「ただの友達」
とある日曜日。 僕とフランソワーズは連れ立って都内の百貨店にやってきていた。 そんな浮かれている僕をしたがえて、フランソワーズがまず向かったのは―― 「ちょ、フランソワーズ?」 ないはずなのに。 フランソワーズが真っ先に向かったのは、ベビー服のコーナーだった。 アナタ。 彼女が僕をそう呼ぶのは別に珍しくはない。そう、聞き慣れてもいる。そのはずなのに、何度呼ばれてもなんかこう……頬が緩んでしまうのはどうにかならないものだろうか。 「そうよ」
―1―
もちろんデートである。
フランソワーズの服を選ぶのが一番の目的で、今日は財布の紐を思い切り緩める予定でいた。
上から下まで(もちろん下着も)フランソワーズを僕ナイズしてしまおうとそれは楽しみにしていた。昨夜なんて楽しみすぎて眠れなかったくらいだ。
「え。なんで」
戸惑う僕をよそにフランソワーズはいそいそとそのコーナーに入っていく。
「ジョー、早く」
「え。う。うん……」
今日はきみの服を僕が選ぶんだよって言ったよな?
言った……はず、だ。
いや。
夢だったか?
いやいや、ちゃんと言ったはずだ。だって、「やあねジョーったら」なんて可愛く言っていたんだから。
あれはマボロシではあるまい。もちろん、僕の妄想でもないはずだ。
(ちなみに言っておくが、僕と彼女にそういう性癖はない)
「ジョーったら。そんな顔しないの。言ったでしょう。イワンのお洋服を買いたいって」
「……そうだっけ?」
「そうよ。アナタったらなんだか上の空だから耳を素通りしちゃったのかもしれないけど」
しかもこのひとことで機嫌が直るなんて自分でも認めたくないところなのだけど。
「ヨシ。イワンの服だな」
そんな僕を知ってか知らずか、フランソワーズは急にやる気を出した僕を見てにっこり笑った。
イワンのベビー服をあれでもないこれでもないとフランソワーズと選んでいたら、店員に話しかけられた。 「あっ、いいえ、甥のなんです」 なんだと。 「今日は荷物持ちで一緒に来てもらってるんです」 フランソワーズの一言で店員は僕を蚊帳の外に出した。 何で急にフランソワーズは僕をただの友達などと言ったのだろう。 有り得る。 こう見えてフランソワーズはけっこう恥ずかしがりやなのだ(でもそれも可愛い)。 だが、今日はデートなのだ。 デートって、ずっとくっついていてもいい日じゃないか。そうだろう? 僕はフランソワーズの肩をぐいっと抱き寄せ、彼女の髪に鼻を埋めながら勝ち誇ったように宣言した。 「お友達じゃないわ。ただの知り合いよ」 くっ…… 僕が絶句して固まっているのにも関わらず、フランソワーズは平然と買い物を続けている。 なんだか違うような気がする。 僕は抱き寄せたままのフランソワーズの首筋に顔を埋めた。 「ねぇ、変態さん」 店員に商品とカードを渡し、しばし会計を待つ。 「ジョー、重いわ。いい加減にして」 知らない。僕はいま失意の海底にいるから何も聞こえない。 「もうっ……変態に好かれるのもたいへんだわ」 途端に世界は開けた。天空から光が差してくる。そう、僕たちは傍から見れば「ただの知り合い」だけど、その実体は変態の恋人同士なのだった。 ちっくしょう、やられた! 「フランソワーズ」 そう。 「……楽しい、かい?」 そう言ったフランソワーズの顔は晴れやかだ。 「……あとで覚えてろよ」 唸るように言うと、ちょっと首をかしげ(もちろんその首筋には僕が顔を埋めている) 「ふふ。楽しみにしてるわ」 よし、よく言った。忘れるなよ? 「でもそろそろ重いからちょっと離れてくれないかしら」 や。だからそれは反則だろう、フランソワーズ。 「ふ、……フランソワーズのだけだよ」 そう小さく言うのが精一杯だった。
―2―
「お子さんにですか?」
いやあ参ったな。やっぱり傍から見ればそうなんだろう、何しろ僕とフランソワーズはまだ夫婦ではないけれどかなりそれに近い関係なんだし――
「まあすみません。てっきり――」
「それに、このひとはお友達なんです」
「まぁ、そうなんですか」
そうしてフランソワーズと楽しそうにイワンの服を選んでいる。
――何でだ。
お子さんにですかと言われたから恥ずかしくなったのだろうか。
だから急に僕にこんな意地悪を言ったのだ。それは、こんな場所であまりくっつかないで頂戴という牽制の意味もあるのかもしれない。確かに、イワンの服を選ぶにしてはちょっと――本当にちょっとだけ、密着しすぎていなくもなかったような気がする。
「それはないだろう、フランソワーズ。僕たちは友達以上の関係じゃないか」
こういうのは強気に出たもん勝ちなんだ。
「何を言う。友達以上の関係だろう」
「いいえ。ただの知り合い」
「ただの知り合いにこうして髪の匂いを嗅がれて平気なのかきみは。変態だな」
「変態って言うほうが変態なのよ」
「ああ僕は変態だとも。そんな変態に好かれるきみは変態のなかの変態だ」
「私に変態の友人はいません。だからアナタはただの知り合い」
同じアナタなのにニュアンスが違う。なぜだろう、胸にぐっさり刺さるんだけど?
「すみません。これの色違いありますか?」
これって本当に「恥ずかしさのあまり僕を知り合いと言っているだけ」なのだろうか?
もうダメだ。立ち直れない。僕はこのまま失意の海に溺れてしまうんだ。
なにしろ「ただの知り合いの変態野郎」なのだから。
「……」
「もしもし?」
「…………」
「こっちの赤いのと青いのとどっちがいいかしら」
「…………変態に意見を聞くと変態度が上がるぞ」
「いいの、変態のなかの変態だから」
「……赤っぽいほうがきみの好みだろう」
「うふ。やっぱりこっちのほうが可愛いわよね。――すみません。こちらの赤いのをください」
「あまり連呼するな」
「いいじゃない、変態同士仲良くしましょ」
「知り合いだって言ったくせに」
「だって変態の恋人同士だなんて世間様には言えないでしょ?」
「なあに?」
フランソワーズはこんな綺麗で可愛い顔をしていて、時に凄く意地悪になるんだ。
僕に無理難題を言って困らせてみたり、僕の言質を取ってみたり、それこそ時と場合により色々だ。
そのまるで小悪魔のような衝動が彼女のなかでいつどのように発動されるのか、僕にはさっぱりわからない。
だから僕はいつもただそれに翻弄されるだけなのだ。
「ええ。とっても」
小悪魔め。
本当にあれやこれや色々な楽しいことをするからな?
なにしろ今日はデートなんだ。こんな風にずうっとくっついていてもいい日なんだ。
「僕は変態だからいいんだ」
「もうっ……本当にひとの匂いを嗅ぐのが好きね。アナタって」
優しく言うな。アナタ、って。破壊力ばつぐんなんだぞ。