1月16日 新ゼロの温泉 「ねぇジョー。お風呂に行ってみましょうよ」 相変わらずごろごろしているジョー。 「えー、いいよメンドクサイ」 思い切り膨れてみたものの。ジョーはやっぱりごろごろしたまま。腹ばいになって雑誌を読んでいる。 孤独だったジョーは、本当はわざと孤独でいたのではないのだろうか。 本当は。 独りでいるのが好き――? だとすれば、こうして彼に構っている自分は迷惑以外の何者でもなくて、ひょっとしたらただの邪魔な存在なのかもしれない。 そこまで思った時だった。 「しょうがないなぁ。まだ時間じゃないんだけど行ってみる?」 悪びれずに笑って言う。 「時間じゃない、って・・・何が?」 混浴があると聞いて色めきたっていたのではなかったか。 「ふふ。実は予約しておいたんだ」 にこにこしているジョーを前にフランソワーズはただただ呆然としていた。 ――ちゃっかりしてるんだから。 *** 「ねぇ、ジョー。気持ちいい?」 そこは家族単位で貸切ができる露天風呂だった。 「うーん。もうちょっと強めがいいな」 ジョーはぼうっと目を細め、そうしてしばらくしてから言った。 「じゃあ、交代」 フランソワーズもおとなしく従う。 「いやん、くすぐったーい」 くすくす笑うフランソワーズ。ジョーも一緒に笑っていた。 「・・・ねぇ、ジョー」 女の子なんだから手加減しなくちゃ、とジョーは自身を戒めた。 ――こんな華奢な肩で。 ジョーは目の前にあるフランソワーズの背中をじっと見つめた。 こんな――細い体で僕たちと同じように戦うなんて、本当はさせてはいけないんだ。 唇を噛む。 でも。 それはわがままとかそういうのではなくて、自分だけ安穏と生きているのは嫌なのだと、自分も同じくらいあなたを守りたいのと強い意志を湛えた瞳で訴えるのだ。そして、ここが重要なのだけれど、実際にそんな彼女に助けられたことは少なからずあるのだった。しかも、もしその時彼女がいなかったらおそらく――自分はいま、ここにはいないだろう。 「ジョー?どうかしたの?」 肩越しに心配そうな蒼い瞳が覗く。 「・・・なんでもないよ」 そう言うと、ジョーはフランソワーズの背中を湯で流す代わりにそうっと抱き締めた。 「ジョー?」 そう。 そのくらい、なんでもないさ。 ――守るから。きみのことはずっと。 1月15日 超銀の温泉 「混浴だってさ。フランソワーズ」 しゃっきり目を覚ましたジョーにフランソワーズはめんどくさそうに答えた。 「それくらいあるでしょう。今の温泉地には家族風呂っていうのがあるの、ふつうよ」 フランス在住でありながら、なぜか日本の温泉地に関して詳しいフランソワーズであった。 「冷たいなぁ。一緒に入りましょうくらい言えないのかな」 ひどいよフランソワーズと背中から抱き締められ、甘えるように鼻先を首筋につけられフランソワーズは顔をしかめた。 確かにここはふたりっきりの場ではない。 「もうっ、ジョー」 普段はまるでどこかの国の王子様のように、甘いセリフも平然とすらすら言うくせに。 が。 ――でも、そこがいいのよねぇ・・・ そう思ってしまうところが悔しいけれど惚れている証拠だった。 *** 「・・・フランソワーズぅ」 遠くから甘えるような声が響く。 フランソワーズは長いため息をついた。返事をする気はさらさらない。 「酷いよなぁ。いったい僕をなんだと思っているんだ」 今度は先刻よりもずうっと小さい声。独り言なのだろう。 「・・・」 フランソワーズはすいと体を動かして、湯船の端のほうに寄ってみた。 甘えてくるジョーをなだめすかし引き剥がし、フランソワーズは「ひとりでゆっくりお湯につかる」幸せを満喫していた。 ――ジョーがべたべたしてこないでゆっくり入れるお風呂って、やっぱりいいわ・・・。 そうしてうっとり湯に浸かっていたのだけれども。 ふと、むこうからの恨み節が途切れているのに気がついた。 ・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 静かになったらなったで気になってしまう。 ――もうっ。きっとこれも作戦よね?無視よ、無視! けれどもやはり何も聞こえてこない。 ・・・もう部屋に行ったのかしら。 それはそれで静かでいいと思うものの、声もかけず置いてきぼりにされたと思うとちょっぴり寂しくなってしまった。 ジョー。いるの? かといって、男湯を透視する勇気はさすがにない。 さっきまで幸せな気分でゆっくり浸かっていたお風呂も、途端になんだかとてもつまらなくなってしまった。 浴衣を着て脱衣所を出ると、ジョーがいた。 「ジョー!」 なんだか胸が詰まった。 「・・・先に帰ってると思ったわ」 うつむいたフランソワーズにジョーの手が伸びてそうっと髪を撫でた。 「寂しくなった?」 フランソワーズは何も言わず、ただ黙っていた。 「別々がいいって言ったのはきみだよ」 ああ、術中に嵌った。 「嫌いよ。ジョーのばか」 寄り添ったジョーの胸は、いつからそこにいたのかと思うくらい冷えていた。 「・・・冷たい」 ――もう、知らない。 「こんなんじゃ、ひとりでお風呂に入れられないじゃない。一緒にいないと心配だわ」 ほら。 「うん。フランソワーズがそう言うなら、一緒に入ることにするよ」 ずるいひと。 でも・・・ そういうところも好き。 1月13日 旧ゼロの温泉 二人揃って本日二度目の温泉へ入りに行く途中、ナインはふと足を止めた。 「どうしたの?」 スリーがその顔を覗きこむ。 「・・・ふむ」 ナインは眉間に皺を寄せ、険しい顔つきである。 と。 「・・・貸切の家族風呂・・・?」 何が迂闊だというのか、彼の横顔からは全くわからなかった。 「・・・予約制とはぬかったな。どうして今朝は気付かなかったんだろう」 わけは簡単だった。今朝は手を繋いで上機嫌でここを通ったので全く周囲のことなど目に入っていなかったのだ。 「――明日まで予約できない、か・・・」 ナインは声のしたほうを向いて、そこに酷く心配そうな顔を見つけ驚いた。 「どうした、フランソワーズ」 ナインは頭を掻いた。 「・・・悪い知らせというかなんというか・・・」 じっと見つめるナインの瞳にその答えが書いてあったようで、スリーは頬を染めて黙り込んだ。これから二人が向かう大浴場はもちろん男湯と女湯に分かれている。 「あの、・・・ジョー、もしかして、その・・・」 ナインはちょっと笑うとスリーの手をとった。 「うん。帰りに予約していこう」 大浴場へ向かいながら、ナインは上機嫌だった。 *** ――ジョーと一緒にお風呂。 そう考えただけでスリーは沸騰しそうで、大浴場の湯に浸かりながら落ち着け自分と言い聞かせていた。 そうよっ。 ただ、過去に一緒にお風呂に入った時はお互いにのぼせてしまって、気がついた時はバスタオルにくるまれて脱衣所に転がっていたのだった。しかも、それが貴重な「一緒にお風呂」の唯一の記憶である。 そ、そうよ。お風呂に入るだけじゃない。別に、ふつうのことだわ。 ちょっと考えた。 ・・・恥ずかしい・・・。 いやいや、でも。と、スリーは考えた。 ――うん。そうよね。きっと、どうってことないに違いないわ! 大きく頷いてみる。敢えて、自分もナインの裸体を見ることになるのだとは考えない。それは考えてはいけないのだ。 うん。大丈夫。 大きく息を吐いて、湯のなかでリラックスしてみた。湯に浸かっているにもかかわらず、ずっと体を強張らせていたのだった。努めてからだを伸ばし、リラックスリラックス、そうよたいしたことないじゃないと繰り返し唱える。 そして。 伸ばした両腕を見るともなく見たとき、今度は落ち込んでしまったのだった。 あああ・・・やっぱり、駄目。 湯に顔をつける。 やっぱり、ジョーと一緒にお風呂に入るなんて駄目。絶対、無理っ。 そう――前に彼に言われたことがあるけれども、それでもやっぱりスリーはずっと気にしていたのだ。 ――やっぱり、嫌。だって、・・・改めて見て、ああやっぱりフランソワーズって貧相だなあなんて思われたら私っ・・・ (作者注:スリーは自分が気にしているほど貧相ではないです) どうしよう。 一緒にお風呂に入る。ということに関しては許容したものの、次なる悩みが待ち受けていた。 ええと、・・・脱衣所からお風呂まで真っ暗にして・・・たら、怒るわよねぇ、ジョー。 やっぱり断ろう。 ・・・どうしよう。 どうして自分は温泉地に来てまでこんなことで悩んでしまうのか、スリーは深いため息をついた。 1月9日 「せっかくみんなで温泉に来たのにジョーったらずーっとごろごろしてるんだもの、もったいないわ。時間の無駄遣いよ」 ジョーの言葉にフランソワーズは黙った。 ここはとある温泉地にあるとある温泉宿。 「でもせっかくみんないるんだから・・・」 フランソワーズは食い下がった。が、ジョーの返事はつれないものだった。 「だから。別に申し合わせて来たわけじゃないし、こっちからみればいい迷惑だ」 他に二組のゼロナイがいたからってそこまで邪険にしなくてもとフランソワーズはちょっとだけ切なくなった。 「――せっかく二人っきりだったのにさあ」 ジョーの拗ねたような声が聞こえて、涙ぐんでいたフランソワーズはそちらに顔を向けた。 「わっ。なんだどうしたっ」 ――嫌なわけないだろっ そんなわけで、新ゼロの二人は寝正月と決め込んだ温泉旅行であった。 *** 新ゼロ組が部屋でごろごろしているので、なし崩し的に集合場所は彼らの部屋になっていた。 が、フランソワーズは偶然とはいえ新年早々集まったのだから、やはり一緒にお喋りしたりごはんを食べたりするのは嬉しかった。 いっぽうの男子組はそれぞれマイペースを保ったままである。 「・・・ねぇ、鬱陶しくないの?」 あまりのべたべたっぷりに超銀ジョーがこっくりこっくりし始めた隙に新ゼロフランソワーズが問いかけた。 「慣れてるから」 超銀のふたりにとって、一緒にいる時間はとても貴重なものだった。 「ふたりのときは大体いつもこんな感じだから・・・」 もっと凄いときもあることは胸のなかにしまった。 「それより、スリー。あなたたちって予定がびっしりでしょう。ちょっとはゆっくりすればいいのに」 矛先が旧ゼロ組に向いた。 「慣れてるから」 スリーの差し出したみかんをそのままぱくりと口にいれてナインはうむと頷いた。 「でも疲れない?」 いいの。と可愛らしく小さい声で付け加えた。 ここで彼に何か言われては困る・・・のではなく、おそらく彼が何か喋ると、いま静かになっている男子組に波風が立つのは間違いなかったからである。 「ジョーったら。そろそろ寝正月も終わりにしたら?」 部屋に入って来るなりフランソワーズが呆れたように言った。 「ずっとそうしてると腐っちゃうわよ?」 寝転んで雑誌を読みながらジョーが言う。 「そうじゃないわ。腐るのは精神。こうして怠惰な生活を何日も続けていたら、やる気の無い腐ったダメ人間になっちゃうわ」 しれっと言ったジョーの尻を思いきり叩いてフランソワーズは頬を膨らませた。 「まったくもう!」 「さすがフランソワーズ。哲学的だね」 すると対面のほうから称賛するような甘い声がした。 「まあ、いやだわ、からかわないで」 ジョーはその魅惑の甘い声に反応し、がばと体を起こした。そして殺気をみなぎらせてその主を睨みつけると同時にフランソワーズの手を引きかばうように背中に回した。 「そんな顔で睨むなよ。僕は真実を言ったまでだ」 ジョーが自分を俺と言うのは彼の中身が不良モードの時であった。 「いいじゃないか。減るもんじゃないし」 そう言うと彼は至って優雅に欠伸をした。 「やあ、すまない。昨夜殆んど寝てなくてね。なにしろ寝させてくれないんだよ」 そう言うと愛おしそうに傍らの金髪の女性を見つめ・・・見つめたところでその女性に頬をつねられた。 「余計な事は言わないの!」 *** その時、勢いよくふすまが開けられた。 「なんだなんだ。温泉に来てるのに入らないのはもったいないぞ!」 手拭いを肩にかけ、浴衣姿で彼は言った。 「僕は既に二回入った!」 大威張りである。 「・・・暇なやつ」 口口に言われたが、ひるまない。 「その様子じゃ混浴なのも知らないな?」 「なにっ」 急に意気投合したふたりのジョーにふたりのフランソワーズから鉄拳制裁が下った。 「混浴なんて入ってないでしょう。もう、適当な事言わないで」 蒼い瞳の女性が入ってきた。彼と同じ浴衣姿である。 「願望を言ったまでだ」 小さく言うと彼の横を素通りしてこたつに入った。恥ずかしいのか頬が染まっている。 「あら、まだ一緒にお風呂に入る仲じゃないの?」 女性二人に問われ、彼女の頬は更に染まった。無言で首を横に振る。 「ち、違います・・・」 消え入りそうな声に魅惑の甘い声の持ち主が 「可愛いね」 と、にっこり笑って言った時だった。 「ひとの女に色目を使うな!」 先程から仁王立ちだった浴衣の彼が凄まじい形相でにらみつけた。 「ジョー、ダメよ喧嘩は」 頬を染めていた彼女が慌てて顔を上げた。 ****
超銀組がお風呂に立っても、変わらずにいる。旧ゼロ組は散歩に行ってしまった。
「メンドクサイ、ってお風呂よ?温泉よ?」
「後で入るよ」
「じゃあ、どこか出かけましょうよ」
「うーん。・・・後でね」
「後でって・・・ん、もう!」
その背中はいつもの彼の背中ではあったけれども、なんだか今日は違って見えた。
そう、まるで――自分を拒絶しているかのよう。
そんなことがあるわけがないと思いつつも、つい思ってしまう。
周りのひとを信用せず独りだけで生きてきた――ということは、つまり。
急に静かになったフランソワーズを気にしたのか、ジョーが体を起こした。
「うん?風呂」
「お風呂って、だっていつでも入れるわよ?」
「それは大浴場のほうだろ?僕が言ってるのはそっちじゃないほう」
「そっちじゃないほう、って・・・だって」
それはその存在を知らなかったからに違いないわけで――
「って、知ってたの?」
「ああ」
同じようなお風呂がいくつも並んでおり、ジョーとフランソワーズのふたりはそのなかのひとつに仲良く入っていた。
「強め・・・こう?」
「ん。そうそう、そんな感じ」
「うふ、気持ちいい?」
「うん。気持ちいい」
「よかった」
「はい」
「ほらほら、動いたら駄目だろ」
「だってくすぐったいんだもの」
「じっとしてて」
「はあい」
「なんだい?」
「気持ちいいわね」
「うん。そうだね」
「・・・一緒にいるからかしら」
「そうだね」
「これからもずうっと一緒にいてくれる?」
「うん」
「ほんと?」
「うん」
「ねぇ、ジョー」
「うん?」
「ちょっと痛いわ」
「え?あっ、ごめん!」
そう――いくらサイボーグといっても、フランソワーズは女の子なんだから。
だからといってフランソワーズは、ただ守られていることに甘んじていてはくれない女の子だ。
もっと、ふつうの女の子のように大人しくじっとしていてくれたなら僕の心配も半分――いや、それ以上は少なくなるだろう。でも、そうしていてはくれない。
「・・・なんでもない」
なんでもないことなのだ。
どんなに華奢な女の子でもフランソワーズは戦士に間違いない。その彼女が一緒にいたいというのならば、自分はもっと――もっともっと頑張って強くなって、彼女を守ればいいだけの話なのだ。
「いつも入ってるでしょう」
「いつもじゃないよ、別々に住んでいるんだから」
「一緒にいるときはいつも一緒でしょう」
「それとこれとは別」
「いつも一緒だから、温泉くらいは別々っていうほうがいいんじゃない?」
「ええっ、なんだよそれ!」
「ジョー。みんな見てるわ」
「知るもんか」
新ゼロのふたりと、お風呂から戻ってきた旧ゼロのふたりが一緒にコタツに入っている。ジョーは自分の背中にくっついて甘えているので周りが目に入っていないからいいが、自分はまともに全員と目が合ってしまった。
「嫌だ。一緒にはいりましょうジョーって言ってくれるまで離さない」
「なによそれ。子供じゃないんだから」
「子供じゃないから言ってるんだろ」
「そういう意味じゃないってば・・・」
行動だってナイトのように頼れるのに。
なのに、どうして時々、こんな風にぐずぐずに甘えん坊になってしまうのだろうか。
フランソワーズにとってその落差は謎としか言いようがなかった。
否、甘えるようなというより、どこか恨めしげな響きを帯びているといったほうがより正確だろうか。
が、こういう独り言でも浴室ではよく響くものである。それが大浴場であればなおさらであり、更に言えばフランソワーズには彼がどんなに小さな呟きをもらしたとしても全て聞き取ることができてしまうのであった。幸か不幸か。
前面はガラスになっていて眼下に景色を見ることができる。
そう、ここは大浴場であった。間違っても混浴ではないし、従って家族風呂でもない。
ジョーの先刻からの恨み節は男湯から聞こえてくるものであった。
なにしろ、本当に普段一緒に過ごすときはお風呂も一緒なのだ。のんびり手足を伸ばして入れたことなどない。
もちろん、ふたりにとって短い逢瀬の時はそれが苦にはならないし、むしろそうしないと不安になってしまったりもするから多少の窮屈はどうってことなかった。
けれども、せっかく「温泉」に来ているのにゆっくりはいることを放棄する必要があるだろうか。
否。
断じて無いはずである。
そんなわけで、なかばジョーを振り切って女湯に飛び込んだフランソワーズであった。
ジョーもとうとう諦めたのかしらと思ったのだけど。
いないの?
だからフランソワーズはそそくさと体を洗うとさっさとあがってしまった。本当はもっとゆっくりするつもりだったのに。
「やあ。遅かったね。のぼせてないかい?」
「まさか。きみを置いて帰るわけないだろう?」
「・・・だって」
「ふうん」
「・・・出る時に声かけてくれたっていいじゃない」
「あれ。怒ってる?」
「・・・ばか」
そう思ったけれど、どうしようもなかった。
「うん」
彼はいったいどのくらい前からここにいて自分を待っていたのだろう?
「そう?」
「湯冷めしちゃってる」
自分から言っちゃった。
私がそう言うように作戦を立てていたくせに。ミエミエなのよ。
その視線の先にあるのは一枚の張り紙であった。
いったいそれがどうしたのだというのだろう?
スリーは何か世界の平和を乱すようなことでも書いてあるのかと、咄嗟に休日気分を引き締めた。
ナインがもしも戦うというのならば自分も当然それにならうつもりである。並んで一緒に張り紙を見つめた。
「うん。迂闊だった」
貸切の家族風呂というものが何か邪悪な催しなのだろうか。
「あの、ジョー?」
「うん?」
「あの、これ・・・貸切のお風呂がどうかしたの?」
「えっ?」
「何か悪い知らせ?」
「あ――いや・・・」
「ね。家族風呂って家族単位で入るお風呂のことでしょう。そう書いてあるわ」
「うん」
「貸切が基本なのね」
「うん」
「ということは・・・とってもプライベートな空間というわけね。大浴場と違って」
「うん」
「・・・・」
「ええっ」
いっぽうのスリーは頭のなかがぐるぐるしていて、温泉に入る前からのぼせてしまっていたのだけど。
べ別に初めてってわけじゃないんだから!
それでもスリーにとっては「ジョーと一緒にお風呂に入ったこと、あるもんっ」となるわけである。
ふつうの恋人同士なら誰だって経験があるのだろうし。
・・・・。
・・・・・・・・あるのよね?
いまスリーの周りにいる二組の恋人たちはちょっぴり特殊のような気がしたからだった。
もしかしたら彼らは「ふつう」ではないかもしれないから、あまり参考にしないほうがいいのかもしれない。
超銀のふたりは、一緒に入るのは当たり前みたいな顔をしていたし。新ゼロのふたりに至っては、元々が一緒に住んでいるのだから、これまた当たり前なのかもしれないし。
そんな当たり前のひとたちを前にして自分が意見を言えるわけもない。恥ずかしいのと言っても何が?と逆に訊かれそうだし。
これはやっぱり普通に平気な顔をして一緒にお風呂にはいるべきなのだろうか。
でも。
こんな風に流されていいものなのだろうか。
もちろん、ナインと一緒にお風呂に入ったからといって何がどうなるというわけでもない。
ただ、やっぱり――
そう、自分のその――裸の姿を見たことがある男性といえば、つまりはナインしかいないわけで、それは未来永劫、彼だけと言いきれる。だから、彼にしてみればもしかしたら自分の裸体など見慣れているという範囲になるのではないだろうか?
自分のスタイルというものを。
ナインの周りには、スタイルが良いことが条件の職業の女性が山ほどいて、彼はそれを見慣れているからきっとそれがふつうだと思っている。そんなことはないよと言っていたけれど、それはきっと自分を気遣ってのことだったろう。
だから。
そう思ったものの、さきほどの「一緒にお風呂」を楽しみにしているナインの顔を思い出すと、とてもじゃないが言い出せそうになかった。
「時間を無駄遣いするために温泉に来たのさ。別にみんなは関係ない。たまたま同じ宿だっただけという話じゃないか」
確かにジョーの言う通りだった。
宿泊客は20組までという静かな宿であった。
正月休みを兼ねて一週間程度の滞在という贅沢な日程でジョーとフランソワーズはやって来ていた。
特に何をするという予定はない。ただフランソワーズが温泉に入ってゆっくりしたいわと言ったのにジョーが頷いて実現しただけの旅行であった。
宿の周囲には何もないというわけでもなかったが、かといってみやげ物屋がひしめいているような場所でもなく静かである。ただ、少し歩けば神社があって初詣もできるしちょっとした観光だってできる、そんな場所であった。
だがしかし。
ものの見事にジョーは寝正月を堪能し尽くした。
寝正月とはこういうことを言うのだとフランソワーズが呆れつつも納得したくらいである。
「そんな」
確かにこの宿を選んだのは偶然だろう。日程が同じだったのもまた偶然だろう。――いや、製作者の作為か(そうです)
ジョーは相変わらず寝転がって向こうを見ているものの、背中がなぜか照れているようだった。
フランソワーズは微かに首を傾げ――そして、ジョーの背中にダイブした。
「いいの。私もごろごろするのに決めたのっ」
「ごろごろってひとの背中でするもんじゃないだろ」
「ジョーは嫌?」
「えっ・・・」
二人にしてみればいい迷惑である。
それはどのフランソワーズもそうだったようで、彼女たちはいずれも笑顔満開であった。
新ゼロジョーは相変わらずごろごろしているし、旧ゼロナインは勝手に予定を作り上げてはスリーを伴って外出しているか風呂に入っているか、ともかくじっとしてはいない。
超銀ジョーはどうかというと、彼の場合はフランソワーズと一緒にいることが優先事項らしくいつでもどこでもべったり彼女と一緒にいた。
超銀フランソワーズはそんなジョーに膝を貸しつつ、にっこり笑んだ。
「慣れてる、って・・・だって遠距離でしょう。あなたたち」
「ええ。だから慣れてるの」
だから、ジョーがべったりくっついて離れないというのは特に今に限ったことではないのであった。
みかんを剥いてナインに渡していたスリーは顔を上げた。
「慣れてる・・・」
「ええ。やることがたくさんあるのが好きなのよ、ナインは。ね?」
「慣れてるから」
「・・・そう」
「それに、その・・・一緒に出かけるの、嬉しいから」
ナインが何か言いそうになったので、スリーは慌てて次のみかんを彼の口に押し込んだ。
何しろ、新ゼロジョーは「ごろごろして時間を無駄に過ごすために」来ているのであり、超銀ジョーは「予定なんて関係なくフランソワーズと一緒にいさえすればそれでいい」のであるのだから、ナインとは真逆の考え方なのだ。
休日をどう過ごすのかはひとそれぞれ。
しかし、それに意見をしそうな熱血漢はナインそのひとなのであった。
視線の先にはコタツに入って寝転んでいるジョーがいる。
腹這いになったり横向きになったりゴロゴロを堪能している。
フランソワーズは溜め息をつくと続けた。
「腐らないよ。サイボーグなんだから」
その雑誌を奪い取ってフランソワーズは更に言った。
「いいよ、別に」
「からかってなんかいないさ。本音だよ」
「俺のフランソワーズに話しかけるな」
彼もこたつに入って寝転んでいたのであった。眠気を催すのも不思議ではない。
ただジョーと違うのは、寝転んでいるというより横になっているわけで、更に言うなら肩肘ついて頭をのせており、半身を起こしているということだった。そしてその傍らには金髪の女性が甘えるように彼に寄り添い目を閉じている。眠っているのかもしれないが定かではない。
彼は欠伸を終えると片目をつむってみせた。
「いいじゃないか、ほんとの事なんだし。イテテテ」
「それが余計な事だっていうのよ、ジョー!」
両手を腰にあて胸を反らせ、
ちなみに今は午後一時。
「無駄に元気だよなぁ」
「それを早く言え!」
「なによ、願望って」
「まさか、まだ?」
「だったらいいじゃない。彼氏と一緒なら恥ずかしくないでしょ?」
「一緒だから、恥ずかしいんです・・・」
・・・という新春のゼロナイミックス冒頭を拍手ページにアップしておりました。
ややクイズ形式だったのですが、わかってくださった方が多数でほっとしました〜♪