子供部屋 2013.夏
ナインは目の前の標的に全神経を集中させた。 既に周囲の音はなにも聞こえない。 いま彼の頭のなかに映るのは、照準スコープから見える目前の標的だけだった。 乾いた音と共に、あっさりと倒れる標的。 そして戻ってくる、周囲の喧騒。 スリーがナインの腕にすがりつき、セブンが彼の足を抱き締める。 「勘弁してくださいよ、お客さん。もう20個目ですぜ」 ナインは20個目の景品を受け取ると、そのパッケージをしみじみと眺めた。 「――これも違うな。フランソワーズ、ちゃんと誘導してくれなきゃダメだろ」 どれどれ――とスリーが首を伸ばしパッケージを眺める。 「あ。偽者よ、これ」 そうして二人揃って店の人をじっと見つめた。 「いや、だから言ってるじゃないですか。こんな露店でほんものなんてほんのちょっとですって」 ナインは険しい顔で店を眺め、目の前に陳列されている景品を眺めた。どれも同じようなパッケージである。 都内の有名店では売り切れ、通販では半年待ちとあって入手が困難だった。 「限定のマンゴー味だけ食べたことがないの」と残念そうに。 だから、一緒に来た夏祭りの露店でこれを見つけた時は血湧き肉踊った。 「私だって把握してないんですってば。陳列する時にいちいちどれが限定品なのかなんて見ちゃいないんですから」 店員が絶句し、ナインが一歩詰め寄った時。 「そこまでにしておくんだな」 *** 「きみが狙っていたのはこれだろう?」 「やる」 男の背後から現れたのは、金髪碧眼の女性だった。同じく浴衣姿である。 「ごめんなさいね。ひとつあればじゅうぶんって言ったのに、このひとったらきかないから」 ナインは手元にある塩キャラメルが限定品なのを確かめると、それを傍らのスリーに渡した。 「……悪かったな」 いちいちパッケージを見て並べてませんよと言うのに、ナインはわかったと顎を引いた。 「僕たちが先で運が悪かったな」 薄く笑みを浮かべる男。そのひとを見下したような不遜な態度にナインの頭に血が昇った。 「貴様っ……」 一歩、詰め寄ろうとしたその時。 「はい、ジョー。あーんして」 ぽいっと口の中に何かを放り込まれた。 「……」 キャラメルというだけあって、噛めば噛むほど歯にまとわりつく。甘いのかしょっぱいのかマンゴーなのか、残念ながら味はかなり微妙であった。 「フランソワーズ。それはっ……」 そう、いま現れた浴衣姿の男女は、同じサイボーグ009の009と003であった。
8月17日 夏祭り@:旧ゼロ
視覚はもちろん、聴覚や感覚、果ては嗅覚までも――目の前の獲物に向かって。
――今だ。
グリップを握る手のひらに力が入りすぎていないだろうかとよぎったのも刹那。
超感覚ともいえるくらいのちょっとの神経の伝達で引き金は引かれていた。
「やったわ!!」
「すごいよアニキっ」
そして。
ちょっと泣きそうな顔の――店の人。
「あら」
「ふん。……やっぱり、な」
「のぼりに書いてあるだろ。本場の塩キャラメルって」
「そうよ、限定品って書いてあるわ」
「だから。それはつまり……」
「アニキ。逮捕だ。通報しようよ」
「ひゃっ。かかんべんしてくださいってば」
ここは露店の射的場。コルクの弾を撃って、倒れた景品をもらえるという仕組みだった。そして並んでいる景品は、いま巷で流行している「熱中症対策も万全・本場の塩キャラメル」である。
そのなかの数個が「限定マンゴー味」なのであった。
ナインとしてはそんなものに興味など毛頭無いが、ある日スリーが言っていたのだ。
が。
店内の景品の半分以上を倒したが、未だ「限定マンゴー味」には出会っていない。だからこれはいま流行りのインチキに違いない――と言う結論に達したのであった。
「最初から並べていないんじゃないのか」
「そ、それは……」
背後から声がかかった。
周囲の人垣が割れて、浴衣を颯爽と着こなした長身の男が現れた。
手のひらの上で無造作に「塩キャラメル」が弾んでいる。ナインがそれが限定品なのか見定めようとじっと見つめると、男はそれを指先で弾きナインの胸元にぶつけた。
「――なんだと?」
「いいよな?ひとつくらい」
「ええ」
「何を言う。弾は5発あるんだ。一回で当てたからって4発ぶんを放棄するのはもったいないだろ」
「撃ちたかっただけでしょう」
「――ま、そんなわけで、店の人が言っているのはたぶん本当のことだ。いいがかりはやめたまえ」
改めて店員に向き直る。
「あ、いえ。わかっていただければそれでいいんで」
「……つまり、アイツが稀少な限定品を持っていったあとだったというわけか」
「そ・そうなります」
「補充しないのか」
「だからそれは私にもわからんのです、って。こうして業者から送られる箱にランダムに入っているのを並べるだけなんですから」
「くっ……」
大体、こんな風に限定マンゴー味をめぐんでもらうような筋合いはない。
「えっ」
口のなかいっぱいに広がる、しょっぱいマンゴーの味。
いや、それよりも。
ナインの逡巡をよそに勝手に開封し勝手に食すというのはいかがなものか。許可していないのに。
「んもう、いいじゃない。せっかくくれたんだし」
「しかしだな」
「いい加減、仲良くしたら?ふたりとも同じ009なんだし」
超銀河伝説の。
〜ナインと出会う約10分前〜 「ジョー、大丈夫?」 フランソワーズの心配そうな声にジョーは足を止めた。 「この通り。ぴんぴんしてるさ」 フランソワーズはそっとジョーの額に手をあてた。熱は無い。 「心配性だなぁ、きみは」 呆れたように、でもどこか嬉しそうにジョーが言って、フランソワーズの手首を掴んだ。そのまま引っ張って一瞬抱き締め、彼女の首筋に顔を埋めた。 「大丈夫だよ。僕は」 昨年、アイスクリームの列に並んで熱中症になったジョーだった。だから今年はアイスクリーム禁止としたのだが、元々ジョーが食べたかったわけではないのでこの禁止令は殆ど効果はなかった。 「今日はずっとおとなしくしてたじゃないか」 二人とも浴衣姿だった。ジョーはグレイの着流し、フランソワーズは紺地に百合柄の浴衣である。 「それにしても……いつにも増して色っぽいね」 つまんないなあと呟いて、ジョーはフランソワーズの首筋から顔を上げた。 「夏祭りで遊ぶっていったって……」 指差す先には確かにそう書いてあった。が、塩キャラメルなどに全く興味が無いジョーである。 「売り切れ続出で本店でも一ヶ月待ちですって」 殺し文句にジョーは唸った。 「――いいだろう」 *** 「――右からふたつめ。重心はやや前寄り」 一撃必殺。 今の彼にはそれしか考えられなかった。 「ねぇねぇ、あのお兄ちゃんが狙っているのって限定マンゴー味?」 子供たちがひそひそ言い合う。 「わかんないよそんなの。見た目はどれも同じだし」 そうしてフランソワーズをじいっと見つめるちびっこたち。 「――まんなかの段の左からみっつめでもいいわ。こちらはそのまま中心を狙って」 すごいなあ見えるのかなと子供達が羨望のマナザシでフランソワーズを見る。 そんな囁きに我関せず、ジョーは引き金を引いた。 乾いた音がして、右からふたつめの塩キャラメルが落下した。 「――ヨシ」 しかしジョーは構えを解かない。景品は傍らのフランソワーズが受け取った。 「……どうだ?」 子供ねぇとフランソワーズは息をついた。 乾いた音がしてまんなかの段の左からみっつめの塩キャラメルが落下した。 「どうだ?」 そうしてふたりは全ての弾を使い、その場に出ていた限定マンゴー味を全て獲得したのだった。
「大丈夫って何が」
「……体の具合」
「でも……」
続いて頬に手を触れる。熱くは無い。
更に首筋に手をあてた。ジョーの言う通り通常の体温のようで、フランソワーズはやっと安堵の息をついた。
「でも、去年のことがあるから」
「……そうだけど」
「祭りだって、こうして日が暮れてから来たんだし」
「……そうだけど」
「きみの言う通り、涼しい格好だってしている」
「ジョーったら」
「祭りなんてやめて別の所に行こう」
「ダメよ。せっかくのお祭りなんだから」
「あら、いろいろあるじゃない。射的とか」
「射的?」
「ええ。ほら、景品は塩キャラメルよ」
「……しょぼいな」
「あら、熱中症対策の塩キャラメルなのよ。それにのぼりにかいてあるじゃない、限定マンゴー味って」
いま彼の興味の対象はフランソワーズ一点のみであった。
「……で?」
「入手困難って聞いたら血が騒がない?」
「別に」
「私が欲しいって言っても?」
フランソワーズが欲しいとねだることは早々無い。だからこれは貴重な機会なのである。それに、難なく手に入れた暁には何かご褒美がもらえるのではないかとそんな期待もある。
射的の露店は突然緊張した空気に包まれた。
いまの今まで銃を構えていた子供達も、銃を下ろし成り行きを見守っている。
ジョーは照準を合わせ、フランソワーズの支持通りに狙うポイントを定めた。
なにしろ最高のナビが控えているのである。これで外したら、ジョーは009の看板を下ろすしかない。
「カンじゃない?」
「でもさ、自信ありそうだよ」
「違うよ、隣にいるお姉ちゃんがわかってるみたいだよ」
しかしフランソワーズは彼らに気を散らすことなく、景品の塩キャラメル郡をじっと見つめていた。
どれが限定マンゴー味なのか、的確にジョーに伝えなければならない。それが自分の使命である。
真剣な表情でやや眉間に皺を寄せているものの、フランソワーズは凛として美しかった。そのたたずまいは、ともすれば極道の妻のような迫力もあり、周囲の大人たちは彼らふたりを遠巻きにして近寄ることはない。
あのふたりはどこかの筋のもんだろう、そうに違いない――そんな囁きも聞こえてくる。どこかの若頭とその情婦だろう、と畏怖の念をこめた声も聞こえる。
「限定マンゴー味よ」
「次、いくぞ」
「いいわよ、ひとつあれば」
「ダメだ。弾はあと四発残っている」
「いいじゃない、ひとつあれば」
「四発無駄にする気はないさ」
「……ジョーったら」
が、いまにも次の獲物を打ち落とそうという彼の横顔は少年のようにこのゲームに夢中であり、彼のこんな表情はなかなか見られないからフランソワーズはそれを堪能することにした。今日は祭りなのだし、仕方がない。何もすることがなくてジョーが飽きて、別の場所に行こうと誘われるよりずっといい。
「ええ。当たりよ」
「ヨシ。次はどれだ?」
「……やっぱり、まだやるのね」
が、ふたつは自分たちの分としたものの、あとのみっつは近くにいて成り行きを見守っていた子供たちに譲り、代わりに普通の塩キャラメルをいただいたのだった。
「フランソワーズ、ほらりんご飴」 「フランソワーズ、ほら綿菓子」 「フランソワーズ、ほら水あめ」 「フランソワーズ、ほらカキ氷」 少し困ったようなフランソワーズの声に、ジョーはどうしたのかいと目を向けた。 「あれ。何か怒ってる?」 そうなのだ。唇は一文字に結ばれ、頬は心なしか少し膨らんでいる(決して何かを頬張っているわけではない)。 「……怒ってないわ」 目が三角に見えるけど――とは、言ってはいけない雰囲気を察し、ジョーは曖昧に語尾を濁した。いつもならここでフランソワーズに「聞こえません、はっきり言いなさい」と追求されるところなのだが、今日はお祭りのせいなのかフランソワーズの追及の手は緩かった。 「いくらなんでも食べすぎじゃない?ジョー」 せっかく浴衣を着たのにとため息をついた。 「え。だって屋台だよ?食べなくちゃだろ」 嘘に決まっている。 「……そんなにお腹がすいてたの」 ジョーはソースの匂いをさせる数々の戦利品を抱え手が空いていない。が、素直に口を開けた。 「綿菓子も手伝って」 しょうがないので、ちょっと齧る。 「水あめも」 しょうがないので、ひとくち食べる。 「はい、氷」 しょうがないので、また口を開ける。 「りんご飴――うふ、これは可愛いから持って帰るわ」 可愛く笑ったフランソワーズが浴衣を着た天使に見えた。 *** 「ジョー、見て。金魚がいるわ」 「綺麗ね」 猫もいないから心配ないよと笑って、ジョーはさっそく水槽のそばにしゃがみこんだ。 「ほら、見てごらん」 フランソワーズも隣にしゃがみこんだ。 でも。 「私はいいわ。ジョー、やってみたら」 苦笑いして頭を掻いた。率先してやりそうだっただけに意外だった。 「確かに可愛いし綺麗なんだけど、……」 すぐ死んじゃうんだと小さな小さな声で言ったのをフランソワーズは聞き逃さなかった。 「……見てるだけでいいわ」 そうしてもたれたジョーの肩からほんのりソースの香りがして、フランソワーズは苦笑した。
「マァ、可愛い!ありがとう、ジョー」
「マァ、可愛い。ありがとう、ジョー」
「マァ、可愛い。……ありがとう、ジョー」
「まあ。……ありがとう、ジョー。……でも……」
確かにフランソワーズは困っていた。ジョーから次々に渡される屋台の「フランソワーズに似合うだろうとジョーが勝手に思った可愛い食べ物」を持ちきれなくて。しかし。
声は困っていたものの、瞳は困ってはいなかった。むしろ――
「そうかな。でも」
ジョーはフランソワーズが怒っていると勝手に思っているのだけれど、フランソワーズはどちらかと言えば怒っているより呆れていたのだった。
こうして二人揃って浴衣を着てくりだした夏祭り。久しぶりに夜のデートだわと嬉しく思っていたのに、いっこうにそれらしい雰囲気にならない。だから少し拗ねてみたりもしたのだけれど、ジョーは全く気付かない。それでも、祭り会場に着くまでは仲良く手を繋いでくれたから少しは機嫌も直っていたのだが。
祭り会場に入って並ぶ露店を目にした途端、ジョーは目を輝かせフランソワーズそっちのけですっかり夢中なのだ。
否、フランソワーズの存在を忘れたわけではない。その証拠にこうしてちゃんとりんご飴や綿菓子や水あめやカキ氷などを買ってくれる。だから彼の心の中にはいつものようにちゃんとフランソワーズがいるのだろう。
だがしかし。
イカ焼きやたこ焼きや焼きソバ――を片端から制覇してゆく009はいかがなものだろうか。
こうして振り返った彼の頬には、シシカバブが入っているに違いないのだ。頬についたソースがそれを物語っている。
「……食べ物しかないわけじゃないでしょう」
「ダメだなぁ、フランソワーズ。日本のしきたりがわかってないね。こういう祭りに来た場合、まずは屋台で腹を満たすのが正しい祭りの楽しみ方なんだよ」
ジョーがもっともらしい顔で「日本のしきたり」を持ち出すときは、決まってハッタリなのだ。いい加減そのくらいわかる。
特に何度も使われた手であれば。
「そういうわけじゃないけどさ。……フランソワーズ、食べないと氷が溶けるよ」
「ジョーが食べて」
「え。僕はいまいろいろ手一杯」
「あーんして」
フランソワーズがそうしたいのなら、拒否する気はまったくないのだ。それが屋内だろうが室内だろうが衆人環視だろうがジョーにとってはどうでもよいことであった。
口のなかが一気に冷えていく。さっきまでシシカバブの熱に侵されていたのにこの温度差はどうだ。続く食道や胃も驚くことだろう。
でもちょっときつくなってきたのか目に涙が浮かび始めたとき、
指差すほうを見ると、そこは金魚すくいの店だった。大きな水槽に赤や黒の金魚が所狭しと泳いでいる。
「うん。……やってみる?」
「えっ」
「金魚すくい」
「でも……」
「すくった金魚はもらえるんだよ。そうしたらギルモア邸で飼えばいいし」
水槽のなかにはたくさんの金魚。子供達がきゃっきゃ言いながら金魚すくいを楽しんでいる。
「いや。……実は苦手なんだ。こういうの」
幼い頃の思い出なのかもしれない。ちゃんと聞いたことはないけれど、そう察することができるくらいには二人の付き合いは長い。周りの子供たちを気遣って語尾を濁したジョーが愛しくて、フランソワーズは彼の手をそっと握り締めた。
まったくもう、全然ロマンチックじゃないんだから。
「金魚すくい?……って、何をするの?」 フランソワーズはいぶかしそうに手元を見た。 「フランソワーズ。ほら、しゃがんで」 ジョーは楽しそうである。だからきっと楽しいのだろう。 逃げ惑う金魚に目が奪われてしまう。 狭い世界のどこにも安住の地はないのだと言われているようで。 ――まるで、自分たちみたいで。 あっという間に和紙が破けたジョーは残念そうだった。 「フランソワーズ、やってごらんよ」 お祭りだし。楽しいよといいかけて、フランソワーズが涙ぐんでいるのに気付きジョーは慌てた。 「えっ。なに、どうしたの」 金魚すくいに参加している子供たちが口々に言う。 「いや、まさかそんなことは……フランソワーズ?」 心配そうなジョーにつられ、周りの子供たちも心配そうな顔になっていた。 「……ジョーがあんまり下手だから」 ほらやっぱりお兄ちゃんのせいじゃん、お姉ちゃん僕が金魚すくってあげるから待ってて等々、ほっとした空気に戻ってゆく。ジョーも照れたように頭をかいて子供たちと会話している。 そう、ジョーに本当のことを言うわけにはいかない。 言ってはいけない。 けれどもフランソワーズはどうしても金魚を捕まえる気持ちにはなれなかった。かといって参加しないのも角が立つ。 ……でも、これでいい。 じっと手元を見ていたら視線を感じた。 ジョーだった。 「……なあに?」 何言ってるのよもうといつものように言ってしまうのは簡単だった。 「……金魚は要らないよね。世話もずっとできるかわからないし……」 水のなかを自由に泳ぐ姿は美しい。 「僕は、フランソワーズの金魚でいいよ」 指差す先には浴衣の柄の赤い金魚。 「これならずっと世話ができるし」 *** 「そこの兄さんたち、やらないなら子供たちに場所を空けてくんないかなあ」 はっと顔を上げると、少し困ったような店の主の姿があった。 「あっ、すみません」 慌てて腰を上げた。 「すまんね。――ほら、そっちの兄さんたちも」 自分たちみたいに金魚に見惚れていたカップルもいるんだなぁとそちらに目を遣ると、知った顔だったので驚いた。 「きみは……」 原作ジョーだった。もちろんその彼の隣には原作フランソワーズがいる。双方とも自分たちと同じく浴衣姿だった。 平ゼロジョーの視線を追ったのか、原作ジョーはにこにこと自分の獲物を差し出した。 「イカ焼き、食う?美味しいよ」 原作ジョーの両手は食べ物で埋まっていた。しかもその莫大な数にものともせず、涼しい顔で勧めてくる。それぞれの器も中身がこぼれることなく彼の腕のなかに収まっているのは奇跡といってもよかった。 「……ジョー」 日本の祭りに不慣れな平ゼロフランソワーズはおびえたようにジョーの背中に隠れようとした。それに小さく怖くないよと伝え、いま一度原作ジョーに相対する。ここははっきり言っておかなくては。僕たちは食べに来たのではなくて、祭りデートに来たのであると。 「あの、僕たちは」 しかし、聞く耳を持たないのは原作ジョーだけではなかった。彼の相方である原作フランソワーズもまた、その思考や行動が読めない平ゼロジョーだった。教会で育ち、神父様から厳しくしつけられた彼にとって、常に想定外の行動をとる原作ジョーたちは少し(本当はかなり)苦手な相手である。 「……かわいい。これなあに?」 平ゼロフランソワーズがジョーの肩越しに覗きこむ。 「食べ物?」 そんな原作組の特殊ないちゃつきぶりをよそに、平ゼロフランソワーズは綿菓子を受け取るとおそるおそる齧ってみた。 「……甘いわ」 そして、ちらりとジョーの顔を見た。 「食べる?」 思い出すとそういう顔になるのねとフランソワーズが微笑んだ。 「……子供扱い、」 するなよな。と、小さく怒ったように言った平ゼロジョーが、いま綿菓子を齧ろうとした平ゼロフランソワーズの口元をかすめたのは偶然だったのかそうではないのか。 「……っ!」 驚いてジョーの顔を見つめるフランソワーズ。怒ったように見返すジョー。 「あらあら」 そんな若い二人を見て、それぞれ両手に食べ物をたくさん抱えた原作組は同時にそんな声を洩らし、そうして二人顔を見合わせた。 「……ジョー」 いいなぁ。私たちも する? という確認は互いの目の中で。
「すくって捕まえる」
「金魚を?」
「金魚を」
「これで?」
「これで」
ジョーに渡されたのは小さな丸いしゃもじのようなもの。プラスチックの輪のなかに薄い和紙のようなものが貼ってある。ちょっとつついただけで破けそうなくらい薄い。きっと水に浸けたらあっさり破けてしまうだろう。明らかにそうとわかるのに、これで金魚をすくうのだという。そんな無理難題を楽しむ遊びとは、日本人の文化は今もって謎である。
「え。でも……」
そう思ってやってみようとしたのだが。
大きな水槽(?)という決められた範囲のなかを逃げ回るしかない金魚たち。そんな金魚たちに構わず次々に水中に差し入れられる捕獲道具。
それらが「逃げても無駄だぞ」と言っているようで怖くなった。
「なかなか難しいなぁ」
「私はいいわ」
「え。でも」
「あーあ。お兄ちゃん、泣かせたー」
「お兄ちゃんが下手くそだからだよ」
「ごめんなさい、ジョー」
「どうしたの。どこか痛い?」
「ううん」
このままではせっかくのお祭り気分に水を差してしまう。
だからフランソワーズは笑顔を作った。
せっかくのお祭りなのに。
逃れられない運命の自分たちを金魚に重ねてしまったなんて言えるわけがない。
だから申し訳程度に水につけ、あっさり破いてしまった。
金魚もつかまえられないのだから、私たちもきっと運命には捕まらない。
「うん。……綺麗だなあと思ってさ」
「金魚が?」
「フランソワーズが」
でも、言えなかった。
「……ええ」
そのまま、自然のままでいられるのなら。
「……ずっと?」
「うん。ずっと」
永遠の約束なんてできないけれど。
見回すと、周囲には手に器を持って金魚すくいをする気まんまんの子供達が待ちかねている。
「いやあ、奇遇だなぁ。きみたちも祭りに来てたんだね」
ただ違うのは、自分はフランソワーズと手を繋いでいるのに対し、彼らは――
「え、いや、僕は……」
「たこ焼きもあるけど」
「え。いや、僕は……」
「焼きソバのほうがいいかな」
「これ食べる?」
そんな彼の懊悩をよそに差し出されたのは綿菓子だった。
「そうよ。コットンキャンディ。甘くて美味しいの」
「あれ、フランソワーズ。それってさっき僕たちが食べたやつ……」
「そんなわけないでしょう。いま買ったばかりよ」
「え。いつの間に」
「あなたがあちらのジョーにあれこれおススメしている間に」
「へえ。さすがフランソワーズ」
「うん。でもいいの?」
「だってジョーったら、自分も食べたいって顔してる」
「え。そうかな」
「これ、好きなの?」
「うん……小さい頃から祭りに行くと必ず買ってたんだ」
「うふ。ジョーったら、子供みたいな顔になってる」
「へぇ」
「うん」
平ゼロ組の目の前で、原作組は軽く唇を合わせたのだった。
「ねえ、ジョー。変じゃない?」 二度繰り返すその返答に、フランソワーズは頬を膨らませた。 「もうっ。二回繰り返して言うっていうのは、そう思ってない証拠よ」 足を止める。 「え。思ってるよ。ちゃんと」 一緒に止まったジョーは、困ったなあと頭を掻いた。 ……それにしても。 いったいフランソワーズはどこで覚えたのだろう。浴衣を自分で着られるとは知らなかった。 しかし。 おそらく、自分の知らないフランソワーズにこれから先何度も出会うことになるのだろう。 そう思うと胸の奥がちくりと痛んだ。 最初から覚悟もしていたし、諦めてもいた。全て了承済みのはずだった――のに、こうして平和になってふつうの生活を送っていると忘れていたはずの痛みが甦ってしまう。 ――いや。だめだ。忘れるんだ。 ジョーは軽く頭を振ると、フランソワーズをそっと抱き寄せた。 「すごく可愛いし、……似合ってるよ」 フランソワーズがくすぐったそうに耳を押さえる。 「もうっ。そうやってすぐ内緒話みたいにするの、やめてくれる」 ジョーの右手の甲をつねる。 「こうしてすぐお尻を触るの、やめてちょうだい」 ここは夏祭り会場である。 「……恥ずかしいわ。みんな見てるし」 もうっ、並んで歩くとすぐこうなんだから油断も隙もないわとフランソワーズはスタスタ歩き始めた。 *** 「……フランソワーズ、待ってよ」 んもう、と立ち止まり振り返ったフランソワーズ。その視線の先にはおよそ5メートルほど後方にいる浴衣姿のジョー。 「治安のいい日本に限ってそんなことあるわけないわ。何も知らないと思って嘘ついたってだめよ」 ジョーより今の日本の情勢は詳しいんだからと付け加える。しかし、ジョーも負けてはいなかった。 「甘いなぁ、フランソワーズ。日本の文化・夏祭りをなめちゃいけない。地元の若者の小競り合いは風物詩だし、特によそからきた綺麗な女の子には声をかけるのが礼儀なんだ」 フランソワーズがそういう「礼儀」に遭わずにすんでいるのは今のいままでジョーが隣にいたからであることを彼女は知らない。だから、いまこうして二人が距離を置いてしまっているのは、実は危険といえば危険なことであった。 「こんなに離れて歩いたら、『きみ一人?僕達と一緒に遊ばない?』なーんて言われ」 ほらきた!だから言ってるのに ジョーは慌てた。フランソワーズに声をかけたのはホストと思しき見目麗しい男子だったけれど、その彼の背後に控えるグループはどう見てもよからぬことを考えているようだったのだ。 「ちょ、ふら――」 呼んで駆け出そうとしたら足がもつれた。さきほどフランソワーズに思い切り踏まれたのが案外深手だったようだ。 「――くそっ」 フランソワーズはきょとんとホストまがいの男子を見つめている。その彼女の肩に悪の手が迫り、ジョーは思わず加速装置を作動させようとした。こんな人混みのなかで加速などしたくなかったが仕方がない。とりあえず、いま着ている浴衣はギルモア財団の特注品なので燃えることはないから、うっかり全裸になってしまう心配もない。何より、ガードの甘いフランソワーズを守ることが先決だった。 「――フランソワーズっ!!」 ダッシュしかけたときだった。 「うがっ!!」 見目麗しいホスト男子の顔が歪んだ。瞬時に真っ蒼になり、脂汗が滲む。 「え。あの、……?」 急に具合の悪くなった彼にフランソワーズも戸惑っている。そこへ、爽やかな声がかかった。 「こんな汚い手で彼女に触っちゃいけないな」 なぜか聞き覚えのある声だった。
「変じゃないよ」
「似合ってる?」
「似合う似合う」
「可愛い?」
「可愛い可愛い」
どの言葉も改まって言うにはハードルが高い。しかも、浴衣姿のフランソワーズがいつもより相当可愛くて綺麗であるとわかっているとなれば尚更である。それに中々直視できないのもばれてしまうだろう。
ここにいるのは自分が知らないフランソワーズであった。
なにしろ自分には空白の年月がある。
そしてその耳元で囁いた。
「え。どうしてさ」
「くすぐったいの」
「ふうん?」
「それにね、ジョー」
「何故?」
「だって……」
ふたりがいるのはそのメインとなる通りであり、両脇には露店が並んでいる。そしてけっこうな人出でもあった。
「見てないよ。それにこれは単なるエスコート」
「違うでしょ。エスコートなら撫で回したりしないもの!」
その後を名残惜しそうに続くジョー。
この尻は僕のものなんだから別にいいじゃないかと恨みがましく呟いたところで、聞き咎めたフランソワーズに思い切り足を踏まれた。下駄履きのその破壊力は筆舌に尽くし難かった。
「知りません」
「一人でそんなに遠くに行くと変な輩に絡まれるよ」
「何よそれ」
「日本の祭りの伝統」
「――そんなわけ、ないでしょう!」
先刻からフランソワーズはずっとスタスタ歩いており、ジョーは足が痛むのかわざとなのかフランソワーズの後ろ姿を堪能しているのか――おそらく後者であろう――彼女のずうっと後ろをゆっくり歩いていたのであった。
せっかくの夏祭り、並んで歩きたかったフランソワーズはますますご機嫌斜めとなり、今や競歩のような様相を呈し始めていたところである。
両手を腰にあて、柳眉を逆立てジョーを睨んだ。
「……そんな礼儀、きいたことないわよ?」
「だから甘いって言ってるんだよ」
「綺麗なオネーサン、ひとり?だったら僕達と一緒に――」
今にもフランソワーズの肩に悪の手がかかろうとした刹那。その悪の手がいきなり捻り挙げられた。
――可愛いなぁ、フランソワーズ。 「ねぇ、ジョー」 そう言って、ジョーは足を止めた。 「きみはまず最初に綿菓子が食べたいって言ってたから、だから――」 フランソワーズがじっと自分を見ていたので驚いた。 「……どうかした?」 なんだか顔が赤いけどとフランソワーズの額に手を伸ばした。 「だ、だいじょうぶよ。それにジョーのほうが」 なんだか顔が赤いわ、と返した。 「え。そうかな」 まさかフランソワーズが綺麗で可愛くて凄く自慢なんだよとは言えない。 「そ。そうよ」 まさかジョーを見てどきどきしているなんて言えない。 「……え、と」 ちょっと黙った。 「――綿菓子だったよね」 あっちにあるよ、行こう――と手を引いて、再び歩き出す。 *** そんな二人の目の前に飛び込んできたのは、ひとめを憚らず、彼女の尻を撫で回す彼氏の図だった。 ――公衆の面前でなにやってるっ。 ジョーは憮然とした。こちらは可愛いフランソワーズにキスしたい衝動と闘っているというのに、あちらは公衆の面前で平気で尻を撫で回すとは。いくらあれこれブランクがあって混乱(?)しているとはいえ許せないものがある。 ……あらあら。 一方のフランソワーズは思わずにっこりしていた。もちろん、ジョーと同じく公衆の面前でああいう行為はいかがなものかとは思う。がしかし、そこにいるカップルの今までの境遇を思えば、そのくらい許してあげてもいいかなとも思うのだ。 ……彼、嬉しそう。 その幸せそうな顔がフランソワーズは嬉しかった。だから、そんなカップルが一瞬後にいきなり喧嘩を始めてびっくりした。 ……あらまあ。どうなっちゃうのかしら。 物凄く痛そうだが、そうでもないかもしれない。ただ気になるのは、そのまま彼氏を振り返らず一人でずんずん歩いて行ってしまいそうなところであった。 ……こんな場所で外人の女子がひとりでいるのは、あまり感心しないわ。大丈夫かしら。 ふと隣のジョーを見ると、ジョーの瞳も彼女を既に捉えているようだった。真剣な横顔である。既に彼の脳裏には、こういう場所で起こるさまざまなことが浮かんでいるのであろう。そしてその対処法も。 「うん?」 なんだい?とジョーがこちらを向いた。 「……」 真剣な視線に思わず気圧されてしまい、フランソワーズは言葉を失った。 「あの、……助けてあげなくちゃ、」 やっとのことでそう言った。 「……そうだね」 そして、ふたりは手を繋いだまま走った。目の前のカップルに先行するためだった。既にジョーはその先にいる地元の不良グループを捕えており、同時にフランソワーズも彼らのよからぬ相談を耳にしていたのだった。 *** 「こんな汚い手で彼女に触っちゃいけないな」 そう警告すると共に、ジョーはホスト系男子の腕を捻り挙げていた。もちろんじゅうぶんに力の加減をしている。が、ホスト系男子がこの先一ヶ月くらいは悪夢にうなされる程度の苦痛は与えている。それらを爽やかな声と笑顔でできてしまうのが新ゼロジョーのおそろしいところであった。 「貴様っ、邪魔するつもりか」 ホスト系男子が悶絶していると、その隣から容姿が残念な別の男子が現れた。無謀にもジョーに凄もうとする。 「――なんだって?」 眼光鋭く見返したジョーの冷たい瞳に何も言えなくなってしまった。 「彼女は俺のツレなんだが……何か用か」 ホスト系男子と容姿の残念な男子が怯むと彼らのグループの他の男子も少しずつ後退した。アイツ誰だ、見ない顔だぞ、いや俺は知っている逆らわないほうがいい等々、ひそひそ声が聞こえてくる。 「――失せろ」 失礼しましたっ――と、妙に逃げ足の速いグループにフンと鼻を鳴らすとジョーは改めてカップルに目を向けた。 「……お前、何やってるんだ」 呆れたように言ったのは、足を痛めた彼氏――REジョーに向けてである。 「いくら足を痛めたといってもちょっと走れば追いつくだろうが。それにこういう場所は危険なのも知ってるだろ」 諭すように新ゼロジョーが言った途端。手を繋いだままの新ゼロフランソワーズから抗議の声があがった。 「ずるいわ。私には一言もそんなこと言ってくれないのに、他のひとには平気で言うなんて」 さっきまで不良グループに凄んでみせたジョーとはまるで別人のようにおろおろする。いったいなにが起こって急にフランソワーズがご機嫌斜めになったのかさっぱりわからない。 「……ちゃんと言ってなかったのか?」 困った顔の新ゼロジョーにREジョーはやれやれと息をつくと、声をひそめた。 「綺麗だとか可愛いとか」 出掛けにちゃんと言ったように思う。――が、確信はなかった。あるいは、心の中で言ったのだったか。 「あーあ、拗ねてるぞ」 そうして自分のフランソワーズの腰を抱き寄せた。
8月31日 夏祭りE :新ゼロ
ジョーは上機嫌だった。
なにしろ、いま手を繋いで夏祭り会場を歩いている彼女が、すれ違うどんな浴衣姿の女の子よりも可愛いのである。
浴衣は黄色い地に小さな蝶が散っていて、帯は赤い。それがフランソワーズの白い肌に良く映えている。アップにした金色の髪ともとても似合っていて、フランス人なのに周囲の日本人の女の子よりも輝いて見えた。
――フランス人なのに日本人より似合うなんて、さすがフランソワーズだ。
ジョーの頬が緩む。
――いや、待てよ。それは日本にいるのが長いからかな。それとも……彼氏が日本人の僕だから、知らないうちに日本ナイズされちゃったのかもしれないな。
などなど考え、ジョーはすこぶる上機嫌であった。
対するフランソワーズはジョーに手を引かれ、周囲の露店に目を輝かせていた。夏祭りは初めてではないが、こうしてジョーも浴衣を着て一緒に来るのは初めてである。これぞ日本の夏という感じがしていて、朝からずっとテンションが高いのだった。
……だって、ジョーったら浴衣が凄く似合うんだもの。
すれ違うどの日本男子よりも浴衣を着こなしていて颯爽としている。とても最初は着るのを嫌がったとは思えない。
やっぱり日本人なのよね。ジョーは。
そうしてほれぼれと見つめるその横顔は、頬がきりっと引き締まり瞳はまっすぐ前を向いている。
浴衣と凛々しい横顔にフランソワーズの胸は最前から動悸が収まらない。
今さら惚れ直すなんてと思うものの、思い人の普段と異なる姿にはときめくものがある。すれ違う女の子がみんなジョーに見惚れている気がして、ちょっと不安になった。
「うん?」
「……屋台は見ないの?」
「えっ。見るよ。でもフランソワーズ、きみは」
が、フランソワーズはびっくりした顔をすると慌ててジョーの手から逃れた。
フランソワーズの瞳が潤んでいる。
今ここでフランソワーズにキスしたい衝動と闘うジョーであった。
――目の遣り場に困る。
同時にそう思い、目を逸らそうとしたのだがうまくいかなかった。
知っているカップルだったのだ。
思わず繋いだ手に力がこもった。
それに、
彼女が下駄で思い切り彼氏の足を踏み、そのまま歩いて行ってしまう。
そういうジョーは彼氏としてとても頼もしい反面、ミッションでもないのに他の女の子を心配している姿にちょっと疎外感を感じフランソワーズは膨れた。
握り締めた手にほんの少し力をこめた。
憂いを帯びた褐色の瞳。
それがまっすぐにこちらに向き直った。
ふっとジョーの表情が和らいだ。
が、目の前のカップルの足を痛めた男子は未だに立ち止まったまま彼女と口げんかしているのである。あまりにも呑気すぎていた。
しかも、片手はフランソワーズと手を繋いだままである。
が、しかし。
「あっ、そ・そうでしたか」
そこへジョーが最後通牒をつきつけた。
「……別に助けてくれとは言ってない」
「素直じゃないなぁ。せっかくフランソワーズがこうして綺麗にしているんだから、ちょっとは危機感を持てよ」
「えっ」
「酷いわ、ジョーのばか」
「え、いや……、え、と、……何、が?」
と、その肩をつついたのはREジョーである。
「なにが?」
「え。――それは……」
「……うるさいな。そういうお前は言ったのかよ」
「もちろん。僕は普通に言うよ。だってフランソワーズは綺麗で可愛いし」
「限定マンゴー味ってそんなに有名になるほど美味いかな」 ナインが歯にくっつく塩キャラメルと格闘しながら言う。 「売り切れ続出って冗談だろ」 スリーが食い下がる。 「この塩加減と絶妙な甘さがいいのよ。もっとも、男子にはちょっとわからないかもしれないわね。お上品な甘さだから」 お上品な甘さっていったいなんなんだよとナインが言ったところで、目の前にビールの入ったカップが差し出された。 「僕たちはこっちのほうだろう?」 どこかの組の若頭と思しき009であった。 「こんな妙な食いモンに夢中になる女子の気持なんてわかるもんか。――だろ?」 ナインはにやりとすると超銀ジョーからビールを受け取った。 「あら、ジョーったらいつの間に」 凛とした声が背後からかかり、心なしか超銀ジョーの背筋が伸びた。 「その手にしているのはどこで調達したのかしら」 言ってるだろうと思ったものの、それは声に出されなかった。 「どうせだったら、みんなのぶんも用意したらと思っただけよ?」 ナインも一緒に辺りを見回す。が、特に変化は見られない。 どうやら彼女たちには何かが見えているようだった。 *** 「はい、ジョー。あーん」 平ゼロフランソワーズの手にはカキ氷。自分も食べつつ、隣を歩く平ゼロジョーへ分け与えることも忘れない。 「綿菓子食べるだろ?」 ジョーが差し出すのをちょっと齧ってにっこり笑う。 「……いいわねぇ。若いって」 そんな二人の姿を眺め、その後方を行く原作フランソワーズはそっとため息をついた。 「僕たちだって若いじゃないか」 隣を歩くのは原作ジョー。手にしていた食べ物はおおかた腹におさまっていた。 「……そうだけど」 なんていうかこう、初々しさが足りないわ――特に、ジョーに。 ――そうでもないかもしれない。このひとは、いつまで経っても……よくわからない。 「ねぇ、ジョー」 ふわあと欠伸をして、ジョーは目をこすった。たくさん食べて眠くなったのだろうか。まるで子供ねとフランソワーズが思った時、繋いだ手を引き寄せられよろめいた。 「きゃ。何?」 もうちょっとくっついて歩いたほうがいいかななんて思って――と聞こえたのは幻聴だろうか。 「それに、今日のフランソワーズは女の子みたいだし」 つんと顔をそむけたが、ジョーは笑ったままそっと肩を抱き寄せてきた。 「――どこかにビール売ってないかなぁ。フランソワーズ、ちょっと捜してみて」 そのためのこの距離? まさかそうではないと思いつつも、やはりさっきの囁きは幻聴だったのかもしれないと思うのだった。 *** 「もう、ジョーのばか」 足をもつれさせつつreフランソワーズの元に辿り着いたreジョーの旗色はすこぶる悪かった。 「私、そんなに強く踏んでないのに」 それがそうでもなかったんだよ痛いんだよ――とは言い出せない空気だった。 「……でもさ。フランソワーズが勝手にひとりで歩くから悪いんだよ」 浴衣姿が色っぽいし綺麗だし、欲情するなというほうが無理だ――と思ったものの、これを言ったら嫌われる(かもしれない)という分別はあったから、ジョーは黙り込んだ。 「私?私のどこが悪いっていうの」 ああもう。 「……それ以上言ったら、」 襲うぞ。 「なによ。なにじっと見て……」 怒っているreフランソワーズの頬にさっとキスをして、reジョーはそのまま歩き出した。 「もうっ、ジョーったら」 綺麗にしているフランソワーズ。彼女は自分のものだと意思表示しながら歩くのはさきほどの件があったからではない。 今はそれだけを楽しみに歩くジョーだった。 *** 新ゼロジョーの手には缶ビールがふたつ。 「ジョーったら、いつの間に買ったの?」 私は飲まないわよと言外に滲ませる。が、ジョーの思惑は別のところにあるようだった。 「うん。あっちでなんだかもめてるようだから、差し入れ」 ジョーの視線の先を辿ると、そこには旧ゼロ組と超銀組が酒盛りしているのが見えた。 「――あら」 無駄遣いしたと叱られている超銀ジョー。 「みんなこのお祭りに来ていたのね」 だったら足りないわとフランソワーズもジョーを手伝って、そばの屋台からビールを買う。こちらは良心的な店らしく、氷水に浸かった缶ビールが売られているのだった。(しかし値段は良心的ではなかった) 見回すと、仲良くカキ氷を食べている平ゼロ組と、なんだか物凄く親密そうな原作組もこちらに向かって来ていた。 夏祭りの夜はまだまだ続くようだった。
「そんなことないわ、美味しいわよ?」
「フン。悪かったな」
「――違いない」
夏祭りとビールに免じて一時休戦といった趣であった。
現れたのは、極道の妻のようなたたずまいの超銀フランソワーズであった。
「え。……あっちのほう」
「……ビールとおつまみがついて400円……」
「ええと」
「そんな三口も飲んだらおしまいのちょっとの量で?」
「いやあ、祭りだし」
「しかも、おつまみも申し訳程度」
「いやだからこれは男同士の」
「……ジョー?」
「だからこれは無駄遣いってわけじゃなくて」
「そこの自販機で買ったほうがビールの量だって多くてしかも値段は安いのに?」
「いいだろ、祭りなんだから雰囲気を楽しんでるんだ」
「あら別にダメとは言ってないわよ私」
「え。みんな……?」
しかし、隣にいたスリーが超銀フランソワーズと目を合わせ、にっこりした。
「ん」
そのジョーの手には綿菓子とイカ焼きがあった。綿菓子はフランソワーズの分で、イカ焼きは自分の分である。
「ええ」
平ゼロ組は夏祭りを満喫していた。
今はフランソワーズのリンゴ飴だけを持っている。
と思ったけれど、きょとんとしたジョーの顔を見て思いなおした。
「うん」
「せっかくのお祭りなのよ。食べる以外に何かしないの?」
「そうだなぁ……」
「射的とか、ヨーヨー釣りとか」
「うーん……」
「うん……せっかくのお祭りだからさ」
「ま。なによそれ」
ジョーとの距離が近い。
「ええっ、なによそれ」
「ごめん」
「え。いや……」
「ま。私のせい?」
「だってそうじゃないか」
「……そもそもそうなった原因は自分にあるってわかってる?ジョー」
「そんなの、……フランソワーズが悪いに決まってる」
「ぜんぶ」
「なによそれ」
もちろん、フランソワーズの手をしっかり握り締めて。
とりあえず――祭りを楽しみにしていたフランソワーズにつきあって、そしてその後は……
「ちょっと喉が渇いたから」
「……二本、飲むの?」
「あっち?」
そして新ゼロのふたりの前には、どこか上の空で早く帰りたそうなreジョーと祭りを楽しんでいるreフランソワーズ。
進む先には、ビールの件で叱られている超銀ジョーとそのフランソワーズ。そして塩キャラメルでひと悶着している旧ゼロ組がいる。
END