「遠距離恋愛」
「しばらくはこのケーキともお別れね」 テイクアウトした「Audrey」のケーキをフランソワーズは悲しげに見つめた。 「次の公演はウィーンだったよね」 シーズンオフの今は、レースがあるから自分もそちらへ行くという口実は使えない。 しばし無言でケーキを食べる。 「――演目は何だった?」 ちらり。と蒼い瞳がジョーを見つめる。 「アナタは大丈夫?」 にっこり笑ってフランソワーズを見つめる。 「いつでもそうだ、って知ってるだろう?」 けれども、目の前にいるフランソワーズの表情は晴れない。 「・・・あれ?フランソワーズ、返事は?」 思い出したようにとってつけた空元気と共にケーキを口に運ぶフランソワーズにジョーは眉を寄せた。 「一体、どうしたんだ?」 ジョーの心配そうな声にも答えず、フランソワーズはただ黙って首を横に振った。 「ごめんなさい。・・・なんでもないの」 そう言って、そっと伸ばされたフランソワーズの手。細くて白い指がジョーの指と重なる――寸前、ジョーは彼女の手を避けるように手を引いた。 「フランソワーズ。いったい、何を我慢してる?」 所在なげに両手を握り合わせ、フランソワーズは手元に視線を落としたまま無言だった。 「フランソワーズ。答えて」 ジョーと視線を合わせようとしない。 「フランソワーズ」 それでも何も言わない彼女に小さく息をつくと、ジョーはゆっくりと背もたれによりかかった。 「バカだなぁ。――寂しいのは僕も一緒だよ」 びっくりして丸くなった蒼い瞳に苦笑する。 「そんなに驚かなくてもいいじゃないか。僕もそうだっていうの、変?」 「――うん。・・・シーズンオフだからさ。レースにかこつけて会いに行く――っていうのができないから」 レースという口実がないと会いに行けないわけではなかったが、それを言うと歯止めがきかなくなりそうだからやめた。 「どうしようかなぁって考えてる」 自分に会いに来るのに口実がないとダメなんだと知らされるのは辛かった。 「――違うよ、フランソワーズ。・・・またそんな顔して。勝手に勘違いしないでくれよ」 またそんな都合のいいことばかり言って、というフランソワーズには取り合わず、ジョーは続けた。 「もし、一緒に行ったら、君の邪魔をしてしまうのがわかっているから、ね」 呆然としているフランソワーズに笑みを浮かべたまま続ける。 「だって困るだろう?一日中君を抱き締めてレッスンにも行かせなかったら」 「それに、レースがないから、僕は一日中君を抱き締めていることができる。何にも邪魔するものがない。――危険だろう?」 それっきり黙ってしまったジョー。 「・・・そうね。電話もメールもあるし。元々、こうして一緒に居るほうが珍しいんだし。きっとすぐ慣れるわ――」 またお互いがいない日常が返ってくるだけだ。 そう、今は一緒に居過ぎてしまったから、離れるのが寂しく思えるだけで――いつものように離れてしまえば、それはそれで何とかやっていけるだろう。 「――すぐ慣れる?」 ジョーの微笑みが消える。 「すぐ慣れる、だって?」 「僕がどんなに我慢しているか、全然わかってないんだ」 自分が止めたら、彼女の夢を邪魔することになってしまう。だから、いつも「行くな」の3文字を飲み込んできた。代わりに「またね」と言って。 「ジョー。私があなたに会いたいと思わないわけないじゃない」 「そばにいて」と言う言葉をいつも我慢している。それを言ってしまったら、ジョーは自分のそばから離れることができなくなってしまうから。だから、いつも笑顔で何も言わずにその背中を見送っている。F1レーサーであることは、彼の大事な夢だったから。 「ひどいのは君のほうだ」 じっと見つめ合う顔と顔。 お互いに、何をどう我慢しているのかなど伝えたことはなかったし、これからも言う気はない。 「――ごめん」 先に折れたのはジョーだった。 「ケンカするつもりじゃなかった。ただ僕は――」 フランソワーズを見つめ、手元を見つめ。そうしてもう一度フランソワーズを見つめて。 「――慣れないから。何度やっても」
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