「ある朝の出来事」


 

 

「うわっ」

ジョーはいきなり襲われた。
まだ完全に熟睡していた早朝、自分の上にのしかかるその重さで息が詰まった。

「や、やめっ・・・」

やめろ、と言いたいがその唇を塞がれ声が出せない。
なんとか身体を引きずり出そうと試みるものの、完全に組み伏せられ手も足も出ない。
せめて毛布の上からだったら何とかなったかもしれない。が、ジョーは全ての上掛けを跳ね飛ばして寝ていたので、毛布も上掛けも無惨に床の上だった。
直接肌に触れるのがくすぐったい。

「頼む、やめて・・・ください」

首筋を舐められ、そのくすぐったさに身をよじる。

「ほんと、もう・・・」

こんな姿をもしもフランソワーズに見られたらどうなるか。
いくら寝起きでぼんやりしているとはいえ、そのくらいの頭は働く。
かといって自分が本気を出して胸の上を払いのけたら、簡単に床に叩きつけてしまうだろう。それはできない。
いくらピンチとはいえ、女の子にそのような酷い仕打ちをする気にはなれなかった。

「ね、頼むからっ・・・」

フランソワーズが見たら。
絶対に、怒る。それはもう冷たく静かに怒るだろう。僕のせいではないのに。

 

***

 

彼女は昨夜から、ここギルモア邸にいる。名はローズという。
ジェットの友人であるというが、本当かどうかはわからない。
ともかく、昨夜ここに来て以来、どうやらジョーをいたく気に入ったらしく、ずうっと彼にぴったりくっついたまま離れなかった。
別にジョーが何かしたわけではない。
しいて言えば、彼女のグレイの瞳が珍しくて、じいっと見つめてしまったことだろうか。

「しいっ。ローズ。頼むから。ここにきみが居るのがフランソワーズにばれたらやばいんだって」

それでもローズは聞かない。執拗にジョーの頬にキスをする。

「ああもうっ、頼むからっ・・・」

そう言いかけたジョーの耳に、階段を昇ってくる足音が聞こえた。
フランソワーズほどではないが、ゼロゼロナンバー中ジョーの聴覚は最も強化されているのだ。

――この足音は、フランソワーズ。

ジョーは身体の上にいるローズを何とか降ろそうとその腰に手をかけた。
が、ローズは簡単には捕まってくれない。身をよじり、ジョーの手からするりと抜け出す。

「ローズ!いい加減に・・・」

その時、ジョーの部屋のドアが開いた。

 

***

 

「ジョー?そろそろ起きる時間・・・」

笑顔で入って来たフランソワーズは、ベッドの上のジョーとローズを見つめて固まった。

「あ、フランソワーズ。良かった、助けてくれ」
「・・・・・・・」

フランソワーズはゆっくりと部屋に入ると静かにドアを閉めた。
目を細めてベッドの上のジョーを見つめる。

「・・・これはいったい、どういうこと?」
「いや、だから」

フランソワーズが入って来た時に一瞬そちらを見たものの、すぐに興味を失くしたのか、ローズはジョーの肩に顔を埋めて甘えている。

「説明してもらいましょうか、ジョー」
「いや、だからこれは」
「・・・どうして部屋に入れたの?」
「ちがっ、僕が入れたんじゃない、勝手に入ってきたんだ」
「・・・勝手に」
「そう、勝手に」

ジョーの胸の中で丸くなっている彼女を見つめ、フランソワーズはため息をついた。

「・・・お楽しみ中、お邪魔したようね?」

そのままくるりと向きを変えて部屋を出て行こうとするその背に、ジョーは慌てて声をかけた。

「フランソワーズ、待って」
「イヤ。そのまま仲良くしてればいいじゃない」
「フランソワーズ。頼む」

切羽詰まったその声に、フランソワーズは振り向いた。
ジョーの顔があまりにも情けなく見えて、二度目のため息をつくと彼のそばへ行った。
そして、びしっとローズを指差し、凛とした声で言い放つ。

「・・・ローズ。そこから降りなさい。そこはあなたの場所じゃないのよ」

しかしローズは答えない。全く無視の体勢である。

「ローズ。いい加減にしないと怒るわよ」

そっと彼女の背に触れた途端、ローズはびくんと身体を起こし、ひらりとジョーの上から飛び降りた。
そして、じっとフランソワーズを見つめる。
グレイの瞳。
フランソワーズも負けずに見返す。
蒼い瞳。
どちらも一歩も引かない。先に目を逸らせた方が負けなのだ。

「フランソワーズ」
「ジョー!邪魔しないで」

ぴしゃりと言われ、ジョーは口を結んだ。

無言の時が流れていく。

先に目を逸らせたのはローズだった。
フンと鼻で嗤ったように見えたのは目の錯覚だろうか?
ともかく、諦めたように――それでも優美さを失うことなく、つんと顔を上向かせ歩き出した。
足音もしない、体重を感じさせない移動は優雅としか言いようがなかった。尻尾をクエスチョンマークの形にして、フランソワーズが細く開けたドアからするりと出てゆく。

「・・・いやあ、参ったよ」

ジョーが大きく息をついた。

「いきなり入ってくるんだもんなぁ。フランソワーズ、今朝部屋を出て行くときドアをちゃんと閉めなかっただろう?」
「そんなことないわ。閉めたわよ。――それより、もう。どうしてくれるの?」

ベッドの端に腰掛けて、シーツの上に落ちている猫毛をつまむ。

「部屋に入れちゃダメって言ったのに」
「だからそれは僕のせいじゃないってば」

ローズは昨夜ジェットが連れて来たシャム猫である。
友人から一晩預かって欲しいと言われ連れて来た――が、その世話をフランソワーズに任せ自分はさっさと寝てしまった。
フランソワーズは、ローズのその見事な毛並みと優美な立ち姿にすっかり惚れて、ずうっとかいがいしく世話をやいていたのだが、ローズのお気に入りはジョーだった。

「猫毛だらけよ?どうしてくれるの」
「・・・全部替えるしかないだろ」
「誰が替えるの」
「・・・・・・・・・僕?」

おそるおそる自分を指差してみる。
フランソワーズはちらりとジョーを見つめ――パジャマの胸元がはだけ、半分肩が出ている姿に再び大きく息をついた。

「もうっ・・・ジョーを起こすのは私の役目なのに」

ローズのお気に入りがジョーだとわかった時点で、フランソワーズとローズの間には見えない火花が散っているのだった。
昨夜まではドローだったのに、今朝ローズにジョーを起こす役目を奪われ、フランソワーズは朝から一敗を喫した。

「えっと・・・だったら、また寝ようか?」
「寝るの?こんな毛だらけのトコロに」

どうすればフランソワーズの機嫌が直るのか、ジョーは途方に暮れた。

「もうっ・・・。私、こんなトコロに寝るのはイヤよ?」

そう聞いた瞬間、ジョーはベッドからさっと降りて、シーツを剥がし始めた。

「・・・ジョー?」
「僕が全部替える」
「あらそう」
「フランソワーズが一緒に寝てくれないと困る」
「・・・困るの?」
「ウン」

ジョーの一生懸命な横顔を見つめ、フランソワーズはくすりと笑みを洩らし――そのまま彼の背中に腕を回した。

「・・・そんなに私がいないと寂しい?」
「寂しいなんて言ってないよ」

フランソワーズはジョーの背中に頬を寄せて、嬉しそうにくすくす笑った。

「もうっ・・・ジョーはダメね。私がいないと」