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しばらくののち。
二人で協力してフランソワーズの着衣を整えた後――何しろ、胴衣をきちんと重ね合わせ、背中のリボンを結ぶなどやった事がないのだ。フランソワーズはメイドに手伝ってもらっていたし、ジョーに至っては婦人の着衣を脱がせるならともかく着せるなどしたことがなかったのだから。
二人でくすくす笑い合いながら、なんとか見てくれよく整え終えた時はほっとしたため息とともにソファに倒れこんだものだった。

「・・・あの、ジョー?」
「――ん?」

ソファの背もたれに全身を預けるように沈んでいたジョーは、そのはしっこにちょこんと腰掛けているフランソワーズを見つめた。
綺麗だった。先ほどの汗ばむほどの熱い抱擁も良かったけれど、今の少し恥らって離れて座る彼女もまた格別だった。
頬を染めて、少しうつむいて。でも、亜麻色の髪ごしにちらちらとこちらを見つめるその蒼い瞳。これが全て自分のものになったなどとジョーには信じられない。

「このことを知ったら、兄は・・・あなたをただではおかないと思うのです」
「・・・ふむ」
「だからその、これは――今晩のことは、二人だけの秘密ということで・・・」
「なぜ?」
「――それは」

あなたの気まぐれでこうなったに過ぎないからです――とは言えず。
自分は、いまこの瞬間でさえも彼に惹かれており、その胸に飛び込みたくなる衝動を抑えるのに精一杯であるというのに、目の前にいるジョーは絶対にそうはならないということがわかっているからだった。
胸の奥がぎゅっと痛くなるくらい、わけもなく泣いてしまいそうなくらい、恋しくて愛しいひと。なのに彼は自分に対してひとかけらの愛情もないのだ。

「・・・そうだな。そのほうがきみのためにもいいかもしれない」

秘密にして欲しいと言われ、ジョーの心は重く沈んだ。今夜のこの関係は秘密にしなければならないという種類のものだとは思ってもいなかった。堂々とそう告げて、アルヌール伯爵へ彼の妹との結婚を申し込むつもりでいたのだ。
だが、当のフランソワーズにはそういう気はさらさらないらしい。どうやら、今夜の彼女にとって初めての経験はそう大きな意味をもつものではなかったようだった。
ただの好奇心だったのだろうか。それとも、黒い幽霊団からの逃避行という非日常的な事態に興奮して、いつもならしないことをしてしまっただけということか。

フランソワーズはジョーの言葉に身体を硬くした。
やっぱり。彼は自分のことなんて一夜の相手としか思っていなかったのだ――と。
だとしたら、自分のこの気持ちを彼に悟られてはいけない。そんなことは、あまりにも自分が惨め過ぎる。そう、彼がそう思っているように彼自身もまた一夜の相手にすぎないのだと、そう思わせなければ。黒い幽霊団から逃げてきて、その急転直下の事態についてゆけず、なりゆきでこうなってしまっただけであなたの事が好きなわけではないのだと。

「――もうすぐ夜が明ける。これまで追手がないということは、私たちは無事に逃げおおせたということだ。私と一緒にいたと思われるとまずいから、もう少ししたらきみを伯爵邸まで送り届けよう」
「・・・はい」

ことさら冷たく、ビジネスのように言うジョー。彼もまた本心を覆い隠していた。秘密にしろというなら、そうしてやろう。どうせ私と彼女は身分が違いすぎる。もし婚姻を申し込んだとしても一笑に付されるだけなのだから。
婚姻という二文字が浮かんだときにジョーはあることに気がついた。確か彼女は、結婚相手を見つけるために近々社交界デビューするのではなかったか。となると、舞踏会へ行けば彼女とはまた会えるだろう。例え、他の男と踊っているのを遠くで見るだけだとしても。それでも良かった。この先一生会えないわけではないのだから。

フランソワーズも先ほどの出来事は二人の間にどんな絆も生まなかったのだと思わせるような、冷たい声で答えていた。
悟られてはいけない。彼に恋していることを。

 

 

***

 

庭園を見つめて、フランソワーズは大きく息をついて物思いから覚めた。
また会いたいなんて、とても言えるわけがない。ましてや、その腕に抱き締められたいなどと。

彼が兄へ自分との婚姻を申し込んだとはいえ、あの日以来彼の姿を見ていなかった。伯爵邸にはちらりとも姿を見せない。
それは彼が自分への義務だけで申し込んだ結婚に過ぎないとそう暗に示しているかのようだった。
ジョーは自分を愛してなどいない。ましてや恋してなど。ただ情を通じたというだけで、妻に娶ろうとしているだけなのだ。

エッカーマン伯爵。
アラン子爵。

以前より求愛されているどちらかと結婚するはずだった。
社交界で夫を探すというのは名目で、この二人のうちどちらかを選ぶにあたり、社交界で決めたというのは最もな口実となるはずだった。
きっと、このどちらかと添うことができたなら、そのほうが幸せだったかもしれない。
少し前の自分はそう思っていた。どちらも立派な非の打ち所のない紳士なのだ。それに引き換え、シマムラ子爵は悪い噂に事欠かなかった。押し出しの堂々とした体躯に整った顔立ちであったとしても、あの瞳が全てを拒んでいた。

でも、私は――あの方の瞳が好き。

自分をまっすぐ見つめる瞳。熱いまなざしも、冷たく突き放すような視線も。どれも忘れられなかった。
だから。

たとえ彼が私のことなどただの義務で娶るだけだとしても――私はそれでいい。彼のそばにいられるなら。