−子供部屋−
(ジョー島村もしくはお嬢さんのお部屋)

 

2月28日

 

もうすぐ3月がやって来る。
あともう少し、あともうちょっと、と思っているうちに2月も最後の日になってしまった。
明日から3月。

3月は、別れの季節。

私はいったい、どうしたいんだろう・・・?

 

***

 

ここに居る。と決めるのは簡単な事だったように思う。
数年前、私はごく自然に日本に残ることに決めた。パリに兄が居るにもかかわらず。
他のみんなが残ったからではなく、私は自分の意思でそう決めた。後悔もしなかった。今だってしていない。

彼と一緒にいたかったから。なんて理由は、重要なことのようで実は理由にすらなっていない。
だって私には本当に当たり前の事だったのだから。彼のそばにいるということは。
他の選択肢すらなかった。

あの時ジョーは、少し困ったような、照れたような顔をして視線を逸らし、そうして私の手を握り締めた。
それだけで良かった・・・はずなのに。

今思えば、あの時私は彼自身の身の振り方さえ勝手に決めてしまっていたのかもしれない。それとはわからずに。
だから、ジョーはここから動けない。動かないで、居る。
私がそう決定してしまったから。

私が、ジョーと一緒にいるために日本にいることに決めたから。

彼がいなくなったら、私は日本にいる意味がない。
だから、彼はどこにも行かずに必ず日本へ帰ってくる。

それは本当にジョーの意思なのだろうか。

本当は、ジョーは日本にいたくはないのかもしれない。

もしも、私がここに居なかったら。

彼はもっと自由だったのかもしれない。

 

***

 

見慣れた筈のジョーの顔。なのに、知らないことばかりのように思えるのは何故なんだろう?

こんなに睫毛が長かったかしら?
鼻筋も通っていて、およそ日本人らしくない容貌。――彼はハーフなのだとすぐにわかる。
この顎のラインが好き。
額にかかる前髪も。こうして掻きあげると露わになる額。普段は見えない。
私の名を呼ぶ唇が好き。この耳も好き。

私がいなくなったら、あなたはどうするの?

ひとりでも大丈夫?

落ち込んだ時、そばにいなくても――

暗い部屋にたいく座りで居る彼の姿が脳裏に浮かんで思わず笑ってしまった。
どうしていつも同じ格好で落ち込むのかしら。

――私がいなくても、自分で電気を点けて立ち上がることはできる?

 

 

あなたがいなくても――

 

――私は大丈夫なのだろうか。

 

 

*****
3月は決断の季節ですから。


 

2月25日     しつこく王子様談義

 

「ねぇ、どうしても王子様にはなってくれないの?」
「やだね」
「・・・お願いしても?」
「だって僕は王子じゃないし」

今日発売の車雑誌を膝の上に広げ、見入っているジョー。それでもフランソワーズの話し相手はする。半分、うわの空だったけれども。
一方のフランソワーズは、膝を抱えてソファに座り、背中をジョーの肩にもたれかけている。少し頬を膨らませて。
どうやら、構ってくれなくて少し拗ねているようだった。

「・・・眠り姫の王子はイヤなんでしょう?」
「うん」
「確か、警備兵なのよね?」
「そう」
「シンデレラの王子もイヤなんでしょう?」
「ああ」
「・・・白馬に乗った騎士がいいの?」
「うん」

フランソワーズは大きくため息をついた。

全く、どうしてそんなに「王子様」がイヤなのかしら。あくまでも「騎士」とか「兵士」にこだわるなんて。

「どうしてそんなに王子がイヤなの?」

何か、過去に嫌なことでもあったのだろうか・・・と思い巡らせる。
例えば、好きな女の子がお姫様役だったのに、どうしても王子役を振ってもらえなかった、とか?

「イヤってわけじゃないけどさ」

雑誌から目を上げず、ページを繰る。

「王子って変なヤツが多いだろ」
「・・・変なヤツ?」
「ほら、白雪姫とか」
「白雪姫の王子様が変なヤツなの?」
「うん。だって、死体にキスするんだぜ?あんまり綺麗だからってそんなことするか?」
「・・・・おとぎ話よ?」
「それに、人魚姫だってそうだ。何で自分を助けてくれたひとのことがわからないんだよ?」
「・・・・気絶してたんだもの、仕方ないじゃない」
「だったら、どうして婚約者がいるのに、口のきけない娘に目をかけるんだい?誤解させて可哀相じゃないか」
「・・・だって。そういう話だもの」
「だから、王子っていうのはイヤなんだ」

フランソワーズは横目でジョーを見ると、にやりと笑った。

「ふうん?イヤと言うわりには詳しいんじゃない?」

そうしてジョーの方へ向き直ると、彼の首に腕を回した。

「フランソワーズ。邪魔」

ジョーが眉間に皺を寄せてフランソワーズを手で除ける。
が、フランソワーズは彼の視界から退かない。

「フランソワーズ。読めないだろ」
「本当は王子様になりたいんでしょ?」
「なりたくないよ」
「うそ」
「ほんとだって。――ホラ、どいて」

けれどもフランソワーズはジョーをじいっと見つめたまま動かない。

「・・・なりたいんだ?」
「なりたくない、って。ホラ、どいて」
「ジョーが王子様」
「ち・が・う、って」

ジョーはフランソワーズを見つめ、大きく息をつくと雑誌を脇に置いた。
そうして、ニヤリと笑うとフランソワーズを抱き締め唇を奪った。

「――白雪姫の王子の真似っ」

 

 

*****
最近、いちゃいちゃし過ぎな二人です(汗)


 

2月16日

 

フランソワーズはジョーの部屋にいた。
彼のベッドの端っこにちょこんと座り、居心地悪そうに組んだ指をもじもじと動かし、時折ちらちらとジョーを見つめ。
一方のジョーはというと、ぼさぼさの前髪の奥に機嫌の悪そうな瞳を隠し、声だけは穏やかにフランソワーズに問うているところだった。
カーテンを引いていないフランス窓に腕を胸の前で組んで寄りかかり、室内のフランソワーズをじっと見つめている。
彼の背後には暗い海が広がっていた。

「――それは答えになってないよ、フランソワーズ」

ため息とともに吐き出す。

「前から言ってるよね?僕がきみを独りぽっちで待たせるのが嫌いだってこと」

フランソワーズは手元を見つめる。

「帰る時間がちゃんとわかってるならいいけど、そうじゃない時はダメだって言ってるよね?」

答えない。

「いつ帰ってくるかも――大体、本当にそこに帰ってくるのかもわからないのに、何時間もたった独りで待ってるきみを想像したくない」
「――だって」

フランソワーズがびくんと顔を上げる。

「だって、平気だもの!待ってるのなんて、ぜんっぜん苦じゃないわ」
「嘘だ」
「嘘じゃないわ!」
「帰って来ないかもしれないんだぞ!」
「帰ってくるもの!」
「そんなの、わかるもんかっ」
「わかるの!」
「ああ、そうだろうな。きみの力を使えばなんでもわかるんだよな?」
「ひどっ・・・!酷いわ、ジョー」
「酷いのはきみだろう?」

見据える目と目。一歩も引かない。

「――前から何度も言っているのに、全然守らない。日本グランプリの時も、その後も!何度も言ったはずだよな?」
「そんなの、知らないわ」

ぷいっとフランソワーズが横を向く。こちらも胸の前で腕を組んで。

「会いたいくて待ってるのがそんなに悪い事なの?怒るようなことじゃないと思うんだけど?」
「そんな事を言ってるんじゃない。独りで延々待つのはダメだと言ってるんだ」
「あらそう。あなたは私に会いたくなかったと、そういうわけね?」
「違うだろ、そんな事言ってない」
「同じことよ。それとも何?女連れで帰ってくるのに私がいたら邪魔だから?」
「――くだらない」
「ええ、くだらないわ!さっきからあなたの言ってる事全部!」

フランソワーズはさっと立ち上がるとつかつかとジョーの面前へ進んだ。

「いい?ちゃんと聞きなさい。私は、あなたを待っていたいの!それがどうしてダメなの?答えて!」
「・・・待っても待っても帰ってこなかったらどうするんだ」
「帰ってくるって言ったでしょう?それともあなたは帰ってくるつもりがないの?」
「あるよ」
「だったら、それでいいじゃない。私が待つ。あなたは帰ってくる。どこか悪いところがあるかしら?」

じいっと見つめられ、ジョーは組んでいた腕を解くと、くるりと窓の向こう側を向いた。
今日の昼まではまるで春のように暖かかったのに、夕方から急に冷え込んできた。外は風が吹き荒れ、冷たい空気をかき混ぜている。

「・・・独りで待ってるのは寂しいじゃないか」

風の音に消されそうに小さい声でぼそりと言われる。普通だったら聞き逃してもおかしくはないくらいの音量。
けれどもフランソワーズは聞き逃さなかった。耳のスイッチをいれているわけではなかったけれど、ジョーの声なら聞き逃さない。

「もし――ずっと帰って来なかったら?そうしたら、ずっと・・・独りで待っていることになるんだぞ。そんなの、・・・・ダメだ。許さない」
「――私は平気よ」
「嘘だ」
「本当よ。何度言わせるの?」
「嘘だからだ」
「本当だってば。信じて、ジョー」

けれどもジョーの背中は頑なだった。

「・・・あのね、ジョー」

フランソワーズは組んでいた腕を解くと、そっとジョーの背中に触れた。

「待ってる間、ね。私、ずっとあなたの事ばっかり考えているの。いま何をしてるかしら、笑ってるかしら怒ってるかしら・・・って。それから、帰ってきたらなんて言おう、どんな顔するかしら・・・って」

ジョーは何も言わない。

「待ってる時間が寂しいなんて思ったことない。帰って来ないかもしれないとも思わない。だって、あなたは絶対帰ってくるし、・・・あなたが帰ってくるのが私以外のどこにあるっていうの?」
「・・・・」

顔は窓の向こうを向いたまま。けれど、左手がそっと動いてフランソワーズを求める。
その左手を両手で握り締め、そうっと肩に頭をもたせかける。

「――でも」

フランソワーズの手をぎゅっと握り締め、ジョーが言う。

「寝てた」
「!!」

肩から頭を離し、ついでに両手を振ってジョーの手から逃れる。

「あれはっ・・・、だって、起きて待ってたら余計に気にするでしょう?」
「別に僕は寝るなとは言ってないけど?」

ゆらり、とこちらを見たジョーは口元に笑みを浮かべていた。声の調子も戻っている。

「大の字で寝てるとは思わなかったけど?」

口元に笑みというより、にやにや笑いを貼り付けて言うジョーに、フランソワーズの頭に血が昇った。

「あれは、わけがあるのっ!!」
「へえ・・・どんな?」
「起きて待ってたら嫌がるから、じゃあ寝て待ってよう・・・って思って、それでっ」
「臍出してたけど?」
「もー!だからっ!」

頬を上気させて、きらきらした瞳でジョーに訴える。

「ベッドに入ったら寒かったの!あなたがいないと寒いのっ!だから、暖房入れて寝ようって、そうしたら暑すぎて、それで」

必死の表情で言っているフランソワーズに構わず、ジョーは手を伸ばすと彼女の頬に触れた。

「よく聞こえなかったなあ。もう一回言って」
「なっ・・・、聞こえたくせに」
「もう一回言って」
「聞いたくせにっ」
「僕がいないと、何?」
「なっ・・・」

振り解こうと思えば、本気で抗えば、簡単に振り解けるはずの。
ジョーの手が頬に当てられ、そのまま肩を抱き寄せられ。
されるがままに身を任せ、いとも簡単に彼の腕のなかに捕まった。

「――知らない」

ジョーの胸に頬を摺り寄せ。彼の体温が身体に伝わってくるのが嬉しい。

「お風呂上りに全裸でうろつく露出狂には言いたくありません」

ぎゅ、とフランソワーズを抱く腕に力がこもった。

「全裸じゃねーよっ」
「全裸だったわ」
「ちゃんとタオル巻いてたろ?」
「あーあ、私ったら、全裸のひとと話してたなんて全然気付かなかったわ」
「嘘つけ」
「ジョーにそういう癖があったなんて知らなかったわ」
「フン。僕だってきみに臍出して大の字で寝る趣味があったなんて知らなかったよ」
「ばか。嫌い」
「あ、そ。意見が食い違ったな」
「それは残念ね」
「ほんと残念。これから愛の告白をしようと思ったのに」

フランソワーズがジョーの胸から顔を起こしてじっと彼を見つめる。

「・・・本気?」

にやり、とジョーが笑う。

「意見が食い違ったので、また今度」
「もうっ・・・!ジョーのばか!」

 

 

******
二人のケンカというのを書いてみたかったんです。
ちなみに二人とも大真面目でマジなケンカ(のつもり)


 

2月15日・その2    「逆チョコ」

 

 

「・・・結局、どうでもいいのかよ。僕からの愛の告白ってヤツは」

フランソワーズに唇を奪われ、言う機会を逃したジョーは怒っているのか拗ねているのか助かったと思っているのか自分で自分の気持ちがわからない。
が、隣でリボンを解き箱を開けてチョコレートを検分しているフランソワーズはそんなジョーの様子にお構いなしだった。

「うわぁ・・・薔薇の形してる。これ、人気があるのよ?・・・凄いわ。どうしてジョーなんかが知ってるの?」
「ジョーなんかって何だよ、なんか、って」
「ほら。薔薇の形してるでしょう?確か薔薇の香りのするチョコで・・・」

細長い箱に縦に一列並んだ4粒の薔薇のチョコ。ひと粒500円はするそれを、躊躇なくフランソワーズはつまんで口に入れた。

「んっ!あまーいっ。うわっ、後から薔薇の香りがするー!」

うっとりと目を細め堪能しているフランソワーズにジョーは苦笑するしかなかった。

「そんなに美味しいんだ?」
「ええ、それはもう!ジョーもひとつ食べる?」
「いや、僕はいいよ」

あと3粒しかないのに、うっかり勧められるままに食べたりしたら後が怖い。

「そう?――じゃあ、あげないっ」

そうして、いとも簡単に二つ目。

「・・・美味しいっ。ね、ジョーもこういうチョコ貰ってないかしら?」

ちらりと目の前のチョコの山を見つめる。

「さあね。探せばあるんじゃない?」
「・・・ん。でも、ジョーが貰ったものだもの。私が食べるわけにはいかないわよね」
「別にいいんじゃない?どうせ僕は食べないんだし」
「うーん・・・・」

考え込みつつ、無意識に手は三つ目を摘む。

「でも、ひとつひとつにジョーへの愛がこもっているのよ?それを私が食べちゃったら・・・ねぇ?」
「別にこもってないんじゃない」
「ううん、きっとこもってるわ!なのに私が食べちゃったらどうするの!」
「どうする、って・・・」

律儀だなあとフランソワーズを見つめる。
女の子だって、チョコを渡すという行為に意味を見出したいだけで、そのチョコの行く末なぞどうでもいいのではないだろうか。

「だって」

フランソワーズは考え込んだジョーの方へ身体ごと向き直る。目が真剣だ。

「これ以上、あなたへの愛が溢れたらどうなると思う!?」
「え」
「ただでさえ、いっぱいいっぱいなのに!困るわっ」
「困るわ、って・・・・」
「ずうっと抱っこされていたくなっちゃうわ!」
「・・・抱っこされたいんだ?」

こくんと頷くフランソワーズに手を伸ばし、膝の上に抱き上げる。

「で?」
「ぎゅうってされたくなっちゃうかもしれない」
「する?」
「ううん、今はいいの」

あ、そ・・・とジョーは口の中で呟く。ともかく、毎年バレンタインデー前後のフランソワーズは手がかかる。昨年も本命だ本命じゃないで揉めたのだ。少しだけだが。
フランソワーズは四つ目の薔薇チョコに手を伸ばした。

「ね。本当に食べないの?」
「うん。僕はいいよ」
「口の中に薔薇の香りが広がるのよ?」
「へえ、そう」
「・・・ほんとか嘘か知りたくない?」

そう言いながら、最後の1個をフランソワーズは口に入れた。

「食べちゃったら知りようがないだろう?」
「あら、そう思う?」
「・・・・・・・・」

どうやって知るか――に、思い至ったジョーは、本当に今日のフランソワーズは手がかかるなあと内心ため息をついた。
でも。

可愛いから、たまにはこういうおねだりもいいか――

どんなにメンドクサイ事でも、フランソワーズが可愛いなら万事オッケーなジョーなのだ。もちろん、彼女と同じ事を他の女の子がやっても全く興味がないのだけれど。

おねだりに応えるべく唇を近づけると、ふっとフランソワーズが笑った。

「そういえば、ジョーにチョコをあげてなかったわ」
「えっ?それはこの間・・・」

この部屋でチョコレートフォンデュをしたのがそれに相当していたはずだが。

「でも、やっぱりバレンタインデーに渡したいわ」
「もう過ぎたよ?」
「ううん。ちょっと過ぎただけだもの。――逆チョコの更に逆チョコってダメかしら?」

お互いの唇が重なるまで、ほんの数ミリ。

「・・・いいんじゃない?」

 

 

「――うん。確かに甘くて薔薇の香りがするね」
「そうでしょう?」 

 

 

 

 


 

2月15日     (まだバレンタインしてます)

 

午前6時を過ぎていた。まだ夜は明けない。

二人は、リビングでフランソワーズの淹れたコーヒーを飲んでいた。テーブルの上には、ジョーが持ち帰ったチョコレートが山になっている。

「相変わらず凄いわねぇ。紙袋4つぶんは去年と一緒ね」

ジョーは答えない。

「後で整理しなくちゃね。ジョーもちゃんとカードを読むのよ?」

けれども返事はない。

「ジョー?」

ジョーは白いニットにジーンズという姿。前髪で顔を隠し、静かにコーヒーを飲んでいる。

「・・・眠いの?」

一方のフランソワーズはベビーピンクのワンピース姿。彼女いわく、いちおうバレンタインデーというのを意識したのだそうな。ノースリーブのその上に、白いニットのカーディガンを羽織っている。

「・・・別に」

すっかり不機嫌になってしまったジョー。湯冷めしたのが原因ではないらしい。もちろん、ベッドルームをフランソワーズが占拠していたせいでもない。

「暖房をつけっぱなしにしてたから、怒ってるの?」
「違う」
「チョコを食べたから?」
「別に僕は怒ってないよ」

けれども、低い声で言われるその台詞は「僕は怒っている」と宣言しているも同然だった。

「私がここに来たから?」
「違う」

フランソワーズは並んで座っていたソファから降りると、床に座りジョーの膝に両腕をかけ、そこに頭をもたせかけて彼の顔を覗きこんだ。

「ジョー?」

ジョーはぷいっと身体ごとそっぽを向く。
フランソワーズは、今度はジョーの膝に腕をかけて身体を伸ばし、彼の胸元のあたりから顔を覗きこむ。

「怒りんぼのジョーさん?」
「・・・・・」

フランソワーズと目を合わせないようにしているジョーの鼻をつつく。

「何で怒ってるんでしょうねー?それは、もしかしてコレのせいですか?」

じゃーん。という擬音がついているかのようにフランソワーズは右手をひらめかせ、ソレをジョーの目の前に差し出した。

「っ!ふっ」

コーヒーにむせて咳き込みながら、それでも手を伸ばしソレを取り返そうとする。が、フランソワーズは見切っているかのように華麗にひらひらと彼の腕を避けてゆく。

「返せよっ!!」
「イヤよ」
「それは、僕のっ・・・」
「僕の、なに?」
「いったいどこからっ!」

虚しく空を切る指先。

「ジョーの上着のポケット」
「――あ!」

帰ってきてソファに脱ぎ捨てたままだったそれを探すかのように、自分の座っている左右を見回す。

「遅いわよ。さっきハンガーにかけたの。そうしたらね、半分見えていたから、何かしらーって」
「・・・返せよ」
「そんなに大事なものなの?」
「フン」
「どうしてこれだけポッケに入ってたの?」
「・・・知るか」
「本命からもらったから?」

えっ!?

思わず見ると、フランソワーズは唇を噛み締めじっとジョーを見つめているのだった。

「ばか、ちがっ」
「どうしてこれだけ大事そうにポケットにしまってあったの?」
「だからそれは」
「今までそんな事なかったのに・・・っ」
「だから、聞け、って!」

ジョーは立ち上がると、フランソワーズの両肩をがっしりと掴んだ。顔を近づける。

「いいか。よーく聞けよ?二度は言わない」

険しい表情のジョーに、フランソワーズも神妙な顔で頷く。

「それは、逆チョコ、だ」

言った途端、ジョーの顔が赤く染まってゆく。それは見事に耳の先まで赤く赤く。

「・・・・・・・・・っ。何とか言えよ」

フランソワーズは応えない。

「そ、・・・・だからそれは、フランソワーズにあげるつもりだっ・・・」

フランソワーズの肩を掴んだ両掌にじっとりと汗がにじんでゆく。

「・・・くそっ、だからっ・・・・」

真っ赤な顔で。フランソワーズの目を直視できず、四方に泳がせて。手には汗。額にも汗。
フランソワーズはにっこり笑った。笑って、そして、背伸びしてジョーの首に腕を回した。

「やっぱり!そうだと思ったわ!!」

・・・・はい?

「絶対そうだと思ったの!だけど、もしかしたらそうじゃないかも、って思って、でもでも、きっとピュンマから聞いてるはずだから、そうに決まってるはず、と思って、」
「・・・ピュンマから聞いた・・・?」
「あ」

フランソワーズがぺろっと舌を出す。肩を竦めて。
それを見てジョーは脱力した。彼女の身体に回していた腕が緩む。大きく息を吐き出して。貧血を起こしそうだった。
考えてみれば、自分は一睡もしていないのだ。大の字になって寝ていた彼女とは違って。
ゆらりと後退しソファに沈んだジョーの隣に、こちらは弾みをつけてぴょんと座ったフランソワーズ。ジョーの前に箱を差し出す。

「・・・なに?」
「ちゃんと渡してちょうだい」
「もう持ってるくせに。・・・それも、自力で見つけて」

急に眠気に襲われ、ぼそぼそと口のなかで呟くジョー。けれどもフランソワーズは元気いっぱいだった。

「でも、逆チョコなんでしょう?ちゃんとジョーからもらいたいもの。愛の告白っ」
「・・・愛?」
「そうよ。逆チョコってそうでしょう?」
「・・・・・・そうなのか」
「ええ」
「じゃあ、・・・・・もう既に三人から愛の告白ってやつを受けたんだな?」
「え?」
「そして食ったんだろ?――チョコレート」
「・・・食べたけど」
「じゃあ、受けたってことだろ。別に僕からのはなくてもいいじゃないか」
「チョコは食べるものでしょ!?受けた受けないって何よ!」
「・・・僕はきみからのチョコしか食べない」
「だから?」
「だから、他のひとの気持ちは受け取らない」
「あらそう。食べたら受けたことになるの。ジョーって意外と乙女ちっくね?」

むっつりと黙り込んだジョーの前髪をかき上げ、その奥の瞳に迫る。

「言ってくれないと、本当は本命からもらった大事なチョコなんだって誤解するわよ?」
いいの?と、蒼い瞳が問う。

「――わかったよ。貸せよ」

フランソワーズが差し出した箱をひったくるように受け取ると、無造作にフランソワーズの鼻先に差し出した。

「・・・愛の告白。受け取れ」

ぶっきらぼうなその声にフランソワーズの頬が膨らむ。

「何よソレ。全然、気持ちが入ってないわ」
「うるさいなぁ」
「うるさいって何よ。あなたの愛情ってそんなものなの?」
「だからどうしてこれがその証明みたいになってるんだよ」
「だって逆チョコだもの」

ああもう、メンドクサイなぁ――と言いながら、それでも律儀に言い直す。

「――・・・・・」

けれども、唇を開いたところで続く言葉が出て来ない。
今更こんな大真面目に愛を語ったところで、どうしろというのだ。
――しかし。
こんな小さなことで彼女が喜ぶなら、言ってみてもいいかなと思いかける。
よし、たまにはちゃんと言ってみようか。

「・・・・あ」

けれども、無情にもジョーの唇は塞がれた。愛を伝える当の相手のフランソワーズに。

 


 

2月14日

 

「・・・そんな事言ったっけ?」
「言ったわ」

そんな地球に優しくない事を言った覚えはない。何しろこちらは雪国ではないのだ。暖房をつけて寝なかったからといって部屋の中が凍えるくらい寒くなることはない。

「寒くて眠れないの、って言ったらそう言ったじゃない」
「そうだっけ?」
「そうよ。――冷たかったわ。あの時のあなた」

くすん、と鼻を鳴らす。その時のことを思い出したように。

「暖房つけて一人で寝れば?って」
「まさか」

そんな事は言ってないだろう、いくら何でも。

「だから暖房つけて寝てたのよ?」

そういえば、そもそもどうしてここにフランソワーズがいるのだ。
ジョーはフランソワーズに会えて――それがどんな状況下でも――嬉しくて緩んでいた頬を引き締めた。僕は怒っているんだぞと暗に示すように。

「・・・フランソワーズ。僕はこっちには来るなって言ったよね?」
「言ったわ」
「きみはわかったって言ったよね」
「ええ」
「だったらどうして」
「だって」

フランソワーズは険しい表情のジョーににっこりと笑いかけた。

「わかったわ、って言ったけどそうするわとは言ってなかったでしょ?」

人差し指をたてて、顔をちょこっと傾げて。

「・・・屁理屈だ」
「それだって理屈のうちだわ」

むう・・・と黙ったジョーの顎に手をかけて、自分の方へ向かせる。

「ジョーは私がいないほうが良かったの?」

何を言い出すんだ、とジョーが無言で睨みつける。が、フランソワーズは全く動じない。

「バレンタインなのに。それとも、誰か連れて来るつもりだったの?だから、私に来るな、って・・・」
「――怒るよ?」
「もう怒ってるじゃない」
「そうじゃなくて!」

けれども、にこにこしているフランソワーズの顔を見てぐっと黙る。

「そうじゃなくて・・・フランソワーズ」
「どうして来たの、って会いたかったからに決まってるじゃない。・・・もう。いつもそう言わないとわからないの?」
「・・・大の字で寝てたくせに」
「あれはっ・・・!」

かあっと顔を赤くして、フランソワーズがジョーに回していた腕を解き彼の腕から逃れる。

「酷いわ、見てるなんて!」
「僕のせいじゃないよ」
「だって、チョコを食べてたら何だか酔っ払っちゃったんだもの!」
「・・・チョコ?」

フランソワーズを下へ降ろしながら、ジョーの顔が険しくなる。

「チョコって」
「レッスンに行ったら貰ったの。――逆チョコって知ってる?」

ジョーは答えない。

「それで、ジョーを待ってる間にお腹すいちゃって、ついつい――」

ベッドサイドのテーブルへちらりと視線を走らせる。それを追ってジョーも見る。と、そこには既に空き箱となった「逆チョコ」が載っていた。ピンクのリボンや真紅のリボン。焦げ茶色やローズピンクの箱。見たところ、三個といったところか。
その数の少なさがむしろリアルな感じの逆チョコだった。
これって、義理とかじゃなくて本気でフランソワーズのことを・・・?

「――誰にもらったんだい?」

あくまでも、そんなの別にどうでもいいけど話の流れで仕方なく訊くんだよという声音で何気なさを装いジョーは訊く。

「ええと、パートナー役の彼と彼」

その二人はジョーも知っていた。どちらも明らかにフランソワーズのファンだ。崇拝しているかどうかは別として、ともかく好意を持っているのは確かだった。――が、どちらもジョーという存在を知っているので問題ではない。

「・・・それから、A先生」
「A先生!?」

まだ日本にいたのか。

フランソワーズの「ジゼル」の相手役だった男。確かにあれこれお世話になった。しかし、もうフランスへ帰ったのではなかったか。

「送られてきたのよ。フランスではバレンタインって女性が告白するのではないから」
「・・・何が送られてきた」
「チョコレートよ?どこで日本のシステムを知ったのかしらね?」
「・・・食ったのか?」
「ええ。美味しかったわ。懐かしかったし」

パリで有名な店だという。彼女がそこのチョコレートを好きなのを知っていて送ってきたらしい。

「・・・ふん」

気に入らない。
どうして、貰ったからという単純な理由で食べるんだ。僕はきみから貰ったのしか食べないのに。

「・・・ところで、ジョー。ちょっといいかしら?」

こほんと軽く咳払いをして、フランソワーズが言う。

「なに?」
「あの、・・・・パンツくらい穿いてくれないかしら。落ち着かないわ」
「えっ」

見ると、腰に巻いていたタオルはいつの間にか床に落ちていて・・・

「――ああ。そうだね」

ジョーは我が身を軽く検分すると、にっこり笑ってタンスの引き出しを開けた。

 


 

2月13日

 

結局、こういう事はタイミングというやつが重要なんだろうな・・・と、車の窓に映る自分を見つめ、ジョーは深いため息をついた。
ファン感謝祭及びスポンサーとの会食の帰りである。
黒塗りのタクシーの後部座席で、ジョーはポケットに入っている小さい箱をそっと押さえた。

今朝、行ってきますと言った時に渡せば良かった。

その時は、夜でもいいかと思い直し、後回しにしたのだ。しかし、今は午前零時をとうに過ぎており、バレンタインデーは過ぎ去った。
遅くなるだろうと思ってはいたものの、まさか本当に遅くなるとは思っていなかった。計算が狂った。
14日のうちに帰れるだろうと思っていたのだ。そして、フランソワーズに会って、これを――。

午前4時である。
まさかこんな時間にギルモア邸に帰るわけにもいかなかったから、ジョーは自分の自宅マンションへ向かっていた。
途中でフランソワーズにメールを送った。今日はこちらに泊まる、と。一応、遅くなったらそうすると言って出てきたものの、ずっとメールひとつ打つ時間がなかった。
きっと心配しているだろう。おそらく、もう寝ているだろうけれど、それでも連絡を入れておきたかった。
本当は電話して声を聞きたかったけれど。

 

***

 

玄関のドアを開けて一歩中に入った途端、チョコレートの香りが鼻をつき、ジョーは眉間に皺を寄せた。
先日、フランソワーズと二人で掃除をして以来ここには来ていなかったから、まだ香りが残っているとは知らなかった。
ともかく、あれ以来換気をしていないから当たり前といえば当たり前だなと思いながら、リビングへ向かう。
一段とチョコレートの香りが強くなったが、じきに慣れるさと気にしない。
ネクタイと上着をソファに放り、そのままバスルームに直行した。
しばらくして、腰にタオルを巻いた格好で出てくると、冷蔵庫からミネラルウォーターを一本取り出し飲んだ。

時刻はもうすぐ午前5時である。
今日は特に予定もなかったし、寝てしまおうと決めた。
大きな欠伸をしながらベッドルームへ向かう。既にバレンタインデーのことなぞ頭にない。ジョーにとっては、それほど重要なイベントではないのだ。
とにかく眠りたかった。
冷たい水を飲んだらさすがに少し寒くなってきたので足早に進み、ベッドルームのドアを開けた。とりあえず何か着ないと風邪をひいてしまう。いくら気密性の高い建物とはいえ、冬はやはり寒いのだ。

しかし。
ドアを開けると、そこは熱帯であった。
容赦ない熱波に身体を包まれ、ジョーはいったい何事なのだろうと部屋の中を見回した。
日の出前の、真っ暗な室内。誰もいない部屋で、エアコンだけが元気に稼動していた。

――どうして点いてるんだ。

フランソワーズと一緒にこの部屋を後にしたのだから、戸締り・電気・水周りの点検は完璧のはずだった。何しろ、彼女はエコな人だから待機電力も許しはしないのだ。
釈然としない思いを抱え、熱帯と化した部屋へ歩を進める。ともかく消さなくては。
が、いつもある場所にリモコンが置いていない。
まだ部屋に入って数分しか経っていないのに、早くも身体が熱くなってきた。せっかくシャワーを浴びたのに、また汗をかくなんてと内心舌打ちしながら電気を点けた。

途端に真昼のように明るくなる室内。

「・・・あれ」

そこにジョーは居るはずのないものを見つけた。
自分のベッドは亜麻色の髪の生物に占領されていた。

「・・・フランソワーズ?」

なんでここに居るんだ。

確かに、朝ギルモア邸を出る時に今晩帰るのが遅くなったらマンションに帰るようにするから、とは伝えてあった。が、だったらそっちにいるわと明るく言ったフランソワーズに、どのくらい遅くなるかわからないし、そんなトコロにひとりで居させるのは好きじゃないと断固として主張した。フランソワーズはしぶしぶながらも、わかったわ・・・と納得したはずだったのに。
しかも、ジョーが部屋に入っても、電気を点けても、全く気付かずに眠っている。そして、その寝姿もいつもジョーが見慣れているようなものではなかった。

半袖のTシャツ――おそらく、ジョーのものだろう。背中に「FIAT」のロゴが入っている――に、ショーツ。で、上掛けは掛けてない。というか、足で跳ね飛ばしたのだろう、ベッドの足元のほうでくしゃくしゃになって固まっている。枕はどこかへ行ったようで見えない。
フランソワーズは思い切り大の字になって眠っていたのだ。何も掛けずに。ついでに言うと、臍を出して。

ベッドサイドにエアコンのリモコンを見つけ、オフにする。

「・・・・」

傍らに立ったまま、ジョーはフランソワーズを見下ろした。
大の字になって寝ているのなんて初めて見る。しかも、寝顔は何だか凄く嬉しそうに微笑んでいるのだ。

もしかして・・・タヌキ寝入り?

――有り得る。彼女なら、ジョーが帰ってきた音を聞いて、寝たふりをするのは簡単なことだ。
屈んで、そうっと頬をつついてみる。

「・・・・」

笑顔が少し変わっただけで、起きない。
観察しても、睫毛や瞼が揺れて開く気配もなく、やはりどう見ても眠っているようだった。

今度は丸出しにしている臍をつついてみる。いつもなら、くすぐったがるはずだった。
が、やはりぴくりとも動かない。
ジョーは、捲くれ上がったシャツの裾を下ろして臍を隠すと上掛けをそうっとその上に掛けた。
やれやれ、寝るなら寝るでどうしてゲストルームで寝ないんだろう・・・と思いつつ、ジョーはそこを離れようとしたのだが。

「んー!暑いっ!」

大声と共に白い脚が上掛けを宙に蹴り上げた。

「暑いぃい」

大の字がごろごろと移動する。が、涼しい場所がなかったようで、フランソワーズは目をつむったままむっくりと身体を起こし、シャツの裾に手をかけた。

「ばっ・・・」

勢い良くシャツを脱ぎ捨てようとしたフランソワーズは、寸でのところでジョーに取り押さえられた。

「ヤダ、暑いぃ」
「フランソワーズ、起きて」

じたばたもがくフランソワーズを容赦なく揺すり、覚醒を促す。
ともかくワケがわからないものの、いきなりストリップショーを開催されるのも困る。

「フランソワーズ!」
「んっ・・・」

ゆっくりと蒼い瞳がこちらを見つめる。が、まだぼんやりしており、焦点が合っていない。

「いったい、どうしてここにいるんだ?」
「あ・・・ジョーだっ」

ジョーの問いには答えず、そのまま満面の笑みで彼の腕に飛び込んだ。

「うふっ・・・お帰りなさいっ」
「あ、ああ。・・・ただいま」

お帰りなさいと言われたので、反射的にただいまと答えながらも、全く状況が把握できずジョーは混乱した。
フランソワーズの身体が熱い。いつもより随分と温まっており、それはジョーを驚かせるのにじゅうぶんだった。

「っ、フランソワーズ!いったいどうし・・・!熱っ?熱があるのかっ?」

慌てて額に手をあてるけれども、別段発熱しているようではなかった。

「どうしたんだっ、何だ一体っ!まさか、オーバーヒートっ・・・た、大変だっ」

フランソワーズを抱き上げ立ち上がり、おろおろと意味もなく周囲を見回す。

「だっ・・・どうしっ・・・、イワンっ、いや、博士っ・・・かそくっ」
「待って!!」

いままさに加速装置を噛もうとしたジョーの首筋に抱きついて止める。

「ただ暑いだけよ!何でもないわ!」
「でもっ」
「平気。大丈夫よ、だからっ・・・」

心配して揺れている褐色の瞳。それをじっと見つめる蒼い瞳。

「・・・でも」
「大丈夫よ。ちょっと暖房が暑かっただけなの」
「・・・暖房」
「そう。温度の設定が間違っていたんだわ、きっと」

この部屋が熱帯になっていたのはそのせいだろう。そして、彼女が何も掛けずに眠っていたのも。

「・・・なんで暖房つけっぱなしで」

エコな人なのに珍しい。

「――だって」

ジョーの問いに、今や完全に覚醒したフランソワーズは不満そうに唇を尖らせた。

「あなたが言ったのよ?だったら暖房をつけて寝ればいい、って」

 

****
設定時間は、14日の深夜というか15日の早朝です。


 

2月12日

 

その日、ジョーは珍しく先に起きた。
目が覚めて、ぼんやりと部屋を見回し、ああここはギルモア邸ではないんだ――と、思い。
そうして、傍らの柔らかい身体の持ち主に目を遣った。
白い背中と、その周りに散る亜麻色の髪。顔は向こうを向いているので表情はわからない。が、ぐっすり眠っているのは確かだった。ジョーが身体を起こしても身じろぎもしない。

「・・・・」

ベッドに半身を起こす。
どうしてこんなに早く目が覚めてしまったのだろう・・・と思いながら。
そして、何故フランソワーズは起きないのだろう、と。

「・・・ふ」

起こしちゃおうか――と、声をかけようとしたところで、彼女の背中に点在する赤いものに目がいった。
虫刺され?にしては、時期がおかしい。・・・痒くないのかな。
そうしてそっと指で触れてみて思い出した。
これは、虫刺されなんかじゃなくて、自分が・・・

「・・・・」

うっすらと昨夜の記憶が戻ってくる。
なぜか二人とも妙にハイテンションだったことは憶えている。
そこらじゅうにチョコをこぼしながら、ふざけてチョコレートフォンデュを食べて――そのまま風呂に入り、そしてベッドにダイブした。
酔っ払っていたのかもしれない。
しわくちゃのシーツと、そこらじゅうに散らばる衣類。どうやら脱衣所で脱いだわけではないようだった。

「・・・・」

ジョーは顔をしかめると、ともかくシャワーでも浴びようとベッドから降りた。
そうしてバスルームの惨状を見て泣きたくなった。

――なんだこれは。

いちおう湯船に湯を張ったらしい。そして、たぶん浸かったのだろう。――が、入浴後に栓が抜かれておらず、湯は水に変わったまま残っていた。泡立てたままの石鹸、ちゃんと流していない泡があちこちに散らばっている。シャワーはいちおう止めてあるものの、床に放り投げられている。
そして、続く脱衣所はバスタオルが何枚も濡れてくしゃくしゃになって放り出されていた。
衣類も散らばっているし、タオルがしまってあった戸棚の戸も開けっ放し。そこから引き出されたのか、タオルが半分伸びてぶら下がっている。

ともかく、何かおかしなことになってたんだなあ・・・と思いつつ、片付けを始める。
タオル類は片端から洗濯機に放り込み、ともかくシャワーを浴びて、バスルームの中の掃除もする。
何故かタオルにチョコレートらしきものがこびりついており、イヤーな予感にとらわれた。

「――あら、ジョー。ここにいたの。・・・おはよう」

不意にバスルームの戸が開いてフランソワーズが入ってきた。

「・・・あ、おはよう」
「何してるの?」
「・・・掃除」
「ふうん?」

朝からお風呂の掃除なんて、ジョーにそんな趣味があったのかしら――と呟きつつ、フランソワーズは熱いシャワーを浴びる。その飛沫を背中に浴びて、ジョーは肩越しに問いかけた。

「昨夜のこと覚えてる?」
「昨夜?」
「うん。・・・なんか凄いことになってるような気がして、リビングに行けないんだ」

けれども、返ってくるのは水音ばかりでフランソワーズの声はしない。
まさか眠ってるのかと思い振り返ったジョーは、唇を尖らせてなんだか怒っているような彼女を見つけた。
シャワーを浴びながら、しげしげと自分の身体の検分をしている。

「・・・どうしたの」
「あ。ジョー。ちょっと見て!」
「えっ」

見ろと言われたので見たけれど、いったいどこのなにを見せたいのか皆目わからない。

「・・・いつも通り、綺麗だけど?」
「そうじゃなくて。もっとちゃんと見て」
「なに?もしかして誘ってるの」
「ばか。違うわよ」

そうして伸ばされた腕の内側には、先刻彼女の背中に認めたのと同じ赤い痕。

「・・・ああ、なんだ。これがどうかした?」
「どうかした、じゃないわよ!見て!ここも!ここも!こーんなところもっ!」

肌が白いと目立つんだなぁとコメントしたら、睨まれた。

「もうっ。どうしてくれるの」
「どう、って・・・消えるのを待つしかないだろ?」
「どうしてこんなにあちこち」
「さあ?・・・その言葉、そっくりそのまま返すけど?」

ジョーも自分の腕を差し出した。
そこには、フランソワーズの腕にあるのと似たような赤い痕。

「・・・でも、ジョーの方が少ないわ」
「同じだよ」
「いいえ、少ないわ」

・・・それにしても。
どうして昨夜はこんな吸血行為をしたのだろう・・・と、二人は首を傾げた。

 

***

 

バスルームを出た二人を待っていたのは、チョコレートまみれのリビングだった。
甘い香りとワインの香りが交じり合って、何とも異様な状態だった。

 

 

****
ショッピングのあとの「二人っきり」を満喫した翌日です・・・


 

2月9日    ショッピングB

 

「ジョー!」

最上階の催事場。「アムール・ド・ショコラ」と銘打ったバレンタインチョコレートの特集である。
自分の買い物が終わったフランソワーズは、ジョーに電話して彼のいるそこへやって来たところだった。

「・・・何買ったの?」

笑顔で手を振る彼の腕にいくつもかけられた手提げに訝しげな視線を向ける。

「んー?チョコレート」
「それはそうだけど・・・」

それにしても。ちょっと尋常な量ではない。しかも、色々な紙袋ということは全部異なるショップということである。
いったい何店覗いて買ったのだろう?
紙袋を覗き込むフランソワーズに、満面の笑みでジョーが言う。

「ほら。この『焼きチョコクッキー』すっごくうまいんだぞ」
「・・・食べたの?」
「もちろん。あ、それからこっちのチョコレートケーキもちょっと苦くて、でもそこがいい」
「・・・食べたの?」
「もちろん。それから、こっちのは」

フランソワーズは小さく息をついた。食品売り場に慣れていないジョーを2時間もここに居させた自分が悪い。彼がもしも全店のチョコを試食していたとしても責められない。そして、買っていたとしても。おそらくジョーは、試食をして買わずに立ち去るなどという技は持っていないだろうから。

「あら、これ・・・エルメのマカロンじゃない!」

フランソワーズの顔が輝く。

「えっ、どうして?ここに支店があったかしら?」
「いや、ないよ。特別にって言ってたから」
「嬉しいっ。ここのマカロン好きなのよ」
「もちろん。だから買ったのさ」

にっこり笑うジョーの顔を見上げ、そのまま首筋に抱きついた。

「ジョー、大好きっ」
「うん、僕も」

 

 

***

 

ジョーと一緒に最上階の催事場へやってきたフランソワーズは、エスカレーターを上がった先に見慣れた姿を見かけ声をかけようとして固まった。

「へえ・・・あいつら、派手だなぁ」
「・・・周りが見えてないわね」

彼らの視線の先には、はしゃぎながら抱き合う新ゼロのふたりの姿があった。全く周りが見えていないようで、お互いにはしゃいで笑い合っている。

「たった2時間、別行動してただけなのに」
「まあ、いいんじゃない?あいつらは本当なら、今日ずっと二人っきりで過ごすはずだったんだろう?」
「ええ。だから、私たちの買い物が終わったら解散しましょうって決めていたんだけど」

下着売り場で解散してからの新ゼロフランソワーズは素早かった。
自分の買った荷物をまとめると、片手に携帯電話を持ち話しながらエスカレーターを上ってゆく。
エスカレーターを歩くのは危ないわよ――と言い掛けたスリーの声が彼女の背中へかかるも、あっという間に視界から消えた。

「よっぽど会いたかったのねぇ」

ふたりが近くに来ても全く気付かず、お互い相手しか見ていない。

「・・・まあ、放っておこうぜ」

もう自分たちが行っても邪魔なだけだろう。と、ジョーは判断しフランソワーズの肩に手をかけると歩くよう促した。

「――チョコレートか」

そう言ってあちこち視線を飛ばすジョーの横顔を見上げ、フランソワーズはその頬に何か――例えば、「逆チョコ」なら知ってるよとか――窺えないかと思う。が、残念ながら、ジョーは表情を隠すことに慣れたようなポーカーフェイス。

「・・・ん?なに?フランソワーズ」
「・・・ううん。何でもないわ」
「そう?」
「ええ」
「・・・チョコレートもいいけど、腹減ったなぁ」
「もうお昼だものね」
「フランソワーズはチョコを見たいかい?」
「うーん・・・」

フランソワーズはジョーをちらりと見上げ、くすっと笑みを洩らした。

「・・・今日はいいわ」
「そうか。じゃあ、メシ食いに行こう!」

ポーカーフェイスの筈の彼の顔には「お腹すいた」とはっきり書いてあったのだ。

「どこがいいかな。せっかくだから、中華街まで行ってみようか」
「・・・行きたいんでしょう?」
「うん。よくわかったね」
「わかるわよ」
「・・・そうか」

そうっと肩に寄り添うフランソワーズを抱く手に力をこめて。もうすぐフランスに帰ってゆく彼女を忘れないように。

 

***

 

下着売り場をさっさと後にした新ゼロフランソワーズ。その後をゆっくりと二人で歩いて行った超銀フランソワーズ。
彼女たちを見送り、スリーは携帯電話でナインを呼び出していた。

「――ジョー?いまどこにいるの」
「買い物はもう終わったのかい?」
「ええ」
「そうか」

ナインは自分の居る場所を言った。

「・・・わかったわ。いまそっちに行くわ」

電話を切ったあと、フランソワーズは歩き出した・・・の、だけど。その表情は硬い。眉間には皺が刻まれている。

――どうしてそんなトコロに居るのかしら。

何しろ、彼が伝えてきた場所というのは。

 

「・・・ジョー」
「ああ、フランソワーズか」

ショーケースを覗き込んでいたナインはスリーの声に顔を上げた。

「・・・何してるの?」
「何って・・・いろいろさ」

確かに、色々だった。

「――これ、似合いそうだな」

彼が指差したのはハートのチャームがついたブレスレット。
そう。彼が居たのは貴金属品売り場だったのだ。そして、目の前には幾つも並べられたネックレスやイヤリングやブレスレット。
どうやらナインはこういう売り場に入ってゆくことに何の抵抗もないらしい――と、最近になり知ったスリー。
だから、彼がここにいてもすっかり周囲に馴染んでいて、ちっとも不自然ではないのだけれど。

「・・・似合うかもしれないけど」
でも、特別欲しいといわけでもなかった。

ナインはにこにこしながらスリーを見つめていたが、どうも彼女の気持ちがこちらに向いてないとわかると目の前の店員に軽く手を振って商品を下げさせた。

「フランソワーズ。どうかした?」
「えっ」

思いのほか近い距離で声が聞こえてスリーは一歩身体を退いた。

「別に。どうもしないわ」

さっきまではみんながいたから、ナインと一緒でもそんなに緊張しなかった。
だけど――ここは売り場で周囲にひとがいるとはいえ、ふたりっきりになってしまったことには違いない。
それを意識した途端、スリーは落ち着かなくなった。

「・・・みんなは?」
「チョコレート売り場へ行ったわ」
「・・・ふうん」
「でも、もう別行動だから、後は自由に――」
「そうか。じゃあ、メシでも食いに行こう」

明るく言って、当然のようにスリーの手を取るナイン。が、彼の指が触れた途端、スリーは思わず手を引いていた。

「フランソワーズ?」
「あ。・・・その」
「どうかした?」
「・・・・」

ナインの顔を見られない。優しいその瞳が大好きなのに。なのに見るのが恥ずかしい――ような気がする。
ナインは伸ばした手のやり場に困り、そのまま頭を掻いた。

あの日以来、自分をはっきり避けているスリー。その原因はよくわかっているものの――最初は彼女の反応を面白がっていたけれど、幾日経っても避けられたままの状態にそろそろ我慢の限界だった。
何しろ、可愛い笑顔を見せてくれないのだ。近くに行くのが叶わなくても、その笑顔さえ見れればそれでいいのに。

「・・・あのさあ」

ナインの険しい声に、スリーの肩がびくんと揺れる。

「そんなに僕が怖い?」
「・・・怖くなんか・・・」
ないわ、という語尾は小さく消える。

顔を上げようとしないスリーにナインはため息をついた。

「――わかったよ。だけど僕は悪いコトをしたとは思ってないから」

そうして、遠くなってゆく靴音。
スリーは床を見つめたまま顔を上げない。

「・・・・ばか・・・・」

小さく言ったのは、自分に対してなのか。
その視界が微かにぼやけ、スリーは目を拭った。

 


 

2月8日・その2   ショッピングそのA「どっちがいい?」(超銀・旧ゼロ)

 

(超銀)

 

「――僕はこっちの方が好きだな」

いきなり耳元で声がして、フランソワーズは身体を引いた。

「ジョー!いつの間に・・・」

けれどもフランソワーズの声が聞こえないかのように、ジョーは彼女の手にしたデザインの異なる同色のブラジャーをじっと見つめた。

「・・・こっちは似たのを持ってただろう?同じ色だったら僕はこっちの方がいいな」
「ちょっ・・・ジョー!」

やめて、と手を隠そうとするが、両手に持った下着は難なく奪われてしまう。

「うーん。どうしてもこの色がいいのかい?だったら――すみませーん」

勝手に店員を呼んでしまう。

「――はい。・・・あら、島村さんじゃないですか」
「こんにちは」
「今日もご一緒なんて仲良しですね」
「はは、そうなんです。・・・でもこの前の件は内密にお願いしますよ」
「大丈夫ですよ。・・・で、どうなさいました?」
「この色なんですが・・・他にどういうのがあります?」
「これでしたら、サイズにもよりますが」
「んー・・・ええと、おそらくもうひとつ上のでも大丈夫だと思います」
「そうですか。では、いまお持ちしますね」

勝手に話を進められ、蚊帳の外だったフランソワーズはすっかりむくれてジョーを睨んだ。

「・・・もうっ。だからあなたと来るのはイヤなのよっ」
「どうしてだい?」

けれどもジョーはそんなフランソワーズを全く意に介さず、広げられている下着類を手にとってはフランソワーズにあててみたり吟味するのに余念がない。

「だって。いっつもひとりで決めちゃうんだもの」
「いいじゃないか。僕だって関係あるし」
「ないわ」
「あるよ」
「だって、ジョーがするんじゃないでしょう、それ」

彼の手に下げられた薄いピンクのレースがついた白いブラジャーを指す。

「当たり前じゃないか。嫌だなあ。これはきみがするんだ」

にっこり笑って胸に当てようとするから、フランソワーズは慌てて払い除けた。

「もうっ、やめてよここでは。恥ずかしいでしょう?」
「別に。だって似合う似合わないは大事なことだろう?」
「でもジョーは関係ないじゃない」
「だから関係あるんだって。きみだってわかってるだろう?」
「・・・わからないわよ」

フランソワーズは小さく膨れて下を向いた。頬が赤い。

もうっ・・・だからジョーと一緒に来るのは嫌だったのよっ・・・!

後の祭りであった。
ジョーはフランソワーズの買い物について来るのが好きで、当の本人よりも熱心に選ぶ。時にはそれが嬉しくもあったが、それでもやっぱり、ほとんど彼の好みになってしまうのは不満だった。が、彼の好みのものもそれはそれで全く嫌ではない自分もどうかしてる――とは思うのだったけれど。

大体、下着売り場なのに、どうして店員さんがジョーの名前を記憶してるのよ!

おそらく、男性が長時間この売り場にいるなんてことは滅多になく、珍しいから憶えられているのだろうとは思うものの、ジョーと店員の懇意な態度も気になった。

――この前の件、って・・・。内密に?いったい何の事?

「ほら。フランソワーズ。選んで」

頭をつんとつつかれて顔を上げると、店員が見繕って出してきたブラジャーがところ狭しと広げられていた。

「きみはどれがいい?」
「・・・・どうせジョーが選ぶくせに」
「そりゃそうさ」
「じゃあ、あなたが決めれば?」
「あ、可愛くないなあ、その言い方」

下着を吟味する手を止めて隣のフランソワーズを見遣ると、彼女はまだ膨れたままだった。
ジョーはくすっと笑うとフランソワーズの腰を抱き寄せ耳元に唇を近づけた。店員がすぐそばにいるのも気にしない。

「――脱がせるのに手間取ったら興ざめだろ?」
「・・・・っ!!」

フランソワーズの頬がかあっと熱くなる。

「もう、何言って」
「それにね」

フランソワーズを抱き寄せている腕に力をこめて更に引き寄せ、ジョーは囁くように続けた。

「僕は下着姿のきみも好きなんだ。何も着てないのもいいけどね」

そうしてちゅっと頬にキスをした。

 

 

***

 

 

(旧ゼロ)

 

ジョーはひとり手持ち無沙汰だった。
ここで待っていればいいのか、それともどこか他の場所で待っていればいいのか皆目わからない。
こんな状況は苦手だった。否、苦手なんてもんじゃない。そもそもどうして自分はここにいるのかも謎だった。

「ふ・・・」

フランソワーズと呼ぶにも、彼女はずうっと奥のほうへ行ってしまっていて大きな声を出すのも躊躇われた。

「・・・・」

大体、女性の下着売り場の付近でうろうろしているなんて、それだけでどうにも不審者になったようで落ち着かない。
もちろん、自分も男とはいえ客には違いないのだから、「商品」を「見る」のは全く問題がないはずである。
それはわかってはいるものの――他の女性客の視線も気になってしまう。
どこか逃げ場はないものかと周囲に視線を巡らせると、階段付近のフロアにソファが置いてあり、そこには老若男性が疲れたように身を埋めていた。満席であった。ここは婦人服フロアだから、男性は見るものがない。が、この階にいるということはおそらくジョーのように彼女あるいは妻と一緒に来たものの、何をしていればいいのか途方に暮れた者たちの集まりなのであろう。
ジョーはため息をつくと、そちらへ向かおうと踏み出した。
途端。
声がかかった。

「ジョー!!」

フランソワーズが奥からこちら目指して走ってくる。

「どこに行くの?」
「えっ・・・」

きらきらした蒼い瞳で見上げられ、ちょっと言葉に詰まる。

「帰っちゃうの?」
「え。いやあ、その」

自分が帰ってしまうのかと思って走ってきたのか――と思うとジョーは嬉しくなった。
そんなに慌てなくてもきみを置いて帰ったりなんてしないのに。

「荷物持ちなのに?」
「――え」
「これからたくさん買うのに。自分で言ったでしょう?荷物持ちがいなくてどうする、って」

確かに言った。言ったけど・・・。
つまりフランソワーズは「荷物持ち」としての自分が必要で、それで慌てて走ってきたのかとがっくりした。
もちろん、そういう役割を主張して無理矢理ついて来たのは自分である。が、そうはっきり言われるとなんだか気持ちが沈むのだった。

「・・・うん。言ったけど、でもちょっとここは」
「え。あ、・・・そうね」

今更ながらフランソワーズは頬を赤らめた。

「どこかで待ってるよ」
「どこか、ってどこ?」
「あのへん」

ジョーの指す方を見つめる。

「『お父さんコーナー!?』」
「お父さんコーナー?」

意味がわからず、ジョーは眉間に皺を寄せた。

「なにそれ」
「だって、あそこって・・・疲れたお父さんたちがいる場所なのよ!」
「・・・そうかな。若いのもいるみたいだけど」
「イヤ。ジョーがあそこに行ったら、馴染んでしまいそうだもの!」

確かに。
なんとなく倦怠ムード漂う退廃的な空気が渦巻いている――ような気がしなくもない。
おそらくあそこに行って席を確保したら、新聞を全部読んでしまうか寝てしまうことだろう。

「でも、ここにいるってのもちょっと」
「・・・わかったわ。じゃあ、どこかジョーの見たいフロアに行っていて。買い物が終わったら連絡するから」
「うん、わかった。――ところで」

ジョーは先刻からあまり見ないようにしていたフランソワーズの胸元を指差した。
フランソワーズはそれを選んでいる途中だったのか、彼女の胸の前でグーに結ばれた両手それぞれには色が異なるキャミソールが握りしめられていたのだった。

「それ。選んでいる途中だったのかい?」
「えっ?――あ。いやっ!」

慌てて両手を後ろに回す。

「――見たのね?ジョーのえっち!」
「えっち、って・・・だって、何持っているんだろうって思うだろ」

ジョーは微かに頬を赤らめた。が、目の前のフランソワーズも負けないくらい顔が赤い。

「先に言ってくれればいいのに!」
「先に、って・・・」

じいっとフランソワーズに見つめられ、ジョーは視線を逸らすのも何だか自分がイケナイコトをしたと認めるようでしゃくだった。ので、負けずに見つめ返す。

大体、僕はきみのそういう姿を見たことがないんだし。どういうのをつけているんだろう・・・って時々ちらっと思ったりなんかもしてしまったりすることだってあるんだからな。無防備に目の前に晒すな。

「――フン。どうせどっちがいいか決められないんだろう?」
「そんなわけじゃっ・・・、たまたまよ?」

右手には白、左手にはピンクを持っていた。

「ふうん」
「何よ」
「――保守的だな」
「何が?」
「色が」
「!!」

もちろん、彼女だったら清楚に白が基調だろう――とは思うのだったが、ジョーはちょっと意地悪をしてみたくなった。
白をつけた彼女は想像に難くないし、おそらくとても綺麗だろうと思う。が、ここで放ったらかしにされた上、えっちなんて言われたら面白くない。

「――私の勝手でしょっ。だったら、ジョーなら何色がいいっていうの?」

言えるものなら言ってみなさいよと挑戦的に見つめる蒼い瞳。全く、むきになっちゃって可愛いなあ――と思いながら、ジョーはさらりと言った。

「赤」
「あかっ!?」

そうしてジョーはくるりと背を向けた。後で連絡してくれよと言い残して。後には呆然としたフランソワーズが残された。

「・・・赤って・・・」

もしも彼の言う通り赤い色のを買ったら「赤いのにしたのよ」って彼に見せなければならないのだろうか?
――そんなの、無理っ。

 

ジョーは紳士服売り場のスポーツコーナーへ向かいながら、赤じゃなくって黒にしとけばよかったなぁ・・・いや、それを言うなら彼女の瞳と同じ蒼と言うべきだったかとずうっと思い悩んでいた。

それを見る機会などしばらく予定も予兆もないのに。

 

 

******
変な題材ですみません・・・。
いちおう、新ゼロ009→チョコ売り場、超銀009→一緒に買い物、旧ゼロ009→他のフロアをふらふら、してます。


 

2月8日   ショッピングA「どっちがいい?」(新ゼロ)

 

三人が売り場に散ってから数分後。
三人の009も現場に到着していた。が、しかし。

「・・・これはどうしたもんだろうな」
「ちょっと行けないよなあ、さすがに」
「――そうか?」

えっ!?

さらりと言った超銀ジョーに他のふたりの視線が向く。

「お前、入っていけるのかよ」
「ああ。問題ない」
「けど、野郎はほら、あっちの休憩所に固まってるぜ」
「男は入っちゃいけないのかい?」
「――いや、そんなことはないかもしれないけど」
「まあ、いちおう客だからな」

とはいえ。
新ゼロジョーとナインはやっぱりここは無理だと思うのだった。

何故ならそこは、下着売り場だったからである。

 

そんな彼らをよそに――否、まるっきり忘れ、三人はそれぞれの好みのブランドのところへ散っていた。
何しろ、すぐなくなってしまう――わけではないが、試着室の数は決まっているのだ。
そして、それは早い者勝ちに他ならない。いったん入ったら、次から次へと試着するに決まっておりなかなか空かないのだ。

 

***

(新ゼロ)

 

フランソワーズは向こうの方で戸惑っているジョーを認め、くすりと微笑んだ。

「ジョー!」

呼んでみる。が、こちらを向いたものの、必死の形相で頭を横に振っている。じりじりと後退しながら。

「もうっ・・・ジョーったら」

つかつかとジョーのそばへ行き、腕を抱くようにして連行する。

「離せよっ」
「イヤ」
「僕だって、イヤだ」
「だめ。ついてきたんだから、少しは役に立ってちょうだい」
「役に立つ?」

イヤーな予感がジョーを襲う。

「あの、フランソワーズ」
「さ!ジョー。どっちがいいかしら?」

ジョーが連れて来られたのは、フランソワーズのお気に入りのブランドコーナーだった。
あたり一面にひらひらしたのや華奢なデザインのものが乱舞している。中には見慣れたタイプのデザインもあるような気がするが、ジョーはそれどころではなかった。

「・・・どっち、って・・・」

示されたのは、ショーケースの上に展開された下着の数々。

「ピンクもいいし、赤もかわいいでしょう?でもやっぱり、ジョーは白がいい?」
「・・・・・」

どうして僕に訊くんだ。

という問いは発せられない。「ついて来たから」と言われるのは目に見えているのだ。
さて、困った。
ジョーとしては、何色のどんなのであっても全く構わないのだった。ただ、あんまりシンプルで実用性一点張りのはちょっとイヤだなぁと頭の隅で思う程度。

「豹柄もあるのよ。ほら、どお?」
「それはイヤだな」

豹柄のブラジャーを服の上からあててみていたフランソワーズは、ジョーの即答に目を丸くした。

「・・・あら。意外ね」
「・・・・・・いいだろう、別に」
「だって、興味ないと思ったのに」
「だったらなんで連れてくるんだ」
「今日一日ずうっと一緒に居るって言ったのはジョーよ?」
「・・・そうだけど」

そして会話は振り出しに戻る。

「じゃあ、どれがいいと思う?」
「・・・どれでも、きみが好きなのを買えばいいんじゃない?」

ジョーは周囲の視線を気にしてあたりにちらちらと目を配る。幸い、女性はみんな選ぶのに夢中であり、男性がいてもいなくても大して気にしてはいないようだった。
自分と同じく無理矢理連れて来られたような男性たちが遠巻きにこちらを見ているのと目が合い、がんばれよと激励と同情の視線を返された。

「もうっ。ジョーったら」

くすくす笑うフランソワーズは可愛かったけれど、最初から選ぶのの当てにされてないと知りちょっとむっとした。
だから、フランソワーズの耳元へ身体を屈めてこう言った。

「どれでもいいよ。どうせ、すぐ脱がすんだから」

「っ、ジョーっ!」

フランソワーズが耳まで赤くなって暴れだす前に、ぱっと彼女から身体を離す。

「もうっ!!」

ふふんと口元に笑みを浮かべ、ジョーは「チョコレート売り場を見てくるよ」と言い残し去って行った。

チョコレート売り場。

ピュンマに伝えてもらった「逆チョコ」の話、効果があったのかしら・・・?とフランソワーズは微かに首を傾げ、満足そうに微笑んだ。

 

実はピュンマから「アムール・ド・ショコラ」のカタログを事前に見せてもらっていたジョーは、かといって目当てのチョコが決まっているわけでもなくぶらぶらと「世界のチョコ」を見て回っていた。
――と。
とあるブースで足が止まった。なぜならそこには「FIAT社コラボ」と書いてあったのだ。

・・・FIAT社?

ひとけのないブースで暇そうにしていた女店員は、さっそくジョーに向かって説明を始めた。
どうやら、車とチョコのコラボであり、昔からチョコレートは定評があったのだという。そして、その製品はチョコレートにミニカーがついているというものだった。

「へえ・・・」

どうぞ手にとって見てくださいと勧められ、顔の高さに掲げて見てみる。

「よくできてるね。まさか、動くの?」

さすがにそれはないようだった。
と。
先ほどからジョーの顔をじいっと見ていた女店員は、「あ!」と小さく叫んで口元を押さえた。そうして深呼吸してから、小声でジョーに話しかけた。

「あの・・・レーサーの島村ジョーさん、ですよね?」
「うん」

ミニカーをためつすがめつしているジョーは生返事ながらもあっさり肯定した。

「やっぱり!」

女店員は車好きであった。

「もしかして・・・逆チョコなんですか?」
「えっ?」

やっと我に返り、女店員を見つめる。が、女店員は目をきらきらさせて言うのだ。

「素敵!!彼女に逆チョコを選ぶ音速の騎士。ハリケーン・ジョー!!」
「・・・あの」
「でもそれだったら、やっぱり車はご自分用にしておいたほうがいいと思いますよ?」
「いや、その」
「ほら。あちらの方に薔薇のかたちのチョコがありますから。素敵ですよ」

示されたのは、ナナメ前のブースだった。確かに女性が群れており人気があるようだった。

数分後。
ジョーはミニカーとチョコがコラボしている箱を片手に持ち、薔薇のチョコを覗きに行った。
商売の巧い女店員は、他のブースを紹介しつつも仕事を忘れてはいなかった。

その後フランソワーズが迎えに来るまで、ジョーは試食を勧められては断りきれず食し、申し訳ないから購入する・・・というのを繰り返し、腕にはチョコの入った紙袋をたくさん提げるはめになった。

 

***

********
超銀と旧ゼロはあとで・・・。いったん寝ます。
ちなみにFIAT社のコラボチョコは実際にあります。


 

2月7日  ショッピング@

 

「――ええ、わかったわ。明日10時に正面ね」

電話を切ったフランソワーズは豪く上機嫌で鼻歌なぞうたっている。

「明日?明日はずうっと一緒にいるんじゃなかったっけ?」

フランソワーズを電話にとられていたジョーが声を尖らせる。

「うん。ごめんね、ジョー。急用なのっ」

爪先でくるりとターンをしてジョーに向き直ったフランソワーズは、拝むように目の前で両手を合わせた。

「急用、って・・・俺のほうが先約だろ?」

納得できない、とジョーが唇を尖らせる。
フランソワーズは少し屈んで、ジョーの唇にちゅっとキスをすると、

「ごめんなさい。でもどうしても明日じゃないとダメなの」
「・・・ったく。で?いったいなに?」

フランソワーズのキスで機嫌を直してしまう自分ってどうだろうと思いつつも、結局、彼女には負けてしまう。

「あのね――」

 

 

***

 

 

翌日、某百貨店の正面玄関前。午前9時50分。

三人の003があるミッションのために集結していた。

「いい?目指すはあの階だけよ。ほかへ目を遣っちゃダメ」
「わかってるわ。ほかは後でも十分だもの」
「でも、最上階も気になるわ・・・」

のんびりと言いかけた超銀フランソワーズは、新ゼロフランソワーズとスリーに軽く睨まれ肩をすくめた。

「・・・冗談よ。でも、最上階っていま何をやってるか知ってる?」
「さあ。何かしら」
「バレンタイン前の企画で、『アムール・ド・ショコラ』といってね、世界中の有名どころのチョコが揃ってるのよ」
「ん。ちょっと行ってみたいかも」
「でしょう?後で行かない?」
「行く行く!」
「でもその前に」
「ええ。その前に」

三人、目を合わせ大きく頷く。
ミッション前にチームワークは完璧だった。
円陣を組んで手を合わせエイエイオーと声を出した――わけではないが、精神的にはそんな気分だった。

「・・・ところで、聞いてもいい?」
「あら、私も聞きたいことがあるのに」
「私もよ」

全員が顔を見合わせ、せーの、と同時に言った。

「どうしてジョーもここにいるの!?」

 

・・・そう。
彼女たちの買い物に、なぜか三人の009も同行していたのだ。
が、三人とも不機嫌そうに腕を組んで険悪な雰囲気を漂わせている。
お互いにひとことも口をきかないだけならまだしも――その瞳の険悪さに彼らの周囲だけ人がいない。
まるで誰をも寄せ付けない見えないバリアが張ってあるような。

「・・・女だけってことだったわよね?」

ひそひそと話す003たち。ちらちら009を見ながら。

「それが、ついてくるってきかなくて」
「あら一緒だわ」
「うちも」

そして、大きくため息。

「・・・本当なら、今日はジョーとずうっと一緒に過ごす予定だったの。――でも、今日を逃すわけにはいかないでしょう?そうしたら、予定通り一緒にいる、ってごねて」

昨夜はごねて拗ねて大変だったのだ。

「私も、そんな感じだわ。きみはもうすぐパリに帰るのに、僕と一緒にいるより買い物のほうがいいんだね、ってそれはもうしつこく言われたわ」

そんなことをくどくど言いながら、ずうっと後ろをついて歩くジョーに辟易して連れてくることにしたのだった。

「うちもよ。『買い物だって?荷物持ちがいなくてどうするんだ!どうせきみは後先考えずに買うに決まってるのに重くて足が痛くなっても知らないぞ。誰も手伝ってくれないぞ』って・・・」

素直に僕も行くって言えばいいのに・・・と003たちが見つめるけれど、旧ゼロ009は腕組みして顔をしかめたままだった。

そうこうしているうちに時計が10時を指した。開店である。
が、003たちは別段急ぐわけでもなく、普通の速度でエスカレーターに乗った。少し離れてだらだらと009たちが続く。

全館改装前の売りつくしセールの真っ最中なのだった。
彼女たちのお目当ては、婦人服売り場のとある一角なのだけれども、そこは「いいものから売れてゆく」ため早いうちに買いに来なければならない。通常の3割から5割引きとあって、三人のテンションは上がった。
が、かといって客が殺到するわけでもなかったから、特別急ぐ必要もないわけだった。

そして。

着いた先はどこかというと・・・

 

 

***
この先のお話は「お約束」づくしです。・・・たぶん。


 

2月5日  (ピュンマ様部屋からの続きです)

 

ジョーは無言のままフランソワーズの手を掴み二階へ上がり、乱暴に自室のドアを開け、その中へ放るように彼女の手を離した。その背後で音高くドアが閉められる。

「ジョー、いったいどうしたの?」

全く状況が掴めず、フランソワーズは軽く首を傾げる。

「なんだか乱暴だわ。今日のジョー」
「・・・俺はいつもこうだよ」

「俺」という一人称に、フランソワーズの眉間に微かに皺が寄る。彼が自分をそう言う時は、何か――彼の心の平穏が乱された――があった時なのだ。
胸の前で腕を組んで。前髪を鬱陶しそうに軽く頭を振って。

「前に――約束したはずだよね、フランソワーズ」
「約束?」

突然言われても、いったいどの約束のことなのかフランソワーズにはわからない。頭の中でどの約束なのか考えてみる。が、ジョーはその時間もくれる気はないようだった。

「なのに、どうして破るんだ」
「――え?」

約束を――破る?

「破ってないわ。私がジョーとの約束を破ることなんてないじゃない」

それは半分嘘だったけれども、ミッション中に彼との約束を守らないのは、そうするのがベストと考えられる時だった。
平和な日常では、殆ど破ったことはないと言い切ってもいい。

「ふん。忘れたのか」

意地悪そうな声音にフランソワーズもむっとしたように言う。

「一方的に約束っていったってわかるはずないでしょう?いったいどの約束のことを言ってるのよ」
「ほらやっぱり忘れてる」

前髪の奥に覗く瞳がきらりと光る。睨むようなその視線の強さにフランソワーズはため息をついた。

「・・・またそんな顔して。あなたがそういう顔をする時って――」

何かを誤解している時。
怒っていたはずだったが、気が抜けた。

「もうっ・・・今度は何?」
「何って何だよ」
「どうせまた何かヤキモチやいてるんでしょう?」

両手を腰に当てて、胸を張ってジョーを見つめる。

「どうしてそうヤヤコシイやき方をするのかしら」
「・・・ヤヤコシイ?」
「そうよ。わかりにくいもの」
「だったらどうしろというんだ」

今の返答で、はいヤキモチやいてました――と肯定したことにジョーは気付いていない。

「ピュンマを殴り飛ばせと?大声でわめけと?」

ああ、やっぱり。

「・・・さっき、ピュンマのほっぺにちゅーしたの、見てたのね」
「・・・・っ!!」

ほっぺにちゅーと聞いて、ジョーは組んでいた腕を解いた。

「俺は別にっ・・・!」
「たかが、ほっぺにちゅーよ?御礼のキスよ?何がいけないの」

悪びれずに言うフランソワーズへ、ジョーは手を伸ばしかけ――しかし、彼女の肩を掴む事はせず、再び手を引いた。
こうして抱き締めて有耶無耶にしてしまうとフランソワーズは必ず怒るのだ。
手のやり場を失って、仕方なく自分の身体の脇に下ろす。ぐっと拳を握って。

「――御礼って何だ」
「え」
「ピュンマに何を頼んだんだ」
「えっと、それは・・・」

視線を彷徨わせたのはフランソワーズのほうだった。ジョーは彼女から目を離さない。

「俺に言えないことか」
「ちがっ・・・そうじゃないわ!そうじゃない・・・ケド」
「ケド、何?」

ピュンマは直接言えと言っていたが、こういうのは人づてで聞いた方が絶対うまくいく。と、フランソワーズは思っていた。
だから、「逆チョコ」の話をするよう頼んだなどと言えるはずもなく、ただ黙るしかない。

「――ふうん。だから最近、俺を避けてるんだ?」
「えっ?」

意外な話だった。

「避けてないわよ?」
「いいや、避けてる」
「避けてないってば」
「避けてるだろう?――朝だって」

起こしに来てくれないし。と小さく言う。

「だって、それはレッスンが早い時間からあるから、だから――」
「送らせてくれてもいいじゃないか」
「ジョーはまだ寝てるもの。それに、ジェロニモが車を出したいって」
「ほら。俺を避けてる」
「もうっ。どうしてそれが避けてることになるの?」
「昨日も一日顔を見てない」
「すれ違いだっただけでしょ?私はジョーがいつ帰ってきたのかも知らないのよ」

昨日一日、ジョーは次のレースの予定等の打ち合わせで出掛けており、帰宅したのは時計の針が24時を随分すぎてからだった。

「・・・部屋に来てくれなかった」
「当たり前でしょう?寝てたもの」
「・・・会いたかったのに」

ポツリと言ったジョーを見つめ、フランソワーズの唇に笑みが浮かぶ。

全く、どうしてこの人はいつもこうなのかしら。

「・・・ジョー?私だってあなたに会いたかったのよ?」
「嘘だ」
「本当よ」
「だったら」

フランソワーズはジョーに近付くと、彼の胸に手をかけて背伸びをし、彼の唇に自分の唇をくっつけた。

「――まだ嘘だと思う?」

ジョーはそのままフランソワーズを抱き締めると、唇を重ねていた。
フランソワーズはジョーのキスに応えながら、ピュンマにしたお願いは何かを答えずにすんだわとほっと胸をなでおろした。