DNA

(お好きな009で)


―1―

 

「気持ちよかった…」

ほっとしたように汗のなかからフランソワーズが呟いた。
乱れた髪。上気した頬。火照った身体。

「――そうか」

ジョーは物憂げに身体を起こした。髪をかきあげ、そのままフランソワーズを見下ろす。

「ええ。…どうかした、ジョー」
「…いや。別に」
「良かったわ。ジョー」

フランソワーズの口角がゆっくり上がる様子をじっと見つめ、ジョーは無言だった。
そのまま彼女に背を向け、下着を身につけジーンズに脚を通した。
そして立ち上がった。

「ジョー?」
「――いや。シャワー浴びてくる」
「そう。…ねぇ、私も一緒に」


その時だった。
ジョーに向かって一撃が加えられたのは。

しかし、一瞬前までそこにいたはずのジョーの姿は既になく、必殺の一撃は虚しく空を切っただけだった。

「ちっ」

フランソワーズは全裸のまま立ち上がると獲物を探すように周囲を窺った。
その双眸は既に彼女のものではない。
見開かれた瞳は爛々と輝き口元からは人間とは思えない乱杭歯が覗きその両手の爪は長く伸びていた。

「どこにいった――009」

そしてみるみるうちに彼女の背が割れ、本来あるべき姿が現れ始めた。

「009、逃がしはしないよ」

低く唸るように言った声は楽しげに聞こえた。
今や彼女――フランソワーズだったものは巨大な節足動物に姿を変えていた。
したたる体液。6本の節くれだった足にはびっしりと毛が生え、胴体はぬらぬらと光っていた。

「…やっぱり、な」

天井から声がしてフランソワーズだったモノは頭部にあたる部分をそちらに向けた。

「009っ」
「そうじゃないかと思っていたが…」

天井に張り付いたままジョーはため息をついた。

「――いやだなぁ。フランソワーズの顔が台無しだ」
「ふっふっふ…愚かな009.出し抜いたつもりかもしれないがもう遅い。貴様のDNAは貰った」
「――DNA?」
「我が体内に、な」


地球外生命体――とイワンは言っていた。
高度な知能と文化を持つものの、環境に耐えうる進化を遂げられず絶滅寸前なのだという。
短時間の擬態能力を有する彼らは、地球におけるヒトの進化に目をつけその遺伝子を手に入れようとしていた。
精鋭が地球にやって来たのをイワンが察知し早々に駆逐すべくゼロゼロナンバーサイボーグが戦っていたのだった。
遺伝子を手に入れたあと彼らはおそらく地球をも手に入れようとするだろう。ヒトの形となって。
そんなことをさせるわけにはいかなかったから、009が囮となったのだった。


「ふうん…DNAか」
「いずれ我が体内から無数の子が産まれてくる」
「へぇ。多産なんだ」

本当に昆虫なんだなと変なところに感心したりする。が、見た目は長時間注視したい姿ではなかったから、それがたくさん生まれるのかと思うとあまりいい気持ちはしなかった。

「でも――残念だったね」

ジョーはそう言うとその頭部に照準を合わせ、あっけなく引き金を引いた。
レーザーが無慈悲にも地球外生命体の身体を貫いた。
茶色の液体をばらまきつつ、生命体はまっぷたつに割れて地に落ちた。

「――やれやれ」

ジョーは床に下り立つとその残骸を見つめ、ポツリと呟いた。

「…出してないから」

 



―2―

 

「ご苦労だったな009」


仲間に労われても009は無表情だった。
メンバーのなかで性行為込みの囮が可能だったのは僅かだったから、009がそれを担ったのは仕方なかったといえばいえる。が、相手が地球外生命体と知っていてことに及ぶというのはけっこう苦痛だった。
しかも敵はこちらを調べ尽くしており、003の姿になっていたのだ。勿論、009としてはそれはむしろありがたかったりもしたのだけど(本来の姿ではとてもじゃないができやしない)。

「…サイボーグじゃなかったら無理だったな」

むっつりと言う009にメンバーは口々にごくろうさんと声をかけた。
サイボーグだからこそ行為から生じるエロスをシャットアウトし、無機質なままでいられた。
射精すらコントロール可能とは知らなかった。

「…ハァ」

009は大きく息をついた。
なんだかとても疲れた気がする。いや、実際疲れているのだろう。身体が重い。
もしかしたら中途半端な性行為が疲労を増長しているのかもしれない。射精をしていないとはいえ、挿入は行われたのだし――海綿体までコントロールはできなかったから、そこに至るまでは通常の手順を踏まなければならなかった。
仲間はそのことに関しては慎ましく黙っているけれど。


――フランソワーズが知ったらどう思うんだろうなぁ…


身体が重い上に気持ちが重いのはそのせいだろう。
今回のミッションから意図的に003は外されていた。が、概要はなんとなく知っているに違いない。

009はこれも浮気のうちに入るのかなぁとぼんやり考えていた。

 



―3―

 

「浮気じゃないでしょ?」


仲間には、黙っていたほうがいいと言われたものの、結局ジョーは話してしまっていた。
それはフランソワーズに隠し事をしたくはないという誠実な思いなどではなく、単に黙っているのが辛かったのだ。
だから、重い荷物を彼女に預けた。それだけのことだった。
黙っていればいいものを自分はなんて自分勝手な男なのだろうと話した後でジョーは酷く落ち込んだ。
フランソワーズが聞いて気持ちのいい話ではないことはじゅうぶんわかっているのに。
しかし、フランソワーズの反応は予想外だった。

「ミッションだもの」
「…そうだけど」

確かにそうだ。
しかし。
敵とはいえ、はからずも肉体関係を結んでしまったのは事実だった。
相手がフランソワーズの姿をしていたからというのはさすがに言えなかったけれど。

「そのひとのこと、好きだったわけじゃないんでしょう」
「当たり前だ」

ちなみにフランソワーズには敵が昆虫もどきだったということも伝えていない。

「だったらいいじゃない。変なの、ジョーったら。気にし過ぎよ」

ころころ笑うフランソワーズに救われた気持ちになったのは確かだった。
しかし、なんだか釈然としない。

「だって、そのぅ…出してないんでしょ?」

頬を染めて言いにくそうに言う姿は可愛かったけれど、フランソワーズの口からそういうことを聞きたくはなかった。

「ああ。挿れたけど出してない」

DNAを渡してはいない。

「だったらいいじゃない。普段のあなたのほうがよっぽど浮気よ」
「!!」

その瞬間、ジョーはフランソワーズを組み敷いていた。

「――なんだよ普段って」
「だって」
「浮気なんてしたことない。これからだってするつもりはない」

フランソワーズは無言だった。
ただじっと静かにジョーを見つめている。
その真意を測りかね、ジョーはフランソワーズを組み敷いたまま動けなかった。

「…フランソワーズ」
「なあに」
「僕はフランソワーズとしかしないよ」
「…そう」
「本当だ。フランソワーズとしかしない」

今回だって「フランソワーズの姿をしていたモノ」が相手だったのだ。中身は全く違ったけれど。
大体、フランソワーズが「気持ちよかった」なんて感想を言うわけがなかったし、ましてや「良かったわジョー」なんて言ったりするわけがないのだ。
いつも彼女は頬を染めたままジョーに微笑むだけで、ジョーはその姿がとても好きだったし、愛しいと思っているのだ。

「本当に?」
「本当だ」
「じゃあ…言ってもいい?」
「えっ?」

ジョーが怪訝な顔をした途端。フランソワーズが大音量で叫んだのだった。

「ジョーのばかばかばか!浮気じゃないってわかってるけどそういうことするのは嫌なのっ」
「あの、フランソワーズ?」
「私以外とそういうことしちゃ嫌っ」
「え…と」

先刻までのフランソワーズとの違いにジョーは戸惑うだけだった。

「ミッションだってわかってるけど、でももう二度と嫌っ」

真っ赤な顔をして、目尻に涙の粒が浮かんで。

「ジョーのばかっ、009なんて嫌いっ」
「…」
「聞いてるの、ジョー」

聞いてるよ――と言う代わりに、ジョーはフランソワーズにくちづけていた。
更に何か言いたそうなフランソワーズだったけれど、徐々に静かになった。

…そうか。僕は妬いて欲しかったんだ。そして僕はきみのものだと言って欲しかったんだ。

だから全てを告白した。そして安心したかったのだと気がついた。
サイボーグだから、身体は色々とコントロールできるけれど気持ちはそうはいかない。
それこそがロボットではなくサイボーグであるということなのだろう。


――誓うよ。フランソワーズ。

僕はこれからもずっと…