「今日は特別」


 

 

フランソワーズは湯船のなかで手足を伸ばした。
お湯はじゅうぶんに温かくて、心身ともに温まってくるのがわかる。
いくらサイボーグといっても、寒い日はやはり寒い。
特に今日のような任務の日には、一日の終わりにこうして温まるのは重要だろう。

今日のような任務。

それを考えるとフランソワーズの眉間にかすかに皺が寄った。
冬の山に頻回に起こる雪崩。それがあまりにも不自然な回数であったため調査に乗り出した結果、故意に爆薬が仕掛けられていたことがわかった。
今日はその犯人の確保と、仕掛けられてしまった爆薬の撤去を行ったのだ。
ジョーとハインリヒが犯人の確保をし、フランソワーズとジェットと張々湖が爆薬を見つけて撤去した。
二手に分かれて行ったので効率は良く一日で終えたのだけれども、いちにちじゅう雪山にいるのは辛かった。すっかり冷えてしまった。
もちろん、ドルフィン号のなかで温かいものを摂取した。だから凍えていたわけではない――が、緊張した神経をもリラックスさせるには、やはり温かい湯気が必要であった。

「ふう…」

満足したように息をつく。
温かくてじゅうぶん幸せな気持ちだった。あとは温かいシーツにくるまり眠るだけ。

そんな夜であった。

しかし。

「……遅いわね、ジョー」

なにやってるのかしら、と首を傾げた。


ここはジョーの部屋である。
任務の後なのでフランソワーズもギルモア邸に泊まるのがふつうであったが、今日はどうしてもこうしてゆっくり温まりたかった。
だから無理言ってジョーの部屋に来たのだった。(とはいえ、それに否を唱えるようなメンバーはいない)

夕食後、フランソワーズがお風呂に入って寝るわと宣言した時、じゃあ僕も一緒に入るよと笑って言ってたジョー。だからすぐにやってくると思っていたのに、髪を洗い体を洗ってあとは温まるだけという段階になってもジョーは姿を見せない。いったい何をしているのだろう?

「もう…のぼせちゃうわ」

それでも、ジョーが「僕も一緒に入る」と言っていたから、待ってみる。
あんまり遅いから出ちゃったわと言っても、おそらくジョーは許すであろう。

しかし。

今日はジョーと一緒に温まりたかったのだ。
そのためにジョーの部屋に来たといっても、実は過言ではないのだ。

「……ジョーのばか」

ミルキーローズの湯を指で弾く。

「……自分のほうが凍えそうだったくせに」

雪崩を起こす原因となった人物。それは人間の男だったけれど、ひとりではなかったのだ。
彼はある者にかどわかされて、そんなことをしていた。
そしてジョーたちは、「ある者」も捕えていた。その「ある者」のせいで、自分はこんなに――心身共に冷え冷えとしており、お湯とジョーの温もりが恋しいのだ。

ジョーも同じ立場なのだから、同じように思っているはず。

そう信じて疑わなかったのだが。

こうしてなかなかやってこないということは、それは自分だけの思いあがりだったのかもしれない。
あるいは、もしかしたらジョーも犯人の男のように「ある者」の毒牙に――?

フランソワーズが立ち上がった時だった。


「やあ、遅くなってゴメン」

ジョーが戸を開けて入って来た。

「ん。どうかした?」
「……ジョー」
「うん?」

フランソワーズは浴槽から出ると、ジョーの首筋に腕を回した。

「……冷たいわ」
「フランソワーズは温かいね」
「のぼせるところだったわ。何をしてたの」
「博士から電話があってね――ちょっと大変だったらしい。色々と」
「え。まさか」
「いや、大丈夫。イワンも起きていたし」
「……そう」

フランソワーズはそのままジョーをぎゅっと抱き締めた。

「何か心配だった?」
「ええ。だって……」

ジョーも「ある者」の毒牙にかかって、犯人の男と同じように――

「イヤだな。僕が誰かわかってるかい?」
「ええ。009でしょう。最強の」
「違うよ。僕はきみの男だろ。――雪女なんかにかどわかされたりしないよ」

「……そうね」

しかしジョーの体は未だ低体温といってもいいくらい冷たかった。自分はその場にいなかったからわからないが、もしかしたら雪女の冷気を直接浴びたのかもしれない。だから他のメンバーはジョーを連れて帰ることに異議を唱えなかったのかもしれなかった。

「でも、綺麗なひとだったんでしょう」
「僕をみくびってもらっちゃ困るな。僕の女はフランソワーズだけで手一杯さ」

それだって、時々手に余るんだしね――とフランソワーズの髪に鼻を埋めた。


「……ばか」

 

 


 

 

「え…雪女…?」
「騙されるな、ただ自分でそういっているだけだ」
「いや、しかし」

では目の前にいるのは、ただのコスプレ好きの女性なのだろうか。

こんな雪山で?

着物一枚で?

「助けて、……寒いの」

乞われるように手を伸ばされ、ジョーは思わず一歩前に踏み出した。
どうみても髪の長いふつうの女性である。着物一枚だけとはいかにも寒そうだ。

「ジョー!近付くな」
「しかし」
「被害者なんかじゃないぞ」
「でも」
「もちろん雪女でもないがなっ」

ハインリヒが左手を構えた。

「おそらく異能だろう。わかりやすく言えば水使いだ」
「えっ?」
「ちいっ、余計なことをっ…」

口をすぼめたと思うと、一気に冷気を噴き出した。
途端、凍りつくハインリヒの左手。

「なっ…」
「ねえ。寒いの。温めて?」

凍るハインリヒに目もくれず、女性はジョーに向かって突進した。
ジョーは女性に銃を向けられない。腕が首に巻き付き、冷たい唇がジョーのそれを覆った。

「ジョー!肺が凍るぞ、息を止めろっ」

決死の形相でハインリヒが叫ぶ。

「くっ…」

体がどんどん冷たくなってゆく。
水使いとは即ち液体を扱う能力なのだろう。
自分の体内を循環する全ての液体が急速に冷えていくのがわかる。あと数秒で凍るだろう。既に脳循環が怪しくなってきているようで、意識が朦朧としてきた。

雪女の舌が絡みつく。

「…っ」
「さあ、私のものにおなり」

ジョーの体は限界を越えて凍りついてゆく。

「ジョー、なにやってるっ」

ハインリヒの声が遠くに響く。

「ふふっ、次に目覚めた時あなたは私のもの」
「――」

ジョーの体から力が抜けてゆく。そのまま膝をつく…と思った瞬間、ジョーは渾身のちからをこめて雪女を抱き締めていた。

「えっ、何を…熱い!!」

ジョーの体が赤く染まってゆく。体温を急上昇させているのだ。剥がれようとする雪女。しかしジョーは離さない。
死闘は一分もかからなかった。自身を熱から守るために力を使い果たし、雪女の能力がロストしたのだ。
くずおれる女性を見下ろし、ジョーは小さく呟いた。

「僕はきみのものじゃない。フランソワーズのものだ」

そうしてばったりと倒れたのだった。


ジョーとハインリヒは駆け付けたジェロニモに抱えられ下山した。
一般人と化した雪女は能力がロストしたためこんこんと眠り続けていた。

 

後にハインリヒが語ったところによると

「あんな熱いジョーは見たことなかったぜ」

とのことだったが、それは文字通り体が熱かったことを言っているのか
あるいは珍しく人前で熱い言葉を吐いたことを言っているのか

誰にもわからなかった。

 

 


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