子供部屋
(新ゼロなふたりの日常です)

 

6月18日

 

サッカーワールドカップが始まって、実はネツレツなサッカーファンのジョーは落ち着きがなかった。
そわそわ、いそいそと番組表をチェックし、殆どの試合を観ているようだった。
しかし、試合は時差の関係で日本では真夜中のキックオフだったから、いかんせん昼夜逆転の生活を余儀なくされた。

昼夜逆転の生活。

つまり、夜遅くまで起きていて昼間は殆ど眠っているという状態である。
それは極端にすぎる話だとしても、大体はそんな感じのジョーだった。

そして、今日も。

 

***

 

未明に行われた試合を観て時計を見たら朝の6時。
普通のひとはそろそろ起きる時間である。
もちろん、フランソワーズも例外ではなく朝6時に起きる組であった。
大きな欠伸をしながら自室のドアを開けたジョーは、そこにフランソワーズがいるのを見つけ首をかしげた。

「あれ?どうしたの」

見返す蒼い瞳は冷たかった。

「べつに」

答える声も冷たい。
しかしジョーはいい加減眠かったから、フランソワーズには構わずそそくさとベッドにもぐりこんだ。

「ジョー?」
「なに?」
「もう朝なんですけど」
「ああ、そうだね」

半分眠っているような声でジョーが面倒そうに答えた。

「朝ごはんはどうしますか?」
「いらない」
「あら、そう。ここのところ、ずうっと食べてないわよね?」
「・・・そうだったかな」

眠りたいのに眠らせてもらえない。ジョーは壁の方に向きを変えて、上掛けを頭から被った。

「よくないわよ、こういうの」
「・・・何が」
「同じ家に住んでいるんだから、ちゃんと朝は起きて夜は眠る。そういうふうにしないと」
「・・・別にいいじゃないか」
「そんなにサッカーが観たいなら、録画して昼間観ればいいじゃない」
「ライブで観るのがいいんだよ、わからないかなあ」
「わからないわよ、何よ、サッカーサッカーって。ただの球蹴りじゃない」
「――酷いなぁ、その言い方。そりゃ確かにただの球蹴りだけどさ、ワールドカップっていうのは4年に一度の世界を挙げての大会であって・・・あれ?フランソワーズ?」

身を起こしたジョーは、すっかり静かになってしまっているフランソワーズをおそるおそる見つめた。
彼女がいまいったい何を考えているのか、さっぱりわからない。しかも、それについて考察するのもしたくない。

「ええと、あの」

確かにサッカーをライブで観たいから夜遅くまで起きているというのは、自分のわがままである。だから早晩、誰かに注意されるだろうとは思っていた。だから覚悟していたけれども、こう黙ってしまわれるとどうもやりにくい。ティーンエイジャーのように拗ねて膨れて暴れるというわけにもいかない。

「――悪かったよ」

だから謝ってしまう。
そうするしかジョーには方法が見つからなかった。

「でも、本当に観たいんだよ」
「・・・わかってるわ。ジョーがサッカーを好きなの」
「だったら」
「だったらどうして、一緒に観ようって誘ってくれないの?」
「へ?」
「私がいたら邪魔だから?」
「いや、そうじゃないよ。だってきみはそんなに興味ないだろう?だから、誘っても迷惑だろうとこっちは気を遣って」
「興味はあるわよ!」
「あ。そうなんだ。そっかぁ、前に一緒に観に行ったこともあったしな――そういえば」
「そっちの興味じゃないわ」
「え、だったら」
「私が興味あるのはジョーだもの!」

ジョーにはサッパリ意味がわからない。ただフランソワーズを見るばかり。

「・・・僕に興味って、意味が」
「私はジョーのことならなんでも知りたいの。サッカーが好きなのは知ってるし、夜中にライブで観たいのもわかってる。でも、だったら誘って欲しいのよ。だって、ジョーがどんなに夢中で観ているのか知りたいし、どんな場面で大喜びしてそんな時はどんな顔をしているのかしら・・・って気になるの。それをそばで見ていたいっていうのは駄目なの?私って邪魔?――それに」

ひといきついて、

「それに――こうして待ってないと全然話ができないじゃない。そんなの嫌なの!どうしてわかってくれないの?それともジョーは私とこうして話す時間よりサッカーの方が大事?ううん、サッカーのほうを大事にしてもいい、ただ私は隣にいたいだけなの。それも邪魔なの?」

一気に言った。
それはここ数日の間、フランソワーズのなかにどんどん蓄積されていったものに違いなかった。

「・・・そんなことないよ」

ジョーは大きく息をつくと、ちょっと笑った。

「気を遣ったつもりだったんだけどなぁ。フランソワーズが隣にいるの、邪魔なわけないじゃないか」

 

***

 

そんなわけで、翌日からギルモア邸の昼夜逆転組は二名となった。

 


 

6月16日

 

「今日のゲストは初登場、F1パイロットの島村ジョーさんです!」

紹介と共に登場したのは、スーツ姿のF1パイロット。通称「ハリケーン・ジョー」である。
客席から上がる歓声に驚いたのか、一瞬立ち止まったあと照れたように笑った。その顔に更に歓声が上がる。彼の一挙手一投足に客席の視線は釘付けだった。

「いやあ・・・かっこいいですねぇ」
「いえ、そんな」

今や真っ赤に染まった頬に客席のみならず、スタッフ一同も釘付けだった。

「――そんなことないです」
「照れてますねぇ。レースの時と全然違う」
「え。あ、いや、レースの時は」

何やら口の中でもごもごと呟くが、どんな高性能マイクもその音を拾えなかった。

「お花、たくさんきてますね」

早速、贈られた花と贈り主の紹介がなされる。
一番大きく正面に置かれているのはジョーの所属チームからのものだった。それから、彼のチームのスポンサー数十社。それぞれの紹介にジョーは鷹揚に頷き、笑みを浮かべ「ありがとうございます」と律儀に一回一回言うのだった。

「そして、こちらは・・・ジェット・リンクさん。・・・ん?このひとは同じレーサーでしたよね」
「はい。友人です」
「そして、その隣は・・・うん?張々湖飯店?」
「あ、よく行くお店なんです」

――張大人のヤツ。

ジョーは頬に笑みを貼り付けつつ、内心で舌打ちした。これでしばらくは店に行けなくなった。張大人の中華料理、好きなのになあと思いを馳せる。

「それから、これは・・・八百屋さんと魚屋さんと――肉屋さん?なんですか、これは」
「ああ、それは――」
「普通、○○商店街とか場所を書きますよね?」
「え、あ、・・・それは」

その八百屋・魚屋・肉屋の連名の花は、ギルモア邸直近の商店街からのものだった。しかし、ジョーの家はそちらではなくマンションの方になっているから、所在が特定できる文句をいれるわけにはいかない。そのへんをよくわかっている彼らだから、店の名前も書いてない。ただ、八百屋・魚屋・肉屋とだけ書いてあった。傍からみれば不思議であり、宣伝にもなるのにと首を捻るだろう。実際、ジョーもそう思ったが、彼らの心遣いが嬉しかった。だから、よく行くんですとも言えなかった。

「それから、ええと――うん?ブリテン劇団?なんですかこれは」
「ああ、それは」

そこには奇抜な色彩の花輪があった。誰でも目に留めそうな、それはそれは派手なデザインの。
ジョーは内心、助かったと手を合わせた。これで商店街の件はつっこまれずにすんだ。きっとグレートも注意を逸らそうと思ってのことに違いない――いや、それともただ単に目立ちたかっただけなのか。ジョーにはどちらともいえなかった。

花の紹介が終わり、司会者にお土産を渡し――チームのロゴのはいったミニカーだった――さて、トークというところであったが。

ジョーはフリートークが苦手であった。

何しろ、普段のレース時のインタビューでさえ苦手なのだ。それだってやっとの思いで数語しゃべるのに、こういう場所では何を話したらいいのかサッパリわからない。司会者お得意の料理の話だって全然わからないし、いまの流行もファッションもわからない。かといってレースの話をするわけにもいかなかった。何しろ、一般人にわかるように解説しながら話すなんて芸当はとてもじゃないができないのである。

さて、困った。

司会者も、何を質問しても「はあ」と「いいえ」しか言わない無口な男を持て余しているようだった。
ジョーは、初めこそ「子供の頃からの夢だった」出演に舞い上がっていたものの、だんだん落ち着いてくると、自分はなんて芸がないのだろうと少々落ち込んできた。もっと何か面白いことを言えればいいのに。もしここにいるのがジェットだったら、面白おかしい話を披露し場を盛り上げていることだろう。
どうして自分なのだろう――と、暗く思い始めた時だった。

「そういえば、卵焼きがお好きだとか・・・聞きましたが」
「!」

司会者はダテに数十年、この番組を続けているのではなかった。ゲストに関して色々と調査済なのである。今日のゲストのハリケーン・ジョーが無口で面白みのない男だということも先刻承知であった。

「卵焼きというと、甘いのと出し巻きとありますがどちらがお好きでしたっけ」
「はい。あの・・・甘いのが」
「甘いのが好き」
「はあ」
「なるほど。それはやっぱり昔食べた味とかそういった流れで・・・?」

ジョーはいったん言葉に詰まった。ここで「母親の味」とか何とか言われたら困る。なんと答えたらいいのかわからない。
がしかし、司会者はジョーの生い立ちも先刻承知であり、その話題はNGであるということも心得ていた。だから、ジョーが何か言い出す前に言葉を継いだ。

「いやいや、そうではないですよね?ええと聞いたところによると、・・・カノジョさんの作る卵焼きの味だとか」

えええーっ。

客席が沸く。
が、それは「カノジョ」の存在に沸いたのではなく、「カノジョの作る卵焼きの味」限定というところに反応したものだった。ハリケーンジョーにカノジョがいることなど公然の秘密。いや、既に秘密ではないのかもしれない。数年前の日本グランプリのウイニングランの時、チームラジオで熱い交信をした恋人の存在は忘れられていない。

「これは・・・そのカノジョさんのお作りになるのではないとだめという意味で?」
「――はあ。・・・まぁ、そんなトコロ・・・です」

前髪で表情を隠し、すっかりうつむいてしまったジョー。かろうじてマイクが音を拾う。しかしテレビカメラはそんな彼を容赦なく襲う。横顔がズームされた。その頬は真っ赤に熟れていた。
日本中の女性がうっとりとその横顔に見惚れた瞬間、コマーシャルとなった。この数分間、局には苦情の電話が殺到したという。
実はフランソワーズもそのひとりだった。否、すんでのところで阻まれていた。

「いやん、どうして止めるのよっ」
「ジョーの顔なんぞいくらでもふだん見てるだろーがっ」

フランソワーズの腕をがっしりと掴み、言うのはピュンマである。

「だってだって、せっかく録画してるのに!」
「だからなんだって録画するんだよ」
「いいじゃない、普段のジョーもいいけど、こういう時のジョーもまた素敵なんだから!」
「あのな。いいか。――あ、ホラ、映像が戻ったぞ」

ちょうど映像が切り替わり、フランソワーズはピュンマの手を振り解くと大画面テレビの前に陣取った。ソファではなく、カーペットに座り込んでいる。

「では――100人のうちひとりが該当すれば携帯ストラップをさしあげます」
「はい。実は考えてきたんですよ。――ええと。女性ではいないかもしれませんが・・・F1の日本グランプリを観に行ったことがあるひと」

「えええーっ!ずるいわ、ジョー!それ私が考えたことじゃないっ!!それに、私以外にそうそういるわけないっていってたくせにっ」

そして、結果は――ゼロ人だった。

「ほらあ!だから言ったじゃない!」

フランソワーズは画面の前に仁王立ちになって指先をつきつけた。

「もうっ!しばらく卵焼きはおあずけっ!」

 


 

6月15日

 

「えっ、ジョー。今のってもしかして」


フランソワーズが腰を浮かせた。
通話を終えたジョーは頬を紅潮させたまま頷いた。

「うん。明日行くことになった」
「まあ!」

昼時の長寿番組。そのゲストに選ばれたのだ。

「まあ、昨日からそういう話があったんだけどね」
「そうなの?」
「うん。急にかかってはくるけれど、急なオファーってわけではないのさ」
「そういうものなのね」
「何事にも演出ってあるからね」

ジョーはそのまま昼食の席についた。

「いただきます」

今日のお昼ごはんはオムライスである。
ジョーのオムライスにはケチャップで大きなハートが描かれていた。
以前はそれにうろたえたジョーであったが、今では慣れたもので顔色ひとつ変えない。

「ね。ジョー」
「うん?」
「100分の1のアンケート、考えなくちゃね?」
「うーん。いいよ、適当で」
「駄目よ。だって私、携帯ストラップ欲しいもの。会場のひとたちだって期待してるわ、きっと」
「会場のひとは関係ないだろ」
「あら、知らないの?その日のゲストがストラップをゲットしたら、会場のひとたちももらえるのよ」
「え、そうなの?だからあんなに大騒ぎするのか」
「そうよ。だから大事なのよ」
「・・・ふうん・・・」

一生懸命なフランソワーズ。しかしジョーは食事をするのに集中しているのか、フランソワーズの話には上の空だった。

「なにがいいかしら?」
「さあ」
「100人の女性からひとりだけしか該当しないものじゃなくちゃ駄目なのよ」
「ふうん」
「日本グランプリを見に行った事があるひと、っていうのはどうかしら」
「いないよきっと」
「あら、私が行ったら確実にひとりはいるわ」
「え。行くつもり?」
「――行かないわよ。そんな顔しなくたっていいでしょう?」
「いや・・・」

何しろフランソワーズならやりかねないのだ。
ジョーは、フランソワーズが行かないと否定しても半信半疑であった。

「んー・・・何がいいかしら。ああもう、明日までなんて困るわ」
「いいよ別に。その場で何か考えればいいんだろう?」
「ジョーにそんなことができるわけないでしょ」
「あ。ひどいな、傷ついた」
「だって無理だもの絶対」

フランソワーズは食事そっちのけでうっとりと宙を見つめ考えている。
その間にジョーの皿の中身は半分以上消えていた。

「あのぅ、フランソワーズ?」
「なあに?」
「・・・おかわりって、ある・・・か、な?」

おずおずとしたジョーに目の焦点を合わせると、フランソワーズはにっこり笑った。

「あるに決まってるでしょう?」

 


 

6月14日

 

「しょうがないなぁ、残念だけど」


電話中のジョーの声が聞こえてきてフランソワーズは思わず耳を傾けた。
残念と言っているわりには、それほど残念そうでもないジョー。
携帯電話を耳に当てたまま、向こうを向いていたのがこちらに向き直った。
だからしっかり目が合ってしまった。逸らす暇もない。

「――ええ、わかりました。・・・そうですね」

いったい何の話なのだろう?
仕事関係なのはまず間違いないのだけれど。

ジョーの電話は続いている。
ちなみに昼の12時半少し前である。
昼食の支度も終わってあとは食べるだけ――というところでかかってきた電話だった。

おあずけをくらった形の博士に、フランソワーズは先に頂きましょうと声をかけて一緒にテーブルについたのだったが、ジョーの電話が気になるのも事実であった。

困ったような残念そうな口調とは裏腹に笑顔で答えるジョー。
アンバランスなことこの上ない。


「――はい。初めまして」

電話の相手が代わったらしい。背筋をぴんと伸ばし、直立不動の姿勢のジョー。
少し頬が紅潮しているように見えるのは気のせいか。


「ええ、小さい頃から――はい、夢でしたので」


小さい頃からの夢?

そんなものは聞いたことがない。

フランソワーズの心が少し重くなった。
ジョーの小さい頃からの夢。それっていったいなんなんだろう。
自分が知らないということは――敢えて聞いたこともなかったけれど――ジョーが言いたくないことなのだろう。しかし、レーサーになるという夢以外にも何かあったとは意外だった。

――レースだけってわけじゃなかったのね。

もちろん、小さい頃の夢なんて多岐に渡って当たり前である。
そのなかで自分のなかの「一番」を選んでゆくのだから。

それにしても――気になる。

すっかり手の止まったフランソワーズを見て博士がちょっと笑った。

「ジョーの電話が気になるのかい?」
「えっ、そういうわけじゃ・・・」
「そういえば昼に電話がくるかもしれないと昨日言っておったが」
「そうなんですか?」

全然知らなかったわ、とちょっと膨れてみせる。
そんなフランソワーズに博士は破顔すると

「なに、心配するようなことじゃないよ」

と言った。
しかし、そう言われても気になるものは気になるのだ。
最初に「残念だけどしょうがない」と言っていた。その後、「小さい頃からの夢」と。
何か深刻な話なのかもしれない。
その割りに笑顔なのが気になるといえば気になるけれど。


「ええ、はい――」


どうやら、そろそろ通話を終えるらしい。
ジョーは一拍置いたあと、満面の笑みで言った。


「いいとも!」