9月28日 写真K
「――疑うの?」 ジョーをじっと見つめるその瞳に、みるみる涙が溜まってゆく。 「疑ってなんか――。ただ僕は、それが証拠にはならない、って言いたかっただけで――」 フランソワーズの瞳を覆う涙にたじろぐ。 ――僕は何をやってるんだ?何故――フランソワーズを何度も泣かせているのだろう? けれども、過去の自分を思い出してしまうと、それに伴う不安な気持ちや寂しい気持ち、そして彼女を思い恋焦がれて――でもそれを伝えるわけにもいかず、またそんな勇気もなかった日々が思い出されてゆくのだった。 ジョーは軽く頭を振ると、フランソワーズの瞼にキスをしてゆっくりと抱き締めた。 「――ゴメン」 写真のなかの自分の思いを疑われた上に、先刻までのぐちゃぐちゃした想いまで思い出してしまい、フランソワーズの涙は止まらなかった。 「ゴメン。僕が悪かった。――泣かないで。フランソワーズ」 あやすように優しく髪を撫でる。何度も彼女の名を囁いて。 「フランソワーズ」 自分に自信がないせいで出た言葉とはいえ――確かに自分は酷い人間で、ばかなのだ。と思う。 彼女に思われている自信がない。 ――なぜ? こんなに――こんなに、思われているのに? 「・・・ゴメン。でも僕は、ずっと写真のなかのきみが誰を見ているのかなんて知らなかったんだ。でも、それでも――このきみが好きだったよ」 一瞬、フランソワーズの肩がびくりと揺れた。ジョーはその肩を抱く手に力をこめる。 「ずっと前からきみを好きだった。――この写真のなかのきみも。こんな顔でいったい誰を見てるんだろう、って思ってた。だから、その相手が僕だなんて信じられなくて」 フランソワーズの手が、そうっとジョーに回された。 「――嬉しかったから、意地悪言った。・・・ゴメン」 フランソワーズはジョーを抱き締めながら、 「ううん。私も・・・あなたが昔好きだったひとは誰なんだろう、って思ったから――おあいこよ」 そのままジョーの胸に頬を摺り寄せる。 「――すぐにわからなかったんだから。・・・ばかよね」 お互いに顔を見つめ合う。 「・・・写真と同じ顔してる」 ジョーは感慨深げに彼女の顔を見つめたあと、微笑んだ。 「――もうそんな顔はしなくていい」 そんな顔は写真の中だけでいい。今は片思いではないのだから。 フランソワーズはにっこり微笑むと、嬉しそうに言った。 「・・・告白しても、いい?」 背伸びして。
「大好きよ。ジョー」
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「ところで、僕は今夜どこで寝たらいいのかな」 甘えるように、ジョーは彼女の腰に腕を回し、首筋に鼻を寄せた。 「僕はひとりじゃ眠れないって知ってるだろ?」 離れようとしないジョーにため息をつくと、 「だったら、お部屋を片付けてちょうだい。そうしたら、ジョーの部屋で一緒に寝てあげる」 そんなわけで、夜中まで――ジョーは部屋の片付けに追われたのだった。
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9月27日 写真J
「僕、の・・・」 進退窮まり、いつもの癖でフランソワーズに助け舟を求めてしまう。 「ジョー?」 う。 「・・・駄目じゃない。ちゃんと言わなくちゃ誤解されるわ。――その写真じゃないよ、って。探しているのは他のひとの写真だ、って」 フランソワーズの「他のひとの写真」という言葉が胸に刺さる。 「他のひとの写真なんて持ってない」 言いよどむジョーをヤレヤレと見つめ、ピュンマが口を開いた。 「フランソワーズ。たぶん・・・その写真の主は君だと思うよ。その、なんだ、昔好きだったひと、っていうのは」 しかし、答えは無い。 「どうせ、昔好きだったひと、っていうのはフランソワーズで、じゃあ今はどうなのかっていうと、今は好きではなく愛してるから・・・とでも言うんだろうよ」 「――そうなの?」 フランソワーズがジョーの腕に手をかけた。 「本当に、ジョーが探していたのって・・・私の写真なの?」 ジョーはフランソワーズを見て、次にピュンマを見た。そして最後に大きく息をついた。 「――そうだよ」 ぷいっと横を向いてしまう。 「だって・・・、じゃあどうして最初にそう言わなかったの?」 けれどもジョーは、もう何も言わないぞと横を向いたままだった。 「・・・どうせ照れくさかっただけだろう?カノジョの昔の写真を後生大事に持ってるなんてさ」 ぐす。 「え、あ、フランソワーズ?」 フランソワーズは指でそっと目尻を拭うとジョーを見つめた。 「――だって。・・・ジョーの思い出とか、昔のことにヤキモチなんてやいちゃいけない、って、そう思って、だから私・・・」 「ち、違うよフランソワーズ」 ジョーは思わず彼女の両肩に手をかけて引き寄せていた。 「だから、僕は――」 胸にフランソワーズを抱き締めて。 「――ピュンマの言う通りだよ。その、・・・きみの昔の写真を大事に持っているなんて、知られたくなかったんだ。だから」 いったん言葉を切る。 「その・・・僕の方がずっとずっと前からきみの事が好きで、でもそんなの――フランソワーズが知ったら、不快に思うかもしれない、って思って」 だからずっと言わなかった。――言いたくなかった。 「・・・ジョーのばか」 さっきまで泣いていたはずなのに。 「そんな事、思う訳ないでしょ!それに――何よ、自分の方がずうっと前から私を好きだった、みたいに言って。冗談じゃないわ。私の方がずっとずっとずーーーっと前から好きだったんだから!」 ポケットから写真を取り出して、ジョーの目の前に掲げた。 「――これが証拠よ」 フランソワーズがポケットから取り出したのは、さっき失くしたばかりの2枚の写真だった。 「あっ!!これ、一体何処に――」 手を伸ばすジョーを避けながら、フランソワーズはそれを指さして言う。 「見て。この私、カメラ目線じゃないでしょう?」 じっとジョーを見つめる蒼い瞳。 「・・・わからないでしょう?」 ジョーの答えを待って。でも、何も言わない彼に、寂しそうに微笑んで。 「ジョーには、絶対にわからないわ」 ――僕には絶対にわからない?何故そんなことを・・・ 瞬間、ジョーの心は急速に冷えていった。 それなのに、僕は・・・ こんな表情のフランソワーズなど知らなかった。こんな表情もするんだと新鮮だった。だから――けれどもそれは全て、誰かのものだった。自分は写真を所有しているというだけで、写真のなかの彼女がどんな想いを抱えているのかなど全く知らなかったのだ。 喉が詰まった。 ――他の奴に向けられたものを、僕はずっと・・・ 自分が情けなくなった。 可愛い可愛いフランソワーズ。いったい何を誰を見てこんな表情をしているのか、ずっと知りたかった。でも、こんな答えなら要らなかった。 僕だったら――絶対に、気付く。 軽い嫉妬と羨望と。そして・・・ともかく、彼女の写真を勝手に所有していたことは事実だったので、ジョーは素直に詫びた。 「――ゴメン」 お互いの声がぶつかった。 「・・・えっ?」 今度はジョーだけだった。 「ゴメン、よく聞こえなかったみたいだ。もう一回言ってくれる?」 改めて聞き直されると何だか気恥ずかしかった。 「私が見てたのは、」 思わず声が小さくなってしまう。段々視線も下がっていく。 「・・・ジョー、だもの。」 その瞬間、がしっと両肩を掴まれた。 「きゃっ」 声にならなかった。ただフランソワーズを抱き締めるだけで。 フランソワーズがこんな表情で僕を見てた、って? にわかには信じられない。が、彼女が嘘をつく理由も思いつかなかった。 彼女の視線に気付かない大馬鹿者は――僕だったのか? 「ジョー?」 「それは違うよ」 笑みを引っ込め、真面目な顔で言う。 「僕の方が先さ」 ――そうだ。 一度、天上に上った心が再び下降してゆく。 そうだ。――憶えていないんだから、もしかしたら・・・気を遣ったフランソワーズの嘘なのかもしれない。 何故彼女が自分に気を遣わねばならないのか。それは、他のひとへの視線だと言ったら、自分は酷く落ち込んで、気にするだろうから。全く関係のない自分がこの写真を保有していたこと。――飽かずに見つめていたこと。だから・・・ 優しいフランソワーズは、もしかしたらそういう偽善もするのかもしれない。 「本当に僕を見ていたのかどうかなんてわからないじゃないか」 フランソワーズは目をみはった。 ――何を言ってるの?
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9月26日 写真I
「――ああ、やっと気付いたの」 遅かったね、とピュンマは白い歯を見せた。 「写真?面白いから、リビングに貼っておいたよ――おい待て、って。もうそこには無いよ」 ジョーは口をぱくぱくさせるだけで言葉にならない。 「いつの間にか誰かが剥がして持って行ったみたいでさ。――えっ?イヤ、一枚だけだよ。たまたま落ちてたからね。・・・嫌だなぁ、他人の財布を覗く趣味なんかないよ」 腕組みをするピュンマ。 「あ。彼女に訊いてみたら。――おーい、フランソワーズ!」 ジョーが止める間もあらばこそ。ピュンマに呼ばれてフランソワーズがこちらに来てしまった。 「この前、そこに貼ってあった君の写真、どうなったか知ってる?いつの間にかなくなってたけど」 ひっ!! 心の中で髪が白くなるほどの衝撃をうけたジョー。 「それがどうかしたの?」 やーめーてーくーれー!! ジョーの心の叫びはピュンマには届かない。 「えっ、だってあれは私の・・・」 くるり。 「そうなの?」 まっすぐ蒼い瞳に見つめられるものの、言葉にならないジョーだった。 「だって、あなたが探している大事なもの、って・・・」 黙ったままのジョーから目を逸らし、再びピュンマを見つめた。 「ううん。そんなはずないわ。だってジョーはさっき、「昔好きだったひとの写真」を探してるんだ、って言ったもの」 ああああああっ!!! 縋るような目で彼女を見つめるものの、フランソワーズはピュンマの方を向いているためジョーの姿は目に入らない。 「昔好きだったひとの写真・・・?」 ピュンマが横目でチラリとジョーを見つめる。 「それってつまり、フランソワーズが昔好きだったひと、っていう意味じゃないのかな」 ジョーの顔色の変化を楽しむようにピュンマが言う。 「まさか。そんなはずないわ」 きっぱりと言い切るフランソワーズを見つめ、ピュンマが改めてジョーに問う。 「彼女はそう言ってるけど――そうなのか?」 違う。とも、そうだよ。とも言えなかった。 「ま、違うなら、ジョーに返さなくてもいいか」 ピュンマがそう言った瞬間。 「だ、駄目だっ。それは僕の――」 思わず声に出して言ってしまった。 「・・・ほお」 にやり。 「僕の――何だって?」
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フランソワーズはさっきジョーの部屋から持ってきた2枚の写真をスカートのポケットに入れた。 ともかく、彼の「昔好きだったひと」が誰なのかはわからないけれど――自分は何にも気にする必要はないんだわと言い聞かせ、さっと髪をなでつけると鏡に向かって笑顔を作る。 ――大丈夫。 そして、部屋を出た。
*** ***
フランソワーズが部屋を出て行ってから、ジョーは再び捜索を開始した。が、既にいずれも一度ならず数回探したところばかりだった。 後になって冷静な目で改めて探せば、意外と簡単に見つかるものさ。 そう思っていたが、何度探してもやっぱり見つからなかった。 ――どこを見てるんだろうなァ。 残った2枚をしみじみと見つめる。 ・・・可愛いなあ。 いつもいつも思う。 何で失くしたんだろう? 細心の注意を払っていたのに。
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最悪だった。 写真は見つからない上に、フランソワーズの機嫌まで悪くなっているなんて。 夕食時は、何度もフランソワーズに声を掛けた。が、ひとことも話してくれなかった。 ――いったい急にどうしたというのだろう? そういえば、突然「ひとりで寝ろ」なんて言い出すし。部屋に来るなとまで言うし。昨日まで、そんなことは一言も言ってなかったのに。 どうしたっていうんだろう?
ジョーは、フランソワーズの様子が変なのが気になっていた。 ――こっちで寝ろ、って本気かなぁ。 うんざりと自分の部屋の中を見回す。 いくら自分でやったとはいえ――片付けるの、面倒だよなぁ・・・ 傍らの瓦礫をよけて、床に腰を降ろす。 それにしても、これだけ探し続けて見つからないということは・・・もうここにはないって事だよな。 何かの拍子に一緒にゴミに出されてしまったのかもしれない。 ――くそっ。そんなのって―― 耐えられなかった。 ・・・もしかしたら、これは・・・昔の写真じゃなく今のものに更新しろということなんだろうか。 今のもの。 そこで、デジカメを片手に写真を撮らせてと言っている自分を思い浮かべてみた。 ――駄目だ。絶対、そう言う。 そしてそういう行動をとるであろうことも。 ジョーは自分が写真に撮られるのは苦手だった。 いくらフランソワーズの願いでも、それはちょっとなぁ・・・ とはいえ、彼女が本気でお願いしてきたら、はねつけられるかどうかは極めて怪しい。 ともかく、写真を見つけなければ。 立ち上がる。 誰かが持ち出した? けれども、彼が財布に彼女の写真を入れて持ち歩いているなど、誰も知らないはずなのだ。 フランソワーズの写真が可燃ゴミに出された――というのは、考えると辛くなるので考えないことにした。 誰かが持ち出した。 それしかないのだった。
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最近、財布に触った者はいただろうか? 必死に考える。 ――ああっ!!面白がって、彼女に見せるに決まってる!「ジョーの財布に入ってたよ」とか何とか言って。 頭を抱えてしまう。 ・・・落ち着け。よーく考えるんだ。 誰か財布に触った者はいなかったか?
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10分ほど考えてみた。 どこだっただろう・・・
――ピュンマ。 そうだ。 けれども、もし彼だとしたら、ちゃんと自分に返してくれるはずだった。 とにかく、ピュンマに聞いてみなければ始まらない。 ジョーは部屋を後にした。
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夕食の時も、フランソワーズはジョーと一言も口を利かなかった。
フランソワーズは部屋に篭って、机の上に並べた写真を飽きもせず見つめていた。 ――あーあ。何やってるんだろう、私。 着替えをするのも、お風呂に入るのも、・・・カーテンを引くのも、何もかもが面倒に思えた。全然、身体が動かない。 どうしてこんなに落ち込むんだろう、私。 机に突っ伏して、目を閉じたまま考える。考えることだけは、まだ――面倒ではなかった。 別にジョーに振られたわけでも、嫌いって言われたわけでもないし、お別れを告げられたのでもない。 でも・・・「昔好きだったひと」の写真を探すために、あんなに一生懸命になるんだ? 今まで彼が何かを失くしたのは何度か見ていた。が、あそこまで徹底的に探すのを見るのは初めてだった。 ・・・「思い出」なんかじゃないのかもしれない。 ・・・・・・・・・。
「――!!」 そこまで考えた途端、がばっと体を起こした。 「もうっ。ばか!!」 両手で自分の両頬をぱしんと打った。 「何考えてるのよ、フランソワーズ!!」 もう一回。 「――もうっ。いい加減にしなさい!」 ジョーがそんなつもりで私と一緒に居るわけないじゃない!いったい何を考えているのよフランソワーズ! なれない。 一度気になったら、きっとずうっと気になってしまう。 ――俺の、昔好きだったひとの写真。 ジョーがそう言った時の顔を思い出してみる。 ・・・平気な顔してた。さら、っと言って。そのあとも、にこにこしてこっちを見てた。自分のセリフの重大さに全く気付いてないみたいだった。 ――昔好きだったひと。 今は? ・・・今は。 今は――私よ。 ジョーは誰にでも優しい。それは昔から、ずっとそう。 そんなジョーが、私に故意に辛い思いをさせるだろうか? ――絶対に、ない。 あるいは、もしかしたらジョーは・・・自分の言ったひとことが、これほど攻撃力のあるひとことだったなんて全く気付いていないのかもしれない。 「昔好きだったひと」 好き「だった」。過去形。 言っても構わないということは、つまり―― 私が落ち込む必要なんて、ないってことだわ!!
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それは、ずうっと昔のきみの写真だからだよ。
――とは、言えず。 だから、代わりに 「それは・・・僕の――俺の、昔好きだったひとの写真だからさ」 うん。これなら、嘘じゃないぞ。 咄嗟に考えたにしてはうまい事を言ったもんだとひとり悦に入る。 「――昔」 一方、フランソワーズは。 ジョー、いま自分のことを「俺」って言った?と、いうことは――私に出会うよりも、ずーっとずーっと前の事なのかしら。・・・昔、好きだったひと、って・・・。 自分とは恋人同士のはずではなかったか。 もちろん、彼が過去に誰を好きだったとしても関係ない。自分はいまの彼が好きなんだし、それに――いくら恋人とはいっても、彼の過去や心の中まで独占できるわけがなく、踏み込んでいいものとも思えなかった。 心の中が波うった。 「――あ、」 何か言わなくちゃ。 落ち着くのよ、フランソワーズ。――大丈夫よ。だって、ジョーは「昔好きだった」と過去形で言ったわ。 「・・・3枚も失くしちゃったの?」 我ながら、なんて返事だろうと思う。どうしてもっと気の利いた事が言えないんだろう? 「えっ、どうしてそれを」 フランソワーズの指摘に微かに頬を赤らめて、ジョーは彼女から目を逸らした。参ったな、と小さく呟いて。 「大事なものなら、ちゃんとしまっておかなくちゃ駄目じゃない」 ――可愛く言えていただろうか? 「ウン。本当にそうだね。――ちゃんとしまっておいたはずだったんだけどなぁ・・・」 ジョーは、自分の思惑通りに事が運んで上機嫌だった。なにしろ、ずうっとここにフランソワーズに居られたら、探せるものも探せない。出先で失くした写真はおそらく――移動中は取り出したりしないのだから、ここ、ギルモア邸の自分の部屋のどこかにあるに決まっているのだ。 ほっとしたような顔のジョーを見つめ、フランソワーズは心が重くなった。「見られたくないでしょう?」と訊いたあとの彼の「そうだね」は――あまりにも早くなかっただろうか? 「――フランソワーズ?」 自失していたフランソワーズは、ジョーの声にはっと顔を上げた。 「その、・・・探すから、ちょっと」 思えば、自分はここに洗濯物を持ってきただけなのだった。それも、さっき床に倒れていたジョーを見つけた時にそこらに放り出してしまった。綺麗に畳んであったのに、ばらけてしまっている。 「――邪魔してごめんなさい」 自分が部屋を出るまで見守っている風のジョー。その視線を背中に受けつつドア口に進むと、くるりと振り返った。 「・・・今夜からは自分の部屋で寝てちょうだい」 彼のベッドは物置と化しているのだった。 「いや、それは困るよ。寝るところないし」 嘘である。 「えーっ」 駄々をこねるようなジョーの声にも反応せず、「じゃ、そういうことだから。来ないでね」と言い残し、フランソワーズはドアを閉めた。 残されたジョーはしばしそのまま立ちすくんでいたものの、しばらくして大きく息を吐いた。 ・・・うまくいった。いやー、どうなるかと思ったよっ・・・。 大体、後生大事にフランソワーズの昔の写真を持ち歩いていて、しかもそれが盗撮まがいの代物だなんて彼女にばれたら、いったい何て思われるだろう? そんな事がばれたら、彼女の顔をマトモに見れやしない。 だから。
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自分の部屋に篭って、フランソワーズは机の上に3枚の写真を並べていた。 どうして彼がこのうち2枚を握りしめていたのかは謎だったが――今となっては、そんな事はどうでもよかった。 ――この頃の、私。 何しろ、ネオブラックゴーストとの戦いの日々だったのだから。 ずっと片思いだった。 ・・・そうかしら? だって、今。何だか昔みたいに――片思いしているわ。 ジョーが昔好きだったひとなんて知らない。――マユミさん? いま現在、それは続いているのか、それとも彼の中で完全に過去の話なのかはわからなかった。
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「――あれ?・・・ふらんそわーず・・・?」 膝の上から声がして、フランソワーズは手に持っていた写真を傍らに伏せて置き、声の主の方を見た。 「・・・ジョー。こんなところで寝たら風邪ひくわよ?」 自分の手を目の前に持ってきて、それが空手なのに気付くと勢いよく飛び起きた。あやうくフランソワーズに頭突きをかますところだった。 「もうっ、気をつけて」 上の空で答え、慌てて周りをキョロキョロ見回している。 「――何か探しもの?」 なおも固辞するジョーを見つめつつ、先程傍らに置いた写真をそうっと自分のスカートの裾で隠す。 「――おかしいな、どこに落としたんだろう・・・?」 瓦礫の山を崩しながら、新たに山を作っている。それに夢中で、フランソワーズへの注意はおろそかだ。 「・・・ジョー?」 フランソワーズの声に相槌をうちながらも、捜索の手は緩めない。 「――無いなぁ。・・・おかしいな。いったいどこへいったんだろう?」 ブツブツ呟くジョー。 「やばいなぁ。これで失くしたら3枚だろ、・・・うわー、勘弁してくれよ」 フランソワーズに聞こえていることなど全く失念している様子で独り言は続く。 「・・・あれしかない、っていうのに・・・クソっ、ここにもないか」 まさかと思いつつ訊いたのに、あっさりと肯定されて一瞬言葉を失った。 だってまさか。――この写真を探して、部屋がこの有様だというの? スカートの下に隠した写真をそうっと指先でなぞる。 ――でも、違うわよね?だって、写真を失くしたなんて一言だって言ってないし、大体、ジョーの言葉を信用するなら、何かを3枚失くしたみたいだし。でも、いまここにあるのは2枚で・・・ 頬に片手をあてて考える。 今、捜索しているのがここにある2枚の写真として。――とりあえず、そう仮定して。 「――ねぇ、ジョー?」 考え込んでいる間に、捜索者はずうっと離れた部屋の隅でクローゼットを覗き込んでいた。 「探し物って、そんなに大事なものなの?」 フランソワーズの声が聞こえたのか、屈んでいた腰を伸ばしてジョーが振り向いた。 「そりゃそうさ!だってそれは」 それは? |
――どうしてジョーが私の写真を持ってるの? いや、彼が彼女の写真を持っているというのはごくごく自然なことではあった。 しかも、時期がまちまち。共通しているのは、片思いしていた頃というのだけで・・・ ぱっと頬が熱くなった。 ヤダわ、ジョーったら。そんなに前から、私のこと・・・? 自分の方が、彼に片思いしていた期間が長いと自負していた。もちろん、彼とその長さを比べたことはないけれども、それでもおそらく自分の方が長いと信じて疑わなかったのだが。 でも、本当にこれって・・・いつ誰がどうやって? 全く覚えがないのだった。 それに、ズルイわ。ジョーばっかり。私はジョーの写真なんて持ってないのに。 写真に撮られるのが極端に嫌いな彼は、写メでさえも撮らせてくれない。だから、ツーショット写真はおろか、プリクラだって撮ったことがないのだ。だから、フランソワーズの手元には彼の写真は一枚もなかった。 一緒に写ってる写真が欲しいわ。 何度か言ってみたことはあるけれども、最近では言うのをやめている。何故なら、ペアリングを買ってもらったし――それでいじゃないかと言われたばかりなのだから。 私だって、あなたの写真が欲しいのに。
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帰国してからのジョーの様子は変だった。 イタリアグランプリでの事が尾を引いているのかと思い、フランソワーズは深く追求はしなかった。 イタリアの、高速サーキットであるモンツァ。
「ジョー?いるの?」 洗濯物を持ってジョーの部屋をノックする。完全に閉まっていなかった扉は、ノックとともにゆっくりと開いた。 「・・・ジョー?」 中を覗くと、部屋の惨状は相変わらずで――念入りに捜査された後のように、机の中身も本棚の中身もクローゼットの中身も、全てが床にぶちまけられていた。そして、部屋の主も。 「まっ・・・ジョー!なにやって」 ぶちまけられた色々なものに埋もれるように、ジョーがいた。ぴくりとも動かない。 「大丈夫?」 洗濯物を放り出し、遭難者を助けるべく瓦礫の山を突き進むフランソワーズ。 「ジョー?」 返事がない。 「ジョーってば。しっかりして!」 耳元で呼んでみる。が、瞼はぴったりと閉じられていた。 「・・・寝てるのかしら」 なんでこんなところにこんな不自然な格好で。という疑問は、とりあえず脇に置いた。 「・・・?」 大事そうに、彼の手が握りしめていたもの。どうやら熟睡しているだけのジョーの手が緩み、そこから落ちたようだった。 「・・・・何よ、コレ・・・・」 それは、彼女自身の写真だった。いつ撮られたのか全く記憶にない。どうやら、こっそり撮られたもののようだった。
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ベルギーグランプリは無事に終わった。 もしも、彼を悩ませている事があるとするならば、それは「いったん日本に帰る時間はない」ということだろう。 写真を失くしてしまった。 と、いうことだった。 ――どこで失くしたんだろうなぁ・・・ 移動中の車内で、流れてゆく景色をぼんやりと見つめながら考える。 あのフランソワーズ、すっごく可愛いのになぁ。 まだお互いの気持ちが通じ合う前の、片思いしていた頃の彼女の姿。 フランソワーズ。 いったん思い出すと、それはもうどんどん思い出されてくるのだった。 「おい。なにニヤニヤしてやがる。気持ち悪いな」 横からグーで小突かれる。 「うるさいな。俺の勝手だ」 図星だったので、ふいっと視線を逸らせる。 「あんまり我慢すると身体に悪いぞ?」 つんつん、と彼の左手をつつく。 「――なんで」 それこそ、みんなしているのだ。既婚未婚に関わらず。 「ファンが減るぞ?」 ジョーはもたれていたシートから身体を起こすと、じいっとスタッフの顔を見つめた。 「――あのさ。俺はとうにスクープされているし、どのファンもうすうすわかっているはずなんだ。今更、どうコソコソしても無駄な抵抗だと思うけど?」 そう言ってジョーは左手に嵌めた指輪にそっとキスをした。 「――外さないよ」
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「・・・あら。なにこれ」 貼ってある写真を無造作に剥がし、手元に引き寄せてしみじみと見つめた。 「・・・いつの写真?」 と言ってみたものの、撮られた覚えもないのだった。 「ねぇ、これ――」 振り向いて誰かに質問しようとしたのだが、あいにくリビングは突然無人になってしまっていた。 「・・・さっきまでみんないたのに」 ため息をひとつついて、再び写真を見つめる。
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フランソワーズは自分の部屋に戻り、ベッドの端に腰掛けて写真をじっと見つめていた。 あの頃の私は、ジョーに片思いで・・・ ふっと切なくて苦しかった頃のことが頭をよぎった。 イヤ。駄目よ、思い出したら。 ジョーの事が好きで好きで、大好きで・・・でも言えなくて。ジョーには他に大事なひとがいると勝手に思っていた。 ――思い出したら、駄目なのに。 そうっと写真をベッドの上に伏せて置く。 ジョーに会いたい、な。 ネオ・ブラックゴーストとの戦いの最中に彼への気持ちに気がついた。 ・・・ううん。言えずにいたけれど、ジョーにはわかっていたのかもしれない。 少しずつ、お互いの距離が近付いて、なんとなく気持ちが通じ合って。 あのとき、お互いの気持ちがはっきりわかって、そして。 初めて恋人同士のキスをしたんだったわ―― 今でも思い出すと少し恥ずかしい。よくも何も言わずにそうなったと思う。 何も言わずに。 ――何も言わずに? あれ? 何も・・・言ってない? まさかそんなはずは、と頭を振り、もう一度記憶を辿ってみる。 あの時、お互いに見つめ合って、そうしてどちらからともなく腕を伸ばして抱き締めて、そして・・・ そして・・・・ ・・・・・・・・あれ? 私、ジョーに何も言ってない。――かもしれない。
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ベルギーのスパフランコルシャンサーキット。 好きなコースの一つだった。 確か、デビューした年はこのコースで初の表彰台に上った。 壁のように立ち塞がる「オー・ルージュ」。ここを制した者が勝つ。 レースに備え、雨の中、コースを歩くのもいつものこと。 ジョーは感慨を胸に、けれども新たな気持ちで坂を上って行く。
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ホテルに戻り、そのままソファに沈み込む。 いつものこととはいえ――こうも天気が変わりやすいとセッティングをどうするか、戦略は。といったミーティングは永遠に続くと思われるくらい長かった。 ソファに身体が埋まった状態で、ジョーは携帯電話を取り出した。が、電話をするわけではなかった。 「あれ?」 思わず声に出して言い、ついでにソファに埋まっていた身体も引き起こす。 「おっかしいなー」 もう一度声に出すと、今度は立ち上がった。 「・・・おかしいな」 再び言うと立ち上がり、今度は自分の荷物という荷物を引っ張り出し、片端から開けてゆく。 「無いなぁ」 軽く首を傾げ、今度はもう一度財布を覗く。 計4枚が並べられた。ついでに札も無造作に置かれ、財布も中身を全て出されてさかさまに振られた。 「・・・なんで無いんだろう?」 わからなかった。 「どこかで落としたかな」 だけど一体どこだろう?まさかコースじゃないだろうな・・・? ぞっとしつつ、念のためにコースをもう一度見に行こうかと思いかけ、いや待て落ち着けと自分を諌める。 彼のお気に入りの1枚というのは、フランソワーズのバレエ着姿のものだった。 「ああっ、もうっ。またグレートに頼むのかよっ・・・」 頭をぐしゃぐしゃと掻いて、再びソファに沈み込んだ。 このことはフランソワーズには絶対に言えない。 けれどもジョーは知らなかった。
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しばしお嬢さんの顔をじいっと見つめて。 「・・・そういえば、ピュンマ、何だかたくさん持ってたな」 ・・・僕の服や財布は違うよなぁ。どう考えても。だって、それを視てフランソワーズが「駄目」っていう訳ないし。 ヒントはたくさんあったはずなのです。 手紙・・・みたいのもあったよなぁ。でも、持ってこられなくはないし。 そうなのです。材質が紙でも、防護服のポケットにしまってしまえば摩擦はおきないのですから、燃えることもありません。 てことは・・・ 残ったのはウサギのぬいぐるみしかありません。両手で抱えるくらいの、ちょっぴりくたっとした真っ白いウサギ。 え。まさか、ソレ? 思わず、お嬢さんの顔をじいっと見てしまいます。と、慌てて目を逸らすお嬢さん。その様子にやっぱり可愛いなぁ・・・としばしホワンと見惚れながらも、頑張って考えます。 でもなぁ。ウサギのぬいぐるみであんなに動揺するだろうか。 けれどもやっぱり、消去法でいくと残るのはぬいぐるみなのです。 えぇい、いちかばちかだ。 「ねぇフランソワーズ。君が視たのってもしかして・・・ウサギ?」 途端にびくっと身体を震わせ、真っ赤になってしまうお嬢さん。 「・・・もう。どうしてわかったの?」 ジョーの防護服の裾を掴んで小さく言うのです。 「んっ・・・そりゃー、愛があるからね」
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いちかばちかで大当たりしたジョー島村なのですが、胸にお嬢さんを抱き締めつつも何だか腑に落ちません。 「・・・ねぇ、フランソワーズ。あのウサギが」 けれども、言いかけてはっと黙るのです。何故なら、「あのウサギがどうかしたの」と言ってはいけないような、なんだかもやっとしたものがよぎったから。何だか、後を続けてはいけないような気がするのです。物凄く。 「ジョー、もしかして覚えてるの?」 え。 内心、汗だくになりつつも綱渡りのような会話を続けます。探り探りの会話の押収なのです。 「・・・やっぱり、ジョーね。ちゃんと覚えてるなんて」 へっ? 「・・・あの頃はデートひとつも緊張したものよ。お店に入るのだって、あなたが一緒だと何を見てるのかわからなくなってしまって」 お店? 「落ち着かなかったわ。だって、目を離したら、絶対あなたはどこかに行ってしまうって思っていたから」
『それ気に入ったの?・・・可愛いね。君に似てるから、連れて帰る?』
約一年前。 「もうっ・・・ジョーのばか」 でも好き。
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今日は「防災の日」。 「いーい?私が視てからすぐよ?」 フランソワーズとジョー島村なのです。 「私が視たものを持ってくるのよ」 真剣な顔で言い放ったお嬢さんを見つめ、ジョーは再度ため息をつきました。 「君が視たもの、っていったって・・・いま僕には視えないんだから、わかるわけないと思うんだけど」 「大体さ。君が視たものを僕が持ってくるなんて、何だか犬みたいじゃないかな、僕」 冗談のつもりなのか本気なのか、わからないんだよなー・・・ 一瞬、天を仰ぎ、結局はお嬢さんに従ってしまうのでした。 「いい?視るわよ?」 そもそもこれは、ふたりで勝手に始めた「訓練」なのです。ただひとりの犠牲者を除いて。 「だって・・・」 微かなカチリという音とともに自分の手に残されたマフラーを見つめ、ほうと息をつくお嬢さん。
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