「ジョーのCM 車編」
〜あなたの背中が好き〜

2008.1.7-1.13 子供部屋・ピュンマ様部屋 連載

注:文体が現在と違います。が、雰囲気をそのまま残すために敢えて手を入れませんでした。
御了承の上、お読み頂ければと思います。

 


1月7日  

   

「やっぱり日本はいいなぁ」

迂闊にもこんなセリフを言ってしまうジョー。
案の定、お嬢さんの瞳がきらりんと光ります。

「それってどういう意味かしら?」

にっこり。

怒られるよりも笑顔の方が怖いのです・・・が、全く気付いていないジョー。なんだかパリから帰って以来、こういう「心の機微」とかそういうものに若干疎くなったような気がします(元々そうだったかもしれませんが)。

「んー?だってさ」

お粥を食べている手を止めて、きょとんとお嬢さんを見つめるのです。

「パリにいたら七草粥なんて食べられないだろ?」

こちらもにっこり。

一見、とっても和やかに見える夕食の風景なのです。
そうです。今日は1月7日、七草粥の日なのでした。それを食べながらの会話なのです。

「・・・ふぅん?じゃあジョーは七草を全部言えるのね?」
当然よね、日本人なんだから。

と付け加えて、笑顔のままじーっとジョーの顔を見つめてます。

「えっ・・・七草・・・」

言葉に詰まるのを、お粥を食べる事でごまかしたりして。

「・・・そんなの、知らなくたって生きていけるよ」

小さく呟いてお粥と一緒に飲み込んで。
が、それを聞き逃したりする003ではないのでした。(でも耳のスイッチはいま入れてません)

「ま。そんな事言って。だめよ、ちゃんと言えなくちゃ」
「いいよ、おかわり」
「・・・3杯目よ?食べすぎじゃない」
「そうかな」
「しょうがないわねえ」

食べているジョーをじっと見つめて、自然に微笑むのです。

・・・まぁ、いいわ。許してあげる。

―――という「みんなで夕ごはん」なのに、勝手に「二人の世界」を作っている二人をそのまま放っておく面々。
いい加減慣れているのです。慣れないと、ここで一緒に暮らすのは辛いのです。

食卓に二人を残し、リビングに来た一同。
ピュンマ様が淹れたコーヒーを飲んでいます。それぞれ適当に寛ぎつつ。
何気なくジェロニモがテレビをつけたのですが・・・

「・・・あれ?ジョーがいる」

車のCMなのですが、ジョーが出ているのです・・・・?

「これ聞いてないよな?」

とジェットが言えば「ああ」とアル様も返します。
彼がCMに出るというのはちっとも珍しくはないのですが、車のCMだけは全員の興味が一致するところであり、そのあたりのジョーの予定はいつもチェックを怠らないのです。(何故なら、大抵「CMしたその車」をジョーが貰ってくるからなのです。それぞれ「日本で自分が乗る車」が欲しいなーと思っているのでした)



ジョーのCM@

 

リビングに居る全員がテレビの映像に釘付けになる。別にジョーの姿を見たいわけじゃない。
そうではなくて、彼の乗っている車――つまり宣伝している車が何なのかが問題なのだった。

「ジェット。君は自分の車を持っているだろう?それにジョーみたいにいくらでも手に入るじゃないか」

僕がそう言うと、ジェットは喉の奥で「けっ」と言った。・・・お行儀が悪いぞ。

「あのなー。俺にはジョーみたいに降るほどの出演依頼はこねーんだよ」
「そうだな。この間見たのは滋養強壮剤の」
「黙れ。それ以上言ったら殺す」
「・・・ほう?俺と素手でやりあおうってのか?だったら付き合うぜ?とことんまで」
「全く、ジェットもアルベルトもやめてくれよ。ジョーのCMが終わっちゃったじゃないか」
「安心しろ。提供が同じだからまたやるよ」

ジェットから眼を離さず、右手を構えつつ言うアルベルト。

「・・・やめろってば。ジェット、お前もだ」
「だけどよぉ、俺のCMの話なんかしやがるから」
「いいじゃないか。どんなのだって」

言った途端、瞬殺されそうな視線で睨まれる。

「い、いや、ホラ、秋にやってたアレ・・・えーと。乳癌検診のCM、あれは良かったよな。うん」
「・・・それほどでもねーよ」
軽く鼻を掻いてそっほを向く。よかった、助かった。

と、ジェロニモが再びテレビを指差した。
「ジョーのCM、始まった」

再び全員がテレビの前に殺到する。

「・・・凄いなぁ。これ、スポーツタイプだよな」
「次は誰が貰う順番だったっけ」
「俺」

一斉に視線がジェロニモに集まる。
一瞬の静寂。

「・・・無理だろ。乗れるもんか」
「お前はもっと別のがいいんじゃないか」
「別のってどんなのだよ」
「トラックタイプのとか」

口々に勝手な事を言う。が、ジェロニモは全く意に介さず上機嫌だった。

「大丈夫。前にジョーが言ってた。車のタイプは選べるって」
「選べるのか?」
「ああ」

そうなれば、ジェロニモが乗れるような車ではないと指摘し、自分が貰ってしまおうという目論見は崩れ去ってゆくのだった。


「どうしたの?テレビの前に集まって」

リビングのドア付近で可愛い声がした。――声の主は見ずともわかっている。何しろこの家に女性は一人しかいないのだから(だけど既にとある人物に独り占めされているけれど)。
視線を移すと、果たしてそこに居たのはフランソワーズ・・・と、手を繋いでいるジョー。パリから戻って以来、しょっちゅうくっついている。前はもうちょっと奥床しかったと思ったけどな。いったいパリで何があったというのだろう?

「ジョーが車のCMに出てるんだよ」
「・・・CM?」

フランソワーズの眉間に皺が寄る。と同時に隣のジョーが「しまった」という顔をする。
なんだなんだ?何か問題があるのか?

「CMなんて聞いてないわよ?いつの間に撮影してたの?」
「えー・・・と、言ってなかったっけ?」
「言ってない」

ごめん、009。僕が迂闊だった。でもまさか003に言ってなかったとは思ってもみなかったんだ。
・・・と、敢えてコードナンバーで呼んだのは僕も動揺してたからで・・・

「ピュンマ。何か知ってるんじゃないの」

矛先がこちらに向けられる。さすがだな003。いつもその鋭さには感服するよ。

「いや、僕はなんにも」

知らないよ、と手のひらをひらひらさせる。おーい、誰か助けろよ・・・って、どうして誰もいないんだ?
いつの間にか全員脱走していた。さすがゼロゼロナンバーサイボーグ。状況の判断や危機管理能力は確かなものだ。・・・って感心している場合ではなく。

困ったな。

大体だな、どうして何も言ってなかったんだよ009。君が一番の原因じゃないか。
そうだよ、どうして言わなかったんだよ。『モナミ公国でCMの撮影をしてくる』って!


 

結局、七草粥を5杯も食べて(ジョー曰く「普通のゴハンだったら2杯分くらいだよ」)機嫌の良いジョー。
後片付けなんて後でいいからさ、とフランソワーズの手を引いてリビングに向かいました。
パリから戻って以来、フランソワーズと手を繋いでいることが多くなったなーと頭の隅で考えつつ。・・・頭の隅で考えてはいるものの、さして気にはなっていないのです。なんだかそれは当たり前の事のようにも思えて。
なので、今日もいつものように手を繋いでリビングに来たのですが・・・

テレビの前に集っている面々。
――何してるんだろ?
と、ちらっと思い、その時隙間から見えた映像に一瞬で血の気が引いたのでした。

・・・これは、まずい。

そっとフランソワーズの手を引いて意識をこちらに戻そうとするのですが、既に彼女の耳にはピュンマの言葉が届いていたのでした。即ち、「ジョーの車のCM」をみんなで見ているところだという。

だめだよっピュンマ。フランソワーズには言ってないんだから!

と「眼」で語ってみたところで、彼の必殺タラシ光線(ってなんなのー。自分で書いていて「そんな表現イヤ」と思う私・・・)は男性には無効なのでした。

・・・・・・・やばい。

なぜか汗が出てきます。勝手に。そしてそれは手のひらにも言えることであり・・・案の定、不審げなまなざしはジョーにも向けられてしまうのです。

「ジョー?何か隠してる?」

隠してないよ。
と、言いたいのに何故か声がでません。フランソワーズに嘘をつくというのはとっても下手なのです。何しろ蒼い双眸に見つめられると「ああもう、全部僕が悪かった」という気持ちになってしまい、心理的に降参してしまうからなのです。従って、今も精神的にはすっかり負けてしまっているジョーなのです。

「CMなんていつ撮影したの?・・・これ、最近よね?」

追求の手は緩められません。
でも、ぎりぎりまで「その時」を引き延ばしたいジョーなので・・・黙秘を続けるしかないのです。何しろ何を言ったところで「嘘」というのはバレバレになってしまうのは必至ですし。

「パリに行く前くらい・・・?」

と、いうことは。

――と、いうことは!?さて、彼がパリに行く直前に「突然出かけた」トコロといえばどこだったでしょう!!



ジョーのCMA

 

それにしても。
いくら提供だとはいっても、こんなに何回も同じCMをリピートしなくてもいいんじゃないか?・・・などなど思いつつ、去るに去れなくなったリビングにただ立ち尽くしている。なんだろうな、これって。苦行?

他のメンツはとっくに脱出を果たしており・・・大体、このふたりのヤヤコシイことに巻き込まれるのは何故か僕と決まっているんだよな。逃げ遅れる僕自身にも問題があるのかもしれないが。

閑散としたリビング。
大画面テレビの前に座り、微動だにしないのはフランソワーズ。そしてその背後に所在なげに佇み、彼女の肩に手をかけようか髪を撫でようかそれとも何もしないほうがいいのか・・・と逡巡しているのはジョー。
手を伸ばしては引っ込め、腫れ物に触るみたいにびくびくしている。

そしていま、画面に映っているのはもちろんジョーのCMだった。

金色に近い栗色の髪。
その前髪の隙間から見える、憂いを帯びた茶色の瞳。
まっすぐ前を見据えている精悍な横顔。
前に広がる道は狭く、曲がりくねっている。右手は絶壁で、ひとつハンドル操作を誤れば命に危険が及ぶだろうと容易に想像させる。
そんな道をかなりのスピードでひた走る車。
抜群の反射神経。運転はまったく危なげがない。
華麗なドライビングテクニック。
アクセルを踏む。
やがて車は目的地・頂上に辿りつき・・・車を降りる青年。
そして、後ろ姿。

・・・という、CM自体はありがちの何の変哲もないものだった。
車を運転しているジョーの横顔、手元、ハンドルさばき、シフトチェンジ、アクセルブレーキのタイミング等々と各1秒くらいずつ映してゆき、そして車全体の走行が前後左右上空から映され最後は頂上で夕焼けを浴びて佇む青年の図。というものだった。
まったくよく見るパターンのCMである。
しかもレーサーの顔は一瞬横顔が映るだけで、かろうじて「レーサー・島村ジョー」だとわかる程度。モータースポーツに興味のないひとには全然わからないだろう。(ただし、小さくテロップで名前が出るのだけれども)
ラストシーンは後ろ姿だけ。しかも服装はいつものジャケットスタイル。
なんとも地味なCM。・・・なんだけど。

同乗者がいなければ、ね。

途中までは車とジョーの横顔と運転しているあれこれ・・・しか映っていないからわからなかった。
でも、同乗者がいるのかもしれない・・・と想像させるに難くないシーンも随所にあり・・・。つまり、ちらりと隣の席に誰か居るとわかるくらいに人物が映っているのである。それも、女性が。

最後のシーン。
車を降りた青年は、助手席側に回り手を差し伸べて女性を車から降ろし・・・その腰に手を添えてエスコートし、一緒に夕陽を見つめる。と、いうものだったのだ。
女性は誰なのか?
顔は一度も映っていない。横顔すら。
だけど、撮影地がモナミ公国で・・・あの体型にあの髪の色とくれば、僕らには絶対に彼女だとわかる。
女王がCMに出るなんて考えられないけれど、何しろあの国は彼女の代になってから革新的であり様々な事に進出してきている。これもきっとその一環なのだろう・・・たぶん。まさか、ジョーを篭絡する手段・・・って事はないよな?それは僕の考えすぎだよな。きっと。
何しろ、彼女と関わって以降のフランソワーズとの冷戦状態は傍目で見ていてもかなり辛そうだったし、何より僕らも見ていて辛かったし・・・
・・・おい。
頼むよ、ジョー。

大丈夫、だよな?



「ほんと・・・ひどいわ、ジョー」

更に言われて、僕は心の中に「ごめん」を用意してフランソワーズの顔を覗き込んだ。
泣いてないかな。大丈夫かな・・・

え?

フランソワーズは、泣いていなかった。

怒っていた。

頬を紅潮させ、瞳は怒りのためかキラキラと輝いており唇は彼女の怒ったときの癖なのかツンと尖らせている。
「え?ふらんそわーず・・?」

思わず洩れた僕の言葉は気の抜けた発泡酒のようになっていた。
そんな僕にお構いなしに、キッと睨みつけてくる蒼い双眸。

「ひどいわ!こんなのって、駄目よ!」

いや・・・今更駄目と言われても。この通り、公共電波に乗ってしまっているのだし。

「ホラ、あくまでも『仕事』だし、その、なんだ、ラストのシーンのアレは僕の意思ではなく・・・」

もごもごと弁明を続ける僕の話を全く聞かずに彼女は更に言い募る。

「駄目よ。イヤ。我慢できないもの。ひどいわ、ジョー」
「イヤ、だから、うん、そうだね。君に言わなかった僕が悪い。ごめん」
「そんな事を言ってるんじゃないの!」
「あ、そっか。そうだよね。・・・その、あのシーンは監督がそうしろと言っただけで・・・」

うーむ。なんだか他人のせいにしているみたいで何とも格好が悪い。彼女が僕を責めているのなら、大人しく謝ってしまえばいいとも思うのだけど・・・思うのだけど、あのシーンに僕の意思は絡んでないと納得して欲しかった。変な誤解をして欲しくなかった。だって、僕は。

「違うってば。そんなのどうでもいいのっ」

・・・え?
『そんなの』??

「もうっ。あなたが誰かと仲良さそうにしてるのなんてどうでもいいんだってば」

・・・フランソワーズ?ついさっきまで言っていた事と違うんだけど?それとも僕が聞き間違えたのか?
混乱する僕の耳に響くのは・・・響くのは、怒っているというより残念がっているような声。・・・残念?何が?

そんな僕の顔をしみじみと見つめ、フランソワーズは一瞬頬を緩ませた。

「・・・もう。ばかね。『仕事』でしょ?いちいち妬いてたら身がもちません」
「え、でもさっき」
「だってジョーが随分、動揺してたから。・・・ちょっとからかっただけよ」
「・・・フランソワーズ・・・」

がっくりと膝を着く。思いっきり脱力した。なんだよー、すっげ心配したんだぜ、俺。

「ジョー?」

今度はフランソワーズがこちらの顔を覗く番。

「ごめんね?」

彼女の指が俺の前髪を分け、そうして蒼い瞳が見つめてくる。でも目を逸らす。

「ジョー。怒った?」

怒ってない。たぶん。たぶん・・・そう、ちょっと疲れただけだ。ああ、煙草が喫いたいなー。普段はフランソワーズが嫌がるので喫わなかったけれど、そう、こんな風に理不尽に疲れると無性に喫いたくなるのだった。

「怒ってない。だけど、だったらフランソワーズは何に怒ってるわけ」

そうだ。そこなんだよ。別にラストシーンの「恋人同士っぽく見える二人の映像」なんてどうでもいいなら、先刻からの「ひどいわ」は何に向けられているというんだ?

「だって。あなたの後姿をあんな風に映してしまうのなんて、絶対に駄目よ!」

・・・・・・・・・・え?
なに?
後姿??
それが何だって?

「なのに。あんなにあっさりとジョーの背中を映しちゃうなんて・・・」

声に残念そうな響きが混じる。
でも。その『残念』な思いの対象になっているのって、俺の背中??意味わかんないぞ。

 



ジョーのCMB

 

事の成り行きを見守るはめになった訳だけれど、どうやら微妙に方向が違ったらしい。

今やジョーはフランソワーズの隣に座り込み、がっくりと頭を垂れている。
そして今度はフランソワーズが彼の顔を見つめ・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・なんだか変だぞ。

あれ?
もしかして、このままいくと僕も脱力するような展開に・・・・なりそうなイヤ〜な気がするんだけど。
それはもう、ヒシヒシと。

何か「逃げる」きっかけがないものかとあちこちに視線をとばす。
すると、開け放してあるリビングのドアの向こうから、ジェットが手招きしていた。
・・・なんだろう?
という疑問は後回しにして、この二人が僕に気付く前に脱出できる機会は今を逃したら絶対にない!事を確信し、僕はそうっとドア口まで進んだ。



・・・言わなきゃ良かった。

隣に居るジョーから目を逸らし、心の中で呟く。

だって、こんな言い方したら絶対にジョーはしつこく訊いてくるもの。いったい何のこと?って。
そうしたら、わけを言わなくちゃいけなくなる。
・・・ああ、もう!私ってば。

思わず両手で頬を押さえ、俯いてしまう。

やっぱり頬が熱い。・・・いっつも、そう。ついうっかり口を滑らせて、そして困った事態になる。

「・・・俺の背中が何だって?」

地を這うような低音が耳に響く。
・・・もう。ジョーってば。自分のことを「俺」って言ってるわ。

ちら、とジョーの様子を窺うと、ちょうど彼も前髪の下からこちらを見ていた。やだもう。どうしてこうタイミングが悪いのよっ。

内心の動揺を悟られてはいけない。ので、目を逸らすことができない。
しかも、それこそ全てを見透かそうとしているかのようにじぃーっとただひたすら見つめてくる褐色の瞳。
自分の意思に反してどんどん熱くなってくる頬。・・・もぉっ。ジョーのばか。

「ねぇ、フランソワーズ?」

ああもう。ジョーの声のトーンでわかる。形勢が逆転したってことが。

「ね、フランソワーズ。僕が何だって?」

ほら。一人称が「俺」から「僕」に戻ってる。
ジョーから目を逸らしたら負けなのに、思わず俯いてしまう。彼の視線を避けるように別の方を向いたりして。

「ねぇ、フランソワーズ?」

・・・からかわれてる。ジョーのばか。どうしてそういう声と口調で訊くの。どうして嬉しそうなの。
私が・・・何かあなたにとって嬉しいことを言うんじゃないかって確信してるみたいに。
そんなの、違うかもしれないのに。どうして「言ってごらん?」って顔するの。

「・・・ヤダ。言いたくない」

ポツリと床に向かって言ったのに、ジョーは聞き流してくれない。

「どうして?」

わ。びびびっくりした。
いきなり声が近づいたから、ジョーの甘い声が鼓膜を直撃した。思わず反射的に後ずさってしまう。

「なんで逃げるの」

近づくジョー。
逃げる私。

やーん、もぉ。放っておいてよっ。

「フランソワーズ?」

ヤダヤダ、このままじゃすぐにジョーに捕まっちゃう。そして、抱き締められたら・・・彼の腕の中で全部話さなくちゃいけなくなってしまう。だって私は彼の腕の中では何にも隠し事なんてできないんだもの。

でもジョーは、絶妙な距離を保ったままそれ以上は近づいてこない。なんだか余裕すら感じられて悔しい。

・・・もう。フランソワーズのばか。どうしてさっき言ってしまったの?
ジョーには言いたくないのに。
だって、言ったら絶対嬉しそうな顔をする。
そりゃ・・・彼の嬉しい顔を見るのは好きよ。でも、それとこれとは違うの。意味が違うのよ。
だって・・・私がどんなにジョーを好きか、ばれてしまう。・・・ばれて困るってわけでもないんだけど、だけどやっぱり知られるのは恥ずかしいのよ。

ジョーの背中をずっと見つめていたのは私だった。それはもう、ずーっとずーっと長い間。
だから、今でも彼の背中・・・後姿を見るのは好きなの。
頼りになる。安心できる。声を掛ければ・・・ううん、掛けなくてもきっとすぐに気付いてくれる。
「どうしたの、フランソワーズ?」って。優しく言って振り返ってくれる。
その、振り返ってくれるまでの間はどきどきするけれども私にとってはとても大事な優しい時間。
時には、その背中が寂しそうで胸が締め付けられそうに辛い気持ちになるときもあるけれど、でもそういう時でも彼は私を拒絶はしていない。それがわかるから。

ジョーの後姿を、背中を、独り占めしていたのは私だったのに。私だけの特権だったのに。
なのに、公共の電波にのって全国展開されてしまった。
きっとこの映像を観たら、誰でもジョーの事を好きになってしまうわ。どんなおんなのこでも絶対。
絶対、絶対、好きになっちゃうもん!!
そしてその中に、ジョーの「本当の運命のひと」が居たりしたら・・・あっという間にジョーは私から離れていってしまう。そんなの、絶対にイヤ。

いつかそんな日が来る。ってわかってはいるけれど、いざその日が来てしまったら私・・・どうなってしまうのかわからない。
ああもう。考えたくなかったのに「その日の自分」を思ったら、なんだか涙が滲んできた。
だってジョーは、私の事なんてきっとすぐに忘れる。
一緒に過ごした日々、一緒に行った場所、たくさんの会話。ぜんぶをすぐに忘れてしまう。
・・・そんなのイヤ。
ううん、それでいい。
自分がサイボーグであることを思い出させない相手と幸せな日常を過ごせるなら、きっとジョーは幸せ。
だったら私はそれでいい・・・はず。
そして任務のときだけ、彼女からジョーをちょっとだけ「借りる」。そうして、彼を守ってまた彼女に「返す」。
その繰り返しをするだけ。
・・・きっと、ジョーにはそういうのが似合う。優しくて可愛くて、何より「生身の人間」のおんなのこ。

ここにジョーと一緒に映っている女王様のような。

・・・・・・・あれ?

私、やっぱり気にしてるのかな。女王様のこと。

だけど、もしジョーの「運命のひと」が彼女だったとしたら、私にはもうどうしようもできない。
ただ黙って・・・ジョーが去っていくのを見送るだけ。
きっと最後の時まで彼は優しいわ。けれど、もうその優しい声や優しい瞳は・・・私のものじゃ、ない。

やっぱり、ジョーの「運命のひと」って彼女だったのかな。だって、ジョーも彼女の事を好きだったもの。
ううん。
違う。
過去形じゃない。
もしかしたら・・・ううん、きっと・・・ジョーは今でも彼女の事が好きなのかもしれない。

だからさっき、私がからかっただけなのにあんなに焦って、一生懸命弁解しようとしたのかもしれない。
私が言った事が本当の事だったから。

 



ジョーのCMC

 

無事にドアまで辿り着いた。
そこにはジェットだけではなく、アルベルトやジェロニモもいた。

「何してるんだ?」
「おう。これから飲みにいかねーかと思ってさ」
「これから?」
「まだ遅くないだろ。それに・・・」
アルベルトが部屋の中のふたりを指す。
「・・・何だかヤヤコシイ事になってるようだしな」

見ると、なんだか本当に不可思議なコトになっていた。

座ったまま後ずさるフランソワーズ。
その彼女をそうっと追いかけるジョー。両手を床に着いて、ちょっとずつ近づいていく。
更に逃げるフランソワーズ。
嬉しそうに追うジョー。
真っ赤になっているフランソワーズ。
更に嬉しそうなジョー。
泣きそうなフランソワーズ・・・・

・・・・なんだ、コレ?

「・・・賛成。一緒に行くよ」

辟易した声で言うと、全員がこっくりと頷いた。
この中の誰もが一度ならず数度は経験しているのだった。
彼らのヤヤコシイ事態に巻き込まれるという事を。そうして、その結果、自分がどうなったかも。

背筋がぞくっとした。

早くここを去ろう。
とりあえず、いまの僕たちに必要なのは「この場所からの離脱」と「アルコール飲料」だった。



あんまりフランソワーズが可愛いから、ついついからかってしまった。
・・・というのは半分嘘で、さっきのお返しが半分混じっている。
だってさ。あんまりだと思うよ?僕が・・・俺がどんなに君のことを好きなのか何回言っても(確かにそんなには言ってないけれど、言わなくたってわかるだろう?そのくらい)わかってくれない。
モナミ公国に居たときだって、毎日毎日君の事ばかり考えてて、そんななかで君からのメールや電話がどんなに嬉しかったかなんて絶対にわかってない。
女王と俺がどうにかなるわけなんてないだろ?なんでそんな事を言って心配させるんだよ・・・本当に。

だからちょっと意地悪をした。
だって、だったらどうしてそんなに俺を避けるの?おかしいよ、フランソワーズ。
そんな真っ赤な顔をして・・・ほら、今度はなんだか泣きそうになってるし。そんな顔してたらぎゅってしちゃうぞ。

と、思考がアヤシゲな方向に行きかけた時、フランソワーズがポツリと言った。

「・・・向こうを向いてくれない?」
「え?」
「こっち見ないで」

なんだかわからないけれど、顔を見られたくないのかな?・・・などなど思いつつ、彼女に背を向ける。
床に胡坐をかいて座り込んでいる俺と、壁際に追い詰められた形になっている彼女。
改めて考察すると変な光景だよな。
・・・そういえば、みんなはどこに行ったんだろう?気配がない。今晩は久しぶりにみんなで呑むかって話をしてたのに。

と、意識をあらぬほうに飛ばしていたら、背中に熱源がくっついた。

「な」

なんだなんだ・・・フランソワーズ??

肩越しに背中を見るけれど、彼女の頭がかすかに見えるだけ。
肩甲骨の下くらいにぴったりと・・・頬をくっつけているのかな・・・?両脇から腹に回された腕がくすぐったい。

「なに?どうした?」
「どうもしないっ」
「だけど」
「いいの。しばらくちょっと黙ってて」

・・・・なので、黙る。
なんだろうなー。今日の彼女はかなり不可解な存在だ。

数分経過。

彼女はまだ身動きしない。
俺はいつまで黙っていればいいんだろうか?

更に数分経過。

もしかして、寝てないか?

そーっと身体を動かすと叱られた。

「動いちゃだめっ」

・・・はいはい。

小さく息をついて天井を仰ぐ。
いつまでこうしてればいいんだろうなー。
でもまぁ・・・とことん付き合いますよ?君の気が済むまで。全然、意味がわからないけれど。


 

どこに飲みに行くかで少し揉めた。
最終的にはじゃんけんで勝ったジェットが「綺麗なオネーサンがいるところがいい」と言ったので、彼の贔屓の店に入った。
なんでも彼曰く「ジョーが一緒だと絶対に入れない店」なんだそうだ。

「ああ、なるほど。フランソワーズにお前が叱られるんだろう?」

そう言うと「ちっちっち」と人差し指を眼前につきつけ、ジェットが苦い顔をする。

「あんなお嬢ちゃん、へでもないぜ」

・・・そうか?

「そうじゃなくてだな。ジョーが居ると、オネーチャンたちがぜーんぶ奴のほうに行っちまうんだよ」

・・・なるほど。

「だから、もう絶対、ジョーとは一緒に行かねーって決めてるんだ」
「それだけじゃないだろーが」

アルベルトが横槍を入れる。

「ジョーと一緒に朝帰りしたときに、お嬢ちゃんの回し蹴りをくらったのはどこのどいつだよ」
「うるせーな。そんなことあったっけか?」
「あった。俺、知ってる」

ジェロニモもニヤリとする。

「でもジョーは無傷だった」
「そこなんだよ問題は!」

急にテンションが上がるジェット。おい。まだ一口も飲んでないだろうが。

「どーして俺がそんな目に遭って、ジョーは無傷なんだよ」
「そりゃ・・・聞くだけ野暮ってもんじゃないのか?」

アルベルトがグラスの縁越しに言う。

「別に俺はどうでもいい。興味ないな」
「いや、だけどよぉ」
「あのふたりに関わったらあれこれメンドクサイ事態になるのは知ってるだろ?」

僕が言うと、一同、うんうんと頷く。

「くそっ。今日は飲むぞーーーー!!!」

高らかに宣言し、目の前のグラスから琥珀色の液体を一気飲みする。

「今日は俺のおごりだー!!」

・・・・あーあ。



・・・だんだん、気持ちが落ち着いてきた。

落ち着いて、よーく考えてみればジョーは別に何にもしてない。ただ「仕事」でモナミ公国へ行って、アレコレ予定をこなしてきただけで・・・「特別に」女王様と仲良くしてたわけじゃない。
って、帰国してすぐ言ってくれたもの。
そうよね、ジョー?

だから私は何にも不安になることはない。・・・はずなのに。
だめね。何度もおんなじことを繰り返してしまう。
ジョーが接する全てのおんなのこにいちいちやきもち妬いてたら、私の身体がもたないのに。
それに・・・

ジョーが好きなのは、この私だもん!!

・・・・・・・・・って、ちゃんと自信を持って言えたらいいのだけれど。

大好きなジョーの背中に頬を寄せて、こうしているとなんだか安心して眠くなってきてしまう。
誰にも見せてあげないもん。ジョーの背中は私のだもん(もちろん、腕の中だってそうよ?)。

私が実はこんなにやきもち妬きで、独占欲が強いんだ・・・なんて、きっとジョーは知らない。
たぶん、ジョーに好きなひとができて、「フランソワーズ、悪いけど・・・」なんて言ったとしても、「そう。じゃあ仕方ないわね」って笑顔で言うんだろうと思ってるのに決まってる。
もちろん、きっとそうするだろうとは思うのよ?だって、泣いて縋るのなんてかっこ悪いし。第一、そんな事をしたってジョーを困らせるだけで、何の解決にもならない。だから、しない。
しないけれど、たぶん、ジョーが去った後でいっぱい泣く。ジョーの姿が見えなくなってから。

ジョーに回した腕に力を込める。
いつかそういう日が来るのだとしても、今は。
今、ジョーを独り占めしてるのは私だもん。

 

****

 

「・・・フランソワーズ?」

そろそろ動いてもいいかなぁ。
背後の気配を窺いつつ、ゆっくりと身体を動かす。
すると、自分の身体に回されていた腕がはらりとほどけて、彼女が恥ずかしそうに背後から顔を覗かせた。

何でか知らないけど、彼女がこうやって背中にくっつくのは実は今日が初めてではない。
前からたびたび(さすがに戦闘中はないけれど)背中に隠れてみたり、背後に回ってみたり、僕の視界から消えることがあった。日常生活では別に危険なんてそうそうないから、彼女を背後に庇うという積極的な「守り」体勢をとったりはしないのだけど、彼女はなぜか「僕の背後にいる」ことが結構気に入っているらしいのだった。
戦闘中に背後に庇うことが多いから、その弊害なのかなぁなんて見当をつけているけれど、本当のところどうなのかは訊いた事がないから知らない。

こういう時の彼女は何もしゃべらない。ただ、まるで子猫のようにおっきな瞳でじーっと見つめて、そうして僕の腕のなかで丸くなる。
彼女の必殺技のうちのひとつ。
これをされると、僕は何にも追及する気がなくなってしまうのだった。なんかもう、どうでもいいかなーって思ってしまう。そんなことより、いま腕の中にいる彼女の方がずっとずっと大切で・・・

「ジョー?」
「なに?」
「怒ってる?」
「え?何を?」

意味がわからない。僕は何か怒っていたっけ?

「怒ってたのはフランソワーズだろう?」
「怒ってないわよ」
「怒ってたよ。僕の背中がどうこう、って」
「やだ。憶えてるんじゃないっ」

ばかばか、と僕の胸を拳で軽く叩く。

「・・・ジョーのばか」

そう言って、そのまま胸に顔を埋めてしまう。ずるいぞフランソワーズ。そんなふうにされたら、やっぱり・・・どうでもよくなってしまうじゃないか。

「教えてよ」
「やーよ」
「だって気になるよ」
「じゃあ、気にしてて」
「えーっ」
「うそ。でも言わない」
「どうして」
「内緒っ」

 

・・・内緒かよっ。