♪ いきあたりばったりの特別企画 ♪
〜一番のバカップルは誰だ〜
・3/25から5日連続の企画(予定)
・旧ゼロ・新ゼロ・超銀の昭和ゼロナイ三組による小咄。
・その三組のなかで一番のバカップルはどの組かを決める企画。
投票ありがとうございました♪
一番のバカップルは新ゼロでした!!
(全51票中・・・新ゼロ 29票、超銀 15票、旧ゼロ 7票)
3月31日 「一番のバカップルは誰だ」D D「好き?」「好きじゃないよ」「……」「愛してる」というパターンを実行してください。 <旧ゼロ> 「私、別にナインのことを好きってわけじゃないもの」 立ち聞きしたつもりはなかった。たまたま通りかかった時に聞こえてしまったのだ。 「ええっ、だって付き合っているんだろう?」 何故か妙に歯切れの悪いスリー。ナインはドアの隙間から中の様子をそうっと窺った。 ――いったい何を話してるんだ。 ナインはいらいらと更に身を乗り出し――なんとも格好悪いことに、バランスを崩して室内に雪崩れ込むことになった。 「ジョー!」 スリーの話していた相手はナインの知らないひとだった。 「や、やあ」 ナインはこほんと咳払いをすると、スリーの隣の男をじっと見た。 「スリー、こちらはどちらさまかな」 よろしくと差し出された手をおざなりに握り返し、ナインはそっと値踏みした。 「そうか。きみがナインか」 妙に納得したように言われるのも腹が立つ。その隣のスリーの頬が瞬時に染まったのも解せない。 「今日、来るって言ってなかったわよね?」 もじもじとするスリー。いつもなら、可愛いなあと目を細めるところだけど、今日は更にイライラさせる原因となった。 「僕が来たら邪魔だった?」 にこやかに言われるとますます意固地になるナインであった。 「いや。楽しい語らいの邪魔をする気はなかった。すまない。――じゃあな、スリー」 こちらもにこやかに手を挙げたナイン。 「待って!!」 しかも掴んだだけではなく体当たりも一緒だった。 「――何?」 しかしナインは動じない。びくともせず、恐ろしく冷徹な声で答えた。 「…どうして、今日はスリーって呼ぶの」 無意識だった。フランソワーズと呼ばずスリーと呼んでいたのは。気持ちが落ち着かない、あるいはスリーに対して何かわだかまりがある時にそうなってしまうのだった。 「――人前だぞ」 そりゃ目の前の客人に失礼じゃないかとナインは目をつむったが何も言わなかった。 「ジョー、何か誤解してるの?」 ナインが黙り込んで沈黙が数分に渡った頃、その存在を忘れられかけていた研究員が話し出した。 「あのぅ…、もしかしてやっぱり誤解してませんか。その、さきほどの僕とスリーの会話なんですけど、…実験中の待ち時間とかに雑談するんですけど、そこでスリーから出てくる話って言うのがきみのことばかりで、だからスリーにきみはナインのことがとても好きなんだねといつも言ってるんです。ええと、ギルモア博士も含めて、ですが」 いったん言葉を切ってスリーとナインの様子を見るが、ふたりとも微動だにしなかった。 「で、そう言うといつもスリーは好きじゃないと否定するんですが、…もしかしてさきほどそのあたりを耳にされたのではないかと」 スリーががばっと顔を上げると、素早くナインの正面に回りこんだ。 「違うの、誤解なのよ!」 好きじゃないんだろ、と小さく言うのにスリーは真っ赤になって首を振った。 「違うの、続きがあるの!いつもそう言ってるのよ」 途端、勢いをなくし真っ赤になってスリーは黙り込んだ。 「それは好きじゃなくて」 気を利かせて言おうとする研究員にスリーは慌てた。 「じ、自分で言うわ!あのね、ジョー。つまりね、」 ナインの頬に静かに赤みがさしてきた。 「な……」 いっぽうのスリーは、もう言い切ってしまったのでどうでもなれと度胸が据わったようだった。じっとナインを見つめている。 「そ、そういうことは!」 見つめてくる蒼い瞳から逃れられず、ナインはあえなく撃沈した。虚勢を張ろうとしても無理だった。 「――そういうことは、二人だけのときにしてくれ。フランソワーズ」 <超銀> 「ほら、やっぱりきみは僕を好きなんだな」 勝ち誇ったように言われ、フランソワーズはなんだか見透かされているのが悔しくて、ちょっと意地悪な気持ちになった。 「好きじゃないわ」 しかし。そんな言葉では目の前の自信満々のひとはびくともしない。薄い笑みを口元に湛えたまま、じっとフランソワーズを見つめている。 「…ジョー?」 さすがにそれは口が裂けても言えない。事実ではないのだから。 「そうだよね。良かった。いちおう、確認しておかないと」 よく言うわ、とフランソワーズは胸の裡で呟いた。 「きみに好かれてないと落ち込むよ」 ――そうなのだろうか。 改めて見ると、確かに彼の言う通りどこか不安そうな陰があるような気がした。 「本当のことを言ってほしいな」 縋るように言われ、ちょっとだけ心が動いた。既に、ジョーに対する意地悪な気持ちは消えていた。 「ね、フランソワーズ」 でも、こう簡単に種明かしをするのもなんだか悔しい。もっとジョーをやきもきさせる予定だったのに。 「――だって愛してるから?」 にっこり笑って言われ、フランソワーズは呆然と目を見開いた。 「僕に意地悪しようとしても無駄だよ、フランソワーズ。きみのことはお見通しなんだから、ね」 その自信はいったいどこから出てくるのだろうか。 「意地悪なんかしないわ。小心者の彼氏を持つと大変なのよ?」 そう言ってそっとジョーを抱き締めた。 <新ゼロ> 「好き?」 くすくす笑うフランソワーズにジョーはなんだか釈然としなかった。 「じゃあ、ジョーはどうなの?」 自分は彼のことを好きなのではなくて大好きなのだと言った後でのこの答えは期待はずれと言ってもいいだろう。 「じゃあ、…嫌い、なの?」 ぎゅうっと抱き締められ、フランソワーズは満足そうに目を閉じた。 「ねぇ…じゃあ、好き?」 ジョーは考えた。散々考えた末にポツリとこう言った。 「大好きじゃないよ」 それに驚いたのはフランソワーズだった。こんな答えは想定外だ。 「大好きじゃないの?」 好きと訊いたらうんと言われた。が、大好きかと訊いたらそうではないと言われた。つまりはそういうことなのだ。 「……だって、愛してるから」 3月28日 「一番のバカップルは誰だ」C C花にきみの名前をつけても…いい? (「名前はスイートキャンディ♪」←新ゼロジョー氏と声が同じでしたね) 「えっ、私の名前…?」 いくら新種のバラとはいえ、花に好きな女の子の名前をつけるなど少し――いやかなり――恥ずかしいことなのではないだろうか。 「新種のバラだよ。きみの名前をつけたいんだけどいいかな」 なんて言うなんて! 「あの、ジョー…?」 こそばゆいセリフを平然と言うジョー。フランソワーズは彼の額にてのひらをつけた。残念ながら、熱はないようだ。 「イヤだな、フランソワーズ。僕はいたって正常さ」 はははと笑うが、果たして正常なひとが自らを正常だと保証するものだろうか。 「正常だからこそ、こうしてこの花にきみの名前をつけようと思っているんだ」 フランソワーズを一本ください? それはちょっとイヤかも。 ジョーは空を見た。いい天気である。この気持ちのいい朝に花開いた新種のバラ。それにフランソワーズの名前をつけるのは至極当然のことのように思えたのだけれど。 「花束だったら、フランソワーズで花束を作ってくださいって言わなきゃいけないのよ?変でしょう?」 いや、そうでもない。 ジョーはフランソワーズの花束を想像してみた。フランソワーズがたくさん。ちょっと楽しくなった。 「別に変じゃないと思うけど」 断固として拒否するフランソワーズにジョーは残念そうにため息をついた。 <超銀> 「綺麗ねぇ…この花。ね、名前はなんていうの?」 ふたりでフラワーセンターにやって来ていた。いま、ふたりがいるのは新種のバラが置かれたブース。花には名前がついておらず、どうやら一般公募する趣向のようだった。 「うん。きみにぴったりだ」 にこにこと言うジョーにフランソワーズはほんとかしらと疑惑のマナザシを投げた。 「花に女の子の名前をつけるなんて、昔の少女漫画の世界だけと思ってたわ」 でもそれってちょっと…嬉しいというより、迷惑な感じがするのは、自分が少女漫画の主人公ではないからだろうか。 「まぁ、もちろん」 ジョーはフランソワーズの肩を抱き寄せるとその耳元で囁いた。 「きみはバラよりもずうっと綺麗だけどね」 <旧ゼロ> 「花にきみの名前をつける?何言ってるんだ、絶対に駄目だ!」 頭から湯気がでているかのように真っ赤になって怒るナイン。ぐるぐるとリビング内を意味もなく歩いている。 「でも…嬉しいわ」 スリーが頬を膨らませると、ナインはつかつかとやってきてその頬をつんとつついた。 「騙されちゃ駄目だ。いいかい、星に名前をつけるのと花に名前をつけるのとじゃワケが違う」 ナインはスリーの目の前に人差し指をつきつけた。 「いいかい?ゴーチェがつけたいと言ってるんだ。それはつまり、きみのことを彼は特別に思ってるということになる」 ゴーチェの気持ちはナインに指摘されるまでもない。 「それを深く考えもせず、花にきみの名前をつけることを許可したらどうなるか。彼は一国の王子だぞ。国中に、この花の名前は王子の思い人の名前ですってすぐにばれる。そうすると、きみは同意したんだから、王子と思いが通じ合っているんじゃないか、いやそうに違いないということになるぞ」 ナインは鼻で嗤うと、 「それから問題のふたつめだ」 と、スリーに二本指をつきつけた。 「実はこっちのほうが重要だ。ゴーチェなんかどうでもいい」 まったくゴーチェが絡むとどうしてこう熱くなってしまうのかしら。 「いいかい?フランソワーズ。花と星の決定的違いは、花はいつか散るということだ」 散ってしまったら悲しいだろ、と投げるように言ってそっぽを向いたナイン。でも彼の耳が真っ赤であるのをスリーは見逃さなかった。 3月27日 「一番のバカップルは誰だ」B B紫のバラのひとがいたら…どうする?(*「紫のバラのひと」=コミック「ガラスの仮面」に出てくるあのひとです) 「公演のたびに楽屋に花束が届く?……ふうん。熱心なファンもいるもんだな」 ナインは笑うとその話は終わったかのようにコーヒーカップに口をつけた。 「公演の時だけじゃないの。ふだんのレッスンの時も届くのよ。時々だけど」 ナインは、あははと大きく笑うと、 「そんなに心配することないんじゃないかな。ただの熱心なファンだよきっと」 うんうんと頷くナインにそうかしらといちおうは納得したスリーだったけれど。 「…やっぱり変だわ」 ナインの態度である。 「…ううん。そんなことない」 セブンにさえ妬く彼である。そうそう簡単にヤキモチやきが直るわけがない。 ではいったい、どうしたことだろうか。 「もしかして」 スリーははっと顔を上げた。 「私のこと、そんなに好きじゃなくなった…?」 妬いてくれないということは、どうでもいいということではなかろうか。 心変わりしたナイン。 そういうことだろうか。 だから、スリーにどんなファンがつこうが興味を持たなかったのではないか。 「そんなの、」 絶対にイヤ。 数日後。 いつものようにスリーをレッスンに送ったナインは、そのまま花屋に寄っていた。 ――僕もいちファンに違いないしな。 満足そうに笑った。 …まったく、彼女はなんでもひとりで抱え込んでしまうからなぁ。 でもそんなところも好きなんだけど。 <超銀> 公演後にジョーが楽屋で待っているのは珍しいことではない。 そして今日も。 「フランソワーズ、お疲れさま」 笑いながら言うジョーから頬にキスをもらって、私は改めて周囲を見回した。 「ねえ、ジョー?」 彼の腕を解いて、その胸から離れる。 「なんだい?」 ジョーは上機嫌だ。 「あの、お花を頂くのは嬉しいんだけど、その…こんなにたくさんは困ってしまうわ」 眉を寄せるジョーに構わず、私は周囲を手で示した。 「こんなにたくさん。いくらなんでもちょっと大げさじゃないかしら」 そう。楽屋はそこらじゅうに花が溢れていた。まるでバラの庭園にいるかのよう。ううん、庭園よりもっと凄いかもしれない。 「――僕じゃないよ」 沈黙。 お互いに考え込んで、そしてしばらくして。 「…きみのファンかな」 真っ赤なバラに囲まれている。ジョーはそれが引っかかるらしい。 「――きみ、赤いバラの方が好きだったかな」 だからジョーはピンクのバラしか持ってこない。 「きみの熱烈なファン、か」 確認するように言って。 「――ちょっと気に入らない、な」 小さく嗤った。 その公演から数ヵ月後。 私は大きく息をつくと楽屋に入った。 「もう…ジョーったら」 <新ゼロ> ファンから花が届く。――なんてことは、特に珍しいことではない。 「なんだい、フランソワーズ」 いや、話の流れから言ってなんでもないことはないのは僕だってわかっているし、彼女が何を期待しているのかもわかる。わかるんだけど――僕にはハードルが高い話なんだよ、わかってくれよフランソワーズ。 「フランソワーズ、そのぅ…僕がそういうことをしたら嬉しい…か、な」 困った顔で、こちらの様子を窺いながら確かめるように言うジョー。 「そうね。嬉しいわ」 わざと意地悪して言ってみる。と、てきめんにジョーは困惑顔をした。 「だって、どのくらいファンなのかわかるもの」 ちょっとした助け舟。ジョーをいじめるのは楽しいけれど、ほどほどにしないと後が大変。 「僕はファンじゃないから、しないよ」 うつむいて、悲しげな顔をしてみせる。 「ファンじゃないよ、恋人なんだから!」 3月26日 「一番のバカップルは誰だ」A A昭和の黄金パターン:曲がり角でぶつかった男女は恋に落ちる…らしい? 「そんな角があるのか。危険だな」 ナインは考え込むように顎に手をあて床を見た。 「ぶつかったら大怪我するじゃないか」 スリーはナインが何を考えており、どんな答えを導き出そうとしているのかサッパリわからず、ただ曖昧に相槌を打つに留めた。 「うん。小学校の通学路にもなっていることだし、ここはひとつ交通整理をしないといけないな」 ナインが言う交差点には、旗を持って先導する緑のおじさんなる人物がいらっしゃる。だから子供たちの安全は守られてきたし、これから先も守られるだろう。おそらくナインの出番は無い。 「それに確か、少女漫画によればそういうのは遅刻しそうになって走ってきた生徒がそうなるのよ。遅刻しそうで周りが見えてないから危ないんじゃないかしら」 それに大体、ナインの心配はいったいどこに向かっているのかわからない。 「それに、その道なら私もお買い物に行くのに毎日通るわよ?」 断固として宣言するナインにスリーは仕方ないわねとため息をついた。特に危険があるわけではないのだから、おそらく数日で飽きるだろう。それまで我慢すればいいだけのことだ。 「気をつけて、フランソワーズ。余所見しないように」 真面目な顔のナイン。スリーも真面目に答えたその時だった。 「わっ!!」 スリーを守ろうと彼女の前で左右を窺っていたナインであるが、後ろ向きに歩いていたため道路の何かにつまづいて、思いっきりスリーに向かって倒れこんでしまったのだ。 「きゃっ」 咄嗟のことによけきれず、スリーは見事にナインとごっつんこしてしまった。 「…いったぁーい」 目から火が出るという諺(?)は実話だったと実感した。 「…ぶつかっちゃったわね」 で。 つまり二人は恋に落ちる…? 「ジョー、いったい何につまづいたの?」 そんなものがあるのかどうか、あったのかどうか、定かではない。 <超銀> 「へぇ…そんなジンクスがあるんだ?」 彼は少女漫画や恋愛ドラマとは無縁のひとだった。 「…ぶつかったこととか、無いの?」 …それって。 「体当たりってもしかして…女の子だった?」 違うのかもしれない。 「その、ぶつかった相手に好意を持ったりとか…した?」 前髪をかきあげ、天を仰いで。横目でちらりとフランソワーズを見つめ、ジョーはちょっと笑った。 「気になる?」 少女漫画の定番なのだから、日本だけの専売特許ではないだろう。……たぶん。 「――ふうん。じゃあきみはパリで誰かとぶつかったりしたのかい?」 ジョーの瞳に不穏な影がよぎった。が、フランソワーズは気付かない。 「余所見しないから、ぶつかったりしないわ。それに道もそんなに狭くないし」 ――そんなわけで、フランソワーズは意味もなく角に立ってジョーを待っているのであった。 待ち合わせの時間まであと数秒。 両脇に女性がいる。 それも、楽しそうに語らって。 ジョーの手が両脇の女性の腰に回っている――ように見える。 フランソワーズはジョーがあと数メートルという地点まで来ると、地を蹴った。 「うわっ」 ジョーの胸に頭突きした。 「きゃあっ」 跳ね飛ばされる女性二人。が、咄嗟にジョーが優しく彼女たちを押し遣ったためダメージは全く無い。 「…過激だなぁ」 けれども、当初の目的は達成された。 「怒ってるのかい?」 <新ゼロ> ジョーは日本生まれの日本育ちである。漫画大国であるから、幼少期からコミック関連には事欠かなかった。男子ではあるけれども、小学生の時分には少女漫画も回し読みしていたくらいである。 曲がり角で出会った男女は恋に落ちる。 王道である。 だからジョーは落ち着かなかった。 だから、ジョーは決心した。 ――角でぶつかるのは僕が最後になればいい。 そうすれば、以後、フランソワーズが誰かと恋に落ちる危険性は回避できるのだ。 地道な努力であった。 しかも、ただぼうっと角に立って待っているのだから、不審なことこの上ない。 ――ピュンマと恋に落ちるなんて、そんなの絶対嫌だ。そんなことになっていたら、僕は… いや、駄目だ。考えるのをやめなくては。 それに、そろそろフランソワーズがやって来るはずである。 が、ジョーは悶々と考えるあまり彼女のちからをすっかり失念していた。 「…またいるわ」 ここ数日、ジョーが自分を待ち伏せしているのは知っている。明るく手を振ってくれればいいのだけれど、そうではないから真意が見えない。なので、フランソワーズはちょっと警戒していた。 だからフランソワーズはついつい進行方向を変えてしまっていた。 「せめてわけを言ってくれればいいのに」 今日も電柱脇にジョーを認め、フランソワーズの足取りは自然と遅くなった。ゆっくり歩きながらいったい何が彼に起きているのか考察してみる。なにしろ、ギルモア邸ではいつもの通り変わらない彼なのだ。 「この前、ピュンマとぶつかったって言ったから心配しているのかしら」 だから、角に立っている…? そんなことをつらつら考えていたからだろうか。今日は進行方向を変えるまでもなくジョーの元に着いてしまった。 「あ、ごめん――やあ、フランソワーズ」 まるで今初めてフランソワーズに気がついたかのようなジョー。心なしか笑顔が明るい。 「ジョー。どうしたの?」 ずうっとここで待っていたじゃない。 「偶然だなあ。驚いたよ」 ぐ、偶然……? 「まさかきみとぶつかるなんてね」 満面の笑みで満足そうに言うジョー。 「痛くなかったかい?」 ジョーの行動の意味はわからないけれど。 「フランソワーズ」 そうしてお互いに笑った。
ナインはそう己に言い訳をした。そう――たまたま自分の名前が呼ばれたので、立ち止まってしまっただけのこと。
それだけのことなのだ。誰だって、自分の名前が話題に上っていたら気になるだろう?
ただ、何話しているのとその輪に入ってゆかなかったのは、いつものナインらしくないことに彼自身気付いていなかった。
「ええ…そう、ね」
ギルモア邸のリビングにいるのは、スリーと…誰だろう、見えなかった。ただ、声からいって男であることは間違いない。
「うわっ、なんだなんだ」
「ジョー、驚いたわ」
「あ。博士の研究を手伝ってくださっている研究員さんよ」
博士の研究を手伝っている研究員ということは、ギルモア邸に通ってきているということだ。ということはつまり、スリーとも知己の仲であり――。しかし、ただの知り合いというには先ほどの会話はプライベートな領域に踏み込んでいなかっただろうか。
それに。
話の流れからいって、彼はスリーを憎からず思っているのではないだろうか。
そして、ここが問題なのだけれど、スリーはナインと付き合っていることをはっきりと言わなかった。いや、いちおう肯定してみせたけれど、それもどこが歯切れが悪くなかっただろうか?
ナインの胸にもやもやしたものが生まれた。
なんだかすっきりしない上に、妙にいらいらする。
しかも。
今日はいったい何の用で――とナインが彼に問いかけようとした機先を制し、スリーに同じことを訊かれたのも遺憾だった。
「僕が来たらいけないかい?」
「そうは言ってないけど…」
「えっ?」
「別に邪魔とかじゃないよ。ね、スリー」
背を向けて部屋を後にしようとした時、ジャケットの裾をスリーが掴んだ。
その声にスリーは一瞬びくりと体を震わせたものの、それでも握り締めたジャケットを離すことはなかった。
ナインの背に身を預けたまま、小さく言った。
「……え」
「何か怒っているの、ジョー」
「……」
「こっちのほうが大事なの」
「してないよ。別に」
「嘘よ」
「……」
「そうなの!?ジョー」
「……」
「誤解って何がだ」
「へえ。いったいなんて?」
「そ・それは…」
「ああ。つまり?」
「その。わ、私はジョーのことを好きなんじゃなくて、あ」
「あ?」
「……愛してるのよ。って……」
「へえ。そう」
「ええ、そうよ」
「なにかな」
「私、あなたのことを好きじゃないって言ったのよ?」
「うん」
「意味、わかってる?」
「わかってるよ。きみこそわかってるかい?」
「ええ。おかげさまで」
「好きじゃないってことは嫌いってことかな」
「そうは言ってないでしょ」
「……不安?」
「僕は小心者だからね」
「でも今は落ち込んでないじゃない」
「そう見える?これでも必死に平静を保ってるんだ」
「……」
「…好きじゃないわ。だって」
「えっ?」
「……もう」
そう思ったものの。
「ううん、好きじゃないわ」
「じゃあ嫌い?」
「嫌いなわけないでしょう」
「だったら好き?」
「ううん。好きじゃないわ。だって、だーい好きなんだものっ」
「あ。なんだよそれ。ずるいなあ」
「ずるくないわよ、本当のことよ」
「僕?」
「ええ。好き?」
「…うん」
「それだけ?」
「えっ、駄目かな」
「駄目じゃ…ない、けど…」
こういう他愛のない会話の場合、軽い気持ちで同じように答えるのが普通ではなかろうか。
特にすることもなく、ジョーの部屋で彼とじゃれていたフランソワーズであったが、さきほどまでの温かくてくすぐったくて幸せな気分がちょっとだけ薄らいだような気持ちになった。
「ええっ、どうしてそうなるんだよっ」
「だって…」
「嫌いなわけないだろう!!」
ジョーの胸が温かい。抱き締める腕の強さも心強くて安心する。
「……うん」
「そうじゃなくて」
「え。だって」
「私は言ったのに。好きなんじゃなくて、大好きよ、って」
「……」
「じゃあ、大好き?」
「……」
「うん」
「…そう…」
彼と自分の気持ちには開きがある。俗に言う温度差というあれだろう。
しょんぼりうなだれたフランソワーズの耳元にジョーの息がかかった。
<新ゼロ>
フランソワーズはしみじみとジョーの顔を見た。
普段の彼ならば、とてもじゃないけどこんなセリフを言えるわけがない。だからいま聞いた言葉は幻聴に違いない。
だってまさか、ジョーが満面の笑みで
「うん?ほら、綺麗だろう?白くて可憐で。きみにぴったりだ」
「そ。そう。ありがとう。でも…恥ずかしいわ」
「恥ずかしいことなんかあるもんか」
「でも…、だって、近い将来このお花は花屋さんでも手に入るようになるんでしょう?」
「うん」
「そうしたら、この花を買うとき、フランソワーズを一本くださいって言うの?」
「えっ」
「イヤよ、恥ずかしいわ」
「…そうかなぁ…」
「うん?そうだなぁ…フランソワーズなんてどう?」
「フランソワーズ?」
「そう。きみの名前だね」
「…どのへんがぴったりなの?」
「綺麗だし、香りもいいし。白いのにほんのりピンクが混じっている感じも可愛い」
「…それだけ?」
「えっ?」
「トゲがあるからとか言うんじゃなくて?」
「イヤだな、そんなこと考えもしなかったよ」
「違うよフランソワーズ。間違ってる」
「なにが?」
「ただ女の子の名前をつけるんじゃないさ。好きな女の子の名前をつけることに意味がある」
「意味…」
「だって毎日世話をするんだよ?この花はまるできみのように思えてくるじゃないか」
昔の少女漫画の主人公に、本当はどんな気持ちだったのかいっそ聞きに行ってみたい。
「でもゴーチェが」
「ふん。いくら新種の花がきみみたいに綺麗だからって、それとこれとは別問題だ。絶対に許さん」
やっぱり言うんじゃなかったわと後悔しても遅い。スリーは心の中でゴーチェにそっと謝った。
「ハァ?嬉しい?きみ、いよいよどうかしたんじゃないのか」
「だって、新種のお花よ?新しくお星様を見つけたひとが名前をつけていいのと同じくらいロマンチックじゃない?」
「ロマンチックぅ?――ふん。ちょっとはオトナになったと思っていたのに、やっぱりきみは子供だな」
「…いいじゃない。本当にそう思ったんだから」
「どう違うの?だって、星なんて発見者の名前じゃなくてもいいってことになってるでしょう。恋人とか奥様の名前をつけているひともいるんだし」
「まず第一の問題はそれだ」
「……そうね」
「…大げさよ、ジョー」
「いや、大げさなもんか!だからきみは安易だというんだ。もっとものごとを深く考えないと駄目だ。これじゃあ奴の思う壺だ」
「…ゴーチェはそこまで考えてないんじゃないかしら。もっと単純に、思いついただけなのかもしれないわ」
「ふん。どうだかな」
「どうでもいいわりには、ずいぶん気にしているようだったけど」
「何か言ったかい?」
「いいえ、なんでもないわ!」
仲良しほどケンカするというあれかしらとスリーは首を傾げた。それを言うならナインには仲良しのお友達が複数いることになる。ちょっとうらやましくなった。
「ええ、そうね」
「そんな散ってしまうものにきみの名前をつける?――冗談じゃないっ」
<旧ゼロ>
彼にとってはそんなに興味を引く話題ではなかったのだろう。
しかし、スリーは不安そうに続けた。
「ふうん」
「レッスンなんて毎日じゃないのに、どうして私のレッスン日を知っているのか不思議だし、なんだか怖いわ」
「そう?」
「だって、いったいどこで調べているのかしら」
「きみの後をつけているとか」
「イヤだ、やめてよジョー!」
「でも…他の子にはそんなことないのに」
「いいじゃないか。ファンあってこそだよ」
夜になってひとりになると、やっぱり考え込んでしまう。
バレリーナである自分を応援してくれるひとの存在は嬉しい。ナインの言う通り、それは心配するようなことではない。
だから、その件に関してはさほど心配ではなかった。
ではいったい何を考え込んでいるのかというと。
実はヤキモチやきの彼だから、スリーがそんな話をしたら絶対に「どんなひとなのか探ってみるよ」と言い出しそうなものである。が、そんな素振りは全くなく、しかも笑い飛ばし気にするなと言った。絶対におかしい。いつものナインではない。
それとも、そんなことくらいでヤキモチなどやかなくなったのだろうか。
ナインにとってのスリーの存在が変わってきたということではないだろうか。
スリーを好きな気持ちが低くなってしまったナイン。
自分は何かナインに嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。自分でも気付かないところで。
それとも単に…一緒にいすぎてナインに飽きられてしまった?
そう思うと胸にはナインへの思いが溢れて、泣きたくなってしまった。ナインに嫌われるような日がくるなんて考えもしなかったのだ。
顔なじみの花屋の店員はいつものように一輪の花にリボンをかけてナインに渡す。
ナインは笑顔で確認すると、これまたいつものように届けるようお願いした。
公演のときは花束。
レッスンの日には一輪で。
いずれもスリーの好きなピンクのチューリップである。
先日、スリーが心配そうに話したときはばれたかと内心焦ったものだった。が、どうやらいちファンの所業であると納得させることができたようだ。
ただ、ここ数日、スリーの元気がないようなのだけがちょっと気になった。何か心配ごとだろうか。
そして彼は手ぶらではなく、いつも当然のように花束を持って待っている。
抱えきれないくらいのバラの花。ピンク色のそれはとても美しく、彼からそれを受け取るのが公演後の楽しみでもあった。
「ありがとう」
「今日もとても良かったよ」
「ふふ。ジョーったらいつもそう言うから、あてにしないことにしているの」
「酷いなぁ。いつも特別だって言ってるつもりなんだけど」
……今日のジョーってちょっとやりすぎだと思う。
「うん?」
「えっ?」
「てっきりスポンサーか何かかと思ってたんだけど、…違うのかな」
「ええ。…知らないわ」
「…そうね。そうかもしれない…けど、でも、私にファンなんて」
「いや。いてもおかしくないさ。いや、いないほうがおかしい。だけどこんな熱烈なのは…」
「ううん。ピンクの方が好きよ」
「だよな」
別の地で公演があった。
前回のことがあるから、公演後の楽屋がちょっと心配だった。まさか今回も楽屋が真紅のバラで埋まってたらどうしよう。
おそるおそるドアを開けると、そこには真紅のバラは無かった。
ほっとした。
やっぱり前回のはジョーが言うところの熱烈なファンからの贈り物だったのだろう。そうそう続くことではない。
今日、ジョーは来ていない。いつも彼が来るとは限らないのだ。わかっているけど、…会えないのは寂しい。
なんてちょっとだけ思っていたのだけど。
でもそんな気持ちはあっという間に消えてなくなった。
だって、楽屋はピンクのバラで埋められていたから。張り合うようにこんなことをするひとは一人しか思いつかない。
と、フランソワーズは言っていた。花の色とか種類で、ああ、今日は誰さんが来てくれたんだとか、そういうのまでわかるのだという。
花の種類なんててんでわからない僕にとっては、フランソワーズって凄いなあと思うしかなかったのだけど。
そんな話をした後で、僕の顔をじいっと見たから困った。
「……別に。なんでもないわ」
そりゃ、毎回決まったひとから花が届くと聞いたら、心中穏やかではないけどさ。
でも僕にそれを期待されても困る。大体、花束を持って楽屋に行くっていうのだって――この前やっとクリアしたのだから。なのに更に課題ってわけかい?…フランソワーズが喜ぶなら、僕だって努力したいところだけど、でも…花を買う行為ひとつだけで僕には難関なんだ。
ああでも、フランソワーズのためなら頑張れなくもないかもしれない。うん。それは確かだ。だって僕は、フランソワーズのためならなんだってできてしまうのだから。だからつまりそういうことかい?それを知ってて、フランソワーズはこんな期待に満ちたマナザシで僕を見るのか。
いやいやいや、そうじゃない。そんな打算的な子じゃないさ、僕のフランソワーズは。きっともっと純粋な理由で僕を見ているのに違いない。そう、それに――この前僕がどんな勇気を出して、花を持って楽屋に行ったのか、わかってくれているはずだ。それは全てきみへの愛ゆえだということも。
うん。僕のフランソワーズなんだから、そのくらいわかってくれている。
だから、それ以上の無茶な要求はしないと思うんだ。きっと――絶対。
彼の心のなかでいまどんな葛藤が起きているのか、手に取るようにわかる。
ジョーったら。
ふふ、ジョーったら。
ジョーははっと顔を上げた。瞳がキラキラしている。どうやら助け舟に乗ったらしい。
「あら、ジョーは私のファンじゃないのね。…寂しいわ」
するとジョーは私の肩をぎゅうっと抱き締めた。
<旧ゼロ>
「…そうね」
「交通整理?」
「ああ。毎朝、僕が角に立とう。そうして先導する」
「……緑のおじさんがいるから大丈夫だと思うけど」
「うむ、それもそうだな。だったら遅刻をしなければいいわけだ。毎朝、決まった時間に広報でベルを鳴らせばいい」
「それはご近所の迷惑になると思うわ」
「む。駄目か」
「駄目よ」
「えっ!?」
「スーパーに行く道ですもの。でも、今まで誰にもぶつかったりしなかったから大丈夫よ。危険はないわ」
「だ、駄目だ、フランソワーズ!今まで何もなかったからといってこれから先もそうだとは限らない。安易な安心はよくない!」
「…大げさよ、ジョー」
「いや、駄目だ!今日から僕が一緒に行く!」
そう割り切って、ではさっそくと買出しに出掛ける事にした。
スーパーまでの道程は遠くは無いし、いたってのどかな散歩道でもある。
そんなのどかな中、ナインはスリーのSPのように周囲に目を配りながら歩いていた。
こうなることを予測していたスリーは内心うんざりしながら、けれども表面はにこやかに歩いていた。
そして、問題の曲がり角にやって来た。
「ええ。気をつけるわ」
額をさすりながら、ぶつかった相手を見る。ナインもスリーと同じように額をさすり、しりもちをついていた。
道路に座り込む一組の男女。
「ぶつかったな」
「ジョー、知らないの?」
「知らないな」
「無いなぁ。…たぶん」
「たぶん?」
「いや。そういえば、中学生の時だったかな。やたら体当たりされたような気がするけど――まぁ、気のせいだろう」
「うん?…そういわれるとそうだったような気がする。でも男子もいたよ」
しかし、思春期の女子中学生の行動なら有り得るかも知れない。
「うーん。どうだったかなぁ」
「えっ!?別に?」
「そう?」
「ええ。そうよ。それに――そう、確かパリでもそういう話ってあったような気がするわ!」
「そうか」
「ええ」
「…でもなんだか落ち着かないな」
「えっ?」
「イヤだな、僕の知らないところできみが誰かと恋に落ちてたら」
「え?だってそうだとしても昔の話よ?」
「今現在が気になる」
「気になる、って…」
「うん。どうせならぶつかっておかないか?」
「えっ?」
「そうすれば安心だ」
「安心って何が?」
「うん。そうしよう。明日あたり、適当な角で待ち合わせしよう」
ジョーの姿は――見えたものの、なんとジョーはひとりではなかった。
気のせいか?
マボロシか?
フランソワーズは数回瞬きした。
ともかく女性を伴っているのは事実であり、まぎれもない現実であった。
一瞬、唇を噛んだが、すぐに彼女たちは「ハリケーン・ジョー」のファンであることが判明し力を抜いた。
どうやらファン二人組にまとわりつかれているらしい。おそらく困っているだろうけれど、営業用の笑みを顔に張り付かせている姿はあっぱれと言って褒めてあげてもいいかもしれない。
そのままダッシュの勢いで――
もちろんフランソワーズも彼がそうするであろうことを予想しての暴挙である。
そしてジョーは、そのまま彼女の突進を受け止め、一緒に道路に転がった。
「ちょっとしたヤキモチよ」
曲がり角でぶつかった男女である。
「怒ってないわ」
「そうかな。――でも、怒ってるきみって凄く…」
「凄く怖い?」
「いいや。――綺麗だよ」
「ばか」
だから、知っていた。古典的恋愛パターンを。
少なくとも、昭和の恋愛漫画の定番ではあろう。
そんな定番が囁かれなくなって久しい昨今、こういった王道はベタと言われ忌避されているのが現実である。が、それでもジョーは昭和のひとだったから、買出しから帰ったフランソワーズに「さっきそこの角でピュンマとぶつかっちゃって驚いたわ」などと言われたら心穏やかではいられない。まさかピュンマと恋に落ちた…とは思わないが、それでも何らかの特別な感情が湧いてしまっているのかもしれず、いったんそのへんを考え始めると妄想は膨れるばかりであった。
だから、…こうして彼女の行く先行く先を先回りして待ち続けているのである。
道行くひとに眉をひそめられてからは、極力電信柱の影に立つことに決めていた。しかも気配を完全に消して。
だから、ジョーに気付くひとは滅多にいなくなった。たまに気付くひとがいるけれどもジョーは気にしなかった。
そんなことよりフランソワーズである。
待ち伏せしていると悟られずに彼女の肩に軽くぶつかる。それがジョーのたてた作戦であった。
彼女は千里眼なのである。
ジョーがどんなに気配を消していようが、彼女からは丸見えなのである。それが恋しい相手ならばなおさら。
恋する相手に限って言えば、それは、フランソワーズがちからを使わなくても、女性であれば全てのひとが持ち合わせる能力なのかもしれなかった。が、ジョーはそんなことを知る由もなかった。
ジョーが思いつめる性質なのは知っている。が、今回のこれの目的はいったいなんなのだろう?
しかも、電柱の影でじいっと微動だにしないのだ。ちょっと怖い。
つまり、ジョーがどんなに先回りして待ち伏せても、フランソワーズに出会えないのだ。ここ数日、ずっとそうであった。
いったいジョーは何のつもりなのだろう?
そう思っていると、ジョーは電柱の影から出ると、すっと角を曲がっていなくなり――と思うと、すぐに姿を現して、そしてとんっと軽くフランソワーズの肩に肩をぶつけた。
「ん?どうって何が?」
「だって」
フランソワーズは全く彼の真意がわからなかったが、でも――ジョーの笑顔を見ていると、そんなのどうでもよくなってきた。
「ええ、大丈夫よ」
「そうか。あ。荷物持つよ」
「ありがとう」
でも、嬉しそうなジョーと並んで歩くのは悪くなかった。悪くない――というより、嬉しい。
「なあに?ジョー」
「ん、いや…なんでもない」
「なあに?変なジョー」
3月25日 「一番のバカップルは誰だ」@
@君の瞳に乾杯!って…言える?
「言えるさ、そのくらい」 高層ビルのなかにあるレストラン。広い窓の下には夜景が広がっている。 そうしてにっこり笑った。 「綺麗ねぇ…夜景」 うっとりと窓の下を眺めている。ジョーのほうなど構っていない。 「…フランソワーズ」 少し怒っても許されるだろう。決めセリフを言ったのだから。それをスルーされる立場ほど情けないものはない。 「なあに?ジョー」 くるりと蒼い瞳がこちらを向く。ジョーは掲げたままだったグラス越しに改めて言ってみた。 「君の瞳に乾杯」 今度こそ。 フランソワーズはじいっとジョーを見た後、自分もグラスを手に取った。 「あなたの瞳に乾杯」 もちろん、このセリフが男性の専売特許というわけではない。が、女性が言うのを聞くのはかなり新鮮だった。 「だって、ジョーの瞳って素敵だから」 満面の笑みで言うフランソワーズにジョーも微笑んでいた。 「僕も君の瞳が好きだよ。ここから見える夜景が霞んでしまうくらい、ね」
<旧ゼロ> 「もちろん、言えるとも。いいかい、フランソワーズ。ちゃんと聞くんだぞ」 そうしてナインが掲げたのはコーヒーのはいったカップだった。 「どうだい?」 スリーはちょっと首を傾けると口を開いた。 「あの。どうして瞳に乾杯するの?」 そう。ふたりはいま、朝のワイドショーの特集を見ていたのだった。今日は「女性が喜ぶ口説き文句集・昭和編」であった。 「…うっとりするらしいぞ。言われたら」 ナインがテレビ画面を指す。そこには頬を染めた女性が映っていた。 「うっとり…?」 残念そうにスリーが言う。ナインは肩を竦めるとコーヒーをひとくち飲んだ。 「…わかったわ」 嬉しそうに両手を合わせる。 「ね。ジョー。つまりはこういうことなのよ!」 ナインの膝に手をついて、彼の顔を覗きこむ。 「だって私、普段から言われ慣れているんだもの!それも、もっともっとたくさん!だからこのくらいじゃなんとも思わなくても当たり前なのよ!」 ナインは思わずコーヒーを噴いていた。 「なっ…、僕は何も言ってないぞ」 真っ赤になったナインはスリーをぎゅうっと抱き締めていた。 「まったく君はっ!そういうのは、もっと小さい声で僕だけに向かって言うもんだろ?」
<新ゼロ> 「え。……これ、本当に言うのかい?」 ジョーは絶句した。目は手紙に釘付けである。 「本当に暗号なのかな」 そうしてフランソワーズと目を見合わせ、互いにため息をついた。 ここは都内のレストラン。博士が学会の座長をつとめたセッションが無事に終わり、内輪の打ち上げとしてサイボーグメンバー全員が集まっていた。 「これをどうしろと言うんだろう」 とはいえ。 君の瞳に乾杯。とフランソワーズの目を見て言うこと。 というミッションは如何なものか。 「これ、絶対、悪ふざけしてると思う」 そうして顔を上げてボーイを見る。 「そうでしょう?」 ほらねと安堵の笑みを浮かべたフランソワーズだったが、ジョーと一緒に連れて行かれた先はテーブルだった。 「あの、博士たちは個室って言ってましたけど」 やはりはめられたのだろう。 「――フランソワーズ」 そうして飲み物を注文したものの、会話は弾まず、飲み物が到着するまでお互いにもじもじと下を向いたままだった。 「…ええと。博士の会なのに博士がいないのってなんだか変だけど、とりあえず…乾杯しようか」 そうしてお互いにグラスを手に取って。 「乾杯」 しかしジョーは何かを考えるかのように、乾杯した後もグラスを下ろさなかった。 「ジョー?どうかした?」 さてはグラスに何か異変でもあったのだろうかとフランソワーズが緊張した時だった。 「…君の瞳に、乾杯」 小さな声で言われた。 「えっ…」 照れ隠しに勢いで言い訳しただけなのに、何故かそれに傷ついたかのようにうつむくフランソワーズにジョーは慌てた。 「い、いや!そうじゃなくて、深い意味はあるんだけどないというかそのつまり」 ひたと見つめられ、ジョーはグラスを下ろすと観念したように息をついた。 「……フランソワーズの目が綺麗だったから、つい…言っただけだよ」 頬が赤い。 「そ、そう…ありがとう、ジョー」 嬉しいわ、と小さく言ったけれどそれがジョーに聞こえたかどうかはわからなかった。
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