子供部屋
(新ゼロなふたりの日常です)

 

7月31日

 

その頃、009たちは何を密談していたのかというと。

「――お前、涼しい顔して言うけど、よく一緒に行ったよなぁ」
「まあね。連行されたといったほうが正しいけど」

こういうことは超銀ジョーのほうが慣れているだろうという周囲の予想を裏切って、実は一番腰が引けているのが彼だった。

「でもジュエリーショップだぞ。男が入るのに抵抗がある店ナンバーワンじゃないのか」
「そんなことないさ」

ナインが笑う。

「別に普通の店と同じだろ。買うものを決めて買うだけさ」
「そうだよ。どうして下着売り場は平気で貴金属のほうが駄目なんだ」

僕にはそのほうが不思議だと首を傾げる新ゼロジョー。
確かに、以前、三人揃って003のお供をした先は下着売り場であった。ナインと新ゼロジョーは絶対に足を踏み入れなかったのだが、超銀ジョーは平気な顔で003と一緒に下着を選んでいた。勇気のある行動だと思う。

「そうかあ?だってさ。フランソワーズが着るんだぜ?綺麗なのがいいに決まってるじゃないか」
「それはそうだけど、ああいう女性ばかりのなかにいるってのはちょっと・・・」
「そうだよ。別に僕が着るわけじゃないし」

言った新ゼロジョーは、当たり前だボケとふたりに冷たく言われた。

「――ともかく。いったいどこの店にどんな風に入ったのか教えろ」
「教えろって言われても・・・僕はついていっただけだし」

連行されただけだし、と付け加える。

「大体、僕の意見なんか聞いてないしさ。もともとあてになんかされてないし」
「だったら行かなくてもいいじゃないか」
「そう思うだろう?でもそうじゃないんだなこれが」

左手を広げて掲げる。

「用があるのはなんと、僕のこの左手だったのさ」

ああ、なるほどそうか――と超銀ジョーが大きく頷く。
ナインはこの話には興味がないようで、ちらちらと女性陣のほうを見ている。なんだか楽しそうな003たち。特にスリーは頬を紅潮させて、何か――教わるみたいにメモなど構えている。その一生懸命な姿がナインの頬を緩ませた。

「こら。何をにやにやしてる」
「うん?――ああ、まぁいいじゃないか」
「ふん。大方、スリーに見惚れてでもいたんだろうよ」
「いけないかい?」
「いけなくはないさ。誰だって自分のフランソワーズには見惚れてしまう」

そうして超銀ジョーも自分のフランソワーズを目で探す。が、彼女はなぜかお腹を抱えて悶絶していたので、いったい何事なのだろうと眉をひそめた。

「で、話が逸れたけど、つまり結論はこうだ。指輪を買うというのは彼女たちの自己満足であって、僕らの意見など容れるつもりは最初からない、と。だから、行くときはそれ相応の覚悟が必要だ」

唯一、お揃いの指輪を所持している新ゼロジョーが先輩ぶって宣言した。

「まぁ、そのあとは・・・どうして買ったのにつけないのとか、色々面倒な問題も持ち上がるし」
「買ったのにつけないんじゃ、それは不審に思われても仕方ないんじゃないのか。だいたい、お揃いでつけることに意味があるんだろうし」
「まぁ、問題はそこなんだけどね・・・」

新ゼロジョーは微かに笑うと肩を落とした。
そう。問題はそこなのである。
何の因果か自分から買いに行くと言ってしまった手前、お揃いを身につけないわけにはいかず、それについて悶着もあったのだ。

「お前、今はしてないよな」

新ゼロジョーの左手を見て、そして右手を見る。どちらのどの指にもリングは嵌っていなかった。

「大丈夫なのか?」
「・・・ああ。大丈夫なんだよ」

疲れた声で言って、そうして新ゼロジョーは襟元に指を入れて細いチェーンを引き出した。

「げっ。なんだお前。男がネックレスかよ、きもちわりー」

拒絶反応を示したのはナイン。超銀ジョーは自分もアクセサリーをつけないわけではないので無言だった。

「ただのネックレスじゃないんだよ。――ほら。ここにこうして指輪が」

ペンダントヘッドのようにチェーンにぶらさがっている指輪。

「――首輪みたいだな、ソレ」

嫌そうな顔でナインが指摘する。

「首輪なんだよ実際」

新ゼロジョーは力なく答えた。
確かに、日本男児として指輪を通したネックレスを常時しているなど恥ずかしいことこの上ない。いくら服の下だから見えないとはいえ、自分自身が落ち着かない。
だがしかし。
それを「していないことによる弊害」のほうがまた大きいのも確かであった。ジョーとしてはそちらのほうができれば避けたい災害でもある。

「――してないと泣くんだよ」
「泣くのか」
「ああ」
「それは――」

やっかいだし、大変だよなとナインと超銀ジョーは頷いた。

「しかも」

新ゼロジョーは続ける。

「泣くだけじゃないんだよ。・・・怒るんだ」
「怒る・・・」

それも大変なのは知っているふたりのジョー。

「そして――いずれ嵐になる」
「嵐・・・」

ちょっとそれを想像して、思わず身震いしたナインと超銀ジョーだった。

「で?ふたりはどうするんだい?」

当初の問題に戻る新ゼロジョー。

「僕はまだいいかな。――時期を見て・・・」

ナインが言う。彼は、ひとりでジュエリーショップに入っても全く平気という稀有な009であった。

「僕は――」

実は一番切羽詰っているのが超銀ジョーだった。
なにしろ、何度も「お揃いの指輪を持つ」ことを匂わせておきながら、果たせていないのだから。
その気がないわけじゃないし、たかが指輪だろうとも思う。でも、だからこそ簡単にあっさり揃えたくはなかった。特に相手がフランソワーズであれば。

「・・・やっぱり」

ファッションリングを買うのは無理そうだなぁと結論づけた。
自分が買うときは、たぶん――

 


 

7月29日

注:「ガールズトーク」です。若干、御注意ください。

 

「えっ?いったことないの?」

二人のフランソワーズにじっと見つめられ、スリーは小さく首を傾げた。

「ないけど・・・それってそんなに重要なこと?」

その答えにふたりのフランソワーズは、ああ・・・と天を仰いだ。

「――まぁ、仕方ないといえば仕方ないかもしれないけど」
「そうね。初心者マークだし」
「でも、それにしても・・・そんなに初心者でもないでしょう?特に彼のほうは」
「そうよねぇ。同じ009なんだし」
「あら、009っていうのは関係ないんじゃない?別にそういう能力が足されているわけじゃないんだから」
「ん・・・まぁ、そうよねぇ。あれが009として足された能力だとしたらちょっと複雑だわ」
「でしょう?複雑どころか、悲しくなっちゃうわ」

そうしてふたりのフランソワーズはじいっと互いの009を見つめた。が、未だ密談中の009たちはこちらには気付いていない。いったい何を話しているのだろうか。

「――まぁ、それはたぶんないとしましょう」
「そうね。じゃないと、・・・訊きづらいけど博士に訊くしかなくなっちゃうわけだし」
「ね?それは避けたいわよね」

うんうんと頷きあう二人に、置いてけぼりにされていたスリーがおずおずと口を挟んだ。

「あの・・・いったい何の話?」

曖昧な笑みを浮かべている。が、全く話についていけてなかったスリー。
そんな様子に二人のフランソワーズも曖昧に笑った。

「だって、いったことないんでしょう?」
「・・・どこに?」

無邪気な問いに、ほらねと二人のフランソワーズが頷きあった。
そうして少し声を潜めて

「あのね。どこにいくとかって話じゃないのよ」
「そうそう。場合によっては何度もいくんだから」
「!ヤダ、ちょっともう」
「あら、だってそうでしょう?」
「そうだけど・・・でもそんなあからさまに」
「だって大事なことじゃない。お互いに」
「まぁ、そうだけど・・・」

頬を染めてイヤイヤする新ゼロフランソワーズと平気な顔の超銀フランソワーズ。
そんなふたりを不思議そうに見つめ、スリーは首を傾げるばかりだった。

「あの・・・いくのってジョーと一緒なの?」

いったいどこにいく話なのだろう、みんな何度もいくのが普通なら自分たちもそれを目指したいと思うスリーである。そう、きっとそれは――009と003としても必要なことなのかもしれないのだから。
しかし。
麦茶に口をつけていた新ゼロフランソワーズはその問いに麦茶にむせた。咳き込んで声が出ない。
その背を叩いて、超銀フランソワーズがすまして答えた。

「そうね。ジョーと一緒にいくのが理想ね」
「理想?じゃあ、滅多に一緒にはいかないってこと?」
「うーん・・・そのへんは難しいわ。そうねぇ・・・どっちかがちょっとの差で先って感じかしら」
「ひとりではいけないところなの?」
「そうね。ジョーに連れていってもらうといいわ」
「そのほうがいいの?」
「絶対、そのほうがいいわ。ひとりでなんて駄目よ!」

復活した新ゼロフランソワーズが宣言する。

「絶対、絶対、駄目よ。いい?必ずジョーに全てを任せるのよ」
「・・・全てを?」
「そう」
「あの、・・・何か必要なものはあるのかしら。持っていくものとか」

真面目な顔でメモ帳を手にしたスリーに、とうとうたまらず超銀フランソワーズが噴出した。声にならない。
一方の新ゼロフランソワーズも肩を震わせている。

「ねぇ、なあに?私何かおかしなこと言ったかしら?」

超銀フランソワーズがお腹を押さえて、

「そうね、おかしなことじゃないわ。でも・・・だったらあなたのジョーに訊いてみるのが一番だと思うわ」

009たちのほうを指差した。

「そうそう、彼氏に聞いてみることね」
「・・・ふうん?」

スリーは思い悩むように眉間に皺を寄せ、それでも、これは何か重要な機密事項なのかもしれないと背を正した。何しろ、新ゼロのふたりも超銀のふたりも知っているようなのだ。自分たちだけが知らないなんて絶対にいけない。同じ昭和世代の「サイボーグ009」として。
だから、意を決したように立ち上がると009たちのほうに近付いた。そしてそっとナインの肩をつついた。

「ねぇ。ジョー?」
「うん?やあ、どうしたんだい?」

真剣な表情のスリーに少し緊張するナイン。何かあったのではと向こうにいる二人の003に目を遣る。
が、笑い死んでる二人しか目に入らず、首を傾げた。

「あのね」
「うん」

メモ帳とペンを握り締め、真剣そのもののスリー。

「私がまだいったことがない、って話をしたの」
「・・・は?」
「そうしたらね、あなたのジョーに連れていってもらいなさい、って」

その途端、傍らで二人の遣り取りを聞くともなく聞いてしまった新ゼロジョーと超銀ジョーが噴出した。

「できれば二人一緒が理想なんですって。でね、私ひとりでもいけるかしら、って訊いたら絶対ひとりじゃ駄目よ、って。ジョーに連れていってもらわなくちゃ、って。しかも何回もいくこともある、って――あら?ジョー?」

話の途中から頭を抱えて下を向いてしまったナイン。それを見て大爆笑するふたりの009。

「ジョー?どうしたの?気分が悪いの?」

お水をもらってくるわ、と身を翻そうとしたスリーの腕をすんでのところで掴み、ナインはスリーを引き寄せた。

「――いい。平気だ。それより」
「なあに?」
「そういう話は・・・」
「?」
「――いや。なんでもない。・・・わかった。今度、連れていくから」
「本当?」
「ああ。・・・が、がんばる・・・よ」

がんばる、と言った途端、男性陣の笑い声が大きくなった。
耳まで朱に染めたナインを見つめ、スリーは約束ねと明るく笑った。

「あ、でも・・・どこにいくのか訊いてないわ。あなたはわかるの?」

ナインはがっくりと頭を垂れた。

「ああ。・・・わかるから。心配しなくていいよ」
「じゃあ、ジョーはいったことがあるのね!」

ナインは深い深いため息をついた。

「それについては・・・今度、教えるから」

今は勘弁してクダサイ・・・。

 


 

7月28日

 

「女ってどうしてお揃いってやつが好きなんだろうなぁ」

ナインが大きく伸びをした。

「全く、理解に苦しむよ」

昨年はお揃いのピンクの水着だった。そして今年はピンクのシャツ。いったい来年はどうなるのだろうか。

「でも、そういうのを気にするのってちょっと可愛いと思うけどね」

新ゼロジョーが頬を緩める。

「もちろん、フランソワーズに限ってだけど」
「――仲良しカップルの証拠とか何とかって言ってたな」

超銀ジョーが超銀フランソワーズから仕入れたばかりの情報を披露する。

「自慢したいんだそうだ」
「自慢・・・」
「自慢、ねぇ」

ナインと新ゼロジョーが同時に言って互いを見た。

「自慢?お前を?」
「それはこっちのセリフだ」
「おいおい、自慢って別に彼氏自慢じゃないよ。仲良し度を自慢したいって話だ」

剣呑な雰囲気に超銀ジョーが割って入り、誤った方向からの修正をはかる。

「仲良し度を自慢・・・そんなの競ってどうするんだ」
「僕に訊いたって知らないよ。お前は知ってそうだな」

二人に見られ、超銀ジョーは胸を張った。

「もちろん、知ってるさ。つまり、自分たちはこんなに仲良しなのよとアピールして公然の仲にしてしまうんだな。そうして初めて安心できる。そういう生物が女性だ」
「――ホントかよ」
「なるほど」

しかし。

「――だったら、最強のお揃いってやつはやっぱりアレじゃないのか。一番欲しがるヤツ」
「ああ・・・アレか」
「うん?アレって・・・ああ。指輪か」

お揃いの指輪。

「まったく、いくつ持てば満足するのか知らないけど」

新ゼロジョーの言葉に超銀ジョーとナインが固まった。

「いくつ、って・・・お前、まさか」
「持ってるさ。もちろん。いくつ持ってるのかは知らないけど」
「知らないって、憶えとけよ」
「だってフランソワーズが管理してるんだ。僕が持っているとなくすから、って。まったく信用ないんだよなぁ」
「・・・何で今日してないんだ」
「なくすから」
「いくつもあるんだったら構わないだろう?」
「それがそうでもないんだよ」

泣くんだよと小さく言うと、ああ・・・とナインと超銀ジョーも頷いた。

「それはわかる」
「泣かれるのはちょっとなぁ」
「だろう?」

なぜかひそひそ声での会話になった。

 

***

 

先刻まで剣呑な雰囲気だった三人の009が、なぜか今は額を寄せ合って秘密の話を展開している様子を三人の003は満足そうに見守っていた。

「ほらね。やっぱり仲良しなんだわ」
「素直じゃないのよねぇ」
「でもそこが009なんじゃないのかしら」

うんうんと頷きあう。そうして揃って麦茶のグラスを傾けた。

「――そういえば」

新ゼロフランソワーズが思い出したようにスリーを見た。

「今度、揃って温泉に行くときは部屋を男女に分けなくても良くなったみたいじゃない?」
「えっ?」

超銀フランソワーズが目をみはる。

「そうなの?」

二組の蒼い瞳に見据えられ、スリーはもじもじと手元を見つめた。

「え・・・ええと」

助けを求めるようにそうっとナインの方を見る。
が、009たちは009たちで密談中であった。

 


 

7月26日

 

開け放した窓から潮風が流れ込む。
室内の湿度は増していた。しかも気温も上がっているから、暑いことこの上ない。
しかし。
いま、リビングの男性陣は誰も「エアコンをつけよう」と言い出せずにいた。
ただソファに座り、じっと暑さに耐えている。
それもこれも、フランソワーズたちに「エコの一環よ」とさらりと言われたからだった。
彼女――003――にそう言われては、たとえ間違っていたとしても否と言い出せないのが彼ら――009――であった。時に009は思う。もしかしたら、僕たちはそうプログラミングされているのではなかろうか、と。
もちろんそんな事実は無い。あるとすれば、むしろ「積極的に」彼女に従ってしまう機能を搭載しているというところか。
ともかく、彼ら――009たち――は、暑い室内でじっと押し黙ったままだった。

一方、彼女ら――003たち――は元気いっぱいだった。
暑い室内といっても自らエコと主張した言葉に嘘はない。彼女たちはいずれも非常に薄着であった。
キャミソールタイプのワンピースを一枚着たっきりで羽織りものは脱いでいる。これも009たちがじっと暑さに耐えている一因であった。彼ら曰く、エコならもっと布地もエコにすればいいのに。しかしそれは言葉にされることはなく、慎ましく互いの目線で意見の一致を確認するに留まった。

「で、何がお揃いなの?」
「うふふ、当ててみて」
「うーん。あ、わかったわ!スリーたちはわかりやすいわねぇ」

実は今日、「お揃いものを身につけて自慢しちゃおう大会」が開催されていたのだった。
もちろん、009たちはそれとは知らされておらず、新ゼロのギルモア邸に集ったあとで知ったことだった。
仏頂面なのはナイン。にやにや笑いを浮かべているのが超銀ジョー。涼しい顔をしているのが新ゼロジョーである。が、一様に無言であった。

そんな彼らに三組の003の視線が集まる。
そのターゲットはナインであった。

「――何?」

恐ろしく低い声で言われる。が、誰もびびらないのはさすが003といったところか。
スリーに至ってはくすくす笑っているばかり。

「――ねっ!?」
「ほんとう。わかりやすいわねぇ」
「でしょう?」

お互いにくすくす笑い合う。ナインはそれを見ていっそう不機嫌になった。

「だから何?」

しかしそれにも答えない三人。

「でも良く着てくれたわよねぇ。だってピンクでしょう」
「そうなの、最初は嫌がっていたのよ。でもね・・・」

急に小さくなる声。
超銀フランソワーズと新ゼロフランソワーズが顔を寄せる。
そして。

「いやーん、そうなのっ?」
「嘘よ、想像できないっ」

「・・・・」

ナインはひとり無言だった。大体何を聞いたのか想像できるだけに何も言いたくなかった。だから、心のなかで拳を握ることだけで我慢した。

「でもね、似合うでしょう?」

スリーが嬉しそうに言うから。

「お揃いなのは嬉しいの」

・・・嬉しい、のか。な?――僕、も・・・?

 

***

 

「じゃあ、次は私たちね。いったい何がお揃いでしょう?」

新ゼロフランソワーズが質問した。
超銀フランソワーズとスリーが新ゼロジョーをじっと見つめる。なぜか超銀ジョーとナインも彼を見つめている。
しかし、それらの視線を受けても顔色ひとつ変えない新ゼロジョーであった。涼しい顔はそのままである。

「・・・うーん・・・シャツは違う色だし・・・」
「スリーみたいにカチューシャとお揃いってわけでもないわよね」
「腕時計。は、してないし」
「身につけているもの、でしょう?」

もしかしてずるしたんじゃない?という無言の疑惑に新ゼロフランソワーズはにっこり笑んだ。

「じゃあ、降参ね?」

そうしてスタスタと新ゼロジョーのもとへ行く。

「私たちは見えないところがお揃いなの!ねっ?ジョー」
「ああ」
「仲良しなら当然よね?」
「・・・たぶん」
「もう!たぶん、じゃないでしょう」
「いやだって、今日は別に勝負の日じゃなかったのに」

朝、何故か「お揃いを穿いて」と身ぐるみ剥がされ着替えさせられたのだ。以降、全く腑に落ちなかったのだがここにきてやっと理解できたというわけだった。

「いいの、お揃い勝負なんだから」
「ふうん・・・じゃあ、見せる?」
「えっ?」

「えっ!?」

ジョーが立ち上がりジーンズのボタンに手をかける。

「ちょっと待ってジョー。そうしたら私も見せなくちゃいけないじゃない」
「――ん?ああ・・・そうか。それは駄目だな」
「でしょう?だから、ちらっとだけでいいのよ」
「なんだやっぱり見せるんじゃないか」
「脱がなくていいの、ちらっとだけ」

そうしてちらりと下着の上端が見せられた。

「ね?お揃いのぱんつでしょう?」

満面の笑みの新ゼロフランソワーズ。大きく頷くスリーと超銀フランソワーズ。
しかし男性陣2名はちょっとだけ不満だった。

野郎のぱんつ見たってしょうがないじゃないか。しかも僕たちは「お揃い」の片方を未確認のままだぞ・・・

しかし、そんな考えが透けて見えたのか、新ゼロジョーが二人にガンを飛ばしたので、危うくケンカになるところだった。

 

***

 

「じゃあ最後は私ね」

超銀フランソワーズが姿勢を正す。

「いったい何がお揃いでしょう?」

スリーと新ゼロフランソワーズが超銀のふたりを交互に見る。

「・・・見た目はお揃いじゃないわよね」
「あなたたちも下着関係?」
「ブー。違います」
「じゃあ、いったい・・・」

その時、超銀ジョーがシャツの衿を引っ張って鎖骨の上あたりをちらりと見せた。

「!!あ!」

ふたりのフランソワーズが視線を超銀フランソワーズに戻す。と、同じところに「お揃い」が見つかった。

真っ赤になるスリー。同じく赤くなる新ゼロフランソワーズ。

「うふふ、私たちの勝ちね」

そうして超銀フランソワーズは悠然と超銀ジョーの腕のなかにおさまった。

 

 


 

7月25日

 

「それにしても、あっついなぁ!」

ジョーが天を仰ぐと隣のジェットが鼻を鳴らした。

「だったらもうしばらく遊んでくりゃ良かったんじゃないのか」

先日までジョーとフランソワーズのふたりは海へ遊びに行っていたのだった。ふたりっきりで。それがどんなに楽しかったのか、まる一日かけてフランソワーズに聞かされ続けたジェットとしては「一生そこにいろ」という気分であった。

「うーん。まぁ、そうもいかないし」

ジョーが鷹揚に笑う。
その横顔を見て、ジェットは小さく舌打ちした。

「お前、俺らの被害の程度を知らないだろ」
「被害?――ああ、フランソワーズがいない間、大変だったろ」
「そっちじゃねーよ。逆だ、逆」
「逆?」
「ああ。いない間は、そりゃまあ楽ではないがみんななんとかやってるもんさ。むしろ栄養がどうのこうのとガミガミ言うのがいなくてせいせいしてたしな」
「ふうん」

だったら被害っていったいなんだろうか――と、ジョーが首を傾げると、苦々しげなジェットの声がした。

「一枚一枚写真を見せられて、これがどうだったああだったと聞かされる身になってみろ」
「写真?」

ジョーの眉間に皺が寄る。写真なんて撮った憶えは無い。

「景色の写真だけならまだいいさ。ほとんどは――お前、だっ」

言葉とともに水のホースを向けられ、ジョーは飛びのいた。
ジェットとジョーのふたりは庭にでて水撒きをしている最中であった。

「うわ、なにするんだよ」

お返しにとジョーもジェットに水を向ける。

「だからさ」

ジェットはフンと顔を背けると、再び水撒きを再開した。

「お前の寝顔やらなにやら見せられてもどうコメントすりゃいいんだ」
「寝顔っ!?なんだそれっ」
「うっとりされながら、これがジョーの寝顔なの、だの、この手が好きなのだの、延々と語られてみろ。普通の野郎ならちょっとした殺意を覚えてもおかしくないぞ」
「・・・ヤキモチ?」
「ばか、違うよ。逆だ」
「・・・フランソワーズに――殺意?」
「ああ、ま、冗談だけどな――って、冗談だってば、おいっ」

ただならぬ眼光で睨みつけられ、ジェットはあわててホースをジョーに向けた。

「だから、そのくらい大変だった、ってことさ。わかれよそのくらい」
「・・・フランソワーズにそんな事言うな」
「ハイハイ、わかった、って。ったくめんどくせーなぁ」

額の汗を拭うと、ジェットはホースを肩に担いだ。

「俺は裏のほうへ行ってくるから、ここは頼む」
「うん、わかった」

 

****

 

「ちょっとジョー、なにやってるの!」

フランソワーズの声とともに頭から水を浴びせられた。ジョーの視界が水のカーテンで遮られる。

「ジョー!聞こえてる?」
「・・・ふ」

フランソワーズ、と答えようとしたまま、ジョーはゆっくりと前傾した。

「ちょっとジョー!」

水のホースを投げ出すとフランソワーズはジョーを受け止めた。

「重いい・・・ジョー、自分で立って・・・って無理なのね。んもう」

そのまま彼の体を抱きかかえ、日陰までひきずってゆく。
地面に静かに寝かせたあと、再び彼の体の上に放水した。

「もうっ。炎天下にぼーっと立ってるなんてバッカじゃないの!」

 

***

 

ジェットが水撒きから戻って小一時間。
ジョーの姿が見えないので捜してみたら、ホースを握り締めたまま炎天下でぼーっとしているのが目に入った。
頭から湯気がでているのか、蜃気楼が見えたから慌てた。
ジョーの体は普通ではない。体内に原子炉があるのだ。冬は重宝するが、夏は注意が必要だった。
簡単に加熱してしまうから、冷却装置のメンテナンスは日々必要であり、それはジョー自身もよくわかっていることであった・・・が。

「サイボーグだってね、日射病とか熱中症にはなるのよ」

ジョーの頭と両腋の下に氷をあてて冷やしながら、フランソワーズは続けた。

「博士にちゃんと聞いたでしょう?――レースの時は気をつけてるくせに、どうして普段は駄目なのかしら」

レースの時は十分に体を冷やすし水分の補給もしているし、なにしろ、炎天下でぼーっとしたりはしないように気をつけているのだ。

「いったい何を考えていたの?」

ジョーをうちわで扇ぎながら問う。

「なにって・・・」

何だったろうか。

「ところで、ここは・・・」
「庭に決まってるでしょ。重くて運べないもの」

頼みのジェロニモは外出中であった。

ジョーはまだ地面に寝かされていた。全身ずぶ濡れで、頭の下には氷枕、額と両腋の下は氷で冷やされていた。本当は両鼠径部も冷やそうとしたフランソワーズだったが、ジーンズに手をかけたところでジョーの抵抗に遭いあえなく断念したのだった。

「重くて運べない・・・」
「なあに?何か言いたそうね」
「イヤ、何も言ってません」

そうしてジョーは目を閉じた。
あとでフランソワーズに写真ってどんな写真なのかを聞こうと心に決めながら。

 


 

7月16日

 

確かに誰もいなかった。
それだけは確実だった。

ここは某海にある三日月珊瑚礁。
遠い昔に何かの基地だったらしい建造物があるが使われなくなって久しい。外壁も内壁も珊瑚が群生していた。――否、もしかしたらわざと群生させているのかもしれない。そんな感じの場所だった。

ともかく、ふたりっきりだった。

当初はエックスポイントの廃船付近に行く予定だったけれど、途中でこの場所を見つけたので急遽予定を変更した。というのは、ここの海が凄く綺麗だったのもあるけれど、やはり見知った場所だと誰かに会う可能性が非常に高い。あるいは、仲間の誰かがわざとやってくる可能性も捨てきれない。ただ若いふたりをからかうだけという理由で。それだけならまだしも、博士とイワンがやってきたら、それは純粋に休暇であるから歓迎しないわけにはいかない。
そんなわけで、ジョーとフランソワーズのふたりは謎の島――といっていいのかどうかわからなかったが――に来ていた。珊瑚礁が群生しているというだけで建物自体は生きていたから、ちょっと休憩したりするにはちょうど良かった。

エメラルドグリーンの海。
あくまでも白い砂浜。
遠くに霞む水平線。

これは誰がどうみても休暇だよなあとジョーは目を細めた。
ビーチパラソルを砂浜に立てる。周りには誰もいない。まるでプライベートビーチであった。
いい場所を見つけたなとにんまりした時、着替えたフランソワーズがやって来た。

「じゃーん!どう?」
「どうって何が?」

ジョーの前でポーズをつけるフランソワーズ。それをきょとんと見るだけのジョー。
オトメゴコロに疎いジョーにフランソワーズの水着が新調されたものだとわかるはずもない。が、もしかしたら気付いてくれるかもという期待を捨て切れなかったフランソワーズであった。
だから、ジョーの反応にやっぱりと諦めつつも頑張った。

「もう!新しい水着よ?」
「へえー・・・そうなんだ」
「どう?」
「どう、って何が?」

二度目である。

「だから、新しい水着なのよ?」
「うん。わかったよ。――ええと」

フランソワーズの誘導に、そろそろなんとなく期待されている答えがあるということに気付き始めたジョーは適切な答えを模索する。

「その。――綺麗だね」
「水着が?」
「えっ」
「それとも私が?」
「ええと」
「それとも、新しい水着を着た私?」

矢継ぎ早に難問を繰り出され、ジョーは混乱した。
彼にとって「綺麗だね」のひとことだってやっと絞り出したのに、これ以上を期待されても困る。大体、「綺麗」の更に最上級なんてあるのだろうか。いや、今はそれが問題なのではなく何が綺麗なのかというそれだった。

「ええと・・・ふら」
「まあ!私?」
「う、うん・・・」
「水着は関係ないの?こんなに可愛くてお気に入りなのに?」

繰り返すが、ジョーにオトメゴコロはわからない。
ちなみに正解は、可愛い水着を着た君はいつもよりずっと綺麗だよ。である。が、ジョーにそんな歯の浮くようなセリフを期待するほうが無理であった。もちろんフランソワーズはそんなことは先刻承知である。が、綺麗な海に二人っきりという状況がフランソワーズを日常から切り離していた。簡単に言うと浮かれているのである。だから、少女漫画のようなセリフをジョーに言ってもらいたくてうずうずしていた。
しかし、何度も繰り返すが、ジョーにオトメゴコロはわからない。

「水着・・・うん。関係ないよ。僕はそのままのきみがいいんだから」
「何よ、それっ!」

フランソワーズの柳眉が逆立った。

「それしか言えないの?」

そう投げるように言うと、くるりと向きを変えて海へ走っていってしまった。
あとにはジョーがひとり残された。

「だってさ。そのままが一番綺麗なんだから、しょうがないじゃないか・・・」

 

***

 

それしか言えないの。

ジョーの耳に怒ったような呆れたような、それでいてどこか哀しい声がこだまする。深く息をついた。

「・・・いいじゃないか、別に」

それだけだって。

眼前には青い海と白い砂浜。
ジョーはビーチパラソルの下で膝を抱えていた。
海を見ているはずなのに、脳裏に浮かぶのはフランソワーズの姿だった。

「いいじゃないか、別に」

もう一度、溜め息とともに吐き出す。
自分に語彙がないことはわかっているし、適当な表現が見付かる筈もないと知っていた。当然、彼女も知っているはずである。
なのに。

それしか言えないの。

「・・・ああもうっ」

ジョーは髪をかきむしると立ち上がった。彼方でしぶきをあげているフランソワーズに向かって声をあげる。

「フランソワーズ!きみはそのままで綺麗だよ!」
「それしか言えないのー!?」

叫び合うように。

「だからっ・・・そのままのきみが好きなんだってば!」

 

一瞬、間。

 

「私も好きよーっ」

笑顔と共に答えられ、次の瞬間、ジョーはダッシュしていた。

新しい水着がどうなのかなんてジョーにとってはどうでもいいのだ。いくらフランソワーズにそれしか言えないの。と言われようが、そのままの彼女が好きなのだから。

 


 

7月15日

 

「――で?フランソワーズはどこに行きたいんだい?」

シャツの衿を直しながらジョーが訊く。
フランソワーズは乱れた髪を直しながら、そうねえとちょっと首を傾げた。

「プールはずっと前に行ったし。山も行ったわよね」
「ああ、・・・邪魔な奴がいたけどな」
「もう、ジョーったら。どうして同じ009同士って仲が悪いのかしら」
「知らん。あいつらに聞け」

山には超銀のふたりと行ったのだった。が、終始、ふたりのジョーは仲が悪かった。
フランソワーズ同士はみんな仲良しなのに何がいけないのかしらとフランソワーズは常々思うところだった。

「海・・・は、去年行ったし」
「――騙されて、な」

昨年は海へ行った。が、穴場という話だったのになぜか全ての009と003が集合していたのだった。そして諸々の事件が起きて――ついにはドルフィン号で新ゼロチームも揃ったから、一種のミッションのようだったと言えないこともない。

「んー・・・でも、あれは何だかミッションっぽかったから、休暇っていう感じがしなかったわ。ね。だからまた海でもいいんじゃない?」
「・・・海、ねぇ」
「そうよ、ふたりっきりで」
「・・・ふたりっきり」
「ええ」

それはいいかもしれない。
ジョーは俄然「夏の予定」を前向きに検討する気になった。

「――どこにしようか」
「ふたりっきりなら、どこでもいいわ」

オトメなフランソワーズの言葉にジョーの頬が緩む。
まったく女の子っていうのは時にどうしてこんなに可愛いことを言うのだろう?

「でも厳密にふたりっきりって言ったら無人島に行くくらいしか」
「あら、だったらいいトコロがあるじゃない」
「・・・ドコ?」

フランソワーズの輝く瞳に何か嫌な予感がした。ジョーの背筋をひんやりとしたものが通る。知らず背を正し、ジョーはおそるおそる尋ねた。

「ほら!まだあるはずよ。廃船のある――」

――やはりソコか。
忘れるはずもない、太平洋エックスポイント。
そこから離れてギルモア邸に戻ってから何年経っただろうか?数える気にもならない。
ネオブラックゴーストとの闘いの拠点だった場所。あまり良い思い出は無い。無いというより、悪い思い出しかないといったほうがいいかもしれない。
そこに――行きたい?
本当に?

「フランソワーズ、本当にそこに行きたいのかい?」
「ええ。だってまだ宿泊施設も残ってるはずだし、簡易キッチンだってあるし通信設備だって――」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「あら、なにかしら。何か嫌なことでもあるの?」
「えっ」

ネオブラックゴーストとの戦いそのものが嫌な思い出ではないのだろうか。

「ふーん。そうねえ・・・例えば、世界平和会議を守ったり、とある国の王女を守ったりとかそういう思い出かしら?」
「えっ、そっ」

途端に咳き込むジョーにフランソワーズはやれやれと息をついた。彼の背中を撫でながら言う。

「もうっ。どうしてすぐそう動揺するのよ。だからこちらとしては何かやましいことでもあったんじゃないかしらって思ってしまうのよ。わかる?」
「やましいことなんて、何もないよっ」
「でしょうね。知ってるわ。全部話してくれたものね?」
「う、うん」
「――話せる部分は、ね?」

きらりと光る蒼い瞳。
ジョーは胸を押さえた。なんだか息苦しいというか胸が重い感じがする。

「ふ、フランソワーズ、僕は」

今日のフランソワーズはなんだか意地悪だ。

「なあに?」
「嫌な思い出っていうのは、つまりその」

フランソワーズを失うかもしれないと思ったこと。それだけだった。
ジョーにとって、それにまつわる思い出は全て「嫌な思い出」である。もちろん、その原因は自分にあったのだとしても。ともかく、フランソワーズに絶交されかけたり、冷たくされたりした過去は思い出したくない。
だから、そんな過去を否応なく思い出させてしまう場所に行くのは抵抗があった。

「ジョー。嫌な思い出のある場所を避けるのはよくないわ。ちゃんと目を開いて現実を見つめなければ」

どこかで聞いたようなセリフである。

「いいじゃない。今度は私と楽しい思い出をたくさん作ればいいんだから!」
「――違うだろう?思い出っていうのはずっと後になって思いだすことであって、それを作るために努力するというのはおかしいよ」
「あら、そう?」
「ああ。だって僕は」

フランソワーズと一緒にいることを「思い出」にするつもりはない。
一緒にいることは、ずっと継続していく――未来に続く現実なのだから。

 


 

7月12日

 

「夏の予定・・・」

ジョーは視線を虚空に漂わせた。その彼の視線を真正面からキャッチしたのはフランソワーズである。

「そうよ。夏の予定」
「あのさ。前々から疑問だったんだけど」
「なあに?」
「どうして夏になるとどこかへ出かけたくなるんだい?夏の予定、って言うけど、秋とか冬とか春にも予定があってもいいだろう?だけどそれはなくて、常に夏だ」
「・・・いけない?」
「いけなくはないけどさ。なんていうかこう・・・夏ばっかり贔屓されてるような気がしないかい?」
「贔屓?」
「ああ。日本には四季があるのに夏ばかりチョイスされているような気がして不公平だ」

フランソワーズは、いったいこのひとの屁理屈はどこから出てくるのだろうかと思った。目の前の彼は、いたって真面目に滑らかにするすると言葉を運ぶ。いつもは言って欲しいことすらつかえているような彼なのに。
それこそ不公平だわ、とフランソワーズはもう一度彼の頬を引っ張った。

「いいじゃない。暑いんだもの、どこか涼しい場所へ移動するというのはヨーロッパでは古代からあるシキタリよ」

負けじともっともらしい嘘を並べてみる。

「避暑は別にヨーロッパに限ったことじゃないだろ。アメリカだって昔から」

ジョーがのってきた。
フランソワーズはそういうつもりではなかったのにジョーが自分の屁理屈の展開よりこちらに興味を持ったことに光明を見出した。もしかしたら、これで――彼の言質をとってなんとか説き伏せることができるかもしれない。
家出や放浪は得意のくせに、いざ出かけるとなると出不精となってしまうジョー。彼を外に引っ張り出すのは至難の技だった。

「あら、じゃあ全世界的に広まっている習慣ってことよね?」
「そうだね」
「確か日本もそういうのがあったんじゃなかったかしら?ほら、軽井沢とか」
「うーん。別荘が多いよなぁ。金持ちは違うね」

話題が金持ちのほうへ流れそうだったので、フランソワーズは軌道を修正した。

「軽井沢って涼しいのよね」
「行ったことないから知らないよ。でもまあ、涼しいんじゃないかな」
「ここより涼しいわよね?」
「そうだね」
「夏に涼しい場所で過ごすっていうのは合理的だわ。エコにもなるし」
「なるのかなぁ」
「なるわよ。冷房がいらないんですもの」

ジョーは冷房を愛していたから、ちょっと顔をしかめた。

「でもそれだって昼間は暑いんじゃないかな」
「あら、そんなことないわよ。避暑というのは非常に合理的な夏の行事なんだわ」
「セレブだけの話だろ」
「それは間違いよ。ジョーだってさっき言ったじゃない。全世界に広まった習慣だ、って。だから、それに則って移動するのは理にかなったことなのよ。ううん、従わなくてはいけないことなのよ!」
「・・・」

あれ?

ジョーは今さらながら、話の流れが思わぬほうへ向かっていることに気がついた。しかし、もう遅い。

「ね?だから、夏の予定を立てなくちゃいけないのよ!」

爛々と輝く蒼い瞳。それは海の青でもあり空の青でもあった。
ジョーは勢い込むフランソワーズに自分の敗北を悟った。
一瞬目をつむる。
そうして、長く息を吐き出してから目を開けた。

「・・・わかったよ。夏の予定だね。どこに行きたい?」

そのセリフにフランソワーズは勝利の叫びを上げてジョーの首筋に抱きついたから、ジョーは再びソファに寝転がることになった。ジョーの体の上にフランソワーズがいる。見ようによってはまるでジョーが襲われているかのようだ。

「――何やってんだ?」

ここはリビングであった。当然の如く、他の住人もやってくる。
今日のイケニエはやはりというか当然というか――ピュンマであった。
二人を見下ろし、嫌そうに顔をしかめてみせる。

「そういうコトは自分たちの部屋でやってくれ」

まったく場所をわきまえないのはいかがなものだろうかとピュンマはブツブツ言いながら背を向けた。
その背に

「別に何にもしてないわ!」

フランソワーズの声がぶつかった。
しかし。

「そうだよ、まだ何もしてないよ!」

続くジョーの声に

「いやん、ジョーったら!」

リビングに響き渡るビンタの音。

ああ、まったく賑やかだよなあ――と思いながらピュンマはリビングを後にした。
こういう賑やかさは平和の証拠で、良い事なのだ。うん。
いったい自分が何をしにリビングに行ったのか思い出したのは、部屋に戻った時だった。
置き忘れたままだった本。今日はそれの続きを読むはずだったのだけど、再びあの場所に行く気はおきなかった。

 


 

7月10日

 

「ねぇ、ジョー。今年の夏はどうする?」
「どうするって何が?」

テレビ画面から目を離さず、ジョーは鸚鵡返しに答えた。

「もう。だから、夏の予定よ」
「予定・・・」

ジョーはどうでもいいよとばかりに大きく欠伸をした。テレビ画面には今夜行われるワールドカップサッカー決勝戦の特集が映っていた。どちらが勝つか芸能人たちがあれこれ予想を立てている。
ジョーはギルモア邸のリビングに陣取って――ソファに寝転がって片肘ついてテレビを見ていた。
フランソワーズはそんなジョーがつまらない。まるでサッカーに彼を取られてしまったような気分だった。
最初は「一緒に見たいの」と言って盛り上がったものの、早々にフランスが敗退し、だったらと応援していた日本チームも敗退し、すっかり興味を失ってしまった。ジョーは、同じヨーロッパ勢を応援したらと言ったが、試合が真夜中となるとそうそう観ているわけにもいかない。
そんなわけで、フランソワーズは早くに日常生活時間に復帰していた。ジョーはというと――微妙である。試合のある日は早くに就寝して真夜中に起きて中継を見ており、そのまま一日起きているといった具合。かと思うと、試合のない日は遅くまで起きて未明に寝るというなんとも不規則な生活だった。従って今日も、あと少ししたらちょっと眠って――また真夜中に起きるのだろう。既に眠そうなのは不規則な日々の賜物だった。

フランソワーズはジョーの寝そべっているソファに移動し、彼の腹によりかかるように座った。

「フランソワーズ、重いよ。・・・もしかして太った?」

人類史上、男性が女性にこのような暴言を吐いたらどうなるか。悲しいことにジョーにこういう学習機能はついていなかった。
フランソワーズはちょっと顔をしかめると、今度は渾身の力をこめて彼の腹によりかかった。押し潰そうという明確な意思が感じられるちからだった。

「ちょ、ふらっ・・・」

ジョーが体を九の字に折って悶絶した。
そのままソファを数回タップする。

「ギブ、ギブ」
「――あら、つまらないこと」

フランソワーズはそのまま彼をクッション代わりにすることに決めたが、若干ちからを抜いて彼を圧死から救った。

「ひとの話を聞いてないからでしょう」
「話?」

なんだっけ、それ――と言おうとしてジョーは口を閉じた。

「あなたったら、サッカーが終わらない限り何も手につかないの?」
「え。そんなことないよ」
「そうかしら?」
「そうさ。僕はいつだって全世界の平和について真剣に考えているよ」

嘘くさい声で言うジョーにフランソワーズは横目をくれるとテレビを消した。

「あっ!!」
「いいじゃない、本番は夜中なんでしょう」
「そうだけどさ、予想が」
「そんなの本番の試合を観ればじゅうぶんじゃない」

フランソワーズに一刀両断され、ジョーは膨れた。唇を尖らせる。
フランソワーズはそんなジョーの唇を指先でつまんだ。

「そんな口しないの。これから大事な話し合いをしなくちゃならないんだから。ほら、ちゃんと起きて」
「・・・大事な話し合い?」

それってなんだっけ――とうっかり言ってしまった彼に、フランソワーズはまったくもうと彼の頬を両手でつかんでひっぱった。

「夏の予定の相談に決まってるでしょ!」

梅雨明けはもうすぐであった。