−子供部屋−
(ジョー島村もしくはお嬢さんのお部屋)

 

9月28日 写真K

 

 

「――疑うの?」

ジョーをじっと見つめるその瞳に、みるみる涙が溜まってゆく。

「疑ってなんか――。ただ僕は、それが証拠にはならない、って言いたかっただけで――」

フランソワーズの瞳を覆う涙にたじろぐ。
まさかこんな一言で泣いてしまうとは思わなかったのだ。
ただ、自分に自信がなくて言ってしまった一言だったのに。

――僕は何をやってるんだ?何故――フランソワーズを何度も泣かせているのだろう?
今は二人とも片思いなどではないのに。

けれども、過去の自分を思い出してしまうと、それに伴う不安な気持ちや寂しい気持ち、そして彼女を思い恋焦がれて――でもそれを伝えるわけにもいかず、またそんな勇気もなかった日々が思い出されてゆくのだった。
まるで今もそうであるかのように。

ジョーは軽く頭を振ると、フランソワーズの瞼にキスをしてゆっくりと抱き締めた。

「――ゴメン」
「酷いわ。ジョーのばか」
「ゴメン」
「私が――他のひとを見るわけないでしょう?」
「ゴメン」
「私が、どんな気持ちで・・・」

写真のなかの自分の思いを疑われた上に、先刻までのぐちゃぐちゃした想いまで思い出してしまい、フランソワーズの涙は止まらなかった。

「ゴメン。僕が悪かった。――泣かないで。フランソワーズ」

あやすように優しく髪を撫でる。何度も彼女の名を囁いて。
けれども、フランソワーズの涙は止まらない。

「フランソワーズ」
「・・・知らない。酷い。・・・ジョーのばか」
「ゴメン」

自分に自信がないせいで出た言葉とはいえ――確かに自分は酷い人間で、ばかなのだ。と思う。

彼女に思われている自信がない。
彼女に愛されている自信がない。

――なぜ?

こんなに――こんなに、思われているのに?

「・・・ゴメン。でも僕は、ずっと写真のなかのきみが誰を見ているのかなんて知らなかったんだ。でも、それでも――このきみが好きだったよ」

一瞬、フランソワーズの肩がびくりと揺れた。ジョーはその肩を抱く手に力をこめる。

「ずっと前からきみを好きだった。――この写真のなかのきみも。こんな顔でいったい誰を見てるんだろう、って思ってた。だから、その相手が僕だなんて信じられなくて」

フランソワーズの手が、そうっとジョーに回された。
抱き締められる。フランソワーズに。

「――嬉しかったから、意地悪言った。・・・ゴメン」

フランソワーズはジョーを抱き締めながら、

「ううん。私も・・・あなたが昔好きだったひとは誰なんだろう、って思ったから――おあいこよ」

そのままジョーの胸に頬を摺り寄せる。

「――すぐにわからなかったんだから。・・・ばかよね」
「・・・ゴメン」
「私の方こそ・・・ゴメンナサイ」

お互いに顔を見つめ合う。

「・・・写真と同じ顔してる」
「だって、いまあなたに片思いしてるもの」
「片思い?」
「そう・・・片思い」

ジョーは感慨深げに彼女の顔を見つめたあと、微笑んだ。

「――もうそんな顔はしなくていい」

そんな顔は写真の中だけでいい。今は片思いではないのだから。

フランソワーズはにっこり微笑むと、嬉しそうに言った。

「・・・告白しても、いい?」
「告白?」
「・・・あなたに伝えたいことがあるの」

背伸びして。
彼の耳元へ。

 

「大好きよ。ジョー」

 

 

*****

 

「ところで、僕は今夜どこで寝たらいいのかな」
「アラ。自分の部屋で寝るのよね?」
「えーーーー」
「たまにはゆっくり眠りたいの」
「・・・フランソワーズ」

甘えるように、ジョーは彼女の腰に腕を回し、首筋に鼻を寄せた。

「僕はひとりじゃ眠れないって知ってるだろ?」
「知ってるわ」
「それに、大事な大事なきみの写真もないし、落ち着かない」
「フランソワーズにあげる、って言ったのはジョーじゃない」
さっきそういうことになったのだった。
「――あんなの、勢いだよ」
やっぱり返して、とぐずるジョーを持て余す。
「もうっ。ジョー。うっとおしい」
「――ひとりで寝るの、ヤダ」
「いいじゃない。たまには」
「ヤダ」
「遠征の時はひとりでしょ?」
「うん」
「だったらいいじゃない」
「だって今は遠征中じゃないだろ。目の前にフランソワーズがいるのに、離れて寝る理由がみつからない」
「理由ならあるでしょう?さっき言った通りよ」
部屋を片付けろということだった。
「・・・ねぇ。フランソワーズ」
鼻にかかった声で甘えるように頬を摺り寄せる。
「一緒に寝ようよ」
フランソワーズは、そんなジョーを何とか引き剥がそうと頑張ったが、相手は最強のサイボーグ。微動だにしないのだった。
「もうっ・・・しょうがないわねぇ」

離れようとしないジョーにため息をつくと、

「だったら、お部屋を片付けてちょうだい。そうしたら、ジョーの部屋で一緒に寝てあげる」
「ええっ」
いいよ、フランソワーズの部屋で、という声は黙殺された。
「じゃなかったら別々よ?」

そんなわけで、夜中まで――ジョーは部屋の片付けに追われたのだった。

 


 

9月27日 写真J

 

「僕、の・・・」

進退窮まり、いつもの癖でフランソワーズに助け舟を求めてしまう。
がしかし、いつもの味方は今日はそうではないのだった。
きょとんとした瞳で見つめ返される。

「ジョー?」

う。
墓穴を掘った・・・と悔やむけれども後の祭り。
フランソワーズの蒼い瞳に捉えられ、本当に進退窮まってしまった。
そんなジョーの辛そうな様子を見て、フランソワーズは息をつくと優しく言った。

「・・・駄目じゃない。ちゃんと言わなくちゃ誤解されるわ。――その写真じゃないよ、って。探しているのは他のひとの写真だ、って」
「ち、違うよ、そうじゃないんだ」

フランソワーズの「他のひとの写真」という言葉が胸に刺さる。

「他のひとの写真なんて持ってない」
「あら、だって・・・」
昔好きだったひとの写真、って言ったくせに。と首を傾げる。
「じゃあ・・・一体、誰なの?昔好きだったひと、って」
「それは・・・」

言いよどむジョーをヤレヤレと見つめ、ピュンマが口を開いた。

「フランソワーズ。たぶん・・・その写真の主は君だと思うよ。その、なんだ、昔好きだったひと、っていうのは」
「え・・・だって、そんなのおかしいわ」
「おかしくないんだよ。おそらくジョーの中では筋が通っているんだ。――そうだよな?ジョー」

しかし、答えは無い。

「どうせ、昔好きだったひと、っていうのはフランソワーズで、じゃあ今はどうなのかっていうと、今は好きではなく愛してるから・・・とでも言うんだろうよ」
と肩をすくめる。

「――そうなの?」

フランソワーズがジョーの腕に手をかけた。

「本当に、ジョーが探していたのって・・・私の写真なの?」

ジョーはフランソワーズを見て、次にピュンマを見た。そして最後に大きく息をついた。

「――そうだよ」

ぷいっと横を向いてしまう。

「だって・・・、じゃあどうして最初にそう言わなかったの?」

けれどもジョーは、もう何も言わないぞと横を向いたままだった。
ピュンマはジョーの方を見て、何も言わなさそうだと知るとため息をついた。

「・・・どうせ照れくさかっただけだろう?カノジョの昔の写真を後生大事に持ってるなんてさ」
「だって、・・・ジョーは、昔好きだったひとの写真だから、って・・・・。大事なものだ、って・・・」

ぐす。
鼻をすする音に、ぎょっとしたようにフランソワーズを見るジョー。

「え、あ、フランソワーズ?」

フランソワーズは指でそっと目尻を拭うとジョーを見つめた。

「――だって。・・・ジョーの思い出とか、昔のことにヤキモチなんてやいちゃいけない、って、そう思って、だから私・・・」
話のわかる恋人になろう、って頑張ったのに。

「ち、違うよフランソワーズ」

ジョーは思わず彼女の両肩に手をかけて引き寄せていた。

「だから、僕は――」

胸にフランソワーズを抱き締めて。

「――ピュンマの言う通りだよ。その、・・・きみの昔の写真を大事に持っているなんて、知られたくなかったんだ。だから」

いったん言葉を切る。
そうして、フランソワーズの髪にキスをして。

「その・・・僕の方がずっとずっと前からきみの事が好きで、でもそんなの――フランソワーズが知ったら、不快に思うかもしれない、って思って」

だからずっと言わなかった。――言いたくなかった。
自分の方が、彼女が思う何倍も・・・彼女への想いが強くて深いということを。
何故ならば、もし――彼女が結局は、自分に対して抱いている想いがただの同情であり、それを錯誤しているだけなのだとしたら。自分の持っている彼女への深い深い想いはただの重荷に過ぎないのだから。
自分の愛し方はもしかしたら、相手を壊してしまうかもしれない。
愛情の示し方も、示され方も、知らずに育った。もちろん、それはフランソワーズに出会う事によって少しずつ教えられ、わかるようになってきたのだけれども、それでもジョーは自分自身に自信を持てずにいた。
自分が――彼女が自分を想ってくれるようになった時よりも、ずっとずっと前から彼女を見つめていたなんてことを知られたら・・・どう思われるだろうか?

「・・・ジョーのばか」
「――えっ!?」

さっきまで泣いていたはずなのに。
いきなり胸の中で言われ、驚いて腕の中をまじまじと見つめた。

「そんな事、思う訳ないでしょ!それに――何よ、自分の方がずうっと前から私を好きだった、みたいに言って。冗談じゃないわ。私の方がずっとずっとずーーーっと前から好きだったんだから!」
「ええっ。それは違うよ」
「違わない」
「違う」
「違わない。私の方がずうっと前からあなたの事が好きだったのよ?」
「そんな事ないよ。僕の方がその前からずうっと好きだったさ」
「そんな事あるの。だってあなたは私があなたを好きだっていうの、全然気付いてなくて、私がどんなに辛くて寂しくて悲しかったかなんて知らないでしょう?」
「嘘だ。そんなわけない」
「嘘じゃないわ。本当のことだもの」
「だって――僕のほうが、ずっと前からきみを・・・」
「あなたが知らないだけよ。私はずっと前から」
「・・・嘘だ」
「本当よ。だって」

ポケットから写真を取り出して、ジョーの目の前に掲げた。

「――これが証拠よ」

フランソワーズがポケットから取り出したのは、さっき失くしたばかりの2枚の写真だった。

「あっ!!これ、一体何処に――」

手を伸ばすジョーを避けながら、フランソワーズはそれを指さして言う。

「見て。この私、カメラ目線じゃないでしょう?」
「だからそれは、グレートの盗撮――」
「私がこの時、誰を見ていたのかわかる?」
「――え。誰、って・・・」

じっとジョーを見つめる蒼い瞳。

「・・・わからないでしょう?」

ジョーの答えを待って。でも、何も言わない彼に、寂しそうに微笑んで。

「ジョーには、絶対にわからないわ」

――僕には絶対にわからない?何故そんなことを・・・

瞬間、ジョーの心は急速に冷えていった。
長い間、ただただ可愛いなあと愛でていた写真の中のフランソワーズ。
けれどもそれは、自分の見知らぬ誰かに向けられた思いを抱えていたフランソワーズだったのか。

それなのに、僕は・・・

こんな表情のフランソワーズなど知らなかった。こんな表情もするんだと新鮮だった。だから――けれどもそれは全て、誰かのものだった。自分は写真を所有しているというだけで、写真のなかの彼女がどんな想いを抱えているのかなど全く知らなかったのだ。

喉が詰まった。
奈落の底の暗闇へ落ちていくようだった。

――他の奴に向けられたものを、僕はずっと・・・

自分が情けなくなった。
フランソワーズの大事な想いが写っているものを、自分がずっと保有していたことも申し訳なかった。

可愛い可愛いフランソワーズ。いったい何を誰を見てこんな表情をしているのか、ずっと知りたかった。でも、こんな答えなら要らなかった。
自分をこんな顔で見つめることなどないフランソワーズ。この視線を向けられているのは――いったい、どんな奴なんだ?フランソワーズにこんな風に見つめられて、何にも気付かない鈍い奴など、彼女の愛情を受ける資格などないではないか。

僕だったら――絶対に、気付く。

軽い嫉妬と羨望と。そして・・・ともかく、彼女の写真を勝手に所有していたことは事実だったので、ジョーは素直に詫びた。

「――ゴメン」
「あなたなのに」

お互いの声がぶつかった。

「・・・えっ?」

今度はジョーだけだった。

「ゴメン、よく聞こえなかったみたいだ。もう一回言ってくれる?」
「え、と・・・だから、」

改めて聞き直されると何だか気恥ずかしかった。

「私が見てたのは、」

思わず声が小さくなってしまう。段々視線も下がっていく。

「・・・ジョー、だもの。」

その瞬間、がしっと両肩を掴まれた。

「きゃっ」
「本当っ!?」
「えっ」
「本当に!?」
「ジョー。痛い」
「ね、フランソワーズ!僕を見てたってホント?」
「え、・・・ええ」
「――!!」

声にならなかった。ただフランソワーズを抱き締めるだけで。
奈落の底に落ちていった心は、今や天上に引き上げられてゆくのだった。

フランソワーズがこんな表情で僕を見てた、って?

にわかには信じられない。が、彼女が嘘をつく理由も思いつかなかった。

彼女の視線に気付かない大馬鹿者は――僕だったのか?

「ジョー?」
「――うん?」
「ね。私の勝ちでしょう?」
「何が」
「私の方がずうっとずうっと前から、あなたのことを好きだったのよ?」
わかったでしょう――と言うと、すうっとジョーの腕が緩んだ。

「それは違うよ」

笑みを引っ込め、真面目な顔で言う。

「僕の方が先さ」
「私の方が先よ?」
「いいや、僕だ」
「だって見たでしょう?私はあなたのことを見てたのよ?」
「そんなの証拠にならないよ。――大体、この写真だって・・・」

――そうだ。
フランソワーズは大体、いつ撮られたのか知らないんだから・・・憶えてなんかいるわけがない。
もしかしたら、この視線の先にいるのが僕だというのは、彼女の勘違いなのかもしれない。

一度、天上に上った心が再び下降してゆく。

そうだ。――憶えていないんだから、もしかしたら・・・気を遣ったフランソワーズの嘘なのかもしれない。

何故彼女が自分に気を遣わねばならないのか。それは、他のひとへの視線だと言ったら、自分は酷く落ち込んで、気にするだろうから。全く関係のない自分がこの写真を保有していたこと。――飽かずに見つめていたこと。だから・・・

優しいフランソワーズは、もしかしたらそういう偽善もするのかもしれない。

「本当に僕を見ていたのかどうかなんてわからないじゃないか」

フランソワーズは目をみはった。

――何を言ってるの?

 


 

9月26日  写真I

 

「――ああ、やっと気付いたの」

遅かったね、とピュンマは白い歯を見せた。

「写真?面白いから、リビングに貼っておいたよ――おい待て、って。もうそこには無いよ」

ジョーは口をぱくぱくさせるだけで言葉にならない。

「いつの間にか誰かが剥がして持って行ったみたいでさ。――えっ?イヤ、一枚だけだよ。たまたま落ちてたからね。・・・嫌だなぁ、他人の財布を覗く趣味なんかないよ」
「じゃあ、一体どこに・・・」
「うーん」

腕組みをするピュンマ。
そこへフランソワーズがやって来た。

「あ。彼女に訊いてみたら。――おーい、フランソワーズ!」

ジョーが止める間もあらばこそ。ピュンマに呼ばれてフランソワーズがこちらに来てしまった。
おろおろするジョーを尻目に、ピュンマはさらりと言ってのけた。

「この前、そこに貼ってあった君の写真、どうなったか知ってる?いつの間にかなくなってたけど」
「私が持ってるわ」

ひっ!!

心の中で髪が白くなるほどの衝撃をうけたジョー。
倒れずにいるのがやっとだった。

「それがどうかしたの?」
「それ、ジョーのだからさ。返してやってくれないかな」
「ジョーの?」
「ずっと探していたらしいんだ」

やーめーてーくーれー!!

ジョーの心の叫びはピュンマには届かない。

「えっ、だってあれは私の・・・」
「はは。実はジョーの財布に入ってたんだよね。ホラ、この前の訓練の時にさ、財布の中から落っこちて」
「ジョーの、お財布?」
どうしてそんなところに私の写真が?と首を傾げるフランソワーズ。
「大事なものらしいから、返してやってくれないかな」
「大事なもの・・・」

くるり。
フランソワーズがジョーを見つめる。

「そうなの?」

まっすぐ蒼い瞳に見つめられるものの、言葉にならないジョーだった。

「だって、あなたが探している大事なもの、って・・・」

黙ったままのジョーから目を逸らし、再びピュンマを見つめた。

「ううん。そんなはずないわ。だってジョーはさっき、「昔好きだったひとの写真」を探してるんだ、って言ったもの」

ああああああっ!!!
頼むっ。やめてくれ、フランソワーズ!!

縋るような目で彼女を見つめるものの、フランソワーズはピュンマの方を向いているためジョーの姿は目に入らない。
その場に頭を抱えて座り込みたい衝動を抑え、成す術もなくジョーはそこにいた。

「昔好きだったひとの写真・・・?」
「そうよ。だからジョーは一生懸命探しているのよ」
「ふーん・・・」

ピュンマが横目でチラリとジョーを見つめる。

「それってつまり、フランソワーズが昔好きだったひと、っていう意味じゃないのかな」

ジョーの顔色の変化を楽しむようにピュンマが言う。

「まさか。そんなはずないわ」
「どうして」
「だって、それがもし私なら・・・過去形では言わないと思うの」
「過去形?」
「ええ。昔好き「だった」ひと、でしょう?でも、もし私だったとすれば、昔「から」好きなひと、って言うはずだわ」
「・・・そうかな」
「そうよ。だからその写真は違うの。ジョーの探しているのじゃないわ」

きっぱりと言い切るフランソワーズを見つめ、ピュンマが改めてジョーに問う。

「彼女はそう言ってるけど――そうなのか?」

違う。とも、そうだよ。とも言えなかった。
何故なら、混乱して・・・何が何だかわからないのだ。

「ま、違うなら、ジョーに返さなくてもいいか」

ピュンマがそう言った瞬間。

「だ、駄目だっ。それは僕の――」

思わず声に出して言ってしまった。

「・・・ほお」

にやり。
普段はそういう笑い方をしないのに、今日は何故か少し意地悪になっているピュンマだった。

「僕の――何だって?」

 

 



9月25日 写真H

 

フランソワーズはさっきジョーの部屋から持ってきた2枚の写真をスカートのポケットに入れた。
何故かリビングに掲示してあったバレリーナ姿のはそのまま置いておいた。何しろ、何故自分の写真がリビングに飾られていたのかわからないし、持ち主が誰なのかもわからないままだったのだ。

ともかく、彼の「昔好きだったひと」が誰なのかはわからないけれど――自分は何にも気にする必要はないんだわと言い聞かせ、さっと髪をなでつけると鏡に向かって笑顔を作る。

――大丈夫。

そして、部屋を出た。
ジョーに2枚の写真を返すために。

 

***

***

 

フランソワーズが部屋を出て行ってから、ジョーは再び捜索を開始した。が、既にいずれも一度ならず数回探したところばかりだった。

後になって冷静な目で改めて探せば、意外と簡単に見つかるものさ。

そう思っていたが、何度探してもやっぱり見つからなかった。
失くした3枚の写真。中でもバレリーナのフランソワーズは一番のお気に入りだった。
普段、彼女のその姿を見に行くことのない彼にとって、貴重な一枚なのだ。
もちろん、他の2枚だって気に入っている。例え、いつどこでどんなシチュエーションで撮られたものなのかさっぱりわからなくても。共通しているのは、どれもジョーが見た事のない表情をしているということだった。

――どこを見てるんだろうなァ。

残った2枚をしみじみと見つめる。
どの写真も、どこか他の方を見ている。
彼女のちからを考えると、近くのものを見ているのか、遠くのものを見ているのか、傍からは全くわからない。

・・・可愛いなあ。

いつもいつも思う。
何度同じ写真を見ても、毎回改めて思うのだった。
だから余計、失くした事が悔やまれる。

何で失くしたんだろう?

細心の注意を払っていたのに。
支払いの時に落としてしまったのだろうか?――イヤ、だったら絶対に気付くはずだ・・・

 

**

 

最悪だった。

写真は見つからない上に、フランソワーズの機嫌まで悪くなっているなんて。

夕食時は、何度もフランソワーズに声を掛けた。が、ひとことも話してくれなかった。
それだけなら、まだいい。
いつもと違うのは――フランソワーズの表情が曇ったままということだ。
他の者とはにこやかに談笑していたけれど、それでも――いつものような笑顔ではなかった。
誰も気がついていないようだったけれど。

――いったい急にどうしたというのだろう?

そういえば、突然「ひとりで寝ろ」なんて言い出すし。部屋に来るなとまで言うし。昨日まで、そんなことは一言も言ってなかったのに。
昨夜だって、仲良く眠りについたのに。

どうしたっていうんだろう?

 

ジョーは、フランソワーズの様子が変なのが気になっていた。
まさかその原因が、自分の言った一言だとは夢にも思っていない。
思っていないどころか、そんな事を言ったこともすっかり忘れているのだった。

――こっちで寝ろ、って本気かなぁ。

うんざりと自分の部屋の中を見回す。
有り体に言えば、ぐちゃぐちゃだった。

いくら自分でやったとはいえ――片付けるの、面倒だよなぁ・・・

傍らの瓦礫をよけて、床に腰を降ろす。

それにしても、これだけ探し続けて見つからないということは・・・もうここにはないって事だよな。

何かの拍子に一緒にゴミに出されてしまったのかもしれない。
ゴミの中のフランソワーズの写真を思い浮かべる。

――くそっ。そんなのって――

耐えられなかった。
ので、その映像を頭を振って追い出す。

・・・もしかしたら、これは・・・昔の写真じゃなく今のものに更新しろということなんだろうか。

今のもの。

そこで、デジカメを片手に写真を撮らせてと言っている自分を思い浮かべてみた。
想像の中のフランソワーズは、それはそれは喜んで――で、一緒に撮ろうと腕を引っ張った。

――駄目だ。絶対、そう言う。

そしてそういう行動をとるであろうことも。

ジョーは自分が写真に撮られるのは苦手だった。
仕事では、それでは商売にならないから我慢しているけれども、さすがに写真集の話が来た時は、全精力を傾けて断った。
サーキットでも、レースの後にファンと交流するときも、彼のファンは彼の写真嫌いを知悉しているから、写真を撮るようなことはしない。むしろ、その不文律を知らない者がカメラを向けた時はやんわりと注意してくれるくらいだった。

いくらフランソワーズの願いでも、それはちょっとなぁ・・・

とはいえ、彼女が本気でお願いしてきたら、はねつけられるかどうかは極めて怪しい。
何しろ、あの大きな瞳で下から覗き込まれ、「お願い」と言われたら――

ともかく、写真を見つけなければ。

立ち上がる。
この部屋にないということは、既に捨てられてしまったか、あるいは――

誰かが持ち出した?

けれども、彼が財布に彼女の写真を入れて持ち歩いているなど、誰も知らないはずなのだ。
そのあたり、ジョーは意識して財布を置きっ放しにしたり、誰かに渡したりしないように気をつけているのだった。
だからこそ、「この部屋に落とした」としか考えられなかったわけで。

フランソワーズの写真が可燃ゴミに出された――というのは、考えると辛くなるので考えないことにした。
そうすると、残る仮説はやっぱり――

誰かが持ち出した。

それしかないのだった。

 

**

 

最近、財布に触った者はいただろうか?

必死に考える。
もしも仲間の中の誰かなら、フランソワーズの写真を見つけて面白がって・・・

――ああっ!!面白がって、彼女に見せるに決まってる!「ジョーの財布に入ってたよ」とか何とか言って。
うわわわわ、そんなのってそんなのって・・・・

頭を抱えてしまう。

・・・落ち着け。よーく考えるんだ。

誰か財布に触った者はいなかったか?

 

**

 

10分ほど考えてみた。
すると、ごくごく最近、確かにどこかで自分の財布を目にしたような気がした。
レースに出発する前に。

どこだっただろう・・・

 

――ピュンマ。

そうだ。
救急の日の9月1日、確か僕とフランソワーズが「訓練」をしていた時。ピュンマが持っていた中に僕の財布があったような気がする。
あの時は、他の事に気をとられていたから深く考えなかった。
・・・でも。
だとしたら。
フランソワーズの写真を持っているのは――ピュンマ?

けれども、もし彼だとしたら、ちゃんと自分に返してくれるはずだった。

とにかく、ピュンマに聞いてみなければ始まらない。

ジョーは部屋を後にした。

 



9月24日  写真G

 

夕食の時も、フランソワーズはジョーと一言も口を利かなかった。
わけのわからないジョーは、頑張って話しかけてみるものの一顧だにされず、相当に落ち込んでいた。
何しろ、話しかけても無視されるのはジョーだけだったのだから。

 

フランソワーズは部屋に篭って、机の上に並べた写真を飽きもせず見つめていた。
何にもやる気がしない。
そのまま机に突っ伏してしまう。

――あーあ。何やってるんだろう、私。
こんなことくらいで落ち込むなんて。

着替えをするのも、お風呂に入るのも、・・・カーテンを引くのも、何もかもが面倒に思えた。全然、身体が動かない。
何にもしたくなかった。

どうしてこんなに落ち込むんだろう、私。

机に突っ伏して、目を閉じたまま考える。考えることだけは、まだ――面倒ではなかった。

別にジョーに振られたわけでも、嫌いって言われたわけでもないし、お別れを告げられたのでもない。
ただ、「昔好きだったひと」と聞いただけなのに。

でも・・・「昔好きだったひと」の写真を探すために、あんなに一生懸命になるんだ?
どんなに大切な想いなんだろう?

今まで彼が何かを失くしたのは何度か見ていた。が、あそこまで徹底的に探すのを見るのは初めてだった。

・・・「思い出」なんかじゃないのかもしれない。
もしかしたら、今でもジョーはそのひとの事が好きで・・・私とは、仕方なく一緒に居るだけで、・・・・

・・・・・・・・・。

 

「――!!」

そこまで考えた途端、がばっと体を起こした。
そして

「もうっ。ばか!!」

両手で自分の両頬をぱしんと打った。

「何考えてるのよ、フランソワーズ!!」

もう一回。

「――もうっ。いい加減にしなさい!」

ジョーがそんなつもりで私と一緒に居るわけないじゃない!いったい何を考えているのよフランソワーズ!
こんなことくらいで、ジョーを信じられなくなるなんておかしいわ。そうでしょ?
いいじゃない。昔誰を好きだったとしても。私だって、過去に男のひとりやふたり、いないわけじゃないわ。
――いないケド。
ううん、そうじゃなくて、だから。
いい?フランソワーズ。
あなたはジョーを好きよね?とってもとっても好きよね?今だって・・・嫌いになんか、これっぽっちもなってないわよね?そうよね?だから――ちょっぴり気になるだけよね?
でも、ちょっと待って。
だったら、ジョーの言う「昔好きだったひと」が誰なのかを彼に聞いて、どんなひとかわかれば、それで気が済むというの?――本当に?それで、「ふうん。そうなんだ」で終わりになれるの?

なれない。

一度気になったら、きっとずうっと気になってしまう。
だったら――このまま遣り過ごす方が、いい。

――俺の、昔好きだったひとの写真。

ジョーがそう言った時の顔を思い出してみる。

・・・平気な顔してた。さら、っと言って。そのあとも、にこにこしてこっちを見てた。自分のセリフの重大さに全く気付いてないみたいだった。

――昔好きだったひと。

今は?

・・・今は。

今は――私よ。

ジョーは誰にでも優しい。それは昔から、ずっとそう。
最初はその優しさの違いがわからなかった。だから、随分誤解もしたし、やきもちもたくさんやいた。
でも、今は少しだけ・・・ほんの少しだけ、その違いがわかる。
同じ言葉でも、私に言う時の声の感じとか。視線とか。ほんのちょっとだけど――わかる。
だから、ジョーが好きなのは私。って、ちゃんとわかる。わかるようにしてくれてる・・・と、思う。たぶん。
だってジョーは、私が泣くと自分も悲しくなっちゃって、一緒に泣いてるし。
私が辛い思いをすると、自分も痛そうな顔をするし。――時には、私より落ち込んじゃうし。
だからジョーは、私がそういう思いをしないようにいつも守ってくれている。私が辛いと彼も辛い。だから、僕はきみを守ると言って、本当は自分も守っているのかもしれないなぁ――そんな事も言っていた。

そんなジョーが、私に故意に辛い思いをさせるだろうか?

――絶対に、ない。

あるいは、もしかしたらジョーは・・・自分の言ったひとことが、これほど攻撃力のあるひとことだったなんて全く気付いていないのかもしれない。

「昔好きだったひと」

好き「だった」。過去形。
もしも現在進行形なら、昔「から」ずっと好きなひと。そんな言い方になるはず。
でも、そうは言わなかった。完全に過去形のままだった。
だから――別に言っても構わないと思ったのかもしれない。

言っても構わないということは、つまり――

私が落ち込む必要なんて、ないってことだわ!!

 



9月23日 写真F

 

それは、ずうっと昔のきみの写真だからだよ。

 

――とは、言えず。
さすがに「きみに片思いしてて、どうしても写真が欲しくて、で、グレートに頼み込んで半ば強奪に近い形で貰い受けたものだから、大切にしているんだ」とは言えやしない。
ましてや「それを持ってないと落ち着かない」なんて言うくらいだったら、舌を噛み切る方がマシだった。

だから、代わりに

「それは・・・僕の――俺の、昔好きだったひとの写真だからさ」

うん。これなら、嘘じゃないぞ。

咄嗟に考えたにしてはうまい事を言ったもんだとひとり悦に入る。
こう言えばきっと、フランソワーズは「一緒に探す」なんて言い出すはずがなかったし、更にはこれ以上追求することもしないだろう。
一石二鳥とはこのことだな、と自分の機転にうんうんと頷いた。

「――昔」

一方、フランソワーズは。
ジョーの言葉が咄嗟には理解できず、固まっていた。

ジョー、いま自分のことを「俺」って言った?と、いうことは――私に出会うよりも、ずーっとずーっと前の事なのかしら。・・・昔、好きだったひと、って・・・。

自分とは恋人同士のはずではなかったか。
なのに、昔好きだったひとの写真を大事にとってあり、それを探すための部屋の惨状なのだろうか。

もちろん、彼が過去に誰を好きだったとしても関係ない。自分はいまの彼が好きなんだし、それに――いくら恋人とはいっても、彼の過去や心の中まで独占できるわけがなく、踏み込んでいいものとも思えなかった。
そのくらいはわかっていた。
ただ。
とはいえ、彼の口からはっきりと「昔好きだったひとの写真」を探していると聞かされるのは、心中穏やかではなかった。

心の中が波うった。

「――あ、」

何か言わなくちゃ。
そう思っても、うまく声が出てくれなかった。

落ち着くのよ、フランソワーズ。――大丈夫よ。だって、ジョーは「昔好きだった」と過去形で言ったわ。
いま彼が好きなのは、私なんだから。だから・・・大丈夫。慌てなくてもいいの。ほら、深呼吸して息を整えて――何事もなかったように笑うのよ!

「・・・3枚も失くしちゃったの?」

我ながら、なんて返事だろうと思う。どうしてもっと気の利いた事が言えないんだろう?

「えっ、どうしてそれを」
「さっき自分で言ってたわ」
「――あ」

フランソワーズの指摘に微かに頬を赤らめて、ジョーは彼女から目を逸らした。参ったな、と小さく呟いて。

「大事なものなら、ちゃんとしまっておかなくちゃ駄目じゃない」

――可愛く言えていただろうか?
嫉妬や羨望が声に混じっていたりなんてしなかっただろうか?

「ウン。本当にそうだね。――ちゃんとしまっておいたはずだったんだけどなぁ・・・」
「でも・・・だったら、私は探すのをお手伝いしないほうがいいみたい、ね?」
「うーん・・・そう・・・かな?」
「だって、・・・見られたくないでしょう?」
「そうだね」

ジョーは、自分の思惑通りに事が運んで上機嫌だった。なにしろ、ずうっとここにフランソワーズに居られたら、探せるものも探せない。出先で失くした写真はおそらく――移動中は取り出したりしないのだから、ここ、ギルモア邸の自分の部屋のどこかにあるに決まっているのだ。

ほっとしたような顔のジョーを見つめ、フランソワーズは心が重くなった。「見られたくないでしょう?」と訊いたあとの彼の「そうだね」は――あまりにも早くなかっただろうか?
そんなに自分には見せたくない――見られたら困るのだろうか?
ということは、もしかして・・・自分も知っているひとなのだろうか?
あるいは、もしかしたら、「昔」ではなく「今」も好きなひとなのかもしれない。
だから、自分には絶対に見られたくなくて、で・・・・

「――フランソワーズ?」

自失していたフランソワーズは、ジョーの声にはっと顔を上げた。

「その、・・・探すから、ちょっと」
「え。あ、ええ・・・ごめんなさい。席を外すわね?」

思えば、自分はここに洗濯物を持ってきただけなのだった。それも、さっき床に倒れていたジョーを見つけた時にそこらに放り出してしまった。綺麗に畳んであったのに、ばらけてしまっている。
ちらりとそれを横目で見て――畳み直そうかと手を伸ばしたけれど、なんだかどうでもいいやという気分になって、結局そこにそのままにした。
そして、スカートの裾の下にある自分の写真を丸めて手の中に隠して立ち上がった。

「――邪魔してごめんなさい」
「いや、全然。――寝ちゃってたし」

自分が部屋を出るまで見守っている風のジョー。その視線を背中に受けつつドア口に進むと、くるりと振り返った。

「・・・今夜からは自分の部屋で寝てちょうだい」
「えっ?」

彼のベッドは物置と化しているのだった。

「いや、それは困るよ。寝るところないし」
「――少しは片付けなくちゃ駄目よ。ジョーを甘やかしすぎるって博士にも言われたの」

嘘である。
ただ、こんな気持ちで今日はジョーと一緒に居たくはなかった。今日だけではなく、明日からもずっと。

「えーっ」

駄々をこねるようなジョーの声にも反応せず、「じゃ、そういうことだから。来ないでね」と言い残し、フランソワーズはドアを閉めた。

残されたジョーはしばしそのまま立ちすくんでいたものの、しばらくして大きく息を吐いた。

・・・うまくいった。いやー、どうなるかと思ったよっ・・・。

大体、後生大事にフランソワーズの昔の写真を持ち歩いていて、しかもそれが盗撮まがいの代物だなんて彼女にばれたら、いったい何て思われるだろう?
しかもそれが、――おそらく彼女の気持ちが全くこちらに向いてはいない時期だったとしたら。

そんな事がばれたら、彼女の顔をマトモに見れやしない。
絶対に、「変な奴」だと思われる。いや、思われるだけならまだしも、・・・キモチワルイ、とか、ブキミ、とか・・・
そんな目で見られたら、これから先生きていけない。

だから。
それらをうまく回避できたと、心からほっとしたのだった。

 

***

 

自分の部屋に篭って、フランソワーズは机の上に3枚の写真を並べていた。
どれも自分の――昔の写真だった。
まだジョーに片思いしていた頃の。

どうして彼がこのうち2枚を握りしめていたのかは謎だったが――今となっては、そんな事はどうでもよかった。
おそらく、探し物の途中で見つけて、自分に渡そうとしていただけなのかもしれない。
何故かきみの写真が紛れ込んでいたから返すよ、って。
どこでどうなって彼の荷物に自分の昔の写真が紛れ込んだのか、その過程はわからなかったけれども。

――この頃の、私。
ジョーの事が好きって気付いたけれど、どうしようもなくて・・・

何しろ、ネオブラックゴーストとの戦いの日々だったのだから。
だから、好きという気持ちを抑えていた。そんなの彼に知られたら迷惑になるだけだと戒めて。

ずっと片思いだった。
そう、信じていた。でもそうではなかった。

・・・そうかしら?

だって、今。何だか昔みたいに――片思いしているわ。

ジョーが昔好きだったひとなんて知らない。――マユミさん?
ジョーが昔好きだったひとなんて知りたくない。――ユリさん?
ジョーが昔好きだったひとにやきもちなんてやきたくない。
それとも――私の知らない誰か。なのだろうか?
綺麗なひと?
可愛いひと?
スタイルが良くて、頭が良くて、そして――ジョーのことを好きだったのだろうか?
お互いに想い合っていたの?

いま現在、それは続いているのか、それとも彼の中で完全に過去の話なのかはわからなかった。

 



9月22日 写真E

 

「――あれ?・・・ふらんそわーず・・・?」

膝の上から声がして、フランソワーズは手に持っていた写真を傍らに伏せて置き、声の主の方を見た。

「・・・ジョー。こんなところで寝たら風邪ひくわよ?」
「うー・・・ん。寝ちゃってたんだな」
「そうよ。一体、何をしてたの?」
「――何って」

自分の手を目の前に持ってきて、それが空手なのに気付くと勢いよく飛び起きた。あやうくフランソワーズに頭突きをかますところだった。

「もうっ、気をつけて」
「ああ、悪い・・・っ」

上の空で答え、慌てて周りをキョロキョロ見回している。

「――何か探しもの?」
「えっ?ああ、ウン・・・何でもないよ」
「――手伝いましょうか?」
「い、いいよ、大丈夫」
「でも」
「いいってば」

なおも固辞するジョーを見つめつつ、先程傍らに置いた写真をそうっと自分のスカートの裾で隠す。

「――おかしいな、どこに落としたんだろう・・・?」

瓦礫の山を崩しながら、新たに山を作っている。それに夢中で、フランソワーズへの注意はおろそかだ。

「・・・ジョー?」
「んー・・・?」
「いったい何を探してるの?」
「んー?・・・うん・・・いいよ、別に」
「それって大事なもの?」
「うーん、まぁね・・・」

フランソワーズの声に相槌をうちながらも、捜索の手は緩めない。

「――無いなぁ。・・・おかしいな。いったいどこへいったんだろう?」

ブツブツ呟くジョー。

「やばいなぁ。これで失くしたら3枚だろ、・・・うわー、勘弁してくれよ」

フランソワーズに聞こえていることなど全く失念している様子で独り言は続く。

「・・・あれしかない、っていうのに・・・クソっ、ここにもないか」
「――ねぇ、ジョー?」
「うん?・・・ここでもないな。てことは・・・」
「もしかして、その探し物のせいでこの部屋はこうなってるの?」
「うん、そう」

まさかと思いつつ訊いたのに、あっさりと肯定されて一瞬言葉を失った。

だってまさか。――この写真を探して、部屋がこの有様だというの?

スカートの下に隠した写真をそうっと指先でなぞる。

――でも、違うわよね?だって、写真を失くしたなんて一言だって言ってないし、大体、ジョーの言葉を信用するなら、何かを3枚失くしたみたいだし。でも、いまここにあるのは2枚で・・・
んん?ちょっと待って。

頬に片手をあてて考える。

今、捜索しているのがここにある2枚の写真として。――とりあえず、そう仮定して。
だったら――帰国してからのこの部屋の惨状はいったいどうしてなのかしら。
・・・・・・・・・。
――3枚、って言ってたわよね?
3枚・・・・
いまここにある写真は2枚。
もし、探しているのが「写真」だとすれば、残る1枚も「写真」のはずで――

「――ねぇ、ジョー?」

考え込んでいる間に、捜索者はずうっと離れた部屋の隅でクローゼットを覗き込んでいた。

「探し物って、そんなに大事なものなの?」

フランソワーズの声が聞こえたのか、屈んでいた腰を伸ばしてジョーが振り向いた。

「そりゃそうさ!だってそれは」

それは?



9月21日 写真D

 

――どうしてジョーが私の写真を持ってるの?

いや、彼が彼女の写真を持っているというのはごくごく自然なことではあった。
ただ、問題はソレが盗撮である可能性が高い、ということで・・・

しかも、時期がまちまち。共通しているのは、片思いしていた頃というのだけで・・・

ぱっと頬が熱くなった。

ヤダわ、ジョーったら。そんなに前から、私のこと・・・?

自分の方が、彼に片思いしていた期間が長いと自負していた。もちろん、彼とその長さを比べたことはないけれども、それでもおそらく自分の方が長いと信じて疑わなかったのだが。
こういうものを見てしまうと、なんだか――ジョーに思われていた期間のほうが長いのかもしれない、と嬉しい誤解をしてしまいそうだった。愛情の深さや量は、思っていた年月と比例するものではないとわかってはいても。

でも、本当にこれって・・・いつ誰がどうやって?

全く覚えがないのだった。

それに、ズルイわ。ジョーばっかり。私はジョーの写真なんて持ってないのに。

写真に撮られるのが極端に嫌いな彼は、写メでさえも撮らせてくれない。だから、ツーショット写真はおろか、プリクラだって撮ったことがないのだ。だから、フランソワーズの手元には彼の写真は一枚もなかった。
けれども、離れる期間が長いほど、やっぱりジョーの写真が欲しくて――何度か寝顔をこっそり撮ろうとしたこともあった。が、そのへんは009。すぐに異音に気付いて起きてしまい、携帯やカメラを取り上げてしまうのだった。
写真の一枚くらい、いいじゃない。
そう言ったところで、彼が承諾するはずもなかった。
そういうところは至って頑固なのである。
だから、フランソワーズは「洗剤を買うともらえるハリケーンジョーのカード」が欲しくて仕方なかったのだ。
(30本買って、もらった3枚は全て同じカードだったけれども。その後、友人からシークレットカードを貰った)

一緒に写ってる写真が欲しいわ。

何度か言ってみたことはあるけれども、最近では言うのをやめている。何故なら、ペアリングを買ってもらったし――それでいじゃないかと言われたばかりなのだから。
さすがに、そこまで言われたら何も言えない。
もしも写真のほうがいいなんて嘘でも言おうものなら、ペアリングを取り上げられてしまう。
だから、仕方なく黙っていたのだが、ジョーの方はしっかり自分の写真を持っていたとわかり、理不尽さに襲われた。

私だって、あなたの写真が欲しいのに。

 



9月18日 写真C

 

帰国してからのジョーの様子は変だった。
それは今に始まったことではなかったけれど、普段時差ぼけなどとは無縁な彼だっただけにその「変さ」加減は尋常ではなかった。
ともかく、ぼーっと外を見ている。飽きもせず、ずうっと。
フランソワーズが声をかけても生返事。
かと思うと、部屋の隅から隅までを引っくり返し、何かを探している。
それが延々と繰り返される。ので、ジョーの部屋はごった返しており、ベッドの上も衣類や本などで塞がっていたため――ここのところ、ジョーはフランソワーズの部屋で眠っているのだった。

イタリアグランプリでの事が尾を引いているのかと思い、フランソワーズは深く追求はしなかった。

イタリアの、高速サーキットであるモンツァ。
雨のレースとなった。
元々、雨が好きではないジョーの運転は――荒れた。
何しろ、パッシングポイントはイエローフラッグが振られてパスできない。
かといって、ストレートでは水煙に視界を遮られ、自分の位置を把握するのがやっとだった。
昨年度の日本グランプリの時のように――ジョーにとっては最悪の天候だったのだ。
いくら「雨は好きじゃない」と言ったところで、どうにもならない。それに、そんな理由でやる気を失くすわけにもいかなかった。レースは自分ひとりでやっているのではないのだから。
完走したものの、全く納得のゆかない走りだった。レース後のインタビューもひとことふたこと答えるのみで後にした。
日本でそれを観ていたフランソワーズは深い深いため息をついたものだった。
いくら雨が嫌いとはいえ――ジョーの様子は明らかに変であり、かといって自分が心配するような深刻な事態のようにも見えなかった。
だから、ともかく放っておくことにした。レース後に彼からの電話もメールもなかったから、おそらく「放っておいて欲しい」と彼も思っていると確信して。

 

「ジョー?いるの?」

洗濯物を持ってジョーの部屋をノックする。完全に閉まっていなかった扉は、ノックとともにゆっくりと開いた。

「・・・ジョー?」

中を覗くと、部屋の惨状は相変わらずで――念入りに捜査された後のように、机の中身も本棚の中身もクローゼットの中身も、全てが床にぶちまけられていた。そして、部屋の主も。

「まっ・・・ジョー!なにやって」

ぶちまけられた色々なものに埋もれるように、ジョーがいた。ぴくりとも動かない。

「大丈夫?」

洗濯物を放り出し、遭難者を助けるべく瓦礫の山を突き進むフランソワーズ。

「ジョー?」

返事がない。

「ジョーってば。しっかりして!」

耳元で呼んでみる。が、瞼はぴったりと閉じられていた。
そうっと抱き起こす。
顔を見ると、・・・何かが彼の身に起きたような感じではなく、単に眠っているだけのようだった。

「・・・寝てるのかしら」

なんでこんなところにこんな不自然な格好で。という疑問は、とりあえず脇に置いた。
抱き起こしているままでは重過ぎるので、そうっと――自分の膝にジョーの頭を置いた。
そうして、さてどうしようかと思った矢先、ジョーの身体から何かがひらりと落ちたのが目に入った。

「・・・?」

大事そうに、彼の手が握りしめていたもの。どうやら熟睡しているだけのジョーの手が緩み、そこから落ちたようだった。
彼が大事に持っていたものならば、失くしたら困るだろう。そう思い、とりあえず――腕を伸ばして拾い上げた。

「・・・・何よ、コレ・・・・」

それは、彼女自身の写真だった。いつ撮られたのか全く記憶にない。どうやら、こっそり撮られたもののようだった。

 

*********
いつの間にか、イタリアGPが終わってました。・・・ええ、ちゃんと見てはいたのですが、こちらに反映させてませんでした(汗)
で、ジョーくんの持っている秘密写真は全部で5枚なのです。そのうちの3枚まで明らかになりましたが、あとの2枚は謎です♪



9月11日 写真B

 

ベルギーグランプリは無事に終わった。
残り数周となったところで降り出した雨にも負けず、タイヤを替えることもせず、ジョーは走りきった。
ゴール直前でスピンしなければ優勝は間違いなかっただろう。
けれども、悔しくはなかった。チームも自分も、勝負に出たのだから。
あそこでピットインしてタイヤを替えていれば、結果は良い方に向かったかもしれない。が、タイムロスによりもっと悪い結果になっていた可能性だってあるのだ。
チーム全体の思惑と自分の意志がぴったり重なって、どちらも全力を尽くしたレースだった。
だからジョーは後悔していない。むしろ、ある程度の満足感を得ることができていた。

もしも、彼を悩ませている事があるとするならば、それは「いったん日本に帰る時間はない」ということだろう。
すぐに次のレースがあるから、セッティングに要する時間を考えても日本に帰る時間的余裕などないのだった。
それはそれで、いい。
ただ問題は。

写真を失くしてしまった。

と、いうことだった。
モノがモノだけに誰かに探すのを手伝ってもらうわけにはいかない。
もちろん、今ではチーム全体が彼の恋人のことを知っているのだが、かといっておおっぴらにするのも照れる。
だからジョーは、極力そういう話題は避けてきた。
そんな彼だったから、「恋人の写真を失くしたから探すのを手伝って欲しい」などとは到底言い出せるものではなかった。

――どこで失くしたんだろうなぁ・・・

移動中の車内で、流れてゆく景色をぼんやりと見つめながら考える。
まさか出国前のギルモア邸で既にそれは彼の財布の中にはなかったなどと思いもよらない。
移動中にそれを取り出してしみじみ見つめるなんていうことはしないのだ。だから、気付かなかった。

あのフランソワーズ、すっごく可愛いのになぁ。

まだお互いの気持ちが通じ合う前の、片思いしていた頃の彼女の姿。
もちろん、今でもフランソワーズは綺麗で可愛いと思うけれども、片思いしていた時の彼女というのは別格だった。
自分には眩しく見えていたくせに、かといって一瞬でも目を離すのが不安で怖くなってしまう愛しい存在だった。
目を離すのが怖い――目を離したら、自分の手の届かないところへ消えてしまうのではないかと不安だった。
今思えば笑ってしまうけれど、その頃は真剣にそう思っていた。
彼女があんなに綺麗で可愛いのは、きっと胸に想う誰かが住んでいるからに違いない。と、勝手に思い、自分の気持ちを押し殺してきた。勘違いしないように。自分は彼女にとって、ただ「仲間」でしかないのだと。何度も言い聞かせた。
そんな事を思い出していたら、不意に彼女の顔が見たくなった。
そっと、ジーンズのポケットにいれてある携帯電話を撫でる。取り出して、待ち受け画面の彼女の写真を見たい欲求に襲われるが、周囲に仲間がいるこんな状況でそれをするのは嫌だった。だから、我慢する。
が、目を瞑っても浮かぶのはフランソワーズの笑顔なのだった。

フランソワーズ。
いちばん最後にキスしたのはいつだったかな。

いったん思い出すと、それはもうどんどん思い出されてくるのだった。
泣きそうな顔のフランソワーズ。怒っているフランソワーズ。すました顔のフランソワーズ。彼女の髪の香り。首筋のなめらかさ。温かい手のひら。それから、それから・・・

「おい。なにニヤニヤしてやがる。気持ち悪いな」

横からグーで小突かれる。

「うるさいな。俺の勝手だ」
「フン。どうせ彼女のことでも思い出していたんだろう?そんな顔だ」
「うるさいな」
「だったら連れてくればいいのに。みんなそうしてるってのに、何を遠慮してるんだか」
「遠慮なんかしてねーよ」
「んじゃ、あれだ。やせ我慢」

図星だったので、ふいっと視線を逸らせる。

「あんまり我慢すると身体に悪いぞ?」
「放っとけよ」
「だけどな、ジョー。これはやめといた方がいいんじゃないか?」

つんつん、と彼の左手をつつく。

「――なんで」

それこそ、みんなしているのだ。既婚未婚に関わらず。

「ファンが減るぞ?」
「知るかよ、そんなもん」
「おいおい、聞き捨てならないな。俺たちだって客商売なんだぞ?来てくれるファンがいなかったら成り立たない」
「こんな事でファンは減らないよ」
「減るんだよ。わかれよ、ジョー。半分はお前目当てのオンナノコたちじゃないか」
「いいよ。男のファンが増えればそれで」
「駄目だって。な?いいから外せ」
「やだね」
「目立つだろう?」
「絶対、外さない」
「ジョー」

ジョーはもたれていたシートから身体を起こすと、じいっとスタッフの顔を見つめた。

「――あのさ。俺はとうにスクープされているし、どのファンもうすうすわかっているはずなんだ。今更、どうコソコソしても無駄な抵抗だと思うけど?」
「ま、そりゃそうかもしれないが、しかしだな――」
「駄目。絶対、外さない」

そう言ってジョーは左手に嵌めた指輪にそっとキスをした。

「――外さないよ」

 

 

****
売約済みですから。



9月10日 写真A

 

「・・・あら。なにこれ」

貼ってある写真を無造作に剥がし、手元に引き寄せてしみじみと見つめた。

「・・・いつの写真?」

と言ってみたものの、撮られた覚えもないのだった。

「ねぇ、これ――」

振り向いて誰かに質問しようとしたのだが、あいにくリビングは突然無人になってしまっていた。

「・・・さっきまでみんないたのに」

ため息をひとつついて、再び写真を見つめる。
裏返してみても何も書いていない。
けれども、写真の主は間違いなく自分なのだった。バレリーナのフランソワーズ・アルヌールに。

 

***

 

フランソワーズは自分の部屋に戻り、ベッドの端に腰掛けて写真をじっと見つめていた。
この姿には覚えがあった。
ずうっと前の日本公演の時のものだ。
でも、確かあの時観に来ていたのはジェットだけだったはず――
ジェットの影に隠れていたが、グレートもそこにいたなど知る由もなかった。

あの頃の私は、ジョーに片思いで・・・

ふっと切なくて苦しかった頃のことが頭をよぎった。

イヤ。駄目よ、思い出したら。

ジョーの事が好きで好きで、大好きで・・・でも言えなくて。ジョーには他に大事なひとがいると勝手に思っていた。
だから、彼に会えるのは嬉しかったけれど同時に寂しくもなっていた。あの優しい瞳に映っていいのは自分ではない。
見つめられることを許されているのはたったひとり。そしてそれは自分ではない。
そう思い知る事は辛くて辛くて仕方なかった。
彼を思って過ごす日々は長く、そして楽しいこともたくさんあったけれどそれと同じくらい悲しいこともたくさんあった。
それらは全て彼が絡んでおり――自分の中の中心はいつも彼なのだと思い知らされた。
ジョーが笑っていると嬉しくて、悲しい顔をしていると辛かった。しかも、自分にはそのわけを聞く資格がないのだ。
そこまで踏み込んでいいのは恋人だけ。自分はただの「仲間」に過ぎないのだから。
何度もそう自分に言い聞かせ続ける毎日は、徐々に心を蝕んでゆき――どうしようもなくなっていった。

――思い出したら、駄目なのに。

そうっと写真をベッドの上に伏せて置く。

ジョーに会いたい、な。

ネオ・ブラックゴーストとの戦いの最中に彼への気持ちに気がついた。
けれども、ずいぶん長いこと言えずにいた。

・・・ううん。言えずにいたけれど、ジョーにはわかっていたのかもしれない。

少しずつ、お互いの距離が近付いて、なんとなく気持ちが通じ合って。
それでも確信を持てずにいた日々。
抱き締められても。手を繋いでも。――キスを交わしても。それらは彼にとって「特別」なことではないに違いない。だから誤解してはいけないと何度も何度も思っていた。
それが決定的に変わったのは、あの夜。ジョーがロボット・スクナと戦った日の夜だった。

あのとき、お互いの気持ちがはっきりわかって、そして。

初めて恋人同士のキスをしたんだったわ――

今でも思い出すと少し恥ずかしい。よくも何も言わずにそうなったと思う。

何も言わずに。

――何も言わずに?

あれ?

何も・・・言ってない?

まさかそんなはずは、と頭を振り、もう一度記憶を辿ってみる。

あの時、お互いに見つめ合って、そうしてどちらからともなく腕を伸ばして抱き締めて、そして・・・

そして・・・・

・・・・・・・・あれ?

私、ジョーに何も言ってない。――かもしれない。

 

 

*****
えーと。第19話のSSを参照していただければ、つまりそんな感じです。



9月9日 写真@

 

ベルギーのスパフランコルシャンサーキット。
このコースに来ると、いつも血が沸き立つような感覚に襲われる。

好きなコースの一つだった。

確か、デビューした年はこのコースで初の表彰台に上った。
それ以来、ここでの戦いはずっと勝ち続けている。

壁のように立ち塞がる「オー・ルージュ」。ここを制した者が勝つ。
いつでも挑戦者のような気持ちで臨むコースなのだった。

レースに備え、雨の中、コースを歩くのもいつものこと。

ジョーは感慨を胸に、けれども新たな気持ちで坂を上って行く。
開けた視界。
そこから先は、ジョーの意識からレース以外のものは全て排除された。

 

***

 

ホテルに戻り、そのままソファに沈み込む。

いつものこととはいえ――こうも天気が変わりやすいとセッティングをどうするか、戦略は。といったミーティングは永遠に続くと思われるくらい長かった。
もちろんそれは、勝つために必要な事であり、どんなに長くなっても苦ではなかったのではあるが。

ソファに身体が埋まった状態で、ジョーは携帯電話を取り出した。が、電話をするわけではなかった。
かといってメールをするのでもない。ただ、待ちうけ画面を飽くことなく見つめている。
しばらくして満足そうに携帯電話を閉じると、今度はポケットから財布を取り出した。
そして札入れのところから取り出したのは――

「あれ?」

思わず声に出して言い、ついでにソファに埋まっていた身体も引き起こす。
座り直してもう一度札入れのなかを見る。

「おっかしいなー」

もう一度声に出すと、今度は立ち上がった。
そうして、まず自分の着ているもののポケットというポケットを探った。果ては、裏地を出してポケットをさかさまにして。
それから、ソファのクッションの隙間に手を入れた。何度も何度も繰り返す。
そしてやっとソファから離れると、今度はその下を覗き込んだ。膝をついて床に頬を擦り付けて。

「・・・おかしいな」

再び言うと立ち上がり、今度は自分の荷物という荷物を引っ張り出し、片端から開けてゆく。
トランク、バッグ、etc。中身を全部出して逆さまに振ってみても満足せず、小さなポケットというポケットも全て覗き込み中身を出してゆく。本や雑誌も全てさかさまに振って確かめ、着替えなども全部振ってみた。

「無いなぁ」

軽く首を傾げ、今度はもう一度財布を覗く。
そうしてテーブルに大切そうに一枚一枚並べてゆく。
それは札ではなく――写真だった。全て同じ人物の。

計4枚が並べられた。ついでに札も無造作に置かれ、財布も中身を全て出されてさかさまに振られた。

「・・・なんで無いんだろう?」

わからなかった。
本当は、財布のなかにある写真は5枚なのだ。その1枚が消えている。しかも、5枚の中の一番のお気に入りが。

「どこかで落としたかな」

だけど一体どこだろう?まさかコースじゃないだろうな・・・?

ぞっとしつつ、念のためにコースをもう一度見に行こうかと思いかけ、いや待て落ち着けと自分を諌める。
コースに出ていたときに財布を出した覚えなどないのだから。
では、だとしたら一体どこで?

彼のお気に入りの1枚というのは、フランソワーズのバレエ着姿のものだった。
ふだん彼女の舞台はおろか練習も見たことがない彼にとっては、まさにそれしかないのだった。

「ああっ、もうっ。またグレートに頼むのかよっ・・・」

頭をぐしゃぐしゃと掻いて、再びソファに沈み込んだ。
その写真を手に入れるのにした苦労を思い出しながら。
ネガを持っているのは、彼女の舞台を何度も見に行っているというグレートだった。その写真は彼の手による隠し撮りに近いものだったけれど、ジョーはそれを諌めるどころか見惚れて離せなくなってしまったのだった。
そんな写真だったから、フランソワーズに見せたことはなかった。
それを言えば、財布に彼女の写真を入れて持ち歩いているなんてことも言ったことはなかった。
それだけは言えない。携帯電話の待ちうけ画像が彼女の写真であることは、知られても全く平気だったけれど、それとこれとは違うのだ。

このことはフランソワーズには絶対に言えない。

けれどもジョーは知らなかった。
いまギルモア邸のリビングに、彼がさんざん探しているお気に入りの一枚が壁に貼られているのを。
そして、いままさに本人がそれを見つけようとしていることを。

 

 

*****
続く・・・の、かなぁ。あれこれしているうちにベルギーGPが終わってしまいました(泣)



9月2日

 

しばしお嬢さんの顔をじいっと見つめて。

「・・・そういえば、ピュンマ、何だかたくさん持ってたな」
「・・・・」
「あの中にあったものだよね?君が視たのって」
「・・・・」
小さく頷きかけ、でも更に小さく首を横に振るのです。なので、肯定なのか否定なのかわかりません。
「どれだろう・・・」
ジョーはといえば、しばし天を仰いで先程自分が目にしたものを思い浮かべてゆきます。迂闊に声に出して挙げていくわけにはゆかないのです。何故なら、フランソワーズは「愛があればわかるはず」という大前提の下にいるのですから。ジョーとしても、わかるわけないだろうとは思いつつも、彼女がそれを期待しているのなら頑張ってみようとも思っているのでした。あてずっぽうでも、万が一当たるかもしれないし。

・・・僕の服や財布は違うよなぁ。どう考えても。だって、それを視てフランソワーズが「駄目」っていう訳ないし。

ヒントはたくさんあったはずなのです。
彼女が視た直後に真っ赤になって「駄目」と言い、さらには「持ってこられない」と言ったもの。
それはいったい何なのか。

手紙・・・みたいのもあったよなぁ。でも、持ってこられなくはないし。

そうなのです。材質が紙でも、防護服のポケットにしまってしまえば摩擦はおきないのですから、燃えることもありません。

てことは・・・

残ったのはウサギのぬいぐるみしかありません。両手で抱えるくらいの、ちょっぴりくたっとした真っ白いウサギ。
口がバッテンになっているシンプルな。

え。まさか、ソレ?

思わず、お嬢さんの顔をじいっと見てしまいます。と、慌てて目を逸らすお嬢さん。その様子にやっぱり可愛いなぁ・・・としばしホワンと見惚れながらも、頑張って考えます。

でもなぁ。ウサギのぬいぐるみであんなに動揺するだろうか。

けれどもやっぱり、消去法でいくと残るのはぬいぐるみなのです。

えぇい、いちかばちかだ。

「ねぇフランソワーズ。君が視たのってもしかして・・・ウサギ?」
「!」

途端にびくっと身体を震わせ、真っ赤になってしまうお嬢さん。
大当たりなのでした。

「・・・もう。どうしてわかったの?」

ジョーの防護服の裾を掴んで小さく言うのです。

「んっ・・・そりゃー、愛があるからね」

 

***

 

いちかばちかで大当たりしたジョー島村なのですが、胸にお嬢さんを抱き締めつつも何だか腑に落ちません。
ウサギのぬいぐるみでどうしてあんなに動揺したのかがわからないのです。

「・・・ねぇ、フランソワーズ。あのウサギが」

けれども、言いかけてはっと黙るのです。何故なら、「あのウサギがどうかしたの」と言ってはいけないような、なんだかもやっとしたものがよぎったから。何だか、後を続けてはいけないような気がするのです。物凄く。
果たして、お嬢さんは彼の言葉をいい方にとったようでした。

「ジョー、もしかして覚えてるの?」

え。
覚えてるって・・・何を?

内心、汗だくになりつつも綱渡りのような会話を続けます。探り探りの会話の押収なのです。

「・・・やっぱり、ジョーね。ちゃんと覚えてるなんて」
やだわ、恥ずかしいじゃない・・・と小さく言って、ジョーの胸で顔を隠してしまいました。
その頭を無意識に撫でながら、
「そりゃ覚えてるさ」
なんて言ってみたりもするのですが、頭の中はめまぐるしく回転しています。あのウサギのぬいぐるみに関するデータはないかと。
「ちょうど去年の今頃よね」
「・・・そう、だった、ね・・・?」
「あなたがプレゼントしてくれたの」

へっ?
そうだっけ?

「・・・あの頃はデートひとつも緊張したものよ。お店に入るのだって、あなたが一緒だと何を見てるのかわからなくなってしまって」

お店?

「落ち着かなかったわ。だって、目を離したら、絶対あなたはどこかに行ってしまうって思っていたから」
「――どこも行かないよって言ったじゃないか」
「信用できません」
「酷いなぁ」
思い出した。
そう、確か約一年前。デート・・・じゃなくて、正確には買出しに一緒に行っただけだったけれど。
ショッピングモールの中にあった小さな雑貨店。そのお店を見るといってきかなくて。だけど、そこは本当にオンナノコしかいなかったからいたたまれなくて。
品物を見るのに夢中のフランソワーズをよそに、そうっと逃げ出そうとしたらシャツの裾を掴まれた。
そして・・・そう、確かそれで。
「だけどあれって、逃げ出そうとした罰で買わされたんじゃなかったっけ」
「あ。ジョーひどい」
そんなことしてないわ。と、頬を膨らませてジョーを見つめるお嬢さん。
「あなたが言ったんじゃない。・・・・・・・・・って」
「ん、なに?聞こえない」
「・・・・・・・・も、ヤダ。ジョーのばかっ」
「ばかってなんだよ。ひどいなぁ」
「だって意地悪なんだもの」
「教えてよ。フランソワーズ」
「ずるいわ、覚えているくせに」

 

『それ気に入ったの?・・・可愛いね。君に似てるから、連れて帰る?』

 

約一年前。
あの頃は、まだお互いが一緒に居ることが嬉しくて恥ずかしくてどきどきしてた。
好きと言うのも緊張してうまく伝えられないのがもどかしくて。
あの時の気持ちは、今でも思い出すとくすぐったいけれども、でも大切で。
いまはもう少し素直になれて、好きと言うのも素直に口にできるようになったけれど。
でも、あの時の嬉しかった気持ちを忘れたくはない。だから、子供っぽいかなと思いつつも大事にしているウサギのぬいぐるみ。

「もうっ・・・ジョーのばか」

でも好き。

 

 

 

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一年前のデートというのはSS「93の日だから」です。いやー、あの頃はああいう風に書くのが精一杯で(汗)一年経ったんだなぁ・・・



9月1日     防災の日

 

今日は「防災の日」。
ということで、ここギルモア邸でも防災訓練が行われているのでした。(・・・防災訓練?)

「いーい?私が視てからすぐよ?」
「わかってる」

フランソワーズとジョー島村なのです。
ふたりともギルモア邸の前庭に出ています。しかも、何故か防護服に身を包んで。

「私が視たものを持ってくるのよ」
「・・・それなんだけどさ」

真剣な顔で言い放ったお嬢さんを見つめ、ジョーは再度ため息をつきました。

「君が視たもの、っていったって・・・いま僕には視えないんだから、わかるわけないと思うんだけど」
「大丈夫よ。愛があるから」
「愛、って・・・」
うーむ。
軽く唸ってこめかみを揉んだりなんかして。

「大体さ。君が視たものを僕が持ってくるなんて、何だか犬みたいじゃないかな、僕」
「そんなことないわよ」
すぐに否定したフランソワーズの顔をほっとして見つめたのも束の間、
「犬じゃないわ、人間よ?」
真面目な顔で言い返すお嬢さんを見て、その意図を測りかねてしまうのです。

冗談のつもりなのか本気なのか、わからないんだよなー・・・

一瞬、天を仰ぎ、結局はお嬢さんに従ってしまうのでした。

「いい?視るわよ?」
「うん」
「・・・・・あ。」
「なに」
「・・・北東、距離50キロ」
「50キロ?ぎりぎりじゃないか」
「いいのよ、視えたんだから。――ええっ!???」
「なに?」
「ひ・・・ヤダ、どうしてっ??」
「フランソワーズ?」
ともかく行ってみるよ――と、奥歯を噛もうとしたら。
「駄目っ!!」
渾身の力でマフラーを掴まれたのでした。一瞬、息が詰まります。
「ぐっ!!・・・フランソワーズ、何の真似だよ」
「駄目っ。行っちゃ駄目!!」
「駄目、って・・・。それじゃ訓練にならないよ」

そもそもこれは、ふたりで勝手に始めた「訓練」なのです。ただひとりの犠牲者を除いて。
そして、その犠牲者はいま北東距離50キロのところに居るのです。・・・何かを持って。

「だって・・・」
真っ赤になって俯くお嬢さん。それでもジョーのマフラーは離しません。
「フランソワーズ。・・・何かマズイ事でもあるの?」
「・・・」
ぶんぶんと首を横に振るフランソワーズ。でも、やっぱりマフラーは離しません。
「じゃあ、行ってもいいよね?・・・って、そもそも何を視たんだい?」
「それを言ったら勝負にならないわ」
「勝負?」
訓練じゃなかったっけ?と思いつつも、とりあえずここは流します。
「だってジョーはきっと持ってこられないもの」
「む。そんなことないよ」
「ううん。絶対、無理」
「そんなの、行ってみなくちゃわからないだろ?」
「だって無理だもん」
「いいよ。行ってみる」
「あ」

微かなカチリという音とともに自分の手に残されたマフラーを見つめ、ほうと息をつくお嬢さん。
「何もマフラーを解いて行かなくたって・・・」
そうして北東の方角に目を凝らすのです。が、加速した彼の姿が見えるわけもないので早々に諦めて、お茶でも淹れて待っていようかしらなどと思ったりもしているのです。(あれ?「訓練」じゃなかったっけ?)
約5分後。
一陣の風とともに目の前に立ったひとを見つめ
「お帰りなさい」
「ただいま。時間は?」
「えと、・・・5分ってところかしら」
「5分か。1分ほどロスしたな」
ちょこっと顔をしかめ、ロスした「原因」を握りしめて。
「・・・フランソワーズ。僕、怒ってもいいかな?」
「えっ」
ジョーのセリフと共に降ってきた鉄拳。コツンと当てられたそれにびっくりして。
「ジョー?」
驚いて見開いたつぶらな瞳をじいっと見つめ、やっぱり可愛いなぁと思いつつ、ジョーは言うのです。
「・・・失くしたら困るって言ってなかった?」
「え」
「なんでこういうのに使うかなー。そのつもりで買ったんじゃないのにさ」
そうして彼が差し出した手のひらの中を見ると、そこには
「・・・私の指輪」
「こんなことしてたら本当に失くすよ?」
言いながら、お嬢さんの左手にすっと嵌めるジョー島村。
「今度やったら許さないぞ」
お嬢さんの左手にキスをひとつ。
「あ、でも・・・」
その手をくすぐったそうに引きながら。
「・・・これじゃないんだけど。私が視たの」
「えっ」

 

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ん??んんん???え?(汗)