History of Kevin Ayers

Kevin Ayers at the Rainbow Theatre, London 1974
ケヴィン・エヤーズは1944年8月16日に英国南東部カンタベリーのケントで出生した。彼がどのような幼年期を過ごしたかを詳しく伝える資料は無いが、6歳で家族と共にマレーシアに移住し、12歳で再びケントに戻っている。やがてエセックスのハイスクールに進学したそうだが16歳でドロップアウト、自由を満喫すべくあちこち放浪し始める。
1963年にはカンタベリーの産んだ伝説のバンド、ワイルド・フラワーズに参加。65年に同バンドを脱退しスペインのイビサ島やマジョルカ島を放浪、この頃後にソフト・マシーンを結成する事になるデヴィッド・アレンと出会っている。そして66年の8月、元ワイルド・フラワーズのロバート・ワイアット(Drs.Vo)、マイク・ラトリッジ(Keys)、デヴィッド・アレン(Gtr)、そしてケヴィン(Ba,Vo)の4人(正確にはもう一人、ラリー・ノーランというアメリカ人のヒッピー・ギタリストもごく初期に加わっていたらしい)でソフト・マシーンが結成される。彼らはUFOクラブやラウンドハウスといったロンドンのライヴハウスで演奏し注目を浴び、67年2月にはポリドールからデビュー・シングルをリリース、他数種のデモ録音も残している。その後デヴィッド・アレンが脱退しバンドは3人組となるが、ジミ・ヘンドリックスとアメリカ・ツアーに出たりと精力的な活動が続き68年4月にはファースト・アルバム“The Soft Machine”を米プローブ・レーベルに録音している。しかし長期のツアーはケヴィンに相当の疲労をもたらしたらしく、68年12月に彼はバンドを脱退、スペインはイビサ島へ旅立ってしまう。皮肉にも彼らのデビュー作はこの頃になってようやく発売、売れ行きは上々だったそうだ。
この時ケヴィンがイビサ島でどんな日々を過ごしていたか詳しい事は知らないが、創作意欲を高める上では非常に有意義な時期だったようだ。しばしの休息の後、ケヴィンはロンドンに戻りデモテープ制作を開始、当時ピンク・フロイド等を手がけていたブラックヒルズ・エンタープライズのピーター・ジェナーとアンドリュー・キングらと契約しEMI傘下のハーヴェストからソロ・デビューが決定した。
そして69年11月、記念すべきファースト・ソロ・アルバム“Joy of a toy”がリリースされる。旧友ソフト・マシーンやデヴィッド・ベッドフォードの協力を得て制作され、適度な前衛趣味とのんびりした牧歌的要素が同居した傑作である。その後もハーヴェストからは“Shooting at the moon”(70年10月)、“Whatevershebringswesing”(72年1月)、“Bananamour”(73年5月)の3枚をリリースしている。ケヴィンの音楽的イマジネーションはこの頃が頂点だったらしく、どの作品も涙ものの名盤揃いである。また、有名な話だが2〜3作目にかけては当時まだティーンエイジャーだったマイク・オールドフィールドがベース兼ギターで参加している。
その後ケヴィンはアイランド・レーベルへ移籍、74年5月には彼の作品中もっともプログレッシヴな感のある“The confessions of Dr.Dream”をリリースしている。アナログ盤のB面ほとんどを使った暗く重い組曲、ニコやマイク・ラトリッジといった多彩なゲストの参加、後に彼の片腕となるオリー・ハルソールとの初共演など聴きどころの多い名作である。このアルバムの流れで74年にニコやイーノとのジョイント・コンサートがレインボウ・シアター公演で行われ、その記録は74年7月に“June 1. 1974”として発表され、今でも容易に聴く事ができる。この後アイランドからは75年3月にエルトン・ジョンをゲストに迎えた“Sweet deceiver”を発表。前作とは打って変わったトロピカルな雰囲気のポップ・アルバムに仕上がっている。
76年には古巣のハーヴェスト・レーベルに復帰し、2月に編集盤“Odd ditties”、7月に“Yes we have no mananas”を発表。その後もハーヴェストからは78年4月に“Rainbow takeaway”、80年に“That's what you get babe”をリリースしている。この時期のケヴィンの作品にはどれもオリー・ハルソールが参加し、まさに片腕と言える活躍を見せている。その後ハーヴェストとの契約も切れ、ケヴィンはマジョルカ島に引っ越し、しばらくは第一線を退く。
82年にはスペインのみでシングル“Animals/Don’t fall in love with me”を発表。これは現在でもなかなか入手できないレア盤である。またこの頃スペインのマイナー・レーベルに録音した音源が後に“Diamond Jack and the queen of pain”(Charly, 83年)と“Deja...vu”(Blau, 84年)として日の目を見ている。前者はケヴィンらしからぬ打ち込みが目立つポップス、後者はラフなスタジオ・セッション風アルバムだ。その後86年にはIlluminatedというマイナー・レーベルから“As close as you think”がリリースされている。思えばケヴィンの歴史ではこの頃の作品が一番話題にならないが、どれも聴き所さえ見つければそれなりに愛着の湧く作品なのでファンなら一度は聴いて欲しいと思う。
ケヴィンの話題もいい加減途切れかけた88年、大手のヴァージンから“Falling up”がリリースされた。シンプルながら心に染みる唄が聴ける、味わい深い作品である。余談だが僕が初めてリアルタイムで聴いたケヴィンの作品がこれだった。ヴァージンと契約するきっかけはマイク・オールドフィールドの87年作“Island”収録曲、“Flying Start”でヴォーカルを務めたためらしい(この曲はテイクを変えて“Falling up”にも収録されている)。そしてこの年の12月、待たれていた来日公演が遂に実現。片腕オリー・ハルソールも引き連れて行われたコンサートは最高に素晴らしいものだったようだ(僕は大学受験だったので行ってないのです…ああ悲し)。
その後92年にはPermanent Recordsから現在のところ最新作となる“Still life with guitar”を発表。旧友マイク・オールドフィールドやアンソニー・ムーアを迎え製作されたアコースティックな雰囲気の作品だ。そして同年6月には二度目の来日公演が実現。サポート・ギタリストのケヴィン・アームストロング(オリー・ハルソールはこの公演直前にドラッグでこの世を去っていました・・・合掌)を一人加えただけのシンプルな弾き語り公演だった。
90年代中期にはケヴィンの旧作が全面的に再評価され、BGOレーベルから各オリジナル・アルバムや編集盤が発売された。このときに初めてケヴィンの歌に触れた人も多いのではないだろうか。また、ラジオ放送用音源や長いこと眠っていた幻系レコーディングも発掘され、98年現在様々な形で発売されている。ライヴ音源では95年に行われたロンドン公演を収録したライヴ盤“Turn the lights down!”も99年末にMarket Squareより発売された。
2000年代に入ると再びケヴィンが積極的に動き出した。中でもうれしかったのは、2002年3月に再々来日公演が実現したことだ。さすらいの詩人はバックバンドのStarvin Marvinを引き連れて10年ぶりに日本に降り立ち、東京と大阪でコンサートを行い、大盛況のうちにツアーは終了した。筆者がケヴィンと直接会話したのもこの時が初めてだったが、予想以上に優しい人柄には感激させられた。ちなみにStarvin Marvinのリーダー、Marvin Siauはケヴィンの88年作"Falling Up"で"Another rolling stone"を共作した人物であり、80年代初期からケヴィンと交流のあったミュージシャンである。
その後ケヴィンは現在に至るまでヨーロッパをベースにマイペースな活動を続けている。筆者は2003年11月にロンドンのアストリアで久しぶりにケヴィンを見たが、バックバンドとの息もぴったりと合っており、まとまりの良い演奏を聴かせてくれた。そのときの話ではニューアルバムのレコーディングも進行中とのことで非常に楽しみである。今のところアルバム発表時期ははっきりしていないが、近いうちに世に出てくれると思う。
更なる日本のファンへの吉報は2004年5月に4回目の来日公演が決定した。今回は西日本から始まり東京に向かうツアーである。恐らく今度は新曲もばっちり聴かせてくれるだろう・・・(04.01.09)