「――ただいま」
朝から図書館に行っていた僕が午後遅めの時間に戻ると――そこは修羅場だった。
もちろん、一般的に普通に想像し得る「修羅場」とは意味が異なる。
僕が言うのは、我が家――ギルモア邸――における「修羅場」のことである。
つまりそれは。
「ずるいよ、フランソワーズ」
おかえりなさいという言葉の代わりに真っ先に聞こえてきたのがこれだ。
拗ねたようなジョーの声。いや…違うな。拗ねた「ような」ではなく、拗ねているジョーの声。だ。
全く。ジョー、お前はいつになったら成長するんだ。精神的に。
嘆息しながら靴を脱ぎスリッパに履き替え――リビングに向かう。もちろん、向かわなくてもいいのだけれど――なにしろ僕には特にリビングを覗く義務はないし、修羅場を繰り広げているそこにかかわる気も全くない。できればスルーしたいし。しかし僕にはフランソワーズに会わねばならない理由があるのだった。
だから、そうっとリビングを覗いた。フランソワーズも当然そこにいるのだろうなと思いながら。
「ずるくないわ、酷いのはジョーよ。言い掛かりよそんなの」
いた。
そしてこちらも当然の如く――何しろ修羅場なのだから――唇を尖らせ拗ねた声を出していた。
いや、ちょっと違うな。フランソワーズは拗ねているのではなく、怒っているのだった。
やれやれ。
ジョーよ。今度は何をやらかした?
「言い掛かりなもんか。ずるいからずるいって言ってるんだっ」
あああ。小学生かお前は。
「ずるいって言う言葉の使い方が間違ってるわ」
フランソワーズにそう言われるお前の日本語って。
「じゃあ、贔屓だっ」
「何よそれ」
「僕の時にはしてくれなかったじゃないかっ」
「ふうん…ジョーったら妬いてるんだ?」
「なっ…違うよっ」
「あら、そうでしょう?」
「妬いてなんかないよ、フランソワーズになんかっ」
「何よなんかって」
「なんかだよ、フランソワーズなんかっ」
……。
リビングを一瞥して全てを理解した僕は頭がいいのか、彼らがバカなのかどっちだろう?
二人はリビング――というかダイニングにしている部分のテーブルを挟んで言い合っていて、そのテーブルの上にはケーキが載っていた。大きく中央に「8」とチョコレートで描かれたもので、おそらくそれは日程的に僕のベースデーケーキに間違いなくて、そしてそれはたぶんフランソワーズの手作りに違いなくて。
そしてジョーは、自分の時にはケーキを焼いてくれなかったことを言っているのだろう。
それは単純なヤキモチに違いなく。僕は思わず眉間を揉んでいた。知らず、眉間に皺が寄ってしまっていたので。
ジョーよ。もうちょっと思い出してみようか。
お前の誕生日がどのように過ぎていったのかを。
大体、お前ら二人ともジョーの誕生日にはここにいなかったじゃないか。
なんだっけ、前日――いや、一週間――いや、一ヶ月前くらいからだったか。二人揃ってどこに行こうだの楽しみだねだのなんやかや嬉しそうに額をつき合わせてお出掛けの予定を立てていただろう?
そして当日は早々にここを発ち、何日かして帰って来た時は物凄く上機嫌だったじゃないか。
お出掛けしていたのだから、当然フランソワーズがケーキを焼くなんてことはなかった。ちょっと考えれば――考えなくても――わかるだろう?
それを今頃言われてもフランソワーズだって困るだろうし、怒っていいだろうさ。
「もう…ジョーのばか」
おっと。
怒るより呆れたのか、フランソワーズのテンションが急に下がった。
まずいぞこれは。
「もう知らないっ。嫌い」
「え!?」
「酷いわ、そんな風にいう事ないじゃない」
あああ、泣くぞこれは。
「ケーキを作って欲しいんだったら、僕にも作ってねって言えばいいじゃない。どうしてそんなに怒るの?」
いや、ジョーは怒ってないぞ。拗ねてるだけだ。落ち着け、フランソワーズ。
「ピュンマは大事な仲間じゃない。贔屓とかそんな風に言うジョーなんて嫌いよ」
大事な仲間という言葉に思わず目頭が熱くなった僕は、ちょっとだけ彼らから注意が逸れた。
「――二回も言うことないじゃないか」
だからジョーのテンションも下がったのが何故なのか、わからなかった。
「いいよもう。…僕だってフランソワーズなんかき」
「なんだなんだ、何揉めてんだ?ああん?」
修羅場が愁嘆場に変わりそうになった瞬間、僕の脇をすっと何者かが通り過ぎリビングに闖入した者がいた。
「お。うまそうなケーキ。どれ、味見…っと」
ケーキに目をつけ指先でクリームを掬い取って舐めた勇者は、
「ジェット!!それ、ピュンマのケーキなのよっ!」
「なんだよ、細かいこと言うなって。どうせみんなで分けて食うんだろ?――ん?ジョー、お前何拗ねてんだ。ははん。ヤキモチか。フランソワーズがピュンマにケーキ焼いたーって」
さすがだジェット。一瞬で全てを理解するとは…って、当たり前だよなあ。
「いーじゃねーか。後でお前も食えるんだし、それこそ細かいことは着にすんな。な?ピュンマ」
「え?お、おう…」
「えっ、ピュンマ帰ってたの?大変っ、準備がまだ途中よっ、ジョー、手伝って!」
「う、うんっ」
慌ててリビングから出て行くフランソワーズとそれを追いかけるジョー。やけに嬉しそうなのは気のせいだろう。
「やれやれ」
「アイツらしばらく戻ってこないな」
「だな」
「ま、先にこっちはこっちでやってようぜ」
そう言ってジェットは手にしていたスコッチを振ってみせた。
おいおい、それは博士秘蔵の…ま、いいか。
キッチンが妙に静かなのは気にしないようにして、僕とジェットは乾杯した。
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