「梅雨入り」
  「ついに梅雨入りね!」 お天気キャスターのセリフを嬉しそうに復唱し、フランソワーズはテレビの前でくるりとターンしてみせた。 「さすがバレリーナ」 褒めたのに。 「梅雨入りしたのよ。雨の時期到来なのよ」 そんなきらきらした瞳で言われてもなあ。 「で?今年は何を新調したんだい?」 フランソワーズは踊るのをやめて僕を探るように見つめた。 「ジョーがそんなに鋭いなんてアヤシイ」 フランソワーズは僕の隣に腰を下ろすと至近距離から顔を覗きこんできた。 「何か隠してるでしょ」 それは昨年、レインシューズを買って雨乞いしたからだろう。それを履きたくて。 「さあ。男のカンかな」 どうだ、反論できないだろう。 「別に、ふつうの傘よ」 そんなの、たくさん持ってるじゃないか。 「へえ…レインコートとかじゃないんだ」 いまオシャレなのがたくさんあるし、コンパクトに持ち歩ける…って、いまちょうどテレビでやってる。 「やあね、ジョーったら。そんなの着てたら興醒めでしょ」 なんでレインコートが興醒めなんだ。意味がわからん。 「だって、…邪魔でしょ?」 僕はテレビを指差した。 「そうじゃないのよ、もう。ジョーのばか」 雨期はウキウキするわねと言いながら、フランソワーズはキッチンに行ってしまった。  
   
       
          
   
         ―1―
         「違うわ、ジョー。いま注目すべきはそこじゃないでしょ」
         それに僕にとっての梅雨なんて、嫌いなものシリーズのなかのひとつだってことはフランソワーズだってよく知っているはず。
         一緒にターンして喜べと言われてもなあ。
         言われてないけど。
         「あら」
         「別にアヤシクないだろ」
         「だっておかしいわ。ジョーのくせに」
         近い。
         「隠してない。隠してるのはフランソワーズだろ」
         「まっ」
         「何を新調したんだい?」
         「どうしてそう思うの?」
         「ジョーにそんなものはないわ」
         「じゃあ、ゼロゼロナインのカン」
         「傘?」
         「レインコート?」
         「何が?」
         「ウフ、やだわもう」
         「コンパクトに持ち歩けるって…」
         そんな寒いダジャレをどこで覚えたのだろう。
         僕はひとりテレビの梅雨特集を眺めながら、レインコートの謎について考えていた。

  「ほら、この傘。かわいいでしょう」 傘を手にくるりとターンしてみせるフランソワーズ。 「さすがバレリーナ」 褒めたのに。 「ほら、傘よ傘。新しいの」 傘の柄を肩にかけ、こちらを向いてポーズをとる。 色…そうだな。淡いピンクで花柄で… ……で? 「かわいい?」 フランソワーズが。 「そうでしょ。それにね、凄く軽いの。持ってても持ってるかどうかわからなくなっちゃうくらい」 いや、それはないだろう。そんなに軽かったら風が吹いたら持って行かれてしまう。意味をなさない。 「ところがそうじゃないのよ。この傘は骨が16本あってちょっとやそっとの風には負けないのよ」 そういわれても別にぴんとこない。だって僕が持つわけじゃないし。 「もう、ジョーったら。反応が薄いわ」 あるけど。 「持つのはジョーなのに」 僕? だってその傘はフランソワーズのだろう? 僕がぽかんとフランソワーズを見ると、フランソワーズは傘を閉じて僕の目の前にやって来た。 「去年はどこかにいっちゃったでしょう、傘」 去年? 「それっきり見つからなくて残念だったから今年はそんなことがないように、って」 傘を新調したのよとフランソワーズは満足そうに言う。 はて。 いったい何のことやら僕にはさっぱりわからない。 「――雨が楽しみね。ジョー」 きらりと輝るフランソワーズの瞳。 「でも、ヒョウが降ったらウッヒョウってなっちゃうわね。ヒョウだけに」 ……なんだその寒いダジャレは。 傘を置きに玄関に向かうフランソワーズの後ろ姿を見ながら、そんな寒いダジャレはいったい誰が教えたのだろうと僕は悩んだ。 ……たぶん。  
   
       
          
   
         ―2―
         「もう、ジョーったら。いま見るのはそこじゃないでしょ」
         ううむ。確かに傘の絵柄がバックになってモデルみたいに綺麗だけど…たぶん、見るべきポイントは傘の色味とかそういうのなんだろうな。
         「うん」
         だからそう言ったら、フランソワーズはふふんと笑った。
         「ふうん……」
         「そんなことないよ」
         「は!?」
         そうだな。ここはリビングなんだから、やっぱり傘は閉じておいたほうがいいと思うよ。
         言うのだけど。
         その瞳はいつもの通り蒼い海のような空のような――色なのだけど。
         でも一番悩んでいたのは、フランソワーズの――蒼い瞳に宿った妖しい光だった。
         妖艶、と言えばいいだろうか。
         どことなく落ち着かなくなるような。なんだか誘われているような。――いや、まさか。
         考えすぎだろう。
