−子供部屋−
(ジョー島村もしくはお嬢さんのお部屋)
2月28日 もうすぐ3月がやって来る。 3月は、別れの季節。 私はいったい、どうしたいんだろう・・・? *** ここに居る。と決めるのは簡単な事だったように思う。 彼と一緒にいたかったから。なんて理由は、重要なことのようで実は理由にすらなっていない。 あの時ジョーは、少し困ったような、照れたような顔をして視線を逸らし、そうして私の手を握り締めた。 今思えば、あの時私は彼自身の身の振り方さえ勝手に決めてしまっていたのかもしれない。それとはわからずに。 私が、ジョーと一緒にいるために日本にいることに決めたから。 彼がいなくなったら、私は日本にいる意味がない。 それは本当にジョーの意思なのだろうか。 本当は、ジョーは日本にいたくはないのかもしれない。 もしも、私がここに居なかったら。 彼はもっと自由だったのかもしれない。 *** 見慣れた筈のジョーの顔。なのに、知らないことばかりのように思えるのは何故なんだろう? こんなに睫毛が長かったかしら? 私がいなくなったら、あなたはどうするの? ひとりでも大丈夫? 落ち込んだ時、そばにいなくても―― 暗い部屋にたいく座りで居る彼の姿が脳裏に浮かんで思わず笑ってしまった。 ――私がいなくても、自分で電気を点けて立ち上がることはできる? あなたがいなくても―― ――私は大丈夫なのだろうか。 ***** 2月25日 しつこく王子様談義 「ねぇ、どうしても王子様にはなってくれないの?」 今日発売の車雑誌を膝の上に広げ、見入っているジョー。それでもフランソワーズの話し相手はする。半分、うわの空だったけれども。 「・・・眠り姫の王子はイヤなんでしょう?」 フランソワーズは大きくため息をついた。 全く、どうしてそんなに「王子様」がイヤなのかしら。あくまでも「騎士」とか「兵士」にこだわるなんて。 「どうしてそんなに王子がイヤなの?」 何か、過去に嫌なことでもあったのだろうか・・・と思い巡らせる。 「イヤってわけじゃないけどさ」 雑誌から目を上げず、ページを繰る。 「王子って変なヤツが多いだろ」 フランソワーズは横目でジョーを見ると、にやりと笑った。 「ふうん?イヤと言うわりには詳しいんじゃない?」 そうしてジョーの方へ向き直ると、彼の首に腕を回した。 「フランソワーズ。邪魔」 ジョーが眉間に皺を寄せてフランソワーズを手で除ける。 「フランソワーズ。読めないだろ」 けれどもフランソワーズはジョーをじいっと見つめたまま動かない。 「・・・なりたいんだ?」 ジョーはフランソワーズを見つめ、大きく息をつくと雑誌を脇に置いた。 「――白雪姫の王子の真似っ」 ***** 2月16日 フランソワーズはジョーの部屋にいた。 「――それは答えになってないよ、フランソワーズ」 ため息とともに吐き出す。 「前から言ってるよね?僕がきみを独りぽっちで待たせるのが嫌いだってこと」 フランソワーズは手元を見つめる。 「帰る時間がちゃんとわかってるならいいけど、そうじゃない時はダメだって言ってるよね?」 答えない。 「いつ帰ってくるかも――大体、本当にそこに帰ってくるのかもわからないのに、何時間もたった独りで待ってるきみを想像したくない」 フランソワーズがびくんと顔を上げる。 「だって、平気だもの!待ってるのなんて、ぜんっぜん苦じゃないわ」 見据える目と目。一歩も引かない。 「――前から何度も言っているのに、全然守らない。日本グランプリの時も、その後も!何度も言ったはずだよな?」 ぷいっとフランソワーズが横を向く。こちらも胸の前で腕を組んで。 「会いたいくて待ってるのがそんなに悪い事なの?怒るようなことじゃないと思うんだけど?」 フランソワーズはさっと立ち上がるとつかつかとジョーの面前へ進んだ。 「いい?ちゃんと聞きなさい。私は、あなたを待っていたいの!それがどうしてダメなの?答えて!」 じいっと見つめられ、ジョーは組んでいた腕を解くと、くるりと窓の向こう側を向いた。 「・・・独りで待ってるのは寂しいじゃないか」 風の音に消されそうに小さい声でぼそりと言われる。普通だったら聞き逃してもおかしくはないくらいの音量。 「もし――ずっと帰って来なかったら?そうしたら、ずっと・・・独りで待っていることになるんだぞ。そんなの、・・・・ダメだ。許さない」 けれどもジョーの背中は頑なだった。 「・・・あのね、ジョー」 フランソワーズは組んでいた腕を解くと、そっとジョーの背中に触れた。 「待ってる間、ね。私、ずっとあなたの事ばっかり考えているの。いま何をしてるかしら、笑ってるかしら怒ってるかしら・・・って。それから、帰ってきたらなんて言おう、どんな顔するかしら・・・って」 ジョーは何も言わない。 「待ってる時間が寂しいなんて思ったことない。帰って来ないかもしれないとも思わない。だって、あなたは絶対帰ってくるし、・・・あなたが帰ってくるのが私以外のどこにあるっていうの?」 顔は窓の向こうを向いたまま。けれど、左手がそっと動いてフランソワーズを求める。 「――でも」 フランソワーズの手をぎゅっと握り締め、ジョーが言う。 「寝てた」 肩から頭を離し、ついでに両手を振ってジョーの手から逃れる。 「あれはっ・・・、だって、起きて待ってたら余計に気にするでしょう?」 ゆらり、とこちらを見たジョーは口元に笑みを浮かべていた。声の調子も戻っている。 「大の字で寝てるとは思わなかったけど?」 口元に笑みというより、にやにや笑いを貼り付けて言うジョーに、フランソワーズの頭に血が昇った。 「あれは、わけがあるのっ!!」 頬を上気させて、きらきらした瞳でジョーに訴える。 「ベッドに入ったら寒かったの!あなたがいないと寒いのっ!だから、暖房入れて寝ようって、そうしたら暑すぎて、それで」 必死の表情で言っているフランソワーズに構わず、ジョーは手を伸ばすと彼女の頬に触れた。 「よく聞こえなかったなあ。もう一回言って」 振り解こうと思えば、本気で抗えば、簡単に振り解けるはずの。 「――知らない」 ジョーの胸に頬を摺り寄せ。彼の体温が身体に伝わってくるのが嬉しい。 「お風呂上りに全裸でうろつく露出狂には言いたくありません」 ぎゅ、とフランソワーズを抱く腕に力がこもった。 「全裸じゃねーよっ」 フランソワーズがジョーの胸から顔を起こしてじっと彼を見つめる。 「・・・本気?」 にやり、とジョーが笑う。 「意見が食い違ったので、また今度」 ****** 2月15日・その2 「逆チョコ」 「・・・結局、どうでもいいのかよ。僕からの愛の告白ってヤツは」 フランソワーズに唇を奪われ、言う機会を逃したジョーは怒っているのか拗ねているのか助かったと思っているのか自分で自分の気持ちがわからない。 「うわぁ・・・薔薇の形してる。これ、人気があるのよ?・・・凄いわ。どうしてジョーなんかが知ってるの?」 細長い箱に縦に一列並んだ4粒の薔薇のチョコ。ひと粒500円はするそれを、躊躇なくフランソワーズはつまんで口に入れた。 「んっ!あまーいっ。うわっ、後から薔薇の香りがするー!」 うっとりと目を細め堪能しているフランソワーズにジョーは苦笑するしかなかった。 「そんなに美味しいんだ?」 あと3粒しかないのに、うっかり勧められるままに食べたりしたら後が怖い。 「そう?――じゃあ、あげないっ」 そうして、いとも簡単に二つ目。 「・・・美味しいっ。ね、ジョーもこういうチョコ貰ってないかしら?」 ちらりと目の前のチョコの山を見つめる。 「さあね。探せばあるんじゃない?」 考え込みつつ、無意識に手は三つ目を摘む。 「でも、ひとつひとつにジョーへの愛がこもっているのよ?それを私が食べちゃったら・・・ねぇ?」 律儀だなあとフランソワーズを見つめる。 「だって」 フランソワーズは考え込んだジョーの方へ身体ごと向き直る。目が真剣だ。 「これ以上、あなたへの愛が溢れたらどうなると思う!?」 こくんと頷くフランソワーズに手を伸ばし、膝の上に抱き上げる。 「で?」 あ、そ・・・とジョーは口の中で呟く。ともかく、毎年バレンタインデー前後のフランソワーズは手がかかる。昨年も本命だ本命じゃないで揉めたのだ。少しだけだが。 「ね。本当に食べないの?」 そう言いながら、最後の1個をフランソワーズは口に入れた。 「食べちゃったら知りようがないだろう?」 どうやって知るか――に、思い至ったジョーは、本当に今日のフランソワーズは手がかかるなあと内心ため息をついた。 可愛いから、たまにはこういうおねだりもいいか―― どんなにメンドクサイ事でも、フランソワーズが可愛いなら万事オッケーなジョーなのだ。もちろん、彼女と同じ事を他の女の子がやっても全く興味がないのだけれど。 おねだりに応えるべく唇を近づけると、ふっとフランソワーズが笑った。 「そういえば、ジョーにチョコをあげてなかったわ」 この部屋でチョコレートフォンデュをしたのがそれに相当していたはずだが。 「でも、やっぱりバレンタインデーに渡したいわ」 お互いの唇が重なるまで、ほんの数ミリ。 「・・・いいんじゃない?」 「――うん。確かに甘くて薔薇の香りがするね」 2月15日 (まだバレンタインしてます) 午前6時を過ぎていた。まだ夜は明けない。 二人は、リビングでフランソワーズの淹れたコーヒーを飲んでいた。テーブルの上には、ジョーが持ち帰ったチョコレートが山になっている。 「相変わらず凄いわねぇ。紙袋4つぶんは去年と一緒ね」 ジョーは答えない。 「後で整理しなくちゃね。ジョーもちゃんとカードを読むのよ?」 けれども返事はない。 「ジョー?」 ジョーは白いニットにジーンズという姿。前髪で顔を隠し、静かにコーヒーを飲んでいる。 「・・・眠いの?」 一方のフランソワーズはベビーピンクのワンピース姿。彼女いわく、いちおうバレンタインデーというのを意識したのだそうな。ノースリーブのその上に、白いニットのカーディガンを羽織っている。 「・・・別に」 すっかり不機嫌になってしまったジョー。湯冷めしたのが原因ではないらしい。もちろん、ベッドルームをフランソワーズが占拠していたせいでもない。 「暖房をつけっぱなしにしてたから、怒ってるの?」 けれども、低い声で言われるその台詞は「僕は怒っている」と宣言しているも同然だった。 「私がここに来たから?」 フランソワーズは並んで座っていたソファから降りると、床に座りジョーの膝に両腕をかけ、そこに頭をもたせかけて彼の顔を覗きこんだ。 「ジョー?」 ジョーはぷいっと身体ごとそっぽを向く。 「怒りんぼのジョーさん?」 フランソワーズと目を合わせないようにしているジョーの鼻をつつく。 「何で怒ってるんでしょうねー?それは、もしかしてコレのせいですか?」 じゃーん。という擬音がついているかのようにフランソワーズは右手をひらめかせ、ソレをジョーの目の前に差し出した。 「っ!ふっ」 コーヒーにむせて咳き込みながら、それでも手を伸ばしソレを取り返そうとする。が、フランソワーズは見切っているかのように華麗にひらひらと彼の腕を避けてゆく。 「返せよっ!!」 虚しく空を切る指先。 「ジョーの上着のポケット」 帰ってきてソファに脱ぎ捨てたままだったそれを探すかのように、自分の座っている左右を見回す。 「遅いわよ。さっきハンガーにかけたの。そうしたらね、半分見えていたから、何かしらーって」 えっ!? 思わず見ると、フランソワーズは唇を噛み締めじっとジョーを見つめているのだった。 「ばか、ちがっ」 ジョーは立ち上がると、フランソワーズの両肩をがっしりと掴んだ。顔を近づける。 「いいか。よーく聞けよ?二度は言わない」 険しい表情のジョーに、フランソワーズも神妙な顔で頷く。 「それは、逆チョコ、だ」 言った途端、ジョーの顔が赤く染まってゆく。それは見事に耳の先まで赤く赤く。 「・・・・・・・・・っ。何とか言えよ」 フランソワーズは応えない。 「そ、・・・・だからそれは、フランソワーズにあげるつもりだっ・・・」 フランソワーズの肩を掴んだ両掌にじっとりと汗がにじんでゆく。 「・・・くそっ、だからっ・・・・」 真っ赤な顔で。フランソワーズの目を直視できず、四方に泳がせて。手には汗。額にも汗。 「やっぱり!そうだと思ったわ!!」 ・・・・はい? 「絶対そうだと思ったの!だけど、もしかしたらそうじゃないかも、って思って、でもでも、きっとピュンマから聞いてるはずだから、そうに決まってるはず、と思って、」 フランソワーズがぺろっと舌を出す。肩を竦めて。 「・・・なに?」 急に眠気に襲われ、ぼそぼそと口のなかで呟くジョー。けれどもフランソワーズは元気いっぱいだった。 「でも、逆チョコなんでしょう?ちゃんとジョーからもらいたいもの。愛の告白っ」 むっつりと黙り込んだジョーの前髪をかき上げ、その奥の瞳に迫る。 「言ってくれないと、本当は本命からもらった大事なチョコなんだって誤解するわよ?」 「――わかったよ。貸せよ」 フランソワーズが差し出した箱をひったくるように受け取ると、無造作にフランソワーズの鼻先に差し出した。 「・・・愛の告白。受け取れ」 ぶっきらぼうなその声にフランソワーズの頬が膨らむ。 「何よソレ。全然、気持ちが入ってないわ」 ああもう、メンドクサイなぁ――と言いながら、それでも律儀に言い直す。 「――・・・・・」 けれども、唇を開いたところで続く言葉が出て来ない。 「・・・・あ」 けれども、無情にもジョーの唇は塞がれた。愛を伝える当の相手のフランソワーズに。
あともう少し、あともうちょっと、と思っているうちに2月も最後の日になってしまった。
明日から3月。
数年前、私はごく自然に日本に残ることに決めた。パリに兄が居るにもかかわらず。
他のみんなが残ったからではなく、私は自分の意思でそう決めた。後悔もしなかった。今だってしていない。
だって私には本当に当たり前の事だったのだから。彼のそばにいるということは。
他の選択肢すらなかった。
それだけで良かった・・・はずなのに。
だから、ジョーはここから動けない。動かないで、居る。
私がそう決定してしまったから。
だから、彼はどこにも行かずに必ず日本へ帰ってくる。
鼻筋も通っていて、およそ日本人らしくない容貌。――彼はハーフなのだとすぐにわかる。
この顎のラインが好き。
額にかかる前髪も。こうして掻きあげると露わになる額。普段は見えない。
私の名を呼ぶ唇が好き。この耳も好き。
どうしていつも同じ格好で落ち込むのかしら。
3月は決断の季節ですから。
「やだね」
「・・・お願いしても?」
「だって僕は王子じゃないし」
一方のフランソワーズは、膝を抱えてソファに座り、背中をジョーの肩にもたれかけている。少し頬を膨らませて。
どうやら、構ってくれなくて少し拗ねているようだった。
「うん」
「確か、警備兵なのよね?」
「そう」
「シンデレラの王子もイヤなんでしょう?」
「ああ」
「・・・白馬に乗った騎士がいいの?」
「うん」
例えば、好きな女の子がお姫様役だったのに、どうしても王子役を振ってもらえなかった、とか?
「・・・変なヤツ?」
「ほら、白雪姫とか」
「白雪姫の王子様が変なヤツなの?」
「うん。だって、死体にキスするんだぜ?あんまり綺麗だからってそんなことするか?」
「・・・・おとぎ話よ?」
「それに、人魚姫だってそうだ。何で自分を助けてくれたひとのことがわからないんだよ?」
「・・・・気絶してたんだもの、仕方ないじゃない」
「だったら、どうして婚約者がいるのに、口のきけない娘に目をかけるんだい?誤解させて可哀相じゃないか」
「・・・だって。そういう話だもの」
「だから、王子っていうのはイヤなんだ」
が、フランソワーズは彼の視界から退かない。
「本当は王子様になりたいんでしょ?」
「なりたくないよ」
「うそ」
「ほんとだって。――ホラ、どいて」
「なりたくない、って。ホラ、どいて」
「ジョーが王子様」
「ち・が・う、って」
そうして、ニヤリと笑うとフランソワーズを抱き締め唇を奪った。
最近、いちゃいちゃし過ぎな二人です(汗)
彼のベッドの端っこにちょこんと座り、居心地悪そうに組んだ指をもじもじと動かし、時折ちらちらとジョーを見つめ。
一方のジョーはというと、ぼさぼさの前髪の奥に機嫌の悪そうな瞳を隠し、声だけは穏やかにフランソワーズに問うているところだった。
カーテンを引いていないフランス窓に腕を胸の前で組んで寄りかかり、室内のフランソワーズをじっと見つめている。
彼の背後には暗い海が広がっていた。
「――だって」
「嘘だ」
「嘘じゃないわ!」
「帰って来ないかもしれないんだぞ!」
「帰ってくるもの!」
「そんなの、わかるもんかっ」
「わかるの!」
「ああ、そうだろうな。きみの力を使えばなんでもわかるんだよな?」
「ひどっ・・・!酷いわ、ジョー」
「酷いのはきみだろう?」
「そんなの、知らないわ」
「そんな事を言ってるんじゃない。独りで延々待つのはダメだと言ってるんだ」
「あらそう。あなたは私に会いたくなかったと、そういうわけね?」
「違うだろ、そんな事言ってない」
「同じことよ。それとも何?女連れで帰ってくるのに私がいたら邪魔だから?」
「――くだらない」
「ええ、くだらないわ!さっきからあなたの言ってる事全部!」
「・・・待っても待っても帰ってこなかったらどうするんだ」
「帰ってくるって言ったでしょう?それともあなたは帰ってくるつもりがないの?」
「あるよ」
「だったら、それでいいじゃない。私が待つ。あなたは帰ってくる。どこか悪いところがあるかしら?」
今日の昼まではまるで春のように暖かかったのに、夕方から急に冷え込んできた。外は風が吹き荒れ、冷たい空気をかき混ぜている。
けれどもフランソワーズは聞き逃さなかった。耳のスイッチをいれているわけではなかったけれど、ジョーの声なら聞き逃さない。
「――私は平気よ」
「嘘だ」
「本当よ。何度言わせるの?」
「嘘だからだ」
「本当だってば。信じて、ジョー」
「・・・・」
その左手を両手で握り締め、そうっと肩に頭をもたせかける。
「!!」
「別に僕は寝るなとは言ってないけど?」
「へえ・・・どんな?」
「起きて待ってたら嫌がるから、じゃあ寝て待ってよう・・・って思って、それでっ」
「臍出してたけど?」
「もー!だからっ!」
「なっ・・・、聞こえたくせに」
「もう一回言って」
「聞いたくせにっ」
「僕がいないと、何?」
「なっ・・・」
ジョーの手が頬に当てられ、そのまま肩を抱き寄せられ。
されるがままに身を任せ、いとも簡単に彼の腕のなかに捕まった。
「全裸だったわ」
「ちゃんとタオル巻いてたろ?」
「あーあ、私ったら、全裸のひとと話してたなんて全然気付かなかったわ」
「嘘つけ」
「ジョーにそういう癖があったなんて知らなかったわ」
「フン。僕だってきみに臍出して大の字で寝る趣味があったなんて知らなかったよ」
「ばか。嫌い」
「あ、そ。意見が食い違ったな」
「それは残念ね」
「ほんと残念。これから愛の告白をしようと思ったのに」
「もうっ・・・!ジョーのばか!」
二人のケンカというのを書いてみたかったんです。
ちなみに二人とも大真面目でマジなケンカ(のつもり)
が、隣でリボンを解き箱を開けてチョコレートを検分しているフランソワーズはそんなジョーの様子にお構いなしだった。
「ジョーなんかって何だよ、なんか、って」
「ほら。薔薇の形してるでしょう?確か薔薇の香りのするチョコで・・・」
「ええ、それはもう!ジョーもひとつ食べる?」
「いや、僕はいいよ」
「・・・ん。でも、ジョーが貰ったものだもの。私が食べるわけにはいかないわよね」
「別にいいんじゃない?どうせ僕は食べないんだし」
「うーん・・・・」
「別にこもってないんじゃない」
「ううん、きっとこもってるわ!なのに私が食べちゃったらどうするの!」
「どうする、って・・・」
女の子だって、チョコを渡すという行為に意味を見出したいだけで、そのチョコの行く末なぞどうでもいいのではないだろうか。
「え」
「ただでさえ、いっぱいいっぱいなのに!困るわっ」
「困るわ、って・・・・」
「ずうっと抱っこされていたくなっちゃうわ!」
「・・・抱っこされたいんだ?」
「ぎゅうってされたくなっちゃうかもしれない」
「する?」
「ううん、今はいいの」
フランソワーズは四つ目の薔薇チョコに手を伸ばした。
「うん。僕はいいよ」
「口の中に薔薇の香りが広がるのよ?」
「へえ、そう」
「・・・ほんとか嘘か知りたくない?」
「あら、そう思う?」
「・・・・・・・・」
でも。
「えっ?それはこの間・・・」
「もう過ぎたよ?」
「ううん。ちょっと過ぎただけだもの。――逆チョコの更に逆チョコってダメかしら?」
「そうでしょう?」
「違う」
「チョコを食べたから?」
「別に僕は怒ってないよ」
「違う」
フランソワーズは、今度はジョーの膝に腕をかけて身体を伸ばし、彼の胸元のあたりから顔を覗きこむ。
「・・・・・」
「イヤよ」
「それは、僕のっ・・・」
「僕の、なに?」
「いったいどこからっ!」
「――あ!」
「・・・返せよ」
「そんなに大事なものなの?」
「フン」
「どうしてこれだけポッケに入ってたの?」
「・・・知るか」
「本命からもらったから?」
「どうしてこれだけ大事そうにポケットにしまってあったの?」
「だからそれは」
「今までそんな事なかったのに・・・っ」
「だから、聞け、って!」
フランソワーズはにっこり笑った。笑って、そして、背伸びしてジョーの首に腕を回した。
「・・・ピュンマから聞いた・・・?」
「あ」
それを見てジョーは脱力した。彼女の身体に回していた腕が緩む。大きく息を吐き出して。貧血を起こしそうだった。
考えてみれば、自分は一睡もしていないのだ。大の字になって寝ていた彼女とは違って。
ゆらりと後退しソファに沈んだジョーの隣に、こちらは弾みをつけてぴょんと座ったフランソワーズ。ジョーの前に箱を差し出す。
「ちゃんと渡してちょうだい」
「もう持ってるくせに。・・・それも、自力で見つけて」
「・・・愛?」
「そうよ。逆チョコってそうでしょう?」
「・・・・・・そうなのか」
「ええ」
「じゃあ、・・・・・もう既に三人から愛の告白ってやつを受けたんだな?」
「え?」
「そして食ったんだろ?――チョコレート」
「・・・食べたけど」
「じゃあ、受けたってことだろ。別に僕からのはなくてもいいじゃないか」
「チョコは食べるものでしょ!?受けた受けないって何よ!」
「・・・僕はきみからのチョコしか食べない」
「だから?」
「だから、他のひとの気持ちは受け取らない」
「あらそう。食べたら受けたことになるの。ジョーって意外と乙女ちっくね?」
いいの?と、蒼い瞳が問う。
「うるさいなぁ」
「うるさいって何よ。あなたの愛情ってそんなものなの?」
「だからどうしてこれがその証明みたいになってるんだよ」
「だって逆チョコだもの」
今更こんな大真面目に愛を語ったところで、どうしろというのだ。
――しかし。
こんな小さなことで彼女が喜ぶなら、言ってみてもいいかなと思いかける。
よし、たまにはちゃんと言ってみようか。
2月14日
「・・・そんな事言ったっけ?」 そんな地球に優しくない事を言った覚えはない。何しろこちらは雪国ではないのだ。暖房をつけて寝なかったからといって部屋の中が凍えるくらい寒くなることはない。 「寒くて眠れないの、って言ったらそう言ったじゃない」 くすん、と鼻を鳴らす。その時のことを思い出したように。 「暖房つけて一人で寝れば?って」 そんな事は言ってないだろう、いくら何でも。 「だから暖房つけて寝てたのよ?」 そういえば、そもそもどうしてここにフランソワーズがいるのだ。 「・・・フランソワーズ。僕はこっちには来るなって言ったよね?」 フランソワーズは険しい表情のジョーににっこりと笑いかけた。 「わかったわ、って言ったけどそうするわとは言ってなかったでしょ?」 人差し指をたてて、顔をちょこっと傾げて。 「・・・屁理屈だ」 むう・・・と黙ったジョーの顎に手をかけて、自分の方へ向かせる。 「ジョーは私がいないほうが良かったの?」 何を言い出すんだ、とジョーが無言で睨みつける。が、フランソワーズは全く動じない。 「バレンタインなのに。それとも、誰か連れて来るつもりだったの?だから、私に来るな、って・・・」 けれども、にこにこしているフランソワーズの顔を見てぐっと黙る。 「そうじゃなくて・・・フランソワーズ」 かあっと顔を赤くして、フランソワーズがジョーに回していた腕を解き彼の腕から逃れる。 「酷いわ、見てるなんて!」 フランソワーズを下へ降ろしながら、ジョーの顔が険しくなる。 「チョコって」 ジョーは答えない。 「それで、ジョーを待ってる間にお腹すいちゃって、ついつい――」 ベッドサイドのテーブルへちらりと視線を走らせる。それを追ってジョーも見る。と、そこには既に空き箱となった「逆チョコ」が載っていた。ピンクのリボンや真紅のリボン。焦げ茶色やローズピンクの箱。見たところ、三個といったところか。 「――誰にもらったんだい?」 あくまでも、そんなの別にどうでもいいけど話の流れで仕方なく訊くんだよという声音で何気なさを装いジョーは訊く。 「ええと、パートナー役の彼と彼」 その二人はジョーも知っていた。どちらも明らかにフランソワーズのファンだ。崇拝しているかどうかは別として、ともかく好意を持っているのは確かだった。――が、どちらもジョーという存在を知っているので問題ではない。 「・・・それから、A先生」 まだ日本にいたのか。 フランソワーズの「ジゼル」の相手役だった男。確かにあれこれお世話になった。しかし、もうフランスへ帰ったのではなかったか。 「送られてきたのよ。フランスではバレンタインって女性が告白するのではないから」 パリで有名な店だという。彼女がそこのチョコレートを好きなのを知っていて送ってきたらしい。 「・・・ふん」 気に入らない。 「・・・ところで、ジョー。ちょっといいかしら?」 こほんと軽く咳払いをして、フランソワーズが言う。 「なに?」 見ると、腰に巻いていたタオルはいつの間にか床に落ちていて・・・ 「――ああ。そうだね」 ジョーは我が身を軽く検分すると、にっこり笑ってタンスの引き出しを開けた。
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2月13日
結局、こういう事はタイミングというやつが重要なんだろうな・・・と、車の窓に映る自分を見つめ、ジョーは深いため息をついた。 今朝、行ってきますと言った時に渡せば良かった。 その時は、夜でもいいかと思い直し、後回しにしたのだ。しかし、今は午前零時をとうに過ぎており、バレンタインデーは過ぎ去った。 午前4時である。
***
玄関のドアを開けて一歩中に入った途端、チョコレートの香りが鼻をつき、ジョーは眉間に皺を寄せた。 時刻はもうすぐ午前5時である。 しかし。 ――どうして点いてるんだ。 フランソワーズと一緒にこの部屋を後にしたのだから、戸締り・電気・水周りの点検は完璧のはずだった。何しろ、彼女はエコな人だから待機電力も許しはしないのだ。 途端に真昼のように明るくなる室内。 「・・・あれ」 そこにジョーは居るはずのないものを見つけた。 「・・・フランソワーズ?」 なんでここに居るんだ。 確かに、朝ギルモア邸を出る時に今晩帰るのが遅くなったらマンションに帰るようにするから、とは伝えてあった。が、だったらそっちにいるわと明るく言ったフランソワーズに、どのくらい遅くなるかわからないし、そんなトコロにひとりで居させるのは好きじゃないと断固として主張した。フランソワーズはしぶしぶながらも、わかったわ・・・と納得したはずだったのに。 半袖のTシャツ――おそらく、ジョーのものだろう。背中に「FIAT」のロゴが入っている――に、ショーツ。で、上掛けは掛けてない。というか、足で跳ね飛ばしたのだろう、ベッドの足元のほうでくしゃくしゃになって固まっている。枕はどこかへ行ったようで見えない。 ベッドサイドにエアコンのリモコンを見つけ、オフにする。 「・・・・」 傍らに立ったまま、ジョーはフランソワーズを見下ろした。 もしかして・・・タヌキ寝入り? ――有り得る。彼女なら、ジョーが帰ってきた音を聞いて、寝たふりをするのは簡単なことだ。 「・・・・」 笑顔が少し変わっただけで、起きない。 今度は丸出しにしている臍をつついてみる。いつもなら、くすぐったがるはずだった。 「んー!暑いっ!」 大声と共に白い脚が上掛けを宙に蹴り上げた。 「暑いぃい」 大の字がごろごろと移動する。が、涼しい場所がなかったようで、フランソワーズは目をつむったままむっくりと身体を起こし、シャツの裾に手をかけた。 「ばっ・・・」 勢い良くシャツを脱ぎ捨てようとしたフランソワーズは、寸でのところでジョーに取り押さえられた。 「ヤダ、暑いぃ」 じたばたもがくフランソワーズを容赦なく揺すり、覚醒を促す。 「フランソワーズ!」 ゆっくりと蒼い瞳がこちらを見つめる。が、まだぼんやりしており、焦点が合っていない。 「いったい、どうしてここにいるんだ?」 ジョーの問いには答えず、そのまま満面の笑みで彼の腕に飛び込んだ。 「うふっ・・・お帰りなさいっ」 お帰りなさいと言われたので、反射的にただいまと答えながらも、全く状況が把握できずジョーは混乱した。 「っ、フランソワーズ!いったいどうし・・・!熱っ?熱があるのかっ?」 慌てて額に手をあてるけれども、別段発熱しているようではなかった。 「どうしたんだっ、何だ一体っ!まさか、オーバーヒートっ・・・た、大変だっ」 フランソワーズを抱き上げ立ち上がり、おろおろと意味もなく周囲を見回す。 「だっ・・・どうしっ・・・、イワンっ、いや、博士っ・・・かそくっ」 いままさに加速装置を噛もうとしたジョーの首筋に抱きついて止める。 「ただ暑いだけよ!何でもないわ!」 心配して揺れている褐色の瞳。それをじっと見つめる蒼い瞳。 「・・・でも」 この部屋が熱帯になっていたのはそのせいだろう。そして、彼女が何も掛けずに眠っていたのも。 「・・・なんで暖房つけっぱなしで」 エコな人なのに珍しい。 「――だって」 ジョーの問いに、今や完全に覚醒したフランソワーズは不満そうに唇を尖らせた。 「あなたが言ったのよ?だったら暖房をつけて寝ればいい、って」
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2月12日
その日、ジョーは珍しく先に起きた。 「・・・・」 ベッドに半身を起こす。 「・・・ふ」 起こしちゃおうか――と、声をかけようとしたところで、彼女の背中に点在する赤いものに目がいった。 「・・・・」 うっすらと昨夜の記憶が戻ってくる。 「・・・・」 ジョーは顔をしかめると、ともかくシャワーでも浴びようとベッドから降りた。 ――なんだこれは。 いちおう湯船に湯を張ったらしい。そして、たぶん浸かったのだろう。――が、入浴後に栓が抜かれておらず、湯は水に変わったまま残っていた。泡立てたままの石鹸、ちゃんと流していない泡があちこちに散らばっている。シャワーはいちおう止めてあるものの、床に放り投げられている。 ともかく、何かおかしなことになってたんだなあ・・・と思いつつ、片付けを始める。 「――あら、ジョー。ここにいたの。・・・おはよう」 不意にバスルームの戸が開いてフランソワーズが入ってきた。 「・・・あ、おはよう」 朝からお風呂の掃除なんて、ジョーにそんな趣味があったのかしら――と呟きつつ、フランソワーズは熱いシャワーを浴びる。その飛沫を背中に浴びて、ジョーは肩越しに問いかけた。 「昨夜のこと覚えてる?」 けれども、返ってくるのは水音ばかりでフランソワーズの声はしない。 「・・・どうしたの」 見ろと言われたので見たけれど、いったいどこのなにを見せたいのか皆目わからない。 「・・・いつも通り、綺麗だけど?」 そうして伸ばされた腕の内側には、先刻彼女の背中に認めたのと同じ赤い痕。 「・・・ああ、なんだ。これがどうかした?」 肌が白いと目立つんだなぁとコメントしたら、睨まれた。 「もうっ。どうしてくれるの」 ジョーも自分の腕を差し出した。 「・・・でも、ジョーの方が少ないわ」 ・・・それにしても。
***
バスルームを出た二人を待っていたのは、チョコレートまみれのリビングだった。
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2月9日 ショッピングB
「ジョー!」 最上階の催事場。「アムール・ド・ショコラ」と銘打ったバレンタインチョコレートの特集である。 「・・・何買ったの?」 笑顔で手を振る彼の腕にいくつもかけられた手提げに訝しげな視線を向ける。 「んー?チョコレート」 それにしても。ちょっと尋常な量ではない。しかも、色々な紙袋ということは全部異なるショップということである。 「ほら。この『焼きチョコクッキー』すっごくうまいんだぞ」 フランソワーズは小さく息をついた。食品売り場に慣れていないジョーを2時間もここに居させた自分が悪い。彼がもしも全店のチョコを試食していたとしても責められない。そして、買っていたとしても。おそらくジョーは、試食をして買わずに立ち去るなどという技は持っていないだろうから。 「あら、これ・・・エルメのマカロンじゃない!」 フランソワーズの顔が輝く。 「えっ、どうして?ここに支店があったかしら?」 にっこり笑うジョーの顔を見上げ、そのまま首筋に抱きついた。 「ジョー、大好きっ」
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ジョーと一緒に最上階の催事場へやってきたフランソワーズは、エスカレーターを上がった先に見慣れた姿を見かけ声をかけようとして固まった。 「へえ・・・あいつら、派手だなぁ」 彼らの視線の先には、はしゃぎながら抱き合う新ゼロのふたりの姿があった。全く周りが見えていないようで、お互いにはしゃいで笑い合っている。 「たった2時間、別行動してただけなのに」 下着売り場で解散してからの新ゼロフランソワーズは素早かった。 「よっぽど会いたかったのねぇ」 ふたりが近くに来ても全く気付かず、お互い相手しか見ていない。 「・・・まあ、放っておこうぜ」 もう自分たちが行っても邪魔なだけだろう。と、ジョーは判断しフランソワーズの肩に手をかけると歩くよう促した。 「――チョコレートか」 そう言ってあちこち視線を飛ばすジョーの横顔を見上げ、フランソワーズはその頬に何か――例えば、「逆チョコ」なら知ってるよとか――窺えないかと思う。が、残念ながら、ジョーは表情を隠すことに慣れたようなポーカーフェイス。 「・・・ん?なに?フランソワーズ」 フランソワーズはジョーをちらりと見上げ、くすっと笑みを洩らした。 「・・・今日はいいわ」 ポーカーフェイスの筈の彼の顔には「お腹すいた」とはっきり書いてあったのだ。 「どこがいいかな。せっかくだから、中華街まで行ってみようか」 そうっと肩に寄り添うフランソワーズを抱く手に力をこめて。もうすぐフランスに帰ってゆく彼女を忘れないように。
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下着売り場をさっさと後にした新ゼロフランソワーズ。その後をゆっくりと二人で歩いて行った超銀フランソワーズ。 「――ジョー?いまどこにいるの」 ナインは自分の居る場所を言った。 「・・・わかったわ。いまそっちに行くわ」 電話を切ったあと、フランソワーズは歩き出した・・・の、だけど。その表情は硬い。眉間には皺が刻まれている。 ――どうしてそんなトコロに居るのかしら。 何しろ、彼が伝えてきた場所というのは。
「・・・ジョー」 ショーケースを覗き込んでいたナインはスリーの声に顔を上げた。 「・・・何してるの?」 確かに、色々だった。 「――これ、似合いそうだな」 彼が指差したのはハートのチャームがついたブレスレット。 「・・・似合うかもしれないけど」 ナインはにこにこしながらスリーを見つめていたが、どうも彼女の気持ちがこちらに向いてないとわかると目の前の店員に軽く手を振って商品を下げさせた。 「フランソワーズ。どうかした?」 思いのほか近い距離で声が聞こえてスリーは一歩身体を退いた。 「別に。どうもしないわ」 さっきまではみんながいたから、ナインと一緒でもそんなに緊張しなかった。 「・・・みんなは?」 明るく言って、当然のようにスリーの手を取るナイン。が、彼の指が触れた途端、スリーは思わず手を引いていた。 「フランソワーズ?」 ナインの顔を見られない。優しいその瞳が大好きなのに。なのに見るのが恥ずかしい――ような気がする。 あの日以来、自分をはっきり避けているスリー。その原因はよくわかっているものの――最初は彼女の反応を面白がっていたけれど、幾日経っても避けられたままの状態にそろそろ我慢の限界だった。 「・・・あのさあ」 ナインの険しい声に、スリーの肩がびくんと揺れる。 「そんなに僕が怖い?」 顔を上げようとしないスリーにナインはため息をついた。 「――わかったよ。だけど僕は悪いコトをしたとは思ってないから」 そうして、遠くなってゆく靴音。 「・・・・ばか・・・・」 小さく言ったのは、自分に対してなのか。
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2月8日・その2 ショッピングそのA「どっちがいい?」(超銀・旧ゼロ)
(超銀)
「――僕はこっちの方が好きだな」 いきなり耳元で声がして、フランソワーズは身体を引いた。 「ジョー!いつの間に・・・」 けれどもフランソワーズの声が聞こえないかのように、ジョーは彼女の手にしたデザインの異なる同色のブラジャーをじっと見つめた。 「・・・こっちは似たのを持ってただろう?同じ色だったら僕はこっちの方がいいな」 やめて、と手を隠そうとするが、両手に持った下着は難なく奪われてしまう。 「うーん。どうしてもこの色がいいのかい?だったら――すみませーん」 勝手に店員を呼んでしまう。 「――はい。・・・あら、島村さんじゃないですか」 勝手に話を進められ、蚊帳の外だったフランソワーズはすっかりむくれてジョーを睨んだ。 「・・・もうっ。だからあなたと来るのはイヤなのよっ」 けれどもジョーはそんなフランソワーズを全く意に介さず、広げられている下着類を手にとってはフランソワーズにあててみたり吟味するのに余念がない。 「だって。いっつもひとりで決めちゃうんだもの」 彼の手に下げられた薄いピンクのレースがついた白いブラジャーを指す。 「当たり前じゃないか。嫌だなあ。これはきみがするんだ」 にっこり笑って胸に当てようとするから、フランソワーズは慌てて払い除けた。 「もうっ、やめてよここでは。恥ずかしいでしょう?」 フランソワーズは小さく膨れて下を向いた。頬が赤い。 もうっ・・・だからジョーと一緒に来るのは嫌だったのよっ・・・! 後の祭りであった。 大体、下着売り場なのに、どうして店員さんがジョーの名前を記憶してるのよ! おそらく、男性が長時間この売り場にいるなんてことは滅多になく、珍しいから憶えられているのだろうとは思うものの、ジョーと店員の懇意な態度も気になった。 ――この前の件、って・・・。内密に?いったい何の事? 「ほら。フランソワーズ。選んで」 頭をつんとつつかれて顔を上げると、店員が見繕って出してきたブラジャーがところ狭しと広げられていた。 「きみはどれがいい?」 下着を吟味する手を止めて隣のフランソワーズを見遣ると、彼女はまだ膨れたままだった。 「――脱がせるのに手間取ったら興ざめだろ?」 フランソワーズの頬がかあっと熱くなる。 「もう、何言って」 フランソワーズを抱き寄せている腕に力をこめて更に引き寄せ、ジョーは囁くように続けた。 「僕は下着姿のきみも好きなんだ。何も着てないのもいいけどね」 そうしてちゅっと頬にキスをした。
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(旧ゼロ)
ジョーはひとり手持ち無沙汰だった。 「ふ・・・」 フランソワーズと呼ぶにも、彼女はずうっと奥のほうへ行ってしまっていて大きな声を出すのも躊躇われた。 「・・・・」 大体、女性の下着売り場の付近でうろうろしているなんて、それだけでどうにも不審者になったようで落ち着かない。 「ジョー!!」 フランソワーズが奥からこちら目指して走ってくる。 「どこに行くの?」 きらきらした蒼い瞳で見上げられ、ちょっと言葉に詰まる。 「帰っちゃうの?」 自分が帰ってしまうのかと思って走ってきたのか――と思うとジョーは嬉しくなった。 「荷物持ちなのに?」 確かに言った。言ったけど・・・。 「・・・うん。言ったけど、でもちょっとここは」 今更ながらフランソワーズは頬を赤らめた。 「どこかで待ってるよ」 ジョーの指す方を見つめる。 「『お父さんコーナー!?』」 意味がわからず、ジョーは眉間に皺を寄せた。 「なにそれ」 確かに。 「でも、ここにいるってのもちょっと」 ジョーは先刻からあまり見ないようにしていたフランソワーズの胸元を指差した。 「それ。選んでいる途中だったのかい?」 慌てて両手を後ろに回す。 「――見たのね?ジョーのえっち!」 ジョーは微かに頬を赤らめた。が、目の前のフランソワーズも負けないくらい顔が赤い。 「先に言ってくれればいいのに!」 じいっとフランソワーズに見つめられ、ジョーは視線を逸らすのも何だか自分がイケナイコトをしたと認めるようでしゃくだった。ので、負けずに見つめ返す。 大体、僕はきみのそういう姿を見たことがないんだし。どういうのをつけているんだろう・・・って時々ちらっと思ったりなんかもしてしまったりすることだってあるんだからな。無防備に目の前に晒すな。 「――フン。どうせどっちがいいか決められないんだろう?」 右手には白、左手にはピンクを持っていた。 「ふうん」 もちろん、彼女だったら清楚に白が基調だろう――とは思うのだったが、ジョーはちょっと意地悪をしてみたくなった。 「――私の勝手でしょっ。だったら、ジョーなら何色がいいっていうの?」 言えるものなら言ってみなさいよと挑戦的に見つめる蒼い瞳。全く、むきになっちゃって可愛いなあ――と思いながら、ジョーはさらりと言った。 「赤」 そうしてジョーはくるりと背を向けた。後で連絡してくれよと言い残して。後には呆然としたフランソワーズが残された。 「・・・赤って・・・」 もしも彼の言う通り赤い色のを買ったら「赤いのにしたのよ」って彼に見せなければならないのだろうか?
ジョーは紳士服売り場のスポーツコーナーへ向かいながら、赤じゃなくって黒にしとけばよかったなぁ・・・いや、それを言うなら彼女の瞳と同じ蒼と言うべきだったかとずうっと思い悩んでいた。 それを見る機会などしばらく予定も予兆もないのに。
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2月8日 ショッピングA「どっちがいい?」(新ゼロ)
三人が売り場に散ってから数分後。 「・・・これはどうしたもんだろうな」 えっ!? さらりと言った超銀ジョーに他のふたりの視線が向く。 「お前、入っていけるのかよ」 とはいえ。 何故ならそこは、下着売り場だったからである。
そんな彼らをよそに――否、まるっきり忘れ、三人はそれぞれの好みのブランドのところへ散っていた。
*** (新ゼロ)
フランソワーズは向こうの方で戸惑っているジョーを認め、くすりと微笑んだ。 「ジョー!」 呼んでみる。が、こちらを向いたものの、必死の形相で頭を横に振っている。じりじりと後退しながら。 「もうっ・・・ジョーったら」 つかつかとジョーのそばへ行き、腕を抱くようにして連行する。 「離せよっ」 イヤーな予感がジョーを襲う。 「あの、フランソワーズ」 ジョーが連れて来られたのは、フランソワーズのお気に入りのブランドコーナーだった。 「・・・どっち、って・・・」 示されたのは、ショーケースの上に展開された下着の数々。 「ピンクもいいし、赤もかわいいでしょう?でもやっぱり、ジョーは白がいい?」 どうして僕に訊くんだ。 という問いは発せられない。「ついて来たから」と言われるのは目に見えているのだ。 「豹柄もあるのよ。ほら、どお?」 豹柄のブラジャーを服の上からあててみていたフランソワーズは、ジョーの即答に目を丸くした。 「・・・あら。意外ね」 そして会話は振り出しに戻る。 「じゃあ、どれがいいと思う?」 ジョーは周囲の視線を気にしてあたりにちらちらと目を配る。幸い、女性はみんな選ぶのに夢中であり、男性がいてもいなくても大して気にしてはいないようだった。 「もうっ。ジョーったら」 くすくす笑うフランソワーズは可愛かったけれど、最初から選ぶのの当てにされてないと知りちょっとむっとした。 「どれでもいいよ。どうせ、すぐ脱がすんだから」 「っ、ジョーっ!」 フランソワーズが耳まで赤くなって暴れだす前に、ぱっと彼女から身体を離す。 「もうっ!!」 ふふんと口元に笑みを浮かべ、ジョーは「チョコレート売り場を見てくるよ」と言い残し去って行った。 チョコレート売り場。 ピュンマに伝えてもらった「逆チョコ」の話、効果があったのかしら・・・?とフランソワーズは微かに首を傾げ、満足そうに微笑んだ。
実はピュンマから「アムール・ド・ショコラ」のカタログを事前に見せてもらっていたジョーは、かといって目当てのチョコが決まっているわけでもなくぶらぶらと「世界のチョコ」を見て回っていた。 ・・・FIAT社? ひとけのないブースで暇そうにしていた女店員は、さっそくジョーに向かって説明を始めた。 「へえ・・・」 どうぞ手にとって見てくださいと勧められ、顔の高さに掲げて見てみる。 「よくできてるね。まさか、動くの?」 さすがにそれはないようだった。 「あの・・・レーサーの島村ジョーさん、ですよね?」 ミニカーをためつすがめつしているジョーは生返事ながらもあっさり肯定した。 「やっぱり!」 女店員は車好きであった。 「もしかして・・・逆チョコなんですか?」 やっと我に返り、女店員を見つめる。が、女店員は目をきらきらさせて言うのだ。 「素敵!!彼女に逆チョコを選ぶ音速の騎士。ハリケーン・ジョー!!」 示されたのは、ナナメ前のブースだった。確かに女性が群れており人気があるようだった。 数分後。 その後フランソワーズが迎えに来るまで、ジョーは試食を勧められては断りきれず食し、申し訳ないから購入する・・・というのを繰り返し、腕にはチョコの入った紙袋をたくさん提げるはめになった。
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2月7日 ショッピング@
「――ええ、わかったわ。明日10時に正面ね」 電話を切ったフランソワーズは豪く上機嫌で鼻歌なぞうたっている。 「明日?明日はずうっと一緒にいるんじゃなかったっけ?」 フランソワーズを電話にとられていたジョーが声を尖らせる。 「うん。ごめんね、ジョー。急用なのっ」 爪先でくるりとターンをしてジョーに向き直ったフランソワーズは、拝むように目の前で両手を合わせた。 「急用、って・・・俺のほうが先約だろ?」 納得できない、とジョーが唇を尖らせる。 「ごめんなさい。でもどうしても明日じゃないとダメなの」 フランソワーズのキスで機嫌を直してしまう自分ってどうだろうと思いつつも、結局、彼女には負けてしまう。 「あのね――」
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翌日、某百貨店の正面玄関前。午前9時50分。 三人の003があるミッションのために集結していた。 「いい?目指すはあの階だけよ。ほかへ目を遣っちゃダメ」 のんびりと言いかけた超銀フランソワーズは、新ゼロフランソワーズとスリーに軽く睨まれ肩をすくめた。 「・・・冗談よ。でも、最上階っていま何をやってるか知ってる?」 三人、目を合わせ大きく頷く。 「・・・ところで、聞いてもいい?」 全員が顔を見合わせ、せーの、と同時に言った。 「どうしてジョーもここにいるの!?」
・・・そう。 「・・・女だけってことだったわよね?」 ひそひそと話す003たち。ちらちら009を見ながら。 「それが、ついてくるってきかなくて」 そして、大きくため息。 「・・・本当なら、今日はジョーとずうっと一緒に過ごす予定だったの。――でも、今日を逃すわけにはいかないでしょう?そうしたら、予定通り一緒にいる、ってごねて」 昨夜はごねて拗ねて大変だったのだ。 「私も、そんな感じだわ。きみはもうすぐパリに帰るのに、僕と一緒にいるより買い物のほうがいいんだね、ってそれはもうしつこく言われたわ」 そんなことをくどくど言いながら、ずうっと後ろをついて歩くジョーに辟易して連れてくることにしたのだった。 「うちもよ。『買い物だって?荷物持ちがいなくてどうするんだ!どうせきみは後先考えずに買うに決まってるのに重くて足が痛くなっても知らないぞ。誰も手伝ってくれないぞ』って・・・」 素直に僕も行くって言えばいいのに・・・と003たちが見つめるけれど、旧ゼロ009は腕組みして顔をしかめたままだった。 そうこうしているうちに時計が10時を指した。開店である。 全館改装前の売りつくしセールの真っ最中なのだった。 そして。 着いた先はどこかというと・・・
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2月5日 (ピュンマ様部屋からの続きです)
ジョーは無言のままフランソワーズの手を掴み二階へ上がり、乱暴に自室のドアを開け、その中へ放るように彼女の手を離した。その背後で音高くドアが閉められる。 「ジョー、いったいどうしたの?」 全く状況が掴めず、フランソワーズは軽く首を傾げる。 「なんだか乱暴だわ。今日のジョー」 「俺」という一人称に、フランソワーズの眉間に微かに皺が寄る。彼が自分をそう言う時は、何か――彼の心の平穏が乱された――があった時なのだ。 「前に――約束したはずだよね、フランソワーズ」 突然言われても、いったいどの約束のことなのかフランソワーズにはわからない。頭の中でどの約束なのか考えてみる。が、ジョーはその時間もくれる気はないようだった。 「なのに、どうして破るんだ」 約束を――破る? 「破ってないわ。私がジョーとの約束を破ることなんてないじゃない」 それは半分嘘だったけれども、ミッション中に彼との約束を守らないのは、そうするのがベストと考えられる時だった。 「ふん。忘れたのか」 意地悪そうな声音にフランソワーズもむっとしたように言う。 「一方的に約束っていったってわかるはずないでしょう?いったいどの約束のことを言ってるのよ」 前髪の奥に覗く瞳がきらりと光る。睨むようなその視線の強さにフランソワーズはため息をついた。 「・・・またそんな顔して。あなたがそういう顔をする時って――」 何かを誤解している時。 「もうっ・・・今度は何?」 両手を腰に当てて、胸を張ってジョーを見つめる。 「どうしてそうヤヤコシイやき方をするのかしら」 今の返答で、はいヤキモチやいてました――と肯定したことにジョーは気付いていない。 「ピュンマを殴り飛ばせと?大声でわめけと?」 ああ、やっぱり。 「・・・さっき、ピュンマのほっぺにちゅーしたの、見てたのね」 ほっぺにちゅーと聞いて、ジョーは組んでいた腕を解いた。 「俺は別にっ・・・!」 悪びれずに言うフランソワーズへ、ジョーは手を伸ばしかけ――しかし、彼女の肩を掴む事はせず、再び手を引いた。 「――御礼って何だ」 視線を彷徨わせたのはフランソワーズのほうだった。ジョーは彼女から目を離さない。 「俺に言えないことか」 ピュンマは直接言えと言っていたが、こういうのは人づてで聞いた方が絶対うまくいく。と、フランソワーズは思っていた。 「――ふうん。だから最近、俺を避けてるんだ?」 意外な話だった。 「避けてないわよ?」 起こしに来てくれないし。と小さく言う。 「だって、それはレッスンが早い時間からあるから、だから――」 昨日一日、ジョーは次のレースの予定等の打ち合わせで出掛けており、帰宅したのは時計の針が24時を随分すぎてからだった。 「・・・部屋に来てくれなかった」 ポツリと言ったジョーを見つめ、フランソワーズの唇に笑みが浮かぶ。 全く、どうしてこの人はいつもこうなのかしら。 「・・・ジョー?私だってあなたに会いたかったのよ?」 フランソワーズはジョーに近付くと、彼の胸に手をかけて背伸びをし、彼の唇に自分の唇をくっつけた。 「――まだ嘘だと思う?」 ジョーはそのままフランソワーズを抱き締めると、唇を重ねていた。 |