子供部屋
(新ゼロなふたりの日常です)
2月19日 「冬季オリンピックか。――思い出すな。色々と」 冬季オリンピックの華、フィギュアスケートをテレビで観ている時だった。 「どうしたの?急に」 そうして二人はちょっと黙った。 「――でもね、ジョー?」 僕を撃ったことなんか忘れていいのに。 「だって私たち、それまでなかったでしょう?気持ちをさらけ出すことって」 フランソワーズはジョーの顔を見るとにっこり笑った。 「いま思うとね。私たちって、それまでお互いに嫌われないように、って随分気を遣っていたように思うの。もちろん私だけかもしれないけど、でもね。そう思うの。こんなとこ見せたらジョーに嫌われちゃうわ、って。いつもいつも気をつけてて、頑張って自分を隠してた。でも」 ジョーの指が髪を撫でる。 「あの時、全部見せちゃったもの。自分の弱いところや自分勝手なところ、情けないところや嫌なところ。泣き虫なところもそうだし、かっこ悪いところも、とにかく何もかも全部」 逃げ出したって「無かった事」にはならないのに、ジョーを撃って怪我を負わせたという事実から逃げようとした。 「――うん。僕も相当かっこ悪かったからなぁ」 ジョーの指がフランソワーズの髪から離れ、そうっと肩を抱く。 「大体、最初にめくらめっぽうに助けを呼びに行くなんてこと、いま思い出しても恥ずかしいよ。それに、情けなく助けを請うなんて、さ」 パニックになって現実を把握できず状況分析もできなかった自分。怪我を負ったことだってそうだ。フランソワーズが自分自身を責めているのがわかっていたのに、説得することひとつできなかった。 「ふふっ。そうね。サイボーグ犬に襲われてわーわー言ってたあなたって、ちょっとかっこ悪かったわ。とても009だなんて思えないくらい」 フランソワーズに置き去りにされて寂しかったのもあるのだろう。動けない自分を置いて行ってしまったフランソワーズ。それがあんなに心細いことだなんて、その時まで知らなかった。 「・・・まあ、確かにかっこ悪かったよ。でも僕はそのあとのきみの言葉のほうに驚いたけどね」 一緒に死のう。と訴えたフランソワーズはとてもいつもの彼女と同じ女性には見えなかった。 「あら、ジョーだってそんな私を放り出してひとりで歩いて行っちゃったじゃない」 重荷だったわけじゃない。メンドクサクなったわけでもない。ただ、――自分のことしか考えられなくなってしまったのだ。エネルギーが切れて自由にならない体。ただの機械。情けない自分。 「・・・かっこ悪いね」 そうして顔を見合わせた。 「でも、お互いの弱いところとかかっこ悪いところを見せちゃったら・・・あとは何にも怖くなくなっちゃったの」 だってジョーは私の「全て」を知っている。どういう時に元気がなくなるのか。どういう時に勝手な行動をしてしまうのか。そのわけは。思考回路は。 「そうだね。僕も――ああ、フランソワーズにはもうかっこつけなくていいんだ。って妙に安心したな。もちろん、ずうっと経ってからだけどね」 直後は激しい後悔と反省ばかりだった。 「そうね。それからよね?あなたが妙に泣き虫の甘えん坊さんになったの、って」 笑うジョーの頬をつねって、そうして彼にもたれかかって。おでことおでこがくっついた。 「――でも、きっと大事なことだったのよ。だから忘れないの。絶対に」 とはいえ、幾人ものひとの命が失われたのだから、凄惨な現場だったことに違いはない。何を思ってどう昇華させようとしたって無理なのだ。 「この経験を無駄にはしたくないわ」 私はどんなにかっこ悪くても、もう絶対にジョーを見捨てて逃げたりしない。いくら自分が引き起こしたことだとしてもそれに対して責任を負う。 「僕もずっと憶えているよ」 自分がどんなに情けない男だったのか。ひとりの女性を守ることもできず、自分のことでいっぱいになってしまっていた。そんな男が自分なのだと認めることはしたくなかったけれど、でも忘れずにいれば二度と同じことはしないだろう。 お互いの瞳にお互いが映って、そうして――少し笑った。 「本当に憶えているよ。きみの怪力を」
ポツリと言ったジョーに、隣に寄り沿って座っていたフランソワーズは彼の顔を見た。
「うん?――うん。ちょっとね。冬季五輪といえば飛行機事故だったなぁ・・・って、さ。まあ、あんまり思い出したくないことだけど」
「・・・そうね」
お互いの思いの海に潜り込むように。
「うん?」
「もちろん辛い思い出だけど、私は忘れないわ。絶対」
「・・・ああ」
そう言いかけたジョーを待っていたのは予想外の言葉だった。
現実から目を背け、彼のそばを離れることによって自分の精神の安寧を求めようとした。
「うるさいなあ。あれはたぶん、」
いつも凛として弱音を吐かず、常に未来を見つめている強い瞳。それがフランソワーズだと思っていた。
「かっこ悪かったわ。お互いに」
「それからだよな。きみが妙に強くなったのって」
「まあ。私のどこが強くなったっていうの?」
「ほら、そういうトコロ」
「もうっ!」
「そうだね」
「愛の確認?」
「愛の確認」
「燃えるような?」
「そう。燃えるような――」
だったら、それを全部憶えているしかない。
だってジョーが好きだから。
何があってもそばを離れない。
何があっても絶対に守る。
それは、体だけではなく心も守ることに他ならない。
「あ、もうっ!それ言わないでって言ってるでしょっ」
「はい、ジョー。チョコレート」 日付が変わると同時にジョーの部屋へやって来たフランソワーズ。 「えっ?ああ、・・・ありがとう」 ジョーの手に押し付けるようにチョコレートの箱を渡すと、腕にかけていた手提げ袋から「ジャーン」という擬音とともに取り出したのは。 「本日の目玉商品っ。おそろいのぱんつ!」 ・・・ぱんつ。 「ほら、この前言ってたでしょう?オーダーできるのよ、って」 ジョーは思い出した。寸でのところで襲われるトコロだったことを。――イヤ、実際にはそうではなく尻の寸法を測られただけなのだが――否、腰周りを計測されたことを。 「その時言ってたのが出来上がりました!」 何をどう感動すればいいというのだろう。 「お揃いなのよ?」 それは既に何枚か持っているはずである。 「世界にひとつしかないぱんつなのよ?」 お揃いなら二枚だろ――と言うと絶対に怒られるので言わない。 「もうっ。いいから、見て!生地に凝ったんだから」 傍らにチョコレートの箱を置いて、しぶしぶぱんつを取り出した。御丁寧にリボンのかけられた袋から取り出したのは―― 「・・・フランソワーズ」 気に入るも何も。 「あの、フランソワーズ?」 しかし。 「でね、明日はそのままお出掛けするのよ」 それはフランソワーズが勝手に決めたことじゃないか――と思ったけれど黙っていることにする。 「うふふ、ね?ほら、お風呂」 ハートのマークが乱舞している生地だった。フランソワーズの言う「生地に凝る」とは素材ではなくて柄のことだったようだ。 「ジョーのは紺地にピンクのハートでしょう。私のは白地にピンクなのよ」 ハート形のポケットがついているぱんつ。 「ほら、早く」 満面の笑みで腕を引かれ、どうやら一緒に風呂に入り、この下着を身につけなければならないようだった。
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「――でもさ、フランソワーズ」 風呂から上がって着替えているとき、ジョーはふと気がついて言った。 「明日の朝、お揃いで目が覚めるっていうの無理だと思うよ」 フランソワーズは着替えている手を止めると、 「いやん、ジョーのばかっ!」 と言って彼を突き飛ばした。 「・・・怪力なんだから気をつけろ」 壁と仲良くなりながら、ジョーがぼそりと言う。 「何か言った?」
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2月8日
見た目がいい。いわゆるイケメン。 フランソワーズは読んでいた雑誌を閉じた。好んで読んでいる女性誌の今月の特集は、当然の如く「バレンタインもの」である。その特集のなかのひとつに、「いま注目されている男性」というのがいろんなジャンルからピックアップされていた。そして、これまた当然の如く、モータースポーツ界からは「ハリケーンジョー」こと音速の騎士・島村ジョーがピックアップされていたのだった。 フランソワーズはしばし虚空を見つめ――それからおもむろに再びページを開いた。 「見た目がいい。いわゆるイケメン」 ――そうなのだろうか?確かに不細工ではないだろうけれど、今となっては見慣れたせいか特に何の感慨もわかない。ジョーはジョーなのだから。 「甘い声。優しい喋り方」 甘い声はよそいきの声であり、優しい喋り方もおそらくよそいきだろう。実際には、喋り方などを周囲がわかるほど饒舌ではないし、妙な甘い声なんて何かを企んでいる時くらいしか聞かない。耳慣れたせいだろうか。ジョーの声はジョーの声であり、それ以外の表現方法をフランソワーズは知らなかった。 「笑顔が可愛い」 これは確かにそうかもしれない。ただ、それを言うと物凄く機嫌が悪くなるから言わないけれど。 「仕事をきっちりこなし、妥協はしない。そして成果を上げる。でも、うぬぼれない、自分を過信しない。謙虚。 仕事に関しては、フランソワーズは一緒にいるわけではないから実際のところは知らない。けれど、彼の言動や姿勢をみるとおそらく合っているのだろうと思う。・・・たぶん。かなり脚色されているだろうとは思うけれど。 「きっと気持ちが強いひとで、何があっても守ってくれそうな感じ」 何があっても守ってくれる。これは確かにそうである。が、気持ちが強いのかどうかはかなり疑問なところだった。もちろん、弱いひとではない。けれど、その時々によってかなり異なるような気もする。 「実際、「恋人」に関しては終始そのスタンスを貫いており、だからこそ女性のファンが多い」 「・・・ふふっ」 以前は内緒の恋人同士だったけれど、ここ数年は彼は「恋人がいる」ことを公言しているし、実際に写真にも撮られた。が、彼がフランソワーズを絶対にマスコミに出さないように気をつけているし、どんなささいな露出も許さなかったから、それが返って周囲には好意的にとられているようだった。 「何度読んでもかっこよく書かれているわね」 もちろん、「バレンタイン特集」なのだから、アコガレの対象であるようなことしか書かないのだろう。 「・・・王子様、だって」 噴出しそうになる。これをジョー自身が見たらどんな顔をするだろう? 「音速の騎士で、F1界の王子様。って・・・いったいどっちなのよ」 騎士と王子は全く違うと思うのだけど。 「・・・でも、ジョーはジョーよ」 私の知っているジョーは、寝起きがばつぐんに悪くて、いつも朝ごはんは一番最後。甘い卵焼きが大好きで、一生それがおかずでもいいと公言している変なひと。でも、冷たくすると拗ねてしまうし悪くすると泣いてしまうので取り扱いにはじゅうぶんな注意が必要。落ち込んでいる時や拗ねている時は、たいく座りをするからわかりやすい・・・けれど、これがでたらヤッカイでもある。 うーんと首を傾げたところでノックの音。 「フランソワーズ、いる?」 ジョーだった。 「なあに?開いてるわよ」 ドアをちょこっと開けて、片目だけ覗かせるジョー。 「風呂タイム」 訝しそうな視線を投げて、ドアが閉まった。 「――ほら、ね」 どうしてこういう風にさらっと聞くと平気で答えるのだろうか。 まるでそれが当たり前のことのように。
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2月4日
「ごめんなさい、ジョー。私の愛が足りないのね」 切なそうな顔でそう言うと、フランソワーズは僕の体の上に身を任せた。のしかかるように体重を預けてくる。 「私のせいね」 何が? 「・・・私ばっかり安心しててごめんなさい」 愛が。 そんなことないよ、フランソワーズ。 「私は、あなたがたくさん愛してくれるから、寂しく感じたりしないわ。でも、あなたがそう感じるなら、それは私の愛が足りないからなのよ」 だから、とフランソワーズは続ける。 「もっともっと愛してあげる。ちゃんと、わかるように」 既に半身を僕の体に乗せていたフランソワーズは、僕の両肩を押してあっというまに押し倒した。 「ちょっ、ふら」 愛が足りないって、そういう意味じゃない・・・だろう? 「愛してるわ、ジョー」 ・・・まぁ、いいか。
たまには・・・
・・・って、ちょっと待て! 「ふっ、フランソワーズっ」 既にボタンを外されているジーンズ。ジッパーに手がかけられるのを身をよじって避ける。 「なっ・・・!」 フランソワーズはきょとんとしていたけれど、一瞬後には眉間に軽く皺を寄せた。 「もうっ、ジョー。邪魔しないで」 頬を赤らめ、恥らうように言うけれど僕のジーンズから手を離そうとはしない。いつものフランソワーズじゃない。 「いや、だけどフランソワーズ」 僕はフランソワーズから逃げるようにベッドの上を後退した。もちろんジーンズはホールドしたままだ。 「ジョー!逃げないで。怖くないから」 いや、怖い。 「優しくするから」 うわあああっ!きみの口からそんなアヤシゲな言葉を聞きたくないっ。 「大人しくしてちょうだい」 だからそれが怖いんだってば。 「それともジョーは私の愛なんか要らないの?」
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なぜこんな窮地に陥ってしまったのか。
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「ねえ、ジョー?」 お互いにもたれあってベッドの上で本を読んでいた時だった。フランソワーズがふと顔を上げて背後のジョーに声をかけた。 「・・・ジョーは、愛が足りてると思う?」 フランソワーズは読んでいた本を閉じるとジョーの正面に回り、まっすぐに彼の顔を見た。 「・・・きっと、あなたには足りてないのね」 ジョーは自分の顔を撫でた。毎朝鏡で見るぶんには、寂しそうな顔をしてるなどと取り立てて思ったことはない。 「ごめんなさい」 彼女が「寂しそうな顔をしてる」と言うからには、寂しそうな顔をしているのだろう。けれどそれは、断じてフランソワーズのせいではない。 「私、決めたの」 にじり寄るフランソワーズ。 「フランソワーズ、いったいどうしたんだい」
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「フランソワーズ、後生だから。ねっ?落ち着いて」 半分泣きながらジョーが言うと、フランソワーズはもうっと息をついて手を引いた。 「じゃあ・・・自分でできる?」 フランソワーズは疑わしげにジョーを見つめたが、なんとか折り合いをつけたようだった。 「じゃあ、後で教えてね」 ジョーはジーパンに手をかけたままじっとフランソワーズを見つめた。何を言っているのかわからない。 「バレンタインにね、お揃いのオーダーのパンツをプレゼントっていうの、流行ってるのよ。だから」 嬉しそうに話すフランソワーズを見つめ、いったい何が凄いのだろうかとジョーは思いを馳せた。 「・・・そういえば、一大決心とか言ってなかった?」 ジョーはしぶしぶ立ち上がった。 そんなジョーの心中を見透かしたのか、フランソワーズは小さく笑った。 「やあね、ジョーったら。私に襲われるとでも思った?」 ジョーは答えない。 「それはまた別の機会にとっておくわ」
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