「晩夏」

 

夏の終わりの夕暮れ。
蝉の声も少なくなり、時々トンボの姿も見かけるようになった。
ジョーはひとりで庭の水撒きをしていた。
朝と夕方、一日二回。
前庭には、たくさんの植物が植えられている。
それらの名前すら知らなかったが、一日二回水を遣る仕事をジョーは気に入っていた。
新鮮な空気。
湿った土の匂い。
そして、ひとりになれる時間。
特にミッションの後は、静かに生きているものたちの命の息遣いを感じる事で、凄惨な戦いですり減った心を癒せるような気がするのだった。

今日も一日が終わる。

静かで平和な一日だった。
例え、束の間の休息であったとしても、こういう日が在るという事を知っているから、闘える。
今日のような日々を守るために。

 

邸内から料理の匂いが漂ってくる。
今日は張々湖ではなく、フランソワーズが調理している。
張々湖は宴会があるため、昼前からずっと店に行っている。グレートもその手伝いに駆り出された。
その宴会というのは、実はギルモア博士主催のもので、学会の後の懇親会をするのだという。
当初はフランソワーズとジョーも手伝いに行く予定だったが、イワンが昼の時間のため面倒を見なければいけない事と
ギルモア邸を無人にするのはやはり無用心ということで、二人は手伝いから外されたのだった。

・・・とは言ってもなぁ・・・。
何だかオトナたちの作為を感じる。
水撒きを続けながら、眉をしかめる。
フランソワーズと二人で夕食というのは、今に始まった事ではないが、最近、何となく落ち着かないというのが正直なところ。
二人で居るのが嫌だという訳ではなく、何となく。
そう、何となく・・・気恥ずかしいというか。緊張するというか。
何を話しているのかわからなくなって、途中で黙ってしまう事もあった。
かといって、居心地が悪いというわけでもなく。
その証拠に、夕食後、二人とも部屋にはひきとらず、ただ何となくリビングでコーヒーを飲んだりしている。
何を話すという訳でもなく。
無言の時間。
お互いに違う事をしていても、お互いの存在を感じるだけで安心するというか。
何となく、かぁ・・・。
曖昧だよな、凄く。
けれど、どう表現していいのかわからない。本当に「ただ何となく」落ち着かなくなったり、安心したり。

曖昧。
その言葉に行き当たると、眉間の皺が更に深く刻まれる。
曖昧にしているのは、他でもない自分自身のせいだったから。
僕は君の気持ちを知っている。
そして、僕も・・・同じ気持ちなんだ。
だったら、そう君に伝えれば良い。
ただそれだけの事。
・・・なんだけれど。
今まで女の子と付き合った経験が無い訳ではない。むしろ、同世代の男性と比べると多い方かもしれない。
けれど自分から気持ちが動いた事はなかった。
大抵は相手の方が積極的で、自分は「いい」とも「わるい」とも言わずうやむやにしているうちに話が進んで、それで・・・。
がしがしと頭を掻きむしる。
駄目だ。
フランソワーズは違うんだ。
他の女の子たちと比べたらいけないんだ。
そもそも「比べる」なんて事自体、彼女に対して失礼だし、大体比べられるような対象ではないんだ。
だって。
フランソワーズは僕の中で、特別だから。
全てを凌駕している存在。
比較対照する何者も存在していない。
・・・・。
そこまで考えて、自分の思いに赤面する。
僕はいったい、何を言おうとしているんだ。

ミッションの前。
夜中にふたりで海岸を歩いた事があった。
何を話すということもなく。
ただ黙々と。
あの時、僕は・・・このミッションが無事に終わったら、君に伝えようと決めたはずだった。
けれど。
ミッション終了後、もう何日も経つのに未だに果たせていない。
理由はいくらでも考えつく。
が、敢えていうなら。
僕が君の気持ちを知っているのと同じように、君も僕の気持ちを既に知っているのではないだろうか。
だとすれば、言葉に出して言う必要があるのだろうか。
お互いに何となくわかっていれば・・・それで良くはないだろうか?
口先だけで言うなら、今までもたくさんしてきた。他の女の子相手に。
でも、フランソワーズには。
そんな嘘くさい軽い言葉を言いたくないし、何より・・・言葉で表現するのが難しい。
いくら言葉を尽くしても足りない気がする。
だから僕は・・・

 

「ジョー?もうすぐごはん・・・ちょっと!何してるの!」
「えっ?」
ドアから顔を覗かせたフランソワーズが慌ててやって来る。
ジョーの手からホースをもぎ取って。
「もう・・・水浸しじゃない」
見ると、足元には水溜りが出来ていた。
すっかり手がお留守になって、水撒きをせずにぼーっとホースを持っていたようだった。
「自分にお水をあげてどうするの?」
くすくす笑いながら、水道の蛇口を捻って水を止める。
「何か考え事でも?」
「ん・・・いや、別に」
「いまタオルを持ってくるから、動いちゃダメよ」
玄関が泥だらけになっちゃうと言いながら、邸内へ戻っていく。

・・・自分に言い訳してても仕方ない、か。
フランソワーズの後ろ姿を見つめ、苦笑する。
あの優しい手が、いつまでも自分のそばにあるとは限らない。
いつどんな事が起きてしまうのかわからない自分たちの運命。
だったら。

「これ、ジェットのサンダルだけど」
とりあえず履き替えてとジョーの前に置く。
「片足ずつね。・・・肩につかまってて」
ジョーがフランソワーズの肩に手を置いて、片足ずつタオルで拭う。
「・・・フランソワーズ」
「なぁに?」
「・・・・うん」
至近距離で見つめ合う。

今、言ってしまおうか。
伝えてしまおうか。

「・・・ジョー?」
どうかした?と首を傾げて瞳を覗き込んでくる、蒼い瞳。

・・・・駄目だ。

「・・・今夜のごはんは何?」
「リクエスト通りよ」
にっこり笑むフランソワーズにつられて一緒に微笑む。

・・・ゴメン。
まだ、言えない。
僕は・・・・

フランソワーズに続いて邸内に向かいながら。
ふと立ち止まり、遥か眼下の海を見つめる。
既に薄闇に包まれている景色。

・・・僕は。

「ジョー?どうしたの?」
「うん。今、行くよ」
そっとドアを閉めて、平和な空間に包まれる。

 

もうすぐ夏が終わる。