、年賀状もようやく書き終わり、部屋の掃除をしていた。
当然パソコン関係の裏あたり(埃がたまりやすい)も掃除。
やり出したら止まらない性格なのでせこせこと空CDケース入れにあるケースを中身を確認しながら
拭いているとなんとサービスパックのCD-ROM発見!。
掃除も終わったので風呂入って上がってきたらもう12時5分前だった。
とりあえずサザンの年越しライブのTVをつけて、Y2Kでネットが混乱しないか見てやろうと思い、
ネットに繋ぐ。 ふと、携帯を見ると 「シバラクオマチクダサイ」 となっていて繋がらない!。 携帯買ってからあんまり経ってないけど、こんな表示はじめてみた。 こ、これはY2Kに違いない!。 やっぱり起こってしまったかぁ。 そんな時にTVで小渕さんがY2Kに関してコメントするらしいということ。 タイムリーじゃないか。とワクワクしながら見ていると 「大きな問題なし」とのこと。 大きな問題なしとは、小さな問題はあるってことか?。 まぁ小さな問題なんていくらでもあるからなぁ。 でもこれって小さな問題じゃないような。 本当かなぁ?、隠してません?。と携帯を見るが依然ダメ。 ちょっとあせりながらパソコンチェック。試しにノートパソコンのモデムで繋いだら なんと繋がった!。ほへ?。 でもデスクトップの外付けモデムはダメ。 まさかモデムがY2K?。 うーんドライバを変えなきゃいけないのか?。そういえばモデムはノーチェックだったなぁ。 などと思っているとふとやな予感。 まさか掃除のときに...。
当たった。本来LINEに繋ぐべきケーブルがPHONEに繋がっていた。
掃除のときに邪魔だったので一度抜いたときに間違って挿したらしい。
ちゃんと挿したら繋がった。(^^;)
うーん、なんと言うか、
私のCPU(脳みそ)がY2K問題だったみたい。 P.S. でも本当の意味でY2Kが問題になってくるのはこれからだよねぇ?。 |