中国大陸は広すぎて、一度ではいききれない。>< 上海も北京も、香港も行った事がないのに、西安から酒泉、そこからゴビへ入り、黒水城、銀川をまわり、北京へ向かうという旅程で行ってきました。 中国やモンゴル系の人々の飲む量はハンパやないなぁ〜と感心した旅。(笑) |
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敦煌にて。 街を散策していた時に、お邪魔した民家のおじさん。 おうちの中を色々と案内してくれました。 穏やかに微笑む姿が印象的。 コの字型の建物は一部屋ずつ中庭に面して区切られていて、寝室はベッドだった。そうか、中国の一般家庭もベッドなんだなぁ〜とそんなことを思った。 |
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酒泉からエチナへと向かう道。 ひたすらゴビを走る。ライトバンだったから、 ゆれてゆれて寝れない・・・。 助手席の周さんはひたすら寝てる、運転手さんの郭さんはひたすら運転してる。逞しい・・(笑) エチナは当時、未解放地区だったのか、検問で待っていると、村人達がわらわらと集まってきて、インドネシア人か?インド人か?と囲まれた。。 そりゃ、国籍不明に見えるわな、砂埃よけのマスク、頭はスカーフで覆って、グラサンだもん。 誰が見たって怪しいわ(笑) |
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黒水城にて。 黒水城は、日本でいうと鎌倉時代に栄えた城市で西夏の時代のものと考えられている。 シルクロード探検をしたロシアのコズロフも発掘していた。 ここで発掘されたものはエルミタージュ美術館にあるそう。 前日、文物研究所長、周さん、郭さんとモンゴル族の歌手の人と歓迎夕食会があった。さんざん水がわりにビールを飲んだ後で(多分、ひとり大瓶5本分くらい)、「羊料理の前には白酒が伝統だ!」と言われ白酒をひたすら飲まされる。でっかい銀の杯で5杯も楽しく飲んでしまった。 翌日は案の定、二日酔い・・。ゲゲエの鬼太郎。(苦笑) 昨日のうちに周さん郭さんとはお別れして、今日からは銀川からきてくれたガイドさんとドライバーさんに交代。 さらに、文物研究所長のおじ様と陸軍の兵隊さんも同行。 ガイドさんは女性の趙さん、運転手さんは・・名前忘れた。。(恥)でも、ドライバーさんはしぶい男前!ARBのVoにソックリなのだ。シブ好みとしてはラッキー♪小姑、小姑〜と可愛がってくれる(笑) 趙さんは日本語ガイドだけど、日本語はまだ勉強中。 でもいい人だから気にならない。^^ |
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出発して激しく後悔。エチナの街からたいした距離ではな いけど、砂漠のオフロードや川床を4WDで走る。揺れるどころの話しではない。20kmの道もものすごく時間がかかった。 蜃気楼も最初は珍しかったけど、あまりにもたくさん見えたので途中からどうでもよくなった・・(笑)風紋が印象的だったので撮った1枚。 陸軍兵士のおじさんは、観光中はフラリと一人でその場を離れる。何してるのかな〜と最初は思ってたけど、 次の史跡へ出発しようと集合したら、メノウの石や遺跡に落ちてた文物を探して拾ってきてくれたのでした。 言葉は通じないし、なんかボーッとした兵隊さんやなぁ、と思ってたけど、すごくやさしい人なのね、と嬉しい発見。 |
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黒水城へ行く途中にも、五塔や緑城、など当時の史跡が点在していた。今はみんな砂漠に埋もれそうな瓦礫にしか見えないけど、ここがかつてはシルクロードの要衝地で、その後、シルクロードの探検家達が発掘に訪れたんだなぁ。。と思うと感慨深かった。 黒水城観光後、エチナに戻って1泊し、翌日、1日かけて銀川まで4WDでひたすら走った。本当は、途中の村で1泊する予定だったんだけど、どうしてもその招待所にガイドさんもドライバーさんも泊まりたくなかったらしく、今日のうちに銀川につけるから、銀川に行こう〜行こう〜とうるさい。(笑) いったん、その招待所に立ち寄って見学させてもらう。 元々、砂漠の中の軍隊の人たちの村だし、期待はしてなかったけど、想像以上。(笑) 学校のような建物に、ベッドと達磨ストーブがあるだけ。水道もトイレも・・・ない。水道は、朝さびだらけの水道車で水を運んでくれるので、それで洗面するとのこと。これはまだ自分的にはOKだった・・。 問題はトイレ。 トイレは建物から100mほどの場所にある公衆トイレのようないでたちの共同トイレ。中を見て絶句・・・。 二人の意見に即刻賛成して、銀川へ向かうことにした。だって既に二日もお風呂はいってないし。 銀川への途中、兵隊さんが、車をとめて、持参してるライフルを、おもむろに取り出したのはたまげた。(笑) 何をするのか?と見ていると、砂漠にいた白い鳥を撃とうとしていたのだ。見事に外れたけど・・。^^; 空の薬莢も私にくれた。銀川についたのはどっぷりと暗くなってから。途中、街のレストランでご飯を食べて、兵隊さんを官舎に送って、ホテルに到着。おおおおーーーーーー!!近代的なアメリカ〜ンタイプのホテルだ! |
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しかし、事件はここでおきた。(大げさな・・) ぱりっぱりのシーツがしかれたベッドで寝ていたが、ふと、真夜中に目がさめて、トイレに行ったら、足の付け根にカサブタがついている。まん丸でふくらんでて、「おかしいな?」と思いながら、寝ぼけた頭でかさぶたとっちゃえ!とつまんでみたら、柔らかいし、何かひかかっててとれない!(汗) さらに力を入れてひっぱってみたら・・・・床に落ちたので、顔を近づてみると・・・なんか足がもじゃもじゃ動いてる! ギャーーーー!!っと見てみると、まん丸の虫みたいので、足が動いてた・・。 とりあえず、寝ぼけたまま(笑)なので気にせずに寝た。 翌朝・・どうも足の付け根がかゆくてしょうがない。。蚊にさされたようにはれているし、昨日のことを思い出して、 「あれかな。。」と思いながらも、銀川の観光に出かけた。今日もドライバーさんと趙さんが街を案内してくれる。 岩絵やお寺、黄河などを見て、街の市場では絞りたてのゴマ油を買う。(うまかった!) そして、ドライバーさんのおすすめ、という食堂でランチ。ほんっとにおいしい! ドライバーさんに聞かれたので自分の名前を書いたら、それからは「チュンソン」と呼ばれるようになった。 「シャオジェ!」の方が響きはかわいいのにな・・。(笑)うーん、しかし渋い男前だから何でもOKだわ。 午後の観光の途中から、足の付け根がチクチクという痛みにかわり、なんとなく不安になってくる。同行してる母親の「それ、ダニじゃないの?ダニにさされるとライム病になるって聞いたわよ」の言葉が不安に拍車をかけ、病院につれていってもらった。 くらーーい校舎のようなところ。日も暮れてたのでますます不安になる・・。 とりあえず、診察室に通してもらって、趙さんが状況を通訳してくれる。 ほっそりとしてめがねをかけてとても頭のよさそうなお医者様曰く、「中国にはそういう毒虫はいないから大丈夫。一応注射をしておきます。」とのこと。思わず、「注射??針とか大丈夫かな・・・何の注射だろ。。」とつぶやいてしまった私・・。すると、お医者様はおもむろにペンを取り出し、紙に、「強力消毒薬」と書いてくれた。 え、日本語わかるの???と頭がちょっと混乱してるところへ、すかさず、日本語で「針、だいじょうぶです。」といいながら「新針」と書いてくれた。こんな所で日本語がわかる人がいるとはびっくりしました。失礼いたしました。。 それから、注射を受けるには、薬と注射針を買うということで、病院内の薬局で買い求め、注射を打って貰うことに。 学校の教室のような広い部屋に白衣のおばちゃま二人が3段の階段の両脇に座っておしゃべりに花を咲かせていた。(笑)看護師さんかな? 注射針と薬を渡すと、後ろ向きにその階段にすわるようにいわれた。「後ろ向き?」 強力消毒剤を体にいれてもらおうとはりきって洋服の腕まくりをしたのに、「後ろ向き??」 さらに、はいてるGパンをおろすようにいわれた。後ろ向きで階段にすわってGパンをおろす????? そう、おしりに注射を打つらしい。外国にきて人様の前でおしりだすなんて・・(涙) いわれるままにおしりをだして、注射をしてもらった・・・・、おしりって痛いじゃん、と思いながらGパンをあげかけた、その時! 「ガラガラガラ〜ン」とドアをあけて、子供づれの父親らしきおじさんが教室、いや、部屋に入ってきた。 ・・・・。外国にきて、まさかおしりを見られたうえに、パンツ一丁の姿まで見られるなんて・・(涙) しかし、強力消毒薬のおかげで心配事もなくなった私は、ドライバーさんと趙さんに連れられてどこかのホテルのレストランで鴨のビール煮?などのおすすめ料理をたらふく食べたのでした。(笑) しかし、朝食以外、水とかお茶のかわりにビール。。アルコール摂取量が多すぎ。(笑) 趙さんとドライバ−さんは本当にいい人たちで、翌朝、北京へ向かうために空港へ行くときは、部屋まできてくれて、 おみやげを渡してくれた。(おみやげくれたからいい人といってるのではないですよ・笑) 砂漠でとれるらしい食べられる草(発音が縁起が良いもので珍味らしい)と、銀川名物の八宝茶だった。 仕事でおつきあいのある中国の人たちの中には、そんなこに、、っていう位、恐縮するほどこれからの取引を願ってオミヤゲをくれる人たちもいる。でもそういうつもりでのオミヤゲではないことが感じられて嬉しかった。 本で読んだ縁起のいい草のことを質問したり、お茶がおいしい!っていってたのを聞いて、思い出に!て思ってくれたみたい。買い物する時間もなかったのでその心配りがうれしかったー。 八宝茶はナツメなどが入ってるお茶でふたのスキマから飲む。甘くておいしい。 午前中のうちに、別れがたいけど北京への飛行機に乗った。 北京は、、大都会だった。(笑) フートンとかふるい風情がある所は好きだけど、お店の人も押しが強くて、ガイドさんもドライバーさんもなんとなくせわしげで、いわゆる観光ずれしてる感はいなめなかった。それまでイナカにいたから余計にそう感じたのだと思う。最初に北京に入っていたら、街のエネルギーや活気のある様子にまた違った感じをうけたのかもしれない。 そういえば、北京空港の国内線ターミナルのゲート前でで果物が1パック1000円以上で売っていたけどなぜあんなに高かったのだろう・・。びっくりして買えなかった。(苦笑) 兵隊さんのおじさんにもらったものは今も玄関に飾ってる。彼は今頃どうしてるかな? |