子供部屋
(新ゼロなふたりの日常です)

♪ いきあたりばったりの特別企画 ♪
〜一番のバカップルは誰だ〜

・3/25から5日連続の企画(予定)
・旧ゼロ・新ゼロ・超銀の昭和ゼロナイ三組による小咄。
・その三組のなかで一番のバカップルはどの組かを決める企画。

投票ありがとうございました♪

一番のバカップルは新ゼロでした!!
(全51票中・・・新ゼロ 29票、超銀 15票、旧ゼロ 7票)

 

3月31日 「一番のバカップルは誰だ」D

 

D「好き?」「好きじゃないよ」「……」「愛してる」というパターンを実行してください。

 

<旧ゼロ>

「私、別にナインのことを好きってわけじゃないもの」

立ち聞きしたつもりはなかった。たまたま通りかかった時に聞こえてしまったのだ。
ナインはそう己に言い訳をした。そう――たまたま自分の名前が呼ばれたので、立ち止まってしまっただけのこと。
それだけのことなのだ。誰だって、自分の名前が話題に上っていたら気になるだろう?
ただ、何話しているのとその輪に入ってゆかなかったのは、いつものナインらしくないことに彼自身気付いていなかった。

「ええっ、だって付き合っているんだろう?」
「ええ…そう、ね」

何故か妙に歯切れの悪いスリー。ナインはドアの隙間から中の様子をそうっと窺った。
ギルモア邸のリビングにいるのは、スリーと…誰だろう、見えなかった。ただ、声からいって男であることは間違いない。

――いったい何を話してるんだ。

ナインはいらいらと更に身を乗り出し――なんとも格好悪いことに、バランスを崩して室内に雪崩れ込むことになった。

「ジョー!」
「うわっ、なんだなんだ」

スリーの話していた相手はナインの知らないひとだった。

「や、やあ」
「ジョー、驚いたわ」

ナインはこほんと咳払いをすると、スリーの隣の男をじっと見た。

「スリー、こちらはどちらさまかな」
「あ。博士の研究を手伝ってくださっている研究員さんよ」

よろしくと差し出された手をおざなりに握り返し、ナインはそっと値踏みした。
博士の研究を手伝っている研究員ということは、ギルモア邸に通ってきているということだ。ということはつまり、スリーとも知己の仲であり――。しかし、ただの知り合いというには先ほどの会話はプライベートな領域に踏み込んでいなかっただろうか。
それに。
話の流れからいって、彼はスリーを憎からず思っているのではないだろうか。
そして、ここが問題なのだけれど、スリーはナインと付き合っていることをはっきりと言わなかった。いや、いちおう肯定してみせたけれど、それもどこが歯切れが悪くなかっただろうか?
ナインの胸にもやもやしたものが生まれた。
なんだかすっきりしない上に、妙にいらいらする。

「そうか。きみがナインか」

妙に納得したように言われるのも腹が立つ。その隣のスリーの頬が瞬時に染まったのも解せない。
しかも。
今日はいったい何の用で――とナインが彼に問いかけようとした機先を制し、スリーに同じことを訊かれたのも遺憾だった。

「今日、来るって言ってなかったわよね?」
「僕が来たらいけないかい?」
「そうは言ってないけど…」

もじもじとするスリー。いつもなら、可愛いなあと目を細めるところだけど、今日は更にイライラさせる原因となった。

「僕が来たら邪魔だった?」
「えっ?」
「別に邪魔とかじゃないよ。ね、スリー」

にこやかに言われるとますます意固地になるナインであった。

「いや。楽しい語らいの邪魔をする気はなかった。すまない。――じゃあな、スリー」

こちらもにこやかに手を挙げたナイン。
背を向けて部屋を後にしようとした時、ジャケットの裾をスリーが掴んだ。

「待って!!」

しかも掴んだだけではなく体当たりも一緒だった。

「――何?」

しかしナインは動じない。びくともせず、恐ろしく冷徹な声で答えた。
その声にスリーは一瞬びくりと体を震わせたものの、それでも握り締めたジャケットを離すことはなかった。
ナインの背に身を預けたまま、小さく言った。

「…どうして、今日はスリーって呼ぶの」
「……え」
「何か怒っているの、ジョー」
「……」

無意識だった。フランソワーズと呼ばずスリーと呼んでいたのは。気持ちが落ち着かない、あるいはスリーに対して何かわだかまりがある時にそうなってしまうのだった。

「――人前だぞ」
「こっちのほうが大事なの」

そりゃ目の前の客人に失礼じゃないかとナインは目をつむったが何も言わなかった。

「ジョー、何か誤解してるの?」
「してないよ。別に」
「嘘よ」
「……」

ナインが黙り込んで沈黙が数分に渡った頃、その存在を忘れられかけていた研究員が話し出した。

「あのぅ…、もしかしてやっぱり誤解してませんか。その、さきほどの僕とスリーの会話なんですけど、…実験中の待ち時間とかに雑談するんですけど、そこでスリーから出てくる話って言うのがきみのことばかりで、だからスリーにきみはナインのことがとても好きなんだねといつも言ってるんです。ええと、ギルモア博士も含めて、ですが」

いったん言葉を切ってスリーとナインの様子を見るが、ふたりとも微動だにしなかった。

「で、そう言うといつもスリーは好きじゃないと否定するんですが、…もしかしてさきほどそのあたりを耳にされたのではないかと」
「そうなの!?ジョー」
「……」

スリーががばっと顔を上げると、素早くナインの正面に回りこんだ。

「違うの、誤解なのよ!」
「誤解って何がだ」

好きじゃないんだろ、と小さく言うのにスリーは真っ赤になって首を振った。

「違うの、続きがあるの!いつもそう言ってるのよ」
「へえ。いったいなんて?」
「そ・それは…」

途端、勢いをなくし真っ赤になってスリーは黙り込んだ。

「それは好きじゃなくて」

気を利かせて言おうとする研究員にスリーは慌てた。

「じ、自分で言うわ!あのね、ジョー。つまりね、」
「ああ。つまり?」
「その。わ、私はジョーのことを好きなんじゃなくて、あ」
「あ?」
「……愛してるのよ。って……」

ナインの頬に静かに赤みがさしてきた。

「な……」

いっぽうのスリーは、もう言い切ってしまったのでどうでもなれと度胸が据わったようだった。じっとナインを見つめている。

「そ、そういうことは!」

見つめてくる蒼い瞳から逃れられず、ナインはあえなく撃沈した。虚勢を張ろうとしても無理だった。

「――そういうことは、二人だけのときにしてくれ。フランソワーズ」

 

 

<超銀>

「ほら、やっぱりきみは僕を好きなんだな」

勝ち誇ったように言われ、フランソワーズはなんだか見透かされているのが悔しくて、ちょっと意地悪な気持ちになった。

「好きじゃないわ」
「へえ。そう」
「ええ、そうよ」

しかし。そんな言葉では目の前の自信満々のひとはびくともしない。薄い笑みを口元に湛えたまま、じっとフランソワーズを見つめている。

「…ジョー?」
「なにかな」
「私、あなたのことを好きじゃないって言ったのよ?」
「うん」
「意味、わかってる?」
「わかってるよ。きみこそわかってるかい?」
「ええ。おかげさまで」
「好きじゃないってことは嫌いってことかな」
「そうは言ってないでしょ」

さすがにそれは口が裂けても言えない。事実ではないのだから。

「そうだよね。良かった。いちおう、確認しておかないと」
「……不安?」
「僕は小心者だからね」

よく言うわ、とフランソワーズは胸の裡で呟いた。

「きみに好かれてないと落ち込むよ」
「でも今は落ち込んでないじゃない」
「そう見える?これでも必死に平静を保ってるんだ」

――そうなのだろうか。

改めて見ると、確かに彼の言う通りどこか不安そうな陰があるような気がした。

「本当のことを言ってほしいな」
「……」

縋るように言われ、ちょっとだけ心が動いた。既に、ジョーに対する意地悪な気持ちは消えていた。

「ね、フランソワーズ」
「…好きじゃないわ。だって」

でも、こう簡単に種明かしをするのもなんだか悔しい。もっとジョーをやきもきさせる予定だったのに。

「――だって愛してるから?」
「えっ?」

にっこり笑って言われ、フランソワーズは呆然と目を見開いた。

「僕に意地悪しようとしても無駄だよ、フランソワーズ。きみのことはお見通しなんだから、ね」
「……もう」

その自信はいったいどこから出てくるのだろうか。
そう思ったものの。

「意地悪なんかしないわ。小心者の彼氏を持つと大変なのよ?」

そう言ってそっとジョーを抱き締めた。

 

 

<新ゼロ>

「好き?」
「ううん、好きじゃないわ」
「じゃあ嫌い?」
「嫌いなわけないでしょう」
「だったら好き?」
「ううん。好きじゃないわ。だって、だーい好きなんだものっ」
「あ。なんだよそれ。ずるいなあ」
「ずるくないわよ、本当のことよ」

くすくす笑うフランソワーズにジョーはなんだか釈然としなかった。

「じゃあ、ジョーはどうなの?」
「僕?」
「ええ。好き?」
「…うん」
「それだけ?」
「えっ、駄目かな」
「駄目じゃ…ない、けど…」

自分は彼のことを好きなのではなくて大好きなのだと言った後でのこの答えは期待はずれと言ってもいいだろう。
こういう他愛のない会話の場合、軽い気持ちで同じように答えるのが普通ではなかろうか。
特にすることもなく、ジョーの部屋で彼とじゃれていたフランソワーズであったが、さきほどまでの温かくてくすぐったくて幸せな気分がちょっとだけ薄らいだような気持ちになった。

「じゃあ、…嫌い、なの?」
「ええっ、どうしてそうなるんだよっ」
「だって…」
「嫌いなわけないだろう!!」

ぎゅうっと抱き締められ、フランソワーズは満足そうに目を閉じた。
ジョーの胸が温かい。抱き締める腕の強さも心強くて安心する。

「ねぇ…じゃあ、好き?」
「……うん」
「そうじゃなくて」
「え。だって」
「私は言ったのに。好きなんじゃなくて、大好きよ、って」
「……」
「じゃあ、大好き?」
「……」

ジョーは考えた。散々考えた末にポツリとこう言った。

「大好きじゃないよ」

それに驚いたのはフランソワーズだった。こんな答えは想定外だ。

「大好きじゃないの?」
「うん」
「…そう…」

好きと訊いたらうんと言われた。が、大好きかと訊いたらそうではないと言われた。つまりはそういうことなのだ。
彼と自分の気持ちには開きがある。俗に言う温度差というあれだろう。
しょんぼりうなだれたフランソワーズの耳元にジョーの息がかかった。

「……だって、愛してるから」

 

 


 

3月28日 「一番のバカップルは誰だ」C

 

C花にきみの名前をつけても…いい? (「名前はスイートキャンディ♪」←新ゼロジョー氏と声が同じでしたね)


<新ゼロ>

「えっ、私の名前…?」

いくら新種のバラとはいえ、花に好きな女の子の名前をつけるなど少し――いやかなり――恥ずかしいことなのではないだろうか。
フランソワーズはしみじみとジョーの顔を見た。
普段の彼ならば、とてもじゃないけどこんなセリフを言えるわけがない。だからいま聞いた言葉は幻聴に違いない。
だってまさか、ジョーが満面の笑みで

「新種のバラだよ。きみの名前をつけたいんだけどいいかな」

なんて言うなんて!

「あの、ジョー…?」
「うん?ほら、綺麗だろう?白くて可憐で。きみにぴったりだ」

こそばゆいセリフを平然と言うジョー。フランソワーズは彼の額にてのひらをつけた。残念ながら、熱はないようだ。

「イヤだな、フランソワーズ。僕はいたって正常さ」

はははと笑うが、果たして正常なひとが自らを正常だと保証するものだろうか。

「正常だからこそ、こうしてこの花にきみの名前をつけようと思っているんだ」
「そ。そう。ありがとう。でも…恥ずかしいわ」
「恥ずかしいことなんかあるもんか」
「でも…、だって、近い将来このお花は花屋さんでも手に入るようになるんでしょう?」
「うん」
「そうしたら、この花を買うとき、フランソワーズを一本くださいって言うの?」
「えっ」

フランソワーズを一本ください?

それはちょっとイヤかも。

ジョーは空を見た。いい天気である。この気持ちのいい朝に花開いた新種のバラ。それにフランソワーズの名前をつけるのは至極当然のことのように思えたのだけれど。

「花束だったら、フランソワーズで花束を作ってくださいって言わなきゃいけないのよ?変でしょう?」

いや、そうでもない。

ジョーはフランソワーズの花束を想像してみた。フランソワーズがたくさん。ちょっと楽しくなった。

「別に変じゃないと思うけど」
「イヤよ、恥ずかしいわ」
「…そうかなぁ…」

断固として拒否するフランソワーズにジョーは残念そうにため息をついた。

 

 

<超銀>

「綺麗ねぇ…この花。ね、名前はなんていうの?」
「うん?そうだなぁ…フランソワーズなんてどう?」
「フランソワーズ?」
「そう。きみの名前だね」

ふたりでフラワーセンターにやって来ていた。いま、ふたりがいるのは新種のバラが置かれたブース。花には名前がついておらず、どうやら一般公募する趣向のようだった。

「うん。きみにぴったりだ」
「…どのへんがぴったりなの?」
「綺麗だし、香りもいいし。白いのにほんのりピンクが混じっている感じも可愛い」
「…それだけ?」
「えっ?」
「トゲがあるからとか言うんじゃなくて?」
「イヤだな、そんなこと考えもしなかったよ」

にこにこと言うジョーにフランソワーズはほんとかしらと疑惑のマナザシを投げた。

「花に女の子の名前をつけるなんて、昔の少女漫画の世界だけと思ってたわ」
「違うよフランソワーズ。間違ってる」
「なにが?」
「ただ女の子の名前をつけるんじゃないさ。好きな女の子の名前をつけることに意味がある」
「意味…」
「だって毎日世話をするんだよ?この花はまるできみのように思えてくるじゃないか」

でもそれってちょっと…嬉しいというより、迷惑な感じがするのは、自分が少女漫画の主人公ではないからだろうか。
昔の少女漫画の主人公に、本当はどんな気持ちだったのかいっそ聞きに行ってみたい。

「まぁ、もちろん」

ジョーはフランソワーズの肩を抱き寄せるとその耳元で囁いた。

「きみはバラよりもずうっと綺麗だけどね」

 

 

<旧ゼロ>

「花にきみの名前をつける?何言ってるんだ、絶対に駄目だ!」
「でもゴーチェが」
「ふん。いくら新種の花がきみみたいに綺麗だからって、それとこれとは別問題だ。絶対に許さん」

頭から湯気がでているかのように真っ赤になって怒るナイン。ぐるぐるとリビング内を意味もなく歩いている。
やっぱり言うんじゃなかったわと後悔しても遅い。スリーは心の中でゴーチェにそっと謝った。

「でも…嬉しいわ」
「ハァ?嬉しい?きみ、いよいよどうかしたんじゃないのか」
「だって、新種のお花よ?新しくお星様を見つけたひとが名前をつけていいのと同じくらいロマンチックじゃない?」
「ロマンチックぅ?――ふん。ちょっとはオトナになったと思っていたのに、やっぱりきみは子供だな」
「…いいじゃない。本当にそう思ったんだから」

スリーが頬を膨らませると、ナインはつかつかとやってきてその頬をつんとつついた。

「騙されちゃ駄目だ。いいかい、星に名前をつけるのと花に名前をつけるのとじゃワケが違う」
「どう違うの?だって、星なんて発見者の名前じゃなくてもいいってことになってるでしょう。恋人とか奥様の名前をつけているひともいるんだし」
「まず第一の問題はそれだ」

ナインはスリーの目の前に人差し指をつきつけた。

「いいかい?ゴーチェがつけたいと言ってるんだ。それはつまり、きみのことを彼は特別に思ってるということになる」
「……そうね」

ゴーチェの気持ちはナインに指摘されるまでもない。

「それを深く考えもせず、花にきみの名前をつけることを許可したらどうなるか。彼は一国の王子だぞ。国中に、この花の名前は王子の思い人の名前ですってすぐにばれる。そうすると、きみは同意したんだから、王子と思いが通じ合っているんじゃないか、いやそうに違いないということになるぞ」
「…大げさよ、ジョー」
「いや、大げさなもんか!だからきみは安易だというんだ。もっとものごとを深く考えないと駄目だ。これじゃあ奴の思う壺だ」
「…ゴーチェはそこまで考えてないんじゃないかしら。もっと単純に、思いついただけなのかもしれないわ」
「ふん。どうだかな」

ナインは鼻で嗤うと、

「それから問題のふたつめだ」

と、スリーに二本指をつきつけた。

「実はこっちのほうが重要だ。ゴーチェなんかどうでもいい」
「どうでもいいわりには、ずいぶん気にしているようだったけど」
「何か言ったかい?」
「いいえ、なんでもないわ!」

まったくゴーチェが絡むとどうしてこう熱くなってしまうのかしら。
仲良しほどケンカするというあれかしらとスリーは首を傾げた。それを言うならナインには仲良しのお友達が複数いることになる。ちょっとうらやましくなった。

「いいかい?フランソワーズ。花と星の決定的違いは、花はいつか散るということだ」
「ええ、そうね」
「そんな散ってしまうものにきみの名前をつける?――冗談じゃないっ」

散ってしまったら悲しいだろ、と投げるように言ってそっぽを向いたナイン。でも彼の耳が真っ赤であるのをスリーは見逃さなかった。

 


 

3月27日 「一番のバカップルは誰だ」B

 

B紫のバラのひとがいたら…どうする?(*「紫のバラのひと」=コミック「ガラスの仮面」に出てくるあのひとです)


<旧ゼロ>

「公演のたびに楽屋に花束が届く?……ふうん。熱心なファンもいるもんだな」

ナインは笑うとその話は終わったかのようにコーヒーカップに口をつけた。
彼にとってはそんなに興味を引く話題ではなかったのだろう。
しかし、スリーは不安そうに続けた。

「公演の時だけじゃないの。ふだんのレッスンの時も届くのよ。時々だけど」
「ふうん」
「レッスンなんて毎日じゃないのに、どうして私のレッスン日を知っているのか不思議だし、なんだか怖いわ」
「そう?」
「だって、いったいどこで調べているのかしら」
「きみの後をつけているとか」
「イヤだ、やめてよジョー!」

ナインは、あははと大きく笑うと、

「そんなに心配することないんじゃないかな。ただの熱心なファンだよきっと」
「でも…他の子にはそんなことないのに」
「いいじゃないか。ファンあってこそだよ」

うんうんと頷くナインにそうかしらといちおうは納得したスリーだったけれど。
夜になってひとりになると、やっぱり考え込んでしまう。
バレリーナである自分を応援してくれるひとの存在は嬉しい。ナインの言う通り、それは心配するようなことではない。
だから、その件に関してはさほど心配ではなかった。
ではいったい何を考え込んでいるのかというと。

「…やっぱり変だわ」

ナインの態度である。
実はヤキモチやきの彼だから、スリーがそんな話をしたら絶対に「どんなひとなのか探ってみるよ」と言い出しそうなものである。が、そんな素振りは全くなく、しかも笑い飛ばし気にするなと言った。絶対におかしい。いつものナインではない。
それとも、そんなことくらいでヤキモチなどやかなくなったのだろうか。

「…ううん。そんなことない」

セブンにさえ妬く彼である。そうそう簡単にヤキモチやきが直るわけがない。

ではいったい、どうしたことだろうか。

「もしかして」

スリーははっと顔を上げた。

「私のこと、そんなに好きじゃなくなった…?」

妬いてくれないということは、どうでもいいということではなかろうか。
ナインにとってのスリーの存在が変わってきたということではないだろうか。

心変わりしたナイン。
スリーを好きな気持ちが低くなってしまったナイン。

そういうことだろうか。

だから、スリーにどんなファンがつこうが興味を持たなかったのではないか。

「そんなの、」

絶対にイヤ。
自分は何かナインに嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。自分でも気付かないところで。
それとも単に…一緒にいすぎてナインに飽きられてしまった?
そう思うと胸にはナインへの思いが溢れて、泣きたくなってしまった。ナインに嫌われるような日がくるなんて考えもしなかったのだ。

数日後。

いつものようにスリーをレッスンに送ったナインは、そのまま花屋に寄っていた。
顔なじみの花屋の店員はいつものように一輪の花にリボンをかけてナインに渡す。
ナインは笑顔で確認すると、これまたいつものように届けるようお願いした。
公演のときは花束。
レッスンの日には一輪で。
いずれもスリーの好きなピンクのチューリップである。
先日、スリーが心配そうに話したときはばれたかと内心焦ったものだった。が、どうやらいちファンの所業であると納得させることができたようだ。

――僕もいちファンに違いないしな。

満足そうに笑った。
ただ、ここ数日、スリーの元気がないようなのだけがちょっと気になった。何か心配ごとだろうか。

…まったく、彼女はなんでもひとりで抱え込んでしまうからなぁ。

でもそんなところも好きなんだけど。

 

 

<超銀>

公演後にジョーが楽屋で待っているのは珍しいことではない。
そして彼は手ぶらではなく、いつも当然のように花束を持って待っている。
抱えきれないくらいのバラの花。ピンク色のそれはとても美しく、彼からそれを受け取るのが公演後の楽しみでもあった。

そして今日も。

「フランソワーズ、お疲れさま」
「ありがとう」
「今日もとても良かったよ」
「ふふ。ジョーったらいつもそう言うから、あてにしないことにしているの」
「酷いなぁ。いつも特別だって言ってるつもりなんだけど」

笑いながら言うジョーから頬にキスをもらって、私は改めて周囲を見回した。
……今日のジョーってちょっとやりすぎだと思う。

「ねえ、ジョー?」

彼の腕を解いて、その胸から離れる。

「なんだい?」

ジョーは上機嫌だ。

「あの、お花を頂くのは嬉しいんだけど、その…こんなにたくさんは困ってしまうわ」
「うん?」

眉を寄せるジョーに構わず、私は周囲を手で示した。

「こんなにたくさん。いくらなんでもちょっと大げさじゃないかしら」

そう。楽屋はそこらじゅうに花が溢れていた。まるでバラの庭園にいるかのよう。ううん、庭園よりもっと凄いかもしれない。

「――僕じゃないよ」
「えっ?」
「てっきりスポンサーか何かかと思ってたんだけど、…違うのかな」
「ええ。…知らないわ」

沈黙。

お互いに考え込んで、そしてしばらくして。

「…きみのファンかな」
「…そうね。そうかもしれない…けど、でも、私にファンなんて」
「いや。いてもおかしくないさ。いや、いないほうがおかしい。だけどこんな熱烈なのは…」

真っ赤なバラに囲まれている。ジョーはそれが引っかかるらしい。

「――きみ、赤いバラの方が好きだったかな」
「ううん。ピンクの方が好きよ」
「だよな」

だからジョーはピンクのバラしか持ってこない。

「きみの熱烈なファン、か」

確認するように言って。

「――ちょっと気に入らない、な」

小さく嗤った。

その公演から数ヵ月後。
別の地で公演があった。
前回のことがあるから、公演後の楽屋がちょっと心配だった。まさか今回も楽屋が真紅のバラで埋まってたらどうしよう。
おそるおそるドアを開けると、そこには真紅のバラは無かった。
ほっとした。
やっぱり前回のはジョーが言うところの熱烈なファンからの贈り物だったのだろう。そうそう続くことではない。

私は大きく息をつくと楽屋に入った。
今日、ジョーは来ていない。いつも彼が来るとは限らないのだ。わかっているけど、…会えないのは寂しい。
なんてちょっとだけ思っていたのだけど。
でもそんな気持ちはあっという間に消えてなくなった。
だって、楽屋はピンクのバラで埋められていたから。張り合うようにこんなことをするひとは一人しか思いつかない。

「もう…ジョーったら」

 

 

<新ゼロ>

ファンから花が届く。――なんてことは、特に珍しいことではない。
と、フランソワーズは言っていた。花の色とか種類で、ああ、今日は誰さんが来てくれたんだとか、そういうのまでわかるのだという。
花の種類なんててんでわからない僕にとっては、フランソワーズって凄いなあと思うしかなかったのだけど。
そんな話をした後で、僕の顔をじいっと見たから困った。

「なんだい、フランソワーズ」
「……別に。なんでもないわ」

いや、話の流れから言ってなんでもないことはないのは僕だってわかっているし、彼女が何を期待しているのかもわかる。わかるんだけど――僕にはハードルが高い話なんだよ、わかってくれよフランソワーズ。
そりゃ、毎回決まったひとから花が届くと聞いたら、心中穏やかではないけどさ。
でも僕にそれを期待されても困る。大体、花束を持って楽屋に行くっていうのだって――この前やっとクリアしたのだから。なのに更に課題ってわけかい?…フランソワーズが喜ぶなら、僕だって努力したいところだけど、でも…花を買う行為ひとつだけで僕には難関なんだ。
ああでも、フランソワーズのためなら頑張れなくもないかもしれない。うん。それは確かだ。だって僕は、フランソワーズのためならなんだってできてしまうのだから。だからつまりそういうことかい?それを知ってて、フランソワーズはこんな期待に満ちたマナザシで僕を見るのか。
いやいやいや、そうじゃない。そんな打算的な子じゃないさ、僕のフランソワーズは。きっともっと純粋な理由で僕を見ているのに違いない。そう、それに――この前僕がどんな勇気を出して、花を持って楽屋に行ったのか、わかってくれているはずだ。それは全てきみへの愛ゆえだということも。
うん。僕のフランソワーズなんだから、そのくらいわかってくれている。
だから、それ以上の無茶な要求はしないと思うんだ。きっと――絶対。

「フランソワーズ、そのぅ…僕がそういうことをしたら嬉しい…か、な」

困った顔で、こちらの様子を窺いながら確かめるように言うジョー。
彼の心のなかでいまどんな葛藤が起きているのか、手に取るようにわかる。
ジョーったら。

「そうね。嬉しいわ」

わざと意地悪して言ってみる。と、てきめんにジョーは困惑顔をした。
ふふ、ジョーったら。

「だって、どのくらいファンなのかわかるもの」

ちょっとした助け舟。ジョーをいじめるのは楽しいけれど、ほどほどにしないと後が大変。
ジョーははっと顔を上げた。瞳がキラキラしている。どうやら助け舟に乗ったらしい。

「僕はファンじゃないから、しないよ」
「あら、ジョーは私のファンじゃないのね。…寂しいわ」

うつむいて、悲しげな顔をしてみせる。
するとジョーは私の肩をぎゅうっと抱き締めた。

「ファンじゃないよ、恋人なんだから!」

 

 


 

3月26日 「一番のバカップルは誰だ」A

 

A昭和の黄金パターン:曲がり角でぶつかった男女は恋に落ちる…らしい?


<旧ゼロ>

「そんな角があるのか。危険だな」

ナインは考え込むように顎に手をあて床を見た。

「ぶつかったら大怪我するじゃないか」
「…そうね」

スリーはナインが何を考えており、どんな答えを導き出そうとしているのかサッパリわからず、ただ曖昧に相槌を打つに留めた。

「うん。小学校の通学路にもなっていることだし、ここはひとつ交通整理をしないといけないな」
「交通整理?」
「ああ。毎朝、僕が角に立とう。そうして先導する」
「……緑のおじさんがいるから大丈夫だと思うけど」

ナインが言う交差点には、旗を持って先導する緑のおじさんなる人物がいらっしゃる。だから子供たちの安全は守られてきたし、これから先も守られるだろう。おそらくナインの出番は無い。

「それに確か、少女漫画によればそういうのは遅刻しそうになって走ってきた生徒がそうなるのよ。遅刻しそうで周りが見えてないから危ないんじゃないかしら」
「うむ、それもそうだな。だったら遅刻をしなければいいわけだ。毎朝、決まった時間に広報でベルを鳴らせばいい」
「それはご近所の迷惑になると思うわ」
「む。駄目か」
「駄目よ」

それに大体、ナインの心配はいったいどこに向かっているのかわからない。

「それに、その道なら私もお買い物に行くのに毎日通るわよ?」
「えっ!?」
「スーパーに行く道ですもの。でも、今まで誰にもぶつかったりしなかったから大丈夫よ。危険はないわ」
「だ、駄目だ、フランソワーズ!今まで何もなかったからといってこれから先もそうだとは限らない。安易な安心はよくない!」
「…大げさよ、ジョー」
「いや、駄目だ!今日から僕が一緒に行く!」

断固として宣言するナインにスリーは仕方ないわねとため息をついた。特に危険があるわけではないのだから、おそらく数日で飽きるだろう。それまで我慢すればいいだけのことだ。
そう割り切って、ではさっそくと買出しに出掛ける事にした。
スーパーまでの道程は遠くは無いし、いたってのどかな散歩道でもある。
そんなのどかな中、ナインはスリーのSPのように周囲に目を配りながら歩いていた。
こうなることを予測していたスリーは内心うんざりしながら、けれども表面はにこやかに歩いていた。
そして、問題の曲がり角にやって来た。

「気をつけて、フランソワーズ。余所見しないように」
「ええ。気をつけるわ」

真面目な顔のナイン。スリーも真面目に答えたその時だった。

「わっ!!」

スリーを守ろうと彼女の前で左右を窺っていたナインであるが、後ろ向きに歩いていたため道路の何かにつまづいて、思いっきりスリーに向かって倒れこんでしまったのだ。

「きゃっ」

咄嗟のことによけきれず、スリーは見事にナインとごっつんこしてしまった。

「…いったぁーい」

目から火が出るという諺(?)は実話だったと実感した。
額をさすりながら、ぶつかった相手を見る。ナインもスリーと同じように額をさすり、しりもちをついていた。
道路に座り込む一組の男女。

「…ぶつかっちゃったわね」
「ぶつかったな」

で。

つまり二人は恋に落ちる…?

「ジョー、いったい何につまづいたの?」

そんなものがあるのかどうか、あったのかどうか、定かではない。

 

 

 

<超銀>

「へぇ…そんなジンクスがあるんだ?」
「ジョー、知らないの?」
「知らないな」

彼は少女漫画や恋愛ドラマとは無縁のひとだった。

「…ぶつかったこととか、無いの?」
「無いなぁ。…たぶん」
「たぶん?」
「いや。そういえば、中学生の時だったかな。やたら体当たりされたような気がするけど――まぁ、気のせいだろう」

…それって。

「体当たりってもしかして…女の子だった?」
「うん?…そういわれるとそうだったような気がする。でも男子もいたよ」

違うのかもしれない。
しかし、思春期の女子中学生の行動なら有り得るかも知れない。

「その、ぶつかった相手に好意を持ったりとか…した?」
「うーん。どうだったかなぁ」

前髪をかきあげ、天を仰いで。横目でちらりとフランソワーズを見つめ、ジョーはちょっと笑った。

「気になる?」
「えっ!?別に?」
「そう?」
「ええ。そうよ。それに――そう、確かパリでもそういう話ってあったような気がするわ!」

少女漫画の定番なのだから、日本だけの専売特許ではないだろう。……たぶん。

「――ふうん。じゃあきみはパリで誰かとぶつかったりしたのかい?」

ジョーの瞳に不穏な影がよぎった。が、フランソワーズは気付かない。

「余所見しないから、ぶつかったりしないわ。それに道もそんなに狭くないし」
「そうか」
「ええ」
「…でもなんだか落ち着かないな」
「えっ?」
「イヤだな、僕の知らないところできみが誰かと恋に落ちてたら」
「え?だってそうだとしても昔の話よ?」
「今現在が気になる」
「気になる、って…」
「うん。どうせならぶつかっておかないか?」
「えっ?」
「そうすれば安心だ」
「安心って何が?」
「うん。そうしよう。明日あたり、適当な角で待ち合わせしよう」

――そんなわけで、フランソワーズは意味もなく角に立ってジョーを待っているのであった。

待ち合わせの時間まであと数秒。
ジョーの姿は――見えたものの、なんとジョーはひとりではなかった。

両脇に女性がいる。

それも、楽しそうに語らって。

ジョーの手が両脇の女性の腰に回っている――ように見える。
気のせいか?
マボロシか?
フランソワーズは数回瞬きした。
ともかく女性を伴っているのは事実であり、まぎれもない現実であった。
一瞬、唇を噛んだが、すぐに彼女たちは「ハリケーン・ジョー」のファンであることが判明し力を抜いた。
どうやらファン二人組にまとわりつかれているらしい。おそらく困っているだろうけれど、営業用の笑みを顔に張り付かせている姿はあっぱれと言って褒めてあげてもいいかもしれない。

フランソワーズはジョーがあと数メートルという地点まで来ると、地を蹴った。
そのままダッシュの勢いで――

「うわっ」

ジョーの胸に頭突きした。

「きゃあっ」

跳ね飛ばされる女性二人。が、咄嗟にジョーが優しく彼女たちを押し遣ったためダメージは全く無い。
もちろんフランソワーズも彼がそうするであろうことを予想しての暴挙である。
そしてジョーは、そのまま彼女の突進を受け止め、一緒に道路に転がった。

「…過激だなぁ」
「ちょっとしたヤキモチよ」

けれども、当初の目的は達成された。
曲がり角でぶつかった男女である。

「怒ってるのかい?」
「怒ってないわ」
「そうかな。――でも、怒ってるきみって凄く…」
「凄く怖い?」
「いいや。――綺麗だよ」
「ばか」

 

 

<新ゼロ>

ジョーは日本生まれの日本育ちである。漫画大国であるから、幼少期からコミック関連には事欠かなかった。男子ではあるけれども、小学生の時分には少女漫画も回し読みしていたくらいである。
だから、知っていた。古典的恋愛パターンを。

曲がり角で出会った男女は恋に落ちる。

王道である。
少なくとも、昭和の恋愛漫画の定番ではあろう。

だからジョーは落ち着かなかった。
そんな定番が囁かれなくなって久しい昨今、こういった王道はベタと言われ忌避されているのが現実である。が、それでもジョーは昭和のひとだったから、買出しから帰ったフランソワーズに「さっきそこの角でピュンマとぶつかっちゃって驚いたわ」などと言われたら心穏やかではいられない。まさかピュンマと恋に落ちた…とは思わないが、それでも何らかの特別な感情が湧いてしまっているのかもしれず、いったんそのへんを考え始めると妄想は膨れるばかりであった。

だから、ジョーは決心した。

――角でぶつかるのは僕が最後になればいい。

そうすれば、以後、フランソワーズが誰かと恋に落ちる危険性は回避できるのだ。
だから、…こうして彼女の行く先行く先を先回りして待ち続けているのである。

地道な努力であった。

しかも、ただぼうっと角に立って待っているのだから、不審なことこの上ない。
道行くひとに眉をひそめられてからは、極力電信柱の影に立つことに決めていた。しかも気配を完全に消して。
だから、ジョーに気付くひとは滅多にいなくなった。たまに気付くひとがいるけれどもジョーは気にしなかった。
そんなことよりフランソワーズである。

――ピュンマと恋に落ちるなんて、そんなの絶対嫌だ。そんなことになっていたら、僕は…

いや、駄目だ。考えるのをやめなくては。

それに、そろそろフランソワーズがやって来るはずである。
待ち伏せしていると悟られずに彼女の肩に軽くぶつかる。それがジョーのたてた作戦であった。

が、ジョーは悶々と考えるあまり彼女のちからをすっかり失念していた。
彼女は千里眼なのである。
ジョーがどんなに気配を消していようが、彼女からは丸見えなのである。それが恋しい相手ならばなおさら。
恋する相手に限って言えば、それは、フランソワーズがちからを使わなくても、女性であれば全てのひとが持ち合わせる能力なのかもしれなかった。が、ジョーはそんなことを知る由もなかった。

「…またいるわ」

ここ数日、ジョーが自分を待ち伏せしているのは知っている。明るく手を振ってくれればいいのだけれど、そうではないから真意が見えない。なので、フランソワーズはちょっと警戒していた。
ジョーが思いつめる性質なのは知っている。が、今回のこれの目的はいったいなんなのだろう?
しかも、電柱の影でじいっと微動だにしないのだ。ちょっと怖い。

だからフランソワーズはついつい進行方向を変えてしまっていた。
つまり、ジョーがどんなに先回りして待ち伏せても、フランソワーズに出会えないのだ。ここ数日、ずっとそうであった。

「せめてわけを言ってくれればいいのに」

今日も電柱脇にジョーを認め、フランソワーズの足取りは自然と遅くなった。ゆっくり歩きながらいったい何が彼に起きているのか考察してみる。なにしろ、ギルモア邸ではいつもの通り変わらない彼なのだ。

「この前、ピュンマとぶつかったって言ったから心配しているのかしら」

だから、角に立っている…?

そんなことをつらつら考えていたからだろうか。今日は進行方向を変えるまでもなくジョーの元に着いてしまった。
いったいジョーは何のつもりなのだろう?
そう思っていると、ジョーは電柱の影から出ると、すっと角を曲がっていなくなり――と思うと、すぐに姿を現して、そしてとんっと軽くフランソワーズの肩に肩をぶつけた。

「あ、ごめん――やあ、フランソワーズ」

まるで今初めてフランソワーズに気がついたかのようなジョー。心なしか笑顔が明るい。

「ジョー。どうしたの?」
「ん?どうって何が?」
「だって」

ずうっとここで待っていたじゃない。

「偶然だなあ。驚いたよ」

ぐ、偶然……?

「まさかきみとぶつかるなんてね」

満面の笑みで満足そうに言うジョー。
フランソワーズは全く彼の真意がわからなかったが、でも――ジョーの笑顔を見ていると、そんなのどうでもよくなってきた。

「痛くなかったかい?」
「ええ、大丈夫よ」
「そうか。あ。荷物持つよ」
「ありがとう」

ジョーの行動の意味はわからないけれど。
でも、嬉しそうなジョーと並んで歩くのは悪くなかった。悪くない――というより、嬉しい。

「フランソワーズ」
「なあに?ジョー」
「ん、いや…なんでもない」
「なあに?変なジョー」

そうしてお互いに笑った。

 


 

3月25日 「一番のバカップルは誰だ」@

 

@君の瞳に乾杯!って…言える?


<超銀>

「言えるさ、そのくらい」

高層ビルのなかにあるレストラン。広い窓の下には夜景が広がっている。
なかなか予約を取りにくいそのテーブルを確保し、ジョーは対面に座っているフランソワーズに向かってグラスを掲げた。
「君の瞳に乾杯」

そうしてにっこり笑った。
さて、フランソワーズはどんな反応をするだろう?
いやだわ恥ずかしいと頬を染めるだろうか。それはかなり可愛いだろう。あるいは、やめてよジョーと怒ってみせるだろうか。彼女の怒った顔はとても綺麗でそれを見るのもいいなとジョーは楽しく期待を膨らませていた。
が、しかし。
フランソワーズはそのどちらの反応もしなかった。

「綺麗ねぇ…夜景」

うっとりと窓の下を眺めている。ジョーのほうなど構っていない。

「…フランソワーズ」

少し怒っても許されるだろう。決めセリフを言ったのだから。それをスルーされる立場ほど情けないものはない。

「なあに?ジョー」
「僕の話、聞いてた?」
「話?」

くるりと蒼い瞳がこちらを向く。ジョーは掲げたままだったグラス越しに改めて言ってみた。

「君の瞳に乾杯」

今度こそ。

フランソワーズはじいっとジョーを見た後、自分もグラスを手に取った。
そして同じように目の高さに掲げて言った。

「あなたの瞳に乾杯」
「…え?」
「駄目?」
「いや、いいけど…」

もちろん、このセリフが男性の専売特許というわけではない。が、女性が言うのを聞くのはかなり新鮮だった。

「だって、ジョーの瞳って素敵だから」
「…そうかな」
「ええ。大好き」

満面の笑みで言うフランソワーズにジョーも微笑んでいた。

「僕も君の瞳が好きだよ。ここから見える夜景が霞んでしまうくらい、ね」
「ま。いやなジョー」

 

 

<旧ゼロ>

「もちろん、言えるとも。いいかい、フランソワーズ。ちゃんと聞くんだぞ」
「ええ」
「君の瞳に乾杯」

そうしてナインが掲げたのはコーヒーのはいったカップだった。
ここはいつものギルモア邸。毎朝の習慣のようにナインがやってきてスリーのいれたコーヒーを飲んでいるところである。

「どうだい?」
「んー……」

スリーはちょっと首を傾けると口を開いた。

「あの。どうして瞳に乾杯するの?」
「うん?それはだな、君の瞳を讃えているんだよ」
「どうして?」
「つまり、そのくらい君の瞳が綺麗だとそういう意味だ」
「でも、それがどうして口説き文句になるのかしら」

そう。ふたりはいま、朝のワイドショーの特集を見ていたのだった。今日は「女性が喜ぶ口説き文句集・昭和編」であった。

「…うっとりするらしいぞ。言われたら」

ナインがテレビ画面を指す。そこには頬を染めた女性が映っていた。

「うっとり…?」
「しないかい?」
「しないわ」

残念そうにスリーが言う。ナインは肩を竦めるとコーヒーをひとくち飲んだ。
彼としては、試しに言ってみただけだったからスリーがどう思おうとダメージはない。そうかスリーにこういう口説き文句は利かないんだなあと心にメモしたくらいで。
しかし、言われたほうのスリーは、せっかくナインが言ってくれたのに心が動かない自分が許せなかった。なぜ自分は感動しないのだろうかと考察してみる。
そして。

「…わかったわ」

嬉しそうに両手を合わせる。

「ね。ジョー。つまりはこういうことなのよ!」

ナインの膝に手をついて、彼の顔を覗きこむ。

「だって私、普段から言われ慣れているんだもの!それも、もっともっとたくさん!だからこのくらいじゃなんとも思わなくても当たり前なのよ!」

ナインは思わずコーヒーを噴いていた。

「なっ…、僕は何も言ってないぞ」
「嘘よ、言ってるわ」
「言ってない」
「言ってるじゃない。――もう。だったら思い出して言ってみましょうか?…君の瞳は」
「わー!」
「僕の目に映る君と」
「わー!」
「いつも一緒だから」
「わー!わー!ヤメロっ。セブンに聞こえるだろうっ!!」

真っ赤になったナインはスリーをぎゅうっと抱き締めていた。

「まったく君はっ!そういうのは、もっと小さい声で僕だけに向かって言うもんだろ?」

 

<新ゼロ>

「え。……これ、本当に言うのかい?」
「ええ。そうなってるけど」

ジョーは絶句した。目は手紙に釘付けである。

「本当に暗号なのかな」
「だってそう書いてあるわ」

そうしてフランソワーズと目を見合わせ、互いにため息をついた。

ここは都内のレストラン。博士が学会の座長をつとめたセッションが無事に終わり、内輪の打ち上げとしてサイボーグメンバー全員が集まっていた。
ジョーとフランソワーズは少し遅れて到着したので、いったん別室に通されそこで案内を待っていた。
数分してやってきたボーイが差し出したのは、明らかにメンバーの手によるふざけた暗号文だった。

「これをどうしろと言うんだろう」
「言うと案内してもらえるらしいわ」

とはいえ。

君の瞳に乾杯。とフランソワーズの目を見て言うこと。

というミッションは如何なものか。
大体、言うにしても脇にはボーイが控えているのである。二人だけならまだしも、衆人環視の元でこのセリフを言うなどできるわけがない。恥ずかしすぎる。
フランソワーズはいったいどう思っているんだろうかとそっと横目で窺うと、彼女も頬を染めていた。

「これ、絶対、悪ふざけしてると思う」
「うん。そうだね」
「きっと、言わなくても連れて行ってもらえるのよ」

そうして顔を上げてボーイを見る。

「そうでしょう?」
「そうですね。場所を変えるよう言われておりますのでこちらへどうぞ」

ほらねと安堵の笑みを浮かべたフランソワーズだったが、ジョーと一緒に連れて行かれた先はテーブルだった。
キャンドルライトが灯っていて落ち着いた雰囲気である。

「あの、博士たちは個室って言ってましたけど」
「おふたりはこちらへ通すようにとのことです。どうぞ、ごゆっくり」
「ごゆっくり、って…」

やはりはめられたのだろう。
普段、共同生活をしているのでなかなか二人っきりになることはない二人である。そんな若い恋人同士を気遣っての演出なのだろう。
そう思うとなんだか妙に意識してしまって、フランソワーズはそわそわと落ち着かなくなった。
ふたり向かい合って座る。
ただそれだけのことが、どうしようもなく照れてしまう。

「――フランソワーズ」
「なあに?」
「とりあえず…何か飲み物を決めよう」
「ええ、そうね」

そうして飲み物を注文したものの、会話は弾まず、飲み物が到着するまでお互いにもじもじと下を向いたままだった。

「…ええと。博士の会なのに博士がいないのってなんだか変だけど、とりあえず…乾杯しようか」
「そ、そうね」

そうしてお互いにグラスを手に取って。

「乾杯」

しかしジョーは何かを考えるかのように、乾杯した後もグラスを下ろさなかった。

「ジョー?どうかした?」

さてはグラスに何か異変でもあったのだろうかとフランソワーズが緊張した時だった。

「…君の瞳に、乾杯」

小さな声で言われた。

「えっ…」
「あ、いや、ちょっと言ってみたくなったんだ。うん。それだけなんだ、深い意味はない」
「…深い意味はないの…?」
「えっ!?」

照れ隠しに勢いで言い訳しただけなのに、何故かそれに傷ついたかのようにうつむくフランソワーズにジョーは慌てた。

「い、いや!そうじゃなくて、深い意味はあるんだけどないというかそのつまり」
「あるの?」
「ええと、だからそのつまり僕としては」
「ジョー?」

ひたと見つめられ、ジョーはグラスを下ろすと観念したように息をついた。

「……フランソワーズの目が綺麗だったから、つい…言っただけだよ」

頬が赤い。
が、対面するフランソワーズの頬も負けないくらい赤かった。

「そ、そう…ありがとう、ジョー」

嬉しいわ、と小さく言ったけれどそれがジョーに聞こえたかどうかはわからなかった。