−子供部屋−
(ジョー島村もしくはお嬢さんのお部屋)
7月30日
「ふうん・・・綺麗なところねぇ」 ジョーのパソコン画面を覗き込みながらフランソワーズが言う。 「こんなに綺麗なのに、本当に穴場なの?」 ピュンマに教えられたアドレスにアクセスし展開された映像だった。紺碧の海が眼前に広がっている。見渡す限りひとけはなく、静かに横たわる海といった感じであった。 「それは確からしいよ。場所は、ええと・・・」 ジョーが読み上げたそこは、本当に海があるのだろうかというような住所ではあったし、何故か検索しても出てこないので本当に存在しているのかどうかは甚だしく疑問ではあった。 「でも本当にそこだったら、日帰りは無理よね?」 何故か嬉しそうに言うフランソワーズ。 「近くに泊まれる所ってあるのかしら?」 ピュンマ曰く「行けばわかる」というのだが。 こんなに楽しみにしているフランソワーズなのに、「行ってみたら本当に何もありませんでした」では困る。 「とりあえず、比較的近いところに予約をいれておくよ」 ジョーが言うけれども、フランソワーズは既に隣にいなかった。 「・・・・あれ?」 ジョーのクローゼットを空けて旅行鞄を引っ張り出している。 「フランソワーズ?」 そんな日本のことわざをよく知ってるねと思いながら、ジョー自身もわくわくしてくる気持ちを抑えられなかった。 ・・・本当に久しぶりだ。 二人しかいない海で、何をして遊ぼう? 心は既に海に行っていた。
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7月29日 (先に28日の「ピュンマ様のお部屋」を御覧ください)
先刻からジョーの機嫌が悪い。 「あの・・・ジョー?」 軽くため息をつくと、フランソワーズは自分の服の胸元をつまみ、風をいれるように軽くあおいだ。何しろ買い物から帰ってきて汗びっしょりだったのに着替える間もなかったのだ。しかも、ここジョーの部屋はエアコンをたった今つけたばかりでかなり暑い。 「・・・用事がないなら、私はちょっと着替えてきたいんだけど?」 再び黙り込んだジョーに困ったように視線を向け、彼の前髪の奥からこちらを窺う褐色の瞳と出会った。 「ジョー。もうっ、言いたいことがあるなら早く言って!」 フランソワーズは手を伸ばすと彼の前髪をぱっとかきあげた。ジョーが身を引く間もない。 「さ。言いなさい」 ジョーはぎょっとしたように目を見開き、そして――腹を括ったように大きく息をついた。 「・・・どうしても海に行きたい?」 頬を染めるフランソワーズに、つられてジョーの頬も染まる。 「それってつまり、・・・泊まりってことだよね」 ジョーはこくんと頷いた。それこそが大問題なのだった。彼にとって。 「そうねぇ・・・去年買ったのでいいかなって思っているけど」 去年は2着購入したのだった。色違いの同じデザイン。 「・・・ピンク」 蒼も気に入っているけれど、でもせっかくジョーと二人きりのデートなのだ。太陽光の下で可愛いピンクを着てみたかった。ジョーが何て言ってくれるだろうかと想像するだけでわくわくしてくる。 「ピンクか・・・」 対するジョーは、がっかりしたのか怒っているのか何とも複雑な表情だった。 「だめ?」 フランソワーズは腰に腕を回してくるジョーの首筋に腕を投げて、彼に引き寄せられるままに任せた。 「――僕は基本的にきみが海で水着姿になるのは反対だけど、でも、さっきピュンマから穴場のビーチを教えてもらったんだ」 その途端、フランソワーズがジョーに飛びついたので、ジョーはそのまま仰向けにベッドにひっくり返った。 海に行くのは基本的に反対だったけれど、ちょっと楽しくなってきたジョーだった。
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7月20日
「ねぇ、ジョー。明日出かけない?」 そう言われたのは昨夜のことだった。 「明日?」 キッチンに入って来ると、フランソワーズは甘えるようにジョーの腕に巻きついた。 「・・・ひとりでお風呂に入っちゃうなんてズルイ」 フランソワーズはゲームに興味はなかった。 「で、明日。行けるの?」 今夜ゲームをするからには、たぶん徹夜になりそうで、明日どこかへ出かける時間的余裕があるのかどうか、今のジョーには何とも言えなかった。 「だけど、どうして?」 どうして「明日」なのか、ジョーには疑問であった。 「・・・私と一緒じゃイヤ?」 拗ねたように言うフランソワーズの頬を指先で撫でて、そうしてジョーは視線を逸らし天井を見つめた。 「・・・嬉しいよ」
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そんなわけで、今日こうして出掛ける事になったのだった。 玄関に並んで靴を履きながら、どこに行こうか何をしようかと楽しく話していたときだった。 「じゃあ車を回してくるからちょっと待ってて」 と出て行こうとするジョーのシャツの裾を握って止めたのはフランソワーズだった。 「何?」 そんな話は今の今まで出なかったから、海水浴の用意なぞ全くしていなかった。 「でも今からじゃ――何も準備してないし」 にっこり笑って、フランソワーズは体を反転すると廊下の隅に置いてあったバッグを引っ張り出した。 「昨夜のうちに準備しておいたの。もちろん、ジョーのも全部入っているわ」 フランソワーズはバッグをよいしょと肩にかけるとジョーの隣に並んだ。 「昨夜殆ど寝てないんでしょう。そんなひとの運転する車なんて危なくて乗れないわ」 おそらく正味2時間だろう。 「だけど、海に行くなら余計に車のほうがいいと思うけど?」 ジョーはフランソワーズの肩からバッグを外し、自分の肩に引っ掛けた。 「電車だとまた何時間往復することになるかわかったもんじゃないだろう?」 にやりと笑ってドアを開けたジョーの背を、ワンテンポ遅れてフランソワーズも続く。 「憶えていたの?」 何年か前。二人がまだお互いに片思いだと思っていた頃、電車で海に行ったことがあった。その帰り、熟睡して何時間も電車で往復してしまったのだった。 フランソワーズは日傘をさすとジョーの隣に並んだ。ジョーにも傘を差し掛けるが、ジョーはいいよと傘を手で押し戻した。 「――懐かしいわね」 そうしてお互いに過去に思いを馳せる。 あの時、僕はフランソワーズを誰かが迎えに来るまで一時的に預かっているだけだと思っていた。もちろん、それは今でも変わらないけれど、でも―― あの時、あんまり自然にジョーが肩を貸してくれたから、悲しくなったんだった。だって、慣れているみたいで――きっと彼にはこうして肩を貸すような人がちゃんといるに違いない、私はただの「仲間」だから、義理でそう言ってくれているだけだ、って・・・思ったんだったわ。――でも・・・ 「ねぇ、ジョー?」 車庫の前で足を止め、お互いにお互いの名を呼んで。 でも――今もこうしてフランソワーズは隣にいてくれる。 「あのね」 潮風が二人の間を通り抜けてゆく。 「あ。――鳴ったね」 フランソワーズがその音の名残を確かめるようにそうっと目を閉じる。 もしも、いつか誰かがフランソワーズを迎えに来るのなら、その時は彼女を笑って送り出そうとそう心に決めていた。 「仲間」だからとか、義理だとか、どうせ私のことなんて、とか――そう思っていた時期もあった。そうして泣いたこともある。でも――今は違う。 ・・・信じてるから。 「――ん。何か言った?」 唇を離してジョーが問う。 「ううん。なんでも――」 ないわ、と言おうとしてちょっと考えた。そして。 「・・・好きって言ったのよ」 と言った。最近、ちゃんと伝えていなかったと思いながら。 「なっ・・・ばかだなあ!」 ジョーはふいっと視線を逸らせると、ガレージのシャッター開閉ボタンを押した。凄まじい音を立ててシャッターが上がってゆく。 「もうっ・・・車庫だけ旧式なのってどうにかならないのかしら」 フランソワーズが耳を押さえて言う。そんな彼女を見てジョーが笑う。 「・・・ジョー?いま何か言った?」 シャッターの音に紛れて聞こえたのは空耳なのか、それとも―― ――そんなの、前から知ってるよ。
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7月17日
「日本では日食を観るのにツアーも組まれているのよ」 フランソワーズはジョーの額を軽くつついた。 「ジョーは日本にいるの?」 ドイツから帰国したジョーはギルモア邸に居た。 「だって、一緒に見たいもの。世紀の天体ショー」 太陽が陰る。ただそれだけのことと言えば、それだけのことだった。 「太陽と月が直線上に並ぶんだっけ?」 ジョーは大きな欠伸をすると、フランソワーズを抱いたまま仰向けに寝転がった。 「いいじゃない。月が太陽と重なって見えなくなるのが日食なんだから」 寝返りをうつとフランソワーズをベッドに押し付け上下反転する。 「こういうことかな」 ジョーがジョーであれば、それでいいもの。
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7月14日
ドイツグランプリ。ニュルブルクリンクは難コースであった。 ジョーは今までここで勝ったことはない。 ――嫌いなコースではないんだけどなぁ。 むしろ好きなほうである。 決まったグリッドは5番。3列目だった。が、このコースに於いて、5番グリッドというのはジョーにとっては最高位であったから、ジョーはずっと機嫌が良かった。しかも、マシンのセッティングもうまくいったし、天候にも悩まされず――もしかしたら、今回やっと思いが通じるかもしれない。 だから、僅差で勝利をもぎとった時は、ジョーもチームも歓喜の嵐だった。チームラジオも何を言っているのか殆ど聞き取れない。無理もないですね――と、冷静に言ったのは実況アナウンサーだけで、解説の元F1ドライバー2名は抱き合って喜んでおりとても放送にならなかった。 もちろん、それを録画で観ていたフランソワーズも同様であった。が、日本では真夜中だったので――声を出さず、抑えて抑えての喜びだった。 しかし。 『やった!!やったよ、フランソワーズっ!!』 ――え? 空耳かと思った。が、しかし。 『フランソワーズっ!!やったよっ!!』 ・・・ジョー? 真っ暗なリビング。音量を絞った大画面テレビ。 『フランソワーズっ、聞こえてる?!』 ・・・ジョー? 嘘でしょ!
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「もうっ、信じられない!ジョーのばかっ」 電話の向こうの「ゴメン」は豪く陽気だった。 「つい、ね。つい」 そんな甘いことを言っても駄目ですからね――と言うつもりが、予想外に甘い声のジョーにフランソワーズは絶句した。 「・・・酔ってるのね?」 だってそんな優しげな甘い声で言うなんてずるい。怒れなくなってしまうではないか。 「愛してるから仕方ないだろ」 さらりと言われた「愛してる」は、次の瞬間、大量の嬌声にかき消されてしまった。どうやら携帯電話を陽気な一行に奪われたらしい。 フランソワーズは大きなため息をつくと、 「ばかっ!!」 大音量で言い放って通話を終えた。
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数時間後にかかってきた電話で、ジョーはこの一件を全く覚えていないことが判明し、フランソワーズは更に深くため息をついたのだった。
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7月12日
フランソワーズはいったいどうしたんだろう? 電話の向こう側で、おそらく泣いているであろうフランソワーズ。無言でそれを受け止めながら、ジョーは内心首を傾げていた。 「・・・フランソワーズ?」 可愛くないなぁと言ったけれど、それは言葉のアヤであって、実際には何をしても可愛いと思っていることは内緒であった。 「ごめんなさい。ジョー。・・・あのね」 既に泣いていることを隠すことなく鼻をすするフランソワーズ。 「・・・ううん。なんでもない」 あれ? まだ強がるのだろうか。 「フランソワーズ。どうした?」 何となく――彼女が何を伝えたいのか、そして伝えずにいるのか、わかる――ような気がする。 「・・・ううん。本当になんでもないの」 途端に慌てたように言うのも可愛い。 「忙しいの?」 ほっとしたような声。 「ジョー?どうしたの。ため息ついたわ」 不覚。 「何かあったの?」 形勢が逆転した。 「ジョー?」 もちろん、攻守も逆転する。 「いやぁ、だから・・・何でもない、って」 ジョーはのろのろと話す。しまったなぁと思いながら。 「ジョー?」 追求の手は緩まない。 「何でもないよ」 あれ? 「・・・それ、さっき僕が言ったことなんだけど」 お互いにちょっと黙って。 「・・・だって。・・・ジョーに会いたくなっちゃったのって言ったら困るでしょう?」 拗ねたように渋々言うフランソワーズ。ジョーはそれを聞いて頬を引き締めた。 「困らないよ。僕もいまそう思っていたんだから」 間。 「・・・思わないわ」
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7月11日 お見通し?
ジョーとの通話を終えて、携帯電話を畳むとフランソワーズはジョーのベッドにころんと寝転んだ。 電話を切った後の方が寂しく感じるのは何故なんだろう? 自分はこんなに寂しがりのはずではない。そんな女の子ではないはずである。 ――ジョーとはそうはいかないからだろうか。 自分たちにはサイボーグという枷がある。だから、明日も明後日もその次も無事に会えるという保証などないのだ。 フランソワーズはぎゅっと目をつむって頭を振った。 ――いけない。そんな事ばかり考えていたら・・・どこにも行けなくなってしまう。 自分たちの身体はもちろんひとつの「運命」を背負っているけれども、それ以上にそう考えてしまうこと自体が実はやっかいな荷物なのかもしれない。 普通に生きる。 普通に生活する。 その「普通」というのがこんなにも意識されるものだとは思わなかった。 ベッドの上で寝返りをうってうつぶせになる。ベッドカバーに顔をつける。が、柔軟剤の香りがするばかりでジョーの匂いなどちらりともしなかった。 「いやだわ、私ったら。これじゃ何だか変なひとみたいじゃない!」 軽く頬を膨らませ、立ち上がった。 ・・・変なの。ジョーのお得意ポーズじゃない。 くすりと笑みが洩れる。 真っ暗な部屋で。 ――私は。 携帯電話を開く。液晶画面の光がフランソワーズを照らす。 コール1回。 「フランソワーズ?」 驚いた。なぜこんなにすぐ出られるのだろう? 「良かった。いま電話しようかと思っていたところ」 まさか。 「どうして」 「いつもと変わらないわよ?」 可愛くないのはきっと、こんな風に強がってみせるところだわ。 それでも、寂しいとか会いたいとか――言ってしまえば楽になるのだろうけれど、これからレースの彼にそんな事を言って困らせるわけにはゆかない。だから唇をぎゅっと結んだ。頬に一筋涙が流れる。でも、それだけ。 「・・・フランソワーズ。泣いてる?」 うっかり鼻をすすらないように気をつける。が、そうすると鼻が詰まってそれが気になった。声も鼻声になっているし、気をつけないとジョーに全部ばれてしまう――かもしれない。いま泣いたことが。 「泣き虫」 泣いたら、困るのはジョーでしょう。 「なら、僕が泣くよ?」 いったい何を言い出すのだろう? 「もう、何ばか言ってるのよ」 もう――ジョーのばか。 逢いたいの。寂しいの。一緒にいたいの――
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7月10日 一緒だね
ジョーは桜の花びらが舞うのを見るのがあまり好きではない。 自分が塵になって地表に舞う様を想像してしまう。だから、好きではない。 その頃、ふたりは恋人同士というわけではなかった。 それが、あの日を境に変わった。 フランソワーズはジョーにストレートに感情をぶつけたし、心配していることも隠さないし、心配をかけられると怒った。 そんな二人だった。 信頼関係はあるけれど、それはまだまだ恋愛感情には程遠く――だから、別れがきても平気だった。 けれど。 それでも、フランソワーズは夜空を見るのが怖かったし、流れ星なんて大嫌いだった。だから、夜になると窓を閉ざしカーテンをぴったりと引いていた。なぜそうしないと落ち着かないのか、自分でもよくわからなかった。 ジョーは四月がくるのが嫌だった。 それから数年が過ぎて、いま、ふたりは恋人同士であった。 ジョーは桜の花びらが舞い散る中に居ても平気になった。隣にフランソワーズがいるのなら。 そんな事もあったね。 お互いを見つめて。声に出して言うことはなかったけれど。 それまで、どうして離れて平気だったのかわからない。
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フランソワーズの手のなかで携帯電話が鳴った。「犬のおまわりさん」のメロディー。 「フランソワーズ?」 もしもし、と言う前に名を呼ばれた。頬が熱くなった。 「ジョー。あの、今ね」 ちょうどあなたのことを考えていたのよ。どうしてわかったの―― そうは言わなかったはずなのに。 「うん。・・・一緒だね」
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7月9日 癖になる
週末のレースのため、ジョーがドイツに行ってから数日が経った。 「そんな癖をつけたら大変。私の生活が破綻しちゃうわ」 ということである。 ――ドイツっていま何時なんだろう? ジョーからは、着いたよと連絡があって以来、話していない。 フランソワーズは寝る準備をしてベッドに腰掛けていた。 声が聞きたくなったら我慢しないこと。 そう決めてはあるものの、それでもやはり――電話をするのは躊躇われた。 ・・・ジョー。 寂しいのか、そうではなくてただ恋しいのか。フランソワーズにはわからない。 バレエのレッスンは続いている。だから、明日もちゃんと行くつもりだ。そうでなければ、日本に残っている意味がない。 しかし。 フランソワーズは立ち上がるとそっと部屋を出た。パジャマ姿のまま。 でも。 どこかの部屋のドアの開く音がして、慌ててドアを開け身体をなかに滑り込ませた。後ろ手にしっかりドアを閉める。 「・・・ジョー」 ――自分の部屋より、落ち着くのはどうしてなんだろう? やっぱり、一緒にいすぎるのかな、と思った。
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7月5日 朝型?夜型?
自分は決して朝型だったわけではない――と、フランソワーズは思う。おそらく、夜更かしもへっちゃらの、完全なる夜型人間だったはずだった。 日曜日の朝食は博士と二人だけだった。
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朝型になったといっても、それを実際に実行できるようになるまでにはかなりの時間が必要だった。 何もできない、ではなくて――何もしない。なのよね。ジョーは。 洗濯機を回して、ランドリールームでひとりフランソワーズは考える。いったいいつからこうなってしまったのか。 ――甘やかしすぎたのかな。 フランソワーズに合わせて、夜は早く休むようになったジョー。実際に「眠る」までには時間が要ったけれど、それでも夜中に出かけることは滅多になくなった。 ひとが起きるのを邪魔しなくてもいいと思う。 ランドリールームの鏡に向かってため息をつく。 彼女が隣からすり抜けるのが嫌なのか何なのか、とにかく絡みついて離さない。 しばらくして、階段を駆け下りる音が響いて――それも尋常ではない音である――フランソワーズは再度ため息をついた。 「フランソワーズっ!!」 必死の形相のジョーだった。Tシャツにジーパン姿である。 「あら、ジョー。おはよう」 手を伸ばすと、言われるままに手のなかのものを素直に寄越した。 ジョーから受け取ったパジャマを洗濯機に放り込みながら、フランソワーズは思わず笑っていた。 「なに?何かおかしい?」 訝しげなジョーに、とうとうくすくす笑い出す。 「だって。・・・ちゃんと着替えて偉いなぁ、って」 人工毛髪なのに何故寝癖がつくのかは永遠の謎であった。 「ジョー、暑い」 唇を尖らせ拗ねるジョー。その顎を指先でなぞり、フランソワーズは微笑んだ。 「・・・おはようのキスは?」 軽く唇を合わせるだけの「おはようのキス」――の、はずだったのに。 「ちょっと、ジョーっ・・・」 ――もうっ。ばか。
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7月1日 夏の元気な御挨拶+新婚なふたり
「大変!お中元の手配をしてないわ!」 イギリスGPの帰りの飛行機の中。 「・・・お中元?」 ジョーは我関せずという風に目を閉じた。が、フランソワーズに両肩を掴まれ揺すられ、諦めて両目を開けた。 「帰ったらすぐにやらなくちゃ間に合わないわ!」 言いかけて、ふとジョーはある事に気がついた。 「・・・ねぇフランソワーズ?」 虚空を見据え、お中元を出す相手を指折り数えているフランソワーズ。 「そのお中元。差出人の名前は何?」 するとフランソワーズの頬がみるみる染まった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しまむら」 消え入りそうな声で言うフランソワーズににやにや笑いを浮かべ顔を寄せる。 「だから、・・・・・・島村、よ」 「島村ジョー」名義のお中元。 中元・歳暮の差出人の名前。それが「島村ジョー」で手配されることに関してジョーに異存はない。 それら全ては二人にとって暗黙の了解事項なので、今更差出人の名前云々で照れるようなものではない。 「もうっ・・・イヤなジョー。そんな顔するなら、自分でやってもらうわよ」 それはもう、全く思わない。 「だろ?」 思わないけれど、それを悪びれもせず言うジョーがなんだか憎たらしい。 「頼りにしてるんだよ。僕だって」 しかし、にやにや笑いを引っ込めて真摯な瞳で見つめられたら何も言えなくなってしまった。 ・・・もう。本当にズルイわ、ジョー。 つんと横を向いたフランソワーズの髪にキスをして、ジョーは自分のシートに収まった。
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しばらくして、フランソワーズは手を伸ばしてジョーの指先にそっと触れた。 でも何も起こらない。 いつもなら、すぐに手を引くか握るかするのに、今日は何のアクションもなかった。 ――まさか、もう眠ったの? いくら眠いとはいえ、ほんの数瞬で眠れるものだろうか。いやいや、それが出来るのが009である。 ジョーは動かない。 フランソワーズは更に身を伸ばし、ジョーを覗き込んだ。 途端。 「・・・っ!!」 腰に腕が巻き付いて、ジョーの胸にぴったりと抱き締められてしまった。 「・・・!」 離して、と言おうにもジョーの胸で窒息しそうである。じたばたもがくと、ジョーが耳元で低く言った。 「静かにしないと迷惑だよ?」 確かに。 フランソワーズの体温は上昇した。 「もうっ、ジョーったらダメよ、離して」 そう。最初はファーストクラスに乗るつもりだったのだ。けれども、それだと二人の距離が開いてしまう。座席は並んでいても適度な距離が保たれているのである。 「それは・・・そうだけど」 しかし、このままジョーの胸に抱き締められているわけにもいかない。しかも自分はシートを越境しているのだ。上半身はジョーの上で、下半身は自分のシートの中にある。なんとも不自然極まりない。 「もうっ・・・ジョーったら」 自分のシートで静かになったジョーに構って欲しくて、そうっと彼の手に触れただけだった。なのにネツレツに抱き締められるのは予想外であった。ほんのちょっと嬉しさが胸に広がったとしても、やはり場所柄を考えるとなんとも落ち着かない。 ジョーは何も言わない。 ただ、フランソワーズの手がジョーの手の中にあるだけだった。 今は。
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