子供部屋
(新ゼロなふたりの日常です)

 

4月16日 桜 (注:ちょっと暗いです)

 

「お花見しようと思っていたのに、気がついたらもう散っているのね…」

フランソワーズは残念そうにため息をついた。

「どうして忘れていたのかしら。お花見すること」

自分の胸の裡を覗いてみる。
毎年、桜が咲くのをそれはそれは楽しみにしてきたのに。そして、花見をすることを忘れたことなどなかったのに。
誰に言われるのでもなく、お花見に行きましょうと誰かしら誘って行ったものだったのに。
なのに、今年に限ってなぜ。
日本に住むようになってから、桜が咲く季節はとても好きで楽しみにしているのに。

――しかし。

それはあくまでも心の表面だけの話であって、実際はどうなのか。

フランソワーズは自分の心の深い部分を覗こうとして――やめた。
見てはいけない。
そんな気がする。

もちろん、ひとは誰しも心の奥深くに闇を持っているものである。その深さはひとそれぞれだとしても、ひとは綺麗なものだけを持って生きているわけではない。ただそれを表面に浮かびあがらせることはせず、ただじっと奥にしまって遣り過ごしている。そうでなければ日々を過ごすことなんでできなくなってしまう。毎日、辛い思い出や黒い思いを噛み締めながら思い出しながら生きてゆくのなんて辛すぎる。
だから、幸せなことや楽しいことを表面に浮かび上がらせて毎日楽しく過ごす。

だから。

本当は自分が何を思いどう生きているのかなんて、わざわざ見なくてもいいのだ。
そんなもの、見なくても知っているはずなのだから。

自分が人間ではなくなった日から。

――このまま生きていてもいいの?
笑ってもいいの?
何か楽しい未来が待っていると思ってもいいの?

何も――何も、変わらないのに?

望んでも元の人間の姿に戻れるわけもなく、変われるわけもない。
自分はこのままずっとこの姿のままで生き続けていくしかない。
それしかできない。
それしか残されていない。

だから。

毎年、同じように見えても、今年咲く花は去年の花とは違う。
そんな風に、変わらずにいるように見えて新しい花を咲かせている桜に嫉妬しているのだ――なんて、改めて思い出さなくてもいい。
ただ、綺麗ねと言っていればいいのだから。
そう言うことで少しでも救われるのなら。
誰も悲しまないのなら。

だって、もしもそう思っていることを知られたら――知ったら、悲しむひとがいる。

だからそのひとには、いつも笑顔でいたい。笑顔だけ見せていたい。

フランソワーズはため息をつくとぎゅっと目をつむった。知らず、自分の肩を抱き締める。
自分の胸の裡を覗くつもりはなかったのに、結局、闇の部分を確認してしまった。

どうにもならない自分の体。
どうにもならない自分の思い。

もしも、あの時――ブラックゴーストから逃げる時に散っていたらどうだっただろう?
桜が散るように潔く。
そうすれば、今こんな思いをせずにすんで――少しは、幸せだったかもしれない。もちろん、散っていたら今ここにはいないのだけれど。

自分は散りたいのだろうか。
散っていたかったのだろうか。

わからない。

自分はどうしたいのか。

本当は――どうありたいのか。

足元が崩れる感覚。
いま自分は本当にここにいていいのだろうかという不安。
泣いてしまえば楽なのかもしれないけれど、だからといって何も解決はしない。
だから泣かない。
そんな風には泣けない。

桜。

今年は――散り行く桜さえ、厭わしいと――

 

「…フランソワーズ。どうかした?」

ふっと影が差して、フランソワーズは目を開けた。
目の前にジョーが立っている。心配そうな顔。

「具合でも悪い?」

手が伸ばされて、フランソワーズの額に触れる。冷たかった。

「…ううん。ちょっと考えごとをしていただけ」
「そう?」
「ええ。ほら、今年はうっかりしててお花見しないでいたから」
「花見?――ああ、そうだね…」

ジョーはふいっと視線を逸らすと庭木を見つめた。
フランソワーズもジョーの視線を追って同じほうを見る。
風が吹いて枝葉が揺れた。

「今年は…別に、いいかな」
「えっ?」

ジョーが目を細めて言う。

「わざわざ見に行かなくても…来年も咲くんだし」
「…」

でもジョー。今年の桜は今年しか見られないのよ。

胸が詰まる。

「――僕は」

ジョーがちらりとこちらを見た。

「桜を見るのはそれが目的じゃないから」
「えっ?」

花より団子なのだろうかとフランソワーズが訝しく思った時。
ジョーが照れたようにちょっと笑った。

「フランソワーズと一緒なら、それでいいよ」

今年咲いた桜だろうが去年の桜だろうがそんなものはどうでもいい。一緒に見るのが――隣にいるのがフランソワーズであれば。

 

ここにいて、いいんだ。
そう、言われた気がした。

桜は何も悪くない。
自分と比較して厭わしく思うのなど、八つ当たりもいいところだった。

だから。

フランソワーズは大きく深呼吸すると、ジョーの腕を抱き締めた。

「ね。全部散ってしまう前に見に行きましょう。…一緒に」

二人で見るのなら。
来年も、再来年も、その先も。

毎年違う花を咲かせる桜を、変わらない二人で見ることができるのなら。

「うん。一緒に行こうか」

このひとの笑顔と共にいられるのなら――