平ゼロ

 

 

 

寂しくなって追いかけてきたわけじゃない。うん。心配だったからだ。


誰かに冷やかされたわけでもなく問われたわけでもないのに、平ゼロジョーは心のなかで何度も繰り返していた。そうでなければ何故自分が彼の地――イタリアにいるのかという理由があやふやになってしまうような気がしていた。


『寂しくなったからついてきちゃった、なーんてかっこ悪くて言えないわよねぇ』


出発前に言っていたフランソワーズの声が甦る。

そうさ。まさか本当に寂しくなって来てしまった…なんてわけ、ないじゃないか。

それにあの時のフランソワーズの言い方はからかっているようだった。まるで年下の弟に言うように。

しかし。

…それだけじゃなかったような気もするんだよなぁ。

それが気になる。
海を見ながらジョーが出した結論だった。

出発前の彼女との会話を繰り返し思い出しているうちに気付いたのだ。
他愛もない遣り取りで、いつものように自分を子供扱いして妙におねえさんぶりたがっているだけだろうと思っていた。が、どうもなんだか違っていた…ような気がするのだ。
それが何なのかはわからない。はっきりしない。が、気になるものは気になる。
それは、彼女が帰ってくるまで日本でじっと待って答えを出すようなものではないような気もした。かといって彼女が答えを出してくれる…というようなものでもないという気もしていた。
そんなことをぐるぐる考え続け、結局――イタリアに行くことに決めたのだった。

だから、「寂しくなって」追いかけてきたわけではない。

ジョーは自分のなかでその部分を特に強調した。念押しするように。

僕はフランソワーズが心配だったからだ。

大きく頷く。

だってフランソワーズは003なんだ。003は敵に狙われやすいし、他の003たちだってもれなく攫われた経験を持っている。今回だって003ばかりで出かけてみんな攫われたらどうしたらいい?
他の009たちがどうしているのかは知らないけれど、僕は――全ての003が攫われていたとして全員を救出しなければならないと言われたらそれはちょっと難しいけれど――自分の003だけはなんとしてでも守る。それが009である僕の使命だ。

そう心の中で言い切って、そしてちょっと首を傾げた。
なんだかそれだけじゃ足りないような気がしたし、自分に正直ではないように思ったのだ。

…………ま、009かどうかはあまり関係ないけど。

例え自分が009ではなくてもフランソワーズを守る。そう決めているのだ。
彼女を守るのは使命でもなんでもなく、ただそうしたいからしている。それだけのこと。
しかし、そう言い切るのにはまだ少し自信が無かったから、「使命」という大義名分を使用しているのだった。
それにもしかしたら自分よりもっとうまく彼女を守れる者がいるかもしれないではないか。だとすれば、潔くその役目を譲ったほうがどれだけ彼女のためになるか知れない。
だから、彼女を守るのは自分だとまだ大声で言い切る勇気は彼には無かった。

ともかく、ジョーはフランソワーズたちが泊まっているホテルを難なく見付け――とりあえず周囲をぐるりと巡ってみたのだが。


「おい、そこの日本人。何をしている?」


あっけなく捕まってしまった。

 

 

 

 

みんな買い物に出かけてしまってひとりホテルに残っていた平ゼロフランソワーズは、お昼近くになって何か食べ物を買ってこようと外に出た。
今日は何だか気分がのらず、ホテルで大人しくしていたのだった。
しかし、考え事をするのも飽きてきたし――外は天気が良かったから気分転換も兼ねてお昼ゴハンを買うことにしたのだった。

そしてホテルを出たところでジョーを発見した。


…ジョー?


いやまさか、彼がいるわけがない。きっと見間違いだろう。
そう思って目を数回瞬き、目頭を押さえ、そして――再び目を遣った。

赤褐色のぼさぼさの髪。見る角度によっては赤く見える瞳。
頼りなげな雰囲気の細身の青年。

やっぱりジョーだった。


…どうしてここに…?


そう思うと同時に


…何してるのかしら。


眉間に皺が寄った。
何しろ、明らかに様子が変なのだ。現地のポリスらしき数人に取り囲まれている。…が。

フランソワーズはそうっと近寄っていった。

 

 

 

 

どうも様子がおかしいぞ。


ジョーは数人のポリスらしき男たちに囲まれ職務質問らしきものをされながら、内心、首を捻っていた。
ポリスのようだけれど組織立っていないし、何より質問にも系統立ったものがない。ただだらだらと時間稼ぎをしているようなのだ。

これは――もしかして観光客を狙うという例のアレか?

そう思った時だった。


「ちょっとあなた、何やってるの!」


凛と響く声とともにジョーの背後の男がぎゃっと悲鳴を上げて歩道に倒れた。
100キロはあろうかという巨漢である。それが地響きをたてて受身もとらずに地に這ったのであった。
途端、ジョーを囲んでいた男たちが散開した。

「このひとたち泥棒です!」

倒れた巨漢の背後から現れたのは金髪碧眼の女性だった。
彼女の声にホテルから警備員が駆けて来るのが見える。

「いま、彼からお財布を取ったのよ!」

ほら、と掲げられたのはさっきまでジョーのジーパンのポケットに入っていた財布だった。
巨漢が握り締めていたものをもぎりとったのだ。

「あ」

ジョーは尻ポケットに手を遣った。空っぽだった。

「あ、じゃないわよもう」

ジョーはその手に財布を渡され、まじまじと財布と女性を見比べた。

「…フランソワーズ。どうしてここに?」
「それはこっちの質問よ。どうしてここにいるの?そしてどうして平気ですられてるのよっ」
「それは」
「おかげでこっちは重労働だわ」

確かにそうだった。巨漢を見事に倒したのだ。が、何をどうやって彼女が彼を倒したのかジョーにはわからなかった。

「…強いんだなぁフランソワーズは」
「ジョーが弱すぎるんじゃない?」
「うーん。そうかなぁ」
「そうよ。あなたはもっと警戒心を持たなくちゃ駄目よ」
「えー。いいよ別に」
「どうして?今だって私がいなかったら、あなたお財布をなくしてたのよ?」
「…そうだけど」
「009の時はそうでもないのに、普通の時って全然駄目ね。どこかにスイッチでもあるんじゃないかしら」
「…そうかもね」
「そうかもねじゃないでしょう。もうっ」

旗色が悪くなってきたので、ジョーは話題を変えることにした。

「これからどこかへ行くところだったんじゃないのかい?」
「あ。ええ、そうよ。お昼を買いに」
「僕も行っていいかな」
「いいけど…」

そういえばどうしてここにいるのかの質問に答えてもらってないことにフランソワーズは気がついた。が、それを口にする前にジョーに腕を掴まれた。

「これ、今の?」

フランソワーズの右手の甲に擦り傷ができていた。

「あ。…ちょっと力がはいりすぎちゃって」

離して、と手を引くがジョーは険しい顔をしたまま離さない。じっと傷口を見つめている。

「――ごめん」
「え。ジョーが謝ることじゃないじゃない」
「フランソワーズがいるって知ってたら怪我なんかさせなかった」
「えっ?どういうこと…?」
「奴らは無害だってわかってたから、そのうちどうにかなるだろうと思ってたんだ」
「え…」

ではジョーは全く危機感を覚えていなかったわけではないのか。
傍目にはただのカモにしか見えなかったけれど。

「…ゴメン」
「痛くないから平気よ」
「そうじゃないよ」

だったら何なの、と訊ける雰囲気ではなかったから、フランソワーズは黙っていた。
ジョーが悔しそうに続ける。

「そうじゃなくて…ああもう、どうしてすぐに君に気付かなかったんだ」

そもそもなぜあなたがここにいるの?と思ったけれどそれを口にする機会でもなかった。

「君にこんな怪我をさせるなんて僕は」

そのまま泣き出してしまいそうなくらい落胆しているジョーだったから、フランソワーズは慌てて口を挟んだ。

「ちょ、ちょっと待ってジョー、平気だって言ってるでしょう。こんな怪我たいしたことないじゃない。それにあなたが責任を感じることでもないわ。こんなのただの事故みたいなもんだし」
「違う。そうじゃない」
「違うって何が?」
「だから。僕はきみを守るって決めているのに、こんな…」
「守る、って…ジョー、今は闘いでもなんでもないのよ?いったい何から守るっていうの?それに、さっきも見たでしょう。私って意外と強いんだから!」
「だからだよ!」
「えっ?」

思いのほか強い口調で言われ目を見張ったが、更にその強い口調のまま腕を引かれ抱き締められたのには驚いた。

「ちょっと、ジョー、ここ外っ…」
「君はそうやって勝手に強がるから!だから僕が守らないと駄目なんだっ」
「えっ…?」

フランソワーズを抱き締めるジョーの腕は緩まない。

「今回の旅行だって、出発前に挑発しただろう?僕には出来ないだろう、って。そんなことはないんだよフランソワーズ。僕はいつだって、」

いつだってきみのことが心配で、きみを守りたくてしょうがなくて――

そう続けるつもりだったジョーの唇を塞いだのはフランソワーズだった。一瞬、ちゅっと唇を重ね、そして離した。驚くのはジョーの番だった。

「…フランソワーズ」
「ありがとう、ジョー。でも私、別に挑発なんてしてないわ」
「…したよ」

今度はむすっとして。

「してないわ」
「した」
「してないもの」
「した。…甘えただろう?僕に」

途端、フランソワーズの顔が真っ赤に染まった。

「…っ!!」
「――だから、来た。それだけだよっ」

そう言うと今度はジョーからくちづけた。

 

 

 

『寂しくなったからついてきちゃった、なーんてかっこ悪くて言えないわよねぇ』


寂しくなるから一緒に来て、なんて素直に言えないのよね、私は。
でもジョーだって、寂しいから行くのやめてなんて言わないのよね。
どっちもどっち。素直じゃない。

でも…もしも、ジョーに甘えて、ふつうの恋人同士みたいにできたら何かが変わるのかしら…?

何かが変わっていたのかしら…?


そんなことをホテルの部屋で考えていた。
もっと上手く甘えることができたなら、と。あるいは、上手く甘えられない自分をジョーがわかってくれたなら、と。
けれども年下のジョーがそんな自分のわかりにくい愛情表現を理解してくれるとはとても思えなかったし期待するだけ無駄だと思っていた。
だから、この恋はいつか破綻するはずである。でも自分たちはずっと一緒に戦う運命共同体だから、破綻したとしても一緒にいなければならない。同じ場所に。
そんな辛いことってあるのだろうか。
いいえ、自分が彼にあまり期待せずおねえさんでいる限りはきっと大丈夫なはずだ――それはそれでとても恋人とは言えないけれど。

そんな風に思って、ため息とともに部屋を出たのだった。


なのに、今はどうだろう。
なんだかすっかりジョーの手中におさまってしまっている。体も心も。
悩んでいたのはほんの数十分前だというのにこの差はいったいなんなのだろうか。


「ジョー、離して」
「イヤだ」
「ジョーってば、みんな見てるわっ…」
「いいよ別に。だって僕がここに来たのはきみがそうして欲しいって言ったからなんだから」
「私、そんなこと言ってないわ」
「言った。ジョーにはできないでしょうって」
「だから、できないでしょう、って言っただけよ?」
「それってつまり本当はそうして欲しいってことだよね?」

フランソワーズは困って、黙った。するとジョーは額と額をくっつけるようにして彼女の瞳を覗き込み、

「だから僕はここにいるんだ。これが答えだ」

そうして黙り込んだままのフランソワーズに再びくちづけていた。