ハインリヒのお誕生日♪

 

今日はハインリヒの誕生日だ。とはいえ、そういうイベントを嫌う彼だったから、表立ったことは一切しない。
しない代わりに、単なる宴会を設けることにした。実はそれこそが「表立ったこと」になるのだが、そのへん、ハインリヒは気付いていないからいいのだ。おそらく「お誕生日おめでとう」など言わずに、ただの宴会という名前なら何でもいいのだろう。
そんなわけで、夕食後に酒宴となった。

――最初は本当に和やかな雰囲気の「オトナな酒宴」だった。
が、

「なんだか物足りねーな」

というジェットのひとことで、リビングはテキーラ勝負の場と化した。
最初はジェットとハインリヒのテキーラ勝負。これはもちろんハインリヒの圧勝だった。堕ちたジェットはリビングの床を這うように出て行き――その後どうなったのか、誰も知らない。

次はジェロニモと僕の勝負だった。接戦だった。が、僕は自分の限界を知っているので無理をせず途中で棄権した。根性ナシと罵られようが構わない。だって、勝ったら次の勝負が待ってるんだぜ?やってられるか。

そんなわけでジェロニモとハインリヒの対決となった。
事実上の決勝戦である。

「ちょっと待って」

可愛い声に全員がその主を注視する。

「もうテキーラがないの」

困ったように頬に片手を当てて言う。

「なんだ、だったら何でもいいよ。ウォッカでも日本酒でもワインでも」
「・・・そうお?」
「ああ」
「じゃ・・・ワインね」

何だか変な勝負になってきたぞ。
でもまぁ・・・ジェロニモは誕生日の主役に栄光の座を譲るつもりでいたから、早々にダウンしてみせた。
もちろん、ハインリヒには僕達の作戦なぞ丸見えである。が、それを敢えて言わないところがオトナの男だった。どこかの誰かとは違う。

「強いわねぇ、ハインリヒ」

フランソワーズがワインのボトルを片付けながら言う。

「でも、まだ勝負してないひとがいるわ」
「あん?ジョーのことか」

ジョーは今夜遅くなると言っていた。なんでも、セッティングがどうのとか言ってたっけ――フランソワーズが。

「ううん、ジョーじゃないわ。わ・た・し」
「はあ?」

うふふ、と微笑むフランソワーズ。なんだか勝負する気まんまんである。
おい、どうするよ・・・と僕はハインリヒとジェロニモと目を合わせた。ジェロニモが軽く肩をすくめる。話は決まった。

「フランソワーズ。いきなり優勝者と勝負というのはどうだろうか。まず、ジェロニモの敗者復活戦というのはどうだろう」
「いいわ」

そんなわけで、急遽――フランソワーズとジェロニモの対決となった。日本酒で。
手加減しろよと僕とハインリヒが見守る中、なんと完璧にノックアウトされたのはジェロニモの方だった。

「えっ!?」
「・・・不覚・・・後は頼む・・・」
「おいっ、ジェロニモっ」

リビングのソファに横たわり、目をつむるジェロニモ。呆然と彼を見下ろす僕とハインリヒ。

「うふっ、勝っちゃった」

無邪気にVサインを送って寄越すのは可憐な少女のはずのフランソワーズ。

「・・・まぁ、ジェロニモはさっきから飲んでたからな。ハンデが多すぎたか」
「でも勝ったから、次はハインリヒと勝負よ」
「え?俺か?先にピュンマじゃないのか」
「ええっ」

冗談じゃない。

「僕は倒れたほうの介抱係だから」

と勝手に立候補してみる。

「だから、そう――ジェットの様子を見てくるよ」

そう言ってリビングを後にした。
だから、彼女と彼がどんな勝負をしたのか全く知らない。
何しろ、ジェットの捜索は困難を極め――まぁ、別に本気で探していたわけじゃないけど――ランドリールームのドア付近で行き倒れているのを確認したのはけっこう経ってからだった。
自室のある2階へ行く途中ではなく、なぜ遠いランドリールームへ向かったのかはわからない。
僕はいちおう、そばにミネラルウォーターを置くとリビングに戻った。

そして。

「あ、ピュンマっ。うふふ、勝っちゃったぁ」

という雌虎を見つけたのだった。
ハインリヒは前後不覚で倒れていた。
そばには日本酒とワインのボトルが転がっている。

「勝った・・・って」
「ふふ、あたしって意外と強いのかもっ」

なんだか呂律がアヤシイし、頬も真っ赤になっている。

「うん、そうだね。さ、もう気がすんだだろ。後片付けは僕がするからもう寝たら」
「やあねぇ、ピュンマったら。まだ勝負は終わってないでしょ!」

急に凛とした声を出したと思ったら、びしっと指差すのは僕の顔だった。

「い・・・ええっ?」
「さ。勝負よ勝負っ」

・・・嘘だろ。

「いやでもさ、フランソワーズ。もうだいぶん飲んだだろ」
「こんなの、まだまだよお」

――困ったな。

「もうっ!ピュンマったら!アタシのお酌が受けられないっていうの」
「いや、そういうわけじゃなく・・・」
「酷いわ。アタシがジョーのだから、って、そういう差別するんでしょ」
「いや、そういうわけじゃなく・・・」
「でもアタシはジョーじゃなくちゃイヤなんだし、ジョーだってアタシじゃなきゃ駄目なんだもの。そんなの、どこかの神様が決めたことでアタシたちのせいじゃないわ!」
「うん、そうだね」
「でしょっ!?だったら勝負よ、勝負っ」

・・・フランソワーズは酒豪で酒乱だったのだろうか。

満面の笑みで差し出されたワイングラスになみなみと赤ワインを注がれる。手元が怪しくなっているから、テーブルの上や絨毯の上にぽたぽた垂れている。明日の朝、この絨毯のしみは自分がやったと憶えていてくれるといいんだけど。

「ん。かんぱー・・・」

乾杯。と、グラスを掲げる途中、フランソワーズは不自然に止まった。

「フランソワーズ?どうかした?」
「・・・大変っ」

言うと、そばにあったミネラルウォーター500ミリリットルを一気に飲み干した。そうして手の甲で口を拭うと、そのまま駆け出し、歯磨きしながら戻ってきた。そうして器用に散乱するボトル類を片付け始めた。

「ピュンマはおつまみとか片付けて!」
「え、ああ、うん」

この豹変ぶりはいったいなんだろう?

そうするうちに、ミントの香りをさせたフランソワーズは階段を駆け上がり、あっという間に服を着替えてきていた。何故かかすかに薔薇の香りがする。
そして、自分の髪や腕をくんくんと嗅いでヨシと頷いた。

一体どうなってるんだ?

僕が散乱したままのおつまみやビール類、コップ類を片付けていると、ギルモア邸の外にエンジン音がして――ジョーが帰って来た。
エンジン音はいったんガレージに行き、そこで静かになった。
そして。

「ただいま」
「おかえりなさーいっ」

フランソワーズがぱたぱたと駆けて行く。

「遅かったのね、ジョー」
「うん。思ったより長引いてしまったよ」

ジョーの腕に甘えるように絡まりながら、フランソワーズが戻ってきた。

「・・・あれ。宴会か何かしてたのかい」

ジョーがリビングの惨状を見つめ、もっともな質問を口にした。

「ハインリヒのお誕生日だったから」

フランソワーズが甘い声でジョーに説明する。まだアルコールが残っているな、これは。
しかしジョーは彼女の異変には全く気付いていなかった。

「ふうん・・・で、みんなで彼を潰したのかい?」
「ええそうなの、ジェロニモとジェットもつぶれちゃって」
「へえ。みんなで」
「そう、誰が一番強いか決めるって言って、それで。困っちゃうわ、もう」

潰したのはお前だろーが、フランソワーズ。気づけ、ジョー!

「ピュンマは無事だったんだね」

呑気な笑顔を向けてくる。

「ああ、僕はちょっと・・・ね」
「ふうん。フランソワーズは飲まなかったのかい?」
「イヤね、ジョー。私が弱いの知ってるでしょう?」
「うん。知ってる」
「もうっ、意地悪ね」

既に僕など眼中になく、二人はイチャイチャしながら去って行った。

・・・恐ろしいものを見てしまった。
これはたぶん、幻覚に違いない。そうでなければ、いくらなんでも人ってあんなに急に豹変したりはしないだろう。
僕は何だか急に酔いが回ってソファにもたれるように床に座り込んだ。そのまま目を閉じる。

ジョー。
お前の知らないフランソワーズはたくさんいるということに早く気付け・・・