電話で話した。
メールをした。
会ってみた。
抱き締めてみた。
・・・頬にキスしてみた。
抱き締められてみた。
額にキスされた。
髪を撫でられた。
――会えないから。
いちばん好きなあの人に会えないから、その寂しさを埋めるための・・・代わりのひと。
そう割り切ってみた。
相手もわかっているようだった。私は他の誰かの影を自分のなかに見ているだけだ、って。
でも。
「・・・ごめんなさい」
胸を両手で押して離れていた。
どうして涙が出るの。
どうして悲しくなったの。
こんなの――大したことじゃないのに。
目の前の彼は、小さく息をつくと「いいよ」と笑って片手を挙げ去って行った。
ごめんなさい。ごめんなさい。
たぶん、もう二度と――会わない。
いちばん好きなあの人の代わり。そう割り切っていたはずなのに駄目だった私が悪い。
でも、気付いてしまった。
電話やメールではなんてことなかった。
会って抱き締めてみても、どうってことはなかった。頬にキスするのだって、そう。
――でも。
抱き締めてくる腕の強さが違う。
額に触れる唇の感触が違う。
髪を撫でる指の優しさが違う。
違う。
私が欲しいのは、こんな――代わりなんかじゃなくて、本物のあのひとだった。
でも――会えない。
あのひとには会えない。
私は自分の体を抱き締めるように腕を回してうずくまっていた。
夜の公園はひとけがなくて、こんなところにひとりでいるのは随分無用心だなと頭の隅で思いながら。
でも・・・普通の男の人なら、問題ない。だって私は普通の男性よりも強い筋力を持っているから。
だから安心してもいた。
私はいつどこにひとりでいても安全なのだ。
いつどこに――ひとりぼっちでいても。
「――無用心だな、君は」
呆れたような声が降ってくる。
「浮気するならもっとひとめにつかないところでしないと」
浮気。
そんな――違う。
「こんなところでしているから、すぐ見つけてしまったじゃないか」
声に怒りと――何か他のものが混じる。
「どうして僕に見つかるところでするんだい?――答えるんだ、フランソワーズ」
顔を上げるとそこには、会いたいのに会えないはずの、一番好きなひとがいた。
「・・・どうして」
「ヨーロッパグランプリだと言っただろう?次はイタリアなんだ。だから、ちょっと寄ってみたんだけど、まさか浮気現場を見てしまうとはね」
「ちがっ・・・」
「違わないだろう?他の男の腕に抱かれる君をみて僕が平気でいられると思った?」
「違うわ」
「違わない。認めろよ」
「違う」
「フランソワーズ」
ジョーが無理矢理抱き締めてくる。乱暴に。
そして――気付いてしまった。
女ものの、香水の匂いに。
「フランソワーズ」
――あなたも誰か・・・私の代わりのひとがいるの?
それとも、私のほうが誰かの代わり?
でもジョーを責められない。
ジョーに会いたくて、会えなくて、寂しい気持ちを他の誰かで埋めようとしてたのは本当だから。
こんな子なんて、ジョーにはとても似合わない。
軽蔑されて当然なのだから。
「・・・っ」
ジョーは一瞬ぎゅうっと抱き締めた後、乱暴に私を振り解いた。突き飛ばされる。かと思うと、手首を掴まれ強引に連行される。
「ジョー、いったいどこにっ・・・」
「ホテルだ」
「ホテル?」
「ホテルを取ってある。そこに行く」
「嫌よ。私はうちに帰るわ」
「駄目だ」
「ジョー、離して」
「駄目だ。他の男の匂いをさせたままなんて我慢できない」
「えっ・・・」
そんなの、ジョーだって同じなのに。
黙り込んだ私にジョーは足を止めた。
そうして掴んでいた腕を離すと、自分の上着を脱いだ。
そして、ちょっと考えてネクタイも外して、それからシャツも――
「ジョー!?」
夜中の公園でストリップするつもり?
でもジョーはTシャツ一枚になると気がすんだのか、そのまま辺りを見回して――ゴミ箱に脱いだ服を突っ込んだ。
「ジョー?」
「・・・フランソワーズが何を誤解しているのかはわかってる。僕についた香水の匂いが気に入らないんだろう?」
それは誤解ではないでしょうと思うけれど、声にならない。
「僕がフランソワーズ以外の誰かと一緒にいたと思っているだろ?」
だって、そうでしょう?
「・・・自分がそうだから、か?」
「ちがっ・・・」
「――まあ、いいさ。君のことは。だけど僕は他の女と一緒にいたりなんかしない。あの香水は、飛行機で隣の席になったオバサンの香水だ。鼻が麻痺するくらいきつくて参ったよ」
苦笑するジョー。
だけど私はどうにも判断がつきかねて曖昧に笑うしかなかった。
ジョーのうまい作り話なのか、真実なのか。
「だけど、君にも他の男の匂いがするから許せない」
でも私はワンピースだから、脱ぐわけにはいかない。
「だからシャワーを浴びて・・・あとは」
あとは?
「・・・僕の匂いだけにする」
私は顔を赤らめもせず至って真剣に言い切るジョーにどう返事をすればいいのかわからなかった。
――ジョーったら。
だって。
怒ってない・・・?
「・・・全く。そんな不思議そうな顔をしなくてもいいだろ。君が浮気なんかできないのは知ってるさ」
「え。だって」
「あのね。君がヤツから離れたときの顔を見たら・・・誰だってわかるよ」
「・・・」
私は何だか悔しくて唇を噛んだ。と同時に視界が滲んで、どうにも困った。
「バカだなあ。僕の代わりにでもしようと思ったのかい?」
「・・・ちが」
「いるわけないだろ。僕の代わりなんか」
「・・・だって」
いちばん好きなひとはいつも遠くて。
距離も――時間も、気持ちさえ。
「正直に言うと、僕だって君の代わりの誰かを見つけようかとも思ったことがある。だけど――全然、駄目だった。どうしてもフランソワーズを思い出してしまう。フランソワーズじゃなきや嫌なんだ。他の誰かなんて要らない。だから――わかるんだよ。きっと君もそうだったんだろう、って」
そうして探るように私を見る。
「・・・そうだったんだろう?」
――私は。
だって。
抱き締める腕の強さが違う。
キスする唇の感触が違う。
髪を撫でる指の優しさが違う。
キスしようと傾ける顔の角度も、何もかも。
全然、違ったの。
違うひとは、嫌だったの。
「・・・ジョーじゃなきゃ嫌」
悔しい。
今日は絶対に泣かないつもりだったのに。
なのに、涙は後から後から湧いてきて止まらなかった。
「僕もフランソワーズじゃなきゃ駄目だ」
泣いているのに、ジョーは何もしなかった。
慰めるみたいに抱き締めるのもしない。涙を指で拭ってくれたりもしない。
微妙な距離感。
手を伸ばせば届くのに、私たちはばかみたいにただ向き合って突っ立っていた。
「・・・フランソワーズじゃないと嫌だ」
ジョーの顔が歪む。
褐色の瞳が揺れる。
――泣いている?
「・・・頼むから。僕以外の誰かでもいいなんていわないでくれ」
「・・・言わないわ。言ったこと、ないでしょう?」
「うん・・・」
ジョーが泣く。
静かに涙を流す。
私は――ジョーが泣くと涙が止まるのだ。いつも。
「ジョー」
そうっと指先を伸ばしてジョーの頬に触れた。
「・・・早くあなたのホテルに行きましょう」
だって。
「私はあなたの香りに包まれたいわ」
いちばん好きなひとの香り。
いちばん好きなひとのキス。
いちばん好きなひとの――
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