「初恋のひと」
「初恋・・・ねぇ。そんなの忘れたよ」
ジョーはあっさりそう言うと、車の運転に集中しているのかそれきり黙った。
フランソワーズも肩をすくめると、それ以上訊こうとはしなかったから、車内は静寂に包まれた。
小さいエンジン音と振動だけが伝わってくる。
数分後。
ジョーはバックミラー越しにちらりとフランソワーズを見た。
が、フランソワーズは座席にもたれてぐっすりと眠っていた。
ジョーは目だけを動かして、後部座席をもう一度確認すると、後は視線をまっすぐ前へ向けた。
目的地まではあと少しである。が、ちょうど今、道路の両脇に五分咲きの桜が連なっているのが見え、彼女が見たら喜ぶだろうなと思いつつ
眠っているのを起こすまでもないかなとも思い、ひとり桜並木を行く。
フランソワーズに初めて会ったのは桜の季節ではないけれども、なぜか彼の中では「桜」というとイコール、フランソワーズになる。
深い意味はないのだろう。
おそらく、彼女の唇が桜色で綺麗だったとか、そういう類のものだろう。
そして、さっき彼女が訊いた「初恋」というのも、ジョーの中では「桜」の季節だった。
別れた後ろ姿だったのか、出会った時だったのか。
ともかく、イメージは桜の花びらが風に舞う中での邂逅だった。
いくつの時だったかわからない。が、まだ小学生の頃だったように思う。胸に淡い恋心を抱いていたのは。
そしてその後しばらく――桜を見た記憶はない。
次の記憶は、ごくごく最近であり、それらはいずれもフランソワーズが傍らにいるのだった。
――フランソワーズと花見をしたことなんて、あったかな?
おそらく、二人きりでというのはないのだろう。
だから、やっぱり「桜」のイメージがイコール・フランソワーズというのは不思議な事だった。
本日の目的は花見ではなかったが、それでもこれは花見の一種ではあるだろう。
フラワーセンターというからには、季節の花がたくさん咲いているに違いない。
おそらく、自分ひとりでは一生行かなかった場所だろう。
花を見るのは悪くはないけれども、ただ花を見るのが目的で出かけることなんてなかったのだ。
そう――自分の生活はこれまでとは変わった。おそらく、これからも少しずつ変わってゆくのだろう。
そんな変化が自分に起きるなんてことも、ずっと――思ってもいなかった。
望んでも叶わない。
だから、望まなかった。
期待もしなかった。
ただ自分はこうして意味もなく生きているだけなのだろうと思っていた。
傍らにフランソワーズがいてもなお、同じ運命を背負った共同体としか思えない時もあった。
桜並木を抜けた。目的地までは、あと少し。
ジョーはいま一度、バックミラーで彼女の様子を窺った。
フランソワーズは眠っている。
――が。
彼女と目が合った。
ように、思えた。
ジョーは微笑むと、あとは前だけを見つめる。
――フランソワーズ。僕の初恋のひとは彼女だと言ったら、君は怒るかい?
チャイルドシートの彼女が小さな笑い声を上げた。