イェルサレムのとある商店の地下から、古代の富豪宅の遺跡が出土した。 そこには墓があり、骨だけになった遺体も見つかった。 さっそく考古学者による調査が開始された。
いつの、誰の遺体なのか?
出土品から考えて、年代は恐らくローマ占領下の1世紀頃。 また、遺体には磔にされたと思しい跡があった。 しかし、磔にされた罪人の遺体を富豪の墓に葬るなどとは考えられない。
ただ一人の例外、つまりナザレのイエスを除いては……。
キリスト教の根本に関わる奇跡"イエスの復活"を覆しかねないこの発見を重要視、と言うより危険視したバチカンは、かつて情報部員だった一人の神父をイェルサレムへ送り込む。 神父にとってこれは、イスラエルの複雑な政情の中での静かな葛藤であるのみならず、彼自身の信仰をも揺るがす試練となるのだった。
アントニオ・バンデラスは聖職者には見えません……。
邦題は「抹殺者」だけど、誰のことを指した言葉なのか最後までサッパリ分からないので、あまり気にしないようにしましょう。
原題の "The Body" は「スタンド・バイ・ミー」の原作短編もそんなタイトルだったかなぁと思ったり。 共通点は「死体が出てくる」という以外には無いけどね。
劇場の壁に貼られたポスターには
「無言の最終兵器」
という煽り文句があった。 もちろんこれはイエスのものかも知れない遺体のことを指している。 しかしこれではなんだか「地味めのアクション映画」という風情だ。
実際にはアクション場面なんて殆ど出てこないのに。 というワケで、あのポスターやあの煽り文句は、この映画の内容をあまり的確にはアピールしてないと思う。
だから、映画瓦版で紹介されてなかったらたぶん観なかっただろうな。
その紹介のおかげで、ぼくはアクション映画らしいものは期待せずに宗教ミステリー映画だと思って見たので、結構楽しめた。
ただ、やっぱり、大方の日本人には分かりにくい映画なんじゃないかしらん。
そこで、誰でも知ってることから知らない人は知らないことまで、ちょっと解説を。
って、ちょっとつもりで書いているうちに長くなってしまった。 予備知識としてこのあたりのことが「なんとなく」程度でもいいから頭にあれば、この映画は楽しめると思う……んだが、長過ぎて読めないかなぁ……。
赤字のキーワードの辺りだけでも拾って読んで貰えれば。
全てのユダヤ教徒にとって帰るべき「約束の地」カナンは、第2次世界大戦の頃まではイギリスの統治下にあって、パレスチナと呼ばれていた。
地図で言うとパレスチナのちょうど真ん中あたりにあるイェルサレムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などが共通に聖地と見なす場所である。
まず第1次世界大戦の頃、イギリスはユダヤ系資本を味方に付けるため、ユダヤ人の建国を(無責任に)認めた。 そのため、第1次大戦が終わると、パレスチナへユダヤ人が流入する動きが起きた。
さらに第2次世界大戦の頃、ナチスがユダヤ人を弾圧したので、パレスチナへのユダヤ人流入が活発になった。
しかし、それ以前からずっとパレスチナにはアラブ人(パレスチナ人)が住んでいた。 彼らは彼らでパレスチナを自分たちの土地であると見なしていた。 また、イギリスは彼らパレスチナ人にも建国を認める約束をしていた。 そのため、流入したユダヤ人と元々住んでいたパレスチナ人との間に衝突が起きた。
1948年、ユダヤ人がイスラエルを建国。 その後の流血を経て、結局イスラエルはかつてパレスチナだった土地を全て抑えるに至った。 と言っても、イスラエルは完全にユダヤ人オンリーの国というわけではなく、依然として残っているパレスチナ人もいる。
聖地イェルサレムの周囲には、様々な宗教の教会などが密集しているそうだ。 1994年の時点では、イェルサレム総人口の7割程度がユダヤ人、3割足らずがイスラム教徒、残りがキリスト教徒という内訳との由。
非常に簡単ではあるが上のようないきさつから、イスラエルは民族的にも政治的にも宗教的にも極めてナイーブな状況下にある。
(このナイーブな状況というのがこの映画の重要なポイントその1。)
さて、ユダヤ教は、「選民思想」などで知られるように、彼らの民族と契約で結ばれた唯一神を信仰する宗教である。 この神の名前は、正確にはわかっていない。 ヘブライ語でYod(ヨッド)He(ヘイ)Vau(ヴァヴ)He(ヘイ)、英字表現でIHVHまたはJHVHという4文字の子音しか知られておらず、また元々神の名前はみだりに呼んではならないものだったため、現代においては発音がわからないのだ。 一般にはヤーヴェとかヤハウェとかの読み方が当てられている。
ユダヤ教の教義の基本には「神との契約」という概念がある。 ユダヤ教徒は神から与えられた戒律を遵守する代わりに救いを得る。 またユダヤの伝承によれば、かつてユダヤの王国を築いたダビデの血を引く救世主が現れて、再びユダヤの王国を打ち立てる。 その救世主はまだ姿を現していない。
ユダヤ教のラビは、キリスト教で言えば神父や牧師に近い、信仰の指導者である。 ユダヤ教の聖典は、キリスト教で言う旧約聖書にあたるTNK(タナハ)と、それにさらに具体的な内容を付け加えるタルムードなどがある。 ユダヤ教の戒律は極めて多く、様々な義務や禁忌があり、教育・安息日・食べ物・衣服にまで及ぶ。 例えば、黒い帽子をかぶり黒い服を着なければならない、またヒゲを剃ってはならない、など。
ユダヤ教の中にもいくつか派閥がある。 正統派(オーソドックス)、改革派(リフォーム)、保守派(コンサバティブ)、超正統派(ウルトラオーソドックス)などだ。 この中で最大派閥は正統派で、聖典の戒律を忠実に守る人たちだ。 超正統派はさらに徹底しており、救世主によらず建国されたイスラエルを認めていないそうだ。
一方、キリスト教はユダヤ教から派生した宗教である。 ユダヤ教との決定的な違いは、キリスト教では約2000年前に現れたナザレのイエスこそが救世主であると信じられているという点だ。
そもそも「キリスト」とは救世主を意味する言葉なのである。
イエスは大工の息子として生まれた。 彼は長じるに至ってユダヤ教の改革的な指導者として頭角を現した。 ただし彼自身は、自分をユダヤ教的な意味での救世主とは見なしていなかったようだ。 例えば、過越し祭の直前にイェルサレムに入るとき、ロバの背に乗ることで、政治的・軍事的な力は何も持たないことを象徴的に示した。
しかしその一方で、彼は自分を「神の子」と称し、神に等しい権威を持つ存在であると宣言したとも言われている。
(だからイエスの墓には、死者の魂の救済を神に祈る言葉は書かれるはずが無い、というのがこの映画の重要なポイントその2。)
唯一神のみに従い信仰によって救われることを説いたイエスの思想は、当時その地を支配していたローマ帝国にとっても、戒律による救済を説くユダヤ教にとっても、都合の悪いものだった。 そのため、イエスは反逆者として捕らえられ、ローマの刑法によって十字架にかけられた。 これが西暦で32年ということになっている。
この磔刑を直接指示したのは、当時のイスラエルにおいてローマ帝国側の代表者だった総督ピラトである。 彼はまた、ローマ皇帝の権威を高めるために皇帝の聖杖をあしらったコインを発行したりした人物でもある。
こうしてイエスは死罪にされたが、その死後もイエスの支持者たち(つまり後のキリスト教徒)がイエスを救世主であると見なし続けた重要な根拠の一つは、イエスの復活である。
イエスの死後3日後、イエスの墓が空になっているのが発見された。 やがてイエスがあちこちに現れて、多くの人々を信仰へと導いた。 これは常識的には信じられない話だが、少なくともキリスト教ではそういうことになっている。
(だからイエスの墓に遺体が残っているはずはない、というのがこの映画の重要なポイントその3。)
ということで、キリスト教的な意味での救世主は、ユダヤ教におけるそれとは趣きを異にする。
さて、キリスト教が信仰する神はユダヤ教と同じく唯一神だが、その有りようはイエスとキリスト教の中心人物たちによって再定義されている。 キリスト教の聖典は旧約聖書と新約聖書から成り、キリスト教の戒律はユダヤ教のそれとはかなり異なる。
もっとも、キリスト教にもいろいろな宗派や派生宗教があって、組織の形態も違うし戒律も異なる。 キリスト教の主な派閥にはローマ・カトリック、ギリシャ正教(オーソドックス)、プロテスタントなどがある。 バチカン市国に拠点を置くカトリックは、ローマ法王を頂点とする世界規模の一大組織を構成しており、宗教的にも政治的にも大きな影響力を持っている。 カトリックの宗教的指導者は神父(ファーザー)と呼ばれる。
キリスト教にとっても、イェルサレムはもちろん重要な聖地である。 中世に十字軍がこの地に派遣されたのも、イェルサレムを異教徒から奪回するという大義名分があったからだ。 現在のイェルサレムにも、他の宗教の建物に混じって、キリスト教の教会があるとの由。
2002-11-06 (revised: 2003-12-28)