カウンター50000ヒット御礼

「帰宅」

 

 

「すみません。その・・・友人に預けていたのを忘れてしまって、て」

ジョーが口ごもりながら警官に言っているのを、フランソワーズは顔を上げられず腕に抱いたイワンに隠れるようにしながら聞いていた。
案の定、警官の視線が彼女とその腕の中の子供に向けられる。
ますます小さくなるフランソワーズ。出来ることなら消えてしまいたかった。
その彼女を庇うように、ジョーが半歩前に出た。身体で彼女を警官の視線から守っている。が、おそらく彼自身も警官の咎めるような視線に耐えねばならないのは苦行であっただろう。耳の付け根まで朱に染まっているのをフランソワーズは見逃さなかった。

 

「――全くもう・・・!いったいどこに行ってたのよ!こら、イワン、言いなさい!」

帰りの車の中である。
心配していたのとほっとしたのとで、フランソワーズの精神状態は極めて不安定であった。

「ダメだよフランソワーズ。寝てるんだから」
「嘘眠りよ、きっと」

つん、と顔を上げるフランソワーズをジョーはやれやれと見つめた。

「イワンにはイワンの事情が何かあるんだろう・・・?」
「それはわかってるけど、でも」

いっしゅんジョーを見つめ、目が合うと慌てて逸らせた。

「――だって!私が、――子供を友人に預けて忘れてしまった・・・なんて、そんな筋書き許せないもの!」
「それを考えたのは僕なんだけど」
「関係ないわ!要はそういう嘘をつかなくてはいけない状況を作ったのは誰か、って事よ!」

全く聞く耳を持たないフランソワーズに、ジョーは黙って運転に専念することに決めた。

「ジョーだって、子供を忘れて遊び惚けてるイマドキの父親に見られちゃったのよ!?そんなの、屈辱だわ!これじゃあ、二人揃ってすごーく無責任なカップルみたいじゃない!!きっと、子供を忘れて何をしてたんだ、って思われたわよ!!ヤダ、もうっ!!」

顔を覆って、それっきり静かになったフランソワーズをちらちら横目で見ながら、ジョーは心の中でため息をついた。

ったく、考えすぎなんだよなぁ・・・。大体、何をしてたんだ、って何だよ?やましいことは何もしてないぞ・・・

と、思ったところでフランソワーズの肩が揺れていることに気がついた。

「――フランソワーズ?」
「・・・し」
「し?」
「・・・心配してたのにっ・・・・すごーくすごーく心配したのにっ!」

しゃくりあげつつ絞り出される声に、ジョーは今夜何度目かの「やれやれ」を呟いた。

――イワン。君は寝てるからいいけどさ・・・。次に起きたときは知らないぞ。

ともかく、今や盛大にしゃくりあげている彼女の肩にそっと手を置いた。
と。

「ハンドルから手を離さないで!」
「えっ?」
「イワンも乗ってるんだから。危ないでしょ?」

凄い勢いで睨まれた。泣いているはずなのに。

「え、あ・・・ハイ」

 

 

***

 

 

その夜、イワンの着替えを済ませたあと博士が「みんな疲れているじゃろうからワシが面倒を見るから良いよ」と何度言っても、フランソワーズは頸を縦には振らなかった。
ずっとイワンを抱き締めたまま離さない。しかも、今夜はずっと彼のそばにいるというのだ。

「――え」

びっくりしたのはジョーだった。
イワンが眠っているときは――例えば夜の時間とか――フランソワーズとゆっくり過ごすのが常だったから。

「い、いや・・・フランソワーズ?」

イワンを抱き締めたままテコでも動かない様子でリビングのソファに座っている彼女の正面に回る。
博士は傍らで無言で頸を振った。ともかく、先程からどんなに説得してもきかないのだ。

「イワンは寝てるんだよ?たぶん・・・しばらく起きないし。反対に君は今日一日ずっと心配し続けていて疲れているんだから、ゆっくり休まなくちゃ」

ちらり、と蒼い目がジョーを射る。

「ゆっくりなんて休ませてくれないくせに」
「!!ばっ・・・何を言うんだ」

傍らにいる博士の存在を気にしつつ、真っ赤になって言い募る。

「ともかく、ここにずうっとこうしている訳にはいかないだろう?」
「・・・・」
それは確かにそうだった。でも。

自分の腕の中でぐっすり眠るイワンをじっと見つめる。ぷっくりとした頬。すべすべの。ミルクの匂いがする小さな身体。抱き締めていると安心する。
今日一日、彼の身に何がおこったのかはわからない。が、おそらく――こうして眠り続けるくらいの『力』を使ったのには間違いなかった。
自分がいまこうしていても、イワンには何も伝わらないかもしれない。――が、伝わるかもしれない。
そう思いたかった。
今日一日、どんなに心配したか。001としてではなく、赤ちゃんのイワンとして――どんなにどんなに心配したか。そして、無事に会えたことがどんなに嬉しかったか。
直接ではなくても、伝わる――と信じたかった。
イワンはスーパーベビーではあっても、やはりひとりの赤ちゃんなのだから。他の誰もがイワンを001として――頭脳が発達しているオトナとして――対等もしくはそれ以上に見ていても。それでも、やはり彼はまだぬくもりを必要とする赤ちゃんなのだから。それをせめて自分だけは忘れないでいたかった。

 

「・・・しょうがないなぁ」

しばらくして、ため息とともにジョーの声が降ってきた。
顔を上げて彼を見つめる。

「・・・わかったよ。いいよ、ここにいて」
「しかし、ジョーよ」
おろおろと博士が心配そうに呼びかける。

「フランソワーズも休まなくちゃいかん」
「大丈夫ですよ。僕も一緒にいますから。――ここに」
「しかしのう・・・」
「それより、博士もずっと心配していたんですから、休んでいただかないと。もう遅いですし」
「じゃが」
「博士が倒れたら、それこそ僕もフランソワーズもゆっくり休むなんてできないですよ?」
「むう・・・」

しぶしぶ、自室に向かう。何度も背後のイワンとフランソワーズを振り返りながら。
しかし、フランソワーズは視線をイワンからいっときも外さず、腕の中の彼をじっと見つめるばかりだった。時折小さく何事かを呟いて。

「・・・・仕方ないのう」
そんな光景を目を細めて見遣り、博士は改めてジョーを見つめた。ジョーも博士を見つめた。
博士は微かに頷くと――部屋を出てドアを閉めた。

ジョーはそのドアを見つめ、――そうしてフランソワーズを振り返った。
彼女の目には今でもまだ涙が滲んでいる。けれど。
イワンを見つめているその瞳は嬉しそうなのだった。

「・・・今日は寝ないつもり?」

フランソワーズの隣に腰掛け、イワンを覗き込みながら言う。つんつんとほっぺをつついて。

「・・・ごめんなさい。わがまま言って」
「ん。――いいよ。そんなの、わがままのうちに入らないさ」

そう言って、そうっとフランソワーズの肩を抱き寄せた。

「君のわがままっていうのはもっと――」

そのまま、彼女の耳元で小さく囁く。

「!!」

ジョーが真っ赤になったフランソワーズに見惚れていると、ぎゅっと脇腹をつねられた。

「もうっ・・・ジョーのばか、知らないっ」