「もらえなかったチョコレート」
フランソワーズがメンテナンスのため日本に来ているというのに、僕はギルモア研究所へ行かなかった。
他のメンバーが来ている時は、必ず顔を出していたのに。なのに、どうしても気が向かなかった。
嫌いだった。
会いたくなかった。
有事で集まる時は仕方ないと我慢できる。でも、平和な今、わざわざ会いに行く理由はない。
仲間なのに冷たいだろうか。
――いいさ。冷たいと思われたって。
そんな投げ遣りな気持ちもあった。
ともかく僕はフランソワーズには会いたくない。
絶対に。
折りしも世間はバレンタインデーが近いと浮かれている頃だった。
日本では菓子メーカーの策略で、何故かチョコレートが大量に売れる。イベント好きな人種だから、誰も彼もがチョコレートを買う。
そんな風に、やや斜位に構えてみてはいるものの、必死の思いをチョコレートと共に託す女の子はみんなきらきらしてて素敵だと思う。
ただ、かといってその思いに応えるられるかどうかは別問題だった。
その日は朝から天気が悪く、曇天からはちらほら雪も舞っていた。
「ファンの集い」を終えた僕は、一緒についてきたスタッフの女の子たちとマンションに帰ってきていた。
あとから野郎どももやって来る。今日はイベントが無事に終わった打ち上げをする予定だった。
朝から大量のチョコレートに囲まれ、ちょっとうんざりしていた僕は周囲への注意が散漫になっていたと思う。
いつもなら、建物内に誰かの気配がすればすぐわかるのに。
その時は、通り過ぎてしまうまで気付かなかったのだ。
エントランスを過ぎて、エレベーターホールまで進んだところで――気がついた。
たった今、通り過ぎた陰に誰かが潜んでいたことを。
潜んでいた誰かとは、たぶん――僕の嫌いな女の子。
金色の髪に蒼い瞳の綺麗で可愛い女の子。
滅多に会えない子。
会ってはいけない子。
2月14日に僕のマンションの前にいるなんて、そんなの誰がどう考えたって目的はひとつしかないだろう。
きっと僕にチョコレートを渡しに来たんだ。
そう思うと、急に体温が上がったようだった。
エレベーターが下りてくるまでの数秒。
僕の周りでは女の子たちがなにやら喋っているけれど、僕はそんなの聞いちゃいなかった。
全神経は入り口付近にいた影に集中している。
こっちに来るだろうか。
あるいは、僕を呼ぶのだろうか。
あまりに久しぶりすぎて、僕は彼女が僕をどう呼んでいたのか思い出すことができなかった。
否。
何度となく繰り返し思い返していたその声を、いま聴くことができると期待していた。
――嫌いなんだ。
大嫌いだ。
だから、会いに行かなかった。
だって、一目見たら絶対に――焦がれてしまうから。
一緒にいることは叶わないし、そもそも僕なんかの手の届く相手ではないのだ。
綺麗で可愛くて強くて。凛とした美しさはどんなものにも汚されない。そんな孤高の存在だった。
僕などが気軽に声をかけていい存在じゃない。そんな軽々しいものではないんだ。
同じサイボーグで、戦う時に僕は頼りになるから、だから、そんな時だけ一緒にいられる。
こんな――何もない時に会ったら、僕は自分自身を顧みて情けない思いをするだけだ。
どんなに好きでも。
どんなに愛しいと思っても。
叶わないひとだから。
だから、・・・嫌いになった。
嫌いと思わなければ、到底耐えられなかった。
でも、そんな彼女がいまここにいる。
それも――たぶん、僕に会うために。
わざわざ時間を割いてくれたことが単純に嬉しかった。
どんな顔をすればいいんだろう。
何を話したらいいんだろう。
そうだ、メンテナンスに顔を出せなくてごめんって、まずはそう言おう。
そんなことを思いながら、今か今かと呼び止められるのを待った。
しかし。
「ジョー、乗らないの?」
エレベーターの中から女の子たちが不思議そうに問う。
開いたままのドア。
僕はちらりとエントランスのほうに視線を投げた。
気配は何もなかった。
――気のせいだったのだろうか。
会いたいと思っていたから、だから、・・・勝手に幻影を作り出したのだろうか。
そんな馬鹿な。
僕は内心首を振ると、何事もなかったかのようにエレベーターに乗った。扉が背後で閉まった。
フランソワーズ。
僕が間違えるわけがない。
気のせいのはずがない。
どうして何も言わないんだ。
ここまで来たんだ、僕に会うためだろう?違うなんて言わせない。
なのに、どうして――
――だから、嫌いなんだ。
こうして、一挙手一投足が僕を悩ませる。そして眠れない夜を過ごさせるんだ。
どうしてこういう思いをさせるんだ。
一緒にいたいと願ったところで叶わないのに、どうして気をもたせるようなことをするんだ。
嫌いだ。
嫌いだ、フランソワーズなんて。
フランソワーズなんて。
世界で一番嫌いで、
一番好きな女の子。
欲しかったのは、彼女からの思いをのせたチョコレートだった。
あれから数年が経った。
今まで思い出したりしなかったのに、なぜ今、あの時のことを思い出したのかというと、フランソワーズがその話をしたからだ。
僕が不在だったから、チョコレートはひとりで食ったという笑える話。
・・・ふうん。なるほど、ね。
確かに笑える。
だって、彼女は嘘をついているから。僕はフランソワーズが嘘を言うとすぐわかるんだ。
状況から察するに、おそらくフランソワーズは誤解したのだろう。僕が女の子たちと帰ってきたから。だから黙っていなくなった。
――まったく、僕ってとことん信用がなかったんだなあ。
遊び人みたいに思われていたのは知っている。きっと彼女の目にはどうしようもない人間に映っていたことだろう。
でも、そんな僕にチョコレートを渡そうとしていたなんて、嬉しい事実だった。
渡そうとしてやって来て、女の子と一緒だったから渡せず帰った――なんて、なんて可愛いんだろう、フランソワーズは。
だってそれって、ヤキモチやいたってことだろう?
そんな嬉しい話、にやにやしないで聞けるもんか。
「なあに、ジョー。どうかしたの」
少し拗ねたように膨れてみせるフランソワーズ。
「うん?なんでもない」
可愛いなぁ。
この可愛さはどこからくるんだろう。
あ、そうか。
僕と一緒にいるからか。
フランソワーズは僕と一緒にいると格段に可愛さが増すんだ。
他の男と一緒にいるのも観察したことがあるけれど、可愛くはならなかった。
もちろん、もし僕と一緒にいる時より可愛くなったりしたら容赦しないんだけどね。相手の男に。
可愛い可愛いフランソワーズ。
こうやって強がって嘘をつくところも凄く可愛い。
でも、あの頃、僕はきみを嫌いだったよなんて教えたらどんな顔をするだろう?
ちょっと言ってみたくなったけれど、やめた。
だってきっと、フランソワーズにはわかってしまうと思うんだ。
僕がきみを好きで好きで――好きで好きで仕方なかったってこと。
そして、それは今でも全く変わっていないということが。