旧ゼロ「喧嘩」B

 

 

喧嘩したまま出かけてしまう――こんなことは初めてだった。

だからだろうか。

なんだか落ち着かない気持ちになって、スリーは知らずため息をついていた。


「あら、もう日本が恋しいの?」

くすくす笑いと共に顔を覗きこまれ、スリーの頬はぱっと朱に染まった。

「別に、そんなんじゃないわ」
「そーお?」
「そうよ」

つんとして言うだけでは足りないと思い、何よジョーなんか知らないんだからと付け加えてみた。
が、逆効果だった。

「誰もジョーのことは言ってないんだけどなー」
「っ!」

歌うように言われ、スリーは二の句が告げなくなった。
まったく、どうしてこう彼女は鋭いのだろうか。


――察しのいいひとって苦手だわっ。


「私は別に察しがいいわけじゃないわ。スリーがわかりやすいだけよ?」
「もうっ、あなたはエスパーなの?」
「そんなわけないでしょう。あなたと同じ003」
「……」

原作フランソワーズは絶対に何か私たちとは違うちからがあるに違いない――とスリーは思う。
アニメーションの自分と違って、まだまだ公表されていないちからがあってもおかしくない。
同じ003といっても大きな違いだわ――と思う。

その原作フランソワーズはここイタリアでのショッピングをじゅうぶん楽しんでいるようだった。
今日はそれぞれお買い物に充てた日である。
原作フランソワーズとスリーはちょうど目当ての店が同じだったので一緒に行動することにしたのだった。

「…そういうあなたは恋しくないの?日本が」
「私?んー…そうねぇ…」
「その、ジョーのこととか」
「ジョー?」

一瞬、きょとんとして――そうしてすぐに原作フランソワーズは笑い出した。

「それって自分の気持ちでしょう、スリー!」

 

 

***

 

***

 

 

――全く、隙だらけだ。


ナインは舌打ちをした。
誰が見てもわかる。そのくらい、目の前を行く女性は無防備だった。

否。無防備すぎた。

その証拠に、彼女の背後の路地では数人のチンピラが何か企んでいるようだったし、前方にはスリのグループも待ち構えている。


――だから言ったんだ。


女性だけの旅行なんて駄目だと。
ナイン抜きで出かけるなど危険極まりない。まさにカモネギであるのだから。

少なくとも、ナインの目に彼女はそう映っていた。


――ああもう、気付かないのか?


逡巡したのは刹那だった。
ナインはチンピラが動き出す前に彼らに殺到し無気力化し、更にはスリのグループにも先回りして手を打った。

そうして再び物陰から様子を窺う。

観察対象となっていた女性は、一瞬、何かの気配を感じたのか視線を四方に飛ばしたものの、すぐにまた歩き出した。自分を取り巻いていた凶事にも、背後のナインにも全く気付いていない。

ナインはほっと息を吐き出した。

彼女の身にふりかかる災いは全て――ふりかかる前に完璧に排除されており、そうやって彼女は常に守られている。しかし、そのことは彼女自身預かり知らぬことであった。

 

 

***

 

***

 

 

「もうっ、いいじゃない。ジョーのこと考えてたって」


とうとうスリーは白状した。
もう強がっても仕方がなかった。なにしろ相手は全てお見通しなのだから。

「…喧嘩したままなんだもの」
「後悔してるんだ?」
「……」

無言で頷くスリーに原作フランソワーズはにっこり笑った。

「だったら電話でもメールでもしてさっさと仲直りすればいいじゃない」
「…ううん。できないわ」
「どうして?」
「だって、…それでも強引に止めたりしないでいてくれたの。だから、きっと、私が女の子同士で出かけるのを絶対に駄目って思っているわけじゃないと思う。本当は行ってもいいよって思ってくれてる。だから、私はたくさん楽しんで――そして無事に帰らなくちゃいけないの」
「なるほどね。――で…どうなの?実際に楽しんでる?」
「ええ!それはもちろんよ!」

楽しいわと微笑んでみせたスリーの瞳に嘘はなかったから、原作フランソワーズは頷いた。

「意地ではなくて?」
「ええ。本当に楽しいんだもの。だから、…私は絶対に無事に帰らなくちゃいけないの。そばにジョーがいない時は、――いないからこそ、何事もなく無事でいなくちゃいけない。だって、私を守るのはジョーだし、ジョーしかいないし、彼が私を守れなかったって思うようなことは絶対にあってはいけないの」

まっすぐ前を見据えて言うスリー。
それを聞きながら、原作フランソワーズはそうっと視線を背後に投げた。一瞬だけ。
しかし、その一瞬で求める答えは得られた。

「…だったらこのまま無事に過ごしましょう。無理せず、何事もなく」
「そうね。そして楽しまなくちゃ!」

そうして二人揃って前を見つめ――あとは009の話はしなかった。

 

 

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***

 

 

――だって、私を守るのはジョーだし。ジョーしかいないし。

 

きっぱり言い切るスリーの声が耳に響いた。
一瞬、ナインは緊張を解いて――ついでに気配を消すのもおろそかになってしまっていた。

だからだろうか。

彼女と共に歩いている同じような容姿の女性がさっと視線をこちらに向けたのは。
しかし、それは本当に一瞬だったから、ナインは自分の存在を気付かれたのかどうか判断できかねた。

それに。

そんなことより。

今のスリーの言葉だった。

ナインの耳はスリーのそれには劣るけれども、それでも常人の数倍は音を拾うことができる。
だから、前方を行く彼女の言葉を聞くことなどたやすいことであった。


……フランソワーズ。


壁に背を預け、そのまま空を見る。


――全く。僕ってとんだ馬鹿だよなぁ。


どうして彼女に嫌われたかもしれないなんて思ったのだろう?

スリーは。フランソワーズは。

誰よりも――もしかするとナイン自身よりも――ずっとずっと彼の気持ちをわかっていた。

そのうえで出かけたのだ。


なのに、自分は。


――いや。そうでもない。


反省しかけてやめた。


そうではないのだ。

たぶん、違う。


自分はおそらくそんなスリーを頭のどこかでちゃんとわかっていて――そしていま、ここにいるのだ。
決して嫉妬や不安な気持ちだけでここにやって来たわけではない。

もっと重要なものがある。

それは、はからずもスリーがたったいま言ったひとことであった。


――私を守るのはジョーしかいない。


だからこそ、自分はいまここにいる。

いつでもどこでも――彼女にそれと知られることなく――彼女を守ることこそが彼の使命であり望みでもあった。