「おやすみのキス」

 

 

「おやすみなさい」

フランソワーズからジョーへ。

 

「おやすみ」

ジョーからフランソワーズへ。

 

お互いの頬に名残惜しそうにキスが送られ、ひとつの影はふたつに別れた。
パリのアパルトマンの前である。
見つめ合う二人の前にぶらさがっている問いにはどちらも触れない。

――今度はいつ会えるのか。

言わない、聞かない、見ない。

問うても仕方のないこと。聞いても答えはわかっている。だから、お互いの目に問いかけない。
それでもやっぱり離れ難くて、しばし見つめ合ったまま時が過ぎる。

「・・・寒いね。もう入ったら」

ジョーがブルゾンのポケットに両手をつっこみ肩をすくめる。目で建物を指して。
2月のパリは寒い。
石畳から立ち上ってきた冷気は確実に体温を奪ってゆく。

「そうね。ジョーも、もう帰ったら」

フランソワーズは自分の肩にストールを巻き付け直す。息が白い。
上がってお茶でもと勧めればいいのだろうけれど、気がすすまない。
もしも彼を部屋に招いてしまったら、ますます別れ難くなってしまう。
きっと、彼の腕を抱き締め、離れたくないと泣いてしまうだろう。
そうしてジョーを困らせる。
困ったジョーは、それでも時間ぎりぎりまでそばにはいてくれるだろうけれど。

別に、一生の別れというわけではないのだから。

何度も言い聞かせた言葉を胸の裡で繰り返す。

二度と会えないわけではないのだから。

また会えるんだから。

それがいつなのかはわからないけれど。
何日後?何ヵ月後?それとも――何年後?

いくらなんでも何年後はないわねと苦笑する。

フランソワーズの苦笑につられたのか、ジョーの口元にもうっすらと笑みが浮かぶ。

「ほら。きみが入らないと僕は帰れないんだから」

ちゃんと部屋まで無事に着いたのかどうか――彼女の部屋に灯りがともり、窓から手を振る姿を確認してからでないとジョーはここから立ち去らない。

「・・・ええ。そうね」

立ち去るジョーの後ろ姿を見送るのは常だったけれど、それがどんなに寂しいことかジョーは知らない。

「そうだよ」

フランソワーズに手を振って背を向けて。一度も振り返らずに帰途につく彼の、拳がきつく固められているのを彼女は知らない。そうしていないと彼女の元へ走ってしまうだろうことも。

おやすみのキスを交わしてから数十分が経過した。
既に身体は冷え切っていて、何か話すにも口元もこわばってきている。

「・・・風邪ひくよ?」

「あなたこそ」

先刻までは寒さなんて感じなかった。
ふたり寄り沿っているだけで、手を繋いでいるだけで、お互いの瞳を見つめて声を聞くだけで。
その温かさから離れるのは何度やっても慣れるものではなかった。

「・・・フランソワーズ」

とうとうジョーが009の顔をしてフランソワーズに最後通告をする。
早く中に入れ――と言われたら、本当に入らなくてはいけないのだ。
だから、フランソワーズは身を硬くして彼の言葉を待った。
もう十分、別れを惜しんだ。だから、もういいだろう――

 

「――たまにはいいよね」

 

けれども、フランソワーズの耳に飛び込んできたのは、妙に気弱な009の声だった。

「えっ?」
「もう少し一緒にいても」
「え・・・だって、ジョー」

明日早いんでしょう・・・?

「うん。でも、こっちも大事だから」

そうして伸ばした指先がフランソワーズの頬に触れる。どちらも冷たかった。

 

 

 

 

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