子供部屋
(新ゼロなふたりの日常です)

 

 

12月31日  ギルモア邸の大掃除♪

 

今日はギルモア邸の大掃除。
大掃除リーダーの張々湖は朝早くから起き出して、リビングに姿を現した者へ次々に仕事を割り振っていった。

午前9時。

文句を言いながらも担当した仕事に精を出すメンバー。

が、しかし。

「おい。ジョーの奴はどこいった」

三角巾にエプロン姿のジェットがふと箒を持つ手を止めた。

「まさか、逃げやがったか」
「まだ寝てるんじゃないか」

ピュンマが窓拭きをしながら言う。

「このこうるさい中で、か?」

確かに邸中、掃除に伴い発生する様々な音が響いている。

「普段、大掃除に参加してねーくせによぉ」

ジェットは鼻を鳴らすと箒を肩にかつぎ天井を見た。

「起こしてくるか」

アイツだけ掃除免除にはさせねぇ。と呟いて今にも部屋を出ていきそうなジェットをピュンマが慌てて止めた。

「やめとけってば」
「なんでだよ。アイツだけずるいだろーが」
「うん、確かに僕もそう思うよ。でもさ」

ピュンマはつかまえていたジェットのエプロンから手を離しながら、

「フランソワーズもいないの気付いてたかい?」

と訊いた。

「え?アイツもいないのか?既にキッチンにでもいるのかと・・・」
「いや。今朝はまだ姿を見ていない」

沈黙が落ちた。

「・・・だったら、アイツも起こさねーと。昼飯の準備くらい」
「起こしに行くのは結構だけどさ。どこへ行くわけ?」
「だから、アイツらの部屋・・・」
「どっちの?」
「どっち、って・・・」

そうして二人揃って天井を見た。

 


 

12月30日 壊れ物注意D(終)

 

僕の不穏な思いに気がついたからなのか、フランソワーズの外出はぱったりとなくなった。

――というのは、あまりに自分勝手な解釈に過ぎるだろう。
本当のところ別に僕が理由なんかではないのだ。単に忘年会シーズンが終わった。というだけのことであり、年末になったから――それだけのことだった。

とはいえ。

それでもフランソワーズは積極的に出かけようとはせず、極力僕と一緒にいるようになった。
一緒にいる時間が増えるのは嬉しいけれど、これが毎日となると僕は反対に心配になってしまった。

「あのさ、フランソワーズ。その・・・年末の買い物とか、そういうのはいいのかい?」

腕のなかにすっぽりおさまっているフランソワーズに声をかけると、フランソワーズは瞳をくるんとさせて僕を見た。


う。

・・・今さらだけど。

フランソワーズの目ってこんなに大きかった・・・かな?
いやそんなことより、そんな潤んだ瞳でじっと見つめられたら――その、凄く困るんだけど。

僕はちょっと気圧されて彼女から目を逸らした。
すると腕のなかでフランソワーズが身じろぎした。

「ジョー。どうして目を逸らすの」
「えっ?いや別に」
「・・・私が買い物に行かないと何か困ることでもあるの」
「いやぁ・・・そんなんじゃないんだけど」
「ジョーを独り占めしてるから?」
「いや。それはいいんだけど」

実際、僕を独り占め希望者なんてフランソワーズしかいないんだけど。

「・・・もうっ」

フランソワーズは再び僕にもたれると、うつむいて小さく言った。

「・・・いいじゃない。ずっと忙しくてジョーとこうしてゆっくりできなかったんだもの」

確かにゆっくりはできなかった。だけどこうしてくっついていなかったのかというとそれは甚だ疑わしい。だって僕はいつもと変わりないくらい――否、いつもよりもずっと――フランソワーズと一緒にいたのだから。
彼女が帰ってきてからずっと――朝になるまでずっと、一緒にいた。毎日毎日。フランソワーズは疲れていたから、隣ですぐに寝入ってしまうことが多かったけれど、たまに少しだけ起きていた時はその、・・・お互いに親密な時間を過ごしたりしていた。
だからフランソワーズが言うようにゆっくりしていなかったのかというとそうでもないんだよな。

「もう。ジョーったらどうしてそう複雑な顔をするの」
「えっ」
「やあね。そりゃジョーにとってはこういう時間は興味ないのかもしれないけど、でも男と女は違うのよ?服を着てくっついているのも大事なの!」
「え、僕は別に大事じゃないとは言ってないよ」
「そうかしら」
「そうだよ。僕だってこうしてゆっくりしている時間は大事だよ」

大体、ちょっと考えればわかりそうなもんだ。
この一ヶ月、僕以外の男がいる場所に出かけていたフランソワーズ。その場面をあれこれ考えながら帰宅を待っていた僕。どれだけやきもきしていたと思ってるんだ。
しかも、明らかにフランソワーズに気があると思われる奴もいたし。・・・まだ僕は彼に釘を刺せていないんだけど。でも、フランソワーズと一緒にここに住んでいるということがわかっただろうから少しは察しているかもしれないけれど。

――そうだ。

問題は、そこだ。

つまりフランソワーズは、僕のことを奴にどう説明したのだろうか。もっと言えば、そもそもフランソワーズに恋人がいるかどうか周囲の人間は知っているのだろうか。

「――ねぇ。フランソワーズ」
「なあに?ジョー」
「きみさ、その・・・何か言われなかった?」
「何かって?」
「ほら。この前、カチューシャを僕が受け取っただろ」
「ジョーがカチューシャを壊したときのこと?」
「・・・うるさいなぁ。その後のことだけどさ、何か訊かれたりしなかったかい?」
「何かって・・・別に何も言われなかったけれど」
「・・・あ、そう」

ただの同居人とかそんな感じだったのだろうか。
僕はなんだか釈然としなくて、フランソワーズに更に訊こうとした時だった。

「だって今さらじゃない」

フランソワーズが当たり前でしょうとさらりと言ったのだ。

「何が」
「だってみんな知ってるもの。私の彼氏のこと」
「――彼氏」
「恋人のことよ」
「知ってるよ。――で?その彼氏が何」
「だから。私の彼氏はジョーだってこと」
「・・・へ?」

僕の間の抜けた声にフランソワーズはこちらに向き直ると、僕の鼻をぎゅっと摘んだ。

「へ?じゃないでしょう。私の恋人はジョーだってみんなとっくに知ってるの!・・・もうっ」

だってどうして。
まさか言って歩いたってわけでもないだろう。

「――レッスンの後時々迎えに来るひとは誰?ってそれはもう凄かったんだから。女子のそういうトコロ、男のひとにはわからないでしょうね」

確かにわからないけれど。

「白状するまで帰してもらえないんだからっ。今回だって、迎えに来てもらえばいいのにーって凄くからかわれたんだから」

・・・迎えに行ったのに。

「そういうのは恥ずかしいの。だってみんなただジョーを見たいだけだもの」

う・・・まぁ、見世物になるのはあまり・・・

「冗談じゃないわ、見せるわけないじゃない。誰かがジョーのことを好きになっちゃったらどうするのよ!」

僕はそんなにもてないよ。買いかぶりすぎだよフランソワーズ。

「ジョーは私のだものっ」

そうしてフランソワーズはひとりで盛り上がって僕の首筋に腕を回してきた。
甘い香りが僕の鼻をくすぐる。

「え・・・と。――ウン」

首筋にかかるフランソワーズの息がくすぐったくて、僕はちょっと肩をすくめた。

――全く。
そういうことはもっと早くに言って欲しかったなあ。
いったいいつ恋人宣言していたのか。
知っていたらあんなに心配したりやきもきしなかったのに。

なんだか安心したのと、もっと早く言えとイラっとしたのがごちゃまぜになって。
僕はフランソワーズをぎゅうっと抱き締めた。

「――ったく。そんなこと言ったら襲っちゃうぞ」

壊さない程度に、ね。

 


 

12月26日 壊れ物注意C

 

結構、好青年だった。

身構えて行った僕を待っていたのは、フランソワーズが言う通りの素直で誠実そうな男性だった。
本当に忘れ物を届けに来ただけで他意はなさそうな感じ。

・・・とはいえ。

フランソワーズが出てくるものだとばかり思っていたのだろう。
玄関のドアを開けたのが僕で、がっかりしていたのは見ていて気の毒になるくらいだった。
もちろんそんなことを言いはしなかったけれど、それでも手に取るようにわかってしまった。

彼はフランソワーズのことが好きだ。

間違いない。

でも、フランソワーズは残念ながらまったく気付いていない。

これも間違いがなかった。

だから気の毒といえば気の毒だった。
送迎を口実に用い、それを涙ぐましい努力で最大限に利用しフランソワーズと二人っきりになる時間を作っている。フランソワーズを最初に迎えに来て最後に送り届けるなんて、なんとかして二人っきりになりたいからに決まっているのだ。もしも僕が彼の立場でもそうしていただろう。更に言えば、僕がその立場だったら途中で車のコースを勝手に変えてふたりでどこかへ行くことも考える。
でも奴はそうはしていないようだった。
とてもそんな気概のあるようには見えない。いま流行りの草食系男子という感じだったし。
だから僕はきっと安心していいのだろうけれど、なんというか――ちょっと不憫に思ってしまった。

気の毒な奴。

とはいえ。

もしも本当にフランソワーズにそういうことをしていたら、いま彼は五体満足に帰ったりできなかっただろうから運がいい奴といえるのかもしれない。

僕は受け取ったフランソワーズのカチューシャをじっと見つめた。
ピンク色のカチューシャ。いつものやつ。
どうしてこれを忘れていったのかについて、奴は延々と語ってくれた。曰く、フランソワーズが途中で眠ってしまって、シートにもたれたところで車が揺れて外れたと。

でもこれって、そんなに簡単に外れる仕組みだったかな・・・?

僕は部屋に戻りながら、カチューシャの弾力性などをあれこれ試してみた。
すると、小さな音がして割れてしまった。
なんとあっけない。
これってそんなに簡単に壊れるものだっただろうか。

「ジョー。遅かったのね。何話してたの」
「いや、別に」
「そう――ってやだもう、どうして壊れてるの」
「知らない。勝手に壊れた」
「そんなはずないでしょう。壊れてたの?それともジョーが壊したの?」

手に残る破壊した感覚。なんだろう、ちょっとだけ胸の奥が痛いような気がする。

「・・・僕じゃないよ」
「まあ!やっぱりジョーが壊したのね!」
「だから僕じゃないって」
「自分から告白したのとおんなじよ。もうっ・・・これ、気に入ってたのに」

僕の手からカチューシャの残骸を奪うとフランソワーズは大げさに嘆いてみせた。

「ふん。大げさだな」
「まあ。壊しておいてごめんなさいもないの?」
「ないね」
「ジョー?」

うるさいなあ。いいじゃないか。他の男が触ったモノなんかどうなったって。

なんだかいらいらしてきた。
だって、カチューシャが簡単に外れるわけがない。そういうシロモノじゃないはずだ。戦闘時だって外れないんだから。だから、これは意図的に誰かの手によって外されたものに違いなく、その誰かの手というのはさっきの奴の手に決まってて、そしてその意図というのは・・・

――忘れ物をしたという口実を作って、今晩もう一度フランソワーズに会うため。

あるいは。

単にフランソワーズの髪に触れたかっただけなのかもしれない。

僕はそのどちらも気に入らなかった。

フランソワーズの髪に触れてカチューシャを外していいのは僕だけだ。
彼女が許可したとかしなかったとか、そんなことは関係ない。

それをしていいのは、僕だけだ。

僕だけなんだ。

僕は乱暴にフランソワーズの肩を抱いた。そして髪をつかんでそのなかに顔を埋めた。
この髪も肩も腕もなにもかも。全部、僕のものだ。
他の誰にも触らせたくない。

それをわかろうとしない奴は――

――わからせるまで、だ。

 


 

12月22日 壊れ物注意B

 

「きみは変だと思わないのかい?」

僕の息がくすぐったかったのか、フランソワーズは軽く頭を振ると僕の腕のなかから抜け出した。

「思わないわ。だって変じゃないもの」

くすくす笑いながらそう言って身を翻す。そのままいつものようにコートを脱いでハンガーにかけて、それから腕時計を外し――

――おい、ちょっと待てよ。

 

**

 

いつものように遅くに帰ってきたフランソワーズを迎え、いつものように心ゆくまで抱き締めた。
ここのところ、これがまるで儀式のようになってしまった。
フランソワーズが部屋に入ってまだコートも脱がないまま抱き締める僕。彼女はそれをどう思っているのか知らないけれど、嫌がることはなかったからまあいいのだろう。
ともかく僕は、帰って来たフランソワーズをしばらく抱き締めないと落ち着かなくなっていた。もっとも、髪に残る微かな煙草の匂いや色々なひとの香水の香りに心はざわついてしまうのだけれど。

ともかく僕は今日もいつものように儀式を終えた。
いちおう、満足してフランソワーズを離したのだけど。

「――フランソワーズ。カチューシャはどうした」
「えっ?」

なんだか声が喉に絡む。
軽く咳払いして続けた。

「カチューシャ。行く時はしていただろ」
「えっ、あ」

フランソワーズが今気付いたというように頭に手をあてて、驚いた顔をしてみせる。

「ほんと。どうしたのかしら」
「どうしたのかしら、って、どこかに置き忘れたのかい」
「ん・・・そうかしら。でも」
「でも?」
「わざわざカチューシャを外してまで髪をとかしたりするようなことってなかったはずだし外した覚えはないんだけど」

フランソワーズのカチューシャ。
それを外すのは僕に限っていえば決まったシチュエーションの時である。もちろん、万人がそうではないだろうから僕は自身に落ち着けと一喝した。別に、フランソワーズがそういう状況になって置き忘れてきたとかそういうわけじゃないのだから。

――でも。

だったらいったい・・・

そうつらつら考えていたら、フランソワーズの携帯電話が鳴った。聞いたことのない着信メロディーだった。

「――はい」

部屋着に着替えたフランソワーズが電話に出る。
僕はそんな姿をじっと見つめるのも変な気がして、なんとなく窓から外を眺めてみた。
すると、ギルモア邸に向かう坂を上ってくる車が一台見えた。フランソワーズの部屋からではほんの少ししか道は見えないけれど、他に灯りのないこのあたりに車のヘッドライトは眩しすぎるからすぐにわかった。

こんな時間にいったい誰だろう?

「・・・あは、わかりました」

僕が首をかしげている間にフランソワーズはちょっと肩をすくめて笑って通話を終えた。

「誰?」
「バレエ団のひと。忘れ物届けてくれる、って」
「忘れ物?」
「ええ。カチューシャ」
「・・・え?」
「車のなかにあったんですって。まだそう遠くまで行ってないから、戻ってくるって」
「――もう来たみたいだけど」
「えっ、ほんと?」

――途中で気付いたにしてはいやに早くないか?

いつもフランソワーズを送迎する男。やってきた車は奴に違いない。

「受け取ってくるわ」
「待て」

部屋から出て行こうとするフランソワーズの腕を掴み、僕は低い声で言った。

「もう夜も遅い。僕が行くよ」
「え、でも・・・」
「その格好で他人の前に出るつもり」
「えっ?――あ」

フランソワーズは部屋着に着替えており、とてもラフな格好だ。そんなの、他人に見せるものではないだろう。

「そ、そうね・・・」

頬を赤らめてうつむくフランソワーズ。まったく、なんてかわいいんだろう。
こんな姿を他の見知らぬ男に見せる馬鹿がいるものか。

「風邪ひくといけないから、フランソワーズはここにいて。玄関は寒い」
「わかったわ」

そうして僕はしっかりとドアを閉めると玄関に向かった。
フランソワーズのカチューシャを受け取るために。

 


 

12月19日 壊れ物注意A

 

「フランソワーズ。本当に毎日なのかい?」

忙しく出かける準備をしているフランソワーズの後を僕はまるで子供のようについて回った。

「本当よ。ん、イヤリングかたっぽどうしたかしら」
「昨日、そこに置いただろ」
「どこ?」
「そこ。テーブルの上」
「あら本当だわ。凄いわジョー、よくわかったわね」
「・・・外したの、僕だし」
「えっ?」
「なんでもない」

フランソワーズは鏡に向かってイヤリングをつけている。僕はその後ろ姿にため息をついた。

12月にはいってから、ほぼ毎日フランソワーズは出かけている。そして帰りは12時を過ぎる。
本人曰く、全て忘年会なのだという。
同じバレエ団同士の横のつながりもあるし、舞台関係や広報関係各所。それから、個人の主催のものもあって。
それが延々と続いているのだという。

――本当だろうか。

なんて、疑ってみても仕方がない。
大体これは日本の風習でもあるし、僕だってわからないでもないからだ。
新人の頃は、本当に酷かった。それこそ今のフランソワーズじゃないけれど、連日忘年会があって酷いときはダブルブッキングではしごだった。更に、フランソワーズと違って男の僕は途中で帰してなんてもらえないから、帰宅は大体3時頃だった。そんな嘘みたいな12月を何度経験しただろうか。
だから、フランソワーズのそれだって嘘なわけはなくて、嘘みたいな本当だというのもじゅうぶんわかっている。
わかっているんだけど。

「・・・どうして毎回、同じ奴が送ってくるんだよ」
「えっ?何か言った、ジョー」

フランソワーズがカチューシャを直して振り返る。小さい声で言ったはずなのに聞こえたか。さすがだな。

「別に。何も言ってない」
「そう?」
「ああ。それより、何度も言ってるけどさ。途中で電話してくれれば僕が迎えに」
「それは無理。だって遅いし、いまどこにいるのか私にもよくわからないこともあるし」
「だけど」
「ジョーったら。心配性ね」

フランソワーズがくすくす笑う。

「ちゃんと送ってもらうから大丈夫よ」

僕がしているのはそっちの心配じゃないんだけど、フランソワーズは全然わかっていない。
わかっていないから余計に心配になる。
いくら同じバレエ団だからといって、毎日同じ奴が送ってくるなんておかしいだろ?
そんなの答えはひとつしかないに決まってる。
決して僕の妙な勘繰りではないはずだ。
でもそれを言うとフランソワーズは笑って相手にしない。彼はそんなんじゃないからと言って。
――そんなんじゃない、と言ってるのはフランソワーズ、君だけだ。たぶん。

「じゃ、行ってくるわね」

僕の頬にキスをして身を翻す。
玄関先には迎えの車。毎夜送ってくるのと同じ車。同じ男。
奴は本当に酒が飲めないのだろうか。だからみんなの運転手になってるのよ――なんて、本当なのだろうか。
だったらどうしてフランソワーズが一番最後に送られてくるんだ。一番遠いからって、それが本当の理由か?

僕は笑顔で手を振ったけれど、内心は黒いものが渦巻いていた。

 


 

12月16日 壊れ物注意

 

フランソワーズはあったかくて気持いい。
だからつい、ぎゅうっとしてしまう。

でも柔らかくて壊れそうで、僕はいつもびくびくしてしまう。
壊したらどうしよう、って。

でも、そんなことを言ってもやっぱりぎゅうっとしたくなる。

もし壊したらごめん。フランソワーズ。

 

***

 

「ジョーったら」

フランソワーズがくすくす笑う。

「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。壊れたりなんかしないもの」
「うん・・・でもまだ加減がわからないんだ」
「そんなことないでしょう」
「いや。昨日もコップを握り潰しちゃったし」
「・・・もう。何を言い出すかと思ったら」

フランソワーズが頬を染めて目をふせた。

「・・・恥ずかしいわ。ジョーのばか」
「えっ・・・」

僕は思わず頭を掻いた。
なんだかさらりと墓穴を掘ったような気がする。

昨日、コップを握り潰したのはつまりその、・・・いわゆるヤキモチというやつで。
フランソワーズが僕の知らない男に送られて帰ってきたからなんだ。
もちろんすぐに何の関係もないと知ったのだけど。

目をふせるフランソワーズとは反対に僕は天井を見ていた。
なんだか気まずいようなそうでもないような変な気持ちだった。

 


 

11月25日

 

雨が降る。

こんな夜は色々な事を思い出してしまう。


悲しかったこと。

辛かったこと。

苦しかったこと。

 

「ジョー。眠れないの?」

ジョーの腕のなかでフランソワーズが片目を開けた。
そうしてゆっくりと瞬きして・・・両目がぱっちりと開かれてジョーを見た。心配そうな蒼い瞳。

「いや・・・いま寝るところだよ」

ジョーは微笑むと欠伸をしてみせた。

雨の夜はひとりにしてはくれないフランソワーズ。抱き締めているのはジョーのほうだけれど、その息遣いと温かさに落ち着いて安心するのもまたジョーのほうだった。

「そう?」
「うん」

柔らかくて温かいフランソワーズ。
目を閉じたジョーの胸に去来するのは、

楽しかったこと。

嬉しかったこと。

さっきまで抱えていたものは消えていた。
思いだそうとしても思い出せなかった。

今は、温かな思いしかそこにはなかった。


雨はいつかやむだろう。


でも、フランソワーズと一緒にいればやまない雨でも怖くなかった。

 


***


「やっぱり晴れると気持ちいいなあ!」

ジョーは開け放した窓から外を見て大きく伸びをした。

「・・・そうかしら」

しかし、彼の声に応えたのは少し不機嫌な声だった。

「私はあまり好きじゃないわ」
「えっ、そうだった?」

ジョーは驚いて振り返った。フランソワーズが晴れの日を嫌いだったなんて聞いたことがない。
ジョーの問うような眼差しにフランソワーズは小さく息をついた。

「・・・その前に、ジョー。何か着てちょうだい。外から丸見えよ」
「平気だよ。海しか見えないし、それにちゃんと穿いているだろ」

確かにパジャマのズボンは穿いていた。

しかし。

「海の前に、すぐ下は庭でしょう。そうやって乗り出していると上半身に何も着てないと裸に見えるのよ」
「でも、誰もいないよ?」
「本当?」

ジョーの言うことだ、あやしいもんだと思いながら、フランソワーズも並んで下を見た。
ちなみに彼女はちゃんとキャミソールを着ている。

「おっ。お前ら朝から仲いいなあ。なにやってたんだ」

スコップを担いだジェットと目が合った。

「きゃっ」

フランソワーズがしゃがみこむ。

「うん。ちょっとね。打ち合わせ」

涼しい顔で答えるジョー。全く動じてない。

「裸で打ち合わせもないだろーがっ」
「ははは、察してよ」

大きく笑い合うデリカシー欠如症候群の男性二名。

・・・もうっ、だから晴れの日は嫌いっ。

フランソワーズは膝を抱えて頭を振った。

だってジョーのテンションが妙に高いんだもの!

雨空が少し懐かしかった。

 


 

11月23日  好き?

 

テーブルに両肘をついて、手を組んで。
その上に顎をのせて、フランソワーズは目の前のひとをじっと見つめた。


何もする予定のない休日の午後はゆったりと過ぎてゆく。
暑いでも寒いでもない、よく言えば気持ちのいい気候。悪く言えば中途半端な時期。
何を着て外に出ようか悩んだ末、出かけるのをやめた。

最初から出かける気のなかったジョーは、雑誌に夢中だった。
フランソワーズから見ればいったいどこが面白いのか全くわからない雑誌。
車のデザインなどが載っているならまだしも、部品ひとつひとつが事細かに解説つきで載っている。先刻、ちらりと覗いてすぐにやめた。


そんなわけで、ジョーに構ってもらえず何もすることがなくてフランソワーズは退屈しきっていた。


「ねえ、ジョー。好き?」
「うん。好き」

フランソワーズとしては車のことを言ったつもりではなかったけれど、ジョーの答えはどう贔屓目にみても車について答えたようにしか思えなかった。

「どのくらい?」
「無限大∞」
「じゃあ、大好き?」
「うん。大好き」
「どのくらい?」
「因果地平に向かうくらいの距離」

因果地平・・・。
ジョーは宗教のひとだったかしらとフランソワーズは眉間に皺を寄せた。

「じゃあ、愛してる?」
「うん。愛してる」
「どのくらい?」
「食べちゃいたいくらい」
「・・・えっ?」
「えっ?」

はじめてジョーは雑誌から目を上げた。
テーブルを挟んで向こうにはフランソワーズがいる。
びっくりしたのか、目を丸くして。

「なんで驚くんだい?」
「だっ・・・て」

適当に車のことを言っているものだとばかり思っていたのだ。
でもそれが――そうでもない?

「あのね、ジョー」
「はい、何でしょう」
「あの、・・・私のこと」

ちゃんとこうして向かい合って訊いたなら、ジョーはどんな顔でなんて答えるのだろう?

「私のこと、」
「好きだよ?」

そう真顔であっさり言ったから、フランソワーズは真っ赤に熟れて黙りこんだ。
そんな彼女にジョーは更に言う。

「食べちゃいたいくらいなんだけど、食べてもいい?」
「お、おいしくないわよ、きっと」
「おいしいよ。知ってる」
「いやっ、ジョーのばか」
「じゃあ、嫌い?」
「そ。そんなわけ・・・」

ないじゃない。

 

**

 

退屈だからと始めた言葉遊び。

意外と危険に満ち満ちていたのだと気付いたのは、食べられている最中だった。