「瞳を閉じて」
蒼い空に白い雲がぽっかり浮かんでいた。 でも、今はそれでいい。 大事なのはそんなことではないのだから。 もちろんそれは、たったこの一瞬だけのことに過ぎないのかもしれない。 でもそれは、別にこの場所に限られたことではない。 光に透けて金色に見えるジョーの髪。 左肩に感じる温かさと重み。 静かな息遣い――眠っているジョー。 *** 終わりがないと思っていた。 自分から終わりにしてもいいよね? そう思うようになった。 もう、いい。 諦めたかった。 だって、このままサイボーグとして生きていたっていいことなんか何もない。 映画やドラマの世界なら、いつか必ずエンディングがくるとわかっている。だから、劇中でどんな酷い目に遭ってもがんばれるのだ。必ず終わりがくるのだと知っているから。 でも現実は違う。 それが、サイボーグの日々。 私たちの人生。 限界だった。 だから。 *** いいよ、終わらせよう――と、ジョーは言った。 終わりにしよう。フランソワーズの思う方法で――と。 私が思う方法って何。 そう言ったら、なんだ何にも考えてなかったのと言われた。責めるみたいに。 そうしてジョーは私の体にそっと腕を回した。 「ほら。こうしてフランソワーズも道連れにするから」 そうよ。 「そんなのずるいよフランソワーズ。自分だけさっさと終わりにして、僕には頑張れって?」 冗談だろ、と少し怒ったような声。 「でも私はジョーを道連れにするなんてそんなつもりは」 最強のサイボーグだから頑張れって言われるのももううんざりなんだ実は――と、小さく言った。 「ね。だったら一緒に終わりにするのが手っ取り早い」 そうして私に回した腕に少し力をこめた。 「ほら、早く」 ――心の準備が。 「心の準備なんて要らないだろ。あっという間さ。一瞬だ」 一瞬で終わるよと囁くように言って。 そして黙った。 静寂が世界を覆った。 私はレイガンを持ち直して、――ジョーの顔を見た。 ジョーは、目を閉じていた。全てを任せるみたいに。 怖くないのだろうか。 ――きっと、そういうつもりなのだ。 *** 爆発しなかった。 ジョーは目を開けると自分が撃たれた部分と私のレイガンを見比べ、狙うのはここだよって銃口を誘導した。 「それに出力も最大にしないとダメだよ?」 終わりにするのは、やめる。 「終わりにするの、やめたわ」 *** 左の肩が重い。 「――ん。あれ?寝ちゃってた?」 そう、いつの間にか少し風が強くなってきたから、潮風になぶられたジョーの髪を食べる羽目になったのだ。 「中に入りましょ。風邪ひいちゃうわ」 空を見たいって言ってたのはフランソワーズだよとジョーが不思議そうに言う。 「いいんだよ、僕は」 フランソワーズと一緒ならなんでもね。 そう言って笑う。 冗談ではなく本気でそう思っているから油断できない。 ――終わりにしようって言ったあの時みたいに。
――なんて言うと、とても詩的だからきっとどこかで読んだ一節なのだろう。
いつどこで読んだ何の一節なのか、さっぱり思い出せないけれど。
私はじっとそんな空を見つめていた。
潮風が頬を撫でてゆく。少し肌寒いなと思いながら、それでもこの場所から動かずにいる。
蒼い空と白い雲のその下には真っ蒼な海。海面がきらきら光っている。
空と海と潮風のこの場所は、以前の闘いとは全く無縁の平和な場所。
この一瞬後には戦場になるかもしれない、そんな危うさが常にある。
いつどこにいても起こり得ることなのだから。
私は少しだけ重くなってきた左肩を気にしながら、それでもそのまま動かないでいた。
時々、視界に金色の筋が見えてせっかくの空が分断されてしまう。
でも、嫌じゃない。
なんにも言わずただふたりで蒼い空と海を眺めていた。
こうしていると、世界中に二人しかいないみたいね?
ちょっと勇気を出して言ってみたのに、返ってきたのは寝息だけだった。
ほんとにもう。
いったい、いつの間に寝ちゃったの?
サイボーグになって――望んだわけではない――逃げて追われて、命を狙われて。
それは永遠に続くのだと絶望した。
終わりなんかない。終わらない。私たちが壊れるまで――ブラックゴーストが私たちを納得いくまで壊すまで。
いつどこにいても安心することはない。ぐっすり眠ることも、心から笑い合うこともできなかった。
未来なんかない。
こないのだ。
だったら。
もう――戦って闘って、でも終わりはなくて。そんな風にしか生きられないのなら。
もう――いい、わよね?
諦めた。
常に機械であることを意識しながら生きる。人間には戻れないのだと毎日思い出しながら生きるのだ。そして、いつどこを歩いていても――家のなかにいても――いつ、追っ手がくるのかわからないのだ。
気を抜くことなんかできない。
そんな日々しか来ないのだ。これ以上生きていても。
終わりなんてない。
永遠に続いていく。
もう、嫌だった。
終わりにしようと思った。
私が終わりにしたいのと言ったら、ジョーは言ったのだ。
それも真面目な顔で。
私の言ったことを叱るでもなく怒るでもなく笑うでもなく、まともに正面から受け止めた。そして本当に――今思えば笑っちゃうくらい真面目な顔で、言ったのだ。
終わりにしたいなら、終わらせる方法をちゃんと考えなくちゃダメじゃないかって。仕方ないなあ、僕も一緒に考えるからどれが有効なのか考えて、って。
そう言って、ジョーはしばらく腕を組んで考えて――そして、穏やかな声で言ったのだ。
「レイガンで僕を撃てばいいよ」
えっ?
「そうすれば爆発するから終わりにできる」
ね、そうしようってさらりと言って、ジョーは私に自分のレイガンを渡した。
その時の私は――信じられないことに――丸腰だったのだ。
「え。でも、私が終わりにしたいのは私自身のことであって、ジョーのことじゃ……」
「うん。大丈夫。わかってる。ちゃんと考えてるよ」
「で、でもそうしたら」
ジョーは。
……ジョー、も。
「何驚いてるんだい?――嫌だな、終わりにしたいって自分ひとりだけ終わりにするつもりだった?」
「嫌だなあフランソワーズ。僕だってもう頑張れないよ」
「え、何を」
「早く僕を撃つんだ」
「今?」
「そう、今。思い立ったらすぐやったほうがいい」
「で、でも」
どんな顔をしているのだろうって。
あるいは。
本気じゃないのかもしれない。
いざ私が引き金に指をかけたら、あっという間に止めるのかもしれない。
そんなの嘘に決まってるだろフランソワーズ、って。
同意するふりをして、後で怒るのだ。叱るのだ。僕達は自分自身を終わらせてはいけないんだ、って。
私はレイガンを持つ手に力をこめた。
嘘なんかじゃない、同情を引こうとして言ったのでもない。私は本当に終わりにしたいのだ。ジョーが後悔したって知らない。例え嘘だったとしても、ジョーは一緒に終わりにしようって言ったのだ。
だから私は、ジョーを撃った。
ジョーの防護服の生地がほんの少し焦げただけ。
「――あれ?」
「……」
「フランソワーズ。聞いてる?」
私はレイガンを捨てた。
「フランソワーズ?」
やめる。
「……どうかした?」
褐色の瞳が心配そうに私を見た。
怒ってもいない、笑ってもいない。真面目な瞳。ジョーの目。
それは別に耐えられる――けれど、最終的にはジョーの髪が口に入って仕方なくなって、ジョーを起こした。
「ええ」
「そっか。……風が強いな」
せっかく蒼い空と白い雲を見ていたのに。
「ウン……でもさ、」
一緒に見ようって言ったくせに寝ちゃったのはどこのどなたでしたっけ?
まったくもう。
本当にもう、あなたって。