子供部屋
(新ゼロなふたりの日常です)

 

8月21日 怪談B

 

「僕は別に幽霊が怖いわけじゃないよ」

夕御飯の席で、ジョーがきっぱりと言った。

「だってさ。幽霊って見たひとに縁もゆかりもあるひとが殆んどだろ?悪いことをしていなければ、むしろ会えるのは嬉しいと思うし」
「なるほど。でも、ひとつめ小僧は怖いんだな」
「あれはっ・・・!」
「オノレの姿を化け物と間違うなんて器用なヤツ」
「さすが繊細な日本人だな」

口々に言われ、ジョーはくさった。
黙々とオムライスを口に運ぶ。

「ジョーはお化けが怖いのよね?科学で解明できないから」

それまで黙っていたフランソワーズが口を開いた。

「都市伝説とか。そっちのほうよね?」

今までさんざん怖い話を披露した結果、導きだされた結論だった。

「はあん。なるほど。だったら冬は気を付けるんだな」
「冬?」

ジョーはきょとんとジェットを見つめた。

「いまは夏だよ?」
「知らねえのか?駄目だなあ」
「冬にどんなに寒くても、道行くひとから毛皮のコートを受け取ってはいけない」

ピュンマが真面目な顔で語り始めた。
ジョーは思わず姿勢を正した。

「寒いから、つい着てしまうかもしれない。でも着てしまったら」
「しまったら?」
「お前は猫になってしまう」
「猫ぉ?」

ジョーは笑いだしそうになったのだが、真剣なピュンマに黙った。

「そう、猫だ。そして二度と人間には戻れない。同じ時代にも、な」
「えっ・・・それって・・・」
「猫になった瞬間に数十年後になっちまうらしい」
「数十年後・・・」

黙り込んだジョーを見て、フランソワーズが眉間に少し皺を寄せた。

「もう、ただのお話でしょう、もうやめましょうよ。だいたい誰に聞いた話なんだか」
「うん?」

ピュンマはにやりとして、

「元猫だったヤツから聞いた」

ジョーの顔が白くなる。

「なーんて、ね」

 

***

 

ジョーはその話を信じたのかどうか。

とりあえず、猫のそばに行くのはやめようと心に決めた。

 


 

8月18日 怪談A

 

「・・・その時、背後から誰かのつめたーい手が」
「うわあああっ」

ジョーが両耳を押さえ頭を振る。

「わああああっ、聞こえない聞こえない」

フランソワーズは溜め息をつくと、ソファによりかかった。

「もう・・・ちゃんと聞いてくれなくちゃトレーニングにならないじゃない」
「こっ、こんな怖い話をしてくれと言った憶えはないっ」
「そんなに怖いかしら?」
「怖いよ!!そんな話を聞いたら、風呂に入れなくなるだろ!」
「あら、どうして?」
「頭を洗っているとき、誰か後ろにいるかもしれないじゃないかっ」

ジョーは身震いするとおそるおそる自分の後ろを見た。もちろん、何もない。
そんなジョーの様子にフランソワーズはもう一度溜め息をついた。

「・・・大丈夫よ。私が見てるもの」

お風呂は一緒に入ることになっている。

「・・・脅かさない?」
「ええ」
「面白いからってわざとやらない?」
「ええ」

ジョーは疑わしそうにフランソワーズを見た。
そんな彼にとりあわず、フランソワーズは胸を張るとすまして言った。

「私がちゃあんと見張ってるから、大丈夫よ!」

フランソワーズが見ているから、大丈夫。
フランソワーズが見ているなら、大丈夫。

何しろ敵を見つけることに関しては彼女が一番なのだ。しかも、ジョーとの連携も一番である。
だからジョーはほっと胸を撫で下ろした。

「――そうだよ、な。うん。フランソワーズが一緒にいるんだから」

 

***

 

・・・と、言ってたのに。

 

***

 

「いやん、ジョー、あなたの後ろに何かいるわっ」
「えっ!」

湯船につかって手足を伸ばしてご機嫌だったフランソワーズが突然姿勢を正し、ジョーの背後を指差した。
ちょうど髪を洗っていたジョーは驚いて飛び上がった。

「なーんて、ね」

うふふと笑ってフランソワーズは湯船の縁に腕をかけた。

「本当に怖いのね」
「お、脅かすなよ」

おそるおそる背後を見て何もないことを確認すると、ジョーは再び髪を洗うことに専念した。

怖がりのジョー。
そんな姿は新鮮で――可愛かったから、フランソワーズはついからかってしまっていた。
当初の「お化けの話にジョーを慣れさせる」という目的は既にずれつつあった。

髪を洗いながら、時々湯気のむこうに眼をやるジョーにフランソワーズは楽しそうに笑った。

――普段は無敵の戦士で、しかも音速の騎士・ハリケーンジョーなのに。

その落差を知っているのは自分だけというのもくすぐったくて嬉しかった。怖がりなあなたって可愛くて好きよなんて、とてもじゃないけど言うわけにはいかないけれど。もし言ったら、ジョーはすさまじく落ち込むだろう。

「・・・あ。ねえ、ジョー」
「うん?」
「あれは何かしら」
「何って?」

突然真剣になったフランソワーズの声に、ジョーの声が揺れる。

「だめ、ふりむかないで」

背後を見ようとしたジョーの機先を制するようにフランソワーズの声が響く。

「だめよ、ふりかえったら――だって、あなたの後ろに・・・」

真剣かつ切羽詰ったような緊迫した声にジョーの目が見開かれた。
そういえば、さっき聞いた「怖い話」では振り返ったら憑かれるとかなんとか言っていたのではなかったか。
そして、そのまま壁のなかに引き込まれてしまうのだ。

「わーっ!!」

ジョーは目をつむったまま立ち上がり、加速装置を使ったかのような勢いでバスルームを出て行った。そのまま自室まで行くと思いきや、廊下で踏みとどまった。そして唇を噛み締め、再びバスルームに戻った。決死の表情である。
いま「何かがいる」であろうバスルームに戻るのは、それはもう怖い。できればこのまま部屋に帰って布団を被って眠ってしまいたい。
だがしかし。
まだバスルームにはフランソワーズがいるのだ。もしも今、自分が戻って助けなかったら、代わりに彼女が壁の中に引き込まれてしまうかもしれない。
そんなわけにはいかない。
ジョーは、いくら怖かったからとはいえフランソワーズを置いてきてしまった自分を恥じた。彼女を守ると決めたくせに、たかだかお化けひとつにこのていたらく。自分はなんてだらしのない男なのだろう、と。
だから、唇を噛み締め、決死の覚悟で――お化けとの戦いも辞さない覚悟で――バスルームに踏み込んだ。

「フランソワーズ、無事かいっ?」

でも怖いから、壁のほうはみない。目の前の湯船につかったままのフランソワーズだけをまっすぐ見つめた。
もしかしたら、フランソワーズに叱られるかもしれない。私を置いていくなんてひどいわ、となじられるかもしれない。

しかし。

目の前のフランソワーズは先刻と寸分の違いもなく、のんびりと湯につかっていた。
小さく首をかしげてジョーを見る蒼い瞳。

「ええ。無事よ」

その途端、ジョーの膝から力が抜けた。

「よ、良かった・・・っ」

不覚にもちょっと涙が出てしまった。あんまり安心したから、お化けのことなどすっかり失念して。
そんなジョーにフランソワーズは満足そうに微笑むと、小さい声で

「はい、合格」

と言った。

 


 

8月17日  怪談@

 

「お化けが出る、ですって?」
「うん・・・」
「どこに?」
「そこ」

ジョーが指差したのはギルモア邸のキッチンだった。

「出るわけないでしょう」
「でも見たんだ。昨夜、水を飲みに来た時」
「・・・なにを見たの?」
「・・・ひとつめ小僧みたいなのとか」

フランソワーズは息をついた。

「見間違いよ。そろそろちゃんとメンテナンスを受けなくちゃ駄目ね」
「でも本当に見たんだっ」
「はいはい」
「本当だってば」
「ヨシヨシ、怖かったのね」

頭を撫でられてなんだか釈然としないものの、ちょっぴり怖さが減ったジョーだった。

 

***

 

ジョーはいわゆる「怪談」に免疫がない。
それを知ったのは偶然だったけれど、ともかくフランソワーズは確信した。

と、いうのは。

いつも買い物に行く商店街。そこでいつも会う小学生女子グループがいて、夏休みはどう過ごすのという話になった。
彼女たちは「林間学校」に行くのだという。そして、その夜に「怖い話」をするから、その情報を仕入れるために本屋に行くのだと言っていた。
林間学校がどういうものなのかフランソワーズは知らなかったが、いわゆるサマーキャンプのようなものだろうとあたりをつけた。ただ、フランソワーズが小さい頃は夜に会談話などせず、誰が好きだのというそういう恋の話で盛り上がったものだった。
国によって色々と違うのねと思ったものの、いったいどんな話をするのか気になって、つい彼女たちと一緒に本屋に行ってしまった。そして「ほんとにあった怖い話」を買ってしまったのだった。

読んでみたら、そんなに怖くはなかった。
たぶん、日本の文化に根ざしたものだからだろう。フランソワーズとしては、日本のお化けは日本の住宅事情に合わせて狭いところに出るからリアルに感じられ怖くなるのだろうと想像した。
フランスだったら、別にトイレにお化けが出るよと言われてもそう怖くはないし、バスルームだってどうということはない。
それよりむしろ、ベッドルームの外に誰かいるとか――窓に影が映るとか、そういうほうが怖かった。
が、それはおそらくお化けではなくかなりの確率で生きている人間だろう。だからたぶん――フランソワーズはお化けが怖くないのだろう。
そう自分で分析した。

そして、だったらジョーはどうなのだろうかと試しに「怖い話」の本を読み聞かせて反応を見てみようと思った矢先の出来事だった。

ジョーは、林間学校でそういう話をしなかったのだろうか・・・?

そう思った。
そして気がついた。
気がついてしまった。

ジョーは林間学校に行ったのだろうか?
行ったとして、そういう話をするような友達がいたのだろうか?

フランソワーズにはわからない。だから想像するしかないのだけれど、その想像はあまり楽しいものではなかった。
しかし、ジョーが「お化けが苦手」であるという事実が、「怖い話」とは無縁で育ってきたであろうことを示していた。

 

***

 

「その時、どこからともなく月光第一楽章が聞こえてきて・・・」

雰囲気を出すためにやや明るさを抑えた部屋。部屋の隅のほうは、確かに何かがわだかまっているような気がしなくもない。そんな部屋でフランソワーズは普段より低い声で朗読していた。バレエで培われた表現力は半端ではない。その朗読はまさに臨場感溢れるものだった。
そして今、枕の部分が終わっていよいよ幽霊登場のくだりにさしかかったところだった。

「・・・あのぅ、フランソワーズ」

ジョーがぼそぼそと言う。

「なあに?もう怖くなったの?まだまだこれからなのに」

フランソワーズは「ほんとにあった怖い話」という本から顔をあげた。ジョーは部屋の隅で膝を抱えている。
むしろ隅っこのほうが怖くなるのではないかとフランソワーズは思ったが、面白いので――否、ジョーのために敢えて言及しなかった。

「まったく。こういう話に免疫をつけておきたいって言ったのはあなたよ?」

そうなのである。
昨夜、ひとつめ小僧を見たような気がする、と必死の表情で訴えたのに、無情にも皆は一笑に付しただけだった。
だからジョーとしては、怖い話に慣れて是非免疫をつけておきたいと強く思ったのだった。従って、フランソワーズが「たまたま」そういう本を所持していたのは都合が良かった。

「う、うん、そうなんだけどさ」
「だったら静かに聞いて頂戴。・・・ええと、その時どこからともなく」
「だからさ、フランソワーズ」
「もうっ、なによ?」
「そのぅ・・・月光第一楽章って僕知らないんだけど、なに?」
「えっ・・・」
「曲?なのかな」
「・・・」
「ねえ、フランソワーズぅ」

フランソワーズは大きく息をつくとソファに倒れこんだ。

月光第一楽章。ベートーヴェンのソナタ。
あまりにも有名なくだりであった。
その月光の調べにのせて幽霊が出るなんてなんて詩的なのだろうとフランソワーズはわくわくしながら読んでいたのに。よもや、月光第一楽章を知らない輩がいたなどと信じられない。

「ねぇ、フランソワーズぅ。教えてよ」
「・・・」

クラシック音楽をわかれとジョーに求めたのが間違いである。
フランソワーズは眉間を指先で押さえて、言った。

「・・・音楽よ。クラシックの。なんていうか、そう・・・月夜の晩みたいな感じ」
「ふうん」
「ベートーヴェンのピアノソナタ」
「あ、ベートーヴェンは知ってる。音楽室で肖像画を見たことがある」
「そう、それよ。たぶん」
「で、どんな曲?」
「そうねえ・・・」

フランソワーズは一瞬、虚空を見つめ、そしてジョーに視線を移した。
きょとんとしたジョーの褐色の瞳。

「・・・何か出そうなオドロオドロしい感じの曲よ」
「ええっ!?」

すると。

「――あ。いま聴こえてきている曲。これがそうよ」
「・・・つまり、これが流れてきたら幽霊が出る・・・?」
「そういうこと」

ジョーは真っ蒼になったから、フランソワーズは思わず噴出してしまった。

「ひどいな、笑うことないだろっ」
「うふふ、ごめんごめん」
「こ、怖いんだからなっ」
「そうね。ヨシヨシ」

本気で怖がるジョーに、いささか「これで大丈夫なのだろうか」と思わずにはいられないフランソワーズであった。

 

 

***
イヤ、本当に小学生の時にそういう本を読んで以来、月光第一楽章を聴くとなんだか落ち着かなく怖い思いをつい最近までしてました・・・


 

8月13日  〜夏休みサイボーグ祭りC〜  拍手ページの再掲です。

 

 

「どうして泣いてたのか・・・って」

それは。

「あの、誤解だったし、今となってはもう」

いいの。

頬に笑みを浮かべて言ってみたものの、ナインは険しい顔をしたままだった。どうあっても理由を聞くまでは許してくれないようである。
スリーは言葉に詰まった。理由を聞いたらナインは絶対に怒るだろう。それに、恥ずかしい誤解でもあったわけだし、何とか言わずに回避できないものだろうか。

しかし。

ナインの目は真剣で、とてもそのまま引き下がってくれるとは思えなかった。
だから、スリーは心を決めた。

そう、怒られてしまえばいいのだ。変な誤解をしたのは自分なのだから。

「あのね、ジョー」
「うん」
「その・・・ルールを破って加速装置を使ったでしょう」
「うん」
「すぐ姿が見えなくなったから、あなたが時速いくつまで加速したかなんてわからなくて」
「うん」
「だから、・・・そんなにお揃いの水着が嫌だったのかしらって悲しくなっちゃったの」
「・・・うん?」

話が飛んだような気がして、ナインは首を傾げた。

「あの、だから」

スリーは頬を染めてうつむいた。そのまま一息に言ってしまう。

「加速して燃えてもいいくらい、嫌だったのかしら、・・・って」

正義の戦士のナインが進んでルール違反をするなど、余程のことに違いないのだ。

「ばっ・・・」

ばかだなあ、そんなわけないだろ!

そう言うつもりで息を吸ったナインであったが気が変わった。

「・・・あのさ。これでも一応、気にしてたんだよ?・・・燃えないように」

 

 

***

 

 

「ジョー。ルール違反」

新ゼロフランソワーズがジョーの肩をつついた。

「どうせナインと喧嘩したんでしょう?どうしてすぐ喧嘩になるのかしら」
「ああいう優等生タイプは合わないんだ」
「・・・そうかしら」
「ああ。俺みたいなのなんか、はなから馬鹿にしてる」
「やあね。してないわよ。それにあなたは不良でもないし」
「でも元不良さ」
「もうっ、そういうこと言わないの。・・・私には、あなたとナインは仲良しにしか見えないんだけど」
「ええっ」
「だって仲が良くないと喧嘩ってできないのよ」
「仲が良くないと・・・?」
「そう。私たちみたいにね」

 

 

***

 

 

「ジョー、凄いわ、勝ったのよ!」

平ゼロフランソワーズが満面の笑みで平ゼロジョーを迎えた。

「009のなかで一番よ!」
「え。あ、うん・・・」

なんだか釈然としない思いを抱えつつ、ジョーは持っていたフラッグをフランソワーズに渡した。

「でも、僕、誰とも競争してないんだけど」
「いいのよ、あなたが正しいの!だから」

両手を伸ばしてジョーの首に投げ掛ける。

「景品はあなたのものよ!」
「えっ?」
「他のひとは、罰としてジョーにビンタをよろしく!」

高らかに宣言すると、各所に散らばっていた003全員が頷いた。

「じゃあ、いくわよ!」

楽しげな003たち。009たちはぎゅっと目をつむった。

「いち、にの」

「さんっ」

 

ちゅっ。

 

 

・・・え?

 

 

ビンタを受ける予定だった4人の009はこわごわと目を開けた。実はこれがフェイクで、目を開けたところでビンタが待っているのかもしれない。

「あのぅ・・・ビンタは」
「今のがそうよ」
「今のって・・・」

ほっぺにチューだった。

「もう。本気でぶつわけないでしょう?」
「全然、わかってないんだから!」
「露出狂の009って呼ばれるだけでじゅうぶんな罰ゲームじゃない?」
「そうよ、ウッカリさん」

口々に言われる009たち。そんななか、目を閉じないできょとんとしたままの009がいた。ビンタの予定はないただ一人である。

「・・・ん、もうっ。どうして目を閉じないの?」
「いや・・・びっくりして」

唯一、ご褒美をもらう予定だった平ゼロジョーは、彼にとって物凄くサプライズなプレゼントに何も反応できなかった。

「だっ・・・て」

唇へのキスなんて聞いていない。

「やあね。勝者へのご褒美は古今東西、キスって決まっているでしょう」

 

 

 

海は蒼く、砂浜はどこまでも白く輝いていた。

 

 


 

8月12日  〜夏休みサイボーグ祭りB〜  拍手ページの再掲です。

 

 

「ああっ。見ろ!貴様が邪魔をするから、先を越されたじゃないか!」

新ゼロジョーが、いまフラッグを手に取った平ゼロジョーを指差す。

「ズルをするのが悪いんだろ!」

一方のナインはあくまでも正義の戦士を貫き通す。
が、それでも負けた事に変わりはなく、ショックを隠せないようだった。

「あーあ。ったく」

新ゼロジョーは力なく砂浜に座り込んだ。
その横を微妙な顔付きの平ゼロジョーが走ってゆく。

「くっそう。フランソワーズから何をもらえるのか期待してたのに」

お前のせいだぞ、と恨めしげにナインを見る。

「言い掛かりはやめてくれ」

対するナインも砂浜に座り込んだ。
二人とも既に加速を解いている。

「僕だってスリーから何を貰えるのか楽しみだったん・・・うん?」

砂浜に寝転がろうとしたナインはスタート地点の方に目を遣り、険しい表情になった。

「なんだか嫌な感じがする」

そうして、すっくと立ち上がった。

「嫌な感じ?・・・そうかな」

のんびりとした新ゼロジョーに取り合わず、ナインは走り出した。

なんだか嫌な予感がする。
そう・・・ナインにとって、あってはならないことが起きているような。

 

***

 

「うわっ」
「あ、しまった」

超銀ジョーと原作ジョーは二人同時に加速を解いて、二人同時に叫んでいた。
それは、平ゼロジョーに先を越されたからではなく、我と我が身を見てのことだった。

 

 

***

 

「フランソワーズ!」

必死の面持ちで現れたから、スリーは驚いてよろけた。その腰をがっしりと引き寄せ、ナインは言った。

「大丈夫か?」

油断なく辺りを見回す。周囲には、もちろん003たちしかいない。
しかし、ナインは安易に警戒を解いたりはしなかった。

「あの・・・ジョー?」
「うん?一体何があった?」
「何がって・・・何もないわ」
「そんなはずないだろう」
「だって何にもないもの」

ナインはじっとスリーを見た。

「嘘をつくな」
「ついてないわ」
「この僕に隠し事ができると思ったら大間違いだぞ」
「なんにも隠してないもの」

あくまでも言い張るスリーにナインは険しい表情をした。しかし、スリーには何故ナインがそんなことを言い出したのかわからない。危険なことなど何もないし、彼に隠しているような何かもない。本当に何もないのだ。なにしろ、ただのビーチフラッグ対決であり、それ以上でも以下でもないのだから。
しかし、ナインはそんな様子のスリーにいらいらと訊くのだ。

「フランソワーズ。僕には言えないことなのかい?」
「だ。だって本当に何も隠してなんか・・・」
「ああもう!だったら!」

ナインは乱暴にスリーの両肩を掴んだ。

「だったら、どうして泣いてたんだ!!」

 

 

***

 

 

そんな旧ゼロの二人に全く構うことなく、003たちはそれぞれの009の動向を探ることに専念していた。

「あ、加速を解いたわ・・・良かった、大丈夫ね」

ほっと息をはきだす新ゼロフランソワーズ。一番気になっていたことが解消されて、心底ほっとした様子。

「そうよね。私たちは放送で何度も燃えているから、わかっていて当たり前だったわ」

しかし、放送されてない・される回数が少なかった組は、どうやらそうはいかなかったようだ。

 

「あ・・・嘘でしょう」

額に手を遣る超銀フランソワーズ。彼女たちは映画のなかで殆んど防護服姿だったから、機会もなかったのである。

「んもう。しょうがないわね」

言って、超銀フランソワーズはひとり輪を離れた。胸に荷物を抱えて。

そしていま一人のフランソワーズは原作組だった。こちらは描写がなかったわけではないが、おそらく009個人の性格や特性に起因するのだろう。

「ほんとに、ウッカリさんなんだから!」

たった一回「忘れてた!」と言っただけで、ウッカリさんにされてしまう可哀想な役回りは原作ならではというところか。
そう割りきるしかない。
フランソワーズはどうしたものかと少し考えて、持ってきていた赤い服を闘牛士のように掲げた。

 

***

 

彼方から砂埃が巻き上がってこちらへ向かってくる。
凄まじい勢いで。
しかし、その砂埃を巻き上げているものは何なのか見えない。

見えない。が、原作フランソワーズは涼しい顔で、向かってくるものを待ち受けている。
腕をいっぱいに伸ばし、赤い服を差し出して。

そして。

それが通りすぎる瞬間、赤い防護服がもぎとられていった。フランソワーズは大きく息をつくと、通りすぎていったものが遥か向こうで止まったようなのを確認し、ゆっくりと歩き出した。

 

 

***

 

 

超銀フランソワーズはみんなからじゅうぶん離れた位置で止まると、胸に抱えていた荷物を下ろした。
そして、そこから数メートル離れると砂地に膝を抱えて座り込んだ。

じっと待つ。

すると、砂埃が盛大に巻き上がり・・・何かが急停止した。

小さく溜め息をついて、顔を背けた。

 

 

***

 

 

「いやあ、助かったよフランソワーズ!」

防護服に身を包み、原作ジョーは笑顔で手をあげた。

「まったく、参ったよ。気が付いたらすっぽんぽ・・・わっ」

思いきりマフラーを引かれ、ジョーはのけぞった。

「ちょっと待ってフランソワーズ」
「もう!だから加速しちゃダメって言ったのに」
「だよなあ」
「だよなあ、じゃないでしょ!どうして水着が燃える速度まで加速したのよ」
「うーん・・・ナリユキ?」
「ばかっ」
「だってさ。フランソワーズの景品が何なのか知りたいじゃないか」
「そんな理由!?」
「だめ?」
「だめじゃ・・・」

ないけど、と続けようとして、脳天気なジョーを見つめ

「知りません」

と言った。

 

 

***

 

 

「フランソワーズ、お待たせ」


声が降ってきて、超銀フランソワーズは顔を上げた。蒼い空をバックにして超銀ジョーがいた。が、生憎逆光で表情は見えない。

「助かったよ、さすがフランソワーズ」
「助かったよじゃないでしょう。まったくもう」

フランソワーズが抱えていた荷物はジョーのジーンズであった。いま彼はそれを穿いて人心地ついたところだった。

「・・・一番のおばかさん」
「うん?なんのこと?」
「いいの。こっちの話」
「ふうん?」

超銀ジョーはフランソワーズの隣に座った。

「で、なんだっけ」
「何が?」
「ご褒美」
「負けたでしょ」
「まあね」
「しかも全裸で戻ってくるなんて」
「いやあ・・・」
「私は露出狂の彼氏なんてもったおぼえはありません」
「好きなくせに」
「好きじゃないわ」
「素直になれよ」
「だから、好きじゃないもの」
「ふうん。だったら嫌いなんだ」
「そうは言ってないわ」
「嫌いなんだ」
「だから違うって・・・」
「嫌いなんだ」
「きら・・・もうっ」

フランソワーズはジョーを突き飛ばすと反対側に向きを変えた。

「・・・好きに決まってるでしょう」

小さく言う。
しかし、いま、全ての009の中で自分のジョーは露出狂でおばかさんなのだ。そして、そんな彼を好きだという自分は、きっと更におばかさんなのだろう。

「もう・・・いいわ」

バカップルで。

 


 

8月11日  〜夏休みサイボーグ祭りA〜  拍手ページの再掲です。

 

広い砂浜。

どこまでも続く白い砂。

陽に当たり煌めく白さが眼に痛い。

 

・・・あれっ?

 

そんな広大な白く輝く砂浜に平ゼロジョーはひとりきりだった。

 

***

 

一緒にスタートしたはずの、他の009たちの姿は見えない。
まるで虚空にかき消えたかのようで、平ゼロジョーは目をしばたたいた。が、やはり誰の姿も見えなかった。

中止のはずはない。

しかし。

ためらう心のままに、走る速度は落ちてゆく。ほぼ歩く速さになろうかというところで、

「ジョー!今よ!走るの!」

大好きな声に後押しされた。振り返ると、大胆な水着姿のフランソワーズが両手を大きく振り回していた。

「早く!みんな失格なの、あなたしかいないわ!走って!」

みんな失格?なぜだろう・・・と思いつつも、ジョーは走る速度をあげた。
フランソワーズに応援されたら、応えないわけにはいかない。

最後は全力疾走になった。

 

 

***

 

「ねえ、どうする?」
「どう、って・・・お迎えに行く?」
「でも絶対に向こうで気が付くでしょう。そうしたら、すぐ戻ってくるんじゃないかしら」
「そうよねぇ・・・」

そうして四人のフランソワーズは溜め息をついた。平ゼロフランソワーズだけが元気である。

「それにしても、あれだけ言ったのにルールを守ったのは彼だけなんて」
「さすが教会育ち」
「やっぱりそのへんかしら。勝利に貪欲なのはいいけれど・・・」

超銀フランソワーズは言葉の途中でスリーを見遣り、その肩に手を置いた。

「・・・泣かせるのはよくないわ」

涙ぐむスリー。
他の003全員が険しい顔で頷いた。

 

 

***

 

加速をしたらどうなるか。

知らない009はいない。が、しかし、海という非日常に身を置いたせいだろうか。
残念なことに009全員が、加速装置を使用した場合に起きることを失念していた。

 

***

 

「でも、装置を使ったとしても最高速度ではないと思うわ」
「そうよね。緊急事態ではないんだし」
「せいぜい、マッハ1・・・ってところ?」
「だったら大丈夫ね。スリー、泣く必要はなくなったわ」
「ええ・・・」

スリーは涙を拭うとにっこり笑んだ。

「あなたのナインは彼女を平気で泣かせるひとじゃないでしょう」
「ええ、もちろんよ!」
「だったら大丈夫よ、きっと」
「でも、そうすると・・・」

新ゼロフランソワーズがおもむろに口を開いた。

「マッハ1前後に抑えられなかったバカがいるのかどうか、ってことになるわね」

その瞬間、ビーチフラッグは一転「一番のおばかさんは誰か」を決める戦いになった。

「じゃあ、加速しなかったうちのジョーは独り勝ちってことね」

平ゼロフランソワーズが胸を張る。
ぐうの音も出ない一同。

しかし。

「・・・草食系男子って頼りないわ」

小さく言った超銀フランソワーズ。

「ジョーは肉食系のほうがいいわ」
「あら、優しいわよ。草食系ジョーって」

かちんときたのか、平ゼロフランソワーズが言い返す。

「変に威張ったりしないし」
「威張るのも男らしくて好きよ、私」

スリーも参戦した。
ついさっきまで泣いていたくせに、ナインが絡むと元気百倍になるのだった。

原作フランソワーズと新ゼロフランソワーズは押し黙ったままだった。
なんだか「一番のバカ」に心当たりがあるような、ないような。

 

***

 

その頃、1km先では平ゼロジョーがあっさりとフラッグを手にしていた。
相変わらず他の009の姿は見えない。
小さく首を傾げた後に、ジョーは今きた道を戻っていった。

 


 

8月10日  〜夏休みサイボーグ祭り@〜 拍手ページの再掲です。

 

 

ここは誰もいない海。

否。

「009と003以外は」誰もいない海である。

いまここで、世紀の大決戦が行われようとしていた。

 

 

***

 

 

「ジョー、頑張って!」
「負けたら承知しないわよ!」

黄色い声援が飛び交う。
一列に並んだ009たちは、それぞれの003に手を振って応えた。

誰が言い出したのか定かではない戦い。
白い砂浜のずうっと先にはフラッグが一本立てられていた。
そう。いま始まろうとしているのは、ビーチフラッグ対決であった。

009たちは既に全員が気持ち十分、いつでも来いの臨戦体勢である。
そんな彼等に肩をすくめ、スターターである超銀フランソワーズがルールの最終確認を行った。

「いい?加速装置の使用は禁止。これだけは守ってちょうだい」

「わかってるさ。この僕がルール違反などするものか」

ナインが胸を張る。しかし、

「・・・まあ、隣の誰かさんはそのルールが守れるかどうか知らないけどな」

新ゼロジョーをちらりと見たから、

「なんだと。もう一度言ってみろ」
「なんだ、やるか?」

一触即発の事態になった。

「もうっ。喧嘩は失格よ!」

掴みあっていたふたりの009はしぶしぶ手を離した。お互いにフンと顔を背ける。

「子供だなあ」

超銀ジョーが笑う。

「ほんとだよ。別にどんな手段をとろうが勝てばいいんだろ?」

あくび混じりに応えた原作ジョーに超銀ジョーは横目をくれた。どうも油断ならない相手のようである。

超銀フランソワーズの確認は続く。

「失格者は、試合後にそれぞれのフランソワーズからビンタが贈られます」

「ええっ」

どよめく009たち。
いっぽうの003たちは腕組みをしてうんうんと頷いた。

「そして、勝者には・・・」

そう、気になるのは勝者へのプレゼントである。009たちが超銀フランソワーズを見つめる。

「・・・勝者には、まだ何を贈るか決めてありません」

「なんだよそれ」
「戦意を削がれるなあ」

口々に起こるブーイングに超銀フランソワーズはにっこり笑った。

「お。可愛い」
「いや。あの笑顔には気を付けろ」

超銀ジョーだけが頬を引き締めた。

「では、よろしいですね」

頷く009たち。

「用意、」

そうして対決が始まった。 

 

スタートの合図とともに009たちの姿が消えた。

「あっ」
「禁止だって言ったのに」

どうやら加速装置を使用したようだった。

「まったくもう!」

 

***

 

「あっ、お前、加速するのはルール違反だぞ」
「ふん。お前は絶対ズルをすると思ったよ」

加速しながら互いに拳を繰り出す新ゼロジョーとナイン。

「勝てばいいのさ。俺はお前のようなイイコちゃんは気に入らない」
「僕だって、お前のような不良は我慢ならん」
「なんだと」
「なんだよ」

加速しながらもつれあうから、あたりに砂が舞う。
互いが牽制になって、一歩も進めないふたりだった。

いっぽう、他の009はどうかというと。

「あれっ、どうして君も加速するんだい?」
「どうも君が信用できなくてね。何か不思議なちからでも使うんじゃないかと」
「いやだな、使わないよ」
「わかるもんか。・・・そんなわけで、監視だ」

原作ジョーと超銀ジョーである。信用ないなあと嘆息し、原作ジョーは速度をあげた。

「おい待て、逃げるな」

超銀ジョーが慌てて肩を掴む。

「お前の暴走は危ないから、くれぐれもよろしくって君のフランソワーズから言われてるんだ」
「・・・へぇ」

君のフランソワーズ、という単語が気に入ったのか、原作ジョーはほんのり頬を染めた。

「絶対に何も拾ってくるなと言ってたぞ」
「あはは、信用ないなあ」

そう言うと原作ジョーはおとなしく速度を落とした。

 

***

 

目指すフラッグは非常識な距離にあった。
スタート地点からおよそ1kmである。

しかし、加速すればあっという間だった。

それではつまらないし、何より走る姿が見えない。だからこその使用禁止であったのにと003たちは溜め息をついた。

しかし。

一名だけ、声援を送り続ける003がいた。

 


 

8月5日

 

「ところでさー、フランソワーズぅ」

二人仲良くお風呂に入って、後は寝るだけという時間になって。ジョーは髪をタオルで拭きながら、先日来の疑問を口にした。

「この前、003同士で仲良く何か話していただろ?あれ、君は何て言ったんだい?」
「えっ!?」

こちらもタオルで髪を拭いていたフランソワーズ。ぎょっとしたようにタオルの陰からジョーを見た。

「ほら、スリーの件はナインに任せるとして、君や超銀フランソワーズが意味不明だった・・・ってことはないだろう?」
「そ、」

それは確かにそうかもしれない。
だけど。

「――だって、あれはガールズトークなのよ。女の子同士の内緒のお話なの。だからジョーは関係ないの」
「そうかなぁ。すっごく関係あるような気がするんだけど」
「気のせいよ、気のせい」

ジョーは納得がいかない、と唇を尖らせたが、フランソワーズはこれでこの話はオシマイとばかりにドライヤーで髪を乾かし始めた。ちなみにここはフランソワーズの部屋である。自室に帰ればいいのに、何故かくっついて一緒に部屋に入って来たジョーだった。今となってはその理由も明らかである。おそらく、この質問をするためだけについてきたのに違いない。

「そんなに気になるの?」

逆に訊いてみる。

「うん」

思いっきり首を縦に振られた。

「どうして?」
「どうして、って、――そりゃ・・・」

男だったら気になるよ。とぼそりと言われた。だから、聞こえたけれどドライヤーの音で聞こえなかったふりをした。
しばし無言で髪を乾かしてゆく。

「――ねぇ、ジョー?」

鏡に映る背後のジョーがあまりにしょんぼりしているので、フランソワーズはつい声をかけてしまった。

「あの話・・・本当にたいした話じゃないのよ。ジョーが気にするようなことなんてなんにもないわ」
「――そうかな」
「そうよ。私はほんとのことしか言ってないし――あ」

口が滑った。と、思ったときにはもう遅い。
背後でしょんぼり肩を落としていたジョーはいきなり復活していた。あっという間にフランソワーズの真後ろにいた。

「ほんとのことって何?」

耳元に響く、甘い低音。
フランソワーズはくすぐったそうに肩をすくめると頭を振ってジョーを追い払った。

「もう。髪を乾かしてるの、邪魔をしないで」
「邪魔してないよ」
「したじゃない」
「してないよ」
「しました」
「してない、って。それとも何?耳元で話すと何かいけないことでも――」

途端、ジョーは顔にドライヤーの熱風を浴びせられのけぞった。

「あつっ!熱いって、フランソワーズ」
「知りませんっ」

真っ赤な顔を隠すように、フランソワーズは一心不乱に髪を乾かした。

「ね。フランソワーズ」
「しつこいわ、ジョー」
「いやあ、だってさ」
「そんなしつこいひとは自分の部屋に帰ってひとりで寝てちょうだい」
「それは無理」
「無理じゃないでしょ?」
「無理だ、って。ひとりでいくのなんてそんなの――うわっ」

全部言い終わらないうちにジョーはフランソワーズの部屋から蹴り出された。

 


 

8月3日

 

洗うものがなくなって、ジョーは水道の蛇口を捻って水を止めると覚悟を決めたように振り返った。
当然、その目の前にはフランソワーズが待ち構えている。

「あのさ、ふら」
「ジョー。見て」

何か言おうとしたジョーの機先を制し、フランソワーズが彼の前に左手をぱっとひらいてかざした。

「――何」

暗い声で問うジョー。なにしろ彼女が見せているのは左手なのだ。当然のことながら、「どうして指輪をしてくれないの」という詰問の前置きだろう。そう想像できる。だからジョーはちょっと口をへの字に曲げた。いい加減、このての話はやめてくれないかと思う。心底願う。
その願いが聞き届けられたわけでもないだろうが――フランソワーズが答えたのは、彼が考えていることと全く別のことであった。

「左手の薬指には赤い糸が結ばれているっていうの、知ってる?」
「ああ・・・知ってるよ。薬指だったか小指だったか知らないけど」

幾分、ほっとしつつも唐突な話題にジョーは身構える。なにしろ、この話がいったいどこに着地するのかわからないのだ。
油断禁物であった。

「私ね」

フランソワーズの顔が曇る。

「ずっと思っていたんだけど――」

小さくため息までついたから、ジョーは警戒を解いた。

「私の運命の赤い糸はジョーと繋がっている、って」

それはそうだろうとジョーは思う。いくぶんオトメちっくな話だと思いつつも、自分もそう思っていたのだから。

「でも・・・」

フランソワーズが左手を力なく下ろす。

「もしも間違って結ばれているのだったら、私から解いてあげなくちゃ、って」
「・・・えっ?」

いったい何を言い出したのか。ジョーにはさっぱりわからなかった。
運命の赤い糸がお互いを結んでいる。それでいいではないか。しかもお互いに納得しているんだし。

「だって」

フランソワーズが顔を上げる。じっとジョーの褐色の瞳を見つめて。

「・・・だって、もし・・・間違っていたり、もつれているのだったら、解いてあげないとジョーは本当の相手がわからなくなっちゃう」
「――なんだそれ」
「だって」
「僕の意志を無視するな」
「だって」
「いいかい?」

ある意味唐突なフランソワーズの憂いではあるけれど、ジョーはその唐突さに――悲しいかな――慣れてしまっていた。
だから、まっすぐフランソワーズの話に向き合うことができた。
フランソワーズの両肩に手をかけ、じっと目を見据える。真剣な瞳でまっすぐに。

「僕の運命の赤い糸はフランソワーズにしか繋がってない。この前確認したんだから確かだ」

この前っていつだよ――と、心中自分につっこみをいれつつ、顔色はそのままフランソワーズを見つめる。

「だから、頼むから解いたりしないでくれ。じゃないと僕は独りぼっちになってしまう。・・・きみにとっていつくもある運命の赤い糸のうちの一本に過ぎなくても」
「そ」

フランソワーズが息を呑む。

「そんなことないわ!私だって一本しか持ってないもの。ジョーにしか繋がってないわ。私だってこの前確認したんだから」

だからこの前っていつどうやってだよ――と思ったものの、ジョーはそのセリフに真面目に頷いた。

「だったらそんなこと言わないように」
「・・・そうだけど」
「だけど?」
「だって。・・・お揃いの水着を着るのは嫌なんでしょう?」

――そこ?
もしかして、今の一連の会話の終着駅はそこ?

「そ。そんなこと・・・ない、よ?」
「本当?」
「う。あ、うん――」

腑に落ちない。
まったくもって納得がいかない。
がしかし。
話の流れに乗ると、イエスとしか言えない状況ではあったし、今さら話を戻すのも面倒だった。
だからジョーは諦めたように天を仰いだ。

「――わかったよ。着るよ」
「本当!?」
「ああ」

 

***

 

その夜、ジョーとフランソワーズの左手の薬指に赤い毛糸が巻きつけられているのを夕食時に発見したゼロゼロナンバーサイボーグたちだったが、賢明にも誰もその点に触れようとはしなかった。

 


 

8月1日

 

「ねぇ、ジョーォ」

旧ゼロと超銀のそれぞれが帰った後のギルモア邸。
グラスを片付けたりあれこれしているジョーの背にくっついて回っているのはフランソワーズだった。
いつもなら、彼女が後片付けをかって出るのだったが、今日だけは反対だった。フランソワーズが嫌と言ったわけではなく、珍しい事にジョーから言い出したのであった。
それには理由がある。
ジョーには、いま、どうしてもじっとしているわけにはいかないのだった。
その理由は何かというと――後ろをくっついて回るフランソワーズに他ならなかった。
甘えたような声にほだされそうになりつつも、いやいやこれだけは絶対駄目だと唇を固くひき結んで無言を通す。
ジョーの意志は堅かった。が、それもこうして彼女の顔を正面から見ないようにしているからであって、正面きって言われたら――ねだられたら、否といえるかどうかまったくもって自信がない。だから、ソファに座るとか、どこかにぼーっと居るとか、そういう危険は犯せない。ともかく常に動いているしかないのだ。

「ねぇ、ジョーってば」

少し拗ねたような色が声に混じる。

「もう。どうしてこっちを見てくれないの」

キッチンでジョーが洗いものをしていると、背中にフランソワーズが背を預けてきた。そのままぐいぐい押される。

「フランソワーズ。邪魔」
「ま。私が邪魔ですって?」
「いやその、ほら、洗うのが難しいだろ、そんなに押すと」
「ふん。ゼロゼロナインのくせに情けないの」
「情けない、って、いま関係ないだろ」

ただでさえ慣れないことをしているのだ。

「ねえ、ジョーお」

甘えるような鼻にかかった声。
拗ねたり、泣きそうな声になったり、彼女のバリエーションは実に様々で、ジョーとしてはそれらを無視するのは実に忍耐力を要するものだった。

心頭滅却すれば火もまた涼し。

平常心だ。ジョー。
そう、ここで折れてしまったら――奴らの二の舞になる。
それだけはゴメンだ。

「ねぇ、ジョーってば」

フランソワーズが背中から腕を回して抱きついてきた。これには不意をつかれた。

「――ふら」
「うふ。やっと喋った。あのね」

嬉しそうに言われ、ジョーはしまったと思ったが、遅かった。

「ねえ、ジョー。私も欲しいなぁ。――お揃いの水着」
「・・・下着がお揃いなんだから、いいだろそれで」
「だって他のひとに見せられないじゃない」

実際、今日の「お揃い対決」でも見せられなかったのだ。

「その点、水着なら大丈夫だし」

お揃いの指輪っつーもんがあるだろーが。

究極の「お揃い」と男性陣に認定された指輪。それが既にあるというのに、更にお揃いを欲しがる彼女がジョーにはわからなかった。
しかし、指輪と言った途端、だって指にしてくれないじゃないのと言われるのは目に見えているので――言うことはできなかった。自ら旗色を悪くする必要はないのだ。

「ねぇ、いいでしょう?お揃いの水着」

とはいえ、指輪という切り札を指摘せずにこの苦境を切り抜ける術をジョーは思いつかなかった。